21世紀の大学を考える懇談会について((第1回)議事要旨) |
21世紀の大学を考える懇談会(第1回)議事要旨
1 日 時 平成12年9月25日(月)8時30分〜10時30分
2 場 所 東海大学校友会館 望星の間
3 出席者(委 員)吉川弘之(座長),阿部博之,猪瀬 博,井村裕夫,大沼 淳,荻上紘一,奥島孝康,岸本忠三,
黒田壽二,小林俊一,小林陽太郎,遠山敦子,鳥井弘之,鳥居泰彦,長尾 真,蓮實重彦,
廣中平祐 の各委員
(文 部 省)大島文部大臣,松村政務次官,小野事務次官,工藤高等教育局長,遠藤学術国際局長,
清水高等教育局審議官,石川私学部長,井上学術国際局審議官,木谷企画課長,岩本学術課長 他
4 議 事
(1)大島文部大臣から挨拶があった。
(2)事務局から委員の紹介があった。
(3)座長に吉川委員が選出された。
(4)吉川座長から挨拶があった。
(5)座長から会議及び議事要旨について,公開としたい旨の提案があり,了承された。
(6)事務局から資料説明の後,自由討議が行われた。
(○:委員,●:事務局)
○ 今までも,様々なところで21世紀の大学の在り方を考えることが行われてきているが,それらの検討の中でカバーできていない部分,不十分な部分についてこの懇談会で検討するということなのか。それとも,何を検討するかということから議論するのか。これまで整理されてきたものについては,それをベースにした方が議論が進めやすいと思うが。
○ 大学改革が行われ,様々な手直しが行われてきているが,それにより日本の大学とは何なのかといった全体の骨格がやや見えなくなってきており,それをもう一度明らかにすることが,この会議の役割かと思う。
○ 今までの大学改革についての議論は,現状に立脚して何を変えるか,というものだった。白紙に理想図を描いて,それを現状と結んで組み立てるということが日本ではほとんどされないが,この会議では,そういうことをしてみた方がいいと思う。
○ この懇談会は,通常の審議会とは違ったものにしたい。審議会は座長制であり,座長は取りまとめ役になってしまうが,この懇談会は,座長のパーソナリティーを出したものにしてもらいたい。座席は決められた場所に座るのではなく,自分の好きな席に座るようにしたらどうか。また,21世紀の大学を考えるにあたっては,21世紀が21世紀にふさわしくなるのはいつ頃かということをまず考え,それに対する戦略として,大学をどのような組織にしていくかということを考える必要がある。その際,もう一度考えるべき問題とそうでないものを整理し,理想像を描くにあたっては歴史的視点を加えて,いつ,現在の状況が変わるのか,何をきっかけとして変わるのか,そのとき大学をどう組織するのか,ということを年次計画で考え,設計していく必要があると思う。
● 私が考えているのは,全体論として21世紀の大学がどうあるべきかということである。現実も踏まえながら,総論として日本の大学のあるべき姿を考えるためにこの懇談会を設置した。いただいた意見はしっかりと受け止め,この会議を単なる議論の場として終わらせない決意をもっている。初等中等教育の改革については政府として一定のスケジュールに乗っており,次は,大学の問題である。2000年の初頭においてきちっとした方向付けをし,今日までやってきた施策の中で更なる取組が必要なものについてはしっかり取り組んでいく覚悟で,みなさんに御議論をお願いしている。
○ 教育の一番の問題は2つの言葉がどう関係するかということ。1つは「相互の関係」であり,人間関係,国と大学の関係,国と国の関係などである。これと並んでもう一つは,「独立」ということである。関係があって独立ということができるわけだが,戦後50年間で,日本は大学教育の裾野を広げることには大成功したが,大学間のヒエラルキー構造をつくり,護送船団方式を進めてきた。そこで,個性化や自律,自己責任といった「独立」の問題がでてきている。偉い人は,大学に自由に取り組むようにと言うが,実際やろうとすると,事務方は変わったことはできないと言う。現在,日本の大学には疲労がでてきており,それはすなわち様々な関係図式であって,これを洗い出せば,これから先の大学の在り方が見えてくるのではないか。日本の大学のこの50年間は助走期だったと思う。アメリカのMITでも数百年の歴史があるが,ハーバードを凌ぐほどになったのは,最近の50年間での出来事である。やみくもに改善するのではなく,正しい方向を決めて一生懸命やることが必要である。
○ 大学改革が謳われてから10年たち,その間,様々な施策を行ったが,現場の大学がどれだけ動いているかについては疑問がある。現場のマインドをどう変えるかが課題である。欧州は市民社会から出発しており「公」という考え方が強く,自分たちでやっていこうという意識が強い。一方,日本は「官」と「民」という意識はあるものの,「公」という概念が弱く,お上が決められたならばそれで良い,というように,護送船団方式で進んできた。戦後の私学についても,経営は授業料収入が頼りで,地域の人が寄付するといったことがなく,そういう点が欧州と非常に違っていて,したがって,国からの援助が必要な状態となっている。このような状況をどう変えていくかが,非常に難しい問題。欧州では大学の人々も公の精神をもっており,自分たちで大学を良くしていこうという意識を強くもっている。文部省主導の改革では,表面的に変わっても,教員の意識は変わらない。また,予算は費目が決まっていて効率的に使えない。さらに,大学は,設置の段階で設置基準に基づき評価しているが,設置後の評価こそ大事ではないか。大学に思い切って自由度を与え,大学が一丸となって自分たちで新しい方向を見つけていくようにすることが必要である。これからの大学改革の一つのポイントとしては,大学関係者が自分たちの力で大学を変えていこうと思うような,上からの改革ではない改革を目指すべきである。
○ 大学と名前が付いていてもみな同じものではないことは,各大学も認識している。大学は役割を分担し,はっきり棲み分けをすれば良い。全部の大学に大学院を置く必要もない。例えば,大学院を置く大学は財政的に手厚くするが,競争的なシステムの下に,教員は月給も研究費も自分の力で獲得することとし,一方,学部で一生懸命教育する教員には,給料をきちんと出すこととし,どちらかを教員に選択させる,というようにすれば良いのではないか。今のシステムのままでは何も変わらない。21世紀の大学の在り方を抜本的に考えるなら,現行と明確に違ったシステムを導入することが有意義ではないか。
○ 今の日本の特徴として,意識が陋劣(ろうれつ)なこと及び知識が細分化されていることが挙げられる。日本人はあらゆる階層の人が,時によって卑屈になったり傲慢になったりする。国際的にみても非常に気になることである。同じ人がそこまで変わるというのは,意識が陋劣であるからであり,その理由は,自分自身に教養が欠け,核になるものがないからである。また,知識の細分化については世界的に言われているが,これからの時代の最大の脅威は無教養な専門家だといわれる。自分の専門の狭い範囲のことしか分からないといった問題は,研究者の問題だけでなくあらゆるプロフェッショナルにあてはまる。21世紀は流動化,激動の時期であるといわれるが,こういう人々はそれに対応できないのではないか。
大学の改善のためには1つの目標を設定し,何が理想で,その達成手段をどうするか,また,達成後の評価,それらのシミュレーションが必要である。そしてその中にいかに不確定要素に対応する流動性を組み込むかが大事ではないか。そのためには,いろいろな種類のヘッジングが必要であり,たとえば,先ほどの話にあったように,国がすべての財政をまかなうのではなく,民間団体を活用し,その善意を受け入れられるようなシステムを作ることが必要である。
社会の多様なニーズに応じるために,COE(センター・オブ・エクセレンス)は,3種類つくった方が良い。一つは,高度専門職業人養成のためのもの,一つは,高度な知識探求能力養成のためのもの,一つは,教養に徹して人間のあるべき素養を教えるものである。それぞれが社会的に尊重される教育システムが大事である。
○ 日本の大学が改革を進めてきたこの10年は非常に重要な時期であったと思う。今は,各大学が個性をもって特色を発揮することが外部から期待される「動き」の時期なのだろう。日本の将来は,大学がどのような教育研究を行うかにかかっていると思う。委員の方々から,これからの大学の理想像をお聞きしたいし,また,自らが思う大学の在り方について,今後いろいろ述べていきたい。
○ 社会全体の安定性は,価値観,社会構造,科学技術,国際関係の4つの側面からなる均衡状態だと思う。どれかが突出すれば,次の均衡状態へ向かって必ず変化が不可避になる。たとえば,科学技術が急速に進歩している分野があるが,情報通信技術やバイオ分野等その他の分野が急速に変化すれば,社会の構造も産業構造も価値観も急速に変化しなければならず,したがって,大学も変わらなければならなくなる。価値観も良しにつけ悪しきにつけ非常に変わってきている。特に近年悪い傾向が強くなりつつあり,学生にもそういった様子が見受けられ,これに対応していくことも必要となっている。国際関係の変化も激しいが,国家の問題については初等中等教育も含めほとんど教えられていない。また,教養の根元は,個の確立であり自己の相対化であるが,これを教える場がどこにもない。こういったことを踏まえると,大学が自らを縛っている事柄,文部省等が課してきた規制を取り払い,大学を活性化し,個性化を進めてきたこれまでの改革は,必要であり意味があったと思う。
今後もう一歩規制緩和を進め,大学が自らを改革するイナーシャ(慣性)をどうつくるかが難しい問題。最大の問題の1つは,学問の自由の下に自己主張してきた教授会が自縄自縛のものであったのではないかということだ。これは,審議会の力などとは全く違った方法論をもって改善するしかないのではないか。また,知識の細分化が進み,自分で何をしているのかがわからなくなってしまった研究者も多く,医学を専攻している者の中には,診療に全く興味関心を示さない者がいる。こういう現状を踏まえると,もう一度根元に戻って考えてみることが必要ではないか。
最後に,日本の大学の構造として,私立と国公立の間には,例えば研究費の税法上の扱われ方が違う等,制度的な扱い方の違いが存在している。また,私学の中でも,その規模の大小に関わらず,個性を持たずに皆同じような学部をつくるということも起こっており,これらを改革していくことが必要だと思っている。
○ これから若者が自分らしく生きていくためには相当広い世界観が必要。また,社会へ出るには専門知識も必要。現在,大学は何もかもの養成を引き受けてしまっているが,これらすべてを1つの機関でできるはずがない。リベラルアーツを専門に引き受ける機関があり,また,専門家を育てる機関があってもいいのではないか。今は研究者の養成に関心のある人が全て担当している状況にあるが,こういったことで良いのかという問題や,大学は4年制でいいのか,大学院を持つ大学が学部をもっていることがいいのか,といった問題などもあるのではないか。
○ 教育においても財政上の問題においても,大学に組織体としての自己責任を認識させる必要がある。そのためには,大学に自由度を与え,自己責任で考えさせていくことが必要だが,それが有効に働くためには,大学の働きを支持していく社会的環境も必要である。また,社会の支持を得るために大学がどう頑張るか,ということも重要であり,社会と大学との相互関係を考えることが必要。
21世紀の中頃において,社会はどのような価値観をもつものとなるべきかということについても徹底的な議論が必要ではないか。また,そういった社会に向け,大学がどう変わって行くべきかということについても議論が必要であろう。またそのプロセスを考える必要があり,国際的視野をもって考えるために,世界の大学政策を知っておく必要がある。たとえば,中国の大学政策は最近顕著に(変化が)現れている。数値的な資料だけでなく,広い範囲を調べ,日本の大学のあるべき姿を議論していくことが必要。
○ 高等教育と学術研究を一緒に考えることは,これまでにないほど必要性が高くなっていると思う。それは,国力に密着しているからである。中国や韓国,米国等においても,高等教育と学術研究については,現在の経済状況に密接に関わるという観点で様々な政策が行われており,日本だけがそういう観点を持たずに政策を推進すべきとは考えられない。国力の観点から言えば,陽の当たらない学問はどうなるかといった危惧がすぐ示されるが,それらをどう継承発展させていくかは,日本の子孫の国力の源泉となるものである。また,教養の位置づけをどう行っていくかが重要である。教養とは危機管理能力を身に付けることだとある人が言っていたが,教養の中身が単に知識の蓄積であっては世界観や倫理観の醸成,組織の危機管理などにはつながらない。各界のリーダーに問われるような教養を,どうつくりあげていくかが課題ではないか。
○ 日本の大学が抱えている問題とは,非競争的な環境における安住ではないか。欧州の大学は多くが国立大学であり,非競争的環境下に育ったものである。しかしEUとなり,米国と対抗していくために,研究面では,共同研究機関をつくりそこに有能な研究者を集中させたり,教育面では,10大学ほどが連携して最も優秀な学生を一つに集め,教育を行ったりするなどの取組がみられる。長い間安住してきた大学を変えるためには,教員を揺さぶるショックを与えることが必要である。欧州ではそういったことを意識的に大学が連合して行っていると感じる。自大学では,異なる学部で同じ科目を担当している教員を一つに集め,カレッジ制をとることにより,教員間に競争的意識を生み出す方策を考えているところ。日本の教育研究の在り方について,大きなグランドデザインを描くことはもちろん賛成だが,それよりも先にやらなければならないことは,どこかを動かす仕掛けづくりではないか。その波及効果で全体が動くようにならなければ,今のように教員が変わらず,大学の横並び状況が続く中では,変化は起きないのではないかと思う。EUの動き方は日本の大学全体の在り方と対応する部分があり,参考になるものがあるのではないか。
○ 高度経済成長があり,高等教育が必要な社会になったにもかかわらず,それに対する基本的な論議がなかった気がする。ポストセカンダリーエデュケーションをどういう構造にしていくのか,その中で大学とは何なのか,という議論もなされず,独立性がなくむしろ画一性に押し込められた戦後の状況を見てきた。今,私立大学が考えるべきことは,選ぶ大学から,選ばれる大学にならなければならないということであり,選ばれるために,他の大学がやっていないことを教育としてどう展開していくかが重要である。社会だけでなく,入学者も多様化している。画一的な教育を行えば,脱落者も出,高等教育がつまらないということにもなる。こういう点を踏まえた基本的な論議が必要。
○ 現行のあり方にとらわれない議論をしたい。現在,大学の役割分担は明確ではなく,一つの大学が多くの役割を担当し,一つの役割も十分に果たせていないというのが現状ではないか。理想的な姿はどうであるかを議論することは非常に大切。医学部では,臨床医になる者が午前中は患者を診て,午後は実験をするといった,MDであると同時にPh.Dでなければならないような現状にあるが,他の分野の同じような状況も含め,こういったことが良いのかということを徹底的に議論する必要がある。また,大学の自由や自己責任の問題,給与,予算面も含め,現行にとらわれない抜本的な議論が必要。
○ 21世紀の大学がどうあるべきかについて理想を掲げるべき。ここ10年で規制緩和が行われ,大学は変わろうと思えば十分に変われるようになってきており,実際に各大学がどう取り組んでいくかにかかってきている。そういう意味で,各大学はこれまで怠慢だったと思うが,一番の問題は,教授会や各教員の意識ではないか。教員の研究分野と教えるべき内容とには大変な開きがあるが,その点を踏まえず,昔と同じやり方で教育をしていては,学生はついてこないし,進むべき分野も見失う。そのことをしっかりと踏まえ,大学はどういう人材を養成し,どういう教育をするところなのかを考える必要がある。また,日本を維持していくために踏襲していくべき学問分野があり,それらの研究分野を国家として押さえていくことも必要である。学長がリーダーシップを発揮できるよう,どう改革するかも大きな課題であると考えている。
○ 30年前に比べ,明らかに学生の質が低下していると感じる。これは,大学の責任というより,18歳以前の教育の問題なのではないか。しかし,学生の変質の一番大きな原因の一つは,入試の問題ではないかと思う。本は読まない,数学は暗記科目化する,という状況の中では,没個性的になるのも当たり前である。
○ 意識の陋劣さと知識の細分化は,現在のリーダー層も含め,人々が戦後50年の教育に染まってきた結果だと思う。また,理想論も大事だが,21世紀当初の10年は現状の延長であり,その10年で何ができるかということをはっきりさせなければ,その後のことも絵に描いた餅になってしまう。理想論が通用するのは,21世紀後半の50年くらいではないか。今後の理想はいつ実現するのか,その間に何をすべきかをはっきりさせる必要がある。
○ 大学の裾野が広がり,その中で様々な問題が起こり,多様化を中心とする大学改革を行ってきていることは,我々が共通に認識するところであろう。ただ,それだけでは何か不足しているのではないか。現実に起こっている問題を実質的に受け止めた上で改革を進めているかどうかについては自信がない。何かしようとすると自縄自縛になっているのではないかという問題がある。知的なるものの状況が変化する中で,大学の位置付けという基本的な定義ができてないのではないか。知の責任が問われる中,その責任に関心を持たない非知的な状況があるのではないか。大学には協会があるが,それは一種の代表制であり,学会も同様である。したがって,個人や大学がどう責任をもつのか意識しないで生きていける状況ができあがっている。誰が何に責任を持つのかをはっきりさせなければ何もできない。教養のない者,客観的自己規定ができない者に教育はできないのではないか。日本の学者は細分化の中に閉じこもっていて,その中でしか責任をとらない。自己規定をする学者は細分化に異議を申し立てるべきだが,反対に荷担している状況にある。
そこで,何をすべきか,何ができるか,何をしなかったかを知っているのはこの場にいる人達ではないか。厳しい目をもって,これからの大学の在り方について,理想像でもなく,具体的すぎる政策提案でもない別のものを見つけなければ,新しい大学の位置付けは見えてこないのではないかと考えている。
● 時代は継続しているものであり,先の理想を語ることが現在を語ることであり,現在を語ることは,理想にたどりつくことであると思う。明確にどうしてほしいという目標を申し上げなかったのは,方法論から議論してもらい,皆様の意見を尊重して考えていきたいとの思いからである。今日の議論の中に,今後語ってもらいたい事項の多くが入っているように感じる。これからも御協力願いたい。
● 今後とも皆様の意見を伺い,大臣を補佐していきたい。
(7)次回の日程については事務局と調整の上,後日連絡することとなった。
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