防災教育支援に関する懇談会(第6回) 議事録

1.日時

平成19年7月20日(金曜日) 14時30分~17時

2.場所

文部科学省ビル4階 宇宙開発委員会会議室

3.議題

  1. 防災教育支援に関する懇談会 中間とりまとめ(案)について
  2. その他

4.配付資料

  • 資料6‐1 防災教育支援に関する懇談会(第5回)議事概要
  • 資料6‐2 防災教育支援に関する懇談会(第5回)における主な意見
  • 資料6‐3 防災教育支援に関する懇談会 中間とりまとめ(案)

5.出席者

委員

 林座長、今村委員、川本委員、小林委員、諏訪委員、中川委員、永山委員、福和委員

文部科学省

 青山大臣官房審議官、増子地震・防災研究課長、渡邉防災科学技術推進室長、滝防災研究地域連携推進官、奥地震・防災研究課長補佐 他

オブザーバー

(外部有識者)
 五島総括研究官(国立教育政策研究所)

6.概要

冒頭

 ‐青山審議官、増子課長より挨拶‐

 ‐資料6‐1、6‐2に関する説明は省略‐

【林座長】
 できるだけ議論に時間を割くということで、前回の議論を振り返る際には参照することとする。

議題(1)防災教育支援に関する懇談会 中間とりまとめ(案)について

‐事務局より資料6‐3のうち、以下の3項目について説明‐

  1. はじめに
  2. 検討の背景
  3. 防災教育支援の基本的考え方

 以下、資料6‐3上の表現として、1つ目の○を1○、2つ目の○を2○等に略記する。

【林座長】
 まず私案から説明する。科学技術的なところを論理的に根拠づけないとまずい、ということで作成した。8つパラグラフがあるが、最初に考えたのは5番目のパラグラフである。どういう論理かということだが、5番目は、私たちの国が防災力の低下を経験しているという認識を書いてある。20世紀後半に、日本もそうだが世界全体に、これまでの歴史上で初めてというような急速で大規模な変化を経験している。この50年で世界人口は3倍になっているし、経済規模は飛躍的に拡大しているし、交通・通信の発達で世界は一つの共同体になっている。そうした変化をリードしてきたこの国だが、この国自体もこの50年で、一次産業主体の構造から、二次産業、三次産業主体の国へと変化しているし、一億総サラリーマン化のようなことが進んでいる。それに伴って、都市への人口集中、核家族化、地域社会の弱体化といったことが顕著になってきている。
 昭和33年、テレビが爆発的に普及することによって、迅速・膨大な情報の提供が可能になり、文化の画一化も飛躍的に進んでいる。そういう、戦後の50年くらいの間に起こった非常に大きな変化というものをどう認識するかということであるが、我々はこれまでとは似て非なる状況で、これから大きな自然災害の脅威にさらされようとしている。経験したことのないような災害であるから、当然新しい問題が出てきたり、その解決が求められるが、今まで使えると思っていた、当然の常識が通用しないような事態があるかもしれない。そこで求められるのは、合理性・論理性に基づいて防災・減災の問題に取り組み、実証的な検証を通した有効な知見・技術を体系的に整理し、人々に主体的に防災・減災に向けた態度を育成していくことではないか。それを言い換えると、我が国が今後将来を託そうとしている科学技術立国と同じものではないかと。そういう考え方を防災・減災に当てはめてみて、人々が科学技術マインドというものを持って、主体的に防災・減災力を高める方策を整備する、そのための戦略を考えていかなければならないということを、冒頭に書いたらどうか。
 それ書くには、いきなり国難とは何かということを書かねばならないから、今後30年ですごい災害が来る、というような記述が前にいる。そして、それだけでは何もしていないみたいだから、これまで延々とやってきたし、国も地方も頑張ってきたし、かつ住民にも災害文化というものがあったではないか、という前ふりをして、なぜそれが生まれてきたかというと、やはり災害が多くあったからであり、日本は災害大国であるというところから話を始めている。それなりの努力をしてきて、そこそこ出来ているという思いはあるが、でも依然として被害はなくならない、次はもっとすごい災害が来る、さあ頑張らねばというときに、この50年はとてつもなく社会は変わった、自分達の前の世代が当然と思っていたことをそのまま引き継いで無自覚的にやってはだめなのだと。もう一度全部をレビューして、いいものだけに淘汰して、体系的に、しかも自分達が主体的に取り組めるように頑張るというところを掲げることが、科学技術をベースにおいた防災・減災の推進になってくるのではないか。これをはじめに、のところに入れてはどうかというのが私案である。
 まず、これについてお伺いする。

【中川委員】
 これを数行にまとめなければいけない。

【林座長】
 それは事務局か中川委員でお願いしたい。論としてはこういうものである、ということである。

【中川委員】
 できればこれに、能登半島や中越沖、特に中越沖については3年前に起こったばかりなのにまさか、という声が聞こえるくらい、すぐ忘れてしまっていることを加えてほしい。

【林座長】
 それを言うと、北海道でも続けてあったし、あまり深く立ち入らずに、さらっと続発しているということを指摘してはどうか。

【中川委員】
 マスコミ的に言うと、そういう言葉がどこかにあると書きやすいということはある。

【林座長】
 2の検討の背景の1○に、最近多い災害についてはリスト化してある。ここに「多い」とか「増えている」ということを入れればいいと思う。この私案はメモであるから、そのまま入れろとは言わないが、こういう論旨で科学技術に基づく防災・減災を進めるということが不可欠だということを強く訴えてはどうか。

【福和委員】
 第5パラグラフだけでもこのまま入れたいところである。

【林座長】
 要は、「弱っている」ということ。最後の災害文化は割と大事なキーワードであるが、無批判的に入れようという話になっているから、一度精査をして、新しい災害文化として根付かせようという知的なプロセスを介在させる必要がある。災害文化はあるが、それは使えないかもしれないというふうに振って、それをもう一度立て直す、という。

【今村委員】
 災害文化は過去の経験での成果である。そうではない、将来の予測値を入れる必要もある。

【中川委員】
 文化だけではなく、従来の防災教育が目指してきたことはまさに生きる力に書いてあるようなことだが、それが現実に行われている、例えば避難訓練プラスαくらいのことしかなされていないことをどこかに入れておきたい。これまでのものがなし得たもの、そこに科学技術がサポートすれば、質的に高いものになるという発言を、はじめに、のところか、どこかに入れておきたい。

【林座長】
 入れる方向で考えてもらっても構わないか。
 それでは、あまりこれにこだわっていても仕方ないので、2つ目の大きなポイントとして、諏訪先生のご意見の2ページ目の冒頭のパラグラフにある「生かされない反省」を、2.検討の背景の2○の締めの言葉になっている「生かされない教訓」に踏み込んでいる。これは納得いただけるだろうか。

【諏訪委員】
 ここの部分で、いい言葉を、という依頼があったので考え、入れていただいているのが「生かされない教訓」と「仮想的安心感」という言葉である。「仮想的安心感」というのは既存の言葉を持ってきたもので、今の若者が自分が有能でもないのに有能である、優れていると思い込んでいるという、名古屋大学の速見先生の「仮想的有能感」という言葉を使わせていただいている。いろんな市民の方と話をすると、「仮想的安心感」というものがぴたっと当てはまる。
 反省と教訓であるが、反省のレベルではないだろうと感じ、教訓の方がいいだろうと。しかも残念ながら、生かされている部分はたくさんあると思う。備えには全く生かされていない面があり、事後の支援には多く生かされている気がする。あとは文脈、全体の方針の中で考えていただきたい。

【林座長】
 仮想的安心感という言葉も、さほど突飛ではない。要は、根拠のない安心感ということだろう。
 英語で言えば、illusiory controlという言葉がある。本当は自分は何もコントロールできていないが、本人は出来ていると思っている、という。illusioryが仮想的という言葉のもとにあると思うが、そういう意味ではよく分かるし、そうでなければ「根拠のない安心感」みたいなことになると思う。もう起こらないだろうと安心していたら寝首を掻かれたということがある。
 3.防災教育支援の基本的考え方については、あまり議論がなかったが、これでいいだろうか。1.防災教育で目指す能力を育む、2.防災への自発的・能動的な取組を促す、3.「災害文化」を発展・浸透させる、とある。先ほどの議論で言えば、3にあるように、最新の知見を反映し、現代の科学技術と融合させながら、持続的に発展させ、浸透を図る、ということになるのだと思う。

【福和委員】
 てにをはについてであるが、1.はじめに、の1○にある「これまでの5回の」は「これまでの6回の」に変える必要がある。2ページ目の2○の最後に、「活用できる教材等がない」とあるが、できれば「活用できる教材や場」とした方がいい。そうすると、人と教材と場になるので、そのくらいがいい。「等」はあってもなくてもいい。
 3ページ目で、いろんなところで「手」は漢字で書かれているが、3行目の「受けて」は平仮名になっているので、漢字にする必要がある。それからこれは文章があまりにも長いので、「教育に」の前に読点を入れた方がよい。「充実や、教育に」くらいが読みやすい。それから、防災教育支援であるが、1.だけが支援が付いていて、2.と3.には支援が付いているとおかしくないか。2.の最初は「防災教育を通じて」ではないか。3.も、3行目は「防災教育支援を通じて」ではなく、「防災教育を通じて」の方が読みやすいと感じる。最初に防災教育支援と言っておけば、そのためにやっていることで、その後は教育そのものについて話していても叱られないかなという気がした。

【川本委員】
 文章全体を通じて、「児童・生徒」等の用語がきちんと使い分けられていないので整理してほしい。

【林座長】
 もう1ラウンド回る際に、それぞれの立場から、業界用語がきちんと使われているかは確認してほしい。

【今村委員】
 1ページ目の最後の文章で「被害想定の甘さ」とあるが、その次に「リスク認知の差」も入れていただきたい。私は、発信側も受け手側も、それがかなりばらばらであると感じている。その上で個人の安心感、ということになると思う。

【林座長】
 「リスク認識」でもいいだろうか。通常の「認知」の意味は異なるので、そこまで無理をして心理学等の言葉を使わなくともいいのであれば、「リスク認識の差」としてはどうか。

【川本委員】
 被害想定の甘さというのは誰が対象なのか。通常、被害想定は行政が出すもので、一般の人はそれに対する認識が甘いということになるので、「被害に対する認識の甘さ」としてはどうか。出す側と受ける側の両方の整理ということであれば、今村委員の意見がいいと思う。

【林座長】
 想定の甘さ、という過小評価については、逆に過大評価しているケースもあるが。また、甘さというより、測れるものしか見ていないとか、目をつむっているという甘さもある。「被害想定の甘さ」、「リスク認識の差」、あるいは温度差でもいい。

【福和委員】
 「被害想定やリスク認識の甘さ」というくらいにしてはどうか。

【林座長】
 では、そこはそれでいくこととする。

【諏訪委員】
 ここの行だが、理解が不足していたり認識が甘かったり、仮想的安心感を持っているのは住民側であるということか。

【林座長】
 今は両方入っている。社会全体として、行政も甘いし、住民も甘いという。そういう文言は足した方がいいか。「社会全体として自然災害に対する理解不足、被害想定やリスク認識の甘さ、「自分は災害には遭わない」という「仮想的安心感」等が存在し」ということだろう。

【五島研究官】
 防災科学技術という言葉が特別な言葉、テクニカルタームなので、前回メールか何かで「防災に関する科学技術を「防災科学技術」という」となっていたと思う。最初に、「防災に関する科学技術」とし、以下は「防災科学技術」と略すということを記載してはどうか。

【林座長】
 1.はじめに、のところに記載することとする。

【滝推進官】
 事務局としては端的な用語を、という認識があり、そういう表記にしている。

【渡邉室長】
 確かに法令ではそのようは表記をするが、私の役職にも入っていたり、防災科学技術研究所があったり、この業界ではある程度通る言葉ではないかと考えている。

【林座長】
 五島先生の意見は、世界や広く一般を見た時に、特殊性があるということではないか。

【五島研究官】
 防災科学技術というと、防災だけの科学技術に見える。科学技術の中には、防災にも利用できるし、防災以外にものにも利用できる技術があると思う。いろんな科学技術がある中で、こういうものは防災に利用できる、こういうものは防災に特化したものだ、といことを広く含むためには、「防災に関する科学技術」とした方がいいのではないかと考えた。

【林座長】
 むしろ、科学技術というのはある一つの考え方であったり、方法論やものの進め方であるから、それを防災という分野に当てはめてやっていると。そうすると、いくつかの部分は制限化したり特殊化するかもしれないが、本質的には「これだけにしか使えない科学技術」とか「全体に使える科学技術」という分け方はないと思う。科学技術というものをどう扱うか、というときには一つにしておかなければまずいのかなと。それをそれぞれの分野に当てはめて、実用化・実体化しているというか。

【中川委員】
 でも、防災科学技術というと防災科学技術研究所しか見えてこないので、最初に「関する」くらいのことは振っておいてもいいと思う。

【林座長】
 では、1.はじめに、の10行の中に上手く書いてほしい。

【中川委員】
 2ページ目の2○の後段くらいに入れればいい、「一方で」の前あたりかと思うが、生きる力は我々は議論に加わっているのですっと入ってくるが、昨日も改めて話をしていてそうだなと思ったのは、「積極的な取組が行われている」というプラスの評価をしておいたわけであるが、そのあと、「熱心な取組が行われていない地域等では」のあとに、例えば「学校では依然として校庭への避難訓練にとどまる等、自ら学び、考え、主体的に行動できる人間を育成するという、生きる力を育む防災教育の上記の方針に添ったものに至っていないところが多い」、そして「これらの背景には、防災教育に携わる人材の不足や、活用できる教材や場等がないといった課題が指摘されている」と。そして、次のパラグラフで、だから支援が必要だ、と持っていくといかがかなと思った。

【林座長】
 それに対する対案を。生きる力というのは、前提になっており、先日も事務局と議論させていただいたが、行政文書の慣習なのかもしれないが、古いものを繰り返さないということがあるらしい。私の趣味から言えば、生きる力というものは中教審の答申にあったものなので、再建してもいいと思っている。それは、文言として、この精神は正しいと言って、しかしやっている実態は貧弱、みたいなことを評価して、もっと頑張れということではないのか。そういう意味で言うと、これだけを読んでも不勉強な人は、生きる力が何か分からない。関係者は知っているかもしれないが。そうすると、何をもって生きる力を定義するかというときに、中教審はかなり力を入れて書いているので、一つのポツ(○)として書いてしまえば、精神、方向性、考え方としてはすごく正しいと思うという懇談会としての支持をし、それを防災分野でどう具体化するかというときの試みはまだまだ貧弱だと。防災訓練だけ、とまで言わなくてもいいと思う。

【中川委員】
 分かっていない人に、これではいけないのだということを分からせるためには、必要ではないか。

【林座長】
 再度修文の中で検討するが、生きる力の定義を表に見せる、それからその方向性を支持するけれども、具現化・具体化する方法として貧弱だという評価をする。

【中川委員】
 だからこそ、サイエンス、科学技術の支えが必要だと。

【林座長】
 事務局には、懇談会から出ている、ということでプレッシャーをかけたい。そのあたりを膨らませて書いてほしい。

【中川委員】
 場合によっては、欄外に定義を小さく書いてもいい。

【五島研究官】
 今、生きる力の定義を再掲するということだったが、確か前の議論で防災教育をどう定義するのかということを決めようという話があったと思う。この文章では、防災教育とは、ということが暗黙の了解で進んでいて、防災教育支援については定義がされているが、防災教育の定義は見当たらないので、生きる力の定義と同様に、防災教育とはこう考える、ということを書いた方がいい。

【林座長】
 生きる力というものがある、それを防災という場の中で子ども達に実現させていくということ。その試みが防災教育である、という定義があればいい。

【奥課長補佐】
 2ページ目の下の(1)の1○が防災教育の定義になっている。生きる力についても書かれている。

【川本委員】
 私もそこに「生きる力」の定義を出してほしい。その上で、(1)の○の中に、下から3行目に「といった「生きる力」を涵養し」と受けているが、そうすると1から4が生きる力となってしまうので、「安全・安心な社会を構築する能力を有する問題解決能力の高い人材、さらには「生きる力」を備えた人材を育成し」というふうに離し、こういう問題解決能力を有する人材、それをさらに膨らませると生きる力、という形に直していただければと思う。

【林座長】
 「といった」の前を、「防災教育は防災あるいは減災という分野の中で生きる力を涵養し、能動的に防災に対応することのできる人材を育成するためのもの」とし、具体的には今のこの中身を書けば、五島先生の件もクリアできる。

【川本委員】
 2の最後の○で、担い手やつなぎ手の育成、気づきのきっかけづくりと書かれているが、これは検討の背景なのかどうか。検討を進めてきてこんな話が出てきたのではないかと。「このため、国として、今までの内容を受けて防災教育を支援するための具体的方策について検討を進めることとした」としておいて、後にとっておいてはどうか。

【滝推進官】
 この部分は、結論めいた内容に触れておくことが必要という意見があり、ここに書いているものであるが、ご指摘の点も確かにある。

【林座長】
 これは、全体を読んで一番いいところに置くこととする。
 エグゼクティブサマリーみたいに、全部こんなものを読めと言っても普通は読まないから、ここまで行った、ということを見せたいという気持ちも分かる。

【川本委員】
 前出しがいいということであれば、それでも構わない。
 もう一点だけ。3ページの(2)の3.の災害文化について、「「災害文化」とも言うべき知識を築いてきている」とあるが、災害文化はもっと人の営みとか科学的な整理も入っていると思うので、知識と言ってしまうと災害文化が矮小化されている感じがする。「災害文化を築いてきている」と言ってはおかしいか。知識だけが災害文化と読めてしまうので。

【林座長】
 それでいいと思う。
 では、次に行きたいと思う。

‐事務局より資料6‐3のうち、以下の2項目について説明‐

  1. 現在の防災教育における課題
  2. 防災教育の現状

【林座長】
 4ページの1○で、前回5つの人に分かれていたのが3つになっている。その背景にあるのは諏訪先生の指摘であり、そのソリューションに合わせると3つでいいのではないかというのが事務局案であるが、ここは大変重要なところなのでここから議論を始めたい。

【諏訪委員】
 私自身は5つに細かく分類して挙げたのだが、要は気付いていなくて何もしていない人と、やろうと思っても方法や教材等が見つからない人と、いきいきとやっている人、それをもっと細かく分ければ5つになるのだが、3つでも言いたいことは伝わっているのではないか。特に3.がやっている取組が2.、1.を刺激し、メールでは起爆剤という言葉を使ったが、その起爆剤になる可能性があるということをしっかり押さえるのと、こうして分ければ支援がどこに必要かということがはっきりしてくると思う。いきなり1に支援を持っていっても猫に小判になるので、2.か、あるいは3.を通して2.、みたいな押さえ方があれば3つでもいいと思う。学校の先生以外からはその方が分かりやすいかもしれない。ただ、それぞれに対する支援策は異なるということはしっかりと押さえておく必要がある。

【林座長】
 割と事務局案を容認するご意見であったが、反論はあるか。

【中川委員】
 諏訪委員の意見のように、1.にいきなり、ということが難しいことは分かる。2.をターゲットに、3.を通じてもっていくという考え方は分かりやすい。

【永山委員】
 先日の案の1.2.と、3.4.は仲間だと思った。その人達への支援は何らかの同じ目的を持ってやることになるのだろうと考えていたので、特に違和感はない。

【林座長】
 3分類にすることについては、一つ不満がある。4ページの1○の2.の定義である。「「担い手」・「つなぎ手」が見つからない人」をここに入れてしまっているのは、全部をぶち壊しているのではないかと。1.がどういう人かというと、まだ気付いていない人である。2.がどういう人かというと、担い手になってくれた人である。3.はどちらかというとつなぎ手みたいなことではないか。2.で「「担い手」・「つなぎ手」が見つからない人」としてしまうと、2は担い手ではないということになってしまうから、担い手というのは、必要性に気付いて、やろうとして一歩踏み出した人は担い手であるという定義の方がいいのではないか。そのときの問題として、一人でやっているとつらいものがあるとか、なかなか上手くいかないとか、という不満があると。それを上手くこなしている人がいる、それは何かというと、実はつなぎ手に徹している人達が上手くやっているというふうに、ここで担い手、つなぎ手というものの定義を具体化する場ではないかと考えている。3つのカテゴリーとすることは気に入っている。だから、1.は気付いていない人、2.は担い手になってくれた人、3.はつなぎ手の要素を持っている人、とすれば、つなぎ手の要素を持てれば、実は防災教育は非常に上手くいく。なぜかというと、非常に他分野にわたる世界であるから、分野横断的な、あるいは分野融合的であるから、一部の専門家であるからできるというものではない。いろんな分野の人のタレント(知識)、スキルを集めた時に、非常にいいものになるということは売るべきではないか。そういうものは必須なのだと。そうすると3.はつなぎ手をハイライトするためのカテゴリーにしたいし、2.をぜひ担い手と呼びたい。ここに「「担い手」・「つなぎ手」が見つからない人」と書くことには敢えて異を唱えたいがどうか。

【諏訪委員】
 2.が担い手となったときに、担い手も非常に濃淡があると思う。3つにすると、真っ黒も真っ白も、少しのグラデーションも全て同じになってしまうということはある。

【林座長】
 中をとって、4つに分けるということもある。1.気付いていない人、2.気づいているがやり方が分からない人、3.始めてみたがどういうものを使えばいいのか、面白いものが見つからないという人、4.上手くやっている人、という。そして、3.は防災教育の担い手になってくれている人達、4.は防災教育が分野横断的な問題だということを理解して、それを上手く集められている、要はつなぎ手の人と定義すれば、今の濃淡は出せる。

【中川委員】
 若しくは、わざわざ分けなくても、担い手になっている人と担い手予備軍というか、2.の人は担い手であったり担い手になろうとしている人であるとすれば、3つでもいいような気がするが。
 4つにすると、2.の人が宙ぶらりんになってしまう気がする。この人にはどうしてあげればいいの、という。逆に3.と4.が仲間みたいに見えてしまう。

【林座長】
 その場合、2.と3.は気付いた人、という整理になる。担い手には、幼稚園くらいのレベルから、マスターまで、もっと言えば初級から黒帯まででもいい、そういう段階があると。

【永山委員】
 それであれば、1.2.と、3.4.を一緒にした「担い手」、「つなぎ手」の項を作るというのはどうか。

【諏訪委員】
 原案の3であるが、いきいきとやっている人は実はつなぎ手だけではなく、担い手でもあり、なおかつつなぎ手に気付いた人もいる。

【林座長】
 そこの文章は足してほしい。いろんな分野の知恵や知識や技術を上手く組み合わせて、はじめて膨らみのあるものになる。チャレンジプランで、チャレンジプランが入っていないことは事務局に対するもう一つの不満であるが、ああいう場で大賞をもらうような人達を見ると、本当に組み合わせが上手である。3.のところに、「担い手であるのに加えて」のような表現を加えてはどうか。そうすれば、2.が担い手であり、どうすれば、何が付加されればいいものになるかというふうに見せれば、それはつなぎ手の要素であるということになる。

【中川委員】
 それぞれのステージに対して、科学技術的な何かが入っていけば、ステップアップするお手伝いができる、ということである。

【林座長】
 頑張っている多くの人が陥っているのは、自分は地学だ、だから地学教育で、というところに限界があるいということではないか。例えば地学は2時間、あとは○時間、というパッケージ化がされると、上手くいくということだと思う。

【永山委員】
 「面白い教材や、指導者が見つからない」としてはどうか。人材、ネットワークの対象が何なのか。いきなり「つなぎ手」が見つからないと書くと分かりにくいかもしれない。

【中川委員】
 2ページの2○にある、「防災教育に携わる人材の不足や、活用できる教材、(場)等」の言葉を持ってきてはどうか。

【林座長】
 これも手はあって、防災教育に関わる可能性がある人の類型としては3つあると。第1は気付いていない人、第2は担い手の人、第3はつなぎ手の人。気づいていない人は~と書き、担い手の人は~と書き、つなぎ手の人は、担い手の要素に加えて~と書けば、一個の文章に書こうとしているから大変なのであって、最初に3つだと定義し、名前を挙げて3つの性格を説明すれば書けるだろうと思う。
 これはすごく長い一文になっている。非常に官僚的である。

【福和委員】
 ここの文章は全体的に長い。

【林座長】
 丁寧に書いてくれているからだが、要は言いたいことは、3種類ある。それに名前を充てたい、それが抜けている。そして、付けた名前に性格付けをする。気づかない人は1.の文章が入る。担い手は2.の文章から「「担い手」・「つなぎ手」が見つからない人」という部分を削除したものが入る。つなぎ手は、担い手の要素に加えて3.の要素が入る、という定義にすれば文章は3つで整理できる。そうすれば、2○が生きてくるはずである。3.が2.を刺激して、支援して、そういう担い手・つなぎ手が1.を気付かせる。担い手・つなぎ手の性格付けもはっきりするし、いいのではないか。
 担い手・つなぎ手は、最初の結論めいたところに少し出ているだけで、本当に議論しているのはここからということになる。4.(1)の1○だから、まさしくここに定義してやればいい。

【中川委員】
 担い手は様々なレベルがいてよくて、学生レベル、大学院レベル、教授レベルの担い手もいていい。

【林座長】
 志してくれれば、大学メタファよりはこういう武道家メタファの方がいいと思う。黒帯みたいな人とか、名人みたいな人とか。入門者から有段者まで。

【中川委員】
 まさに舞子モデルであるが、高校生が受け手ではなく担い手になることによって、彼らが育つし、また地域なりいろんなものが刺激され育っていく。そのあたりのことが、入門者から有段者までステップアップしていき、そこに支援がいろいろあればステップアップでき、担い手だったのがつなぎ手になっていくというか。

【林座長】
 それは諏訪委員の意見の中で、最後の方にそういう指摘をしていて、ただそれはこの○に入れるのではなくて、4の中にその○を増やしてやればいい。教師が教える担い手だけではない。能動的学習であるから、基本的には。自分が調べて、自分が教えるという経験は誰でも持てるわけで、実はその子自体が防災教育の担い手になっているという説明をどこかに入れるといい。能動的学習がどういうものか、具体的なイメージとして定義されていないから、今みたいな例を入れてあげることによって、能動的な学習は防災教育の担い手を作っていくことだと。それは、入門者から有段者までいろんなレベルであるけれども、オリエンテーションとしてはもう担い手になるのだから、その層がうんと膨らんでいけば、気付かなかった人に気づかせることができる。例えば小学校では、学校で防災を取り上げると、家へ帰ってお父さんお母さんに言う。あれが結構効くというのは、担い手が子どもで、気付かないのが親で、それを気付かせるからである。中川委員の言いたいことはそういうことか。

【永山委員】
 それが6ページの一番上に書いてある。

【中川委員】
 「将来の担い手やつなぎ手として育てる」とここに書いてあるので、これにつながるような言葉を、一言どう入れればいいのかなと。

【林座長】
 4ページの3○、4○は全部「担い手」・「つなぎ手」になっている。今の議論を踏まえれば、担い手の議論も深めることができるし、つなぎ手の議論も深めることができるから、今はここが場で整理されているが、もう少しここは整理できるかもしれない。

【中川委員】
 そういう意味では、3段階にしてはどうか。2段階目のところに少しそういう表現をして。

【林座長】
 それでいいか。

【小林委員】
 些細なことだが一つ。
 4ページの1○で、「面白い教材」というよりは、「効果的な教材」とした方がいい。
 それから、下の方にある「それぞれに応じた防災教育の在り方」については、「防災教育支援のあり方」ではないか。

【諏訪委員】
 課題全体を通してだが、○○が不足しているとか○○がなされていないとか、読んでいて暗くなる。暗くなる原因は、我々がそういうことを発言したからだと思うが、それら全てに対案を作ることはできないが、2つほど提案した。要は、人材の不足が課題であり、その育成が急務であるという前向きな書き方にしてはどうかということ。気になるのは、課題という言葉は何を表しているのかということで、問題点の指摘なのか、解決策の方向性の指摘なのか。できない、できないでは問題点の指摘だけで終わっている気がする。今回の文章ではそれが変わっていて、○○の指摘がある、○○の指摘がある、となっているが、この「指摘がある」という表現は主体性がないように感じる。指摘をしたのは我々であって、指摘があるという人様が言ったような逃げ方をしているように感じた。これは4の課題全体に関わることであるが、書き方のトーンは揃えた方がいいのではないか。

【今村委員】
 8ページの6に基本的戦略があるが、これとのバランスも考えねばならない。

【川本委員】
 以前にも言ったが、課題の中に○○が必要である、と次第に方策が入ってきてしまっていたので、事務局がはっきりと課題を書いてくれたのかなと。それから、文末に「指摘がある」としているものと、そうなっていないものがあり、どのように使い分けているのかなという点を質問したい。

【林座長】
 まず、「指摘がある」というものを、削除することとするか。懇談会の責任で指摘しているのであれば。

【滝推進官】
 理由としては、我々のもとにこういったことを指摘している資料がなく、この懇談会の中で委員の皆様から指摘いただいていることなので、本会において指摘がある、というスタンスをとっている。バックデータは何か、という話になると、定性的あるいは定量的な資料がない。

【林座長】
 それであれば、4の(1)の前に、一文はさみ、「今回の懇談会を通じて、防災教育に携わる各方面の委員が議論をした結果、以下のような問題点を指摘できた」ということを書き、自分達が指摘した、明示したという主体性を示し、指摘した内容については繰り返しをしない、結論だけを書くという方法はある。

【福和委員】
 文章がつながっていないところがいくつかある。4ページの2○で、「学校や地域等の「点」で行われるのみに留まることが多く」とあり、その後に「面的なネットワークの構築」となっているが、点と点とのネットワークの話が抜けていて、全部防災部局や教育委員会になってしまうので、他の学校や地域とのネットワークも入れておかないとまずいかなと思った。
 それから、3○で、「橋渡しできる人材」こそがつなぎ手なので、上は「担い手」となるべき人材にしておいて、「教育に携わる人との間を橋渡しできる「つなぎ手」としておいてはどうか。また、括弧内は教職員と防災関係者だけになっているが、自然科学の知識を持っている側の人もつなぎ手になれるので、後々大学を使おうとするのであれば、研究者も入れておいた方がいい。
 それから、4○で、「場づくりや取組に対する評価も十分になされていない」とあるが、前の文章を読むと、最初は場づくりが必要だ、その次は人づくりが必要だとあるので、「場づくりや人づくりに対する評価も十分になされていない」とした方が、文章としては明快になると思う。
 それから、最後のところが上手く直せなかったので直していないが、「そのような防災教育の側面を発見できるような」の「防災教育の側面」が何かというと、大切さや理解させることなのだろうか。直せなかったが、直した方がいいと思う。

【林座長】
 要するに、気付いていない人に気付かせる方策をもっとやりなさいということ。そういうふうにしてしまった方がいい。気付いていない人に気づかせる機会としての研修が十分に行われていない、ということかも知れない。
 暗さを消すべきという諏訪委員の意見に対しては、2つ提案がある。もう少し時間をかければ出てくるだろうということも含めて言って、○○されていないというネガティブな止め方に対して、○○に対しての分析が必要になる、という表現や、あるいは○○が急務だ、という表現と、○○をやらなければならない、という表現のどれがいいだろうか。言い切るというのも手であるが、あまりやりすぎると次の現状のところの試みが浮いてしまうということもある。

【川本委員】
 これが課題だ、ということをはっきりと書き、ではそれに対して、という書き方でいいのではないか。

【林座長】
 課題のみの言い切り型か、ここで(対策等が)急務だと言ってしまうか。

【中川委員】
 こういう課題がある、と言い切った方がいいのではないか。

【林座長】
 では、こういう課題がある、という言い切り型にすることとすることを提案する。

【渡邉室長】
 その方向で関係部局とも調整させていただくことにする。

【林座長】
 次の具体的なコンテンツの部分、これは諏訪委員が文章の中にも書いてくれているが、補足説明をしてほしい。「ミニマムスタンダード」、「素材」、「コンテンツ」といったものをどこに配列するのかが書かれていない点。

【諏訪委員】
 5ページを読んで、これから防災教育をやろうという人が、学校の中で例えばどの時間を使えばいいのかという点が全然見えてこない。ミニマムスタンダードがあるとして、学習指導要領で教科の中に明示するのか、あるいは総合的な学習の時間の例示をするのか、そのあたりが見えていなくて、かなり痒いところを遠くから掻いているような気がする。この懇談会としてどこまで踏み込めるか、つまり学習指導要領の中身にまで入れるのかということもあり、どうかなという皆さんへの問いかけである。

【永山委員】
 ここは課題なので、今はないということで、6の9ページの3.に書けるかどうかということになるのではないか。

【林座長】
 今の永山委員の提案はどうだろうか。すごくいいソリューションであると思う。ここはこんな課題があると言い切ってしまったのだから、指摘として、我々がどこに置けという提案をするわけではなくて、一応指導要領にも書いてあることは書いてあり、そこの指摘ではなくて、諏訪委員の話では、これは急務だ、ある程度方向性を出せということだったからここへ来ているが、今のように問題指摘で止めようということであれば、諏訪委員の指摘は永山委員が言ってくれたように次の9ページの3.の中に入れた方がいいと思うので、そうしてはどうか。

【福和委員】
 5ページの2○で、「防災教育の素材やコンテンツについては」というところが、最初の防災教育とはという2ページの順番と違うので、2ページの順番に合わせて、最初が科学的な知識、2つ目が災害の話、3つ目が助け合う心、というようにした方がよい。また、この文章については全体が読めていないが、文章の構造ができていない気がするので、後で修文しましょうという提案である。
 3○は最後のところ、「将来の課題を自分の力で解決する方策を学習させる」とあるが、高校生が将来の課題を解決するのか、あるいは具体的な課題を自分の力で解決するのか。防災教育であれば将来ではなくて、具体的な課題か何かと思ったが、これは防災教育の定義に倣って、後で考えた方がよい。将来というのは、将来地震が起こるという意味での将来を書いてあると思うが、防災教育であれば具体的な防災・減災の課題を自分の力で解決することもあるかなと思った。

【川本委員】
 防災教育でできることを広げすぎている感がある。

【福和委員】
 4○については、後でチェックをしよう。地球シミュレータ等のシミュレーション結果が何のシミュレーション結果かが見えないのと、地盤構造・住宅構造云々の災害シミュレータというのも長いので、考える。その後の、土木構造物や建築物などの人工物もこの話に関わるので、どちらかに集約かなと。
 それから、防災科学教育と喋るのか、今まですべて防災科学技術と言っていたので、教育になったとたんに防災科学教育にするのか、これも決めないといけない。

【林座長】
 防災科学技術を活かした、あるいは防災科学技術を踏まえた教育プログラムとするか。

【福和委員】
 全部防災科学教育という言葉で統一されて後ろまで続いている。

【今村委員】
 2ページも同様である。

【福和委員】
 防災科学技術教育というのは少し長いかなとも思うし。少し考えよう。

【林座長】
 とりあえずは、防災科学教育プログラムを防災科学技術の教育プログラムと読み替えることにする。

【川本委員】
 5ページの3○で、「学校種別・学年別の学習内容とつながりを発達段階に応じて整理」とし、つながりだけではなく「学習内容」を入れておいてほしい。

【林座長】
 (3)について意見はあるか。防災教育の方法、あるいは防災教育の実践方法というか、実践という言葉を入れてはどうか。

【福和委員】
 5ページの最後で、「○○を発表し、その上で、教員や生徒同士の評価を経て調べなおす等の学校内外の人々とのコミュニケーション取って」というのは文章としておかしいので、「調べ直し、さらに○○のコミュニケーションを取って」とし、これでは能動的学習にならないから、「取って、減災社会を築いていくという能動的学習が必要である」という文章にした方がよい。
 それから、6ページの3○、「PTA活動等を通じ、幼稚園児、保育園児の保護者等の人達に」とあるが、なぜ幼稚園児や保育園児だけなのかがよく分からない。意味がなければ、「PTA活動等を通じ、地域の中で住民が災害時に互いに助け合う精神を育む」くらいでもいいかなと思う。小学校の親御さんも一緒にやってほしいという気持ちがある。

【林座長】
 幼稚園は文部科学省の所管、保育園は厚生労働省の所管ということへの配慮ではないのか。

【渡邉室長】
 そういう整理ではなく、一番上の○で、年齢が上がるに従って、教えられる側から教える側に立つこともあると書いており、小さい子どもであればきちんと保護者が守りなさいという趣旨で書いている。

【福和委員】
 PTA活動を通じてというのであれば、幼稚園と保育園のみが唐突に出てきている気がするので、置く場所を考えてはどうか。

【林座長】
 他を前に置いて、PTA活動を最後にした方がおさまりがいい。

【川本委員】
 PTA活動を通じて小中学校の保護者が参加することも大切で、さらに若い親のために、幼稚園や保育園でも行うことが大事だということにしてはどうか。保育園にPTAはないと思うので。

【小林委員】
 親の会ということはあるが、PTAとは言わない。

【福和委員】
 ついでに6ページの4○で、「学校と地域のネットワークの連携」というのは変なので、「学校と地域の連携」という気がする。ネットワークの連携というのはおかしい。

【川本委員】
 ここの「組合」は具体的に何を指しているのか。

【渡邉室長】
 PTAとか自治会とか青少年団体等の地域の団体の例示として挙がっているだけなので、この場所は明らかにおかしい。

【福和委員】
 これは変えた方がいい。

【川本委員】
 6ページの3○であるが、「災害時要援護者である高齢者を中心に行われ」とあるが、決めつけてしまっていいか。高齢者は全てが要援護者というわけではないので、表現を考えた方がいい。

【小林委員】
 同じところで、「児童生徒や保護者等の参加はほとんどない」とあるが、「少ない」としておいてほしい。
 それから、6ページの1○で、「児童生徒は教えられる側」というところが引っかかる。「学ぶ側」とし、「教える側」を「伝えたり教えたりする側」にしてはどうか。伝えるだけでは少し弱いので。

【永山委員】
 次のところとの関連であるが、7ページの(2)の下2つの○で課題的にかかれている内容が、6ページの3○、4○の内容とほとんど重複しているように感じる。例えば、高齢者中心で参加者が少ないということや、組織間・学校間・団体間の連携についても、両方に書かれているので整理した方がよい。

【林座長】
 ネタが少ないということもあり、気持ちとしては前のところでは概念として出して、ここで実例を挙げているということなのだろう。

【永山委員】
 前回の議論では、この5はいろんな課題がある中でも、頑張っていることがある、というコーナーだったと思うので、この問題だけ重複して書く必要はないのではないか。

【林座長】
 それでは、7ページの3○は、「子どもや現役世代の参加が少ない」というところ切ることにする。(2)の4○は、「中心にではあるが熱心に行われている」と、逆にポジティブトーンにしてあげた方がいい。
 橋渡しをしてもらったので5に移るが、(1)の前に一文あった方がいいのではないか。いろんな問題は指摘できているけれども、それを乗り越えようとする新しい試み、あるいは優れた試みが、いろいろなところで実践されている、以下、そのいくつかを例示する、みたいなことをこの章の性格付けとして書いておけばいい。そういう一文を入れて、以上のような問題点は指摘できるけれども、それを乗り越えようとする様々な試みが各地で、あるいはいろいろな場で行われている。そのいくつかについて例示すると。
 5はどうだろうか。チャレンジプランを入れてほしいというのは絶対にお願いする。

【川本委員】
 バランスの関係で内閣府や消防庁の取組も入れてはどうかと思ったが、座長の指摘のように最初に書いておいて例示するというのであれば、さほど網羅的でなくてもいいかもしれない。

【福和委員】
 eカレッジくらいはあってもいい。
 6ページの(1)の1○であるが、「文部科学省(旧文部省)において」は「文部科学省(旧文部省)は」にしよう。
 7ページの1○で、「さらに、民間企業等においても」とあるが、今のような話を入れると、「民間企業等においても」は外して、ここにチャレンジプラン等が入ってきた方がいい。
 それから、可能であれば、(2)にいくつかの県の名前が出ており、愛知県も出ているから、事例として高校生防災リーダーづくりはこういうところに入れておいた方が得なので、「愛知県での高校生防災リーダー育成」みたいなキーワードが入っていると後ろにつながるかなという気がした。
 (3)までいってよければ、8ページの1○であるが、「理科、社会、体育・体育保健科」と書いてあるが、「体育・保健科」でいいはずで、それから家庭科を入れないわけにはいかない。

【川本委員】
 分けるとすれば、体育と保健体育になる。小学校は体育で、中学校・高校は保健体育である。

【林座長】
 例の生きる力の報告書の中に、家庭科も書かれているはずである。既定の文書があるから、それを見ていただければ正解は出る。

【福和委員】
 家庭科は入っている。

【今村委員】
 7ページの(2)の3○で、ここは具体的なものが少ないので、後で加えさせていただきたい。例えば教本とか防災教育のDVDとか、いろいろあると思う。

【川本委員】
 同じところで、大学や学協会は先進的な取組をどんどん実施しているが、地域の方はまったくだめなように読めるので、分けてもらった方がいいのかなと。

【今村委員】
 地域社会の取組は上にも書いてある。

【林座長】
 言いたいことは、学問の世界でやっていることが現場に反映されていないということなのだろう。

【中川委員】
 ここはポジティブに書くとすれば、そういう書き方に変えた方がいいだろう。

【林座長】
 では、ここを学協会的なものと、地域的なものに分けよう。本当は全て地域の話であるが。逆に、地域ではそういう先端的な研究成果みたいなものを積極的に広めているような例があったら、それをくださいと。

【福和委員】
 防災研究成果普及事業をやったということはまさにそのものである。

【林座長】
 それは全国レベルのところに書いてある。お金を出しているのは全国レベルだが、やっているのは地域という整理であるから、地域に入れてしまえば。
 ターゲットエリアが決まっているというのが地域。オールジャパンで集めたりやったりしているのが全国。そういう意味では、名古屋地域・仙台地域というふうに決まっていたから、防災研究成果普及事業は地域で整理しよう。

【諏訪委員】
 7ページの(2)の2○であるが、大きな地域、中くらいの地域、五本木小学校のような一つの学校の地域という大・中・小という押さえ方であると思うが、神戸市の「しあわせはこぼう」については、兵庫県に「明日に生きる」というものがあり、なぜ市があって県がないのかという発想に加え、「明日に生きる」というのは、「しあわせはこぼう」でも「配付等の取組」とあるが、配付ではない。配付は当たり前で、それをもとに授業を創造していっているという部分がある。「明日に生きる」と「しあわせはこぼう」のどちらがいいのかといわれると、どちらもいいと思っており、それをもとに行われている防災教育の取組は全国の中でもトップクラスだと思っている。実態として、配付だけでなく実践という方に重みを置いてもらえば。配付されるだけのパンフレットは多くあるが、ここはきちんと活かしているので。読本だけではなく、「しあわせはこぼう」は見事なDVDも付いているし。

【川本委員】
 三重県のところも、単なる教材ではなくビデオ教材としておいてほしい。

【中川委員】
 「しあわせはこぼう」を入れたのは、あれはマスコミの関与が大きいので、その意味ではいろんなつなぎ役がいたからできたことである。

【永山委員】
 担い手・つなぎ手の頑張っている例示も必要ではないか。地域や場でいい例示があるので。

【中川委員】
 地域や場の例示の中に入り込んでいるのだろうが、それを見せるように修文してはどうか。

【林座長】
 場もあるから、教育の場は概念として出すべきだと思う。やはり学校の場、地域の場の中で教えるわけであるから、アングルとしてはこれでいいのではないか。

【中川委員】
 この中に、こういう例を通じて新たな担い手が育っているとか。

【林座長】
 教育委員会等が教材を作っているというのは、ある意味では役所と学校、地域と学校にはならないが、つないでいる例として。例えば、鈴木先生達のプログラム学習なんていうのは、結構いろんなものをつなぐいい例だと思う。

【中川委員】
 (2)の3○の大学や学協会等の話のところに、つなぎ手や担い手を増やしているというところを具体的に入れてもらったものを、福和委員や今村委員に短く書いてもらえば、多分そこには担い手・つなぎ手が入るのではないか。

【林座長】
 だから、担い手やつなぎ手の存在が見えるような形で修文することにしよう。

【諏訪委員】
 そういう意味では、チャレンジプランを入れるという話があったが、ぼうさい探検隊とぼうさい甲子園とチャレンジプランとが三羽烏かなと思っているが、チャレンジプランだけにある特徴がつなぎ手を作ろうとしていることだろう。別に優劣をつけて書く必要はないが、それぞれの特徴を一行ずつ入れていけば、そうなるのかなという気がする。

【中川委員】
 各地の子ども達を中心にした担い手を顕彰するようなものと、さらに担い手だけではなくてつなぎ手の強化まで。

【林座長】
 つなぎ手を、お金をあげるから、賞を与えるからというだけではなくて、一緒にチャレンジプランで磨くとか、やっていくというところがポイントだと思う。
 そこはチャレンジプランを一つの○として入れる方向で、諏訪先生に修文してほしい。

【今村委員】
 (2)の地域社会での取組のどこに入るかは分からないが、災害文化と関連した事例も入れるといいかなと思う。

【林座長】
 例えば何か。

【今村委員】
 和歌山の稲むらの火の事例であるとか。あれは浜口梧陵の歴史と、当時の被害の復興と、自然学習の体験学習等。

【林座長】
 それを言い出すと、人防やいろんなミュージアム系のものを入れろということになりかねないから。

【中川委員】
 ミュージアム系のものを表現する言葉を入れればいい。そういうものが起点になることはある。

【永山委員】
 最後に、「被災経験がある地域」等について書かれているので、ここに入れてはどうか。7ページの4○に、災害文化の継承を目指してそうした施設が整備されている、と。

【中川委員】
 そこを拠点にいろいろな取組が行われていると。

【福和委員】
 啓発の場というものは必要だろう。

【林座長】
 ハコもの的に書かないで、あるいは物を上げたというふうに書かないで、そういうものを素材としてアクティビティがあるというか。
 それでは、6、7にいきたいと思う。

‐事務局より資料6‐3のうち、以下の2項目について説明‐

  • 今後の防災教育支援に関する基本的戦略
  • 当面推進すべき防災教育支援の基本的方策

【林座長】
 「明るく、楽しく、面白く学べる防災教育」の在り方、とあるが、この点について諏訪委員、意見はあるか。

【諏訪委員】
 8ページから9ページにかけての1.と2.、これがここで議論されてきた新しい言葉、担い手、つなぎ手、気づきという3つの言葉を使った、いわば売りの部分にもなってくると思う。
 その気づきに関わって、「明るく、楽しく、面白く学べる防災教育」は必要だとは思うが、それだけを強調するのではなく、つらく悲しい防災教育もあっていいと思う。子どもの心の中に、助け合いとか命の大切さとかを落とし込む作業として、うちの高校では実際に消防士が前で泣きながら喋ったりということもしている。「明るく、楽しく、面白く学べる防災教育」だけでは、つらく悲しい部分を否定するようにとられかねないので、配慮した方がいいというのが一つ。
 それから、環境教育、福祉教育等の他分野の成功事例等を積極的に活用し、とあるが、これが環境教育や福祉教育で成功した方法論を活用するのか、ということ。ここでの議論では、環境教育等の中に、コンテンツで防災と関わる部分、国際理解でも関わる部分、福祉教育でもコンテンツ的に関わる部分があって、福祉に興味を持つ人間が福祉を通して防災にも気持ちを開いていく、発見していくみたいな、そういうつながりを大切にしようという議論はどこかであったと思う。そこがもう少しはっきりと分かるような書き方になればと思う。

【中川委員】
 今の「明るく、楽しく、面白く」は私も引っかかったところであり、しんどい話は敢えて書かなくてもいいと思うが、代わりの言葉として前向きなとか、元気が出るとか、力が湧いてくるとか、興味深いとか、そういう言葉は使えるのかなと思う。
 全体のキャッチフレーズを昨日考えていた中で、「この国で幸せに暮らすために身に付けるべきこと」なんていうのをサブタイトルとして考えてはどうかと思ったのだが、「生きる力が湧いてくる防災教育の実践を支えるために」とか、そんなものにしてはどうか。マイナスの部分も後ろには必要であるが、基本的には前向き、元気が出てくるということを表現してはどうか。

【林座長】
 「生きる力が湧いてくる」は「生きる力を高める」ではだめか。

【中川委員】
 それでいいと思う。

【林座長】
 「明るく、楽しく、面白く」は決して必須要素ではなくて、生きる力が高まるということが主眼であって、それを暗いばかりでなくやりたい、ということ。

【中川委員】
 防災教育支援を考えたときに、「面白く」を言い換えると、興味が湧く、興味が長続きするという言葉にするといいのかなと。

【小林委員】
 「生きる力を支える防災教育」というのもいい。

【林座長】
 支えるとするか、高めるか。そういうフレーズに変えられないか、という指摘である。

【小林委員】
 同じ2.の下から4行目で、「児童生徒が防災について、放課後や週末を活用し」とあるが、放課後は本当に忙しくて、多分だめである。「週末や長期休業を活用し」というならば可能かなと。

【林座長】
 要するに春休みや夏休み等ということか。そう書いてはどうか。長期休業というと、我々には店が休んでいるように読める。

【川本委員】
 内発的な動機付けの言葉が、最初の方で「防災教育の必要性等に気づいていない(内発的動機付けがない)」という説明がされていないので、どこに入れようかと思案していたが、どこかに「防災教育が面白いと知り、防災教育に取り組むことに意義を見出すといった内発的な動機付け」とするか、そういうフレーズがいるのかなと思う。

【林座長】
 5ページの(3)、防災教育の(実践)方法のところに、能動的学習というキーワードを入れてもらっているので、能動的学習手法としてもいい。そうすることによって、子ども達、学び手の内発的動機付けを高めるというふうに、そこで説明することはできる。自分がやっているテーマに対して面白い、役に立つ、もっとやりたいと思うようになる、それを内発的動機付けということを書き、それを高めるためには、みたいなことでいいのではないか。内発的動機付けと外発的動機付けを分けて、アメとムチだけでやるのではなくて、自分達が楽しんで積極的に取り組むようにならなかったら身につかないという議論を、前ふりとしておけばいい。そういう意味では、いかに内発的動機付けを高めるかが主眼であり、そのための手法としては能動的な学習手法を全面的に採用すること、具体的には、問うて、調べて、まとめて、発表して、フィードバックをもらって、さらに、というプロセスを踏むのだということを、セットにして入れればいいのではないか。
 さて、どうだろうか。実は、さっきの議論を3つに分けて、気づいていない人、担い手、つなぎ手と分けたときに、はたと思うのだが、8ページの1.にある「担い手」・「つなぎ手」はかなり黒帯級である。想定しているのは。しかし、さっきの自分が調べて、教えたり、あるいは親に「こうして」と言っているのも担い手と定義したので、初級者の担い手に対してどうそれをプロモートするかというパラグラフがもう一ついるなと。中身は考えなければならないが、それは必要である。それは、能動的学習手法だとか、実地教育だとか、プログラムベーストラーニングだとか、あるいは協調学習だとか。あるいは実際に行ってみるとか。

【福和委員】
 初任研修くらいでさらっと入ってくるくらいは言ってほしい。簡単な担い手学習くらいの。

【林座長】
 そういうのも、初任者研修の場とか、実際の学校の場でできるはずなので、そこの形のパラグラフが一つ要る。要するに、若葉マークの担い手をどうやって伸ばすかということについての取組が要る。
 2.の中の気づきの少し先であるが。

【永山委員】
 並べ方を231にするか。ただ、一番の目玉が後ろにくることには抵抗があるが。

【林座長】
 そこは工夫をしないと、全体とつじつまが合わなくなる。

【永山委員】
 1.3.2.ではどうか。1.の後、3.で、初級者にとっても使いやすい素材とか情報を入れて、2.で全く分かっていない人に気づきを、という。

【林座長】
 5は人、コンテンツ、方法であった。そうすると、永山委員の意見のように1.3.2.とすると、構成的にはパラレルになる。

【今村委員】
 そうすると、4とも対応するので、より分かりやすい。

【林座長】
 7も6に対応した順番になっているから、人、コンテンツ、実践という並びにする必要がある。

【川本委員】
 3.には「学びの素材を提供する」というタイトルであるが、中身からすれば学びの素材と場を提供するということではないか。実際に、最後には場についても書かれている。

【福和委員】
 場はほしい。さっきも、最初の方で場を入れたのでちょうどいい。

【永山委員】
 諏訪委員の指摘された学習指導要領についてはどうか。

【林座長】
 私個人の意見としては、今の指導要領にはチャレンジはしてはいけないと思っている。約束事として。ただし、将来に向けた我々の側の準備はあってもいいのではないかと。入れなさいというつもりはないが、入れるとしたらこんな内容があるとか、こんな内容を盛り込んでほしいとか、そういうメニューを作ることはできるのではないか。いざそういうものを改訂することになったら、担当の委員がいろいろ考えなければならないが、その判断のベースになるようなものはできるはず。そこまでは行けるし、そのときに、科学技術に根ざしているような、要するに科学技術マインドを伸ばしていくようなそういうコンテンツのあり方とか、あるいは実践の仕方の提案というのをやることはできるのではないか。今の時点で闘うのではなく、未来の改訂時期に合わせて、内容を豊かにするという書き方はあるのではないか。

【奥課長補佐】
 指導要領の内容には触れない方がいい。

【増子課長】
 中のいろんな議論は今でもあり、その中でもタブーに近い。そういう議論は重要だとは思うが、この文章も微妙なところで他の教育部局と調整しているところである。

【林座長】
 ではそういう希望を書くというのは。

【渡邉室長】
 直接的な表現では書けない。将来的にこういうことを入れた方がいい、ということは書けない。

【林座長】
 やはり一義的に考えれば、指導要領に入れることはゴールではない。一番いいのは、防災教育のコンテンツそのものが充実して、それをいろんな場で活用しながら、防災力が実際に上がっていくことが一番の目標であって、使えるのであれば学校教育の場も利用してほしいし、生涯学習の中にもどんどん入れていく努力をするということで、いいのではないかと思っている。もし指導要領を改訂するのであれば、このようなことを反映してくれればいいなというような希望だけを言っていると。目的に則していけばいいのではないか。ありとあらゆるスロットを使うとか、可能な限りいろいろ試みるとか、狙いとしてはそういうことだろう。

【渡邉室長】
 逆に言えば学習指導要領は最低基準を示しているわけであるから、それをベースにした発展的な物言いであれば、書きぶりとしてはあり得るかもしれない。

【川本委員】
 昔は、生活安全と交通安全、その生活安全の中に入っていたのではなかったか。そこから災害安全を取り出して、一つ大きくしたという位置付けがある。学校サイドで総合的な学習の時間等で取扱うことがもっと学校で積極的に行われるように仕掛けるとか、そういう話になるのかなと。

【諏訪委員】
 学習指導要領にあまりこだわると良くないということは分かる。逆に、学習指導要領に書いてなければ防災教育はできないのかと。現行の学習指導要領もその前の学習指導要領も何回も読んだが、使える部分はいくらでもある。ただそこに防災や災害と書いていないだけで、教職員側の工夫次第では、今の学習指導要領はどうにでも使える。その一方で、自分達に課さなければならない部分もあると思う。だから、学習指導要領に書け、書かなければ出来ない、という表現にはしない方がいい。

【川本委員】
 書いていないかというとそうではなくて、健康の中に安全があって、安全の中に災害安全が入っているという整理を文部科学省もしている。

【諏訪委員】
 ただ、それにはあまりにも小さすぎて反対である。

【小林委員】
 防災の視点で見れば、給食でも取り上げられるし、どこでも取り上げられる。ただ、なかなか先生方がその視点で取り上げることは少ないかもしれない。やろうと思えばどこでもできる。

【川本委員】
 とはいえ、防災教育にもっと取り組めるような雰囲気づくりというか、地震が起こったからさあやろうということの繰り返しでは短絡的な感じがする。

【小林委員】
 例示のような言葉が少し載っているだけで違うかなという思いがある。

【林座長】
 起こった度ではなくて、一応冒頭には、将来こんな災害があるということを国難として掲げるとすれば、それに立ち向かうものとしてこの防災教育があるので、それを実現するのが目的であって、それをあらゆる場を捉えてやる、という仕方にしておかないとまずいのかなと。あまりそこは踏み込みたくない分野なので、中で調整をしたいと考えている。

【渡邉室長】
 9ページの3.の「このため」以降は、一応それをイメージした書き方にしている。児童生徒の発達段階や教育課程の内容等に応じて内容の体系化を図るとしており、一応内容はあるが分かりにくいので、きちんと拾って体系化する方がいいのではないかと。そして、さらに合わせて使いやすいような教材等を提供しましょうという意図を、なるべく通りそうな文言で書いている。

【奥課長補佐】
 学習指導要領云々の話に入ると議論が些末になってしまうので、現行の学習指導要領の中でも十分防災教育に取り組めるようになっていますよと。ただ、学校教育の中で防災教育の位置付けを高めていくために、こういう支援方策を通じて取り組んでいきたいということを示した方がいい。

【林座長】
 それは内部的には大丈夫か。

【奥課長補佐】
 学習指導要領に触れていないので構わない。

【川本委員】
 課題の中で、そういうふうにはなっているけれども、他の不審者対策等のメニューがあって、まだまだ避難訓練とかそういうところで終わっている現状があると。

【林座長】
 もっと平たく言えば、制度としてはOKをもらっているが、運用が貧弱であるからこの程度なので、言ってみれば運用方策を議論しているというニュアンスである。

【福和委員】
 7の2.で、防災教育支援コンテストという言葉を入れておかないと、3.でその言葉を引用しているので、そのキーワードを入れよう。4行目だと思う。「優れた学校や地域等に対して顕彰を行う防災教育支援地域コンテスト」としてはどうか。
 それから、11ページの3.のタイトルは、「防災教育関連情報の発信」ではなくて、「防災教育支援情報の発信」の方がいい。

【林座長】
 「防災教育支援のための総合的な情報発信」でもいい。

【福和委員】
 その方がよりいい。

【川本委員】
 11ページの3.に書いてあるのは、発信だけではないように思う。

【林座長】
 収集、整理、発信である。

【川本委員】
 発信だけでは弱い。従来のポータルサイトと変わらない。

【福和委員】
 やはりそれであれば、「防災教育支援のための総合的な情報発信」がいい。

【林座長】
 「支援のための」という言葉が発信を含意しているというか。

【川本委員】
 あと、11ページの3.の「防災教育支援窓口」という「窓口」がインパクトに欠けると思うので、「センター」にしてはどうかと提案したが、大きすぎるだろうか。

【奥課長補佐】
 センターとすると、組織をイメージしてしまう。

【林座長】
 代案で、「センター機能」も考えられるが、「窓口」にしておけばいいのではないか。
 あと5分あるが、永山委員から小見出しの案をいただいている。これはどうだろうか。

【永山委員】
 今日の議論を聞いて、私の読み込み方との違いがあり、言葉足らずになっている箇所もあるが、中川委員の言われていた副題だけではなくて、読むときに目次だけ見ると、自分は関係なさそうだ、読んでみる気が起きないということにならないための小見出しである。
 特に課題のところで、前に川本委員が出されていた、要するに何が課題なのかということを前に出すべきではないか、という意見が分かりやすかった。人がいない、教材がない、場がない、だけでは、諏訪委員が暗いと言われたことになってしまうので、こういうことをしたらいいのではないかということを後ろにくっつけてある。

【林座長】
 これはいろいろな文章のトーンもあるだろうから、最終的には事務局との調整になるだろう。今日の議論を踏まえて永山委員には小見出しの案を再度考えていただいて、入れられるようであれば入れるという方向にさせていただければと思う。

【増子課長】
 基本的に局長の懇談会であるから、分かりやすい言葉の方がいい。できる限り参考にさせていただきたい。

【林座長】
 大体議論は出尽くしたのではないかと思う。まだ言い足りないことがあるかも知れないが、それをやると小田原評定みたいになってしまう。目的としては中間とりまとめを出すということである。時間の限りもあるので、ここから先は座長預かりという形にさせていただいて、必要に応じてもう一度ラウンドを回すので、そこでのご意見をいただくことにして、最後の文言整理は座長預かりにさせていただきたい。

議題(2)その他

‐追加の意見等があれば、7月25日(水曜日)までにメールで調整し、事務局からも第6回懇談会の議論を反映した中間とりまとめを早急に送ることとした‐

‐また、中間とりまとめについては、8月を目途に公表することとした‐

‐閉会‐

お問合せ先

研究開発局地震防災研究課