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公立文化会館の活性化関する調査研究協力者会議

1999/12/02 議事録

公立文化会館の活性化に関する調査研究協力者会議 (第4回)議事録


公立文化会館の活性化に冠する調査研究協力者会議(第4回)議事録 
   
○  日  時  平成11年12月2日(木)  14:03〜16:55 
○  場  所  文部省5A会議室 
○  出席者  協力者  三善座長、上原、神津、澤井、清水、田村、西川、西本、根本の各協力者
                 事務局  水野文化部長、甲野地域文化課長その他関係官 
                 その他  社団法人全国公立文化施設協会千葉事務局長 
○  議事等(○:協力者、△:事務局等) 
   
○  それでは、まだお見えにならない方もいらっしゃいますけれども、定刻になりましたので始めさせていただきます。 
  きょうは、公立文化会館の活性化に関する調査研究協力者会議の第4回目になります。お忙しいところをご出席くださいましてありがとうございます。きょうは3名の方が所用のため欠席と伺っています。  
  初めに、本日配付いたしました資料につきまして、事務局の方から確認をお願いいたします。 
△  では、確認させていただきます。 
  資料1・第3回会議議事録(案)、資料2・第3回会議議事要旨(案)、資料3・第3回会議までの主な論点について、資料4・論点メモ、資料5・論点メモ、資料6、資料7・横浜市立中学校連合文化祭パンフレット、資料8・現代舞台芸術人材養成プランの資料、資料9・公立文化会館の活性化に関する基礎調査(速報)、また、先ほどお配りいたしました「運営について」を資料10として扱わせていただければと思います。  
  この機会をかりまして1点ご説明させていただければと思いますが、資料8に「現代舞台芸術人材養成プラン」というものがございまして、こちらの方は文化庁の方で今年の10月末にまとめさせていただいたものですけれども、我が国の次代の舞台芸術を担う創造性豊かな人材の養成は、これまで以上にその重要性を増しているという観点から、現状と課題について有識者及び専門家の方々からヒアリングを行って、自由な意見交換を行って取りまとめたものでございます。  
  中身といたしましては、次のページをごらんいただきますと、1「芸術フェローシップ制度の充実」、2「芸術団体による人材養成事業に対する支援」、3「劇場における人材養成事業の推進」ということで、次のページをごらんいただきますと、(2)(3)(4)のところに公立文化会館関係の施策が入ってございます。4といたしまして「若手芸術家に対する活動の機会の提供と顕彰」、5「舞台芸術を支える人材の養成推進」。こちらといたしましても、次のページをごらんいただきますと、(1)(2)に、公立文化施設等の職員に対する研修事業の充実、インターンシップ受け入れの促進、(5)でございますが、専門性を評価する方策の確立というところがございます。6「学校教育における芸術専門教育の推進」ということで、(2)のところに、劇場と大学との連携による人材養成の支援という観点も挙げさせていただいております。最後になりますが、7といたしまして「子どもたちの芸術文化体験・学習活動の充実」というところをまとめさせていただいております。  
  最初のページに戻りますが、このようなものを芸術団体、劇場、教育機関等が相互に連携・協力を図りながら、最大限に進めていければと考えておりまして、順次具体化して進めていく予定でございます。参考までに資料としてつけさせていただきました。  
  また、追加資料で、「県・市・区での中学生による文化活動の様子」を資料11として扱わせていただければと思います。 
  以上でございます。 
○  どうもありがとうございました。 
  皆様、不備はございませんでしょうか。 
  ただいまご確認いただきました資料1と2、つまり第3回会議の議事録(案)と議事要旨(案)でありますけれども、何か訂正の必要がございましたら、12月9日、来週の木曜日になるようですが、それまでに事務局の方にご連絡いただければと思います。それを踏まえまして、確定いたしました二つの資料はホームページ等を通じて公開の運びになります。よろしくお願いいたします。  
  本日の議題に入る前に、前回の会議でもご説明がございました「公立文化会館の活性化に関する基礎調査」につきまして、事務局から経過状況をご説明いただきたいと思います。お願いいたします。  
△  それでは、資料9という形で紹介がございました基礎調査の速報の状況についてご説明いたします。 
  これにつきましては、11月の初めに約2000の公立文化会館を対象に発送いたしまして、19日をとりあえずのリミットといたしましたけれども、期間が非常に短い中で、11月末の時点で約900強の回収になってございます。作業の関係がございましたので、それ以前の11月21日段階で有効な回収数644につきまして、とりあえずきょう時点ではまとめてございます。今後、さらに回収を促進いたしまして、次回にはある程度まとまった形で報告できるかと思います。そういう状況であるということをまずお許し願います。  
  最初に、数値的な状況でございますが、その644を表頭といたしましては規模別と運営形態別に分けまして、中身を見ていきたいということでまとめました。  
  規模別のところは、ルールといたしまして、大規模館と言いますのは1000席以上のホールを有している館でございます。中規模は500席から1000席未満までのホールを有している、小規模は500席未満のホールを有している館というような事柄でございます。この表からうかがい知れます事柄につきましては、一応事務局としては四つくらいなのかなというふうに思っております。  
  まず、総括的なことですが、実はこのような調査はきちんと経年でとっておりませんので、なかなかはっきりしたことは言い切れないのですけれども、例えば、この中段にございます舞台業務の委託が97%、ほぼ全館で進んでいる。そして財団の運営というのが、パーセントは入ってございませんが、約45%でございます。そういうような形が進んでおり、会館運営の効率化、合理化といったものが公立文化会館の中で進められているのではないかというのが一つうかがえると思います。  
  二つ目は、この表の中で見ますと、自主事業につきましての実施が66%、それから、最近の潮流との絡みでございますけれども、ホームページの開設が15%。そういう形で、公立文化会館は当初いわゆる貸館でスタートしたと言われておりますけれども、この時点において新しい段階に入っているということがうかがえるのではないか。  
  ただ、この前半の方にございます専門家館長の招聘でありますとか、芸術団体との提携でありますとか、この辺は1%にとどまっておりまして、これからの動きではないだろうかというふうに考えられます。  
  自主事業についても、66%と申しましたけれども、回数的には12回、月1回程度というような事柄ですので、これからの拡充といったことが認められるのではないかと考えてございます。  
  それから、個別的な事柄でございますけれども、特に大規模、中規模、小規模における差、あるいは運営形態における有意な差というのは、この時点ではなかなか見出しておりませんけれども、例えば、友の会の部分では、大規模館、財団運営といったところにシフトしている。これはやはり大規模館、財団の運営形態における館ではサポート組織を必要とし、また、そのようなものが育ちつつあるのではないかと考えられます。  
  最後の4点目でございますけれども、見直しの部分ですけれども、今後幾つかの項目について見直し、あるいは拡充事項があるとお答えいただいている館、また運営及び事業の問題点があるというふうにお答えいただいている館が、実は運営形態別の教育委員会が直営しているところに少しシフトがかかっているようでございます。教育委員会の在り方、運営の仕方については、この会議でもある種の硬直性みたいなものがあるのではないか、そんなご指摘もあったわけですが、教育委員会自身もある種の問題意識を持って、この公立文化会館の活性化に取り組もう、こういう様がうかがえるのではないだろうかというふうに考えてございます。  
  いずれにしても、まだ回収が少ないということなので、おおむねの傾向はこのまま推移するのではないかと思っていますけれども、例えば職員数のところでは、幾つか回収表をチェックしますと、財団運営の場合、非常勤の役員の方を職員のところに記載している例等がございまして、少しバイアスがかかっておりますので、この数値は修正されていく予定でございます。  
  まず、1ページ目の数値的な状況については以上でございます。 
  3ページからは、今回のテーマであります時代の変化への対応等々につきまして、自由意見で返ってきている分を幾つかピックアップしてございます。  
  なお、このページ以降については、幾つか館の名前が入っておりますけれども、この取り扱いについてはまだ整理しておりませんので、とりあえず館の固有名詞についてはこの会議限りというふうなことをお願いいたしたいと思っております。  
  一つ目に「住民要望の把握と反映について」ということですけれども、アンケート結果を運営に反映、あるいは意見をいただくテクニカルなこととして、チケット半券に要望記載欄を設けている。そんな工夫などが少し見られていると思います。  
  それから、4ページが情報化社会ということでございます。ここの「現状」という部分の・でございますけれども、神奈川県川崎市では、平成11年11月ですから今月だと思いますが、空き状況の確認や予約ができるシステム・・最近、旅行とか、そういったものは一々窓口に行かなくても予約等ができるというシステムがいろいろなところで進んでいるわけですけれども、公立文化施設においても、このような形の進み方があるエリアが見られるという事柄が参考になるのではないかと思っております。  
  5ページ目は運営情報の透明化ということですが、ここの・で、例えば「年報」をつくりまして、事業計画と実績、利用状況等を子細に示しているということなんですが、この右側の欄を見ていただきますと、実は自主事業云々かんぬんと書いてありますが、たしか前回のこの会議だろうと思いますが、行政が大きく様々な活動に支援していくのには議会の理解が不可欠ではないか、議員さん方に様々な情報を提供するということも有用ではないかというご意見があったわけですけれども、現実には、議員さんのところにこのような形では子細な情報を渡していないというところを、今後どういうふうに考えていったらいいのか、そんな問題提起とも受けとめております。  
  6ページ目でございますが、少子、高齢化社会への対応で、ある館などにおいては、この会議でご指摘いただいております学校の週休2日と言うんでしょうか、週5日制といったものをはっきりと意識して、ある事柄を進めていこうというような館の運営の仕方も見られているところでございます。  
  7ページは国際化への対応で、ここの部分が随分と記載が多うございます。これは国際交流といったものが文化と比較的になじみやすいですし、そういうものの中で互いの理解を進めていこうという事柄に、文化会館が一つの役割を果たしているのではないかというような事柄の事例が幾つかございます。・あたりでは、「相互にキャスト、スタッフを出し合い」ということを会館が核になって行っている。そのような事柄が特徴的といいますか、進んでいる事例として見られました。  
  8ページでございますが、バリアフリーにつきましてはいろいろな形で進められている様がございます。これは統計的にも今整理しているところでございますが、このような状況であります。  
  9ページでございます。こういうことがあるので、ちょっとお名前等はあれということと、さらに調査を進めたいと思っているのですが、・でございますが、アウトリーチとも重なり合う本公演前のワークショップとか楽器クリニック等を開催。しかし受け入れられていない。この辺は少し詳しく、さらにフォローしておきたいと思っているのですが、なかなか人が集まらないということと盛り上がらなかったということのようでございまして、その辺は、成功事例の検討もさることながら、うまくいかなかったケースを子細にチェックしておくということも必要なのではないかということで、率直に書いていただけたなと思っております。  
  10ページでございます。運営に関する部分でございます。先ほど紹介いただいた人材育成等とも絡んでくる部分であろうと思っているのですが、2、3を通じて、特に資格制度の部分などで見られることは、公立文化会館において、そういうような資格を持った人に対しての条件といいますか、これは実践性といったものをかなり公立文化会館では期待している。要は大学でそういう専門知識を持って入ってくる人というよりも、現実に館における事業を動かせるといった事柄、なおかつ専門家の活用の欄の三つ目でございますけれども、これは逆説的な書き方になっていますが、やはり地域事情、市民意識といったものを十分に理解している専門家の方を望んでいるというような事柄からもうかがい知れると思っております。  
  なお、資格制度の四つ目でございますが、もう一つの認識として、ホール運営の専門性を対外的に認知させるという意味でも、資格制度はいいのではないか、こんなご意見もあるようでございます。  
  そして、4、5とそれぞれに進められておりますけれども、一番最後の6、文化庁、全国公文協への要望ということですが、「例えば舞台機構の改修等の問い合わせに対する専門的な部門を設定してほしい」。ここが事務局としては面白いといいますか、つまり地方公共団体が従来国にお願いしているのは、費用とか経済的な支援といったものが主であったわけであります。あるいはハードの支援ということなんですけれども、この分はソフトの支援ということを望んでいる。  
  つまり、この会議でも出ておりますけれども、全国の公立施設がどんどんと立ち上がってきている中で、そろそろ改修、それも日常的なメンテというよりも大改修の時期にもかかっているわけです。そういう大改修の時期を控えたときに、現実にどこをどういうふうにいじっていったらいいんだろうかということが、それぞれの地方公共団体には建築部門があるわけですが、この舞台施設といったものについての蓄積が全国的にも余りない。そういう中で、今厳しい財政事情を考えますと、特定の業者といいますか、そことジョイントして幾らですという単純な形ではうまく回らない。そういうことを含めますと、ある種国といいますか、そういうところで、そういう専門性を持った形でソフトの支援をする。どこの部分はどういうふうに直したらいいんだろうか、どこが必要なのであろうか、そういったことがここの要望からうかがい知れるのではないか。これは何がしかのヒントにつながっていくのではないか、そんなような状況でございます。  
  いずれにしろ、まだ644ということで、総対象とします中では3分の1程度ということで、意見等もさらに蓄積されてくるのではないかというふうに考えておりますので、それらを少し類型的に整理して、次回にはまとめた形で補足させていただきたい。そんな状況でございます。  
  以上でございます。 
○  ありがとうございました。 
  ただいまの基礎調査経過報告ですけれども、何かご質問ございませんでしょうか。一般的な認識よりも、現場の方が既に実践的に進んでいるという感じもありますね。  
  それでは、またご質問がありましたらおっしゃってください。 
  本日の議題に入りますが、本日は前半で運営一般、後半で事業の在り方について検討を行いたいと思っております。時間が5時までということなので、間に休憩を設けさせていただきます。  
  まず、資料3のこれまでの会議における主な論点、これを基にこれらについての事務局からの説明をお願いいたします。 
△  それでは、ご説明させていただきます。 
  これまで3回議論をしていただいたわけでございますけれども、主な論点につきましてのご説明でございますが、前回と比べまして、1の「今後の公立文化会館の果たすべき役割・在り方について」は、いろいろなご意見をちょうだいしたわけでございますので、それらを盛り込んだ形で、前回に比べますと内容を大きく膨らませたわけでございます。  
  特に、前回までは、公立の文化会館の役割についても、それらの地域とか、設置者の目的によって役割が違うのではないかという意見を多数ちょうだいしたわけでございますので、いただいた意見等を一番最初のところにまとめて挙げさせていただきました。  
  人口規模によって、これくらいの部分をきちんとまとめた方がいいというご意見もちょうだいいたしましたし、発信できるところと公民館的にやるところとはやはり違うのではないかということ、それから、設置者別ということではなくて、活動の質やレベルに応じて分けた方がいいのではないか。あるいはパブリックシアター、コミュニティーセンター的な存在というような形での整理、あるいは生活文化、芸術文化、この両方使えるというような形での類型分け、このようなご意見をちょうだいしたわけでございますので、ここに挙げさせていただきました。今後どういうふうな形にするかは、ひとえに委員の先生方のご議論にもよるところかと思いますけれども、議論といたしまして、こういうことがあったということで、ここに具体的な形として挙げております。  
  それから、(1)と(2)のところでございますが、これらにつきましても具体的に種々ご意見、あるいは論点を賜ったわけでございますので、それぞれの部分につきまして入れさせていただきました。必ずしもしっくりしたところに入ったかどうかという面はあるわけでございますけれども、重要なものにつきましては、挙げさせていただいているところでございます。  
  本日議論をしていただく部分は次の2ページのところでございまして、公立文化会館の機能の充実等のところでございます。(1)として運営、(2)が事業、(3)としてその他ということがあるわけでございます。これにつきましては、従来とほぼ同様な形でここにまとめているわけでございます。  
  「運営について」につきましては、管理運営の在り方という形で、設置の趣旨、活動方針の明確化とか、評価の在り方、全体の中での位置づけを踏まえた運営、また様々な工夫、メセナ活動、こういったことが一つの論点になろうかと思います。また、職員の体制につきましては、会館の目的等によっても異なってくるわけでございますが、それをどういう体制にするのか、人事をどうするのか、あるいは一般論として人材養成・研修、重要な論点といたしましては資格制度の在り方がございます。また、会館の職員の企画力の向上という点も重要でございますので、論点としてはこういうことがあるのかなということで挙げているところでございます。広報活動につきましても論点としては重要、またボランティアの活用ということも論点として挙げております。  
  (2)の事業でございますけれども、事業の内容といたしまして挙げておりますのは、住民への文化活動の支援という内容、鑑賞機会の提供、それから発信といいますか、芸術総合活動の実施という形で、大きい柱としてここに挙げているわけでございます。これらにつきましては、また会館の規模、機能等にもよるかとも思いますけれども、それぞれどういう点が重要なのかについてご議論を賜ればというふうに思っている次第でございます。  
  (3)といたしまして、その他として二つの点を具体的に挙げております。昨今、行政先般につきましては、バリアフリーということが大変強く求められているところでございますが、その辺のところを会館としてどう対応すべきなのか。また、建設されてからかなり年数がたっているところにつきましては、近年の様々な機器等の発達等もあり、施設が老朽化している。これをどういうふうにしたらいいのかが非常に問題であるという点も、最初の方で問題点としてご指摘もありましたので、ここに挙げさせていただいているところでございます。  
  以上でございます。よろしくお願い申し上げます。 
○  どうもありがとうございました。 
  ただいまご説明がありました「運営について」、そして後半で「事業について」という議論を賜りたいと思いますが、今回も、先ほどご報告がありましたように、多くの委員の方々から参考資料を用意していただいております。それにつきましても、適宜議論の中でご説明をいただきながら進めさせていただきたいと思っております。  
  まず、運営一般でございます。ただいまご説明がありましたように、2ページには、まだ私どもの意見を盛り込んでいない枠づけがあります。どうかご自由にご発言いただければと思います。既に資料をご提出いただいた委員の先生方からも、どうぞご自由にお願いしたいと思います。  
○  ちょっと、戻るのですが、これまでの主な論点の1ページ目の(2)の「子どもたちに対する役割」のところで、何度か「勉強」という言葉を取ってほしいということを申し上げているんですが、残っています。「勉強」がいいという委員がいらっしゃるならば、残しておいていただいていいんですが、私はそれは避けてほしいと思いますので、もし構わなければそうしていただきたい。  
  それでは、運営についてなんですが、どこに書くべきかは別にしまして、文化会館というものが、ともすれば建物であるということ・・昔、美術館という名前のもとの建物であったりしたこともありますけれども、建物ではない、建築物ではないということをどこかできちんとうたってほしい。つまりサービス提供機関であって、建物があっても文化会館とは言わないんだということを言ってほしいなと思っております。といっても、現実はなかなかそうではなくて、貸館の方がウェイトが高いという現状があるので、難しいと思うんですが、ぜひそういう認識を入れていただきたい。  
  運営の在り方については千差万別であるので、とても表記が難しいなと思っております。 
  予算単年度主義なんですが、これはいろいろやっていらっしゃるところがあるので、調べ始めたのですが、愛知県文化振興事業団の予算書を見ましたら、欄外に「債務負担行為」というのがあったんです。普通の場合は、債務負担行為というのは、建物を建てる場合に後年度負担を当該年度でもらっておくというやり方をしているんですが、こういうやり方もあるのだなということがわかりましたので、工夫というよりも、これは制度上の仕組みというものを提案していった方がいいんじゃないか。債務負担行為というのも、こういうことに使えるのではないかということですね。地方自治法とか、そういうものを引用して記入してありますが、そういう趣旨です。  
  それから、ボランティア・・これは私が表記を間違えました。前のを見まして、私、職員体制のもとに、ボランティアが書いてあると錯覚しておりましたが、決してそうではないので、この意見は撤回します。「「ボランティアの活用」を「職員体制」の中で述べることには反対」は消してください。ボランティアというのは職員ではない。どういう意味でボランティアをお願いするかというのは、ホールへの理解を高めるサポートですね。地域あるいは広域においてでもいいんですが、ボランティアがホールへの理解を広げ、活動を支えてくれるという役割を有するものであるということであって、安上がりの職員ではないということを確認しておきたいという意味で記入したのですが。  
  提出したメモについて、補足して説明させていただきました。 
○  ご意見の「事業について」というところの2番目ですけれども、「「市民の文化活動の場の提供」という場合、市民の文化活動の最も大きなものは鑑賞活動である」というのは、大きな文化会館ではそうかもしれませんけれども、やはり市民が自分でつくっていくということも大事なので、鑑賞だけじゃないんじゃないですか。  
○  それはそうです。ただ、ともすると鑑賞というのは文化活動でないという位置づけられていることがあるので、少しここはバイアスがかかって書いてあります。  
○  それは、後段で、事業のところでおっしゃってください。 
  資料をご提出いただきました委員の方々から、きっかけとしてお話をいただきたいと思います。 
  それでは、きっかけなのですけれども、資料3の2ページに記載してあります最初の「管理運営の在り方」の中で、運営に当たっての工夫・形態というところで、括弧にたくさん挙げられております。これはかなり具体的な中身なんですけれども、このようなことなどについてお考えがありましたら、きっかけとして論じていただければと思うのですが、いかがでしょうか。  
  今のお話の中で、ボランティアというのが出てきましたが、運営の中で、ボランティア管理といったようなことが挙げられているわけなんですが、事業の在り方にも関係するかもしれないんですが、ボランティアというのは手伝いだけでない。つまりボランティアすること自体の積極的な意味、ボランティアに参加する人々自身にとっての積極的な意味、それがまた劇場のクリエイティブな活動につながっていく。  
  例えば、越谷あたりでは、いろいろなことの企画や演出や制作にまで市民たちの力をかりている。それは、実際に自分たちでもって創造することが、結果的にはお話のような文化会館を市民に知らせたり支えたりする、そういうツールになっているということもございますね。  
○  一概に論じられないというのがとても難しいんですが、先ほどおっしゃっていただいた事業はちょっと後にしましても、ボランティアでも、市民ボランティア管理で、非常に温かくていいホールになっている例も幾つかありますが、管理ということまで言うとしたら、それを適応し切れない専門性の高いホールもありますね。そこを書き分けていくのがとても難しい。同じ大きさの同じような館であっても、地域の中では少しずつ事情が違ってくるので、人口が少ない10万人未満のところでも、とても専門性の高い活動をしているところもあれば、そうでないところもある。  
  私が何に危機感を持っているかというと、うっかりすると、安上がりの経営をうまくボランティアを使ってやっているところがあるじゃないか、ああいうふうにやれよという風当たりが、我々のようなところに来るんじゃないか。そういう危機感を持っているものですから、うっかりと書いてはいけないなというか、それをちょっと心配して、余分なことを書いてご提出しております。  
  書きようというか、表現の仕方によって、これが非常に大切なんだという部分と、そうはいかないという部分とを分けて書いていかないといけないところが難しい。一律に、全国同じように書けないということがあると思うんですね。  
○  私が発言してはいけないんでしょうけれども、つまりボランティアという概念が物すごく今拡大して、多層化してきていて、いろいろな在り方があって、例えば館側と市民の共働、文字どおり共に働いて何かをつくり上げるという、そこにもボランティアという概念は結びつけられているんですね。ですから、例えば館側が何かの企画を立てる。そこに共感し、あるいは連動し、実践参加する市民層が集まってくる。お金がなくても何かできたということ、しかもそれを継続させていくということは、館のこれからの在り方としても、ボランティアという概念の実質的な拡大にしても、つまり市民参加と言われたことにも実相はいろいろあるわけなので、活動的なボランティアというものもあるように思うんですね。  
○  ボランティアのやり方というのは、今、おっしゃったように、かなり限られていると思うんですね。むしろパートナーシップという言い方の方が最近はいいと言われていて、市民のパートナーシップの中に、ボランティアもあるし、きょうはちょっと日が悪くて、WTOで市民グループが大分けんかをしていますのであれですが、NPO、NGOが経営を引き受けていくところまであり得るわけですね。その辺はボランティアとは多分言えないと思うし、それは経営をしていることになります。ただ、非営利で、利潤を配分しないというだけの話ですから、そういうところまで含めて、かなり多様に見た方がいいんじゃないかということもあります。  
  実際に、私ども幾つかの計画で、市民の人たちといろんな計画をやろうと考えているんですけれども、現実は結構また複雑で、本当に簡単にかかわればいいという人もいるし、どっぷりいろんなことをやりたいという人もいるし、そういう中でかなり幅がありますので、じゃ全部NPOにすればいいかという話でもない。かなり多様な在り方を考えていく時代かなと思うんです。  
  逆に、愛知県の芸文センターのような大きいところでボランティアをやれと言っても、これはまず不可能ですし、例えば技術ボランティアをやってくださいと言っても、それはすごく大変なことになります。だから、その辺はもう少し精緻な組み立てをした方がいいんじゃないかなというふうには思っています。  
○  自分のメモに書いただけなんですけれども、つまり公共美術館の活性化とか、運営とかというテーマであって、一括して公共施設だけではのっぺらぼうで、つまり手掛かりも何もないわけですね。したがって、クラシフィケーションと言うと、日本人は何でもみんな同じようでいけないので、どういう言葉を選ぶかは別ですが、とにかく分類する必要がある。つまり機能的に分類するというのが一つ可能だと思います。芸術文化型といいますか、専用劇場とかホール、それから日本で圧倒的に多いのは住民・・住民と言わないで、市民と言えとおっしゃれば市民でもいいんですけれども、住民の要望というのは生活文化型の施設が多いわけですよね。したがって、多目的ホールというのも多いわけですけれども、生活文化型、つまり市民参加で、市民が本当にそこでワークショップを楽しむ。自分が参加してやれる施設というのがまた一つある。それから、全くはっきりしない多目的ホールというのもある。まず、この三つのパターンがあるんじゃないか。分け方は、ほかの分け方が可能でしょうけれども。  
  もう一つは、プロジェクトによる分類。そこで、公演や、日本では次年度のプロジェクトが全部レパートリーシステムで1年前に決まっているということはないかもしれませんけれども、プロジェクトを出してもらって、例えば国だとか、県だとか、市町村だとかがサポートする場合に、中身本位で、中身を議論して優先順位を決めるというのがあると思うんです。その場合、さっき言いましたように、生活文化型、つまり市民会館的なものがすごく多いわけですから、それをネグレクトして専用ホール一辺倒でいけということはないんですが、むしろ専用ホールとか何とかの数は絞って、プログラムが何かできるような、全額じゃなくても具体的にプロジェクトが出た場合に対応する支援体制をつくったらどうか。  
  運営形態は、いずれをとるのがふさわしいかというのが紙にあったんですけれども、国立だの、公立だの、第三セクターだの、財団運営だの、民活中心だの、いろいろあるんですけれども、その場合に大事なのは館長といいますか、責任者の任命とか権限を明確にしないとプロジェクトもはっきり出てこないわけです。殊に芸術文化型施設の場合には、任期中のプロジェクト実現に当たっての自主裁量権を最大限に認める。ただし、任期をつくって、だめだと判断したら3年で追放すればいい、代えればいいわけですから、そういうことが考えられないか。  
  芸術文化型の場合には、芸術監督とかプロデューサーが必要ででしょうし、生活文化型、市民会館的なものには、いろんなアクションのアニメーターとかインターメディアのプロジェクトできる人が必要でしょうし、あるいはワークショップ指導者とか・・折衷型、つまり見本市もやれば何もやるというような施設の場合、僕はきのう驚いたんですけれども、会議があって国際フォーラムへ行ったら、国際フォーラムの下を大きく使っていましたけれども、それは何とオリンパスのデジタルのデモンストレーションですね。産業見本市みたいなことを国際フォーラムでやっているわけですけれども、そういう使い方も、いい悪いは別にして出てくるでしょう。文化施設的なものに、そういう使い方もあるかもしれない。そういう折衷型といいますか、そういうタイプの場合には、文化事業、文化経営的なセンスを持った人が責任者にいなければいけない。つまり分類をすることによって、館の責任者にどういう人を選ばなければいけないかというのも決まってくると思うんです。それなしで議論しても、なかなか議論が進まないのではないか。  
  それから、人材確保、人材養成というのがありましたけれども、資格制度というのはなじまない。何でも資格はいけないので、5で採点すれば、みんな3という点をつけなければいけないという教育方針もあったかと思いますけれども、そんなことはないんで、例えば建築士だって何だって1級建築士とか2級建築士とかあるので、きちんとしたあれがあれば・・つまり資格制度がないと、人材確保というのも宙に浮いてしまうのではないか。  
  ところが、人材養成と言うと、すぐアートマネージメントと言いますが、僕たちのところもやっていますけれども、実はアートマネージメントの先生もいないし、アートマネージメントの大学院もないし、ないない尽くしで、養成には時間がかかります。ところが、僕が接しているだけでも、殊に女性が中心ですが、イギリスやアメリカではアートマネージメントで文化政策をやっている人はいっぱいいるわけです。こういうのを条件づきで登用したらどうか。場合によっては、間に合わない場合は、ずっと居座ってもらわなくてもいいので、海外から2年とか3年契約で呼んできたてもいいのではないか。そういうことを交えながら、長期的に人材養成を考えていく。つまり文化施設がそのまま人材養成のインキュベーターになるところが日本にあればいいんですけれども、そういう施設は余りないわけで、高等教育にもないわけですから、したがって、どうするかということになると、今申し上げたようなことが考えられるのではないかと思います。  
  それから、公共機関の活性化ということをやっているわけですけれども、文化庁で、非常に光栄ですけれども、メセナ協議会の白書だの何だのをご引用いただいたりすることがあるんですが、すぐにということではなくて、文化庁で調査したり研究したりして積み上げていく資料がないと、電通何とか総研究というようなものばかりが出てきて・・お金はここで出してやっているのかもしれませんけれども、公的にも、つまり政府に対しても、あるいは世論に対しても、それで何かを主張するというのは非常に難しいのではないか。研究調査というのはお金がかかるわけですけれども、最初は小人数でもいいんですが、そういうことも必要ではないか。  
  基本的に、これからの文化政策とか文化行政を考えると、やっぱり21世紀は地方だと思います。僕もかなり誤解していたというか、薄々はわかっていましたけれども、世界中、大げさに言うと、みんな地方がお金を出しているんです。フランスは国家主導型だと言いますけれども、文化庁の予算は公的支出の19.2%です。ほかの各省のを入れても半分にいかないので、ほとんどは地方の文化資金なんです。フランスの企業メセナというのは1%にすぎないわけです。よくご存じでしょう。例えばドイツだとかスイスなんかを考えますと、これは本当に地方で、例えばバイエルン国立劇場・・国立と言いますけれども、あれは州立劇場みたいなもので、みんな地方でやっている。中央からお金もこないし、指導も来ない。やはり資金的にも地方政府がもっとお金を出すようにならないと、活性化は難しいと思うんですけれども、その場合に考えたのは、今までは県知事だの何だのがいっぱい施設はつくったけれども、僕の最初の分類によりますと、どっちかというと2か3なんです。生活文化型か多目的型でつくったのが多いわけです。住民の需要も、地方に行けばそういうのが多いと思うので、そこら辺の兼ね合いといいますか、生活文化型のものにもある程度力を入れないと住民の支持が得られないんじゃないか。  
  以上、そういうメモを書きましたので、ご意見があれば拝聴したいと思います。 
○  今のお話をお聞きしていて思ったことをちょっと申し上げたいと思っているんですが、まず、クラシフィケーションの問題は、ある程度典型的なタイプについて、どういう要件が要るかということをガイドライン的に整理する上では有効ではないかというふうに思います。  
  ただし、これは先ほどのペーパーにもありましたように、現実は非常に多様性もありますし、施設管理者や首長さんの考え方で実際の使われ方やマネージメントの在り方自体がかなり違うんですね。だから、それを否定するのはどうかなと思います。一般論と言うとおかしいんですが、ごく限定された大まかなガイドラインとしてのクラシフィケーションはいいのですが、それを基準的なものに考えてしまうと、現実との乖離が大きくなると思いますし、それはまた余りやってはいけないのかなと。よく言われるように、いろいろな基準をつくるということで、画一化の弊害という問題もありますので、そういった画一化にならないように気をつけた上で、お聞きした方がよいのかなと思うのですが。  
○  むしろ今の場合の問題は、のっぺらぼうで画一化しているんじゃないか。 
○  ですから、もうちょっとメリハリをつけろという意味でお聞きしているんですが、例えば報告書なんかにこういうのを書きますと、非常に・・。  
○  抵抗があるでしょう。 
○  ガイドライン化ないしは基準化と受けとめられるのが、日本のこれまでの一般的な風潮ですので、そこだけ気をつけていただければ、基本的な考え方としては賛成いたします。  
  もう一つは、資格の問題です。アートマネージャーを資格化するというのは、これまでもいろいろな意見が出ているし、また今日の調査でも出ると思います。私はまだ明確にイエスともノーとも言えない段階なんですが、実は私どもが地域創造の事業をやっていて一つ感じましたのは、現在、資格制度で非常に明確なキュレーター、学芸員の制度があるわけですが、この学芸員の考え方も非常に幅が広くて、硬直的というか、まじめで絶対にご自分の考え方を曲げない方と非常に弾力的でやってくれる方にわかれる。特に公立文化施設は住民との関係が大事だと思うんですが、住民関係のいろいろな面倒くさいことも含むアクティビティについては、学芸員の本来の仕事ではないというふうにお考えの方も、まれにというか、かなりというか、おられることが私どものこれまでの経験でありまして、実は困っております。  
  現在、美術関係の市町村の巡回展などをする場合に、非常に弾力的にやっていただく学芸員の力をかりてようやく成り立っている。専門的知識をきちんと発揮していただくためには、学芸員の力は非常に有効であります。これは間違いなく、そういう意味の専門的な学芸員の力、手助けが要るんですが、しかしそれが資格ということになって、一つの固定的な仕事の概念に固まってしまわれると、特に多様性や住民関係で弾力的な活動、アクティビティが要求されるアートマネージャーの世界ではいろいろな問題も出てくる。そういう意味で、私は、資格化ということについてご議論いただくのは大いに結構だと思うのすが、資格が必要と即断をされないで非常に慎重にやっていただきたい。専門知識を持った方をたくさん養成していくという面では大賛成でありますけれども、そういう問題がございます。  
○  学芸員とおっしゃいますけれども、文部省の管轄でしょうけれども、学芸員の資格というのは、劇場や何かの消毒法だとか、美術なら美術史だとか、ほとんどそれだけですね。ちょこっと学校か何かに行くかもしれませんけれども。  
  外国のアートマネージメントというのは、全部知っているわけじゃないんですけれども、ほとんど半分は実習なんです。だから現場へ行っているわけです。現場と接した感覚を持った人じゃないと、逆に言うと卒業できないわけですから、そういう制度をつくるにしても、そういう現実性を考慮に入れたカリキュラムを盛り込んでいけば、今ご指摘のような弊害、ご心配はある程度は解除される。  
○  資格化の議論はもちろん必要ですが、資格議論の前に、いかに本来の意味のアートマネージャーを育成するかという、そのためのいろんな手段・・現在、私どもはささやかながら一部お手伝いしておりますが、公文協その他、文化庁等もおやりになっていますので、そういうものをもっと太くして、いかに本物のアートマネージャーを育てていくかという手だてを、予算的にも組織的にも講じていただきたい。その上で資格問題をどうしようかという議論に移っていただければ幸せである、というふうに思っております。  
○  人材の話は、その辺はかなり難しい話もあるんですけれども、現実的に今私がすごく困っているのは、実は文化センターをつくるときに人材を引き抜こうとしているんですが、退職金はどうなのかとか、いろんな話で、非常に優秀な人が動きにくいんです。その辺のところをもう少し流動的にやるんだという姿勢をどこかでとってくれると、例えば文化マネージャーというか、アートマネージャーというのは、特に技術系だと思うんですけれども、多分5年サイクルくらいだと思うんです。5年くらいいたら、そのところである立場になって、そこにいるのは大体1人か2人ですから、そうすると、もう上に行けないというような状況になってしまう。そういうときに、こっちへ行ったらもう少しいいことができるよという話をするときに、一番困るのは退職金の話と、それぞれの市町村でネットワークが全然なくて、隣でもない。むしろ隣だと怒るというような状況があるんですね。私、現実的に今それに直面しておりまして、幾つか怒られているんですけれども。  
○  経験でというか、メセナ協議会も人が代わりますね。学校を出てアートマネージメントをやって、イギリスへ行って帰ってきたという人は、英語はできるでしょう。そういう意味の優秀さはあるんですけれども、例えばオーケストラの裏方を長年やっていたような人が入ってくる。これは非常にいいわけです。実地に音楽関係でこなせる。ですから、いろんなタイプがあり得ていいと思うんです。いわゆる学歴主義みたいに、ただ学校の成績的ではない、さっき申し上げたように、実際にカリキュラムの半分はどこかへ行ってやるんとか、そういう発想で・・。  
○  そうですね。制度というのも、確かに必要なところがあると思っているんです。それと同時に、個人のキャリアをきちんと評価できるようなシステムをどこかが何かできないか。国がやるというのは変だと思うんですけれども、どこかがそういうキャリアをきちんとしておいて、例えばドイツなんかは完全に工房ですよね。技術者もみんな、おれはあそこに行くよとか、ここへ行くよとかといって変わっていくわけですから、そういうようなシステムを何とかやっていけるような、日本でどうやったらいいのかよくわからないんですけれども、それが必要なんですね。  
○  そ 
の辺がすごく難しいところで、認定制度とか資格制度みたいなシステムをつくると、構造的な改革はできるんだけれども、そこにいくためのプロセスビジョンが変に整理されてしまって、白か黒かみたいなことになってしまうのね。さっきおっしゃった類別も、とても大事な観点なんだけれども、そのどちらでもないみたいなものが、市民と一体化しているところで文脈として出てきてしまうと、それは決めつけようがない。だから柔軟な構造としてのプロセスビジョンみたいなもの・・これはとても苦しいところなんだけれども、それはやはり苦しんでいかないと、そこから先は軽々に、何か型を決め、引き出しを持ってしまうと、あとそれ以外は動けなくなってしまうことがありそうな気もする。  
○  さっきおっしゃったことで、一番最初のクラシフィケーションですが、僕もそのご懸念はよくわかるし、そう思うんですけれども、今の場合は、例えば二国みたいなのが建ってしまうと、中で何をやらなくても、あれはすごいというだけで、そういう弊害は逆にあるわけです。ただ箱が大きくて、外国のあれがたまに来るとか、そうすると、それがピラミッドの上の方に行く。そうじゃなくて、むしろ生活文化型の市民会館型でも、いいものはいいんだという評価ができるわけです。要するに、国立であっても、余りやらないもの、プロジェクトのないようなものは、別に厳密に階級づけることはないですけれども、そういうところにはお金を出さなくたっていいわけで、生活文化型でも非常に充実したものをやっているところは応援するという姿勢があってもいいと思うんですね。  
  そういう意味で、クラシフィケーションと言うと、何か固めてしまうみたいだけれども、逆に言うと、今はのっぺらぼうで、どこに重点を置くべきかというのが何もない方が、むしろ問題ではないかというふうに考えたんです。僕も大体分類は大嫌いなんですけれども。  
○  ご意見もよくわかるんですけれども、私は、どちらかというとおっしゃるように、何らかのグルーピングをした上で、基準というガチガチしたものではないけれども、よりどころみたいなものを何らかの格好で設定してあげた方がやりやすいのではなかろうか。それにとらわれるというのは確かに弊害も出てきましょうけれども、ある程度よりどころ的なものをつくるというのは、これから必要ではなかろうかという感じがいたします。  
  それから、資格制度の問題ですが、これはなかなか難しいことと思いますけれども、例えば音響とか照明といった技術的な側面に関しては、ある程度設定が可能かという感じもいたします。例えば照明家協会とか、そういったところに認定制度的なものをつくっていただくということは、わりと現実性があると思われます。  
  それ以外の一般的なアートマネージャーに関してはどうなのか。先ほど学芸員の話が出ておりましたが学芸員制度は、確かに美術からいろんな分野、動物園から植物園まで全部ひっくるまったものが学芸員として一括して制度化されている。分野によって随分対象範囲が異なるので、そこのところがどうかということがしばしば話題に上ります。また資格を持っているから、地元の人たちとの泥くさい交渉はおれたちの守備範囲ではないといった悪い方の実態も確かにあると思いますけれども、さっき言われましたように、仮にアートマネージャーに関しての資格制度をつくるということになれば、そのような泥くさい側面もあらかじめカリキュラムの中に組み込んで・・。  
○  そういう考え方は余り感心しないね。ボランティアという定義だって、さっき言われたけれども、ボランティアはアマチュアだという考え方はないんで、「今度何か一緒にやろうじゃないか」、それだってボランティアで、金を払わなかったらそれでいいわけでしょう。小劇場だからボランティアがやれて、大劇場はやれないなんて、そんなことはない。そうやって日本的なものができていかなければ、お芸術だと言うので、ヨーロッパのものだけ見せて、それで鑑賞だ、鑑賞だと言っていたら、いつまでたってもできないでしょう。  
○  そういうことじゃないんです。いわゆるアートマネージャーというのは、各館にそれなりの経営の専門家といいますか、そういったものが必要だろうと思うんです。それにいろんなレベルがあろうと思いますけれども、そういった場合に、何らかの資格的なものを設けて、一種の励みとするということも必要なんではなかろうか。  
○  事務局に聞きたいんだけれども、この会というか、そういうのをつくって、そんなに権威があるんですか。僕は、アメリカでやっているように、大学の評価をいろんなところがいっぱいやる。国もやる。ほかもやる。だから僕は総合評価が大事だと言ったんですけれども、みんなでやって、それで見ていったらば、日本は一本になるからだめなんで、いろんなところが評価をする。そうすると、文化庁のプライドが傷つくかもしれないけれども、文化庁の評価はだめだという話になってくるかもしれないでしょう。そういう形になった方かいいんで、評価は僕は絶対に必要だと思うんです。  
○  私が今申し上げているのは、職員の資格の話なんですけれども。昨今、昭和音大とか、多少専門家の養成機関もできつつありますから、先行き何らかの資格制度の導入ということを程度考慮していいんではなかろうか。ただし、それが学部レベルの話なのか、大学院レベルの話なのか。アメリカなんかではMBAの資格が取れるような格好になっていますけれども。  
○  昭和音大のはいい、ほかのはだめだというふうになっていかないと、最終的にはだめなんです。 
○  それはそうなんです。大学評価は、確かにこれから問題になろうかと思いますけれども、一般論としての資格制度というのはあってしかるべきではなかろうか。例えば、大学レベルで一般的資格を設けて、その上で、その後の実践を踏まえ、研修制度等を組み合わせた形での2段階、3段階のバリエーションのあるような制度を考えるべきではなかろうかという感じがしております。  
○  僕は、それがいつでも複数でないとだめだと思っているんですよ。一本になってはだめだと思っているんです。 
○  この間、たまたま文化のまちづくり事業で、美術館というか、町の美術の方をちょっと見せてもらったんですけれども、結構面白い。皆さん、あれで随分いろんなことをやり始めていますね。翻って、公共ホールの方を見てみると、ビジョンを持っていないところが圧倒的に多いですね。特に文章化したものがないんです。  
  最近、僕らは、建物ができるまでに文化ビジョンというか、事業方針をきちんと文章化して本をつくりましょうというのをいつも言っていて、成功するところは余りないんですけれども、幾つかは成功している。そうすると、出来上がってから運営するときに、しばらくそれをきちんと見てやってくれるんです。例えば文化庁の補助金はなくなるかもしれないけれども、補助金というよりは、文化ビジョン、ホールのビジョンをつくるためのアシスト、少しお金を出してあげるとか、そういうような施策というのはわりと具体性があると思うんです。そうすると、それをやるために、だれかの手をかりなくてはいけないから、しようがないからアートマネージャーをだれか雇おうかとか、そういう動きが出てくるし、そうなったときに、今度は公文協などでそういう方をきちんと位置づけてもらって、交流ができるような体制をうまくとってもらうとか、そうやっていくとうまく絡み合ってくるかなと。その辺が目標が全然ないというのはありますね。  
○  その場合の目標というのは、いわゆる我々の理性的なビジョンなのか、ないしは住民レベルで、あれをやりたい、これをやりたいと、その都度その都度、皆さんで車座になって話をしていって、つくっていくものなのか。これは非常に場当たりだから、ビジョンがないんだと決めつけていいかどうかという問題もあるだろうと思いますね。  
○  やっているうちに、だんだん積み上がるでしょうね。 
○  現実に、そういうパターンがかなりあるんですね。多いんです。私どもがそういうものはだめというふうには言えないんじゃないか。 
○  そういうふうに積み上がってきたものを受け皿として書き物にする場が意外にないんです。一つひとつは一生懸命やっているんだけれども、その人のエネルギーがなくなると、ぽっとなくなってしまうとか、それはしようがないですね。  
○  ノウハウの蓄積とか、そういう問題はいろいろあるんです。ただ、そのアクティビティやそういう実態をだめと否定するわけにはいかないだろうと思うんです。  
○  むしろ自分たちが何を目指すべきかという話を自分たちでつくることをやっていないところが余りにも多いので、それを少しやった方がいいよというのは言っていいんじゃないか。  
  参加型で、実は僕らが今やっているのは、月2回ぐらいずつ4年間かけて、まだホールは建っていないんですけれども、マスタープランづくりをやっているんです。40人ぐらいの市民の人とごそごそやっているんですけれども、やっぱり4年ぐらいたってくると、いろんな意見がかなりかちっとしてきて、最初は自分が何をやりたいと言っていた人が、みんなに「こういうことをやらなくてはいけないね」という考え方に全部変わってくるんです。それはなかなか面白いですから、そういう努力はしてもいいかなと思います。  
○  さっきの公文協の調査でも、地域とか市民との関係で、やっぱり困っていることはアンケートの調査に出てくる。そういう現実問題を踏まえて、困っているということが地についたビジョンの根っこになっている。そこからビジョンというのが立ち上がってくるべきなので、ビジョンの方が先に書かれてしまうといけないかなという気もしますね。  
  3時半ぐらいまでが前半ということで、運営についてなんですけれども、まだお話をいただいていない先生方、どうぞご発言ください。 
○  大変面白く伺っていたんですけれども、アートマネージメントも含めて、そういう資格制度があったとして、そういう有資格者という人が引く手あまたでしょうか。予算的な問題で言って、そういう人は欲しいけれども、とても人材にお金を割くあれはないというのだったら、つまり資格制度ができて、資格を取っても、その人たちが流動的に動くなり行く場所があって初めて可能性のある話なんですけれども、そこがないとなると、それはどうなってしまうのでしょうかというのがちょっと疑問なんです。どうなんでしょう。今現実に、いろんな議論のことは置いといて、そういう資格制度ができる。アートマネージメントの優秀な人が欲しいと思う会館も多い。それで一体どのぐらいの人材が、これだけ失業率が高い中で、雇用審議会の方とも連動するかもしれませんけれども、どのくらいの雇用になるものなんだろうかという実態がちょっとわからないんです。  
○  先ほどおっしゃったことは本当にそうで、実際は有資格者がばんばん出てきても、なかなか雇ってくれないと思うんです。まず、官庁も何もゼネラリストですから、スペシャリストみたいな人を雇って張りつけるという人事計画が習慣としてないでしょう。企業だってそうですね。  
  わかりやすく言うと、僕は新聞記者だったので、例えば外国の新聞だったらニューヨーク特派員になるために入るんです。ずっとそれをやっているわけです。だけれども、日本は、朝日新聞社に入ったり読売新聞社に入って、サツ回りとかいう中から、雑誌から、何かフロックで外国へ行くことがある。つまり新聞社みたいなところでも、どちらかというとゼネラリスト。だから、こういう採用のあれがある程度崩れないと・・そうすると、現実に困るから、エコノミストとか何とかいうのは動いていますね。有能な人はA社からB社にと給料が上がって。だから、そういう傾向にだんだんなるんでしょうけれども、今の時点では、今おっしゃったような懸念を持たれるのは当然で、社会の変動とどっちが早いか。そういう人がいっぱい出たからと言って、ぱっと雇ってくれるようにはならないね。  
○  そういう制度が動いているところは、電気主任技師とか、司書とか、学芸員は、それぞれ博物館とか、美術館とか、図書館にいなければならないと法律で義務づけれらている。  
○  逆に言うと、文化マネージャーというものが、このあれだったら2人はいなければいけないとか、そういうふうになれば予算がつく。 
○  それは地方団体から反対が出ます。 
○  司書でやられましたもんね。残念ながら、まだレベルが・・。 
○  今の実態は、もし学芸員というか、マネージャーの資格制度でやると、まず公務員にならないとだめでしょう、特定の大きなホールのように会館やホールが自前で民間の方を随時採用する市場があれば、おっしゃるように動けるでしょうが、今の場合には、ほとんどが自治体からの派遣職員で運営されている。多分この調査でも出てくるだろうと思いますが、派遣が大半ですから、どこかの自治体の公務員になって、かつ自分は資格を持っているからホールのマネージメントをやらせてくださいというふうに言って、そこへ派遣してもらうというルートが考えられる。  
○  先ほどからお話が出ていることだと思うんですけれども、アートマネージメントにも多分いろいろあって、芸術文化型のホールと生活文化型のホールと多目的では、方向性が違うから、そこに入るマネージャーというのは全然違う形で、芸術文化だったら、それこそオペラから何から、クラシックから何から、全部わかる方でないと難しいかもしれないけれども、生活文化型だったら、おばちゃんたちのカラオケ大会みたいなものをマネージメントできる能力を持った人じゃないと、やっぱりいろいろ難しいだろうと思うし、そういうことも考えると、これも何かしらの資格とか、そういうふうにするというのは、物すごい面倒くさいことかなと思ったりもしたんですけれども。  
○  こうしなくてはいけないという資格だと難しいけれども、自分の職に誇りが持てないという部分もあるんですね、いつも下働きになったりして。僕、実は来週も某自治体の面接試験をやるんですけれども、人材派遣業みたいになっているんですけれども、結局、きのうどこで見たかな、カレーライスを食べたことがない人はカレーライスがおいしいかどうかわからないというか、頼まないだろうという話をだれかが言っていて、アートマネージャーが必要だと思っていないホールは、多分、永遠に自分から必要だとは思わない。  
  僕らがつくっていくときに、これはどうするの、だれがやるのという話をしょっちゅうしていると、そんなのは私はできませんというふうに行政の方がおっしゃって、じゃプロパーの人が要りますよね、じゃこれをどうしましょうか、今の段階だと縁故採用とか、そんなのはとてもきかないから、公募にしましょう。そうすると、公募の委員会をつくって公募選考のシステムをやりましょうというふうに動いてくれるんです。そういうところで幾つか、多分三つぐらい僕の周辺でやったんですけれども、そうすると、広報に出したぐらいのすごくマイナーな情報でも、1人の募集に20人や30人はぱっと来るんです。そうすると、結構いい人が選べるんです。見てみると、あっちこっち海外へ行ったり何かしてふらふらしているんだけれども、そういうことをやりたくても、よくわからないとかいう人が本当にあふれていて、うまく拾ってあげれば、すごく能力を発揮してくれる人はたくさんいるなと思うんです。  
  ただ、残念なことに、それを必要だと思ってくれるホールが少ないというのが実態だと思いますね。 
○  一つ質問していいですか。文化庁に在研制度というのがありますね。アートマネージメントの方も海外に研修に出ていらっしゃると思うんですけれども、どういう方たちが何人ぐらい、どんなところに研修に行かれているんですか。  
△  最近は十数名は出るぐらいになってきていると思います。今までは、どちらかというと、芸術団体の中でマネージメントをやっている方が行かれるケースが多かったと思います。ただ、今年から地方公共団体からの推薦もいいですよと。つまり個人で応募するというより、統括団体から出してもらうということになっておりましたが、各県からも適任者がいれば出していただくということに変えましたので、地方公共団体の施設の中の職員の方も何人か、今年の場合も派遣されることになっておりますが、どちらかというと、まだ競争率が低い感じで受けとめているんです。  
○  知らない人が多い。 
○  知らないでしょうね。在研制度自体がなかなかあれですね。 
△  出せないということもありますね。一つはまとまった期間行くことになりますので、大規模な施設で、代替できる体制があるところでないと。  
○  出すということは、あなたのところは人材が余っているんだろうと言って取られてしまうから。 
○  ごめんなさい。蛇足でした。 
○  マネージャーというのは、やはり経験して、現場でもって自分で覚えて、やり方を身につけるでしょう。ですから、違う現場に行けば、そこから経験し直さなくてはいけないという現場の厚さが実際に役に立つ人を育てているんで、それと資格制度というものとは直結しない。さっきおっしゃったように、資格試験はあるだろうし、研修制度もあるだろうけれども、もっと実習的なものが要求されているわけでじゃないですか。ですから誇りを持てないというのは困るんだけれども、逆にステータスになってしまうと、実動的でなく、その資格だけでもって公の施設を渡り歩くみたいことになってしまうと、それこそ、どこに行っても市民との結びつきができなかったりなんかする。だから、ない方がいいというわけではないんだけれども、そういうことも資格制度というものにはありますよね。特にマネージャー業というのは、すごく人間的なものですから。  
△  多分いろいろご議論があるだろうと思います。学芸員の問題を一つ考えても、いろいろな問題がありまして、養成している規模に比べて、実際に採用される方のバランスがとれているような状態じゃないわけですね。また、日本の社会というのは、人材養成を国家的に計画的にやるような国柄ではありませんので、どうしても資格という場合にそういう問題がつきまとう要素が多分一つあると思います。  
  ただ、各施設の中で、かなり専門的な知識、技術を持った人が必要だという現実はあるんだろうと思うんです。私どもとしては、適任の方がそこに配置される、またそこで大いに発揮していただくような環境を全国的につくっていく努力をしていかなきゃいかんという気はしておるんです。現場サイドもある程度そういう考えが出てきているということと、また、文化会館を利用するいろんな団体の中でも、仕事がやりにくくてしようがないから、逆に、そういうところで働く人たちの資格みたなものを自分たちでつくってあげましょうという動きも一方であったりしまして、お考えでは、いろんなものがあっていいんだ、また、その中から社会で評価されるでしょうということですけれどもね。  
○  日本は画一過ぎるよ。 
○  ないところは、またないんだよ。それが問題なんだ。 
△  ただ、文化会館という関係者の中で、非常にもんなんですけれども、そこで働く人の問題ですから、そういうところが主体的にいろんな知恵を寄せ合って、どういう形のものが今現実にきちっとしたものかということを議論していく・・。  
○  学校をおつくりになればいいと思うんです。つくって、当分は絶対に売れないと思うよ。それが本当にいいんだという実際の・・ちょっとぐらい、大学で4年や5年やったところで絶対に役に立たない。それは間違いないことですよ。  
○  さっきおっしゃったのは、マネージャーというのは人的にもいろんな経験をして、大変な仕事。そういうふうにマネージャーをお考えになる。そういうマネージャーももちろんいるわけだね。だけれども、アメリカなんかで、ああいうシステム、学校教育がやたらにはやった一つは、芸術NPOで働く人がファンドレージングをやるために、そういう課程を出ていると便利なんです。具体的に、例えば税金をどう払うかとか、免除をどうするかとか、どういう会計報告をするかとか、あるいはうまく企業なんかへ行って口説いて説得するとか、そういう人が、単に施設だけじゃなくて、お金をもらう方にもいなければならなくなると、大幅に需要が出てくるわけですけれども、NPOは始まったばかりで、芸術性NPOが動くのか動かないのか、わからないような状況ですから、さっきおっしゃったように、今急にできてもそう売れないと思います。  
○  いや、売れなくてもいいけれども、どんどんつくればいいんですよ。行ってみて、それが役に立つということが世間に認知されれば自然に・・。ただ、国がキュレーターを置くように、必ずどの施設にも2人ずつ置かなければいけないなんていうのはやめた方がいい。それは絶対にやらない。自由競争で、どこの大学のあれはなかなかいいということになって、それを採ろうじゃないかというのだったら、それでいいけれども、そんなに簡単にいかないと思いますよ。今はキュレーターだって余りに余ってしまって、困っているわけでしょう。  
△  キュレーターは、多分性格が違うと思います。 
○  場所を選ばないで、どこの町の博物館でも行くというなら別だけれども。 
○  文化庁の方では、そういう問題意識を持たれているということはわかるんですが、いきなり資格制度と出てるから、やや議論に飛躍があるんで、例えば専門家の位置づけとか・・いい言葉かどうか、わかりませんが、単に頭だけじゃなくて、経験も踏まえた専門家が多数育つことは必要だし、またそういうものが必要な施設に配備されるということも必要だということは、大体、皆さん一緒だと思うんです。ただ、その置き方やどんな人を入れるか、ないしは画一的なやり方はまずいだろうとかいう意見もあるし、それを今の学芸員と同じような資格制度にするかどうかというのも、また一議論あると思うんです。  
  だから、人材養成とか研修というのは、本当に施設の職員の問題ですから、もうちょっと上というか、もう少し成熟した形での専門家というものが必要だというぐらいの認識は、一般的にもあるので、専門家の位置づけみたいな議論の中にもし資格制度に触れることが必要だというご判断があれば、触れていただければいい、どう触れるかは別として。いきなり資格制度がどんと出ると、まず資格制度をつくることを前提にしたような議論にちょっと聞こえるんですがね。  
△  おっしゃったことについて、きょうの資料8で、「現代舞台芸術人材養成プラン」というのをまとめたものなんですが、4ページを見ていただくと、(5)のところに、そのことに関連したことが実は書いてあるんです。私どもは、資格ありきという形で、まずつくることを前提にした議論はしていないつもりなんです。「専門性を評価する方策の確立」という書き方にしておりますし、民間の団体が多様に・・実は日本の照明家協会だけがやっているんです。それ以外はやっていないんです。労働省の方の技能士の中に、舞台の操作の関連のものがちょっと入っていますけれども、何にもない状態なんです。もちろん民間団体でそういうものをやったときに、国としては基本的には奨励という立場でいるわけですけれども、未実施の分野についても、それぞれの実情に即しながら、そういう専門性を評価するような方策を検討していきたいというのが私どもの基本的なスタンスで、つくるということだけが前提ではありません。  
○  こういう気配りされた表現ならいいんですが、いきなり資格制度と出てしまうと、ちょっといろいろ誤解を招くかもしれません。 
○  さっきおっしゃったことにつけ加えていただきたい視点は、公共文化施設の側では、要するに、自治体の人事異動によって、例えば事業課の人たちが異動していくわけですね。そこに、マネージャーとは言わなくても、現場の仕事に習熟した人がいなくなってしまう。もしそこに専門性高い人たちがある意味で位置づけられて、連続性を持つことができれば、人間としても、あるいは仕事の継続性でもいいんですが、そういう視点もつけ加えていただければなと思うんです。  
○  そういう人を選ぶと、今おっしゃったように、資格というのが出てきてしまう。Aでも、Bでも、何でもいいということにはならなくなる。  
○  専門家というものをどうするかということですね。 
○  昭和音大の第1期の卒業生が私の地元の、リリックホールの職員として入ってきており、徐々にそういった人たちの売れ口がでてくるのではなかろうかという感じがします。ただ、リリックホールの場合には運営財団ということで、従来は、市の職員が大半を占めていたのですけれども、徐々に市の人たちが引き上げて、財団プロパーの職員に置き変える方針と聞いています。そうなると、先行き処遇の面で大変大きな問題が生ずると思うんです。  
  そういった意味で、県の中央館あたりがコーディネーター役になって、少なくとも県内の人事の流動性が高まるような仕組みが、一方で必要ではなかろうかという感じがしております。  
  また、私の関係している某大学、某々大学とも、学部レベル、大学院レベルで、部分的にアートマネージャー養成のような科目を開講し、そのようなケースが最近増えてきています。そこを卒業しても、従来の何々学部卒あるいは何々専攻修了ということだけなんですけれども、アートマネージメント担当者に関わる何らかの資格認定制度的なものが別途あれば、それに見合うようなカリキュラムの編成が、大学サイドにもおいても可能ではなかろうかという気がしております。ただ、需要が果たしてあるかどうかというと、それはまた別な話なんですけれども、制度的にそういった資格といいますか、認定制度的なものができれば、大学の方としてもこれから非常に対応しやすくなるのではなかろうかと思われます。  
○  それは大学経営の問題だね。 
○  さっき先生のおっしゃった県レベルでプロパー職員の流動化ができるようなシステムを考えてほしいというのは、本当にそう思いますね。私のところのドクターで、建築からドロップアウトしてホールの職員になったのが2人いるんですけれども、先どうするかなとか、いろいろ考えたりしているとやっぱり・・。  
  結構回っていくといいし、例えば近くのホールで横浜の文化振興事業団にいた方を公募でいただいたんですけれども、非常によくやってくれている。そういうふうにステップアップしていくというときに動いていくのは、僕はかなり有効だと思うんです。だから、それは何かお考えいただけるとありがたい。どうしたたらいいのか、わかりませんけれども、そういうのは公文協あたりが何かやった方がいいんですかね。どうなんですか。  
△  今度調査が行われているわけですけれども、今出ているように、資格制度とストンと来たときに、各施設がある種の戸惑いみたいなものを持って答えているなというのが、様で出てきているようです。  
  それから、この中にはまだはっきり入ってきていないんですが、公文協の立場で幾つかそういう状況を見ていますと、最近、やはり財団運営という形が増えてきて、その一つの理由には専門性を確保する。派遣職員が大勢を占めていますけれども、最近は、財団運営にしたことによって専門性を持った職員をわりと自由に雇用することができる。そういうことで、今現実的なカバーリングをしているのではないだろうか。じゃ自治体の直営といいますか、その中でどうできるかというと、これまでの学芸員の制度そのものが、かえってある種の硬直性を持ってしまっているがゆえに、自治体側として、こういう文化施設に資格制度が必要であるというところまでどうも踏み込めない。そういう現実も一方ではある。そんなようなのが、調査あるいは公文協の中で見聞きしている状況でございます。  
○  司書についても同じですね。 
△  司書については、公文協というか、自治体の人間の立場からすると、司書の特異性というものがもう消えつつあるんです。この情報化の時代、様々な処理自体が随分進んでいますから、そういう意味で、ある時期においては相当な専門性があったものが消えてくるということも、この資格制度といったときには非常に難しい。ただ、自治体の雇用の関係ですと、そういう枠組みで雇用していますので、それを容易に転換できないというような問題が、資格制度あるいはキュレーター等々に関するもう一つの問題、人事の問題として残っていると思います。  
○  財団運営というお話がありましたけれども、形だけで、大体が行政の長が理事長になっていらっしゃると思います。そこが財政的な問題でいろいろ問題がありますし、人事異動の問題でもあって、プロパーの職員をどの程度評価してきちんと待遇するかということは、アートマネージメントを勉強なさってもすぐに行けないということですから、本当の意味で運営をどうするのか。ですから、国立であっても、私立であっても、トップがきちんとビジョンをお持ちであると、例え出向の職員の方であっても、非常にうまくいっているというのが現状だと思いますね。館長の自主裁量権というのは、本当にビジョンをお持ちの方がトップにお立ちになるということが大切なんじゃないかという気がしております。  
○  キュレーター、学芸員というのはちょっと例が悪いと思うんです。学芸員の教育というのは、例えば美術史と博物館法で消毒ぐらいで、つまりマネージメントの要素は全然ないわけです。その人が美術館に行くから、全然経営に興味はないわけだから、年中、美術史の知識で住民と衝突する。だから今の学芸員がおかしいわけです。  
  僕が具体的に驚いたのは、初めて取材でMOMAへ行ったんです。ニューヨークの近代美術館。そうしたら、キュレーターというのは90人いるんです。一つの美術館で90人のキュレーター。そしてあと40人、デベロッパーという人がいたんです。デベロッパーというのは、地上げ屋みたいでちょっと変じゃないですか。何でこのMOMAに地上げ屋が40人もいるのかと思ったら、これがみんなアートマネージメントをやったような人、あるいはファンドレージングをやった人で、ピカソ展を考えるのはキュレーターで、これを実際にどうやろうかとか、外部からお金をもらうとか、逆に来る人に魅力あるパンフレットをつくるとか、そういうことを含めて、この40人がデベロッパーなんです。そういう人がいるべきなんで、今までのキュレーターみたいなものじゃない、初めからもっと戦闘能力のある・・。  
○  国宝を持っていたら、やっぱりキュレーターがいなければ危ないじゃない、割れてしまうから。両方だよ。 
○  両方なんです。だからキュレーターが要らなくなるわけじゃなくて、キュレーターは必要なんですけれども、例えばデベロッパーというのがあって、アートマネージメント的な、ファンドレージング的な勉強をしてきた人が結構活躍しているんです。そういう人が、アカンタビリティーですか、外に立って、この計画はいいんだとか、説得力あるわけです。それはキュレーターの仕事じゃないんですね。  
○  休館日にファッションショーとかやっている。 
○  そうそう。 
○  地方自治体と切っても切れない縁があるわけですから、行政的なセンスというか、そういう素養は当然持っていなければならないだろうと思うんです。それがまさに文化会館にかかわるアートマネージャーの基本素養だという感じかするわけです。ただ、それが一たん市、県の職員になって、そこから出向するという人事の今の仕組みがいいのか、それとも財団等にプロパーで入った方がいいのか。プロパーの職員の場合にも、当然ながら母体とのかかわりがあり、地域住民との関係があります。従って、その辺のことも含むきちんとしたカリキュラムを研修制度なり大学の授業科目の中に組み入れて、それをこなした上で初めて資格を認定するという方向に持っていかざるを得ない。すなわち、学芸員とは全然別のゼネラリスト的素養を身につける必要があろうと思われます。  
○  そういうふうに分けるとすると、私は専門性の高い劇場であればあるほど、キュレーター的な人とデベロッパー的な人の両方がいると思うんですね。会館というか、ホールでも。  
○  うまくセットする必要がある。 
○  バックグラウンドがなくて、マネージメントだけというわけにはいかないわけですから、もちろんデベロッピングをやっている人も、アートについてはある程度バックグラウンドがあるわけですね。だから両方必要ですよね。  
○  本当に美術館にデベロッパーというのがいると知ったときは驚きました。 
○  デベロッパーは、何か資格制度になっているんですか。 
○  もちろんMBA。 
○  どこが資格を出すんですか。公共で出すんですか。 
○  デベロッパーとして採用するわけです。 
○  そういう職種が出来上がっているという意味ですか。 
○  アートマネージメントコースを出てきた人を採用する。 
○  職能としてある。 
○  現実的に言うと、そろそろアートマネージャーとか何かの組織がどこかから立ち上がってくるというのが、一番いいのかもしれませんね。  
○  今は不景気だから考えられないですけれども、企業メセナ協議会ができて、専門部署というのがいっぱいできたんです。アートサポートを含むフィランソロピー、そういう専門部署。そうすると、そういうところにはそういう知識がある人が入ったらいいわけです。ところが、三菱の社員じゃなければいけないわけですから。三菱だったら三菱の試験を受けて入っているわけです。そこへ専門性があるからといって、必要だからといって、なかなか動かないわけです。だから前にいた人が異動してしまうと、また一から始める。企業の中でもそういうことをやっている。だけれども、そういう仕事に必要性がないかというと、潜在的にあるんです。だんだんそういう専門部署ができつつある。  
○  マネージャーの位置づけだけでなくて、要するに、運営全体にかかわっていることですね。そういう人材がいたとしても、それをどういうぐあいに生かすかという。  
  私も、この間伺ってびっくりした話ですけれども、あるホールがイギリスのあるホールに、非常に特殊なことで、シェイクスピアを高校生にやらせたいという話で電話をかけたら、45分後に120ページの関連資料がプリントアウトされた。それは本当にデベロッパーが言っているのか何か知りませんけれども。  
○  ワークショップをやる専門家が恐らく・・。 
○  それだけぱっと集まってしまうんですね。 
○  劇場の学芸員とか、そういうのはすごいですよね。スタッフが物すごくたくさんいるし、かなりきちんとやっている。 
○  さっき「勉強」はやめましょうとおっしゃったけれども、「学芸」という言葉もやめたらどうですかね。違うんだもん。 
○  さて、まだ後半の時間がありますので、今の関連でもまたお話をいただきたいと思いますが、10分ほどお休みをいただきます。 
                          午後3時45分休憩 
          ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
                          午後3時55分再開 
○  それでは、再開いたします。 
  先ほどのお話に関連して、ご感想がありましたら。 
△  先ほどもちょっと話し始めたんですけれども、議事録に残るのが適切かどうかという戸惑いがあるので、また後で表現で直させていただくかもわかりませんけれども、先ほど文化会館、いろんな会館を利用する方々の間でも、文化会館における専門的な能力のある人がいていただくことが、仕事上、非常にやりやすいという感想をお持ちの方がおられるというお話なんですけれども、具体的には、クラシック音楽などの公演をプロデュースする、マネージメントする方々なんですけれども、そういう方のお集まりの中での議論で、文化会館で働く人たちの資格認定制度みたいなものを事業としてやったらどうかということで、具体的な検討をされている動きがちょっとあるんです。  
  私どもの立場からすると、文化会館は非常に多様なものですけれども、そういう中での社会的な役割とか機能というのは、そういう関係者の中で主体的なご議論をしていただいて、より適切な方向に、専門性を確立する方策を練っていただいた方がいいんじゃないかという気がしておりまして、せっかく文化会館活性化の会議があるわけでございますので、そのあたりのご議論を十分いただきたいということで、アンケートの中でも、各現場での受け取り、また現状、ここでのご議論のテーマということで設定していただいておりますので、先ほど資格が先に出過ぎているんじゃないかというお話があったんですが、若干そんなようなことがありますので、ご議論をこれからもいただきたいということでございます。  
○  先ほど出ていたご発言に関連していえば、むしろマネージャーという業務そのものについて、職能として社会的な認知が、例えば財団とか、自治体とか、そういうところにきちんと立てられることが、まずは大事かなと思っています。  
  それでは、後半は事業についてであります。資料3の2ページの下段に、事務局が用意してくださいました枠組みがありますが、これにとらわれず、ご自由にご発言いただければと思います。  
  (3)に「その他」というのがございます。バリアフリーとか老朽化施設、これは先ほどの報告にも一つありましたが、そういったことも含めてご発言いただければと思います。  
○  前のところと重複してしまうかもしれませんし、全然的外れなことかもしれないんですけれども、「公立文化会館の活性化に関する基礎調査について」という資料16に、どういう用紙に書き込みをしたのかというのが添付されておりまして、それをちょっと見ていたんですけれども、それは事業とは違うかもしれません。あえて関連するとすれば、老朽化した施設ということになるかもしれないんですけれども、いろんな書き込みをする中で、例えばイス席が何席あるかとか、廻り舞台があるかどうか、せりがあるかどうかということが書いてある中で、楽屋について触れてあるところがないんです。つまり楽屋設備についてのアンケートというのはとっていない。  
△  状況としては、フェーズという形で、楽屋がどういう状況にあるかというのは、スタティックな部分として出してございます。 
○  というのは、うちは家族でいろんなことをやっているものですから、父が音楽関係で、母が舞台関係で、私はこういうところに呼ばれていくときは講演をするということが多いんですけれども、いろんな形で施設を使うことがあるんです。舞台や観客に対しての配慮というものは当然なんですけれども、あそこの半分を担っているのは出演者の方でもありまして、その出演者にとってどれだけ居心地がよかったり、使い勝手がよかったりということに対して、設計をする段階でどのぐらいの・・それもいわゆるアートマネージメントに入るのかもしれないんですけれども、どれだけ使い勝手のいいようになっているのかどうか。設計をする段階で、そういう人たちがどのくらい入っているのか。私は、あえて専門家というのならば、そういうところにも入れていただきたいなと思うことが常々あります。  
  例えば舞台一つとってみましても、上手、下手の出入りのときに、どうしてもホリゾントのところを通らなければ移動できないというような施設もありますし、とっても立派な劇場で楽屋が別の階にあるものですから、エレベータで移動しなければいけないんだけれども、初めて行った劇場では、その時間的なものを把握するのがとても難しいというようなところもありますし、特定のところを出してはいけないんですけれども、愛知の芸術文化ホールはすごいセキュリティーが厳しくて、私、小劇場の方に出ているときにちょっと時間が余ったので、美術館の方に行こうかなと思ったら、一々「あなた、どこへ行くんですか」と物すごい勢いでチェックされまして、そのたびに「私は小劇場に出ておりまして」なんて言いながら、あるいはあそこはとてもわからなくて、出演者は必ず迷いますし、あそこにいると牢獄に閉じ込められたような気分で、とてもじゃないですけれども、あそこで何かいいものをやろうという気持ちにならないと私ははっきり申し上げたくなるぐらいなんです。  
  例えばコンサートホールでも、池袋の芸術劇場なんかは、それぞれの楽屋が一つひとつあって、この前にホワイエではないですけれども、みんながたむろできるようなところがあるものですから、何となく出演者が顔を合わせることができる。ところが、サントリーホールなんかは、舞台の真裏にそういう場所があるために、わりと分断されてしまって、出演者同士が顔で交流することができない。非常につまんないことで、こういう中では余り関係ないことなんですけれども、出ている者にとってみればそういうこと一つで気分も違うし、楽屋のそばにトイレがあるかないかとか、シャワールームはついているんだけれども、トイレがない。女の人にとってみれば、シャワールームよりはトイレが楽屋の中にあった方がいい。つまり衣装なんかを全部来た後にトイレにわざわざ出掛けていくというのがどれだけ大変か。そんな細かいことも含めてですけれども、専門家というような観点をもし入れるとしたらば、私はそういう部分に対しての配慮というのも、これからはもっと必要なんじゃないかなという気がしていました。  
  それで基礎調査なんかを見たときに、ああ、やっぱり楽屋なんて全部抜け落ちているんだな、どうせ出る人のことなんて考えてくれていないんだなというように、ちょっとひねくれたような気持ちになってしまったんですけれども、それは別問題として、そういう部分に対しての配慮というのもできればいただきたい。特に老朽化した会館の変更なんかをする場合には、その部分の配慮というのもいただきたいなというような気持ちを、関係ない観点ですけれども、そういう方がいないので、ちょっとだけ申し上げておこうかなと思いました。  
○  建築家は、大体見えるところしか考えていないですよ。バックステージなんか・・。 
○  でも、出る人たちは、あそこはいろんな出前屋さんが来るとか、あそこはすごく居心地がいいとか、あそこの畳は汚くてダニがうつるとか、そういうようなことは結構いろいろ言っているから、それだけでも気分が全然違ってしまうということがある。  
○  さっき名前が出たホールは二つともお手伝いしております。楽屋の話は、多分、建築の中では結構やっていまして、大分よくなってきていると思うんです。ただ、リニューアルするときにそういうものをどうするかといったら、純粋に建築の視点なので、むしろ建築学会に劇場小委員会とかいっぱいあって活動していますから、そっちの方へうまく話をすれば、結構出演者に丁寧な建築家もたくさんおりますので、いいと思います。  
  確かに建築的な問題よりも、愛知の場合は、セキュリティーが本当にすごくて、部署が劇場部と美術館部と総務部と全然所轄が違うんです。館の人も、扉を通るためのカードをたくさん持っていないと入れないとか、私もあそこの運営委員会をやっているんですが、運営委員会に行くときも必ず楽屋の総合窓口に寄って名前を書いていかないと入れないとか、いろいろなことがあって、多分それは上の気持ちなんです。そういう部分は、お役所が管理すると、どうしてもそういうところが出てきてしまうので、ホテルみたいにすぐ顔を覚えてもらって、あの人が来れば、よほどのことがない限りきちんとチェックしていくとかいうような・・もちろん何か事故があったら大変だということになると思うんですけれども、そういうようなことはそろそろソフトで何か考えないといけないかなというふうに思いますね。みんな平等主義ですから、だれが来てもとにかく名前を書けという話になって、あそこで怒って帰った人をたくさん知っていますけれども、これも余り議事録には・・。  
○  事業の内容と関係ない。 
○  ただ、古い建物、30年ぐらいたったやつは、楽屋は狭いし、舞台も狭いし、危ないし、トイレは余りないしというところはすごくたくさんあると思うんです。それをどうするかというのは、かなり大きな問題ではあると思いますね。建て直しをやって、全部新しいのをつくるという時代ではなくなったので。  
○  2ページに、先ほどご指摘がございました「住民への文化活動の支援」と「鑑賞機会の提供」をかき分けてあったので、文化活動の大きなものは鑑賞活動であると考えるのですが、ここで文化活動というのは、舞台に乗る方の活動を文化活動と定義しているのでしょうか。鑑賞活動が最も多くの人の大きな文化活動だと思います。  
△  どちらかというと、鑑賞以外に自らがやるということをある程度想定して、言葉を使わせていただいております。 
○  そうでしょうね。私は、個人的には文化活動は舞台に乗ることではない、絵をかくことでもない、美術館に行って絵を見ることが私の文化活動であり、いろんな会館に行って音楽を聞いたり演劇を見たりすることが私の文化活動だと定義しているものですから、その言葉の定義はいかがでしょうか。  
  会館によっていろいろ重きが違うと思うんですが、人口の90%以上・・もうちょっとじゃないかと思うんですが、彼らにとって、私も含めた人にとっての一番の文化活動は見る方であって、舞台に乗ったり、絵をかいたり、俳句をひねったりするというのはごく少ないパーセンテージじゃないかなと思います。もちろんおっしゃたような意味で自らやる文化活動はとてもすばらしいことなんですけれども、そこに行き着くのには相当な時間がかかります。鑑賞活動というのは時間がかからない。すぐにマスターできる。アプローチできる。いろんな手段が必要ですけれども、ワークショップがあったり、セミナーがあったりすれば、ますます鑑賞活動が自由にできるんですが、そういう方が先にあるんじゃないか。館の性格によって違うんですけれども、順番として、より多くの人が関わる文化活動を先に考えるべきではないでしょうか。  
○  館の大小にはかかわらないんじゃないですか。基本的に、ボランティアが素人だという考え方がまず間違っていると思うんです。ボランティアで金をもらわないで一遍書こうよ、やろうじゃないということをやって、それを大きな館でやったら、ボランティア活動でいいわけでしょう。  
○  それはいいんです。 
○  そういう方が地域にたくさん出てきて、みんながやり出すという形になればそれでいい。 
○  私、今ボランティアのことを言っているわけではなくて、鑑賞活動のことを言っているんです。 
○  鑑賞と言ったって、やる人だって、自分のやっていることを見ながらやるし、いいんじゃないですか。 
○  いいんです。 
○  はっきり鑑賞とあれに分けなくたって。 
○  もちろんいいんですが・・。 
△  とりあえず三つに置いてあります真意なんですけれども、従来、公立文化会館の事業というと、貸館と自主事業という分け方がありました。自主事業と言っても、一応鑑賞のためを主眼としてプログラムをつくってやるのも自主事業だし、市民参加を得ながら、そういう一つの創造的な活動を自ら館を主体にしながらつくるというのも自主事業というふうに言われていまして、貸館も、場合によって、住民の文化グループ、団体の方が使われるのにお貸しするのも貸館だし、プロの方が回ってこられるのに館の方が会場を貸すという形も貸館ということで、同じ言葉の中でも、事業の性質といいましょうか、利用形態がかなり複雑に入り込んでおりますので、議論したときに別な表現にした方が議論しやすいのかなということで、こういうふうに置かせてもらったんです。  
○  そうだろうと思います。 
△  ここでいろいろ議論していただいて、表現とか、分け方とか・・。 
○  オラトリオを作曲して、市民の合唱団が乗ったっていいわけでしょう。別に何も鑑賞しなくたって。 
○  私はそれを否定しているわけではまるでなくて、それがあるというのもわかっておりますが、人口全体というんですか、国民全体というか、私どもは県民全体から言うと、県民のほとんどの割合の人が、舞台に乗る人よりも、むしろ見に行く人の方が多いんです。市民が舞台に乗るということも含めて。舞台に乗る人は、どんなに大きい活動をしても300人ぐらいですね。見る人は1000人とか2000人とか見るわけです。だから、文化活動と言った場合には、鑑賞活動も文化活動じゃないかなというのが私の問題提起なんです。  
○  そのときに何をお見せになるんですか。 
○  何でもいいんです。市民が参加しているのでも何でも。 
○  両方でしょう。 
○  何でもいいんです。 
○  高いものを持ってきて、市民の美的センスを啓発するためにやろうというのではなくてね。 
○  いやいや、私、そういう意味を言っているんじゃない。 
○  みんなでやるわけで、いいんじゃないですか。それがだんだん上がっていけばいいわけでしょう、レベルが。 
○  私は決してそれを否定しているわけではないというのをまず理解いただきたいんです。私が言っているのは、文化活動というのは、やるのも文化活動だけれども、見るのも文化活動てすねと言っているんです。  
○  両方ですよ。当たり前ですよ。 
○  それで私は、文化活動というここの言葉が一義的に「やる」文化活動を意味しているのに異を唱えているわけです。 
○  見るだけではないでしょう。やるのも文化活動でしょう。 
○  そうですよ。 
○  だから鑑賞だけというのはまずい。 
○  そうですよ。だから私はそれをこういうふうに書き分けてあるので、どうかなと言っているだけです。 
○  文化活動の受動的な側面―受動と言い切っていいかどうかわかりませんけれども、やや受け身的に聞いたり見たりという面を指しているものと思います。一方、参加するという―かつて参加する文化活動という言い方をしていましたけれども―積極的・能動的な側面をとらえたのが、前段の方の文化活動のことを言っているんだろうと思います。その意味での参加と鑑賞という分け方もできるわけでして、これを全部ひっくるめて文化活動の範疇に入れても、それはそれでよろしいんではないでしょうか。そして館によって鑑賞が中心になるところもあれば、参加する文化活動が中心になるところも、地域的特性なり、館の大小によってあってもいいんじゃなかろうか、そんな感じがします。  
○  今のことに関連して、鑑賞ももちろん参加だと思いますけれども、ちょっと意地悪くというか、従来のこういう議論では、住民の文化活動ということになると積極的参加活動という意味で、いろいろ市民参加型のプログラムを中心に議論していたと思います。鑑賞型のものというと、どちらかというと買い公演的なものとか、貸館の一部を意味する。それから、自主事業の一部も買い公演のものがありますね。実際に自分のところで全部オリジナル企画でつくったものでない自主事業というのは、大体買い公演ですね。予算を組んで、館が企画はしますけれども、実際はできたものを買う。私は、言葉は悪いですけれども、買い公演を決してばかにしてはいけないんで、買い公演でどんなものを選ぶかというその辺で、質の高い、ないしは地域にミートするような買い公演、ないしは貸館でも峻別をしていいものを入れていくということが大事で、それがまさに住民の鑑賞機会を高めたり広げたりする一つの重要なきっかけとなります。買い公演が何かはきちんと位置づけをしていただいた上で、買い公演に対しても相当エネルギーを使って峻別をしていければ、実際に住民自らを引き込んだ積極参画型のものでなくても、十分意味があると思います。  
  それから、表現にこだわると、「住民に対する教育プログラム」という言い方はやはり役所的な感じがしますね。住民参加型プログラムとか、住民交流型プログラムとか、言葉の問題ですから余りこだわりたくないんですが、住民の主体性をもっと生かすような問題意識で書いていただいた方がよい。また住民主体のアクティビティを応援するという姿勢をはっきりしていただいた方が、表現的にはいいような気がいたします。  
  さっきの速報でも、住民がなかなか乗ってこないという議論があったようですが、余り住民を責めるべきではないんで、やり方の問題なんだろうなという感じがちょっとしますけれどもね。  
  鑑賞の方については、買い公演や貸館にも十分気配りをしてほしいということを申し上げておきたいと思います。 
○  この紙で見ますと、(2)事業について、その次に「住民への」から始まりますね。今の文化庁が実際にやっていることの現実を反映していると思うんだけれども、「芸術創造活動の実施」と書いてありますけれども、その前に、この項目の一番上にあるべきなのは「創造実現への協力」。創造すること自体に対して、どういうふうにそれを守り立てていくか。例えばアーチスト・イン・レジデンスで長くつくる、そういうプロジェクトとか・・つまり実施と言うと、できたものをそこでやるということでしょう。そうじゃなくて、いやしくも文化庁の地域文化振興課なんですから、芸術創造の実現にどう協力していくかというのが一番最初にあるべきじゃないかと僕は思うんです。つまり実施というのはできたものをやることで、それも大事なことかもしれませんけれども、文化庁が指導するとか何とかいうんじゃなくて、ソフトをつくるのに、法的にも何的にもどういうふうに協力していくか。例えばアーチスト・イン・レジデンスなんかを具体的に実現したら、それをどういうふうに文化庁として取り組んでいくか。つまり創造実現への具体的な協力というのは非常に大きな項目だと思うんですが、それがなくて、鑑賞とか、住民への文化活動。それが大事じゃないとは言いませんけれども。一番最後の方に、「芸術創造活動の実施」とぼこっとあるんですけれども、そこがちょっと僕は不満なんです。  
○  文化活動の支援のところが創造活動に対しての協力的な側面で、最後の芸術創造活動の実施というのは、館自体がつくり上げていくという、そういう意味合いではなかろうかと思います。  
○  主語が会館なんでしょうね。 
○  主語が会館なんです。でも、指導とか何とかじゃなくて、文化庁が文化政策的にソフトに対して何か協力していくというスタンスが、事業としてうたわれて・・。  
○  記述の問題で、まとまるときに、今の観点は生かされると思うんです。 
  それに加えて、先ほど事務局のお話がありましたけれども、やはり参加と鑑賞というのをこうやって分けられてしまうと、認識の仕方がますます分けられるというか、例えばアマチュアの合唱団というのはすごい数が多いんですね。お年寄りというか、シルバーコーラスなどというのもすごく多くて、子どもの合唱団と一緒にやるようなフェスティバルが各地でもって行われているんです。彼らはお互いに聞き合う機会を持つ。だから彼らは参加者であると同時に鑑賞者でもあって、そのことがすごく意味があるんですね。最初はそれこそ教育的プログラムによって鑑賞、いわば受動的だった人が能動化するんです。そして、そのうちに相互に、お互いを聞き合うという機会がすごく増えてきて、このごろ、いろいろな会館でも、地域のグループでも、そういう交流の機会がすごく多くなっている。そこでは鑑賞と参加ということはほとんど隔てがたい実態があるものですから。  
○  多分これは方向性からの違いで話をしている。だけれども、実は基本的にはみんな一緒のはずだと思うんですね。ただ、やっぱり僕は創造というのはなるべく前に持ってきてほしいなというのは一つはあると思うんですけれども。鑑賞の機会というのは、多分、外のどこかで出来上がったものを持ってくるというつもりで書かれているのかなというふうには意識しているんですけれども、そうでもないんですか。  
○  限らないんでしょう。 
△  書いた立場からご説明しますと、事業としてどんな要素があるのかというのをわりと抽象的に持ち出したというところがございまして、会館の機能としては、何らかの形で買い公演である場合もあるし、いろんな場合もあるでしょうけれども、鑑賞機会の提供というのは当然あるというふうに思いまして、このところに鑑賞機会の提供という形で入れたわけでございます。実質的には、もちろん買い公演が多くなってくるのかもしれないんですけれども、そういう趣旨です。  
○  一つ、ここにどういうふうに入るかというのはあれなんですけれども、参加プログラムの中で、自分がやりたいということと見たいということで出来上がっているものと、もう一つ最近強く感じているのは、市民を含めて全体でホールを運営するという視点になったときに、市民サイドでパブリックサービスをどうするかという視点が一番欠けているんですね。自分たちがこれをやればいいとか、自分たちが安く借りればいいという話で最初はスタートするんですが、それを自分たちがやることが社会にとってどういうふうにかかわりを持っているから、その施設を安く使っているんだとか、それを使う価値があるんだとかという話を一番必要としているんですけれども、そういうプログラムをやっているところが非常に少ないんですね。その辺は、もう少し明快に、こういうプログラムがあるよということを言ってもいいかなというふうには思っていますけれども。  
○  その場合には、それは会館側のコミットと関係しません? 
○  それはいろんな立場があるので難しいんですけれども、市民サイドでもそういう自覚があって、そういうことをやるよと言ってくるところもあるし、ボランティアを募ると・・さっきの市民が乗ってこないという話は、どういう話か伺ってないのであれなんですけれども、思うところによると、何となく声をかけたり公募しても来ないし、勝手なことを言うしというふうに思っている人が、多分ホールの職員にはたくさんいらっしゃるというのは僕は実感するんですね。だけれども、それはお互いに働きかけをしていないし、あなたたちは手伝ってくれればいいよというスタンスでやってしまうと、それで終わってしまうんです。  
  例えば、ホールのフロントサービスとか、チケットもぎりとか、案内とか、そういうことをやっていただくにしても、それをどうしたらいいか、やはり専門的なノウハウというのはありますから、それを教えてもらうプログラムというのはどこかに必要なんです。  
  それから、舞台技術でも、きょうは喜多方の方はいらっしゃらないけれども、例えば綱もとでロープをどうやって結ぶかとか、カントウエはどうやるかということすら大事なことなので、教えていかなくてはいけないとか、そういうプログラムをどこでやるかということは、長期的な展望としては結構大事なことだと思うんです。  
○  事業についてのところなんですけれども、市民の文化活動への支援とともに、学校教育に対する子どもの支援というのか、その辺の角度も入れていただけると・・。現場で活動するときにネックになっている部分というか、学校が一番虐げられているような・・ひがみ根性じゃないですけれども、「もうけにならない」とはっきり言われました。県の施設が財団に変わったときに、その辺を強く言われたものですから、非常に申し訳ないというのと・・朝と昼と夜と3回公演できますね。そのときに、どうしても学校だと真ん中を使ってしまうんですね。真ん中を使うためにはちょっと前も必要なんです。そうすると、朝とぎりぎり夜が可能か。そうすると、連続して2日とか3日とか1週間やる事業のときには、楽器を置いておくと非常に嫌われるんです。夜、活動の邪魔まになるということで、学校の場合は毛嫌いされるというか、そういうのが現状なんですね。  
  県の施設とか市の施設ですと、その辺はわりと優遇されて、県立の青少年センターには廻り舞台があるんですけれども、そういうところですと、アーチストもたくさんいらっしゃいますし、いろんな面で援助してくれたり、温かい見守りをしてくれたり、教えてくださったりということがあるんですけれども、財団というか、そうなってしまうと、私の感覚では教育に対して非常に冷たいなと。  
  子どもたちには、心のまだやわらかい、感覚がやわらかいときに、いろんなことを体験させたいというのが私の非常に強い願いなんですけれども、場所の確保というところで今すごく問題がありまして、後ほど場所がありましたら提案させていただきたいところもあるんですが、こうするといいのかなという部分もあるんですけれども、一度に学校から言ってもなかなか難しいという場面が非常にネックになっているところです。ですので、市民のところに、教育の関係で子どもの活動のところを入れていただけると非常にうれしいかなと。  
  もう一つ、先ほど「子どもたちに対する役割」で「生き方についての勉強の場」とありましたね。現場ではやはり「勉強の場」という表現は余りしませんので、例えば「学びの場」とか、「学習の場」とか、何かその方がいいのかなと。余計なことなんですが、どれがいいかわかりません。  
○  学習の方が積極的だ。 
○  何か抑えつけられるという方向は、今余りしないで、自発的に子どもたちの活動を見守ろう、一緒にかかわろうという場面なので、「勉強」じゃない方がいいのかなと私も思います。  
○  資料8の方ですと、5ページですけれども、体験学習とか、学習活動とか。「勉強」という言葉は出てきませんよね。 
○  学校の話で、逆の話をしていいですか。今、文化施設では、子どもとの関係はすごく大事だと思っているんですけれども、逆の立場で、ホールを計画している立場で、学校の先生に協力をお願いしようと思うと、物すごい大変なんです。教育委員会と学校の先生が、時間外の仕事はとても嫌だということで、全部断られるんです。ホールを安く借りればいいという話であれば、それはほかの人と一緒なんです。コラボレーションして初めてパブリックな仕事ができるので、パブリックなコラボレーションをすることをやってくださいねということが物すごく大変なんです、学校の先生には。  
○  その辺は、私が関係しているところしか申し上げられないんですが、小学校も中学校も高等学校も、横浜の場合ですと、私、そういうところは余り感じたことがないんですけれども、むしろ一緒にやりたいと。  
  ここにも書いてあるんですけれども、この間、区の事業、区制と合わせてやったんですが、先生方の数がどうしても足りませんから・・今は音楽の授業時間数が少なくなってしまったんです。中規模校でも1校1名くらいの配置になってしまったんです。そうすると、舞台とか、いろいろかかわるときに、付き添いや手が足りないということで、先ほどボランティアというお話が出ていますが、今回は協力援助サポーターという形で全部の学校から保護者に出ていただいて、活動させてもらったんですが、私がかかわっているところでは、先生方はわりと協力を惜しまないような気がします。  
○  学校の先生は意外と冷たいんです。 
○  ごめんなさい。 
○  この間も申し上げたように、複数の学校が来ると、興味のないのがロビーへ出て、殴り合ったりまではいきませんけれども、何かやったり、たばこの吸い殻がトイレにたくさん捨ててあったり、そういうようなことが起こるんですよね。だから、僕はやはりできるだけ自発的にして、好きでも嫌いでも学校がまとめて狂言を見にいくとか、そういうのはだんだんやめた方がいいという感じではあるんですけれどもね。  
○  私たちが現場で子どもと一緒に活動しているときには、芸術鑑賞会というのを3年間で音楽、美術、国語的なことを回しながら、それから、文化庁から選んでどうぞというのがあったりということで、とにかく学校にお呼びして、そういう文化活動をするという時間があったんですけれども、週5日制が増えたことによりまして、そこが真っ先に切られました。そこで、学校内で1校でやることはほとんど難しくて、近隣の学校が何校かで集まってやるとか、あるいは場所、スペースのところで、なかなか金銭的なものを集めることにも抵抗がありますので、非常に難しい状況になっておりますね。  
  後ほどお話ししようかなと思っていたんですが、たまたま私が所属しているところが区制30周年ということがございまして、大きなイベントをやりたいということと、たまたま私が所属している区は非常に音楽活動が好きで、全国レベルのコンクールに出場したり、13校のうち、いろんなコンクールに入っている学校等々が多いんです。そこで、ぜひそういう音楽をやってほしいという市民の声で、横浜みなとみらいホールという大きなすばらしいのができたんですが、そこの会場、最初500人くらいの公会堂から、ぼーんと大きな公会堂をどうぞということでやってくださったんです。こににはすばらしいパイプオルガンがありまして、専属のオルガニストもいらっしゃるんですが、区役所のバックアップで、すばらしい大・解散及び清算人就任の登記申請ちが演奏して、中にパイプオルガンの演奏も入れていただいたんです。  
  今のお話のように、私たちは非常に心配しました。いろんな学校が集まったときにトラブルがあるんじゃないか。自動販売機がありますので、勝手に飲んで散らかしてしまうんじゃないか、あるいは傷つけてしまうのではないか。トイレのたばことか、いろんなことがあったんですが、逆でした。いいところでやりますと、今まで学校の中でもシーンとする場面は少ないんですが、みんなが息を飲んで、よその学校でプロじゃないんだけれども、始まる、みんなで聞こうという気持ちになってしまうんですね。それと、幻想的な照明を当てて、パイプオルガンを高いところでやってくださっている。そうすると、みんな息を飲んで聞いている。トイレに行ってもすばらしいトイレなんで、汚すという雰囲気じゃなくてですね。  
○  次は第二国立劇場を使ったらいい。 
○  あれを使ったらいいと思う。 
○  私、本物を子どもに体験させるということは、こんなにすごいことかということで、保護者も地域を巻き込んだ事業ができたということで大変意を強くして、ぜひまた使いたいというんですが、借りるだけでお金が200万円くらいかかります。学校では3万円くらいしかありませんので、とてもできないなと。  
○  今とまるっきり同じことを私も体験したんですね。青少年オペラ劇場を3公演やって、うち2公演は学校公演で、中ホールですから小さいホールなんですが、いろんな学校から700人くらい集めてやったときに、先生方は、うちの子どもたちはうるさいから、絶対2時間もじっとしていないから、そんな2時間半もやるオペラなんて絶対聞けないに違いないと物すごく心配してきたんですが、本当に集中して聞いてくれたんです。それで一番喜んだのは引率してきた校長先生でしたね。「ああ、うちの子どもたちも、こんなに静かに聞けるんだな」ということがありました。  
  ただし、1公演は、一般のお父さん、お母さんと子どもたちが来る、おじいちゃん、おばあちゃんと子どもたちが来るという公演だったんですが、それはさすがに劇場としての雰囲気は違います。一般公演の方が、やっている人はやりやすいというんですか、舞台と客席が一体になるような雰囲気になることは事実なんです。だから理想的に言うと、先ほどおっしゃったように、自由にみんなが来て見るという社会的熟度が高まっていくのが一番いいなと思うんですけれども、そういうのを待っていると、親が関心がないとか忙しいとかいうと子どもたちがなかなか来れない。90%くらいは来れない。もっといるかもしれない。来れないと思うので、今、先生がおっしゃったような鑑賞教室は、多少心配だけれども、思い切って努力してやっていく必要はあるのかなということを感じました。それをやったのはつい最近なんです。  
○  僕の経験だと、住んでいる武蔵野市の悪口は言いたくないけれども、先生方が反対なんですよね。やっぱり心配されるんです。何か起こったときに責任はどうなるかという話にすぐなるんですね。だから、それは気をつけなければいけない。  
○  それはどこの学校も一緒だと思います。心配です。 
○  例えばフランスやベルギーだと、木曜日の午後は空いているんですよ。それでマチネーで、普通の人は働いているわけだから、そのときにコメディーフランセーズへ行ったりブラッセルの王立美術館へ行って見ている。僕らはたまたま旅行で行って、それにぶつかると嫌だなと思うけれども、そういうふうに週日の真ん中の半日ぐらい、そういうことのために空けるというカリキュラムの組み方というのは、文部省ではできないんだろうか。それが芸術文化の活性化につながると思う。  
△  学校は今週5日制への対応ということで、教育内容を精選して、2002年から新しい指導要領でやることになっていますね。総合的な学習というものが週3時間置かれます。その中には、グループごとに子どもたちに好きなことをやらせる。また年間を通じてテーマを持たせてやらせる。様々な取り組みが、学校の工夫によってできる余地が大幅に拡大するわけです。私どもは、学校の先生方の新しい試みというものがこれからなされることを期待しているところなんです。  
  もう一つだけ言わせていただくと、新国立劇場につきましても、今年の場合は6公演でしたけれども、高校生のオペラ鑑賞教室ということで、これは学校単位の参加ということに基本的にはなっておりました。埼玉県で、学校単位ではなくて、希望者を募ってやったことがあるんですけれども、やはり集まり方も若干空席が目立ったり、まだ最初だったからということもあったかもわかりませんけれども、そういうことをやっているということの広報、それから離れていて往復する間のいろいろな事故の問題等があって、今のところは、新国立劇場では学校単位のやり方の方が現実に合っているのかなというところが現状なんでございます。  
○  一つの提案というか、今、子どもたちの総合的学習などという話もあるので、ホールサイドが1年間くらいのプログラムで、例えばアート探偵団とか何とかで週に何回か講座を持ちながら、音楽も演劇も美術も全部やるようなプログラムをつくろうねという話をいろいろやっているんです。だけれども、そういう話を教育委員会とすると全部壊れるんです。それをどうしたらいいか、僕らはすごく悩んでいるんです。だから、話をすると壊れてしまうから、結局、土日に勝手にやるしかないねという話で動いてしまうんですね。  
○  先ほど事務局からお話がありましたように、新しい教育の中で総合的な学習の時間を今どうしようかということで、各学校の特色として、いろんな取り組み、企画を考えているところなんですが、そのようなお話とか、現場での職業体験とか、いろんなことが計画されて、ワークショップ的なことも含めて、実際に行っているところもあるんです。あるいはお話しくださいました提供を支援していただいたら、幾らでも・・先生たちは、お金の問題と施設の問題、そういうところで表になかなか出せないというので、中でどうしようかという発想なんで、そうじゃないよ、切りかえようよというところでやっているんです。全部ロハにして、全く新しい発想でやったらどうという話をしているんですけれども、それは地域によりますので、ぜひ横浜に来てください。  
○  そこに住んでいる者からすると、多分いいかもしれないね。 
○  資料11として出させていただいたところにありますが、旭区の区制30周年と合わせて、このような形で、約3時間子どもたちにが奏いたしました。その間、ほとんど問題なく、トラブルもなく終わったいうのが一つの例です。ですので、すばらしい会館というのはすごいなという威力を感じております。  
  それから、一つごめんなさい。1ページの県の様子のところで、「例年」の「例」を間違えました。「来年」でございます。結局、県の事業で、予算にどんどんシーリングがかかりまして、昨年度、神奈川県は23地区に分けて事業を起こしているんですけれども、各地区に本当に微々たるものしかいかないんです。140万を割りなさい、今年は100万を割りなさい、来年はなくなるかもしれませんというような中で、文化活動をどうしようかというのは本当に切実な問題で、今悩んでいるところなんです。地区の委員会、行政等に全部任せていいのかなという問題が出されているところで、活動の様子をちょっと書かせていただきました。  
  それから、横浜市なんですが、こちらの方に、中学校の連合文化祭ということで、県を受けまして、市の方にお金をつけてもらってやっている事業がありますが、約半年間行います。毎年テーマもポスターも募集をかけて、145校から子どもの作品を選んで、こういうふうな冊子にしているんですが、いろんな部署がかかわります。  
  1ページ目のところを見ていただきますとあるんですが、このような会場で、いろんな場所でやるんです。大きなホールから学校に至るまで使わせていただいて、やっている事業なんです。その次のところのテーマソングは、歌詞も募集しながら、子どもたちが作曲をして、これを今定着させようと各学校で頑張っているところなんですが、このような中で、それぞれの場所で、それぞれのところで、親も交えた活動をしているという一つの事業を紹介させていただこうと思いまして、きょうは資料をお持ちしました。以上です。  
○  本来、一番最後におっしゃったように、グロスの学校単位でホールにお寄りするよりも、小グループでもいいから、子供が来て、その子が次にお父さんを連れてくる、お母さんを連れてくるという形になるのが一番自然で、館側としても、確かなことだと思うんです。つまり鑑賞の機会というので、グロスでもって学校と契約して呼んでくるというのは、やっぱりお勉強のあれになってしまう。  
○  日生の名作劇場というのがございますね。あれを35年前に始められたときは、要するに、教育委員会が台本をチェックする。なおかつバスでお迎えつき、お土産つきでなさらなくては、学校が来てくださらなかった。でも、日生の社長は、するべきだということでなさって、今も続いて、今は1年間で125公演ですね。それを無料で子どもに提供している。ほとんどのお母様方は、あれは無料で提供されているということは多分おわかりになっていらっしゃらないのが現実だと思いますけれども、そういう意味で、深刻にお子様のために何かをなさらないんですかと言うと、今はいい状態ですというふうに伺ったことはあるんですけれども、どうしたいか、芸術文化に触れさせたいというふうに地域だったり館だったりが思うか、思わないかということが第一番の大切なところ。  
  鑑賞という言葉にあれがあるとおっしゃいましたけれども、私は、子持ちの身として、一度親と子のための何とかというのに連れていきまして、こういうのには二度と連れていかないと思った経験が実はございます。音楽そのものが非常にお寒い。これを子どもに見せていては、子どもは音楽を嫌いになってしまうだろう。要するに、子どもに何を提供するかというのは非常に大切なことで、もしかして文化庁から言っていただくとしたら、それを提供することが大切だということをはっきりと政策として言っていただきたい。あるお金でもって・・東京都内の鑑賞教室というのはたしか250万とおっしゃっていらっしゃいましたね。それでオーケストラを入れますと、思わぬところにお金がかかるわけです。要するに、著作権のかからない曲である必要があるとか、歌手部門とか、そういうことはほとんどわかっていませんし、どこでお金を詰めるかというと、指揮者の質を落とすとか、ソリストの質を落とすということになってまいります。そういうものを子どもに提供したときに、本当に芸術に感動するかというと、そういうものでもないと思います。  
○  今おっしゃっていたのは、話が飛躍するようですけれども、結局プロとアマの問題だと思うんです。さっきおっしゃったんだけれども、市民オペラを全国でやっているんです。メセナ協議会が困るくらい来るんです、助成が。どんなに簡単にやっても、何千万かかかるわけです。もし非常にレベルの低い市民オペラをやって見たら、子どもはオペラを生涯二度と見たくないということだって起こるわけで、非常に難しい側面があると思います。  
  話はちょっとこんがらがってしまって恐縮ですが、最初に申し上げたいろんな資格の問題と絡んでしまうんですけれども、例えば資格とか認定とか何とかというと日本人は嫌いで、みんな同じにしたいんです。皆さんはご存じだと思うんですけれども、例えばイギリスは今世界の演劇大国ですね。イギリスは18の演劇ドラマスクールというのがあって、1日9時間の勉強で1年35週、そこで3年間勉強した人がプロなんです。そこを出た人が、それからBBCへ行ったり、『キャッツ』に出たり、あるいはロイヤル・シェイクスピアに出たりする。やっぱりプロとアマを考えると、子どもにはいいものを見せなければ意味がないわけです。年中どさ回りの児童劇団で、劇団を支えるために・・そういうのを無理に見せると、芝居は一生見ない。ここのところはすごく難しい問題で、資格問題と絡んでしまってややこしくなりますけれども、一番最初に申し上げたように、生活文化型のものも質がよくなければいけないけれども、プロとしてのアートというのは燦然と輝いていないといけないんで、そこら辺をどう組み合わせていただくかというのが文化庁のお仕事だろうと常々思っているんです。  
○  文化庁の仕事でもあるし、WOWOWとか何か見ていると、バーンスタインが『ペーターと狼』の説明をやって、これは悪いやつだとか何とか言って、フィデリオの説明だってやっていたじゃない。ああいう一流の芸術家がボランティアで出なければだめなんで、それでなければできるようにならない。お金はもちろん多少は出さなければだめですよ。幾ら何でもただ働きはできないけれども、そういうことをやろうという気が、質のいい芸術家の側にない。  
○  学校教育のあれでは、僕、一つだけ具体的に知っているのは、五島みどりが日本へ来て公演をやっているでしょう。学校へ行ってやるんです。1000円か何か取るんですが、アメリカに五島みどりのNPOの組織があって、それに派遣されてくる。五島みどりが子どもと一緒になって、説明したり、弾くことも弾くんでしょうけれども、例えばそういう子どもへのアプローチもあるわけで、それと形にはまった何か・・。だから難しいと思いますけれども。  
○  完全に、芸術家の側の意識の欠落もあるんですよ、子ども相手だったらという。それは本当に恥ずべきことで、一番怖いことですね。 
○  その意味で、ホールでやる前に、これはやるべきか、やらないべきか、これを取ろうとか、あれは取ろうとかいう議論はすごくやるんだけれども、やった後に、これがよかったかどうかという話はホールではほとんどしないですね。だから僕も、最近は、きちんと年報をつくりましょう、年報をつくって、そこで自分たちのやった事業が成功だったか、失敗だったかという話を全部きちんとやる。それはたくさん入ったから成功というわけではなくて、趣旨に合ってやったかというのをきちんと評価しましょうということを言っているんです。その中で、お金も全部公表してしまえと。芸術家の方は自分の値段を公表されるのをすごく嫌がるんだけれども、我々建築会はみんな公表されるわけだから、芸術家だって同じだろう。全部公表して、「200万円で買ったのに、何だ、これは」、あるいは「1000万で買ったのに、何だ、これは」ということが言えるようにするとということは推進していいかなと。  
  もう一つ、どういう効果でそれをやったんだということをきちんとやりましょう。1人しか来なかったけれども、それは大事だということもあるかもしれないし、たくさん来てくれたのがよかったということもあるかもしれないしというのをもうちょっとやった方がいいかなと思うんです。子どもの芝居でも、ひどいやつがありますね。だけれども、いいやつもあるわけです。それはやっぱりよかったねと言ってあげないと、励みにならないと思うんです。  
○  子どもは、言葉の表現は下手だけれども、すばらしいときにはじっと聞いたり見たりということがありますので、その辺のところはすごく大事にしていきたいなと思います。  
  それから、お金の話にばかりなってしまうんですが、音楽の時間というのは、昔は歌ったり演奏したりということばかりたったんですが、状況的に随分変わっているということと、地域の教育力の活用ということで、プロの演奏家に来ていただいて、授業の中で歌ってもらったり、演奏してもらったり、いろいろやってもらったりする機会があるんですが、先ほどボランティアのお話が出ましたけれども、何にもお支払いできずに「気持ちだけでいいですよ」と言ってくれても、非常に辛くて、現実はなかなか厳しい問題があるので、そんなところも援助していただけると、もっといろんな面での活用が深まってくるんじゃないかと思います。  
○  先ほどちょっと触れておられました貸館事業ですが、圧倒的多数の文化会館は、この事業がかなり重要というか、比率としては大きいと思うんです。貸館そのものに関して悪いイメージが先行しているようなんですけれども、貸館事業そのものを館の経営方針の中にきちんと位置づけるような、積極的な意味づけをもう少し考えた方がいいんじゃなかろうかという感じがいたしておりまして、そのことをちょっと申し上げておきたいと思います。  
○  それでは、特によろしいでしょうか。 
  事務局の方から何か。 
△  1件だけご連絡させていただきます。次回の会議ですけれども、1月中旬ごろに開催予定なんですが、まだ日程の方は決まっておりませんので、後日、こちらの方からご連絡させていただければと思います。あわせまして、次々回の会議の予定も調査させていただきますので、またご回答の方もよろしくお願いいたします。  
○  皆さん、きょうはありがとうございました。 

(文化庁地域文化振興課)

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