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人間の営みはすべて文化であり、それは国や地域によって違いがある。その違いこそが守るべき大切な文化である。
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文化を捉える場合は優劣ではなく差異性に着目すべきである。文化に優劣を付けようとする意識を克服しなければならない。たとえ理解することが困難な文化であっても、その存在を認める寛容性を持つことが重要である。 |
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近現代史だけではなく、古代からの歴史を踏まえれば、欧米の存在感は微々たるものに過ぎず、アジアや中近東の文化・文明に対するとらえ方が変わってくる。 |
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動物園が、珍しい動物を展示する施設から、生物の多様性を保護する機能を持つ施設へと変容してきたように、文化についても珍しいものを陳列するという発想から、文化の多様性を人類の生き残りの重要な戦略としてとらえる発想に転換していく必要がある。 |
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文化には舞台芸術のように移動性の高いものと、その土地に根ざした移動性の低いものがある。世界のIT化及び市場経済のグローバル化の中で、21世紀において文化交流が変質し、市場性や競争原理と不可分なものになっていくことが予想される。 |
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経済活動の結果としての文化交流は、アメリカ映画の例にみられるように、市場原理に支配される。市場原理の下で同じスタイルの文化活動が促されることとなり、その過程でアイデンティティ・クライシスが生じる。今日、日本は米国経由の情報や文化的価値観に支配されつつあり、政策的に日本文化の差異性の魅力を大切にし、発信していかなければならない。このためにもインド、ロシア、アジア、アフリカなどとの交流を推進すべきである。 |
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文化交流といっても、それが経済活動として市場原理で行われているものなのか、国の政策として行っているものなのか、区別して考えることが必要である。 |
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文化交流の現状を分析するに当たっては、入場料収入や国等の支援の有無など市場性に係るデータを加えて公的支援の必要性などを判断できるようにすべきである。 |
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文化交流から市場性を切り離すべきではなく、例えば市場経済にはなかなか馴染まない日本映画についても、大学等の既存の施設を利用して、上映機会を設けるなど、擬似マーケットを形成するような工夫が必要である。 |
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日本の経済が成長しているときには、日本文化のインパクトは大きく、外国の大学においても日本研究の講座が増加していた。昨今は日本研究に従事してきた人達の世代交代の時期に当たるが、次の世代が育ってきていない。日本の経済力の低下と共に、日本への関心も低下して、大学の日本関係の講座が閉鎖されるケースもある。 |
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国際文化交流の主たる目的は、日本に対する偏見や誤解を解くとともに、日本の魅力を高めることである。日本の魅力が高まれば、人材は流入し、投資が行われるので、経済との関係においても重要である。文化と経済はいうなれば車の両輪であり、両立できる。 |
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環境問題が問われている現代において、日本に古来から伝わる生活文化は自然環境に対する配慮に満ちた循環型であり、世界的にみても、重要な価値を持っており、海外に対して発信されるべきである。 |
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文化発信に際しては華やかな芸術文化だけでなく、生活文化やそれを支える「知恵」にも目を向けるべきである。
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愛知万国博覧会においては、「自然の叡智」のテーマの下に里山学びと交流の森づくりなどのプロジェクトが構想されている。日本は、 古代を含む伝統への回帰、 新しいことへの挑戦、 異文化との混交、を特徴とするルネサンスが必要である。 |
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国土や都市などを、文化の問題としてどうとらえるか。例えば「里山文化」は世界遺産のような原生的な純粋自然とは異なって、集落、畑を含めた混合的なものであり、これを「場」全体として保護することの必要を主張することで、日本の個性を発信できるのではないか。 |
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歴史的建造物などについて、手を加えない「現物」の保存にこだわる欧米の価値観に対して、伝統に従った材料、手法などを用いて手を加えながら保存を続けていくというアジア的価値観もあるということを、日本が中心になって、世界に認めさせた例もある。 |
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精巧な工業製品・機械部品などの製造や日本建築の職人の技術、いわゆる「匠」のわざも日本の優れた文化として認め、保存、継承されるべきである。 |
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明治以来の近代化のプロセスを文化としてとらえ、発信していくことも大切である。 |
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日本文化を、日本人が行う活動としてとらえるのではなく、日本という固有の自然、歴史、伝統を有する場所において行われている活動としてとらえる発想が必要である。 |
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外国人の日本観に偏見や誤解があるのは、情報の不足が大きな原因である。同時に、その国の教育によって偏った知識が植え付けられていることもある。 |
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教育の影響については、日本でも幼いときから優れた文化として、西洋の芸術作品をとりあげて教えている。そのため、西洋の文化にはよく馴染んでいて、受入れやすいのに対して、アジアの文化については馴染みがなく、受入れにくいという面もあるのではないか。 |
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日本人には、外国(人)を排除しようとする攘夷思想が強く、外国人とつきあったり、相互理解を図る上での障壁となっている。その一方で明治以降に醸成された西洋崇拝主義も根強く残っており、自国文化やアジア、アフリカの文化に対する関心が低い。 |
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欧米との文化交流は民間ベースでもある程度可能であるが、アジア、アフリカとの交流を推進するには意識的に取り組む必要があり、国として支援が必要である。 |
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地方自治体においては、これまで文化行政の重点が施設整備におかれてきたが、これからはソフト面に重点をシフトしていくことが課題である。 |
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国際交流、文化振興、街づくり等のそれぞれの分野の施策が、個別に進められており、有機的な連携がなされていない。
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一般的には規制緩和が必要だが、街並み、景観の保存など文化に関する規制はもっと厳しくするべきである。パリの街並みが美しく保たれているのは、フランス文化省の規制によるものであって、日本でも文化省をつくって規制強化に取り組むなど文化立国を強力に進めるべきである。 |
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日本の都市は、ムラがそのまま大きくなったものであり、体系的な都市計画などないが、それが活力を生み、継続しているということを日本文化の特徴として指摘する人もいる。 |
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ハコモノを作りすぎという批判があるが、アジアに行くならば教養のために必ず立ち寄りたい、と外国人に思わせるような文化施設が日本には一つも存在しない。 |
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文化発信機能を強化するため、インターネット上に伝統文化から現代文化までを網羅した「日本文化博物館」を作る必要がある。これによって、外国人の日本に対する誤解を是正していくことも可能となる。 |
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日本文化の各種データをインターネットにより海外のどこからでもダウンロードできるようなサイトが必要である。行政機関が作るサイトは魅力に欠ける傾向があるので、既存のサイトにリンクを張っていくことから始めてはどうか。 |
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ヨーロッパ諸国では、相手国内に拠点を定めて現地の人との交流をはかりながら、持続的な文化研究と文化財保存・修復協力を行ってきているが、日本の協力は「物」が中心で人の交流ができていない。日本が影響力を発揮するには、拠点を定めた、持続的な交流と協力が必要である。 |
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国際交流基金の海外事務所には、日本文化の専門家がおらず、活動も一過性のイベント主義に陥りがちであったり、日常的に現地の人が集う場所がなく、きめ細かな施策を展開できていない等の問題がある。このため、フランス、ドイツ、イギリスなどの対外文化センターのように、当該国における文化コミュニティーを十分形成できていない。文化庁、外務省、国際交流基金が共に協力して対外日本文化センターを世界各地に設置し、対外的にメッセージを発信できる文化の専門家を配置して、日常的な文化活動の充実をはかる時に来ていると思う。 |