審議会情報へ

法学教育の在り方等に関する調査研究協力者会議

1999/03/11 議事録
法学教育の在り方等に関する調査研究協力者会議 (第1回)議事要旨

       法学教育の在り方等に関する調査研究協力者会議(第1回)議事要旨

1  日  時    平成11年3月11日(木)14:00〜16:00

2  場  所    尚友会館8階1号室

3  出席者
(委  員)池田辰夫、伊藤  進、伊藤  眞、柏木  昇、川村正幸、北川俊光、小島武司、小林秀之、椎橋隆幸、田山輝明、永田眞三郎、浜田道代、藤原淳一郎の各委員
(文部省)遠藤高等教育局審議官、清水大学課長、小松大臣官房企画官、赤塚大学改革推進室長補佐
(オブザーバー)黒川法務省司法法制調査部参事官、
                     鳥本法務省大臣官房人事課付、笠井法務省司法法制調査部付

4  議  事
(1)遠藤高等教育局審議官から挨拶があった。 

(2)委員、オブザーバー、文部省関係者の紹介があった。

(3)委員の互選により、小島氏が座長に選出された。

(4)座長から、この会議および議事要旨については、求めに応じて公開することとしたい旨の発言があり、了承された。

(5)事務局から配付資料の説明が行われた後、次のような意見交換が行われた。
(○:委員)

○ 実務界を経験された後、大学教員になられた経歴をお持ちの委員からみた大学教育に対する意見や感想から伺いたい。

○ 日本の企業で法務部ができたのは、昭和11年頃で、おそらく三井物産が最初だろう。私がいた三菱商事には昭和13年に独立したセクションができた。ただ、日本の法務部というのは全くの素人というわけではないが非常に中途半端な存在で、世界的にみても  例がないのではないか。なぜそうなったかといえば、法律の需要は社内にあるのだが、弁護士資格を持った人材が得られなかったということ。そのため、それぞれの会社で、新入社員のうちからOJT(On   The Job Training)で法務部員を養成している。最近は法務部の存在がそれなりに知られるようになってきたため、法務部を希望して入社してくる者もいるが、「司法試験くずれ」が多い。三菱商事では、入社前に憲法、民法、商法のほか、訴訟法の基礎を勉強していれば望ましいが、採用後数年OJTをやって、適性があるかないかをみたうえで、毎年2人ずつアメリカのロースクールに入学させている。
  司法試験を通った人を採用するということも一時考えたが、合格者の平均年齢が29歳、それに2年の司法修習をいれて31歳になると、法務部に最初から配属された者はバリバリ仕事をしているところへ、研修所を出てきた人が入ってくることになるが、これは全く仕事ができない。にもかかわらず給料は高くしなければならない。その後の昇進の問題などもあり、結局敬遠せざるを得ないので、やはり自前で養成するということになる。入社してきた者を会社のローテーションで法務部に配属させるが、彼らには社員としての意識はあるが、法律家としての意識が希薄なことも一つの問題だと思う。  
  大学の法学教育についていえば、企業が要求するような知識を2年半や3年で修得させるということはとてもできない。大学の教育と企業の要求との間には断絶がある。会社で一から手取り足取り教えなくても、実務を担当しているうちにどんどん伸びていくような基礎的な訓練を大学が与えてくれれば非常にありがたいと思っていたが、大学の教員になってみると、今のカリキュラムでは甚だ難しいということを感じている。

○ 私はメーカーにいたので少し違う印象を持っている。日本のメーカーは昭和60年代から事業活動の国際化が進み、それに伴って法務部も国際化していった。国内の弁護士は数が足りなかったので、法務の国際化をサポートしきれなかった。一方で、昭和40年代には、公害訴訟などで訴訟が大型化していったため、いわゆる顧問弁護士制度が拡大していったのだが、企業法務自体が力を付けてきたことも事実。
  1980年代には商事法務を中心に産業界から大学に対し、産業界で即戦力となるような法学部の卒業生を送り出してほしいとの提言を行った。今考えると乱暴な提言であったと思うが、当時、企業法務の実践の部分と学問としての理論との接点が大事だとの認識を示していただいた大学が2校、上智大学と神戸大学であった。私は3年間、上智大学で教えることとなった。
  企業法務が関係する法律のリストをあげると130くらいになるが、大学教育でこれをカバーしているところはない。今でもカリキュラムは窮屈なくらいであり、とても企業法務が要求するようなことにはなっていない。  
  私は、大学では基本的なところを教えることが大事だと考えている。産業界が望むニーズに合わせた法学教育ではなく、本来、大学の法学教育はこうあるべきだという基本図があるべきだと思う。ハウツー的な部分は実践の中で身につけていけばよい。
  九州大学ではLLMコースを実施しており、これからLLDをやろうとしている。アジア、ヨーロッパ、アメリカの学生に英語で大学院教育を行っているので、国際化にも対応しているし、これからは弁護士会と連携しての講義も行っていく。    
  ハーバードのロースクールなどでは勉強の質が全然違うが、日本の学生をみていて、それと同じようなことを期待できるかというと、いろいろ考え直さなければならないと思う。日本の法学教育では、たこつぼのような学問をずっとやっていて、一人一人がその分野の専門家として深いものをもっているが、企業の法律問題はたこつぼでは一つも解けない。もう少し学問全体を横断するような観点からの法学教育が、実践的な人材養成の場面では必要なのではないか。誰がそれを教えるのかという問題はあるが。

○ 今の法学教育は、事実関係が確定したという前提で解釈論や立法論が論じられていると思うが、その前提の部分をもう少し考えてみる必要があるのではないか。昨年12月にSCSを使って鹿児島大学と大阪大学で遠隔共同講義を行った際、心理学実験に使う図を用いて、紛争がなぜ起きるのかの実験を行った。同じ図であるが、一方には上下の方で見せ、他方には左右の方で見せ、それぞれ何に見えるかとやるわけだが、視点が違うことによって、同じものをみていても結果としての認識に違いができてトラブルになる、というということがよくわかった。もちろん、これは、民事、刑事の裁判を意識しているのだが、事実関係の確定ということが法学教育には必要なのではないか。また、ものの見方の相対性を法学教育との関連でもう一度見直してみる必要があると感じている。

○ 法学を学ぶ場合に、事実的要素と論理的要素、価値判断的な要素があるが、これまで大学にいて純粋学問を志してきた教員は、論理的な要素を前提にして教育を行ってきた。学生たちはそれを学んで、事実的要素をイメージする力を自然に身につけ、さらに価値判断的な要素も身につけていく、という形で従来の典型的な法学教育は行われてきたと思う。論理的な要素の部分だけを教えても、学生が自分で事実的な要素をイメージしていくということが昔はできたが、今はそういう力が備わっていない。従って価値判断も非常にアンバランスな偏ったものになるということがある。法学教育の中でそれをどう取り込むかは非常に重要なことだと思う。  
  現在800人を法曹として送り出している教育、50パーセント強が3回ぐらいの受験で司法試験に合格し、司法修習を2年間すますと法律家になれる、というこの在り方を問題があるから変えていこうということを我々は考えていくのか。1000人の合格者を1500人、2000人に増やしていくので、その増えた部分を別のルートとして新しい社会的な要請に応える法曹養成の仕組みを考えるのか。この会議の作業としてどう考えるのかが問題だと思う。

○私が司法試験を受けた昭和48年当時は、法曹を目指すものは大学の授業には出ずに図書館で勉強するのが普通だった。大学の授業を受けたら受からないということすら言われていた。研修所に入ってみたら苦節10年という人が大勢いて驚いた。
  現在はだいぶ若い人が受かるようになったが、実際は予備校に通っていて受かっている。大学で教えることだけで受かるのは難しいのが現状で、どうすれば試験に受かるかというテクニカルなことを予備校で教わらなければならない。むしろそちらの方が主流になっており、法学教育と法曹養成はかけ離れたものになってしまっている。
  アメリカのロースクールでは、私はミシガンだったのだが、例えば教室の中に模擬法廷があって、学生が原告側、被告側になり、教員が裁判官になって実際にプレゼンテーションをやらせてみるなど、きわめて実践的な教育を行っている。
  日本の企業の法務部の現状は、先ほども話があったが、外資系企業では弁護士を法務部に採用するようになっている。1人や2人ではなく何人も雇っているのが普通で、人数が足らないところにはアメリカのロイヤーが入ってきている。ここでも、日本の法曹養成教育は十分にキャッチアップしていない。
  アメリカにはロイヤーが全部併せて百万人ぐらいいるといわれている。日本は1万6千人ぐらいで、少数精鋭で優秀かというと、一緒に交渉の場に出ると、アメリカの方がやはりうまい。交渉しながら契約をドラフトできるかというと、アメリカの方が、聞いたことのないようなロースクールの卒業生でもできる。将来EUのように域内のどこででも受かればみなロイヤーになれるというような制度が仮にできた場合、日本の法曹は温室育ちで、司法試験が難しい割には国際競争力が心許ないのではないか。
  司法研修所を出た後は、すぐに弁護士として独立してしまい、継続的な教育があまり行われていないのも問題。そういう点では大学院が何らかの形で関わりを持てないかと思っていた。大学はアカデミックなことも重要だが、法律学は本来実践的な学問であるはずである。

○ アメリカやヨーロッパの弁護士は、非常に専門分化されていて、それぞれの専門分野では強い。そのかわり、専門外のことを尋ねると、違う人が来ることになる。その点、日本の弁護士は、いろいろなことを高いレベルで知っていて、契約交渉は苦手かもしれないが、実定法の知識はやはり優れていると思うが。

○ 今の話は納得のいく評価だと思うが、社会にとってどういう意味を持つかというとマイナス面もあるのではないか。ビジネス界でも社会でも、最近は重要な大きな問題はむしろ徹底的に専門化していくような分野が多いのではないか。

○ 日本でも東京のようなところなら弁護士が専門化してもやっていけるが、地方で弁護士の数が少ないところでは、何でもこなさなければやっていけないという現実もある。  
○ 現在の大学教育を前提とし、カリキュラムや教育方法を変えることで問題に対処していくというアプローチでいけるのか。あるいは、もっと大きな問題があるので土俵を変えないといけないのか。土俵を変えるとすればどのように変えればよいのか。    

○ ロースクールを出れば法曹資格を得られるということなのか、それとも、法曹資格を得た後でのロースクールなのか、このあたりはまだ定かではないようだが、これによってだいぶ違うと思う。いずれにしても特化した法学実践教育を大学、大学院に導入していく必要があるということについては共通していると思う。
  現在の大学法学部は卒業生の大半を企業に送りだしている。その一方で、法曹養成のことを考えなければならないという状況に置かれている。経済界など社会の要請に応えるため、どんどん新しい要素も取り入れていった結果、専門が細分化してしまい、法律問題に携わる者としての素養の部分がおろそかになってしまっている。また、司法試験については、予備校教育が中心となり、大学の法学教育は法曹養成に何ら関係しないという状況になってきている。さらに、法曹になった人が法曹としての素養を欠いているという問題があり、大学の中では教養重視という議論がおこっている。
  このような様々な状況の中で、この問題を考えていかなければならない。そのためには、学部の受け持つ領域はどこまでであり、大学院はどこまでなのか。そして、基礎的な部分に重点を置くのか、もっと高度な専門教育まで入れるようにするのか、さらに実践的なものに特化するのか、という役割分担をさせるのか。大半が企業に就職していく学生をどう教育するかを考えながら、1年間でこの問題を考えるとしても、今のところ私には構想が浮かばない。

○ 大学法学部には政治学系の科目がかなりあるが、これとの関係をどう考えるかも論点となるのではないか。

○ 大学院が大きく変わりつつある。高度専門職業人養成というものが、最初はどうなることかと思ったが、はじめてみると確かに意味があるということを教員の方も認識するようになってきている。学生を派遣する企業の方にもそういう受け止め方をされるようになってきたことは大きな成果だと思う。名古屋大学でもこの4月から名古屋弁護士会やトヨタ法務会議との連携大学院をスタートさせることになっている。法学部がともかく変わろうという雰囲気にようやくなってきているのだから、大学院に新しい制度をもり込むにはよい機会ではないか。
  法曹養成については、予備校の存在がきわめて大きい。司法試験の採点をしてみて答案がパターン化されていることに驚いた。これは、予備校が悪いというよりも、法学部の教育の怠慢と考えるべきではないか。
  もう一つ、最近驚いていることは、司法書士の存在。昔は考えられなかったが、最近ははじめから司法書士を目指すという学生もいる。司法書士は資格を得た後の研修なども、自前ながら熱心にやろうとしているようである。大学院に高度専門人養成コースなどを開設すると、弁護士はあまり関心を示さないのに、司法書士は学位取得に意欲的であり、実務経験に基づいた優れた論文を書く人もいたりして、認識を新たにしている。日本の弁護士は、資格を得た後の継続教育が弱いということは先ほど出ていたが、今後、大学院がその受け皿になればと考える。大学院を司法試験の前に置くのか後に置くのかという問題も考えていかねばならないが、土俵設定も考えながら強化の方法を検討することが必要である。
  良い法曹を育てるには基礎的能力や専門的能力を身に付けさせる必要があるが、それに加えて、今日のように変化の激しい時代には、法曹にも創造的な能力が求められるようになっている。大学院の果たす役割は大きくなっていかなければならない。

○ 早稲田大学ではおよそ1200人の新入生にアンケート調査を行うと、3分の2くらいは、法曹になりたいという希望を持っている。それが、2年次、3年次となるにつれその割合が減少していき、最終的には100人くらいになる。減っていくのは仕方がないとして、優秀な人や適した人をどのように確保していくかを考える必要がある。
  早稲田大学の法職課程は、予備校ほど徹底したことはできないが、いわば学内予備校であり、学生の確保に一定の効果を上げている。それでも相当の人が外の予備校へ行っている。
  学部教育としては基礎的な部分を重視することは大切なことだと思うが、一方でできるだけはやく司法試験に挑みたいということが現実にはあり、本来法曹にいく人こそ基礎的なことをきちんと身につけてほしいのであるが、基礎的なことはあとからでもできるからということでとりあえず技術的な方向へ進む人が大勢いる。従って、仮に学部教育があるべき姿に改革できたとして、そこにお客様として学生が来てくれるかというと甚だ自信がない。
  法曹にならない人の中にも優秀な人はいるので、その人たちがきちんとした基礎的な教育を受け、民間企業に就職していくが、それはそれで法学教育の役割はある程度果たせるものだと考えながら、改革を検討している。
  早稲田大学では、学部4年+2年で6年制のコースのようなものを考え、4年で卒業することもできるのだが、6年一貫のコースの中でリベラルアーツ的なものからだんだんに積み上げていき、司法試験合格を目指すということが考えられないか検討している。ビジネス・ロースクールというような構想で、弁護士会や企業の法務部などとも交流しながら充実したものができないか議論しているところ。その場合には、例えば短答式免除などの一定の効果を与えていただければ、魅力のあるものになる可能性はあるのではないか。
  もう一つ、司法試験の合格者が増えていくこととの関係で、現在、司法研修所が行っている役割を大学に負わせるというようなことがあるとすると、どのくらい引き受けられるものかという議論もある。要件事実論の教育を大学でできるのかということも含めて検討しているが、例えば300人とか400人を引き受けるというようなことになると、これは建物の問題から始まるので、単なる議論ではすまないことになる。

○ 現在の司法試験には先程から指摘されたように予備校教育をはじめとする様々な問題があるが、司法試験を変えることによってそれに対応するのは難しいのではないか。ロースクールを作っても、最終的に司法試験を受けるのであれば、ロースクール自体が予備校化してしまう危険性を孕んでいる。
  現在大学で行われている教育を少し形を変え、実務的な教員の助けも借りながら、新たな構想での法曹養成に特化したコースを考えていく必要があると思うが、すべての大学がそのような構想を持ちうるのか、持った場合、学生数がかなりの規模となりまた激しい競争が行われるのかという厄介な問題がある。
  法学部が果たしている役割としては法曹養成だけに限定できないので、これをリベラルアーツというふうに再構成するのは無理がある。やはり現在と同じようにある程度専門的な教育を行う法学部というものは残していく必要があるのではないか。
  研究者養成の問題も出てくる。今後は、ロースクールを出た者の中から博士課程に受け入れていくことで、これまでとは異なったタイプの学者の養成が可能になっていくのではないか。
  もう一つ考えなければならない問題は、司法修習をどこまで大学院で代替できるかということ。要件事実論の教育という問題もあるので、すべてを大学院で代替することは無理だということを率直に認めたうえで、大学院で実施できる教育の範囲というものを考えた方が、問題を考えるにはよいのではないか。

○ 法学士、法曹、研究者のそれぞれをどう考え、どういう方向へ持っていくのが望ましいのかという論点がある。
  法学士は毎年5万人も送り出されていくのだが、これはそれなりに社会に受け入れられてきたのであり、学部としての法学士教育は今後も続いていくだろう。ただ、現状には当然問題もあるので、その問題点を把握する必要がある。  
  また、司法のみでなく立法、行政のそれぞれに法学を学んだ者が必要である。行政官や国会議員のスタッフにもスペシャリストが必要なのであり、そのような人材を大学が養成していかなければならない。
  これまでの大学は、やはり講義中心の授業を行ってきた。多少、演習科目を増やすなどの工夫はあるが、中心はやはり講義である。講義を中心に据えている限り、社会的なニーズとのギャップはますます広がっていくのではないか。大学の授業の在り方も検討しなければならないと考える。
  アメリカのロースクールはABAのアクレディトが法曹資格の前提になっている。日本の場合、ロースクール構想との関係で、これを法曹資格とどう連動させるかが問題。例えばアクレディトを受けているロースクールを出れば、短答式が免除されるなどのメリットがやはり必要だと思う。そうしなければ、ロースクールは経営的になりたたないし、優秀な学生を集めることはできない。  
  予備校から学生を引き戻すためには、司法試験の問題を工夫していただくことも大事だが、大学の授業を講義中心からセミナー中心に切り替えることも有効ではないか。
  研究者については、これからはより実社会との接点を持った研究者が望まれる。今は、実務者の中から大学にお呼びして講義などをお願いするということだが、実は研究者集団の中から実務にも強いという研究者を今後輩出していかなければならない。
  最後に国際競争力の点だが、言語の問題もあるが、日本法は国際化に遅れてしまっている。アングロアメリカンの法が途上国も含めて準拠法として広がっている。しかし、その教育をすべてアメリカ産のロースクールに任せてしまうというわけにはいかないので、日本でもある程度はそういう分野の勉強はできるというふうな科目なり研究者を育てていくことも必要である。

○  ハーバード・ロースクールでは1年目の選択科目でネゴシエーションという科目を開設している。日本でも最近、ネゴシエーションを科目として取り上げるところが増えてきてはいるが、いかんせん、まだまだ歴史が浅い。これからそのあたりのところももっともっと必要になってくる。
  短答式免除というような話が出ていたが、将来的にどういう方向に議論が行くのかわからないが、各大学ごとに自主的な判断でということになるとクォリティーの確保に問題があるのではないかと心配する。連合大学院とか、大学の壁を越えた横断的なものの中で、クォリティーを確保していくということも一つの選択肢としてあるのではないか。地理的、物理的に離れているという大学間の壁は、今やSCSやインターネットで簡単に越えられる。  
  今までのアカデミズムに適度のプラクティスを入れていくべきだということについてはかなり共通の認識は出てきているのではないか。アメリカのロースクールではクリニックを入れているが、机上の議論ではなく生の事実にふれることはきわめて大切なこと。私は学生に法廷傍聴を勧めているが、例えば刑事法廷で刑事被告人が手錠をつけたまま法廷に入ってくる。これは事柄としてはわかるわけだが、実際に見ることがとてもショッキングで、それがある意味ではいい刺激になっている。現在大阪では大阪弁護士会と各大学の間で、クリニックということではなしに、弁護士の仕事ぶりを見学させていただくという話が進んでいる。
  ドイツでは、実習を受けていることが司法試験の第1回試験の受験要件になっている。今の我が国の司法試験のあり方を少し変えて、受験するためにはそういう実習の単位を取っておかなければという形になれば、これは一つのインセンティブになる。
  もう一つ、大学が行うのはエデュケーションなのか、トレーニングなのかという問題がある。両者の線引きがどこなのか、ボーダーレスでわかりにくいが、基本的にエデュケーションなのであれば、その限界はどこかもやはり議論しておく必要がある。

○ 法曹への関心がこの10年20年の間に学生の間で高まっている。その一方、法学教育の方は一種の空洞化のような現象が見られているという点で、全く認識を共通にしている。これは、大学の側の問題であると同時に司法試験制度の問題でもある。
基礎的な法学教育と実務的な色彩を帯びた教育を、別々のものとして行うことは無理があり、連続して一体のものと考えていかないと、当初の目的とするところはなかなか実現できないのではないかと感じている。

○ 現在の司法試験は合格者数が限定されていて、結局試験中心で選んでいくというプロセス自体大学とは無関係なところにある。東京大学には専修コースというものがあるが、これを司法試験制度とも連動させて変えていくというような議論は学内ではないのか?

○ 東京大学の専修コースには高度の専門職業人を養成するという目的がある。法曹資格を取得された後の方に専修コースに来ていただくという機能は現在でも一部あるが、将来的にはそういう形での発展が考えられる。司法試験合格のための教育システムとして使うという意識は今のところない。

○ 数年前から高度専門職業人養成の一貫として、司法試験を受ける学生にとって、適当ではないかと思うプログラムを作り実施してきた。ところが、基礎的な力を付け、その上で高度の専門的な力もつけるし、思考力や論理力もつける、ということを目指してやっていけばいくほど、皮肉なことに司法試験には受からない。ロースクール構想というものが出る前のものなので、中途半端なものではあるのだが。やはり土俵を変えないとこれはうまくいかないのではないかと思う。
  ロースクール構想は以前から言われてはいたが、日本ではまだ経済力も含めてそこまでのインセンティブがあるかどうかということで実現してこなかった。しかし、ここで土俵を変え、従来型とロースクールとの並立でいくのか、あるいはロースクール構想一本でいくのかは別にしても、経済的な力については十分に素地ができているのではないか。
  有名な司法試験予備校では合格までのコースにはだいたい120万円かかると言われているが、そのくらいの月謝を出してもらえばロースクールも十分やっていけるだろう。国際競争力をつけるにはどうしても数が必要である。ある程度数がいて、しかも肝心なところでは少人数教育で行うということが、質の高い人間を育てるためには必要だと考えているので、ロースクールを作ることは重要だと思う。

○ ここで問題にしている法曹の中味だが、狭い意味での法曹なのか、それとも企業法務なども含むのか、あるいは、立法や行政に携わる人も入ってくるのか、それによって議論の内容が変わっていくのではないか。

○ 今、学部教育を受けた後司法研修所に入るまでの時間的空白は、予備校が埋めている。大学院の機能を拡充し、法曹に適性のある者をそこに吸収する、あるいは、そこで適性を身につけさせるということを考えて、もう一つの流れを作った場合、これがうまく利用できるかということも念頭に置かなければならない。
  1989年と1999年の10年間で、司法研修所に入る人の構成が大きく変わっている。現在は70%が3年、5回以内に通ったという状況だが、10年前は5回以上の者が70%を占めていた。近年は学部の優等生が合格しやすくなったと言える。予備校に通っていない者も合格している。この2,3年で状況が大きく変わってきているという感じがしている。
  そうすると、大学院で2年間法曹の適性を身につけさせる教育を受けるよりも、学部在学中に合格するという方へいってしまう。長い目で見れば、そうした適性を備えた者が成果を上げていけば、早く合格した者と住み分けていることになるが、心配なのは、結局早く合格した者の方が優秀だということになって、適性を身につけさせるために作ったロースクールを通ってきた者が劣っているというような印象になっても困る。

(6)座長から、今後の進め方について次のような発言があった。
○ この会議は今後、およそ月に1度くらいの頻度で開いていくとのことであり、法学教育の在り方を法曹養成の全体像の中で多角的に検討し、現状打開の突破口を見いだしていくのが我々の課題である。そのためには、限られた時間でもあるので、ある時点で、各委員からペーパーを出していただいたり、また外部の識者の意見なども拝聴するということを通じてバランスのよいシステムを考えていく必要がある。
  法曹の概念も経済法曹、行政法曹、立法法曹というように各方面に法律家の活動が広がることを前提として、今後の改革は進んでいくのではないかと感じている。その是非も議論すべきと思うが、あまり問題を狭く設定しないで自由な発想で大学での教育のあるべき姿を考えていただきたい。

5  次回の日程
  次回の日程は追って事務局から連絡することとされた。 

(高等教育局大学課)

ページの先頭へ