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2 解 説


【重要無形民俗文化財の指定】


1 樋越神明宮(ひごししんめいぐう)春鍬祭(はるくわまつり)

    (1)文化財の所在地    群馬県佐波郡(さわぐん)玉村町(たまむらまち)樋越(ひごし)
  (2)保護団体 神明宮春鍬祭保存会
  (3)公開期日 毎年2月11日
  (4)文化財の概要  樋越神明宮の春鍬祭は、群馬県玉村町樋越にある神明宮で、毎年2月11日に行われる稲作の予祝行事である。神明宮の氏子である、(はら)森下(もりした)上樋越(かみひごし)中樋越上(なかひごしか)中樋越下(なかひごししも)下藤川(しもふじかわ)の6つの地区から、禰宜(ねぎ)作頭(さくがしら)鍬持(くわもち)などの諸役が出て行われる。神明宮の拝殿の前に、竹を四本立てて注連縄を張った祭場を作り、その地を田に見立てて、クロヌリ(畔塗り)などの稲作の作業過程が模擬的に演じられ、その年の豊作や無病息災が祈願される。
    この行事は、我が国の典型的な予祝行事の一つであり、伝統的な生業が変化していくなかで、農業に従事してきた人びとの伝統的な観念や日本の稲作習俗をうかがうことのできるものである。また、東日本には類例の少ない行事の一つであるとともに、クロヌリの所作だけが独自の展開をしており、独自の祭祀組織もみられるなど、地域的特色も豊かな貴重な行事である。

2 城端神明宮祭(じょうはなしんめいぐうさい)曳山(ひきやま)行事
    (1)文化財の所在地    富山県東礪波郡(ひがしとなみぐん)城端町(じょうはなまち)
  (2)保護団体 城端曳山祭保存会
  (3)公開期日 毎年5月14・15日
  (4)文化財の概要  城端神明宮祭の曳山行事は、富山県東礪波郡城端町に鎮座する城端神明宮の春の例祭に行われ、獅子舞、神輿、鉾、曳山、庵屋台(いおりやたい)が町内を巡行する。
   5月14日は宵祭りで、城端神明宮から、春日神輿、石清水(いわしみず)神輿、神明神輿の3台が、野下町(のげまち)新町(しんまち)にそれぞれ交互に1年おきに立てられる御旅所まで渡御する。この日、各山町では曳山と庵屋台の組立を行い、曳山の神像を山宿あるいは山番と呼ぶ家に飾り付け、飾り山といって一晩公開する。
   翌15日には、神輿の渡御に引き続いて、鉾、曳山、庵屋台が巡行する。
   この行事は、鉾、曳山、庵屋台等の各種の作りものが神輿の渡御にお供するという祭礼に伴う風流(ふりゅう)の古い形式を残し、若連中によって披露される庵唄などに地域的特色がみられる貴重な行事である。


3 上野天神祭(てんじんまつり)のダンジリ行事
    (1)文化財の所在地    三重県上野市(うえのし)
  (2)保護団体 上野文化美術保存会
  (3)公開期日 毎年10月23・24・25日
  (4)文化財の概要  上野天神祭のダンジリ行事は、三重県上野市に鎮座する菅原神社の秋祭りとして行われ、(しるし)、ダンジリ、鬼行列などが町内を巡行する行事である。この行事は、10月の23・24・25日に、上野天神宮などとも呼ばれる菅原神社の秋祭りの行事として行われる。23日は宵山で各ダンジリ町では印、ダンジリを引き出して飾り付けを行う。24日は足揃えの儀が行われ、ダンジリがそれぞれの町内を巡行し、鬼行列も相生町(あいおいまち)から三之町筋(さんのまちすじ)を練る。25日は本祭りで神輿の渡御に続いて鬼行列、印、ダンジリが巡行する。
   この行事は、神輿の渡御を中心とする祭りに仮装の行列や作り物が加わり、現在のような鬼行列や印、ダンジリで賑わう形態を整えるようになったものである。印は依代(よりしろ)と考えられるもので、それを(はや)すダンジリと、鬼行列と呼ばれる仮装行列が続く、類例の少ない貴重な行事である。

4 塩原(しおはら)大山(だいせん)供養(くよう)田植(たうえ)
  (1)文化財の所在地 広島県比婆郡(ひばぐん)東城町(とうじょうちょう)大字塩原(しおはら)
  (2)保護団体 小奴可(おぬか)地区芸能保存会
  (3)公開期日 4年目ごとの5月から6月の田植えの時期
  (4)文化財の概要  太鼓や歌でにぎやかに(はや)しながら共同で行う田植で、あわせて牛馬守護の大山(だいせん)信仰を背景に牛馬供養も行うので大山供養田植と呼んでいる。
   これは、田植の終わる時期に適当な田で随時行われてきたが、昭和60年(1985)以降は、4年目ごとに塩原地区の(いし)神社の前の田で公開されている。田植踊、牛馬供養、牛による田の(しろ)かき、太鼓と歌にあわせた田植、翌日の大仙(だいせん)神社へのお(ふだ)(おさ)めで構成される。
   楽器や歌で囃す田植は、平安時代の『栄華(えいが)物語(ものがたり)』などにみられ、現在でも広島県西部の()()地方では、はやし()花田植(はなたうえ)の名で伝えている。安芸地方のはやし田は、太鼓の打ち手が体をそらせたり、互いにバチを投げ合って交換するなど華やかに行われる。
   これに対して大山供養田植は、農作業を効率的に行うために太鼓と歌で田植の調子を整えた実際的な田植を継承し、芸能的に華やかに展開する以前の田植の様子を示している。
 このように大山供養田植は、芸能の変遷の過程を示すとともに、牛馬供養の次第に地域的特色を示すものとして特に重要である。


【記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財の選択】

1 五料(ごりょう)水神祭(すいじんさい)
  (1)文化財の所在地 群馬県佐波郡(さわぐん)玉村町(たまむらまち)五料(ごりょう)
  (2)保護団体 五料区
  (3)公開期日 7月最終日曜日
  (4)文化財の概要  五料の水神祭は、利根川水運の河岸(かし)として栄えてきた群馬県玉村町五料に伝わる行事で、茨城県桜川村(さくらがわむら)の大杉神社から水上安全の守護神として当地に勧請された大杉社の行事として、7月下旬に行われている。五料の船頭衆によって始められたと伝えられる行事で、麦わらを材料として作った7メートルほどの大きな舟を曳いて地区内を練り歩いた後、舟に災厄を託して河原から利根川に流し出し、水難除けや無病息災を祈願する。
   この行事は、利根川水運の隆盛を背景として、大杉神社の信仰とこの地域の生業とが結びついた水神祭であり、我が国の穢れ祓い(けがれはらい)の行事の地域的展開を示す貴重な行事である。また、わらの舟を流すこの種の行事は、利根川流域ではほとんど類例がみられないものであり地域的特色も豊かであるが、現在では水運業に関わる伝承も失われ、変貌や衰退の恐れが高い。


2 大磯の七夕行事
  (1)文化財の所在地 神奈川県中郡(なかぐん)大磯町(おおいそまち)西小磯(にしこいそ)
  (2)保護団体 西小磯東七夕保存会、西小磯西子ども育成会
  (3)公開期日 8月6日、7日(西小磯東地区)  8月7日前後の土・日曜日(西小磯西地区)
  (4)文化財の概要  大磯の七夕行事は、8月初旬に月遅れの行事として、神奈川県大磯町西小磯で行われている七夕行事で、地区内の穢れ祓い(けがれはらい)や雨乞いなどを祈念して行われる。子供たちが唱えごとをしながら、短冊を付けた竹飾りや、その竹飾りを用いて作ったタケミコシと呼ばれる龍形の作り物で集落内を回ってお祓いをし、最後にタケミコシを海へ流す。
   日本の七夕行事は、牽牛(けんぎゅう)織女(しょくじょ)の伝説に由来する星祭りとして一般的に認識されているが、この行事は、盆を迎える前の穢れの祓いや降雨を祈る農耕儀礼的な性格など、民間習俗として面を濃厚に残しており、我が国の七夕行事や民間信仰の変遷を理解する上で貴重である。また、子供たちによるこの種の行事は、神奈川県下ではこの地域だけに伝承される地域的特色の豊かな行事であるが、少子化の影響などで今後の伝承が危ぶまれる状況にあり、変貌・衰退の恐れが高い。


3 稲取のハンマアサマ
  (1)文化財の所在地 静岡県賀茂郡東伊豆町稲取(かもぐんひがしいずちょういなとり)
  (2)保護団体  
  (3)公開期日 毎年9月8・9日
  (4)文化財の概要  稲取のハンマアサマは、伊豆半島の東海岸に位置する静岡県賀茂郡東伊豆町稲取に伝承される行事で、浜万年青(はまおもと)の葉で人形(ひとがた)烏賊(いか)秋刀魚(さんま)などの姿を切り抜いたものを作り、これを海に流して大漁を祈願したり、死者の供養をするといわれている。
 8日の昼過ぎから浜万年青の葉で人形や烏賊、秋刀魚をつくる。作った人形や烏賊、秋刀魚は盆に載せて、カシワモチとともに家の床の間に一晩供え、9日の昼過ぎ頃に海に持っていって一体ずつ流す。流すときは泣きながら「烏賊と秋刀魚をとらしてくだっしぇーよ」といって流す。
    この行事は、静岡県内では当該地区だけに伝承されている行事で、家ごとに行われる行事である。かつては多くの家で行われていたが、現在では行う家も少なくなっており、衰退の恐れが高い。


須成祭(すなりまつり)
  (1)文化財の所在地 愛知県海部郡蟹江町須成(あまぐんかにえちょうすなり)
  (2)保護団体 須成文化財保護委員会
  (3)公開期日 7月初旬から10月下旬
宵祭(よいまつり)朝祭(あさまつり) 8月第1土・日曜日)
  (4)文化財の概要  須成祭は、愛知県蟹江町須成にある冨吉建早(とみよしたてはや)神社と八劔(はちけん)社の両社の例祭で、疫病退散を祈願する天王信仰を基盤とした祭りである。(けが)れを(よし)に託して流す御葭(みよし)神事と車楽舟(だんじりぶね)の出る川祭りから構成され、通称、百日祭と呼ばれるように、7月初旬から3ヶ月にわたって諸行事が続く。その中心となるのは宵祭と朝祭で、宵祭には数多くの提灯を飾った車楽舟が蟹江川を遡り、翌日の朝祭には花で飾り屋形を載せた車楽舟が稚児を乗せて同じく蟹江川を遡る。
    この行事は、天王信仰に基づく御葭神事と車楽舟の行事からなる類例の少ないものであり、また、御葭神事が厳格に行われているとともに、祭りの構成要素に都市祭礼化した豪華盛大な祝祭とは異なる地域的な特色も認められるなど、我が国の夏祭りのあり方やその変遷を理解する上で貴重である。


5 豆酘(つつ)赤米(あかごめ)行事
  (1)文化財の所在地 長崎県下県郡厳原町豆酘(しもあがたぐんいづはらまちつつ)
  (2)保護団体 頭仲間(とうなかま)
  (3)公開期日 旧暦1月2・5・10・12日、新暦6月10日、
旧暦10月17・18日、旧暦12月3・19・28日(旧暦12月が30日までの時は29日)
  (4)文化財の概要  豆酘の赤米行事は、長崎県下県郡厳原町豆酘に伝わる行事で、頭仲間と呼ばれる集団によって旧暦1月2日から旧暦12月の末に至るまでの1年間にわたり行われる、赤米を(まつ)り栽培する行事である。この行事は田植えを除き現在も旧暦で行われている。1年間の主な行事には頭受け、三日祝い、田植え、()()し、初穂米、斗瓶酒(とがめざけ)()(さけ)、餅つき、初詣り、潮あび、家祓(やばらい)などがある。これらの行事の中でも中心となる行事は旧暦1月10日の夜から翌朝にかけて行われる、頭受けという頭役の交代の行事である。
    この行事は、赤米という古代からの栽培伝承を有する米をめぐる習俗とともに、頭と呼ばれる役の家が赤米を祀る諸行事を一年間通じて行うという伝統的な祭祀形態を残しているものとして貴重であるが、行事を伝える頭仲間が3戸になりその存続が危ぶまれ、衰退の恐れが高い。


6 五島神楽
  (1)文化財の所在地 長崎県
  (2)保護団体  
  (3)公開期日 各神社の祭礼など
  (4)文化財の概要  五島神楽は、長崎県五島列島の各地で伝承され、地元の各神社の祭礼の折などで行われている。かつては列島全体で神楽が伝承されたが、現在、神楽が演じられる神社は、福江(ふくえ)市、北松浦郡宇久町(うくまち)、南松浦郡の富江町(とみえちょう)玉之浦町(たまのうらちょう)岐宿町(きしゅくちょう)上五島町(かみごとうちょう)新魚目町(しんうおのめちょう)有川町(ありかわちょう)の一市七町で確認されている。これらの神楽は、一間四方の畳二畳分という狭い場所の中をめぐるように舞うもので、二基の太鼓と笛、時に鉦の演奏にのせて舞われている。このように、ぐるぐるとめぐるような所作は古風で芸能の変遷の過程を示し、狭く限定された場所で舞うことで地域的特色を示すものである。


7 薩摩の馬踊りの習俗
  (1)文化財の所在地 鹿児島県
  (2)保護団体  
  (3)公開期日 旧暦1月18日の次の日曜日ほか
  (4)文化財の概要  鹿児島県下では、綺麗に飾った馬と多数の踊り子が、三味線や鉦・太鼓の囃子に合わせて踊る、馬踊りまたは鈴掛け馬(すずかけうま)と呼ばれる行事が各地に伝承されている。これらの行事は、姶良郡隼人町(あいらぐんはやとちょう)に鎮座する鹿児島神宮の初午祭に奉納される鈴掛け馬踊りが各地に伝播したものといわれており、鹿児島神宮では、現在は旧暦1月18日の次の日曜日に行われている。この行事の本来の目的は馬の健康や多産祈願と農作物の豊穣祈願などにあったが、現在では厄祓(やくばら)いや歳祝(としいわ)い、豊作祈願、商売繁盛祈願などの目的で奉納されており、また、上棟式や婚礼などには踊り子だけで馬踊りを行う風習もみられる。
 馬踊りの習俗は、現在ではさまざまなイベントなどにも見られるようになっているが、一般民家での馬の飼育が衰退するなかで、この種の行事や習俗の本来の姿が失われつつあり、変容の恐れが高い。


8 宮古のクイチャー
  (1)文化財の所在地 沖縄県
  (2)保護団体  
  (3)公開期日 豊年祭ほか
  (4)文化財の概要  宮古のクイチャーは、沖縄県宮古諸島各地に伝承されている集団の踊りである。豊年祭や雨乞いなどの機会に、また、随時娯楽として、生き生きと踊られてきた。
 クイチャーは、野外で皆が輪となって踊るものである。皆が声を合わせて歌いながら、両手を前後左右に振り、大地を踏みしめ躍り上がるような動作を繰り返し、合間に手拍子を打つ。歌は、豊穣を祈る歌、雨乞いの歌、恋人への思いを込めた歌、生活や労働の喜び、苦しみなどを歌った歌など多様な内容を示している。宮古のクイチャーは、人々の生活や信仰に深く結びついて伝承されていて芸能の本来のあり方をうかがわせ、踊りや歌は他に類例がなく地域的特色を示している。


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