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国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会

2000/08/28 議事録
国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会(第1回)議事要旨

        国立の教員養成系大学・学部の在り方に関する懇談会(第1回)
 
                                  議事要旨  
   
1  日  時 : 平成12年8月28日(月)  10時30分〜13時00分
  
2  場  所 : 霞ヶ関東京會舘「エメラルドルーム」(霞ヶ関ビル35F)
   
3  出席者 
        (委  員)阿部充夫、市川正、大澤健郎、小笠原道雄、岡本靖正、兼重護
                  木岡一明、桐村晋次、金藤伸、小島宏、椎貝博美、渋川祥子
                  高倉翔、谷合明雄、永井順国、中津井泉、中村好成  の各委員
        (文部省)工藤高等教育局長、合田大学課長、前川教職員課長、
                  石井教育大学室長  他
   
4  議事
(1)開  会
   
(2)高等教育局長あいさつ
   
(3)事務局から各委員及び関係者の紹介があった。
   
(4)主査に高倉委員が選出された。
   
(5)事務局から資料に基づき、教員養成大学・学部及び附属学校の現状と課題に
    ついて説明があり、以下のような意見交換が行われた。
         (○は委員の発言、□は事務局の発言)
   
○  資料3に「学校・現場経験のある教員の比率が22.8%」とあるが、この比
  率はどう判断すべきなのか。
   
□  学校現場や子供たちに目を向けた教育研究を推進していくのが、教員養成学部
  の使命であるとすると、学校現場の経験のある者が多い方がいろいろな面で活性
  化が図られたり、大学と学校現場のジョイントの役目も果たせるのではないかと
  考えられるが、この数字が多いのか少ないのかという判断はにわかにはつかない。
   
○  教養審でも、もっと現場経験のある大学教員を積極的にインバイトすべきでは
  ないか、という議論が繰り返し行われ、また、答申にも書き込まれてきた。
    平成11年12月の教養審第3次答申では、大学教育の小中高等学校教員の経
  験の有無も重要であるが、小中高等学校の教育にコミットメントする機会が必要
  だということを提言している。教養審では、教職課程を担当する大学教員にも教
  員免許状を義務づけようではないかという議論もなされていた。
   
○  この22.8%という数字をどう考えるべきかという、はっきりした基準を持
  たないが、思ったよりは多いのではないかという印象をもっている。3割位はい
  ても不思議ではないのかもしれないが、決して少ないとは考えられないのではな
  いのか。
   
○  資料3のデータの「学校現場経験」というのは、学校の教員として、在職した
  経験があるという意味なのか、あるいは大学に就職後学校の現場で実際に教壇に
  立ったという経験をもつ者まで含まれているのか。
   
□  学校現場に実際に在職した経験がある者という意味である。
   
○  正規の教員として授業を持ったことがあるという意味であれば、22.8%と
  いうのは、現段階ではやむを得ない数字かも知れない。しかし、例えば数学担当
  の大学教員が教科専門として数学を教授するわけであるが、自分の教え子が、卒
  業して学校現場で実際に子供に教える場合に、基本的な能力としてどういうもの
  が必要であるかというようなことを、学校現場を1度も経験したことがない者が
  教えられるのだろうかと、常に疑問に思っている。
    従って、大学の先生も学校現場に何らかの形で実際に教壇に立って、数学の先
  生は子供達からどんな質問を受け、どんな授業を行ったら良いのかを経験した上
  で、自分の専門の教育を行うということが必要なのではないか。
   
○  現場経験を持つことは、重要であると思う。昔は附属学校では、大学の教員が
  教えるケースが結構多かったと思う。工学のように現場経験を積むようにした方
  がいいと思う。
   
○  大学院の話であるが、博士課程に入学しても学位を取得せずいわゆる満期退学
  する者が多い。工学部とか理学部はそういうことにはなっていない。とにかく博
  士号を取らせて卒業させており、博士号が取れないのはむしろ例外である。博士
  号を取得させて卒業させるのは、課程制の博士課程の使命ではないか。
   
○  新構想大学の大学院には、現職教員が多く入学してきているが、現職教員の院
  生に評判のいい教員というのは、現職経験者が多い。
    自分の経験を生かして、現職教員の院生に真剣に相談に乗るという観点からい
  うと、学校現場経験のある教員は必要だと思う。
    ただ、何%が適当であるのかはわからない。新構想大学は、設立の時に学校現
  場経験のある教員をかなり多く集めていた。それは、新構想大学を作るときの理
  念であった。一概に数だけ見て、多い少ないということは言えないが、学校現場
  経験のある教員は教員養成学部の大学院にとって重要である。
   
○  「教員養成学部の専門分野別の教員比率の推移」をみると、教科専門の教員は
  減少し、教科教育法の教員が増加しているというデータになっているが、国家公
  務員の定員削減と5,000人削減計画で教員がどのように減ってきたのかとい
  うデータがないか。
   
○  新課程を持つ学部の場合は、教員は教員養成課程と完全に所属が分けられてい
  るのか。
   
□  新課程も教育学部のままの新課程を置いていたケースと、学部の看板を書き換
  えて新課程を置いたというケースがある。基本的には教育学部のままでおかれた
  新課程は、新課程のみを担当する先生は認めていない。新学部に衣替えした場合
  は、大学の判断で対応している。
   
○  就職率の問題であるが、学校で非常勤講師を経験しその後で本採用されている
  者が相当数いる。新規卒業では実現しないけれども、数年の間に就職していると
  いう現実も考慮する必要があるのではないか。
   
○  就職状況が減少してきているが、教育委員会の教員採用に占める教員養成学部
  卒業者の割合が42%となっており、その他の58%は一般学部から採用していると
  いうことである。この率は変化してきているのか。採用する側が教員養成課程の
  卒業生よりもそれ以外の卒業生の方が、視野が広いとか、現状の変化にいろいろ
  対応できるということで、意図的に採用しているのか。
   
   
□  教員養成学部のシェアの推移は、過去10年くらいは40〜45%の間で推移
  している。もう少し遡れば、40%を切っている時代もあるが、そう大きな変更
  は生じていない。
    教員養成学部のシェアは、学校種によって大きく変わっている。教員養成学部
  のシェアは小学校の場合で65%、中学校になると40.2%、高等学校になる
  と14.9%というように学校種によってかなり違っている。
   
○  県教委としては採用にあたっては、人物本位で採用しており、出身学部による
  区別は全くしていない。普通のペーパーテストであるとそんなに差は出てこない
  と思うが、集団面接や集団討論などの結果としてこのような数字になったのでは
  ないか。
   
○  広島大学には、今まで教育学を科学的に研究する教育学部と、教員養成を行う
  学校教育学部があった。その二つの学部を見てきて思うことは、やはり文学や理
  学とは違い、教育学は実践学であり、純粋学問の文理とは違った形の教員養成と
  いうことが必要ではないかということである。
   
○  教員養成の問題は、よい教員をどう育てるかということがあるが、一番重要な
  のは、教員養成をする教員をどう育てていくのかではないかと思っている。
    教科専門の教員というのは、文学部や理学部の出身が多く、義務教育の教師に
  なる者に対し、教育する内容が依然として自分が習ってきた文学部や理学部の専
  門を中心に教授しているというのが実状であり、このことについても考えておか
  なければいけない。
      
○  教科専門の教員というのは、自分の専門のところを中心にやってきているのだ
  から、どうしてもそれを中心に教授してしまう。各大学における教科専門の先生
  方がどういうところで養成されてきたのかというデータを見ておく必要がある。
  教科専門の教員のあり方を検討しないと、なかなか本質的な改善に迫られない。
    例えば、理科教育のところをみると、教員スタッフが25人いたとして、その
  内の5人しか教科教育法をやっていない。あとの20人が生物学とか物理学など、
  それぞれの教科の専門家である。この人達が実際にどういうことをやるのかとい
  うと、生物学で例をとってみても、小学校、中学校の教師になるための子供の発
  達に応じた生物学の教育の仕方とか、そういうことを教えていない。
    例えば、カエルの研究でも、小学校の先生になった場合に、カエルの生命を小
  学校の低学年、中学年、高学年でどう教えるのか、中学校でどう教えるのか、い
  ってみれば生命をカリキュラム構成の中でどう考えるか、ということをやってい
  ただきたい。                                                                
    そういう教科教育学が、やはり教育の内容学として必要ではないのか。また、
  実際に教師になる学生達が求めているのではないか。                          
   
○  新規採用の教員や教育実習生のほとんどが教案を書けない。教案をどこで指導
  するのか、それは学部なのか、附属学校なのか。
    学生に授業を構成する基本となるべき指導案を指導する場面は、附属学校が大
  きな役割を果たしている。師範系出身の先生方は、一般大学の出身者よりはるか
  に教案は上手であった。
    特活や学級活動の指導案を実学としてきちんと教えられる教員を養成して、現
  場に送り込むということは、非常に大事なことだと思う。教育実習の場面等で学
  生にきちんと教案の指導をする、全体の指導計画を作らせる、という課題を出し
  ていく。それがあまりなされていない。私は、学部学生が教育実習にきても、6
  人中2人の単位を落とした。学部の先生にもきていただき、「こういう理由で、
  単位を与えることができないので再教育して、もう1度派遣してください」と。
  これは、教育実習を引き受ける者の一つの責任感の問題でもあると思う。
    そういった意味も含めて、指導案を作れるような能力をどこで指導していくの
  か、これも論議の中に入れていただきたい。
   
   
○  大学の教員の養成はどうしているのかということに関し、この何年間か大学改
  革が進められてきており、相当状況は変わりつつあるとは思っている。
    今までの意見のような研究がなかなか進んでいない背景として、例えば大学設
  置審議会の審査の方法が古典的な学問的領域の基準に従って行われてきている。
  それから、科学研究費も数年前に教科教育という分野ができたが、それまでは、
  古典的な学問領域の基準に基づいた評価で行われてきた。教科専門といわれる領
  域の担当者が学会活動を行って社会的に認められる業績をあげながら自分の属す
  る教員養成学部の中で、その学部の目的に合った形で役割を果たしていくという
  ことが必要であるが、我が国の今までの研究業績の評価方法が響いているのでは
  ないか。
    現在、やっと広域科学としての教科教育学の教育研究を前提にした連合大学院
  博士課程を設置できたが、研究業績の評価のあり方を新たな体制として作ってい
  かなければならないと思う。将来的には博士課程を設置した大学や、そこの卒業
  生に期待するところが大きい。これが実際にどれだけ実行されていくのかが、こ
  れからの課題になっていくのではないかと思っている。
   
○  教育のことについて経験がない、あるいは教員の教育のことについてさほど関
  心を持たない教員がポストに着いた時、とにかく授業をやっているという実態を
  見てきている。それをどう変えていくかが、この会議に期待されているのではな
  いか。
   
○  例えば、生活科のように、新しい教科が出ると大学の教員は学問的背景を持っ
  てないので、いろいろな分野の教員が協力しながら、一生懸命新たな学問分野を
  作っていく。そういう新しい教科に対応した学問分野を作っていくが、その分野
  の業績を教員は持っていない。大学の教員が自分の専門分野の研究を大事にしす
  ぎ、教育をおろそかにしているという趣旨の話があったが、基本的には大学の教
  員が実際に学校教育現場で行われているものを、自分の研究の一部分に取込める
  ような評価体制を作らない限り、教員は動かないと思う。文学部とか理学部の出
  身教員も、実際、教育の現場は知らないが、教育学部の教員も教育の現場は知ら
  ない。教員養成大学というのは、教員を養成すると同時に、学校現場で起きてい
  る問題の研究もするのであり、教員が少しずつ知恵を出し合って、大学として一
  つの研究テーマを持っているという形に持っていかないと、なかなか難しいとい
  う面があると思う。
   
○  教養審の答申を書くときに、普通は「理論と実践の統合」という順番で書くの
  を、わざと順番を入れ替え、「実践と理論の統合」にした。それはどちらでも同
  じではないかという意見もあったが、先に「実践」を書いたということはそれな
  りの決意と認識がある。理論は知っているが学校の現場のことは関心がないとい
  うことではなく、むしろ学校現場の様々な経験を通して問題意識を明確にすると
  いう所からスタートして理論化していくという方向こそが期待されているのであ
  って、実践的指導力のある教員というのは、結局はそういう教員ではなかろうか
  と思い、実践の方を先に書いたという経緯があった。
   
○  教科教育法の教員は、比較的現場を踏んでこられた方が多いが、設置審などで
  取り上げられるような業績がないということで、優れた実践を残した教員が、救
  い上げられないということも悩みになってる。
    教科専門で文学部や理学部の出身者が、教員養成学部に入ったときは、やはり
  現場を知らなくてはだめだという意識を持っている。小学校の社会科を例にとれ
  ば、日本史のほんの一部を教授して小学校の教科専門にしていてよいのかという
  議論があった。
    では、教員の意識を一番大きく変えられたのは何かと言うと、組織を変えるこ
  とである。組織を変えると危機感が生じ、教員の意識も変わるというのが実状で
  ある。
   
○  教科専門の教員に対する批判があるが、小学校教員を志す学生を相手に4年間
  ずっと枕草子を教えるというわけにもいかないのであって、現実にはフレンドシ
  ップやインターンシップなど、否応なしに教育学部の教員も現場に即応した諸問
  題に対面している。新課程を作った時に、それまでやってはなかった自分の仕事
  を、国際化という点から見直してみようとか、異文化を考えるという点から見直
  してみようとか、ある意味では過酷な要求をしたが、教育学部に勤めている以上、
  覚悟してやっとくれということをお願いした。おそらく全国的にもかなりの改善
  は進行中であると思われるので、実態を見落とさないようにお願いしたい。
   
○  大学院と附属の問題に関連して、何をすべきか学内のコンセンサスがなされて
  いるのかということであるが、アンダーグラジエイトの教育レベルについても同
  じことがいえる。そこで教えるべき内容の学内コンセンサスがなされているか、
  という議論があるが、このことについても、教養審の第2次答申をまとめるとき
  に色々な議論があった。
    教養審の第2次答申で、それまで一種免許が標準的だったものを、だんだんと
  専修免許を標準的なものにシフトしていこうと、そういった全体的な計画が前面
  に出ている。専修免許状を取得する場合、どれだけの実践的な指導力、どれだけ
  の資質能力の向上が、その中に含み込まれているのかということについての議論
  が、どうも生煮えなのではないかという指摘が最後まで残ったように思う。
   
□  大学の教員になるには、高等学校以下と違って、養成カリキュラムが決まって
  いるわけでもなければ、トレーニングをするわけでもない。それは別に教育学部
  だけではなく全ての学部がそうであるが、設置審査の際に研究業績を問いすぎる
  のではないかという趣旨のご意見と問題提起があった。
    若干解説すると、大学院、特に博士課程というのは研究者養成の場であるとい
  う意識であったが、それは漸々薄れてきた。大学の教授資格も研究論文が相当な
  ければいけないというのが古典的な考え方であったが、どんどん変わり、特定の
  分野について別に研究業績だけではなくて、特定の経験、あるいは教育能力が有
  れば、教授にも助教授にもなれるという規定になっている。
    審査する側も審査を受けようとする側も、専門の論文や著書がなければならな
  いという考え方が中心であったが、研究者養成に当たる教授と、高等学校以下の
  教員を養成するといういわば教育中心の教授と、バックグラウンドは違って当然
  である。同じ尺度で見られる、あるいは審査を受けるというのは逆におかしいわ
  けであり、それが徹底しないようであれば、文部省としても対応を考えなければ
  ならないと思う。
   
○  次回は、本日議論できなかった「附属学校関係」から審議することとしたい。
   
5  次回の日程
    次回は、事務局で調整の上、各委員に通知することとなった。

(高等教育局大学課教育大学室)

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