国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議
2001/04/29 議事録
平成13年4月27日(金) 10:30〜13:00
東海大学校友会館「富士の間」
内田博文、奥野信宏、小野田武、加藤祐三、小出忠孝(副主査)、椎貝博美、瀬戸純一、舘 昭、田中弘允、廣重 力、堀田凱樹(副主査)、松尾 稔(主査)、丸山正樹、山本眞一 の各委員
川嶋宗継、相良祐輔、生和秀敏、内藤俊彦 の各関係者
工藤智規高等教育局長、清水潔高等局審議官、木谷雅人高等教育企画課長、合田隆史大学課長、杉野剛大学改革推進室長 他
【委員及び関係者】
資料2の2ページ目の文部科学省評価委員会の構成について、ABCの3つの案が記載されているが、C案の評価対象である大学に所属する教職員を構成員に含めるということはあまり望ましいことではないと思う。それに比べB案は、例えば、たくさんの大学を経験した人がいれば、どこかで構成員に入ることとなるので、B案ぐらいが適当ではないかと思う。一番難しいのは、大学全体の立場から発言できると考えられる者というところが少し曖昧で、どういうことを行えばこれが証明できるのかという問題もあり、経歴、現職等から判断して適当であるというふうに記載するぐらいがいいのではないか。必ずしも、大学全体の立場から発言できる者というふうに考えなくてもよいと思う。例えば、ある研究について、これは良くない、これは大変いいということが分かっていればいいのではないかと思う。大学全体の立場から発言できる者となれば非常に難しく、例えば、その人が医学も工学も文学も歴史も英語学もすべて分かっている人がいればよいが、大学全体の立場から発言できる者というのは難しいと思う。
【委員及び関係者】
ご指摘のとおり、B案の文章を修正した方がいいのではないかということについては私も個人的にそう思っている。ただC案だが、実際問題としては、国立大学の教授を構成員に含めないということは、主務省の親委員会の委員や専門委員会の委員とも重なると思うが、非常に難しいと思う。この場合、自分の所属する大学が評価の対象となっているときはその場からはずれるということは考えられ、現在も行われていることであると作業チームでは議論していた。
【委員及び関係者】
そういう議論であれば、C案でもよい。
【委員及び関係者】
議論の前提として、これはあくまで教育研究活動については大学評価・学位授与機構の評価を尊重するということであると思うが、そうだとすればここでいう主務省の評価委員会は、管理運営や財務関係の問題に力点を置くこととなる。そうしたときに、研究領域や専門領域の専門家が必要であるかどうかは本当に意味のあることなのか。つまり、ここでいう大学全体の立場からというのは、特定の専門領域に偏らないで大学が一つの事業体として十分に機能しているかどうかを判断する際にそういう可能性のある方を構成員として考えるという意味でB案の文章を書かれているのではないか。
【委員及び関係者】
機構の教育・研究評価については主務省の評価委員会は尊重するということだが、他の業務や財務を評価する際に、教育研究の評価に大きな影響を及ぼしていくことがあるので、やはり、教育研究についての見識を持っている方、高等教育、学術教育についての見識を持っている方が主務省の評価委員会の構成員になるということは大事なことではないかと思う。
【委員及び関係者】
B案について私が問題としているのは、大学全体の立場から発言できる者というのは定義が難しいということである。外国の例でいうと、過去10年以上前に所属していたなどの明確なルールがある。
【委員及び関係者】
この案のうち、A案は大学関係者を一切構成員に含めず、C案は大学関係者を構成員に含めるということであるが、具体的な学部別の教育研究の評価については大学評価・学位授与機構に任せるため、大学全体のことについて評価を行うこととなるが、だからといってA案のように大学関係者が全く構成員に含まれないというのは少し問題ではないかと思う。したがって、B案でもC案でも良いが、国立大学の関係者が構成員に含まれ国立大学全体を評価することが必要ではないかと思う。
【委員及び関係者】
資料2の1ページについて、検討の方向例には基本的な考え方ということで、この評価委員会が行う評価の目的について検討されたことと思うが、通則法を見れば、評価委員会は法律によって権限とされた事項について評価を行うことが基本的な考えであると思う。したがって、各年度の授業計画や中期目標の達成状況などを評価することが基本であり、計画が効率よく目的に添って遂行されたかどうかを評価することが基本的なスタンスではないかと思う。その結果を大学改革や社会一般に大学の状況をわかりやすく示すことも結果として大切なことであるが、あまり強調しすぎると評価委員会の活動が本来の目的を超えて非常に大きくなってしまうのではないか。したがって、独立行政法人の評価の観点からいえば、できるだけ評価委員会の役割は抑制的である方が望ましいのではないかと考えている。むしろ、大学改革等の評価については、大学評価・学位授与機構や大学基準協会の評価を最大限に活かすという方法があるのではないかと思う。
【委員及び関係者】
教育研究の評価に関しては、JABEEや大学基準協会その他の評価について自分のところの評価に含めて機構に提出するということで、窓口は機構に限るということであると思う。いずれにせよ、教育研究の評価については第三者評価機関と主務省の評価委員会の役割について、少し抑制的にという発言もあったが、あまり権限が大きくならないような書き方が重要ではないかという御意見であったと思うがその点いかがか。
【委員及び関係者】
評価は、どの程度の範囲で行うのかという問題とその範囲の中で各機関というか各主体がどういう形で任務分担していくのかという問題があるのではないかと考えている。全体の問題にとしては、やはりできるだけ広い範囲で評価することによって、国民に対して国立大学の存在を認めていただく、理解していただくという視点は必要であり、そういう観点から評価の範囲をどのように考えるのかという問題が出てくる。その中で、各主体がどういう任務分担をするのかということも出てくるので、例えば、自己点検評価、第三者評価、主務省の評価委員会の評価の射程ということでそれぞれの関係が整理されていくのではないかと思っている。
【委員及び関係者】
主務省の行う評価の中身は、5年、あるいは1年前に設定された各年度の事業計画や中期計画に記載されているはずであり、中期計画の認可の際にも評価委員会の意見を聴かなければならないとされているところから見て、そういう意味で国民や主務省に対して約束する内容は、中期計画や各年度の事業計画に盛り込まれているはずであると思うので、このような評価はおそらくないのではないかと思っているが、その辺はこれから少し議論になるかもしれない。
【委員及び関係者】
今の問題に関連して、評価を考える場合には、目的と主体と方法という話があった。今、何のために評価を行うのかという目的のところであると思う。やはり、独立行政法人の枠組みの中で大学評価を行うのであれば、中期計画に記載されたものの達成度がどうかということが基本で評価の中心部分であると思う。あとはそれに何を加えるかという問題については、逐一検討しながら進めるべきであると思う。また、目的の一つというか重要な部分はやはり運営費交付金の配分に関連した部分であると思う。その際、やはり中期計画に記載されたものの達成度によって運営費交付金の多寡が決まるはずであり、そういうことから考えれば、大学評価の目的は何であるのかクリアーにしておいた方が今の議論は収束しやすいのではないかと思う。結局、最終的には運営費交付金をどのような形で決定していくかということについては、資料2の4ページの一番下に、適正な反映の方法と手続きについては、財務会計制度委員会における運営費交付金等に関する検討も踏まえさらに検討するということが記載されており、この辺りのことがはっきりしないので今のような議論になっているのかもしれないが、できるだけ早くこの辺りのことも決めなければ評価の目的とは何かということは難しいのではないかと思う。中期計画に盛り込む事項としては、文部科学大臣が国から財政的な措置を受けることとなるため、その責任のためには予算的措置が必要な部分の計画を記載するのが中核であり重要であると思う。したがって、中期計画の中には、予算措置を必要とする部分と国民に対する説明責任の部分に分かれるべきであると思う。そこを分けて考えておかなければ、中期目標の指示、中期計画の認可及び大学評価という一つのサイクルの中での役割がはっきりしないのではないかと思う。
【委員及び関係者】
そもそも評価の目的はごく抽象的に記載しておく方がよいのではないか。また、評価方法は進化しなければならないということが資料2の検討の方向例に記載してあることであり、評価の方法ということであれば大学評価・学位授与機構などの評価を活かすということであると理解している。
【委員及び関係者】
評価の目的のところに予算配分と直接結びつけて傾斜配分を行うことはうたわない方がよいのではないかと思っており、何のために評価を行うかということが大切である。若干余談になるが、第8常置委員会主催の説明会の際にも今更なぜ評価を行わなければならないのかという質問が2つ3つで出くる。これまでは、主務省の文部科学省が設置審査を通して、ある目的を持って大学を作るということであり、目標をその大学が独自に設定するということではなく、予算についてもこと細かく規制されるので、自分で評価する必要がなかったと答えていた。しかし、裁量が広がり自分で計画や目標を設定することになれば、その達成度を評価しなければならないことになるのではないかと答えていたが、あまり傾斜配分のことをこの委員会で記載するのはどうかと思う。もちろん御意見はお伺いするが、主務省に置かれる評価委員会がどの程度の権限を持つかということもよく分からない。また、予算についてもどういう形のものがそれに対応してくるのかもよく分からない。したがって、第8常置委員会においても研究や教育に関する評価の部門については、その結果を資源配分と直接結びつけることは問題である、端的にいえば賛成できないという意見もあり、もちろんゼロというわけにはいかないと思うが、それは次のステップをエンカレッジするために使われるべきものであるという意見が強いということをご紹介しておきたいと思う。
【委員及び関係者】
やはり問題は、通則法の枠組みをどの程度出ることができるのかということで、教育研究の評価の結果が資源配分に直接結びつかないことが容認されるとすれば、これは非常に教育研究の活性化、質の向上のためにはすばらしいことであると思うが、それができないと仮定して申し上げた。中期計画を決定し、あるいは中期計画を大臣が認可する際に評価委員会の意見を聴かなければならないと規定されているため、これを除外することができないのであればということで先ほど申し上げたことを付け加えておきたい。
【委員及び関係者】
こういう新しい評価システムを導入することについて、評価の結果が傾斜配分に直結しないようにという懸念も理解できるが、それでは何のために行うのか、まさしく社会に対するアカウンタビリティーはどうなるのかという危惧を持つ。やはり、ある程度姿勢がはっきりしないとこういう組織変革を行う意味が曖昧模糊にならないかと懸念する。ある程度大枠で了承すれば進めざるを得ないというのが私の基本スタンスであるが、今話題になっているアカウンタビリティーが、資料3の11ページの大きな項目の5番目として、アカウンタビリティーに関する目標が挙がっている。その内容は、今回、詳細に議論されており参考になるが、この委員会が始まった当初から何度も発言があったが、本当の日本の高等教育であるためには、アカウンタビリティーだけではダメであり、アカウンタビリティーをはっきりさせないと意味がないと思うが、説明できない面もあるのではないか、将来日本にはそれが大事ではないかという指摘が何度かあり、大変大学の本質をつく発言であると思っている。アカウンタビリティーの中にあるカウントという言葉は、数えるということであり、最近読んだ本の中に、数で表されるものからは新しい数学の原理の発展はあり得ないと断言しているのを見て少しショックを受けた。これは、大学の分野にかなり慎重な配慮がなければ日本の将来を危うくするのではないかということで、アカウンタビリティーの項目の中にそのような懸念はどのように議論されどの文章に含まれているのか伺いたい。
【委員及び関係者】
誤解のないように申し上げるが、競争的なものに関してはもちろん管理運営やいろいろな計画の達成度など、評価の結果がいろいろな形で予算と結びついてくるというとは当然考えている。しかし、研究や教育が非常に短い期間ではかれるものとはかれないものがあるので、そこは非常に慎重に扱わなければならないという意見である。
【委員及び関係者】
アカウンタビリティーという言葉の理解については、ご指摘のようにカウントにはまさにそのような意味があると思うが、今、日本の行政においていろいろなところでアカウンタビリティーという言葉が使われているが、それは必ずしも数値という意味では理解されておらず、一般的に国民に知らせることの意味に使われていると思うし、私達もそういう意味で使っている。その中で説明責任を果たさなければならないというときには、これまでの論点整理、あるいはこれまで議論があったことであるが、数値で示せることと示せないことがあるということはここでもずっと議論されており、私達も大学にいてそのことは十分認識しているつもりである。
【委員及び関係者】
今の点については、先ほど御説明したとおり、自己点検評価をベースにして第三者評価を行うというように考えたのは、今ご指摘いただいた点を考えているということである。もう一つは、評価の場合、定性的な評価と定量的な評価があり、適宜組み合わせてよりよいものにしていくことが必要であり、そういう意味では、常によりよいシステムを求めていくということの中で含意させていただいた。
【委員及び関係者】
ご指摘は当然のことであり、大学が全部説明できれば大学は必要ないわけであるが、ただいえることは、基本的に説明ができない部分について、知らなくてもいい、任せておけということがいけないと私は確信している。やはりそれは日本全体の民度の問題もあるかもしれないが、そこをどう払拭していくかという一つの課程の作業ではないかとご理解いただきたいと思う。
【委員及び関係者】
評価の結果を運営費交付金の算定に反映させるかどうかという問題については、国立大学の先生の立場でいえば、そのようなことはやめてほしいというのが基本的な考え方であると思う。しかし、独法化する一つの目的は、多額の国費を使って国立大学がそれに相当するだけの仕事を行っているかどうかということに対する国民の要望があり、基本的には、運営費交付金の算定に反映させるという基本方針だけははっきりさせておくべきではないか。ただし、その評価の仕方について、評価委員会の構成員に国立大学の先生を含めた方がよいと思うのは、第三者がこの研究は必要ないと発言しアウトになってしまうことは好ましくないので、国立大学の先生を構成員に含めることによって、この研究は地道な研究で今は結果が出ていないがいつか必要になる研究であるという意見を反映することができるということになり、評価の仕方を国立大学の先生がうまく行い、しかし結果は反映されるとはっきりしていくべきではないかと思う。
【委員及び関係者】
評価はやはり必ずしも評価機構や主務省の評価委員会が行っているだけではなく、例えば、いろいろな競争的資金の制度がどのように運営されているかにもよるが、そこではピア・レビューが行われ、それによって資金の配分が行われている。むしろ国として大学をサポートしていく原点は、大学をそういった競争に耐えうるものにしていくということでなければならないと思う。したがって、その観点を見失うと、特定の問題点を指摘してその評価を著しく下げ、結果として運営費交付金の配分に大きく影響されるという必ずしも適切でないということがおこる。そのために全体の基礎代謝が落ち、大学をうまく運営していけないということも起こりかねないので、その辺りは十分気をつけて制度設計を行わなければならないと思う。
【委員及び関係者】
国民に対する説明責任はできるだけ最大限に行うべきであると思う。大学評価・学位授与機構の二つある目的のうち、一つがアカウンタビリティーであるが、それについては方法論を含め、国立大学の教官自身もおおいに行うべきであると思っており、その点についてはご理解いただきたいと思う。しかし、アカウンタビリティーを表現する場として、もし中期計画が大臣の認可によるものとするのであれば、ふさわしくないということであり、どういう場で行うか十分検討すべきであると思う。また、教育研究の中身については、目標を立て計画を作りそして評価を行うことは、自主的にまた外から強制されるのではなく、自ら行うべきものであり、そのことについては現実に行われているということをはっきりさせなければならないと思う。教育研究の中身については、外からあるいは文部科学大臣から指示され、認可される事柄はお金に直接関連した部分だけに限るべきであると考えている。
【委員及び関係者】
資料2の1ページ目の真ん中当たりに記載されていることは、国公私の大学に共通することでかなり適切な表現が必要であると思う。キーワードは、一つ目が活性化、二つ目が透明化と効率的であるように思われるが、この言葉は少し焦点をはずしている気がする。つまり、活性化は質的向上というか質の向上、透明化は説明責任を果たすということではないか。また、最後の効率的のところを透明性とする方がわかりやすいという印象を持った。しかし、表現については慎重かつ極めて格調の高い高邁な形で書きながら実際の運用、評価、手続きについては厳正に行うという組み合わせとしては大賛成である。
【委員及び関係者】
アカウンタビリティーについて、あらかじめ何を行うということを設定すること自体に問題があると申し上げたのであり、一定の分野で教育研究活動やその他の活動を行い、その実績についての説明は本来行うべきであり行うことができるわけである。しかし、何度も申し上げているのは、大学の活動においては、例えば、説明するにあたってはスパンの問題についても分野によって非常に特徴があるということもあり、そのあたりを非常にきめ細かく行っていかなければ相当問題があると思う。したがって、長期間かけて本当にこつこつと積み上げているような仕事をある期間で評価を行い、これだけのことを行いましたとしたときに何をやっているのですかということになっては困るということである。例を挙げれば、何年か前に学位を取得し、比叡山に入ってまずサルの個体の分類から始まり、サルの社会生活をほぼ20年、30年にわたって研究し結果を出したということも実際にあるわけである。
次に、教育研究の評価については、機構の評価を利用するということ自体については特に反対するつもりはないが、問題点は、主務省におかれる評価委員会を考えたときに、大学の運営等について設定した計画の達成度について統計的な結果を出すということであり、教育研究については機構の評価を尊重するというところまではよいとして、その次に運営費交付金に反映させるということになってくれば、この評価委員会は現在のシステムでいうと相当大きな影響力を持つことになる。現在、機構の評価は、卓越、優秀、平均的であるという形で示されることとなっている。それをどのように個々の人が実際問題として、例えば科研費やいろいろな財団等に計画を出し、それをピア・レビューの形で評価を行うこととなるが、それは個人評価であるため意味がはっきりするが、この評価は機関評価であるため、その結果をぼんやりとしたもので出すということではなく、ポイントに変換して評価を行うということにならないか。その辺を非常にはっきりさせておかなければ、この評価委員会は我々が期待したものとは全然違う強烈な権限を持つことになりかねないと危惧する。
【委員及び関係者】
国大協の第8常置委員会等においてもそのあたりは非常に議論になっている。しかし、今のところ主務省の評価委員会がどの程度の構成でどの程度の権限を持つかは分からない。さきほど抑制的という発言があったが、第8常置委員会で出ている意見は、やはり、評価委員会が大きな権限を持ちしかも恣意的な分野が入ってくることになることは大きな問題であるという議論が出ている。
【委員及び関係者】
この資料は、各委員の御意見をいただきながら、全体の論点整理として、一つの検討の方向例として作成した。これはあくまで評価制度の基本的な考え方を議論しているので、評価制度の意味するところは、やはり、役に立つ格調の高いものであるべきで、かなり高邁なことが記載されてよいと思う。問題が起こりやすいのは、評価の主体等のところで、現在、主務省の評価委員会だけが異様にクローズアップされてしまい、むしろこの評価の主体等は評価の主体とその役割という形で一度しっかりしておかないと混乱があるのではないかと思う。その場合、大学評価・学位授与機構との割合を今の時点でどのようにきっちり考えておくかということで、機構の評価の特徴は大学全部を評価の対象にしており、他の評価機関にはない一つのシステムになっている。やはり、このシステムが独立行政法人の問題にきっちり入ってきて当然であると思う。そういう意味でいえば、今の段階で大学評価・学位授与機構の役割をこの評価システムの中で明確にして行くべきではないか。また、アカウンタビリティーも相当確保されると思うので、多分、国民が求めるアカウンタビリティーの大部分はそこで果たせるのではないかと思う。機構の評価の役割をもっと明確にして、主務省の評価委員会の立場をもう少しきっちりしておけば先生方の不安も多少解消されるのではないかと思う。
【委員及び関係者】
法人化後の大学評価・学位授与機構の評価の在り方については、現在の機構の評価は、国立大学の設置形態を前提として、それをベースに評価を行う形になっている。当然、国立大学が法人化されれば、設置形態の変更あるいは運営費交付金との関係の問題が新たに出てくるので、その際、機構がどういう形で関連していくのかということが別の問題として出てくるので、その点については今後詰めていく必要があると考えている。
【委員及び関係者】
一つは、評価結果の財政への反映について、評価結果をポイント化し、その結果、お金の額が変動するということは、よく言うパフォーマンスファンディング型で計算式が出てくるというものは、世界的にはあまり主流ではない。反映の仕方はそれだけではなく、多分、目標があり、それが達成されていない理由を設置者や財政配分者、評価者がそれをよく見てさらに補強していないところは補強しなければならない場合もあり、ポイント化してそれを反映するということは一般的ではないと思う。したがって、反映する意味をポイント化することに限定しない方がよいのではないかと思う。
もう一つは、資料2の1ページ目で議論のあった検討の方向例について、この内容は、大学が行う評価全般のことであり、主務省が行う評価の方向ではない。そうするとここまで行うのかということになるが、主務省が行う評価は、多分、独法化の法律に基づき、それが多少改正されたとしても独立行政法人の筋がある程度あり、逆に言えば、大学あるいは大学評価・学位授与機構が行っている評価が、もっと独立を強めたときに評価システムはどうあるべきかという定義の問題であると思う。そういう意味で、検討すべき課題例の評価制度の仕組みがまだ十分検討されていないが、一番の基盤は、大学の自己評価システムが確立していなければすべての評価システムが動かないということ。大学評価・学位授与機構が行う評価についても、外から一方的に行うのではなく、大学が自己評価したものを一番の基礎として評価を行うシステムである。一方で、主務省の評価を受けるということは、大学の自己体制の中での評価の一部であると思う。したがって、その意味でいえば、検討の方向例はそこまで含んだ内容を示している。評価の第一の主体は大学であるが、独立行政法人の枠組みの中において、主務省の評価をどこに位置付けるかが整理できれば、今のことは整理できるのではないかと思う。また、このシステムの中で大学評価・学位授与機構を活用するとすれば、機構が行う評価は、独立行政法人の問題とは別に大学審議会の答申に基づき、現行の国立大学の設置形態の下で教育研究の活性化、社会への透明性の確保という主旨で出発しており、それを果たすための仕組みになっているため、評価のスケジュールなどについては独立行政法人化された後の主務省が行う評価とは直接リンクした形で考えていないため、そういう点で定義をしっかりすれば、機構としても検討を始めなければならないこともあり、その点御協力いただければと思う。
【委員及び関係者】
それは大変大事なところであり、非常に大切なポイントであると思う。
【委員及び関係者】
先ほど、評価は様々なレベルで行われることを少し申し上げたが、大学共同利用機関を例にとってお話しすれば、例えば、共同利用する立場から考えれば、やはりそれは共同利用する側の人たちがどう評価するかが非常に大切になる。そういう評価は、常に私達は気にしているし実際評価を受けているが、そういうものがどう反映されるのか。今の枠組みでいえば、自己評価、自己点検、外部評価のレベルでそういうことを行うことが適当ではないかと思うが、非常に重要視する必要がある。評価には様々な側面があり、いろいろなレベルの評価を重要視してバランスよく行うことが主務省の役割ではないかと思うので、そのあたりの役割分担をきちんと定義していくことが必要であると思う。
【委員及び関係者】
大学とは本当に難しいものであるという感想だが、本来、アカウンタビリティーや評価は当たり前のことであると思う。これは大学に限らないが、文化的にそういうシステムがなかったことへの生みの苦しみであると感じている。資料2の2ページ目にある評価委員会については、大学は一般の独立行政法人と相当違うものであるということが議論の前提であり、そのためにこのような会議を行っているわけである。したがって、分科会を置くということでも結果的には同じになるかもしれないが、一般の独立行政法人とは違うというメッセージの意味でも、独立行政法人評価委員会とは別に評価委員会を置いた方がよいのではないかと思う。次に、評価委員会の構成については、A案は難しいのではないかと思う。C案の評価対象である大学の教職員を構成員に含めるのはよくないと思うが、大学関係者の知恵も借りなければ運営できないのではないかと思う。3ページ目の手続きについては、評価の問題もあるが、A案の方がすっきりするのではないかと思う。
【委員及び関係者】
資料2の2ページの一番下に、評価の内容・方法・手続きのところで、達成度評価と水準評価と記載されている。今までは、目的の達成度を評価するということで議論してきたわけであるが、水準評価の場合には何か基準がなければ難しいと思う。結論的には非常によいことであると思うが、水準評価がここに入ってきた理由についてお伺いしたい。つまり、達成度と水準をマトリックスで最終的に評価しなければ、大学の活性化を促すという意味では達成度の評価でよいのかしれないが、公的資金の有効活用あるいは国際競争力のある大学の創成という観点が見れば、ある水準という概念が入ってこなければ本当にうまく行っていけるのかと思う。評価の場合、達成度だけであれば目標を低く設定し達成したということであれば、それが本当に活性化したといえるのか。活性化が結果として水準の向上につながると思うので、こういったものをクロスしたパラメーターで評価の基準化を行うのは賛成であるが、このあたりの説明を少しお願いしたい。
【委員及び関係者】
水準を明示することができないというのは当然のことであると思う。この水準は、多分、国際競争力あるいはグローバルスタンダードでもって常にダイナミックに動いていくものであり、これは評価者の見識に依存する。それ故、評価者は内部の人間だけあるいは日本人だけでもダメであり、また、相互に訓練を重ねながら評価者の目利きが向上しなければシステム全体がうまく回らないと理解している。
【委員及び関係者】
まず、大学評価・学位授与機構が、各大学の自己評価を前提として評価を行うというとはある程度理解できる。機構の評価を受けるにあたっては、我々にもすごい作業があり、教養教育も一万六千字にわたる文章を書いている。それを評価委員が見て、大学の現状に合う評価が本当にできるかどうかすごく不安である。見識ある評価委員会なるものが本当に99大学にまたがって水準を判断するような組織が日本の中で本当にできるのかどうか大変不安であると思う。ある部分は非常に卓越した形式も取り、全体の評価としてはどういう形で組織を作って行っていくのか。したがって、大学の自己評価を最大限評価する、はっきり言えば無条件に評価し、それだけ大学が努力するという信頼関係を持てば大学もすごく頑張って活性化すると思う。しかし、ある水準である人が評価していくというシステムは非常に難しいと思うし不安な面があるので少しお答えいただきたいと思う。
【委員及び関係者】
要するに機構ももちろんであるが、主務省の評価委員会に本当にこの人でなければという人が構成員に入っていないといけないのではないかということであると思う。これは非常に大切なことであると思う。一方では、評価疲れというか毎日そればかりということでは困るわけである。したがって、まえにファイリングという言葉が出たと思うが、ある程度自動的にできるということも組み込まれていかなければ現実には各大学が耐えられないということも出てくると思う。
【委員及び関係者】
大学評価・学位授与機構の平成12年度に着手する大学評価の内容・方法等についての資料の1ページ目に機構による評価の目的が記載されている。一つ目は、各大学等の教育研究活動の改善に役立てるということで、これが非常に大きな特徴である。評価結果をフィードバックすることによって教育研究活動の改善に役立てるという意味である。二つ目はアカウンタビリティーであるが、これは非常に重要な部分であり、独法化後どうなるのかという話はあるが、設置形態の如何にかかわらずこの二つがきっちりと機能するようであれば、今のままで機構がどんどん発展し進化していってほしいと思う。機構の中身についてはこのままであってほしいという実感である。
【委員及び関係者】
現在、機構の評価を受けるために行っている作業を見ているが、一つだけ委員の方々にお願いしたいことは、評価委員会は抑制的であることを大前提にしてほしいと思う。先ほどお話があったようなすばらしい委員がいったい何人集まることができるかかえっておたずねしたいと思う。一生懸命やろうとしている大学人の存在ももう少しアカウンタビリティーしなければいけないと思うが、評価委員会は抑制的ということをお願いしたい。もう一つは、大学評価・学位授与機構や主務省における評価委員会の役割をはっきり提示してほしいと思う。実際に、今評価を受けるための作業を見ているときに一番大事なことは、各評価委員会が評価指標を明示するということだと思う。そうすることによって自己評価が非常に充実したものになってくるし、評価される側もそういう点で自己評価しやすくなるのではないかと思うので、この2点だけは委員の方に是非強くお願いしておきたいと思う。
次回は、5月16日(水)に開催することとなった。
以上
(高等教育局大学課)