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国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会

2000/11/28 議事録
国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会(第4回)議事要旨

国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会(第4回)議事要旨

1  日時:平成12年11月28日(火)  13時30分〜16時00分

2  場所:東海大学校友会館「望星の間」(霞ヶ関ビル33階)

3  出席者

(委 員)高倉翔[主査]、赤岩英夫、阿部充夫、市川正、大澤健郎、小笠原道雄、岡本靖正、兼重護、川口千代、木岡一明、金藤泰伸、小島宏、椎貝博美、渋川祥子、永井順国、中津井泉、渡辺三枝子の各委員

(文部省)工藤高等教育局長、清水大臣官房審議官、合田大学課長、前川教職員課長、石井教育大学室長  他

4  議事

(1)開  会

(2)主査から資料1の第3回議事要旨(案)について、意見があれば後日事務局へ連絡するものとし、調整・確定は主査に一任願うとの提案がなされ、了承された。
   また、確定後の議事要旨は、文部省のホームページに公開することとなった。

(3)事務局から配付資料の確認及び説明、中津井委員より資料2「大学教育改革学生認知度調査2000」について説明があり、以下のような意見交換が行われた。

(○は委員の発言、□は事務局の発言)

○  新課程とゼロ免課程は同じものか。ともに教員免許を取らない課程と考えてよいのか。

□  基本的には同じものである。当初は免許取得のため課程認定を受けないことを条件としていたのでゼロ免課程と呼んでいたが、その後学生の希望もあり、大学の判断で課程認定を受けてもよいこととした。この時からゼロ免課程という言葉は使っていない。
   なお、現在は、課程認定を受けている課程の方が多くなっている。

○  資料4では幼稚園に関する記述がない。幼稚園教員養成についても検討すべきであり、項目を追加していただきたい。

○  教員採用者に占める教員養成学部出身者のシェアは小学校が圧倒的に多く、小学校教員養成に大きく貢献していることは事実であるが、それだからといって小学校教員養成に特化し教員養成のカリキュラムを組む、あるいはそのための教官組織を組み立てようとすると、長い目でみれば弱体化していくのではないか。教科専門を担当している教官の役割が、中・高の方に傾斜したため小学校教員養成という教員養成学部の本来の役割に対し少し比重がずれたのは事実である。このことについては数々の批判もあり、今後改善していかなければならないが、だからといって小学校教員養成と他の学校の教員養成を切り離し特化していくことはいかがなものか。開放制の趣旨は教員養成系大学・学 部にも適用されるべきであって、小学校教員養成について狭く捉えられた議論が出て来ることには疑問を感じる。人間教育を基盤とする教員養成は、カリキュラムのあり方が教員組織の改変につながるということを視野に入れて議論をして頂きたい。また、小・中統合型の教員養成課程の教育のあり方が、小学教員養成課程、中学教員養成課程と分かれていた時のあり方とどう違うべきか。このことは5000人削減の時に議論しなければならないことだったが、残念ながら各大学・学部で十分に議論をし尽くされていない。

○  小学校教員養成では教科専門の在り方が問題である。免許法で「1教科以上」となったことは小学校の教科専門は高校までの教科の理解で一応完成しているという前提があるのではないか。そのことは大きな問題だと思っている
   例えば分数同士の割り算をひっくり返して掛けて計算するのはなぜかを教員養成学部の学生に聞いても大抵の学生は答えられない。学ぶ立場からの教科の捉え方と教える立場からの教科の捉え方は違うのであって、教員養成学部では高度の数学の追究よりもなぜそのような計算方法をとるのかという、子供達の算数や数学に対する興味を導き出すようなことを教えていくべきである。

○  教科教育と教科専門との統合は、永遠の課題のようにも思うが、全体としてここ近年かなり教科専門の内容を刈り込んでも教科教育法的なものを重視する方向に動いてきている。
   ただ、子供達の挫折の原因がいろいろあると思うが、教科内容で頓挫したり、引っかかったりしたときに教員はそれをリードしてやらなければならない。それには教科の専門的知識が必要である。教員養成学部の学生に教育学部は教え方など技術的なことを修得することが目的であると誤解されてはならない。

○  教育学部の学生が講義に対して満足度が低いという指摘がある。これは一般学部に比べて、授業が浅く広いことに原因があると思う。そのような中で学生達をもう少し学問あるいは研究、そのようなものを深めさせるためにピーク制を採用している。そのためには早い時期からゼミ制度を取り入れ学生の帰属意識を強めることが大切であり、その意味でピーク制というのは小学校教員養成においてそれなりに重要なことであると考える。

○  教員養成大学・学部では教養審の1次答申でいわれている地球や人類の在り方を自ら考える能力、変化の時代を生きる能力などを育成できる教員を養成していくことが重要である。
   教員の資質能力は小学校、中学校、高等学校で全部同じというものではなく、例えば教員の職務からみて必然的に求められる資質能力などは特に小学校の先生には強く求められているのではないか。また、地球的視野から行動するとか変化の時代を生きるための能力を育成するための資質能力は中学校の教員により求められるのではないか。こういった議論もしていきたい。

□  国立の教員養成大学・学部が師範系を母体として発足した時に、その基本的な役割は小学校教員養成であり、中学校教員養成については相当程度という形であった。この2つの要素が加わったために曖昧になってしまっている。更に少子化の影響を受けて、教員採用が少なくなっている中で小学校教員養成、中学校教員養成、高等学校教員養成を全部を統合した学校教育教員養成課程が主流となっている。
   このような中でいわゆる国立の教員養成学部の負わされた役割と養成課程との関係がますます見えにくくなってきている。その中で現実の教員組織の在り方、あるいはそれと教科専門・教職専門との関わりといったことについて検討していく必要があるのではないか。

○  教員養成学部は小学校教員養成が中心であるが、5000人削減に伴う学部改組の結果、ほとんどのところで学校教育教員養成課程という統合型の課程になった。小学校教員養成課程があればそのカリキュラムが、中学校教員養成課程があればそのカリキュラムがあるが、統合した時に小学校に重点を置きながら中学校免許状も取れるようなカリキュラムを組み、どのような形で教員の指導体制を組むかというところを教員が削減される中で工夫をしてきた。さらに新課程が小学校、中学校、場合によっては高等学校の免許状も取れるようにするための教員組織やカリキュラムを具体的にたてていくわけであるが、現在居る教員を前提にしながら、将来的な方向性も見ながら人事を進める努力をしてきた。統合型の課程にしてみても現実には免許法があり、それで取得すべき科目が決まっている。また、学生も小と中あるいはそれ以外の免許を併取しているのが現実である。統合型課程は設置して間もなくまだ評価が定まっていない。学校種別を前提にしてこれまでやってきたが、教員養成学部のあり方を考えるときに、まだ結果が見えてこないもう一つの課題が加わってきたように思う。

○  開放制の教員養成という観点からみると、一般大学で教員免許を取る学生への教育と教員養成学部での教育の仕方は随分違う。一般大学の場合、どうしても教科中心になるのは当然であり、教員の資質などの理想を注文してもこれは難しいのが現状である。
   人間の成長という視点から見た時に、教育の基本、知的発達も社会性の発達も全てにおいて発達の基本になっている小学校教育こそ、本当に教職のプロが教えていくべきである。やはり子供を育てるという視点から教職・教育・知的活動が出来る教員が必要であり、教員養成学部はそのような教員を養成していくべきである。

○  本学では小学校教員養成課程と中学校教員養成課程を統合型に改編したが、それにより教職専門に大幅に時間を割くようになった。今回の免許法の改正で教職重視になったこともあり、不満を抱いている教科専門の教員もいる。
   小学校教員を目指す者であっても中学校までの単位は取れてしまうし、さらに少しだけ単位を取り足すことによって高等学校まで取れてしまう。このような専門性の浅いところで、中学校、更に高等学校の先生になっていいのか、という問題がある。

○  文章を書く力、レジュメを作る、つまり要約をする力、分析をし、データをまとめる力などが非常に弱くなっている。特に小学校ではこのような面での学ぶ力や学習力をパワーアップするような方向性、つまり学力観の転換に見合った専門性が必要である。

○  初等教育の教員は、開放制の中でも国が責任を持って養成すべきであり、国立の教員養成学部はそこに特化するべきである。そこでの養成すべき資質・能力はスローガン的に言えば「教育実践に基づく教育実践のための能力」を養うことである。
   そこで問題なのが教科専門であるが、教科専門の概念とは学問上の論理が優先されるものではなく、子供の発達性と教科の論理が統合されたものであるべきである。それが戦後の教員養成学部の教育の中では学問の論理を優先させて教科専門をとらえてきたところに大きな問題があったのではないか。

○  今の日本の子供は学ぶということに対してあまり意欲がない。それは世界的にみた場合、特異な現象である。
   教員養成とは本来的には何をどのように学ばせたらいいかということを教えることであるが、教員養成学部ではそれを専門的に教えるべきではないか。それから1人の学生が小学校から高等学校までの免許状がとれるというのは驚きである。4年間でそのようなことが可能なのか。それで本当のプロが養成できるのか。

○  前回の協力者会議と比較して、今回の検討課題はどうなっているのか。
   高等学校の免許状を小学校免許状希望の学生に取らせるような養成の仕方では、高等学校の教科専門にウエイトがかかりすぎて、下の小や中に合わなくなってきているのではないか。小学校のための、あるいは中学校のための教科専門が本気で考えられているのかという疑問がある。カリキュラム編成の際にはそういった教科専門科目の授業科目のたて方についての改善が必要である。

□  考え方としては、前回の議論から特に除いたものはない。ただ、教養審の3次にわたる答申で提言されたことは改めて議論していただかなくてもよいのではないかと考えている。
   逆に新たに加わったことは結構ある。例えば、小学校にとっての専門性とは何か、高等学校までの免許状を併取させ過大な単位を取得することの是非、学部の立場からみた附属学校の在り方、それから教員養成課程と新課程を併存することが教員養成の立場からどうなのか、ということについて今回はもう少し突っ込んで議論をして頂きたいと考えている。また、新学部についてどう考えるか。それから最も大きな新たなテーマとしては、大学間での協調、統合再編等をどう考えるか。このようなところが新たなテーマとして掲げられている。

○  小学校教員に要求される資質は、低学年と高学年とではだいぶ違う。小学校低学年の場合では幼保連関とか、幼小連関とかいわれるように幼稚園・保育園まで問題は広がっており、そのような意味で、小学校の低学年の場合に要求される教職の専門性は非常に高くなっている。小学校高学年へいくとやはり教科の力が必要になるが、ここでの専門性とはいわば人類の文化を子供達にどう教えつないでいくか、どのような形で人間形成をしていくかである。本学にも分数の割り算を捉えて数学の研究をしている教員がいるが、それは数学という文化を理解し、それを子供達に伝えていくという点で大いに意味があることである。

○  教員養成学部の学生の取得単位が非常に多いことは問題である。一般学部では124単位の取得もなかなかむずかしい。それがこんなに単位をとるということはむしろ発散してしまい逆効果になるのではないか。

○  教員養成学部は小学校教員の養成にシフトすべきであると思っている。高等学校は非常に専門化しているので専門学部がやった方が良い。ただ、例えば理学部を出てそのまま先生になるのは困るので、教員養成学部の大学院が他学部の教員になりたい人の教職のトレーニングをする役目を果たしたらよいのではないか。

○  小学校の教員は子供の理解、扱い方は上手だが、教科に深いものを持っていないため、子供がつまずいた時に、あるいはもっと伸ばしてあげられる場合に上手な助言が出来ない。一方、中学校のほうは教科としての専門性は高いが、子供の扱いが十分でない。小学校の教員にはもう少し学問的というかそのような専門性、中学校には教育をどのように行っていくかの専門性が必要なのではないか。つまり、小学校と中学校の教員養成の違いはカリキュラムにおける比重のかけ方の違いであり、そこを教官の誰が受け持つかという指導体制の問題になるのではないか。小学校の教員でもひとつの専門性をもって いることは大切なことである。

○  採用側からみれば良い先生とは、教科専門と教科教育そのどちらも兼ね備えている先生のことであり、免許状も小学校から高等学校まで全部の免許状を持っていることが望ましい。ただ実際はそうはいかないわけであって、国立の教員養成大学は小学校を中心にして教員養成をすることは極めて現実的であり、そこに力をいれてカリキュラムを編成したり大学の教員を集めたりしてはどうか。

○  中学校の先生になろうとする者が小学校の免許をもっていることは、小学校高学年の国語や数学のことがわかり非常にためになる。しかし、中心はやはり小学校教員の養成である。

□  現在小学校はクラス担任、中、高は教科担任となっている関係で免許法上は小・中の近さよりは中・高の方が近く、中学校の課程認定が可能であればオートマチックに近い形で高校まで課程認定が可能となっている。

○  新教育大学を発足した当時の基本的なものの考え方は幼・小はともに全教科を担当するのが基本であり、中学校・高等学校は教科担当であることから初等教員養成と中等教員養成の二つにわけ、新教育大学は前者を担当するということであった。実態としても小学校教員が当時不足していたということがあり、この不足を補うための小学校教員養成課程の増設が必要であった。幼稚園の教員についても当時は短大が主流であったが、大学で教えるくらいレベルアップしなくてはならないということを基本にし、新教育大学を作った。  実際にそれで動きだしたが、義務教育が小・中セットで動いていることとの関係で、中学校の免許も取らせないと実際に採用してもらえないという問題が出てきたため、新教育大学でも中学校の免許を取らせることとしたが、そのため特色が薄れてしまった。

□  例えば医学部では各大学に共通するコア・カリキュラムを作成する努力をしている。教員養成学部は目的養成であるからには当然到達すべき目標があるはずであるが、そのような試みをしている例があるのだろうか。

○  新しい免許基準による課程認定を平成11年あるいは12年度からうけたところであるが、今の1年生や2年生が卒業を迎えた時にこれまでとは違った力をもって養成されてくるということを目標にしている。
   それぞれの大学がいろいろと工夫している。例えばプロジェクト学習という科目を新しく加えて、半期単位の授業科目を4つ、2年間にわたって教官が複数のチームを作って担当していくようなことを実行している。このような試みが4年までいった時にうまく生きてくるか、そこは是非生きるような形で行っていきたい。

○  本学では、教員就職率が低く、教員養成学部としては色々な問題があったということから教員養成を思い切って縮少し、それに特化すべく課程を改組した。そのためカリキュラムをかなり大幅に改正した。特に低学年から子供達に触れる機会を作るため実地研修を行っている。

○  本学では、1回生の前期から4回生の後期まで必ず何がしかのゼミ形式をもつようにしているが、そのもちかたとして、教科専門と教科教育法の必ず両者の複数の教官が出ていって演習を持つという工夫をしている。
   また、昔は教育実習だけだったが、現在は1回生の前期から4回生の後期まで、必ずなんらかの体験学習を行うようにしている。

○  本学は、教育人間科学部と工学部があるが、コンピュータやロボットコンテストなどを通して工学部の学生のほうが小・中学生と接する機会が多い。
   先程来いろいろな努力をなされていることの紹介があったが、それはそれとして教育学部からみた場合何が問題だと考えているのか。それを知りたい。また、1県1教員養成大学制自体は良いが、そのことによって県が閉鎖的になってしまう。平等はいいが、県の中の平等では日本全体で競争原理が全く働かない。1県1大学というのは思想としては結構だが、もう少し大きな枠ができてくれば、各大学で努力されていることが一層上手くいくのではないか。
   それから教員になった者が大学と頻繁に行き来出来るシステムが必要である。また、 教員養成課程の博士課程では博士の授与数が少ない。これは社会全体として見たときはハンディキャップになる。博士を安易に出せということではないが、もう少し幅をもって考えてもいいのではないか。昔は学校現場にも博士号をもっている教員がいた。そのようなことをもう少し積極的に考えると、教員の方々も元気がでるのではないか。

5  次回の日程等

   次回は、12月26日(火)13時30分から霞ヶ関ビル33階の「富士の間」で開催することとし、「大学院の果たすべき役割」について議論することとなった。


(高等教育局専門教育課)

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