第2部 各委員からの追加意見

 「人材への投資の重要性」

マッキンゼー・アンド・カンパニー  門永 宗之助

 日本が取り残される、という危機感が強まる一方である。
 日本人がいかに優秀な頭脳を持っていようとも、それを使って素晴らしい研究を行ったとしても、それがグローバルな場で共有され、議論を通じてさらに高められることがなければ、広く社会に貢献する、ということにはつながりにくい。その内容が例外的に優れたもので、世界からこぞって学びにくる、ということでもない限り、である。
 今や、サイエンスもイノベーションもビジネスも、オープンな環境でお互いに刺激しあって成果を出す時代になった。そのほうがより良い結果を得られるからである。
 残念ながら我々日本人はそれに慣れていない。文化的にも不得意、と言っても過言ではないだろう。

 私はマッキンゼーという多国籍な組織の中で23年間働いてきた。世界中で一万人近いコンサルタントが同じ価値観を共有し、同じ教育やトレーニングを受け、共通語の英語でコミュニケートするというユニークな集団である。その結果、プロジェクトチームを組んだその瞬間から、どの国の支社のどの国籍のコンサルタントからなる混成チームであろうとも、息のあったジャズバンドのような動きができる。その中で、お互いに意見を述べ、それをうまく使って(Build onという表現をよく使うが)アウトプットの質を高めていくのである。世界中の知恵を集めて、質の高い成果を出すための仕組みのひとつである。
 このような環境の下で、他国のコンサルタントと同じトレーニングを受けていても、やはり日本人は苦戦する。私自身の経験からも、そのことは確信を持って言える。チームプレーが得意、とされている日本人なのに、何故なのだろうか? いくつか原因が考えられる。
 まず、議論が下手だ。プレゼンはできても、議論となると別である。相手の意見を聞き、自分の考えとの共通点と相違点を明らかに(また尊重)した上で、自分の意見を建設的な方向で述べる、という訓練を学校で受けていない。また、日本語が、書いて伝えるのにより適した言語(例えば、聞いただけでは意味を確定できない同音異義語が多い)であり、他の言語に比べて口頭による議論に向いていない、というのが実感である。そして、我々日本人は、共通言語としてますます重要性が増している英語が、世界の先進諸国の中では最も苦手な部類に属する。
 きちんとやっていれば、言わなくても意を汲み取ってくれる、以心伝心、チームワークも阿吽(あうん)の呼吸、あからさまに自己を表現するのははしたない、と思ってしまうのが日本人にありがちなスタイルだと思う。私は個人的にはそのスタイルが好きで、その良さを機会あるたびに外国人の同僚に伝えているが、Interestingとは言ってくれても、世界にそのスタイルに合わせてもらうのは不可能である。

 サイエンスの世界に言語の壁はない、優れた技術であれば必ず認められる、というような日本人にとってやりやすい時代は終わってしまった。これからは、グローバルの標準的なやり方に合わせてオープン環境でやっていかねばならなくなってしまった。それの是非を議論するのではなく、どう対処するのかの議論が必要である。

 その観点から科学技術・イノベーション政策の展開にあたっての今後の課題を考えるに、どの分野に誰がどのくらいのリソースを投入して何を達成するのか、ということに関する議論や計画策定と同様に、これらの計画をマネージ・リードしていける人材を(日本の科学技術政策という文脈から、それは日本人である、という前提だが、そうでない選択肢も論理的にはありうる)どのように育成していくのか、そのためにはどのような投資が必要なのか、という議論をもっと時間を割いて行うべきだと考える。その投資のリターンを得るには時間がかかるが、手遅れになってからでは短期に挽回することは難しい。

 今回、本懇談会で座長を務めさせて頂き、各専門分野の委員の方々の根本的、先進的なものの見方に触れ、大いに啓発された。科学技術に限らずグローバルなオープン化が進む中で、全ての活動の礎である人材の観点から、私の意見をここに述べさせて頂いた。 

以上

「4半世紀もの長期凋落の歯止めには抜本的政策が急務」

ザインエレクトロニクス株式会社  飯塚 哲哉

 日本の科学技術・イノベーションに関わる課題に関する議論に参加させて頂いたことに感謝したい。座長はじめ各位の御尽力でよく整理された報告書ができた。ここでは筆者のすこし個人的なコメントを付け加えさせて頂きたい。

 まず指摘しなければならないことは、日本の国際競争力の低下は非常に長期に亘って進行した現象で、最近生じたことではない。それが誰の目にも明らかになったのは日本のバブル崩壊の1991年頃からだ。しかし、注意深くデータを見ればそれより少し前から予兆が見られていた。いま盛んに議論されている少子高齢化、グローバル化、水平分業化、国家債務の巨大化といった課題は15年から25年近くもの長い時間の中で進行したもので、課題の議論自体はもはや陳腐とさえ言える。したがって、対策とか政策とかも、何年も前から試みられたわけだが、結果として凋落に歯止めがかかっていない。むしろより加速した傾向すら見られる。何故なのだろうか。

 その理由の一つは第2世界大戦後から1980年代までの奇跡的と言われる復興の構造にあるのではないか。この成果を日本は独立した「社会人」として、真に国際的な競争を勝ち抜いて手に入れたわけではない。敗戦後から、いわば保護観察下の国家として、後見人である米国の庇護のもとで、経済というゲームに特化した活動が許されてきた。加えて団塊の世代に代表される人口ボーナスがあった。東西冷戦の中で防共の砦という立場もあった。実は経済活動とは優れて軍事的・政治的なパワーゲームに裏打ちされたものである。国内市場のみの経済活動に留まるなら無関係かもしれないが、殆どの経済活動は国際関係なしにありえない。経済活動オンリーで達しうるレベルは自ずと知れたものである。廃墟からの立ち直りのフェーズにはむしろ有利に働くのは当然だが、1970年代後半から10年余りの勝ち戦は幸運な条件に支えられた結果であることは否定できない。その間に多く有利な蓄積も出来たが、残念なことに、人材は長期間かけてスポイルされ、国際的な総合力の競争を勝ち抜ける人材が不足し、リーダーが充分育成できなかったことが、今日の危機感の乏しい国家を作った。フェアなことではあるが、幸運は不運にも通ずる。

 後見人である米国自身さえも1980年代大変な苦戦を経験した。米国はイノベーションの構造を変革し、重層化した。日本を始めとする途上国の廉価なサービスや製品の侵略に反発しながらも最終的には受け入れ、その購買力を支える国内の付加価値を創出する起業家というプレーヤ達に機会を与えた。新興企業にとっても伝統と規模のある企業と互角の競争・協調を実現できる社会を構築し、リニアモデルを超える高効率のイノベーション創出構造を構築した。当然だが保護観察国家日本の過ぎた成功を政治的に叩いた。日本の垂直統合一本槍の半導体の栄華の頂点を形成していたが、1987年の日米半導体協定が契機となり、1990年頃をピークとして、我が国の半導体産業のその後の凋落は未だに止まっていない。また、このような流れは総合電機でも特殊視することはできず、大企業のみを崇拝する日本であるにもかかわらず、株式時価総額、売上利益で世界レベルの日本発大企業が極めて少数となった。

 日本が栄華を謳歌していた1980年代、世界は激しい産業構造変化を突き進んだ。いましばしば議論される水平分業の多くの覇者達が盛んに創業されたのはこの10年間の前半からである。グローバル化する付加価値の連鎖の分担、利益の基盤となるブラックボックスの増出と確保、リニアモデルの破綻を克服できる仕組の構築に関して、1995年時点で日本はすでに大きな格差をつけられていた。その後2010年を間近にしてもクローズしたイノベーション構造の延命に汲々とするベテラン達の姿は敗戦後の29年間ルバング島の密林を懸命に生き抜いた小野田元少尉を彷彿とさせて痛ましい。

 世界の激変はいまも加速している。かつて日本を襲ったバブル崩壊時の損失規模の5倍規模とも言われる金融恐慌が2008年後半、後見人米国で始まった。国際的なゲームルールがこれでまた激しく変更される。この恐慌の悪影響が米国よりも日本が深刻で、救世主が中国やインドであることは偶然ではない。頼みの後見人にもはやかつての力と余裕はない。

 日本の文化は変わらないことを非常に大切にする。「お変わりありませんか」と心を込めて挨拶し、伝統と規模ある組織に属する人を尊敬し、被雇用者もそれを目指す。ある意味では素晴らしい徳のある国家である。しかし世界の変化が高速化する一方で、日本は追随がますます困難となる。

 日本の研究開発費や研究人員自体は先進国中で劣ってなどいない。必要なのは基礎研究から事業での競争力に繋いでゆく仕組、その修羅場経験を促進する施策、イネイブラーと呼ばれる人材の増強する施策だ。継続や伝統強化の研究も重要であるが、血税を経済・社会的責任を負った研究への再投資、新たな挑戦、非連続の付加価値創出へシフトできる力強い施策を熱望して止まない。

以上

「新規性の高い研究成果の開発の担い手の重要性、レギュラトリーサイエンスの振興、若手人材の国際化にかかる私見」

京都大学  川上 浩司

1. ベンチャー起業への啓発、育成の重要性について

 産学連携による基礎科学技術研究の成果の応用化を考える際には、大学など研究機関と開発の受け皿としての企業とのマッチングは重要である。しかしながら、技術の新規性が高く企業でも当該品目の開発ノウハウに乏しい場合や、企業として株主への説明が困難となる場合などは、迅速に開発の受け皿の機能を果たすことが出来ないこともある。

 すなわち、既存の企業の守備範囲では新規技術の応用化が困難である場合には、開発の受け皿を既存の枠組み(既存企業)から選ぶのではなく、新規に創出することが必要となる。つまり、研究機関発のベンチャー企業が創出され、初期開発を担い、既存企業が後期開発を引き継ぐためのリスクをシェアすることは大変に重要である。優れた科学技術研究の成果を、その特許保護期間(20年)のうちにきちんと応用化して、国際的な産業へと育てていく、そして得られた収益がひいては日本国民(納税者)に還元されていくためには、大学発ベンチャーは本当に重要であり、その起業への啓発や、運用を弾力的に行っていく必要がある。

 このような大学発ベンチャーの成功のためには、大学とベンチャー企業との共同研究、情報交換とともに、技術の強みと弱みを最も理解しているシーズ研究者が当該企業の事業に取締役として就任し、出資が可能であれば事業を主導できる十分な株式シェアをもって、研究開発にきちんと関与していくことが必要である。そこの部分がしっかりみえていないと、ベンチャー企業は大学やシーズ研究者からはしごを外されたように見えることもあり、ベンチャーキャピタルなどの投資家からの十分な経済支援や、各種のインフラ構築における十分な支援を得ることができない可能性もある。ひいては優れた科学技術研究の成果を大学からベンチャー企業、既存企業へとひきついでいくことが叶わずに、せっかく文部科学省などからの支援をうけ公的研究費が投入された研究であっても、社会的にも経済的にも国民に広く還元できないということになってしまうことを危惧している。

 また、大学の研究者にとって、自分自身の分野の基礎研究に没頭することは重要ではあるが、研究開発の全貌に関与することで大学の研究がどのように社会で利用されていくかを学び、今後の研究の方向性に肉付けをすることもできるようになる。

2. レギュラトリーサイエンスの真の意味とは

 レギュラトリーサイエンスとは、医薬品、食品、環境物質など、人体などに影響がある物質の適正かつ安全な使用のために、その基準値、安全性・有効性の評価、対応、上位では行政施策やシステムのあり方について、実験室での研究(ウェット研究)や社会学的研究・疫学研究(ドライ研究)、臨床研究を通じて検討していく分野である。ゆえに、行政施策や社会に対してきちんと正確な知見を情報発信していくことも重要である。

 さて、レギュラトリーサイエンスというと、和訳直訳すると「規制科学」と訳されることから、規制をしてイノベーションの確度を落としてしまうような印象を与えることもあるが、これはまったくの誤りである。たとえば、再生医療などに用いられる新規性の高い細胞を医療応用化する場合、その細胞が本当に目的臓器を形成するのか、癌化しないのか、感染症のリスクはどうなっていくのかといった懸念事項をクリアしない限り、規制当局からの承認を受けることは出来ない。そのため、研究開発の各段階において、同じ時間軸でその評価系も構築し、動物実験や臨床試験データから安全性の情報を取得していく、またその科学的結果を行政・規制のガイドラインへと反映し、承認を迅速化していくという考え方は、国際的にも推進されているところである。

 我が国においても、レギュラトリーサイエンスの真の重要性を理解し、この領域を産官学ともに推進していかない限りは、せっかく日本発の優れた研究があっても、応用化の出口部分で時間をとられてしまって国際競争に敗北してしまうことになる。特に日本の場合、ライフサイエンス分野では、Investigational New Drug (IND)のシステムの導入、体制の改革も含めて早急に推進する必要があろう。

3. 若手人材の国際化にかかる私見

 イノベーションの確度をあげるためには、とにかく蛸壺に入らずに世界中の様々な考え方や価値観に触れることは重要である。そのために、大学において外国からの教員を増やすようなインフラ整備をして、学生がコミュニケーションを積極的に出来るように訓練をうけ、また多くの若手人材が国内の就職でなく海外で就職する、外貨を稼ぐ、ひいては日本に戻ってさらに日本を活性化するという国際化対応のサイクルが重要である。それは将来的に魅力のある日本に優秀な人材が海外から集まってくるための布石ともなろう。

以上

「アジアの時代をリードする人材育成を」

政策研究大学院大学  角南 篤

 アジア、とりわけ中国やインドの発展を支えているのは、世界中で活躍する豊富な人的資源である。イノベーションを起こす人材やそのネットワークの重要性についてはインドや中国政府もよく理解しており、とくに中国は昨年スタートした「千人計画」で、留学生の帰国奨励のみならず世界で活躍するイノベーションにつながる人材を中国に集めるという政策を大胆に打ち出している。すでに、中国やインドではこうしたこれまでの取り組みの成果もあり、トップクラスの研究所や大学の人事でも留学経験者による若返り現象が見られる。また、欧米諸国はインドや中国との人材の交流を積極的に展開している。研究資金も豊富で優秀な研究者が集まっており、最先端の研究拠点を多く抱える欧米に比べ、日本はこうした人材獲得によるネットワークの構築や人材育成で大きく出遅れている。日本における外国人研究者は、全体的な数も少ないだけでなく、例えばインドからの留学生は400人前後で、バングラディッシュからの留学生の三分の一にも満たないという他の先進国から見ても特異な状況である。また、最近の日本人は海外で活躍するケースが減っていると言われている。同時に、学生の間でも海外に留学するなどして実体験を通した異文化理解が乏しくなっているという懸念も指摘されている。とくに、長期間海外に出ていく若手研究者が減少しており、一般的に若者が内向きになっている傾向が見られる。日本が豊かになったことで、逆にグローバル化時代の国際社会から孤立していくようなことは避けなければならない。
 アジアを巡る「知の大競争時代」に突入し、人材の世界的な獲得競争が激化しているなかで、インドや中国の学生は、以前欧米を留学先に希望する割合が圧倒的に高い。結果的に、こうした知のネットワークは日本を飛び越えアジアと欧米を結び、現在のグローバル・イノベーション・システムの土台を築き上げている。
 日本も、若手研究者を海外に送り出すことを支援する基金を設立するなど環境は整いつつあるが、そもそも内向きになっている若者に海外に関心を持たせるための取り組みも同時に考えないと、世界で急速に広がっている知のネットワークのなかで数の上でも日本が存在感を見せられるまでには至らない。

(提言1)

 日本学術振興会が実施しているアジアの若手研究者を日本に集めるホープミーティングや内閣府の沖縄アジア青年の家など、日本国内で世界中の若者と自由に知的な交流ができる場は少しずつ増え始めている。しかし、こうした取り組みも、欧米で行われている同様のものと比べ、規模と質でまだまだ足元にも及ばない状況である。したがって、若手研究者が、分野を超え、国境を越え、世代を超え自由に知的交流ができる場(キャンプとか合宿)を、日本の各地に積極的に作り出し支援していくことが求められる(例えば、IBMは世界中の外部研究者や全社員を対象としたコミュニティ作りを、グーグルは百人規模の国内外の様々な若手研究者を集めたキャンプを行っているなど、欧米諸国では数億円以上の経費をかけてこのような取組が進められている)。

(提言2)

 日本もグローバル・イノベーション時代に合う長期的な視野でこれまでの国際共同研究に対する支援策を再点検し発展させなければならない。例えば、インドに対する研究面や教育面でのつながりは中国や韓国と比較して弱く、また米国とインドとの関係と比較すると圧倒的に弱い。中国との関係においても、環境・エネルギー分野での連携が、日本のイノベーションの今後の発展に与える影響は大きいことは言うまでもない。
 少子高齢化社会を迎える日本が、今後も国際競争力のあるダイナミックなイノベーション・システムを維持発展させていくために、日本の科学技術が知のグローバルネットワークの一翼を担っていくことが肝要である。そのために、大学や研究機関が国際的な研究・教育活動をさらに深化するための制度設計を急ぐ必要がある。ヨーロッパで展開されているような国境を越えた連携をそろそろアジアでも広めていく必要がある。例えば、アジア・リサーチ・エリアのような地域的国際研究開発体制構想を現実的に日本が持ち出し話し合う場を提供するのも決して時期尚早ではない。

 次の第4期科学技術基本計画に向けた議論が活発化するなかで、グローバル・イノベーション時代に対応する政策課題は、日本の科学技術・イノベーション政策で最も重要視されることは間違いない。とくに科学技術政策とODA・外交政策の連携をベースにした「科学技術外交」の推進も、今後議論されなければならない中心的課題の一つである。「科学技術外交」と言っても、その内容や性質は多様で複雑なものである。なかでも、日本がこれまであまり経験のない科学技術を利用した「トラック2」外交による信頼醸成は、日本を取り巻く不安定な国際情勢下では異なる宗教や文明の壁を越える外交手段として益々重要性が高まっている。
 他方、イノベーションが特定地域に偏った「地域イノベーション・システム」が世界にイノベーション・ホットスポット(イノベーションが活発な地域)として点在している。そうした地域をネットワーク化し、アジア、ラテンアメリカ、中東、そしてアフリカを巻き込み、環境・エネルギー、貧困、グローバルヘルス、水など山積みする問題を解決する新しい技術や制度を生み出すソーシャル・イノベーションをどう起こしていくかも重要な政策課題である。そうした中で、日本の科学技術が今後も深化するアジアのグローバル・イノベーション・ネットワークの構築をリードして行かなくてはならない。

以上

「技術で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか ~科学技術大国から科学技術立国への道~」

東京大学、NPO法人産学連携推進機構  妹尾 堅一郎

 日本は、科学技術大国だが、科学技術立国になりきれていない。どうすれば、産業に資する形で科学技術を社会や生活に還元する「立国」へつなげられるだろうか。立国しなければ、大国は維持できない・・・。
 私は次の問題意識を抱えている。最近の日本は、なぜ、技術で勝るのに事業で勝てないのか。なぜ日本の産業競争力は衰弱しつつあるのか。具体的には、例えば、日本の半導体産業が壊滅状態のとき、なぜインテルやアップルは高収益を維持しているのか。なぜ日本の自動車産業は15年後には無力化する可能性すらあるのか。なぜ、国際的にシェアを持つ部品産業は、高シェアにもかかわらず収益がとれず下請け部品メーカーに甘んじざるをえないのか・・・。

 なぜ、こうなったか?実は、競争力モデルに変容がおこったからである。
 第一は、日本のお家芸であった「インプルーブメントモデル(従来モデルの錬磨)」から「イノベーションモデル(新規モデルの創出・普及・定着)」への重点の移行である。すなわち、プロイノベーション時代の到来である。
 第二は、イノベーションモデル自体の変容、すなわち従来の「イノベーション=インベンション」モデルから「イノベーション=インベンション協業(発明、技術開発の協業)×ディフュージョン分業(普及の分業)」モデルへの移行である。言い換えれば、「科学技術=必要十分条件の時代」から、「科学技術=必要条件、ビジネスモデルと知財マネジメント=十分条件の時代」の到来である。それは、画期的な技術開発だけで市場制覇が可能な時代の終焉を意味する。
 第三に、この新しいイノベーションモデルが、「ビジネスモデルと標準化を含む知財マネジメントの展開による国際斜形分業」という形で定式化されつつある。そこでは、欧米先進企業とNIEs/BRICs新興企業群が組む「イノベーション共闘」が生まれ、それによって日本が敗れる現実がある。
 第四に、彼らは、3つのオープン戦略を巧みに組み合わせている。一つ目は研究開発フェイズのオープンだ。インベンションを複数の協業で行おうというものであり、つまり、脱・自前主義と言えよう。どうも科学技術政策関係者は、このオープンインベンションをオープンイノベーションと同義語として使いたがるようにみえる。二つ目は、製品開発フェイズのオープンである。これは製品特性とアーキテクチャ上、どこを秘匿的にクローズし、どこをオープンに公開すれば、その製品の内側から外側をコントロールできるかという、いわば技術の“スイートスポット”を押さえ、あとは開放することを意味する。すなわち、脱・摺り合わせ主義でもあると言えよう。三つ目は、普及フェイズのオープンである。中間財や標準化を介して、他に託せば、国際分業によって製品のディフュージョンは一気に拡大する。すなわち、「脱・抱え込み主義」はビジネス上の“スイートスポット”を形成するのである。
 第五に、これらはエレクトロニクス製品やICT分野で先行しているが、既に機械部品、機能性材料等でも同様になってきつつある。先行した成功事例は次第に隣接・周辺・関連産業に波及するはずであり、それを甘くみてはいけない。
 いずれにせよ、これらを総合すれば、インベンションオープン(脱・自前主義)とインベンテッドオープン(脱・抱え込み主義)を混同してはならないこと、すなわちオープンイノベーションと称してオープンインベンションのみに注力してはならないことに気づくであろう。

 では、どうすればよいのだろうか?「三位一体」事業経営が基本となる。

  • 製品特性(アーキテクチャ)に沿った急所技術の開発
  • 「市場の拡大」と「収益確保」を同時達成するビジネスモデルの構築
  • 独自技術の権利化と秘匿化、公開と条件付きライセンス、標準化オープン等を使い分ける知財マネジメントの展開

 そして、従来の日本のお家芸であった「クローズで始め、クローズを続ける」といった「固定型モデル」から、「たとえクローズインベンションで始めたとしても、オープンディフュージョンに持ち込む」といった可変的/発展的モデルへの移行が求められるのである。

 最後に、これらを踏まえて、科学技術政策は何をすべきか。
 第一は、これらを踏まえたイノベーションシナリオを描ける人財=「事業軍師」の育成である。プロパテント時代からプロイノベーション時代へ移行した今、求められるMOT人財も知財マネジメント人財も大きく変容していることを確認したい。
 第二は、科学技術予算のセットの仕方を再検討する必要がある。日本の企業がいくら先端科学技術を基に画期的な新製品を開発したとしても、あっという間にディフュージョンフェイズで「イノベーション共闘」に主導権を握られてしまう現状は、いわば「バケツに底があいている」状態である。そのバケツにいくら科学技術予算を注いでも、底から水はすべて海外へ流出してしまう。穴を塞ぐのは企業の仕事であるというのでは済まない事態になりつつあるまいか。イノベーション全般に責任ある政策、すなわち科学技術大国政策から立国政策への転換を求めたい。
 第三に、科学技術の進展と事業経営と支援政策の連携、すなわち産学官連携の新たな形を想定したい。すなわち産学官連携自体をイノベーションする、そのシナリオを再検討すべき時なのである。

以上

「産学の研究開発活動による社会貢献、中核となる研究者の役割、支援人材、その環境整備について」

東北大学  高橋 真木子

 本懇談会での議論の中心は、“科学技術・イノベーション政策”の展開にむけての課題の抽出と整理であった。議論をまとめ上げる主軸は、“いかにして、優れた研究を出口につなげていくか”“出口を見据えた優れた研究を生む土壌を、いかに醸成・充実させるか”にむけた、現状の認識と有効なシステム構築についての議論であったと理解している。私はこの機会を頂き、主として大学等の研究機関(以下、大学と略す)で優れた研究を生み出す“研究者=人”と言う要素に力点を置いて、この懇談会の議論の本質を個人的に補足したいと思う。何故なら、イノベーションの源泉であるブレークスルーを生み出すことができるのは、我々が多くの時間を使って議論し明らかになった次の事に尽きると考えるからだ。つまり、ブレークスルーを生み出すのは、“予見することが困難な過程とゴールを、好奇心の力でインセンティブ(=楽しみ)に変えることが可能な、専門性をもった個人の集合体”であり、その集合体と社会環境、産業構造を含む幾つかの条件が上手く合った時初めて技術的ブレークスルーがイノベーションに結びつく、ということを再確認したからである。

1.オープンイノベーション時代の研究者の役割

 オープンイノベーションのビジネスモデルにおいては、企業は、外部の優れた技術を積極的に導入することで自社のイノベーションを効率よく推進するとともに、自社内の技術を外部へ提供する。価値創出の最大化を目標にモデルを設計し自社の強みを位置づけた上で、外部のプレーヤーとの知識・技術の流通を図る。アップル、インテル、ボーイングに代表されるモデルである。
 この時、大学の役割、大学の研究者の役割は、これまでとは大きく異なってくる。“オープンイノベーション”と言った途端に、オープンとクローズの線引き、非競争領域と競争領域の区分はどこでするか、その線は誰が引くのか、それを参加者に了解させイニシアチブをとるのは誰か、といった課題に直面する。これは産学連携を推進する一連の施策の中で、この十数年培った経験を総動員して対応しなくてはならない大変な課題である。とりわけ、その研究活動の基盤的資金が税金によってまかなわれている国立大学においては、その大学の見識を問われるところでもある。一般解、先行事例が存在しないこの場面で、それでも体制を作り、ルールを決めて、研究開発活動を動かさなければならない時、意志決定のよりどころの一つとなるのが、“具体的な研究開発課題に最適な体制設計”という個別解である。そしてその渦中にある当事者の中で、その研究の可能性を信じ展望をもって最適な体制をイメージできるのが、シーズとなる研究成果の生みの親である研究者(以下、中核研究者とする)であることは多い。
 中核研究者には、自身の研究者としての哲学に基づき、設定した目標達成までもっていく覚悟が問われる。その覚悟が、研究プロジェクトにおけるイニシアチブ、求心力につながるもので、“(上手くいった要因を突き詰めると)最後はヒト”という言葉に集約される。これは既にどの現場でも経験済みのことだろう。このオープンイノベーションの時代において、研究者擁護とは全く別の文脈で、研究開発を成功に導くために、中核研究者の位置づけはますます重要になる(1)。

2.オープンイノベーション時代の産学連携体制を支えるプレーヤー

 企業は自社の強みを最大限に活かすモデルを描く力が求められる。同様に、中核研究者も、優れた研究成果を創出することに加え、成果を活かすためのスキルも併せもつことが求められつつある。そのスキルとは上記の「最適な体制のイメージ」を描き伝える力である。
 このスキルをもった中核研究者とともに必要になるのは、未だ漠然とし思い込みもあるイメージ図を、研究開発課題に即した具体的な設計図に描き直す作業であり、最も成熟した研究推進支援者(以下、RA(リサーチ・アドミニストレータ)と略す)が提供する業務である。ここでRAに必須な能力は、中核研究者の哲学や思想も踏まえ、企業の要望を理解出来る程度の研究への理解と、知的財産、研究契約、情報管理、コンプライアンスなどの専門家の知見を利用することができる程度の専門知識のセットである。現在、上手く稼働している産学連携型の共同研究体制をみると、職名や位置づけなどは様々であろうが、多くの場合この役割を提供しているメンバーが居る。MOTや企業での研究開発経験、知財関連の専門知識は、このRA業務を担う時の必要条件ではあるが十分条件ではなく、新たなスキルが必要であることは明確に理解される必要がある。そのスキルとは一言でいえば、「フロネシス」(2)、つまり“諸条件をバランスして個別最適解を導く力”であると考える。オープンイノベーションの下で、知財が、知識・技術の流動化を促すいわば「通貨」のような役割(3)を増していることも、大きな影響を及ぼしている。
 クローズイノベーションであれば、一企業内で同じベクトルを向いたシンプルな環境下でなされていた活動が、企業と大学という異なる文化の参加者が、一時期に共同で取り組むこの活動をバランスするには、中核研究者とRAとの信頼関係を無視することはできない。時には中核研究者に意見し軌道修正させる程の説得力や影響力がなければ、設計図を描く作業においてRAの存在価値はない。オープンイノベーションモデルで成功している研究開発拠点として著名な欧州のIMECでは、研究開発課題はトップダウンでCTO(最高技術責任者)が決定し、競争領域と非競争領域を区分し体制設計するのはその課題を担当するビジネス戦略担当である。いわゆる日本の現在の大学とは全く違う意志決定体制のもとに動いており、そのトップダウン体制が、現在、世界中から企業を惹き寄せるキーの一つであることを留意すべきだろう。
 インターネットの普及、ビジネスモデルの変化に伴うグローバル化の環境の下、研究成果の産業化を考えた時、大学の研究者と彼らが生み出した研究成果が企業というパートナーと出会う機会は確実に増え、今後も増え続ける。そのパートナーとの間の、国境、国籍の壁はどんどん低くなっている。だからこそ、イノベーション創出の源といわれる大学の研究開発活動において、この点を踏まえ、未だ明確ではないものの将来の競争領域での利活用形態を踏まえた、非競争領域の研究開発体制の設計が必要となるのである。
 だからこそ、このような事例を生み出すための源泉の豊かさ、研究の多様性がますます重要になる。


1 オープンイノベーションモデルの研究開発拠点IMECにおいて、この線引きの最終意志決定には、IMECのCTOが重要な位置づけを担っている(IMEC関係者と筆者の直接の意見交換による 2007年11月)。

2 DND原山優子氏の産学連携講座 第18回 「イノベーティブなひと」とは?」http://dndi.jp/07-harayama/hara_18.php

3 特許庁「イノベーションと知財政策に関する研究会」報告書でのMicrosoft社のコメント、等。

3.オープンイノベーションのサイクルを回すための環境整備

 上記の認識のもと、システムとして事例を生み出し続けるために必要な点を2点補足する。

  1. 研究者のトレーニング:優れた研究者が優れた研究開発リーダーとして産業化にむけたプロジェクトを運営できるとは限らない。オープンイノベーション時代においては尚更であるのは上述の通りだ。であれば、将来において、中核研究者となるチャンスが来たとき、必要なスキルを持つことは重要だ。年間予算が300万円の研究プロジェクトと、1000万円、1億円のものでは、その額に応じて当然全ての活動が異なる。RA(リサーチ・アドミニストレータ)を使いこなすスキルも含め、研究者は大型のプロジェクトを動かすため、また、研究予算を適切に使いこなすため、場数を踏み、経験を重ねる必要がある。
  2. 人文・社会科学と自然科学との接点:21世紀の知識創造社会は、社会そのもの及びその運営に科学技術が深く組み込まれるような状況(4)にある。そして、科学技術が恩恵だけでなく負の側面ももたらす存在であることを、多くの人が認知している。自然科学系の研究者にとって、自身の研究成果が社会へ受容されるまでの展開を、自分の視点だけで捉えるには、現在の社会は複雑すぎるのではないだろうか。人文・社会科学で蓄積されてきた視点や考察を動員して、この社会へ受容されるまでの展開を捉え直すことは、自然科学の研究者が自身の研究成果と社会の接点を考え直す得難い機会になるはずであり、ひいては、研究成果がイノベーションへ結びつくチャンネルを増やす機会になると考える。

以上


4 「トランスサイエンスの時代」小林博司 2007

「イノベーション懇談会に参加した所感と補足事項」

株式会社テクノ・インテグレーション  出川 通

 最初に本懇談会の委員として参加させていただき、多彩な経歴の委員のメンバーの方と熱心な事務局の皆様方と真摯な議論をさせていただいたことを感謝申し上げます。
 小生は元々、大手重工系の製造業のなかで研究開発から新規事業の企画・立ち上げまでの実践を30年近く行なったあと新しい会社を設立して6年となります。今の会社では各種規模の企業における新規事業の立ち上げ支援(コンサルテング)を行い、また非営利活動として技術系の社会人や学生に対して社会環境の変化に対応した生きがい発掘と人生設計支援を行っています。これらの活動内容は規模は別としていわゆる「企業、人生のイノベーションの実践活動」です。
 今の日本のおかれている状況は本文にも詳細に示されていますが、過去の日本における成功パターンの土俵とルールが変わってしまった中で、まさに全面的な変革で価値を生み出すことが必要とされているわけです。すなわちイノベーションを実現するしか生き残れないという環境変化の中で個人、企業、国などの組織システムの管理、マネジメント、評価、教育などの対応ができない、場や人材が足りない、ではどうするかということに尽きるかと思います。
 以上のような基本的な背景と考え方のもとで、特に強調したい部分や丁寧な説明が必要と考えられる部分について補足させていただきたく思います。

(イノベーションへの考え方)

  • イノベーションを起こすのは不確定な未来への挑戦なので簡単ではないが、本来は「わくわく」「楽しい」「発見的」なプロセスであり、そのような場とそれを加速する仕組みが必要であることを先ずは強調したい。
  • イノベーションを実際の企業組織のなかで起こすには、イノベーションの本質的な仕組みとしての可能性、限界やマネジメントや方法論を理解する人の塊が重要。すなわち「インベンション(発明)」は独創として個人作業になるが、「イノベーション」は自立・自律した人々が互いに協創し展開するエコシステムとなる。

(イノベーションの方法論)

  • 技術をもとにイノベーションを起こす方法論は「MOT:Management of Technology(邦訳「技術経営」)」として体系化されつつあり、その基本体系や方法論の日本化が望まれている。
  • これまでの日本の多くの一流製造業におけるイノベーションのネタは諸外国に比べてもある程度存在する。しかし、人材管理と評価システムは基本的にリスクを徹底的に避け、自前技術や経験の蓄積を重視する年功序列型というプロセス管理重視型(工場管理体制の最適化パターン)となっており、イノベーションを阻害している。イノベーションの実現のための方法論には逆行するかたちになっていた。日本ではこのギャップが埋めきれていない。
  • イノベーションを実践するための方法論の骨格は米国流のMOTにあるが、その日本バージョンとしてしてはベンチャー企業だけというよりも中小企業の活用、単なるプロダクトイノベーションだけではないプロセスイノベーションとの融合などである。学ぶべきは多様性と歴史のある欧州の大学や公的機関が行なっている方法論、政策ではないかと考える。

(イノベーションを担う人材)

  • イノベーションを促進するために必要な人材は、それを担う人とそれらの人をマネジメントする人材の双方が必要である。その両者の基本は自立・自律した企業家精神旺盛なグローバル人材といってもよい。わが国ではそのような(イノベーションを実践できる能力をもつ)人材を公的な学校教育で育成、評価する仕組みはこれまで殆どないといってよい。
  • それでは企業や各種組織のなかにイノベーションを担える人材が育成されるまでいないかというと、そういうわけではない。その素質をもつ人材は全理科系人材(たぶん文科系でも同程度かと思う)の中の3分の一程度は存在すると小生の行なったアンケートと経験からいえる。ただしそれらの人々は企業や組織のなかの旧パラダイムの管理・評価体制のなかで埋没しており、その人たちを発掘するのが第1歩であろう。

(イノベーションの促進への政策)

  • 総論としてはその方向性に関する理解はあるけれども、各論に入ると対処療法的に断片的な法案整備でお茶を濁す例や、まだまだ旧来のパラダイムでの成功体験や既得権にすがりつく事例が多くある。逆にこれが日本ではイノベーション実現の重大な障壁になっており、それを打破するために旧来システムを不連続的抜本的に変化させることが必要な段階にきている。
  • 産学連携の重要性は原点に帰ることが重要と考える。一般に言われているような経済的な関係でのWIN‐WINでなく、まさにイノベーションに必要なオープン型のコラボレーションを生み出す「場」と考えていくことが必要ではないか。すなわち産も学も官も含めて多くの人が喜んで集まりイノベーションという果実が得られる場を創り維持することにあり、それを望んでいる。

以上

「サイエンス発イノベーションの担い手の育成強化を」

一橋大学 イノベーション研究センター  長岡 貞男

 日本のイノベーション能力を強化する上で、最も重要な鍵の1つはサイエンスからの産業化プロセスの強化である。先端的な技術開発におけるサイエンスの重要性が高まっていることは、特許文献の先行文献として科学技術文献が引用される割合が、米国企業の特許において1980年代前半の12%から2000年代前半の26%と倍増していることがよく示している。この指標では、日本企業の特許の場合も、11%から16%と高まっているが、米国と比べてかなり低い水準である(科学技術文献の引用件数自体は絶対数では4分の1)。また、科学技術文献の比率が高いバイオテクノロジー等の産業分野では、日本産業の国際競争力は低い。日本産業のイノベーション能力は世界的に見ても決して低くは無いが(世界的に見て最も高い水準の対売上高研究開発投資をほとんど自己資金で行っていることはその良い証拠である)、それを強化するにはサイエンスの吸収・活用能力の強化が必要である。
 そのために「とりまとめ」では数々の有益な提言がされているが、特に強調したい点は、サイエンスからの産業化プロセスを担う人材育成である。米国産業の方がサイエンスを吸収し活用する能力が高いことの重要な原因には、研究者の教育水準の高さがあると考えられる。独立行政法人経済産業研究所が行った日米の発明者についての調査結果によれば、米国では発明者の5割弱が博士号を取得しているのに対して、日本では1割強に過ぎない。また、発明につながる着想において科学技術文献の方が特許文献より重要であると回答した割合は米国の発明者の方がかなり多く、かつ日米とも学歴が高いほど高い。博士を取得している程に科学の世界での造詣のある研究者の方が、研究コミューニティーとのつながりが強く、科学技術文献を読み、発明へのシーズを広く探索する能力が高いことを反映していると考えられる。
 ただ、量的に博士号取得者を拡大することで問題が解決しないことは、日本における大量のオーバードクターの問題が示唆する通りである。博士号を取得した研究者が企業内の研究者として活躍出来るようなキャリアパスを大学と産業界の協力で構築していくこと、また産業界からの人材需要を分野別に大学の人材育成システムに反映出来るシステムの構築が必要である。企業の方は、修士あるいは学士の採用に集中している人事採用を多様化していくことが必要である。また、大学の方も、企業における研究者としてのキャリアパスにも対応出来る人材の育成を実現する教育研究プログラムを構築していく必要があろう。産業界における若手研究者の育成と大学での産学連携研究を補完的に進める制度として論文博士の制度が従来効率的に機能していた面もあり、こうした観点からの再評価も必要ではないかと考えられる。
 また、米国では大学の研究成果の商業化の担い手として、スタートアップが重要な役割を果たしていることは、良く指摘されている通りである。日米の発明者サーベイによっても、米国では100人以下の小企業に所属する発明者が12%も存在し、これらの発明者が科学技術文献を重視している割合も高い。他方で、日本の場合は小企業に所属する発明者の割合は5%程度であり、これらの発明者は科学技術文献を大企業の発明者と比較して重視していない。また、米国では大学発明の3分の1がスタートアップに利用されている。米国のハイテク分野の起業システムは、ベンチャーキャピタル、流動的な労働市場など補完的な制度に支えられており、直ちにそれを日本で実現することは容易ではない面もある。しかし、ハイテク・スタートアップがある程度クリティカル・マスを超えることで、制度整備が進む面もあり、それを目指した政策が重要だと考えられる。

以上

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