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彫刻の部

13、重要美術品から重要文化財へ)

   もくぞうじぞうぼさつりゅうぞう    
 1  木造地蔵菩薩立像    く

  大きさ 像高  162.1センチメートル
  所有者 財団法人根津美術館 東京都港区南青山6-5-36

     等身の大きさの地蔵菩薩像である。像内にある久安3年(1147年)の銘に記される人名のうちに、国有の木造阿弥陀如来坐像(半丈六、重文)にある同年銘の人物と共通する者がいるので、この2躰で三尊の本尊と脇侍(一方)を構成していた可能性がある。また銘文の姓氏名から本像の旧所在地が丹波国多紀郡あるいはその周辺だったことが推測できる。平安時代後期における地方の造像の実体のよく分かる貴重な作例である。 (平安時代)

   もくぞうししこまいぬ    
 2  木造獅子狛犬    一対

  大きさ 阿形  像高  53.5センチメートル
吽形  像高  53.0センチメートル
  所有者 宗教法人谷保天満宮   東京都国立市谷保5208

     獅子と狛犬からなる一対である。谷保(やぼ)天満宮は、頼朝の御家人でのち法然に帰依した津戸為守(つのとためのり)(〜1243年)が現在地に復興した神社で、本像はちょうどその時期の作である。活発で動きあるその像容は、中央で確立された写実的な獅子狛犬の姿に忠実に従ったもので、鎌倉時代半ば頃の正統的な作風を伝えている。数少ないこの期の基準的な作例としての意義は大きい。(鎌倉時代)


   もくぞうたいちょうおよびにぎょうじゃざぞう    
 3  木造泰澄及二行者坐像    く

  大きさ  泰澄          像高 44.8センチメートル
 浄定行者   像高 28.2センチメートル
 臥行者      像高 26.2センチメートル
  所有者 宗教法人大谷寺   福井県丹生郡朝日町大谷寺

     泰澄(たいちょう)は白山信仰を創始した奈良時代の修験者で、白山に登る前に福井・越知山(おちさん)で修行したという。本像はその越知山の大谷寺に、浄定行者(きよさだぎょうじゃ)・臥行者(ふせぎょうじゃ)の二眷属像(にけんぞくぞう)とともに伝来する。泰澄像の像内に明応2年(1493年)および大永8年(1528年)の銘があり、前者は造像銘と認められ、後者は修理銘である。泰澄像は現在このほか白山麓に二、三の作例が知られるが、本像はそのうち最も優れた作である。室町時代肖像彫刻の一例としても重要な位置を占める。(室町時代)


49、未指定から重要文化財へ)

   もくぞうあみだにょらいざぞう   ぼだいさんじんぐうじきゅうほんぞん    
 4  木造阿弥陀如来坐像(菩提山神宮寺旧本尊)    く

  大きさ 像高  277.7センチメートル
  所有者 宗教法人海徳寺  愛知県碧南市音羽町1-60

     伊勢大神宮に建てられた奈良時代の大神宮寺は、平安時代後期に菩提山神宮寺として復興されたが、本像はその本尊であった。明治初年、海徳寺に移される。像内銘によれば、僧良仁(りょうにん)が願主となって長承3年(1134年)から保延2年(1136年)までかけて造立したことが判明する。大神宮にとって、長承2年の内宮式年遷宮(ないくうしきねんせんぐう)に次ぐ事業であった。数少ない平安時代在銘の丈六像であり、かつ伊勢大神宮寺の本尊という意味において、美術史的・文化史的意義は大きい。(平安時代)


   もくぞうせいしぼさつざぞう  せいしどうあんち    
 5  木造勢至菩薩坐像(勢至堂安置)     く

  大きさ 像高  56.0センチメートル
  所有者 宗教法人知恩院   京都府京都市東山区新橋通大和大路東入三丁目林下町

     文暦元年(1234年)、法然の高弟源智(げんち)が法然の廟所と御影堂を築いて知恩院の基礎をつくるが、その御影堂には、法然の肖像とともに、その本地(ほんち)とされた勢至菩薩像が安置された。本像がその像に当たる。阿弥陀来迎三尊の脇侍と同じく合掌する姿だが、坐り方は単独にまつられるため結跏趺坐(けっかふざ)である。形姿が珍しいだけでなく、この期の慶派仏師の良質な作風を示しており、運慶次世代の動向を探る上でも貴重な作例である。(鎌倉時代)

   もくぞうふどうみょうおうりゅうぞう  さいおんじごまどうきゅうほんぞん    
 6  木造不動明王立像   (西園寺護摩堂旧本尊)      く

  大きさ  像高  169.0センチメートル
  所有者  宗教法人鹿苑寺   京都府京都市北区金閣寺町1

     嘉禄(かろく)元年(1225年)に京都北山の西園寺(さいおんじ)護摩堂本尊として造立され、足利義満(あしかがよしみつ)の北山殿(きたやまどの)、その後の鹿苑寺(ろくおんじ)を通じて伝えられ、近世以降は不動堂に安置された。立像でありながら左手の肘を深く曲げ、右手の指二本だけで剣を執るという姿は当時最新の図像を使った結果であり、また頭髪を植毛し体部には実際の衣を着せるという仕様も大変珍しい。西園寺創建期の遺仏というだけでなく、特異な図像・仕様を見せる稀有の作例である。(鎌倉時代)


   もくぞうふどうみょうおうざぞう    
 7  木造不動明王坐像    く

  大きさ  像高  91.2センチメートル
  所有者  宗教法人神泉苑   京都府京都市中京区御池通神泉苑町東入門前町167

     神泉苑(しんせんえん)本堂に伝来するが近世まではその不動堂に安置されていた。すでに平安時代前期から雨乞いなどが行われていた神泉苑では、11世紀前半に密教僧仁海(にんがい)が出て盛んにその修法を行ったが、本像の造立はまさにその時期である。左側頭部に垂れる弁髪(べんぱつ)が耳の後ろを通っているのは、この時期の仏像に類例はないが、わずかに、同期の画家玄朝(げんちょう)の図像にこれが認められるので、それに依拠したことが分かる。良質な作風と最新の図像において特記すべき作である。(平安時代)


   もくぞうふどうみょうおうざぞう    
 8  木造不動明王坐像    く

  大きさ 像高  83.7センチメートル
  所有者 宗教法人蓮光院   京都府京都市中京区姉小路通大宮西入姉西町40

     これも神泉苑(しんせんえん)関係の像である。神泉苑南方にあって北向きに苑内を守護していたと伝える。智証大師(ちしょうだいし)が唐からもたらした不動明王図像に依拠する像で、福井・常禅寺(じょうぜんじ)不動明王像とともにその図像に忠実に従った稀な例である。平安時代の代表的な仏師定朝(じょうちょう)を継ぐ、11世紀後半における一流仏師の造立が考えられる。所依の図像が明らかなだけでなく、作行きもまたきわめて優秀な定朝次世代の看過しえない作である。(平安時代)

   9
もくぞうそうぎょうはちまんしんざぞう
木造僧形八幡神坐像

く

もくぞうそうぎょうしんざぞう
木造僧形神坐像
く
もくぞうにょしんざぞう
木造女神坐像
く
もくぞうてんぶきょうりつぞう
木造天部形立像
く

  大きさ 像高  37.7〜72.0センチメートル
  所有者 宗教法人御調八幡宮   広島県三原市八幡町宮内13

      御調(みつぎ)八幡宮の本殿にまつられる神像である。製作時期は平安時代前期の9世紀から10世紀初めにかけてに求められ、八幡神が二神から三神へと変化していく歴史的経過を明瞭に示しながら、各時代の作がよく保存されている。作行きや保存状態の良さもさることながら、神像の造形的変遷を如実に示す好個の作例である。(平安時代)




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