国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会(第5回)議事要旨 |
国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会(第5回)議事要旨
1 日時 : 平成12年12月26日(火) 13:30〜16:00
2 場所 : 東海大学校友会館「富士の間」(霞ヶ関ビル33階)
3 出席者
(委員) | 高倉翔[主査]、赤岩英夫、阿部充夫、市川正、大澤健郎、小笠原道雄、 岡本靖正、兼重護、川口千代、桐村晋次、金藤泰伸、小島宏、椎貝博美、 渋川祥子、永井順国、中津井泉、渡辺三枝子 の各委員 |
(文部省) | 工藤高等教育局長、清水大臣官房審議官、合田大学課長、 前川教職員課長、西阪専門教育課長、石井教育大学室長 他 |
4 議事
(1)開 会
(2)主査から資料2の第4回議事要旨(案)について、意見があれば後日事務局へ連絡するものとし、調整・確定は主査に一任願いたいとの提案がなされ、了承された。
また、確定後の議事要旨は、文部科学省のホームページに公開することとなった。
(3)事務局より配付資料の確認及び説明があり、以下のような意見交換が行われた。
(○は委員の発言、□は事務局の発言)
○ 学生が専門性を深めるということは、自分が最も好きな科目を深める、あるいは学問的な体験を深めるということであり、その意味でピーク制は意義があると考える。
例えば、美術教育では、実技関係の先生方は芸大などの専門大学を卒業された方が多く、学生が美術の教員になったときに、デッサン力がなかったら教えることはできないだろうと考え、そこに非常に力を入れる。ただし、その教育内容は、単に形を描いたり、対象物を正確に描くということが目的ではなく、それを通して創造性や物の見方などを教育している。こうしたものが教員養成学部の専門性であると考えている。
○ 基本的に教員養成学部の教科専門は理学部や文学部にはみられない専門性を追究すべきである。歴史や地理の専門家がそれぞれの専門に閉じこもって、なかなか共通のテーブルにつかないが、これではいけないという認識のもとに20年前に社会科教育に関する研究会を立ち上げた。ここでは、教員養成学部の社会科のスタッフは全員が参加し、それに心理学や英語学を歴史的立場から研究している専門家の参加も得て、社会科を統合科学として確立していくためにはどうしたらよいかということを研究してきた。最大時は1,000人近い組織となり、20年にわたって毎年2冊ずつ雑誌を刊行してきた。
教員養成学部における教科専門の独自のあり方とは、教育現場にフィードバックしたときに、どれだけ使えるものであるか、あるいは教育現場からの疑問や苦しみなどが跳ね返ってきたときに、大学人がどれだけ適切な助言や指針を示すことができるかということである。大学の教員は、自分達が教えた若い世代が、現場でどう苦闘しているのかを見に行く責任がある。また、現場教師は子供達の姿を携えて、大学の研究室に相談にきてもらいたい。そういうような往復運動が必要である。
理学部の地学の専門家が地質を見に行くときと違い、教員養成学部の地学の教員がそれを見に行くときには、小学生なり中学生なりの子供を伴って見に行くようにすべきであり、そこに差がある。教員養成学部は社会であれ理科であれ、フィールドに出てファーストハンドのデータを集める時には、そこに子供を立ち合わせ、それを見て子供がどのように反応したか、正解したか、あるいは誤解したかというデータを交えながら仕事を進めていくことが必要である。そういう意味では、教育現場と大学との間断なき往復ということが、少なくともこの学部に職を奉ずる者には避けて通れないことだと認識している。
○ 最近、イギリスの数学の先生から、イギリスの子供は非常に独創的な解き方をするという話を聞いた。例えば鶴亀算などは、日本の子供だと解き方を教えるとその通りに解くが、イギリスではまともな方法で解いてくる子供はほとんどいない。何か妙な方法を考えてきて、それできちんと合っている。解き方は一通りは教えるが、子供は勝手に独創的なことを考えてくる。まったく違う方法で解いてもそれで良いことになっているということであった。やはり子供は個性を見て育てていかなければならない。
○ 今の教員養成学部は、なるべく小学校に特化し、初等教育に力を入れたほうが良いと思っている。小学校の先生の専門性を否定するものではないが、教員養成学部で純粋学問的な専門を深めることを主たる目的とすることには賛成ではない。そして中高は、むしろ専門学部で担当したほうがいいのではないか。例えば、東海村の臨界事故はそもそも教育の問題である。原子力エネルギーのことは学校できちんと教えなければならないが、それを教える教員を養成するのは専門学部でなければ到底無理なのではないか。
○ 教員養成学部の独自の専門性として、学問としての専門性と子供の発達の論理を統合したものということがよくいわれるが、それはどういうものなのか。それは教科教育法とどう違うのか。
○ 小学校の場合、専門性よりもむしろ子供の知的発達、情緒的発達、社会的発達を教科を通していかに育てるかということが大きな課題であり、これは教科教育法にも共通していえることではないか。そして子供が中学高校にいくにしたがって、興味関心を自分なりに培っていくようになってくると、それぞれの領域の専門性を通して知的発達や人間性を促していくという面が出てくる。これは専門科目を通して教えることが重要であるが、専門を伝えるのではなくて専門への関心や専門を通しての知的好奇心を導き出したり、知識の集積の意味あいをつけていくことが教育の目的だと思う。学問としての専門性と子供の発達の統合というものは、発達段階によって違ってくるのではないか。
○ 企業ではそれぞれ個性や発達段階が違う人材を採用しており、日本の企業の上司は課題の達成と併せて部下の育成が大きなテーマである。日本の企業の人材育成は外国と違いオンザジョブトレーニングが主であるが、その場合、部下の興味や発達段階などに応じて個別に指導を行うこととなり、それは集合教育と違う良さをもっている。学校の中でも発達段階に応じてできるだけ個別に指導することが大事になってくる。特に小学生のときは伸び方も個々人によって違う。それを教える人に対しては、そういう個人の状況を見ることにウエイトをおく教育を施すべきである。やはり低学年になればなるほど専門というよりも、教科教育法のほうにウエイトがかかってくるのではないか。
○ 学校としては授業がきちっとできる教師であれば良い。結局は教科を通して子供達を教育していくわけで、教科と統合すべきものとしては人間論や教育論などが考えられる。それから教科の親学問の概論、例えば数学なら数学はどのようになっているのかということがわかっていることが大事ではないか。すなわち、理学部や文学部の学問的な専門性というより、「教科の専門的知識」というレベルの専門性と、教育に対する発達理論、授業論、学力評価論、教材論なども含めた「教育に関する専門性」が重要。この二つが統合されたときに、「授業のできる教師」となるのではないか。
○ 教員養成大学は、小学校の先生を養成する大学であると決めつける必要はないが、それが中心であるということにしないと、中学にいくとより専門性を深めることが必要ということになり、結局両方とも必要だという議論にまた戻ってきてしまうのではないか。学生がやがて教員になり、子供達への対応ができる先生となるためには大学でどうしたらよいかという観点で教育をしてもらいたい。
○ 医学、歯学の分野ではモデルコア・カリキュラムをきちっと確立しようではないかという研究が進み、テンタティブなものが作成されている。教員養成学部にも共通的なコア・カリキュラムのようなものが考えられないか。
○ 教員養成学部はかなりの科目が免許法で規定されている。そういう意味ではそれがコア・カリキュラムの役目を負っている。大学レベルでコア・カリキュラムを作成するにしても免許法の考え方が基本にあるのではないか。
○ 教員養成学部の場合、小学校から高等学校までの教員養成のカリキュラムの考え方を組み立てることは、相当難しいのではないかと思う。しかし、試みることは必要である。免許法が一種のコア・カリキュラムに相当するのではないかといえば大枠はそうであるが、一見同じような名称の科目であってもそれぞれの内容は大学によって多様である。そういう幅がなければガチガチの形にはなってしまうが、幅をもたせることを含めて詰めてみる作業は必要ではないか。教員養成においてどこまで1つの共通の考え方を打ち出せるか、その可能性があるという前提で努力していくことが大切である。
○ 専門学部でやる深さと幅の広さを、教員養成学部でやることはとてもできない。教員養成学部で子供との関わりや教え方など教育学的なことを多く学ばせたうえに、専門学部と同じような内容の専門をやることは時間的にも無理である。教員になる人たちが、子供達に教える場合にどういう知識をもっておけばよいのか、子供を指導するためにはどのレベルまでを教育しておけばよいのかということは大きな課題であり、なかなかむずかしい。学会では、教員養成学部でどういう内容をどのくらいやらなくてはいけないかということについていろいろな試案を出している。立場によってかなり違うが、それがコア・カリキュラムにつながると思っている。
○ 教科専門と教育内容の両方を教えることが必要である。特に、授業方法や指導法は同じ専門でも、子供の発達段階によって手立てが違う。教員免許取得者にはその辺をきっちりと教えておかないと教員になったときに、下手をすると学習や指導がなく、内容だけを教え込んでいくという恐れもある。
それからコア・カリキュラムは、これから真剣に考えていかなければいけない。教職専門にも同じことがいえるが、特に教科専門については、その辺を視野に入れてきっちり考えていかなければ、一般的な教育学や教育法だけの抽象論では不十分である。
○ 大学教育のあり方という点で関連してくると思うが、会社側では今まで、どこの大学のどこの学部を出たからどういう力を持っているかということはわからない、だからどこの大学を出たというだけで採用し、後は教育すればよいという考えでやってきた。しかし、これからは、あまり教育に要す時間がなくなり、離転職が一般的になってくると、採用される側も自分がやはり力をつけなければいけないと考えるようになる。大学に対してもネームバリューだけでなく、どの学部・学科を出れば、どれだけ力があるのだということを社会の例で判断できるような教育をすることが求められてくる。それから、国際化という観点から、現在、工学系ではJABEEのように国際的なスタンダードを作ろうという動きがある。やはり教員養成の世界でも、スタンダードなものが必要になってくるのではないか。それぞれの教員が自由に教えるというわけにはいかないだろう。
○ 教員養成学部でコア・カリキュラムのようなものをつくり、教員養成のための科目を整備していき、一般学部で教員になりたいという学生に対してもその科目を履修できるよにしていくことも必要になってくるのではないか。
○ 教科専門の目的が、専門を深めるべきなのかそれとも教員養成学部独自の内容を持つべきなのか、ある程度のコンセンサスがないとコア・カリキュラムは作れないのではないか。それは二者択一ではなくて、いろいろな考え方であっていいのだという立場に立つと、小学校の理科では何を教えるべきか、中学校の数学では何を教えるべきかという、共通的なものが作れないのではないか。それは個別大学レベルでも同じであって、学内のコンセンサスがなければ作成できないのではないか。
○ 長い間教科専門のあり方について問われているが、決して解決されているわけではない。また、教科教育学と教科専門が依然としてうまく融合していない。教育学部における専門教科科目のあり方やスタッフの配置あるいは設備の状況を考えると、専門学部とは基本的に異なり、どんなに専門的なことをやろうとしても、それを行うだけの条件は整っていない。それから、学問領域だけを考えても理学部や文学部そのものとは異なる。
国立の教員養成学部は、小学校教員養成を中心にするという基本的なコンセンサスはあると思う。それを徹底しようとすれば、小学校教員養成と中等教育教員養成の指導体制を切り離してそれぞれに特化していくべきであると思うが、小・中両方の免許を取得している現状からみてそうすることが果たして効果的と言えるのだろうか。今のままで良いとは言えないが、ある程度自由度がないと、教員の士気も学生に対する教育力も結果的には上がらないのではないか。学部の目的をはっきり大学、学部が自覚し、その中で教科専門と教科教育学が融合した新しいあり方、あるいは教育科学も含めた学問領域を目指すことが必要であるが、あまりにも教科専門のあり方が問われ窮屈になりすぎれば、大学の力を弱めてしまうと思う。そういう前提のもとに平成12年度に東京学芸大学に設置された全国共同利用機関の教員養成カリキュラム開発研究センターにおいて、全国の教大協のメンバーを含め学校現場や教育委員会等と連携協力しながらコア・カリキュラムを検討できるのではないか。
○ コア・カリキュラムは、むしろ教員養成学部がモデルを作成し、それが医学部や歯学部、工学部に波及していくのが本来だった。そして、それを実施するのは教科内容学だったと思う。広島大学では、学校教育学部と教育学部が一緒になって新しい教育学部を作り、そこで主に初等教育の教員養成カリキュラムを研究しているが、必ずしも教科専門教員の担当科目が子供と立ち向かった教育内容となっていない。子供の発達と専門性を統合したものを新しい学問領域として確立していかなければ教員養成学部の存在意義が示せないのではないか。
○ ひとたびコア・カリキュラムを作成するとそれが絶対的なものとして受けとられる危険性がある。作成すること自体はよいが、具体的な作り方、運用に関しては慎重な配慮が必要である。
○ 今は、小中高校の教科科目構造と、親学問である学問芸術体系双方に揺らぎが生じつつある時代だと思う。ここ5年間の中教審や教育課程審議会の答申を眺めてみると、小中高等学校の教科科目構造は再編統合が必要であるという認識の下に、議論が進められている。その一つの現われとして、2002年度から「総合的な学習の時間」が登場しようとしている。今までは、教科科目構造そのものが、20世紀初頭の学問芸術のジャンル、指導方法で設定されていたが、この10年間に目まぐるしい変遷を遂げてきており、それに対応した教員養成が求められている。
○ 「総合的な学習の時間」の取り組み状況を大づかみに見ると、小学校はもともと全教科担当であるということと生活科の実践経験があることを踏まえて積極的、意欲的である。しかし、中学校は半ば困惑した先生が多い。高校に至っては冷ややかに眺めている。個人個人の生徒の課題研究を手助けすれば良いという程度の雰囲気が伝わってくる。要するに、中学高校にいけばいくほど、教科の専門性の蛸壺に閉じこもってしまい、隣の教科科目のことなど知らないという雰囲気が強い。このことは、教員養成大学で学んだ部分を引きずってきていると見てもいいのではないか。そのような状況を踏まえつつ、教科構造の変化、その親学問の知の体系の変容、そして子供の発達段階に応じた指導という3方向を眺めながら、教科専門のあり方の議論を深めていく必要があるのではないか。
○ 小学校課程の学生には学習指導要領の解説書を教科書として持たせて、教科内容の改訂の経緯を解きほぐしていきながら、15回の授業の中で最低限抑えておくべきところは押さえることが教科専門ではないかと考えている。中・高の教員希望学生には、どういう内容で中・高の授業に臨むのかということを、最低限指導しておかなければいけないのではないか。
○ 教員養成学部の専門性は専門学部でやるような専門性とは違う。子供にあった一番いい教え方は何であるか、自分の中に教え方をたくさん持っていることが教員養成学部の専門性だと思う。例えば理学部などは、研究分野・テーマに最短で到達できるように形成された学問体系で教えられている。しかし、教員養成学部は、学問が人類の幸せや現代の社会でどのような意味を持っているのかという観点から教えるべきである。子供たちの発達段階に応じて教え方があり、それができるということが教員養成学部を卒業した学生の専門性であり、教科の専門性であると考える。したがって小学校の教員養成を一般学部で行うということは考えられない。
○ 小学校教員免許の取得については「1教科以上」とはなっているが、本学ではいろいろな教科にわたってそれぞれの知識や方法を学んでもらいたいと思い、複数の教科を取らせている。このことは、その教科に詳しくなるということではなく、方法論的にもいろいろなやり方があるということを理解させることが目的である。小学校の専門は、専門学部の学問の分野とは違い、親学問に関連して教育に結びつけるところにある。取得すべき教科数が少なくなったから専門学部で小学校の教員養成ができるというものではない。
○ 小学校教員免許の教科専門科目について、「数単位程で効果を上げるための教育目的、方法はいかにあるべきか」については、教員養成学部関係委員の宿題とさせていただきたい。
○ 学生が何教科にわたって単位を取るとしても、一番大事なことは小学校の教科内容に連動させるという心構えが大学側のスタッフにあることである。例えば地図を学ぶことの本質は地図記号を覚えることではなく、地図は一種の言葉であって、場合によっては万巻を費やしても語り尽くせない言葉を地図によって伝えることができる。空間認識をお互いに共有してコミュニケーションを図れる重要な言葉であると考えている。そのような地図のもっている本質的なことを理解させるという立場から学生に教えていくべきである。
○ 教科専門担当教員のあり方については教科専門のあり方と関係するので、先程の教員養成学部関係委員の宿題に含めてペーパーを出していただきたい。次回はそのペーパーと議論が残っている部分、それと大学院のあり方について議論を深めていきたいと思う。
5 次回の日程等
次回は、1月31日水曜日10時30分から文部省分館2階の「特別会議室」で開催することとなった。