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日本映画を通じた日本理解を図る上で、できるだけ多くの人々に映画を観てもらう必要があり、この意味で海外への映画配給がうまく行くかどうかが重要な問題である。映画の場合、貿易振興がうまくいくことが文化交流の成功につながるという面をもっている。映画祭に出品するためには支援が得られるのに、映画の配給交渉のために海外に行くときには全く支援がないことはおかしい。国は貿易振興の観点から日本映画を支援するべきである。
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日本の対外文化機関において、それぞれの組織が遠慮しあって、積極的な事業展開の妨げとなっているような例もある。文部科学省から在外公館への出向者も十分に役割を果たせていないケースがあると思われる。対外文化機関に文部科学省の職員を派遣するなどして、国際文化交流の現場の感覚を学ぶことが必要なのではないか。人材の養成についても関係機関が連携協力して当たる必要がある。
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自分自身は戦後の苦しみを知らないが、多くの方々から話を聞いて学んできており、その体験が海外で活動するときに役に立った。豊かな日本を作ってきた世代の方々の、信念に学びつつ、各分野のリーダーを育成していくことが重要であり、その努力が集積されて国際文化交流という大きな目的を果たせることになる。
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欧米のオペラ座などに比較すると、我が国の舞台芸術公演などを見にくる外国人の数は非常に少ない。観光旅行には美術館、名所・旧跡、観劇・オペラ、食事、買い物というコースが一般的であるが、日本の場合、外国語による表示や説明が十分でないことなどから、来日した外国人にはこのメニューを満足にこなすことが困難であるという問題がある。観光は人が自ら移動して、実際に文化的体験を得ていくものであるが、日本ではそのためのしくみができていない。
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日本は外国からの観光客が多数来日できるように工夫をしなければならない。例えば修学旅行のように若い人が旅行する機会を設けることは有意義である。また単なる旅行だけでなく、そこにより知的な経験を盛り込んでいくことが良い。日本文化を知る、体験する旅行として売り出せばよい。
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日本からの文化発信は、知的な層だけを対象にする傾向があるが、いわゆるオタクやアニメーションのセル画など、周辺的な日本文化に興味を持つ人も多い。このような層の人々は、高価であっても日本に来て「本物」を買うはずであり、かえって大衆文化の方に、目的の明確な魅力的な市場がある。また、修学旅行については、貧しい時代の日本独自の文化であったようにも思われる。学生の卒業旅行やバックパッカーなど個人の活動に視点を据えて、大学が単位認定をするなど、動機づけの面で支援できればよいのではないか。
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修学旅行というシステム自体を外国に勧めていくことを考えてもよいのではないか。どうせならばより若い人に投資をしたほうがよい。
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経団連ではインドネシア、フィリピンの中学校、高等学校の教師を毎年10名ずつ日本に招へいしてきた。これは日本の企業が資金を提供し、相手国の教育省が人選をして2週間の滞在をさせるものであり、参加者は日本の先端企業を見学するなど、普通の観光では得られない体験をしている。この教師達が帰国した後、生徒達に自らの体験に基づく日本を伝えることとなり、波及効果が大きいものと期待している。
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海外から日本への修学旅行などにより、若い外国人が多数日本に訪れることは非常に望ましいことである。若い時に日本に接する経験をもち、日本に対して肯定的な印象を持つことが、将来の良好な国際関係につながる。
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「日本には興味がない」といわれると愕然とする。溝口、黒澤、小津といった海外でも認められている日本映画の巨匠の力をもってしても、日本への関心を呼び起こすことはできなかったのであろうか。この監督達の映画も、必ずしも興行的に成功しておらず、大衆に広く浸透しているわけではない。一方、ハリウッド・ムービーによるアメリカのイメージは世界中に染み付いている。映画は多くの人に見られることが重要である。
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若い外国人に日本文化を体験させるということは重要である。自分自身も子どもの時に日本人の子供達と遊んだことが一番の思い出となっている。一般に日本人と外国人とのコミュニケーションは困難である。外国人の目から見ると、日本人は反応が遅くて何を考えているか分からない。言葉による交流ではなく、何かを一緒に行うことによって、理解が促進されると思う。
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ハコ物を作ることに対して批判が多いが、東京には世界に冠たる規模・内容の博物館・美術館を整備するべきである。世界の常識として、アジアを訪れた人が必ず立ち寄らなければ恥ずかしいと思うような文化的施設を持てば、観光客は自然に増加する。観光は経済効果も高いので、観光と文化を関連づけていくことは大切である。そのためにも魅力ある文化を発信していく必要がある。
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繰り返して日本にやってくるリピーターを増やすことが大切であり、この点において参加型、体験型の観光は有意義である。国民一人一人の活動がなければ文化交流はできないということを踏まえれば、「国際文化交流のための大綱的推進方策」(たたき台)の「2.国際文化交流の担い手、当事者である国民一人一人の活力を生かす。(その力量・能力の育成・強化を含む。)」の表現は半面的であり、工夫を要する。
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日本人が日本文化の意味を十分理解できなくなってしまっている現状がある。このため京都市では市民を対象にして、解説を加えて「能楽」を学ぶワークショップなどの事業を実施している。
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日本の道路表示などが不十分で、初めての場所を一人で移動することは日本人でも大変困難である。このため、「旅行」の概念を根本的に変えることも必要なのではないか。たとえば、一ヶ月間かけて、客船で日本沿岸を回るツアーを行うのはどうか。船の中で、色々な日本文化の学習ができるようにして、寄港地での見学と船内での学習を組み合せる。一ヶ月間の食費込みで旅行代金を設定すれば、お金がいくらかかるかわからないという外国人旅行者の不安を解消することもできる。
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伝統文化から先端の現代文化、知的なものから大衆的なものまで、日本文化は多様であり、また多重構造を有しているが、世代による感性、認識の違いという視点も必要である。日本は島国であるために、欧米や大陸から渡ってきたものが、次々と堆積され、日本的なるものへと同化、変質してきている。第二次世界大戦を実体験した世代と、知識だけでとらえている世代と、これを全く知らない世代とでは、日本や日本文化に対する認識や堆積された文化の残し方が大きく異なっている。このような視点を国際文化交流の大綱的推進方策の中に盛り込む必要がある。
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エリートのための文化交流か、大衆を中心とした交流かによって、その違いは大きい。文化交流の対象はエリートと大衆の二極に分かれるが、日本文化に対する外国人の理解や関心を考える時、その中間に一つの壁が存在するように感じている。日本を深く理解する少数の外国人と、表面的に理解する多数の外国人がいて、中間層が少ないのではないか。外国人が日本を理解するときに、最初は観光で来日して日本に対する興味を抱き、日本文学などに接するようになり、さらに日本理解が深まるという道筋が想定されるが、その段階において日本人との対話が必要となってくる。そのときに日本人の対話の進め方や論理的な説明の仕方が稚拙であるために、「日本人はわからない」と外国人に言われてしまう。日本のことを論理的に説明できる人材をどのようにして訓練するかが重要な課題である。例えば、日本に長期滞在している外国人に人材養成について相談してみるのも一案である。
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民俗芸能の海外公演などを行う際に、来日中の外国人の発案で選定した地方の民俗芸能が、海外でのニーズに合致して成功を収めたという例がある。このように現地のニーズを的確にとらえる工夫が大切である。 |