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《名勝の新指定》 1件

 竹林寺庭園(ちくりんじていえん) 【高知県高知市】
 竹林寺は神亀元年(724年)に行基が開創し、唐の仏教の霊場に因んで五台山と名付けたとされる湧水に恵まれた信仰の地である。現在の竹林寺境内に見る客殿・書院などの主な建物群は江戸時代後期のもので、今日見る庭園の池も古くからの湧水を利用して造られたものである。
 庭園は、客殿・書院周辺の三つの部分から構成されている。第一は客殿に南面する前庭で、本来は儀式等のために砂利のみを敷いた簡素な空間に、後に飛石と樹木が持ち込まれて意匠されたものと考えられる。第二は客殿の西庭、第三は客殿の北面及び書院の西面の区域で、ともに客殿と書院と背後の傾斜面との間のわずかな平坦地に湧水を集めた池が掘られている。特に客殿の西庭では軒先近くまで水面を引き寄せ、狭隘な水面に広がりを持たせるなどの意匠上の工夫が見られるほか、背後の傾斜面に打たれた景石群も小振りではあるが洗練された雰囲気を持つ。これに対して客殿の北面から書院の西面及び北面にかけての庭園では、山腹に3段から成る力強い滝石組を造り、山腹から掘り出した巨石を庭景の中心に据えるなど豪快な作風がうかがえる。
 このように、竹林寺庭園は客殿と書院の周囲に展開し、地割・意匠が異なる三つの区域が一体となって構成されるところに特徴があり、江戸時代後期における池泉庭園の定型を十分に踏まえつつ、湧水と巨石に恵まれた五台山の特質を活かして作庭された土佐地方の貴重な庭園である。

《天然記念物の新指定》 4件

 北金ヶ沢のイチョウ(きたかねがさわのいちょう) 【青森県西津軽郡深浦町】
 イチョウは裸子植物に属する落葉高木で、中生代に栄えた植物の末裔といわれる。中国が原産で、室町時代に渡来したといわれ、日本各地の神社や寺院等に植栽されている。
 当該樹木は多数の気根を出し、それらが地面につき幹の一部となり、目通り幹周22メートル、樹高31メートルの巨木であるとともに、枝をよく張り、樹勢も良好で、イチョウ独特の樹形をよく示している。また、古くから神木として信仰され、人の乳房状あるいは鍾乳石状の気根が多数垂れ下がっていることから、母乳が不足した女性の信仰対象として「垂乳根の公孫樹」とも呼ばれ敬われていた。母乳のでない女性が秋田や北海道から願掛けに訪れ、気根にお神酒とお米を供えて祈る風習は昭和50年代まで続いていたといわれている。
 このように樹勢・樹形が良好で、信仰の対象としても慕われており、かつ我が国最大のイチョウで、最大級に成長した巨樹として重要である。

 赤羽根大師のエノキ(あかばねだいしのえのき) 【徳島県美馬郡一宇村】
 エノキは暖温帯を中心に生育する落葉高木で、青森県以南の各地に分布する。樹高は20メートル程であるが、よく分枝し広く枝を伸ばす。エノキは人間の活動域に生育し、万葉集にも記録があるほど古くから人々に親しまれており、一里塚の道標に用いられたり、街道沿い・村境などに植えられてきた。
 当該樹木は、樹高18メートル、幹周8.7メートルで、我が国最大のエノキである。よく分枝し、東西方向に25メートル、南北方向に20メートルと大きく枝を広げている。脇にある赤羽根大師堂は、寛政4年(1792年)開基で、かつては毎月20日に集まり念仏を唱え通夜をしたとのことで、本樹も地域のシンボルとして大切にされてきた。
 本樹は、大きく枝を広げた樹形は良好であり、樹幹は筋骨の盛り上がった象の脚のような感と相まって、風格のある古木の観を示している。また、最大級に成長したエノキとしても大変重要である。

 八幡浜市大島のシュードタキライト及び変成岩類(やわたはましおおしまのしゅーどたきらいとおよびへんせいがんるい) 【愛媛県八幡浜市】
 八幡浜市大島は、八幡浜市沖合の宇和海に浮かぶ5つの島からなる。大島の北部には、三波川結晶片岩が露出し、大島の南部ではこの上に片麻岩を主体とする大島変成岩類が断層でのし上げている。大島変成岩類の最下部には、シュードタキライトという断層岩が発達する。この断層は、今から5〜6千万年前の当時の中央構造線の活動に伴って形成されたと考えられる。三王島から、地大島の北の端にかけては再び三波川結晶片岩類が分布し、断層関係で白亜紀とされる真穴層と接する。
 シュードタキライトは、断層が高速で動いた時に両側の岩石が溶けて固まった岩で、火山から噴出した玄武岩に似ているが、断層岩の一種である。シュードタキライトは、地震を起こした震源断層そのものであり、地震の化石とも呼ばれ、地震発生のメカニズム解明のために重要である。大島には、単に多様な岩石が露出するだけでなく、現在、私たちが住む日本列島の骨格になる地質構造が残されており、さらに地震発生のメカニズム解明に重要なシュードタキライトが発達している。

 八藤丘陵の阿蘇4火砕流堆積物及び埋没林(やとうきゅうりょうのあそよんかさいりゅうたいせきぶつおよびまいぼつりん) 【佐賀県三養基郡上峰町】
 9万年前の秋から冬にかけて、阿蘇カルデラの形成につながる破局的噴火が始まった。阿蘇から直線距離で80キロメートル離れた現在の上峰町付近では、数十分後、高温の爆風に続いて東側の谷から、400ドに達する高温の火砕流の本体が襲った。火砕流は、地表の土砂や樹木を巻き込み、直径1.5メートルの大木をも根こそぎなぎ倒して流れ下ってきた。火砕流本体は九州の北半分を焼き尽くし、海を隔てた現在の山口県秋吉台にまで達した。阿蘇4火砕流である。
 平成5年2月2日、佐賀県東部上峰町で水田の基盤整備に伴い、地下を掘り下げたところ、トウヒを主体とする多数の埋没樹木群と樹齢700〜800年と推定される長さ22メートル、直径1.5メートルもの巨木が現れた。発見された巨木には、岩石の破片がめり込んだり、他の樹幹が衝突した凹みなど火砕流の凄さを示す痕跡が残されている。八藤丘陵の阿蘇4火砕流堆積物を含む地層とこれに埋没した樹木群は、火山噴火のもたらす計り知れない影響と噴火前後の環境の変化を捉えられる重要な場所である。また、その火山灰は学術上重要な指標テフラとなっている。



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