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国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会

2001/02/19 議事録

国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会(第7回)議事要旨

国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会(第7回)議事要旨

1  日時

  平成13年2月19日(月)13:30〜16:00

2  場所

  文部科学省分館2階「特別会議室」

3  出席者

(委員)

高倉翔[主査]、赤岩英夫、阿部充夫、市川正、大澤健郎、 小笠原道雄、岡本靖正、兼重護、川口千代、木岡一明、桐村晋次、金藤泰伸、椎貝博美、渋川祥子、谷合明雄、中津井泉、渡辺三枝子の各委員

(文部省)

工藤高等教育局長、清水大臣官房審議官、西阪専門教育課長、 前川教職員課長、石井教育大学室長 他

4  議事

  • (1)開会
  • (2)主査から、資料2の第6回議事要旨(案)について、意見があれば後日事務局へ連絡するものとし、調整・確定は主査に一任願いたいとの提案がなされ、了承された。
      また、確定後の議事要旨は、文部科学省ホームページに公開することとなった。
  • (3)事務局から配付資料の確認及び説明があった。
  • (4)資料5「教科専門とはどのようなものか(社会科を例に)」について金藤委員より説明があり、その後以下のような意見交換が行われた。
    •   資料5のレポートは「社会科」の独自性をどう構築していくかという説明であるが、この考え方は理科についてもあてはまると考えてよいか。
    •   物理、化学、生物、地学を統合した「理科」という新たな分野を開拓していくという意味で基本的には同じと考えてよい。
    •   戦争直後の新しい教員養成制度をスタ−トしようとした時に、大変な論争があったが、ある学者によれば、それはアカデミシャンとエデュケイショナリストの論争であった。アカデミシャンは教員は専門の学問をきっちりやっていけば、いい先生にいずれなれるという主張で、中等学校以上の学校の先生のことを念頭においていた。それに対して、エデュケイショナリストは、むしろ小中学校等の先生の教員を養成することを念頭において、教員は教員足るべく育てていかなければならないということを重視した意見であった。その妥協の産物が今の開放制、一般学部と教員養成学部、どちらでも教員免許がとれるということであり、そのことが今日に続いている。
        幼、小、中、高とだんだん上がっていくにつれて、先ほどのエデュケイショナリスト的なものから段々アカデミシャン的なものに変わり、教員養成の仕方もそのようになっていくものと考えるが、それをどこで切って仕組みを変えていくのかが非常に難しい。小学校段階と高等学校段階はわかり易いが、中学校段階をどう捉えるかがむずかしい。
        次に教科教育学と教科教育法は同じものなのかどうか。私はこれを違うものと考えている。教科教育法は、子供達にどのように教えるべきかが中心であるが、教科教育学は教える教科の中身の問題まで含め、子供の発達程度に応じて、どういう中身をどのように教えるかという内容と方法の双方がはいると受け取っている。そう考えると、教科教育法と教科専門とを明確に分けるやり方は、小学校の場合には、無理があるのではないか。
    •   私自身は「法」と「学」とをほとんど同意語として使っており、その違いを深く考えてみたことはない。
    •   授業科目名や教員免許法がらみで使う場合は「教科教育法」という意味で使われている。一方、学問的領域をさす言葉として「教科教育学」が使われており、両者は使う場が違うだけではないか。
    •   教育学の中で「教科教育学」といった場合は、「教科教育原論」と「教科教育方法学」と「教科内容学」の三つを含んでいる。「教科教育法」イコ−ル「教科教育学」ととらえることは、「教科教育学」の分野を矮小化してしまう惧れがある。
    •   終戦直後の小学校などでは、校長先生がせっせと教室を回って授業観察し、授業後によかった点、改めるべき点について先生に助言していた。また、先生もその内容を子どもたちに伝え、そのことに対する子どもたちの意見を聞いたりもしていた。先生の持っている知識レベルは今に比べれば低かったかもしれないが、そうした明るさがあった。とにかく国を立ち上げなければという気概に燃えていて一生懸命だった。
        教員としての資質能力が本当に現場の研修によって養成されているかどうかが、問題で、これは学校によってかなりの差があるのではないか。新卒の先生でも自分流の教育をしているため、子どもたちはその先生の器によって左右されているのではないか。先生同士が研修会を頻繁にしているという話も聞かないし、職員会議での様々な議論が子どもの教育にどう結びついているのか疑問である。企業の場合、採用者をそのまま放っておいたら大変なことになるので、多くの時間を費やし教育することでやっと1人前になっていく。採用後に教員の質を高めるための教育や研究を充実すべきである。
    •   学校にもよるが、例えば校長が、授業がどのように行われているのか教室をのぞけない学校があると聞いたことがある。教員の資質能力は現場で何年か過ごしたから、それで自動的に高まるものではない。研修がなければ自分の教え方がどこも間違っていないとか、生徒の質問がうるさいと言って答えないとかいうような教員が発生しかねない。
    •   例えば企業で人を育てる場合には三つの柱がある。一つ目は上司や先輩が仕事に即して教えるオンジョブトレ−ニング、二つ目がいわゆる教育部門がやる集合研修、三つ目は自己啓発で通信教育や夜間学校に通うのを会社が支援する制度。その中で圧倒的にウェイトを占めているのがオンジョブトレ−ニングであり、効果も大きい。集合研修は一方的に話をして中から質問が出るのを受ける形であり、これは教育の効果としては非常に薄い。企業ではこの集合研修は本人が勉強するきっかけになればいい、というぐらいにしか思っていない。30人も40人も集まって話を聞いても大して役に立たない。それよりも先程の校長先生のような指導が最も効果的である。学校現場の研修がいわゆる集合研修であるならば、それはやっていないということに近いのではないか。
    •   文部省や各都度府県の教育委員会等が実施する研修は、集合研修にならざるを得ない。そして、そういうやり方に疑問を感じたためにスタ−トしたのが現在の初任者研修である。これは大学で教育しきれていない部分を学校現場に入ってから、新任の教員が実際に授業をやっている現場を時々指導教員に見てもらい、終了後に色々な指導を受けるというものである。現在は2本立て研修を行っている。
    •   私は小学校での教育が1番難しいのではないかと考えている。大学生になると一番やさしくて、下になっていくほど難しくなっていく。したがって、小学校教員に必要な能力の育成は学部に頼りすぎず、もう少し大学院で教えることがあってもいいのではないか。例えば、子供の発達段階に応じて教育できる能力、このことは非常に難しく、学部段階で十分なレベルまで要求できるのか疑問である。
        学部の役割が非常に大きいと、修士課程での役割はかなり減り、博士課程は何の為にあるのか分らない、という感じにも見えてくる。学部に求めるところが大きいというのは、かつて大学院が日本にあまりなかった時代の名残りがあって、相当部分を大学院に移し変えた方がいいのではないか。
    •   今までの議論の中で指摘のあった、「発達段階によって云々」という表現は、具体的には何かがなかなか浮かび上がってこない。それでは何も言わないことと同じことになってしまう。「発達段階に応じて」というキ−フレ−ズに具体化をもたせる作業が必要である。
    •   「発達段階によって云々」という表現については、資料3の2ページに「子どもの発達段階に応じて教育できる能力、子どもの興味や関心を導き出せる能力」、同3ページに「発達段階によって違う子どもたちの興味・関心・能力に応じて教育を施す力」という記述があるが、これらは心理学的にみると異なる内容に読みとれる。後者は、子どもたちの興味や関心、能力は発達段階によって違うため、それに応じてその都度違う教育をする、と読みとれる。しかし、発達とはその分野において知的、情緒的、社会的に全部を積み重ねて前進していく蓄積的かつ連続的な発想であり、段階に応じて違うことをしているのではない。
        また、子供達の興味、関心というものは放っておいても生まれるものではなく、促して生み出さなければならない。つまり、発達するのを待つのではなく、発達を促していく教育が重要であり、発達を促すためには子どもたちが今どのレベルの発達状況にあるのかを評価、アシスメントして、それに基づいて伸ばしていかなければならない。
        特に、個人差や生きる力、考える力という要因を考えると、知的発達だけではなく、情緒的発達、社会的側面の発達も一緒に見ていかなければならず、この分野は正確に言葉を使わないと、放っておけばなんでもいい形になりかねない。
    •   教員として求められる資質能力が他学部と同程度にしか育成されていないのではないか、という表現や教員養成学部の授業について、学生の満足度が必ずしも高くないのではないか、という表現について本当にそうであるのか多少疑問がある。
    •   資質能力の育成における他学部との違いについては、小学校教員の採用は圧倒的に教員養成学部が多く、他学部との比較がむずかしいのではないか。上の学校種では他学部の方がかえって評価されているかもしれない。また、授業に対する満足度についていうと、教育学部で非常勤講師として授業をした際、学習指導要領についての話をしたら学生に非常に喜ばれた。教育学部の先生からそのような講義を聞いたことがない。教育学部の先生はそういうことを全く知らないのではないかという反応があった。
    •   教員養成学部と一般学部が、根本的に違う所は学習指導である。これは教員養成学部卒の方が専門的職能訓練をしているため、はるかに緻密に書く。初任者研修の際、抜き打ちで教案を書かせたところ、一般学部卒の者は十分な内容のものが書けなかった。こういう面は教員養成学部の方は非常にすばらしい。教育委員会が採用する際は人物本位でみており、卒業大学で判断するようなことはしていない。
    •   本学では運営諮問会議の席で、委員である知事から、教員採用についてできれば推薦枠をつくって教育学部からとりたいという発言があった。これが可能かどうか分らないが、そのような発言があるくらいなので、やはり教員養成学部出身の先生は違うという認識を持っていただいているのではないか。例えば、不適格教員について、その出身が一般学部か教員養成学部かを調べた資料があれば、傾向がわかるのではないか。
    •   教員養成学部の卒業生の方が教案が書くのがうまいというのは、学生時代にそのようなトレーニングを受けたか、他学部ではそのような機会がなかったからではないか。一般学部の卒業生は教えても駄目だというのなら兎に角、そうでなければ教員養成学部を出てきたから特に優れているということではない。企業でもそういう話は沢山あって、教えればその後からすぐできるのであれば何の問題にもならない。
    •   資料3の2ページに「教員養成学部の主な課題」とあるが、ここの表現は「問題点」あるいは「外部からの批判点」と書いたほうが趣旨がわかるのではないか。
    •   資料3の4ページにある小学校教員のピーク制の問題を考えていくときには、小学校教員の授業担当のあり方を考えなければならない。例えば、低学年の場合は全科担任的の方がよいのではないかと思う一方で、高学年は現在でも専科教員制が取られていることに現れているように、教科別の教育が必要とされている。そうであれば、実態に合わせた小学校教員免許状の見なおしということも重要な課題になってきているのではないか。
        さらにピ−ク制の中身の問題として、中学校教員や高校教員と同じ教科のピ−クではなく、もう少し広領域の小学校独特のピ−クが考えられるのではないか。教科教育学と教科専門の融合の問題が出ているが、これは教育学の問題である。教育学が両者を統合すべき位置にあったにもかかわらず、戦後50年の中で教育学自体が、それぞれの学問体系に細分化されてしまった問題が今ここで問われている。広島大学が旧教育学部の中に教科教育学科を設置し、教科教育学を構築しようとしたが、実現できたとは思えない。広領域の教科専門のピークを立てながら、教育学や教育心理学がジョイントしていくような小学校教員養成システムが構想できないか考えているところである。
    •   教員養成学部にふさわしい教員の確保という課題であるが、今まで大学の教員としての採用基準に、現場の実践指導があまりにも認められていなかった。近年かなりかわってきているということだが、業績主義採用方法が現在まで尾を引いていたのではないか。附属学校がそばにあってもまだ一度も行ったことがない、附属学校について関心がない教官もいるということも事実である。これからは採用段階や採用後のことも踏まえて、教員養成学部の教員のあり方を検討していかなければならない。
        それから現職教員の再教育の問題については、近年せっかく研修の場を設けても、現場の教師が勉強をしなくなってきているという現実がある。それは学校が忙しいとか、土日に研修会を設けると学校側が研修として認めてくれないとか、多くの問題がある。実際には、4年間学部で勉強をしても、現場へ出て初めて子どもたちと対応して直面する問題が多いはずであり、是非そういう機会に学校側も協力体制を作り、初任者だけでなくベテランの先生方にも勉強させていくべきではないか。
    •   教育学や教育心理学を担当する教員の問題として、この懇談会の対象となっていない教育学部、すなわち講座制教育学部の大学院教育に大きなポイントがあるのではないか。それらの大学の博士課程が教員養成という観点からみた場合、どのような役割を果たしているのか。博士号を取得するため、非常に特殊な限られた分野でのみ研究と教育が進められており、いざ大学教員になったとたんにこれまで自分がほとんど関心を払ってこなかった分野である教育学領域を教えたり、指導したりするという実態がある。これまで講座制の教育学部があまりにも教員養成について関心を払ってこなかった。その点をここで触れてもいいのではないか。
        さらに、実務経験を重視すべきであるという点について、必ずしも現場経験者が良い大学教員なれるとは思っていない。大学教員に欠くべからざるは研究能力である。それは教員養成学部の先生が学校現場や子どもに対して関心を持たない研究の実態があるため出てきた話である。基本的には研究者が教育現場に対する関心を持つことによって克服されるべきであり、学校現場経験があることがよい大学教員というように短絡されて問題設定されているのではないか。
        現場経験に応じた教育の必要性は認めているが、それは附属学校との関わりの中で果たせないだろうか。戦前の師範学校では各科教育法を附属学校の教員が担当していた。それは現在でも例えば奈良女子大学やお茶の水女子大学において実施されているし、附属学校との連携を強化するという点においても、附属学校教員の活用が必要ではないか。
    •   教員養成学部が独自性を発揮していくために、教科専門、教科内容学が独自性を発揮していかなければならないが、65%くらいの教科専門の先生が独自性を発揮していないからではないか。教員養成大学・学部のためには、従来の教育学関係の諸研究と教育現場とを結合する教科教育学あるいは教科内容学の研究を強化することが絶対に必要である。今まで50年間それが出来なかったのは、そのためのシステムをきちんと作らなかったからではないか。
    •   私たちが検討している教員という言葉が2重に使われていて、大学教員と学校現場の教員とが一緒になっているので、誤解のないように書き分けていただきたい。

5  次回の日程等

  次回は、3月13日火曜日10時30分から霞が関ビル35階「エメラルドルーム」で開催することとなった。

(高等教育局専門教育課教育大学室)

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