審議会情報へ

法学教育の在り方等に関する調査研究協力者会議

2000/03/17 議事録
法学教育の在り方等に関する調査研究協力者会議 (第10回)議事要旨

 法学教育の在り方等に関する調査研究協力者会議(第10回)議事要旨


1  日時  平成12年3月17日(金)10:30〜13:00

2  場所  5B会議室

3  出席者
(委員)
池田辰夫、伊藤進、伊藤眞、柏木昇、川村正幸、北川俊光、小林秀之、小島武司、椎橋隆幸、芹澤英明、田中成明、田山輝明、永田眞三郎、安永正昭
(文部省)
遠藤官房審議官、合田大学課長、馬場大学改革推進室補佐
(オブザーバー)
房村法務大臣官房司法制度調査部長、太田法務大臣官房司法法制課長、中川法務大臣官房司法制度調査部付、吉村最高裁判所事務総局総務局参事官、小林弁護士(日本弁護士連合会事務局)、小島司法制度改革審議会事務局参事官

4  議事
(1)座長より、司法制度改革審議会における法学教育に関するヒアリングの概要について報告が行われた後、意見交換が行われた。
(報告の概要)
○  平成12年3月14日(火)に司法制度改革審議会における大学の法学教育に関するヒアリングに出席し、本会議の検討状況と若干私見を交えて報告した。したがって、細部については個々の委員の見解と異なる点もあると思うが、その内容は流動的なものとして了解いただきたい。当日は、司法研修所の実情等について前司法研修所事務局長の加藤新太郎判事が、司法試験の在り方について法務省小津人事課長がそれぞれ報告をしており、議論の結果、法科大学院は1つの有力な方法であるということについては承認されたところである。ただ、それがすべてではなく、その代案もあり得るということでその検討も何らかの形で行う必要があるという認識もある。このような見解をどのように受け止めるかということについては、その代案がどのようなものであるか、今の段階では十分に把握できるものではなく、我々が検討している法学教育が、法曹資格の基礎として十分な国民的信頼を得ることができるものであるかということが何よりも大切であり、その任務に耐えうる法科大学院の教育内容を構想することが、協力者会議の当面の重要課題であると考えている。

○  法科大学院構想について、司法制度改革審議会における議論の流れは、どのようなものだったのか。法科大学院の本質論については、そろそろ議論を締めくくり、技術的な検討を始めても良いということなのか、あるいは依然法科大学院の必要性など本質的な検討を行っておかなければならないのか。
○  相当短い発言の中でその真意を必ずしも掌握できなかったため、記録等を分析し、理解の明確化に努めてまいりたい。

(2)事務局よりこれまでの議論を整理したメモについて説明が行われた後、次のような意見交換が行われた。(委員:○、事務局:□)
○  問題把握、判断力、説得力といった法曹としての資質や能力の養成を法科大学院における教育にどのように取り込んでいくかということは重要だが、この点が教養教育にとけ込んでしまい、浮き彫りにされていないのではないか。例えば、法曹として必要な資質、能力を教養教育を通じて養成するという観点に立って教育内容を分類すると、学部段階では、一般的な問題把握能力、判断能力、説得能力といったものを養成し、法科大学院の段階では法的な問題把握能力、判断能力、説得能力の養成を行うべきではないか。
○  ゼミナールでは学生を対象に架空の問題を提供し、それぞれの立場に立って問題を分析し、どのような手段があるか、どのように相手を説得するかという作戦を練ることを体験する教育を行うことによって、実践性を涵養することを目的とした教育を行っている。経験から、このような授業を効果的に行うためには学生数は15名程度の少数に限定する必要があるのではないかと思う。
○  法曹としての素養を養うという意味でいえば、これまで、素材として複合型のものを持ってきて考えさせる教育が不足していたと思われるが、例えば、複数の教員による演習を組み込み、ひとつの問題について異なる背景を有する複数の教員が議論することを見せる、あるいはトレーニングを行うといったことを通じて、事実の分析能力や評価判断能力といったものを涵養する教育を行うなど、素材と教育方法、担当を工夫することで少しずつ変わってくるのではないか。
○  法科大学院において養成すべき重要な資質・能力とは、ある意味では初等中等教育の目標と同一であるとともに、継続的法学教育でも、完成された法律家に対する教育でも目指さなければならないものであり、相当共通している。その中で、法科大学院が特別に責任をもって養うべき能力とは何か。能力そのものが異なるという意見もあれば、能力そのものは同じでもそれを高いレベルに到達させる教育を行うべきではないかという2面があるのではないか。
○  教養教育を法科大学院との関係で考える場合、大学教育一般に必要な教養教育と、法科大学院で、特に法曹養成との関連で求められる教養教育とは質的に異なるものであることを十分に認識する必要がある。法科大学院における教養教育とは、法に関連する法的な観点からの教養であり、基礎法学や政治学、経済学など法学に密接に関連する知恵、知識等を開能するといったことに特化する必要があるのではないか。
○  最近の法曹は司法試験に合格することのみを目的に行動しており、判例や通説を覚え、正解をどうやって出すかということにのみ関心をもっている。例えば、アメリカのロースクールでは、1日かけて試験や細かい事実について、原告側からみた場合と被告側からみた場合のどちらの視点から答案を作成しても良いといった工夫された試験を取り入れており、このような工夫が法科大学院で行われれば必然的に変わるのではないか。
  また、アメリカでは「法と経済学」、「法と交渉」、「法とスポーツ」といった多数の新しい科目が開講されているが、日本では導入されていない。以上を踏まえて法科大学院ができることは、ある程度新しい科目を導入すると同時に評価の方法も変えていき、その中で、例えば、民法だけではなく、民法と民事訴訟法を融合させた科目を実施せざるをえなくなる。また、古典等については法科大学院ではなく、法学部教育において、一般教養や語学の充実を図る中で行うべきではないか。
○  法科大学院は法曹養成に特化し、法曹としての資質・能力の養成に焦点を絞る必要があるのではないか。最近の法曹について、法的な問題発見・解決能力や説得力等資質にかかわる問題があるとすれば、それはそれ以前の段階に問題があるのであって、学部段階、あるいは初等中等教育段階からの教育を立て直していく必要がある。これは、法曹養成だけの問題ではなく、法学部全体としてやや不足している部分でもあり、学部教育を立て直していかないと法科大学院の基礎が脆弱になるおそれがあるのではないか。
○  法科大学院で養成する法曹像を明確にし、説明していく必要があるが、ごく完結にまとめれば、「創造型の法曹」を養成するということではないか。このような法曹を養成するためには、教育方法が密接に関係し、ソクラテック・メソッドやケンブリッジでスーパービジョンといわれる徹底した少人数教育の実施などがひとつの柱になるのではないか。
○  ある一定の時期にある一定の教養教育を受講するというのではなく、入学時から基礎的な法学教育を実施しつつ、学生本人の問題意識が明確になった時点でニーズにあった教育を受けることができるようにしておく必要があるのではないか。
○  現在のシステムから生まれてくる法曹の質が必ずしも高くないという指摘が正しいとした場合、それを補完する観点から、教養教育を取り込んだ新しいロースクール構想が出てきているが、日本の弁護士を世界の弁護士と比較し、質が劣っている、人格がおかしい、教養がない、ということはないのではないか。確かに、一部にはそういうこともあるし、あまりにも司法試験合格に偏ったプロセスを経てきているものの、日本の弁護士にも優秀な人材はいる。問題は、現代の制度から生まれた法曹が競争原理による淘汰を受けることなく活動しており、その上、弁護士の地域的偏在が激しいことにあるのではないか。その意味では法曹の質が悪いということを出発点とするのではなく、むしろ今持っているそれぞれの能力といったものをさらに磨いていくという観点から議論を進めていくべきではないか。
○  例えば弁護士の場合であれば、教育を受けて社会に出ても社会の業務環境が、個々の弁護士の能力を十分に発揮する形になっておらず、また、それを評価できるような形にもなっていない、さらにその点についての情報も伝わらない、といったあたりに問題があり、これは業務環境、特に弁護士の数に問題があるということか。
○  法曹養成という高度専門職業人の養成のための教育は、法科大学院に入学するに当たっては法的基礎知識の有無を問わず入学後責任をもって教育を行うという発想もあれば一定の基礎的な土台にさらに上乗せした教育を行うという発想もあり、この側面だけでも既にずれが生じている。法科大学院をどのように位置付けるかと考える際に、既存の専門大学院制度の一環として考えていくのか、あるいは、同じ高度専門職業人の養成であるけれども、現在定義されているような専門大学院とは異なるものであるという発想の下に基本設計していくか、ということをまず考える必要があるのではないか。
□  専門大学院は高度専門職業人の養成に特化した大学院であり、法科大学院も法曹養成に特化した大学院という意味では典型的な専門大学院ということになる。その一方、そういう法学部教育を前提とした専門大学院ではなく、それを前提としない全く別の、正確かどうかは別としても、アメリカ的なスタイルを考えるということもありうるとは思うが、これまでは法学教育の存在を前提にしており、その意味では典型的な専門大学院ということになるのではないか。
□  高度専門職業人の養成が強く求められている現在、従来型の研究者養成を中心とした修士課程では対応しきれないおそれがあることから、そのような人材養成に特化した教育を行う専門大学院制度を、研究者養成とは全く別の制度としてスタートさせたところである。その際、やはり学部に附属した形態の大学院では、物足りない面もあり、あらゆる意味でハードルを高くし、その教育の在り方も研究者養成とは異なった方法を用いた制度としているが、必ずしもロースクールを念頭においているわけではない。したがって、必要があれば別制度を設定する必要もあるが、その場合、大学制度一般論の話になり、大学審議会において検討していただく必要がある。ただ、大学審議会における議論では、ビジネススクールと同様、1からの法曹養成ではなく法曹の実務法学を行うには専門大学院制度がふさわしいのではないかと考えられたことから例示されている。
○  新しい法科大学院制度を検討するに当たっては、学部の教育内容、大学院の教育内容の仕分けをさらに詰める必要があるとともに、理論と実務の融合、あるいは実務教育の実施という観点が必要となるが、その実務科目の具体的な内容を、特に司法研修所との役割分担、あるいは継続教育との役割分担の観点から、明確にしていく必要がある。
  教員組織については、ある程度実務経験を有する教員が必要であることについてはおおむね一致しているが、現在の様々な仕組みを変えないと、例えば20、30%の実務家を採用することは非常に困難である。また、司法制度改革審議会においてもそんなに確保できるのかという疑問も提起されており、法曹界の実情、考え方も考慮していく必要がある。
  修業年限については様々な案があるが、そもそも教育内容として何を盛り込むかという議論の結論として出てくるという側面がある。この年限の関係で重要なのはアメリカ型の3年制ロースクールであれば、完全に統一的な観点の下にロースクールによる徹底した教育を実践できるが、日本の場合には、法学部を前提とした法科大学院となることから、一貫した教育課程の編成といった観点から学部と大学院の調和をどのように図っていくかということを重要な課題として考えていかなければならない。この点は従来の様々な案の中でも必ずしも十分に詰められていないのではないか。
○  アメリカにおいてもロースクールの2年制化は絶えず議論となっているが、結局3年制を維持している。法学部も司法研修所もない上に2年間で終了するというのは我々の感覚とは大きく異なっている。そのような基本的な認識は、プロフェッションを相当開いたものとする代わりに、継続教育や専門分化を徹底して行うという法曹システムとなっていることから生じているのではないか。
○  アメリカにおいても、学部段階で全く法律を教えないのは問題ではないかという議論があるとともに、大学院が実務教育よりも理論教育を重視する方向に進もうとしていることから、ABA内に意見の対立が起きているといったことが指摘されている。そのような観点からは、日本の法科大学院構想が司法研修所を前提としているのはむしろ望ましい方向なのではないか。学部段階における法学教育が前提とされていることも、幅広い法的な理解や知識を持った人材を社会に多く送り出すという意味で重要なことであると考えられるのではないか。
○  長期的には、伝統的な学者も実務に従事し研鑽を積むことができ、逆に実務家も法科大学院の教員として一定期間理論の研鑽に従事するような制度を考えていくべきではないか。長期的にそのような体制とするために、発足の時点で、実務家が参画し、相互に研鑽していく体制をどのように築いていくか考えていくことが重要ではないか。またその実務家教員の比率もそれほど固定的に考えるべきものではないのではないか。
○  法科大学院の必要性を訴えるためには実務教育の実施を強調する必要がある。大学で学んだことだけで実際の裁判ができるわけではなく、これまでの日本の法学教育はそのことを放置してきたきらいがある。単に抽象的な法理論だけでは実務には使えないのではないかという批判が底流にあることを十分に認識した上でどうすべきか考えるべきであり、その場合、法科大学院で教えられないから司法研修所で行うこととするというのは、本末転倒の議論であり、必要であれば法科大学院で実施すべきであり、今までの学者や研究者であっても教えようと思えば教えることはできるのではないか。
○  我々が法科大学院で行うべき教育はこれまでとはまったく異なる教育方法を採用し、それを前提とした上で、実務経験のない教員も実務とのかかわりを相当重視しながら教育を行うことが求められる。そのあたりを法科大学院の教育内容・方法として明確に打ち出す必要があるのではないか。
○  実務教育の内容をまず検討した上で実務教員数を検討するべきではないか。そもそも技術的な教育を行う必要はないという意見もあるが、基礎的な法律知識を前提として、事実問題を議論しあう講義、演習を実務教育であると考える場合、必ずしも多くの実務教員は必要ないのではないか。
○  アメリカのロースクール出身者と日本の法学部出身者を比較するとアメリカで学んだ者の方がはるかに短期間で仕事、実務能力を身に付けており、日本の大学法学部出身者は、二、三年は困難に直面する。その一因はコモンローと大陸法の違いにあり、極端に言えば、コモンローの世界では問題分析とリーガルリサーチの能力があれば何でもできてしまう。アメリカ人は判例をざっと調べてそれを分析し、リーガルオピニオン化することができるが、日本人は分析力に欠けている。理論を現実にあてはめる能力を訓練するために、やはり3年程度は必要となるのではないか。
○  模擬裁判や模擬法廷などにより、実際に法律がどのような形で使われているのかということを学ぶことが、やはり法科大学院の大きな指導理念になるのではないか。
○  法曹三者の活動、特に弁護士の活動に限定すれば、統計的に見ても、東京あたりでは法廷業務は3〜4割程度であり、契約交渉であったり、M&Aに関与するといった法定外活動が中心になりつつあり、どの範囲の実務を考えるかという問題は必ずしも法曹三者だけを意識するとか、企業法務、公務員も含めて考えるかということとは直結しない。切り離して考えてよいのではないか。
○  古典的には実務=裁判実務であると思うが、近年は、例えばアメリカの場合に、相当数の法曹が企業の法務部に勤めており、日本でも同様の傾向が見られるなど広がりをもってきているのではないか。ただし、法科大学院が基本的にいわゆる法曹三者を養成する場所である以上、そこを中心にしつつも、稼働領域が広がってきているものと理解することが必要なのではないか。
○  法科大学院と学部における教育内容をどのように仕切るかという問題がある中で、今後、法科大学院を修了すれば法曹資格を取得できることになるとすれば、大学院で勉強したということがどのような実質を持つことになるのだろうか。やはりその実質を非常に重いものとし、学部教育とは違った優れた人材を養成しているのだということを目に見える形にしなくてはならないのではないか。
  アメリカのロースクールを例にとると、1年次に少人数制の下、基礎科目、基本科目について、優秀な教員によるソクラティック・メソッドを活用した徹底した教育を行うということになる。日本の法科大学院構想に照らし合わせて考えれば、徹底的な1年間の教育を事実上学部の3・4年次に設定することは不都合ではないか。その点について修業年限との関係もあるが、教育制度、教育システムとして、法科大学院の特徴となる部分を新入生に実施する必要があるのではないか。
○  法律を学んでいない者を想定しながら法科大学院の枠組みを組み立てていくことでよいのか。大半が法学部を出て法科大学院に入ってくることが前提であり、この法学部の教育を考慮に入れずに法科大学院を組み立てることができるのか。他学部卒業者が入学することは歓迎するが、本体として組み立てる場合に、大半は法学部を経由して法科大学院に入学してくる者であるということを前提にしていかなければならないのではないか。
○  アメリカでは確かにロースクール入学後の最初の1年間に徹底した勉強をさせる。極端に言えば、その1年でほとんど決まると言っても良いのではないかと思うが、本当に日本人に対しても同じようなやり方がいいのかというと必ずしもそうは言えないのではないか。法科大学院の1年目を最初で一番大事なところにすることもあるが、それとも積み重ねでブラッシュアップして、アドバンスドコースとして事実上の完結をロースクールの最初の1年でやるというのもひとつのやり方としてあり得るのではないか。
  実際、高度職業人養成という観点から社会人を受け入れているが、そういう形で受け入れられた他学部出身の学生は困ることが多い。それぞれの責任の下に様々な科目を勉強することにすれば良いのだが、実際には指導しながらでないと困難であり、最初の法学の基礎的素養がない状態から爆発的に勉強することは制度としては危険ではないか。
○  基本的には本来の制度設計は法学部出身者に対するものではないかと思う。ただ、やはり多様な人材を受け入れるべきであるという社会的なニーズを受けとめる必要があり制度設計上もその点についてやはり目配りする必要があるのではないか。
  そもそも法学を学んだ者と学んでいない者が法科大学院1年次で同等にできるはずはない。当然、別途手当が必要だが、一番良いのは学部で提供している科目をまず履修させ、そういうことを織り込んだ上でのカリキュラムを編成し、その中でそれに対する対応も可能だという、そういう設計がいるのではないか。
○  専門大学院としての法科大学院が、法学部出身者を前提にするのか、あるいはそれが本来の姿なのかという論点はなかなか難しく、言い切ってしまうのも問題だと思う。したがって、どちらが本来か本来でないのかということは少し置くこととし、それは両方あり得るので、やはりある立場からすれば、人数が多いか少ないかという問題とは全然別だと思う。他学部出身者も含めて教育するのが本来の制度設計だという議論も十分あり得るものであり、その点は、今後の検討に委ねるような形にしておけばよいのではないか。
○  基本的にはやはり法学部を卒業した者を対象とした仕組みをひとつ設計し、他学部卒業者に対しては、1年程度のインテンシブなメニューを提供し、それでも困難がある場合は学部に編転入学するなどまず3年で完結するというモデルを設定することになるがやはり法科大学を考える場合には、その前にどの部分が軸となるのか、ある程度共通のものを持つ必要がある。原形かイレギュラーかというのは本質的な議論ではなく、新しい法曹像に適合した教育課程は3年ぐらいで設定し、それを普通は2年で実施するが、全体としては3年ないしは4年という形で明記し、それぞれ、それを同一制度にどのように埋めていくかと後で考えるというふうに考えるべきではないか。
○  法学部教育2年と大学院教育2年の関係を考えると、例えば法曹コースを3・4年次に設け、それを修了後法科大学院に入学するというモデルがある。そのようなモデルで考えると、連続的な3〜4年の法曹養成に特化した教育の中に区切れができることになる。現状の制度を前提にすれば、そうならざるを得ないが、現状追随的に新システムを設計するよりは、徹底してそこを検討し、確信を持って提案していくべきではないか。それでなければ、司法制度改革審議会から十分に検討していないのではないかという認識を持たれる恐れはないか。
○  現在の大学院制度は、学部4年、大学院2年という制度となっており、その円滑な接続が一番の問題となる。それがもし変えられるのであれば、6年間の法曹養成のための期間を構想し、前半3年と後半3年に分け、それ以外の法学部の学生については、通常どおりの教育を考える。その3年のちょうど中間に入口が設けられれば多分一番いいのではないか。他学部出身者の受入についても、3年間修了の段階で一応切れるということになれば、4年間の他学部を卒業した者が、法学部の3年修了段階に円滑に移動できるのではないか。その場合、法学部の学生で、後半3年に突入する者たちの前半の3年間の教育内容が一番の問題になるが、法律関係の科目についてはかなり基本的なものにとどめるべきであり、社会現象あるいは社会的な事情について広範な関心を持つことができるという観点から幅広い教養教育を重視していく必要があるのではないか。
○  当初3年プラス3年という制度を検討していた際に、問題となったのは、他大学卒業者の受け入れであり、彼らが望まれる教育をしっかり受けたかどうかという保証は何もなく、それには試験でしか対応できないということであった。また、法学部を3年次で修了させることは、大学院への飛び入学や早期卒業という問題が生じてしまうので、むしろ卒業とはせず、新たな制度も考えていいのではないか。
○  様々な意見があるが、今の大学制度がそうなっているからその方がいいという議論ではなかったと思う。やはり法科大学院の側から考えると教育年数は3年は必要となるが、結果的には、これはアメリカ型ロースクールを導入しようと言っているにすぎないのではないか。これを踏まえると、法学部教育を一体どうするのかという議論になり、学部教育と大学院教育を融合させるという観点から、4年プラス2年という日本型法科大学院といわれる構想が出てきたのだと思う。であれば、3年案の場合、法学部4年の教育とこの法曹養成の法科大学院3年の教育をどのようにドッキングさせるのかということも、きちんと折り合いをつけておかなければならないのではないか。
○  現在の制度の中で3年制を採用することはなかなか難しいのではないか。理由は2点あり、法科大学院に行かない学生のカリキュラムと、法曹コースの学生のカリキュラムをうまく整理できるかという問題と、もっと重要な点は、他学部の学生に必要なのは、法学部出身の学生が最初にやった3年のコア法律学をしっかりと身に付けることであり他学部の学生が後半の3年の最初に入れば何とかなるというのではないのではないか。
○  やはり3年で完成させたいという発想があるのではないか。2年制案というのは、2年では完結しないため、前倒しして学部から実施する必要があるという発想なのではないか。
○  どのような人材を育てるかという観点から、適切なシステムについて、現在の条件に縛られずに自由に討議してみる必要があるのではないか。3年制案が直ちにアメリカ型のロースクールに結びつくわけではないし、4・2制案も同様現状追随的だというわけでもない。それぞれの周到な考察の上に選択された一つのモデルであるが、現実に実施するに当たっては後者は比較的やりやすいが前者は既存システムの改正を伴うものであり、その意味では困難が伴うと思われる。しかし、二つのモデルを検討し、何が理想的な人材養成にとって適合的かということを、さらに詰めていくことも回避できないのではないか。

5  次回日程
  次回は、3月27日(月)、10:30〜13:00、文部省5B会議室で開催することとされた。 

(高等教育局大学課)

ページの先頭へ