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参考資料1

第23〜25回著作権分科会、昨期第8回〜今期第2回過去の著作物等の保護と利用に関する小委員会で出された意見の概要(利用円滑化関係)

1.利用円滑化

(裁定制度の改善)

  •  手のつけられるところから1つずつでも改善していくべき。
  •  裁定に要する期間について、全体で2ヶ月くらいになれば使いやすくなると思う。ホームページに2ヶ月掲載するのも、1ヶ月しか掲載しないのも大きな違いはない。さらに緩和されることが望ましい。
  •  登録を条件に権利を保護するという提案があるが、経済的権利を得たい者はデータベースに登録し、経済的利益を放棄して自由に利用できるようにしたいという者はデータベースに登録しないというような形で、円滑に利用できるようになる。【再】
  •  例えば写真であれば十万点の作品を作るような人は、ひとつひとつ登録することは困難であり、原則として登録はない方がいい。【再】
  •  データベース自体は、今後の著作物流通にとって必要なことであり、保護期間の延長との関係で必要だという考え方はとりたくない。保護期間の延長は、インターネット等の国際的な流通において不都合を起こさないように、という観点から考えるべき。
  •  裁定制度については、無料であるところに意味がある取組にとっては、簡略化しても大変なことである。データベースの整備は、そもそもデータが集まらないのではないかとも思うし、データを集めるにも莫大な費用がかかってペイしないのではないか。
  •  裁定制度は、従来の著作権のプレイヤーが出版社やレコード会社に限られていた時代には利用できるかもしれないが、インターネット時代で万人が著作物を利用する時代には、いくら簡略化しても、利用できるかどうか疑問。一般人も容易に使えるような制度を考えなければならない。
  •  無償の活動のために用いる場合に、4万円もの裁定費用を支払うことはできない。営利目的のものとそうでないものとは、別に考えるべきである。
  •  利益を発生させる事業ではなく、例えば図書館において障害者が利用するために媒体変換をする場合など、利益がない事業でも利用できるような仕組みが必要である。法制問題小委員会で権利制限の対象として扱っている課題でもあるが、障害の種類と度合いが千差万別であり、どうしても権利制限の対象にならない場合も残ると思われ、その場合に権利者の許諾を得ようにも得られないというのでは、障害者の知る権利を奪ってしまう事態になる。
  •  写真については、いずれ権利者不明になって使えなくなると困るからという理由で、著作権を出版者に買い取られているという実態がある。立場の弱い著作権者のためには、きちんと機能して流通するシステムが必要である。現在、ホームページへの利用など、軽微な利用が非常に増えてきており、そういった場合、簡便な許諾システムを運用していくことで、権利者にもプラスになると思われる。
  •  ホームページ上などで制作される作品については、その著作物が新しいものでも著作者が匿名のため分からないということが最近多く出てきている。そういった場合にも、裁定制度を適用してもいいのかという議論も必要ではないか。
  •  現行の裁定制度は基本的に権利者を守ることを前提に、なるべく利用者が使いにくいようにするとのコンセプトで作られている。今後は、利用の円滑化というコンセプトで検討するのであるから抜本的に考え方を変える必要がある。例えば、申込みの料金はゼロでもいいし、供託金も事後に権利者が現れてから払えばいいというシステムは非常に使いやすい形であると思う。
  •  裁定制度の運用主体について具体的に検討する必要がある。供託金を受け取る者がおらず、国庫に入ってしまうのはおかしい。例えば供託金をプールしておいて、それが累積するようであれば、供託金を値下げするとか、一部をクレーム処理費等に当てるとかを考えてはどうか。官で行うと弾力的にできないというのであれば、第三者機関や既にある団体が代行することも考えられるのではないか。
  •  現行の裁定制度は、申し込むのにハードルが高くなっているが、実際に供託金から支払われる例は少ない。このような供託金を活用して、権利者データベースに載っていないものについては安い料金で裁定制度を出すことができるようにしてはどうか。正当な利用料として支払われる供託金を、国や第三者機関で、不明権利者を探すための広告料や運営費として使うなどのシステムを考えてはどうか。【再】
  •  裁定制度をどんどん緩やかな制度にするのは反対である。裁定制度は、特別のどうしようもない時に利用する伝家の宝刀的なものであり、現状の程度がいいのではないか。日本経団連で検討されている仕組みでは許諾を出す法的根拠がないと思うが、第三者機関がまとめて何らかのリスクを背負わないと難しい。リスクが残るからといって、制度全体を緩めてしまうことは危険。運用その他についてきちんとしたルールを定めて監視をしつつ、集中管理をしていく必要がある。例えば第三者機関が不明な人の許諾を出し、そのために、行政が第三者機関を認可し、監督する等を行う必要があるのではないか。

(イギリス型)

  •  英米のように事後に支払うような制度の場合、利用した業者が倒産するとかで支払い能力が無くなった場合などにトラブルが起きるのではないか。【再】
  •  現行の最低制度は必要以上の障壁になっていて、利用者にとっても権利者にとっても利益になっておらず、特に利用者の自律的な判断の可能性を十分に生かせていない。
     なぜ、事前に何らかのお金を払う必要があるのか理解できない。イギリス、アメリカで提案されている制度は、利用者が自己責任に基づいて利用して、アメリカでは事後的に訴えられる可能性もあるが、市場において利用者が自分のリスクと期待する収益を最も適切に判断できる。不明者の捜索に最大限の努力を払ったことを証明した場合に、政策的に、権利者の権利行使を制限するのは合理的である。
  •  権利者が不明であろうとなかろうと、何か著作物を利用した場合には必ず使用料が発生するものである。無料でやるものについても、何らかのリスクが生じるケースはあるので、クレーム処理費のような形でわずかな金額を支払うべき。権利者が不明だからといって、お金を払わないような利用がおこらないように、所在の分かっている人に払うのと同じだけの費用はどこかにプールしておく必要があるのではないか。
  •  イギリス、アメリカのように自己リスクで解決する形については、どれだけ捜索の努力をしたのか事後的に証明できるかどうかは、利用者の経済力に依るところも大きく、使えることについて格差が生じる。経済的に大きくても小さくても、使えるものは使える、使えないものは使えないと、万人にフェアにしておくことが好ましいのではないか。

(隣接権裁定制度)

  •  実演家の裁定制度について必要という意見があるが、実は二次利用を想定していない状態、二次利用のビジネスモデルが成立しないから二次利用が進まないだけであるのに、実演家の許諾権が原因等と言われることがある。保護期間の話をしている中で、実演家だけは、権利を切り下げる話が出てきている状態は、非常に遺憾。
     今後は二次利用を想定して、出演者リスト等を権利者団体間で共有すれば、集中管理で対応できる。また、現在(権利者不明の場合に対処するための)第三者機関の創設について民民の間での取組が検討されている。裁定によって解決を図るというのは時期尚早ではないか。
  •  放送番組の利用円滑化を進める中で、権利者情報の集約が非常に重要であり、その動きを鈍らすような制度を作ってはいけない。米国では、映画に関して団体協約によってコンテンツホルダーと権利者団体の権利者データの共同管理がされている。日本でもアニメ等で出演登録用紙のような取組が進んでいるが、放送番組やレコーディングでは、コンテンツホルダー側から十分な協力を得られていない状況があるようだ。裁定制度を考える前に、権利者情報を共同管理していく仕組みづくりが必要なのではないか。
  •  実演家の裁定制度については、過去の放送番組について、端役で出演していて、現在役者を辞めた方などは、全て把握、追跡できないため、所在不明という事態はどうしても生じる可能性がある。
  •  一般人の写り込みの場合はプライバシー等に関する問題もあるので、裁定制度では解決できないので切り分けて考えるべき。また、権利者不明の場合と権利者が不同意の場合が混同されて議論されることが多いが、分けて議論する必要がある。
  •  その他の手段で解決できる場合には、裁定制度は使われないが、その他の手段で解決できるかどうかと、最終手段としての裁定制度が必要かどうかは別の話ではないか。
  •  レコードについては、企業が発売していることが大半であり、著作権者が不明になることはほとんどないので、レコードの裁定制度は必要ないと思われる。また、隣接権の裁定制度に関しては、ローマ条約において、国内法に委ねる旨の明文の規定がない限り、強制許諾を設けることができないのではないか。
  •  レコードについても、廃盤の復刻などにおいては、レコード会社が分からなくなってしまい、結局復刻できなかったという事例もある。また、インディーズ盤、自主流通盤などもあり、裁定制度で解決する仕組みはレコードについても必要である。
  •  著作隣接権の裁定制度について、どの程度ニーズがあるのか不明である。
  •  免責事項があればいいというのも具体的なもの。まず裁定制度を導入するということを決めるのではなく、そういった具体的な事例に基づいた検討が必要。【再】
  •  10年以上古いドラマ番組の場合には、およそ1割が不明者になっており、所属事務所や権利者団体で調べてもらっても分からない実演家が存在する。
  •  二次利用を想定せずに作成された古いコンテンツで権利者情報が分からないものと、これから権利情報を集約しながら製作するものを明確に分けるべきで、前者に対する手当が必要な場合に、恒久的な裁定制度は必要ないと考える。また、権利者不明といっても、実演家ではなく単なる一般人の写り込みの場合が混ざっていると思われるため、定量的な分析や具体的な事例を挙げながら検討していく必要がある。
  •  コンテンツホルダーによる権利情報の集約の途上にある中で、より楽な制度ができてしまうと、そういうシステムができていかなくなる。権利情報の集約についての努力の結果を検証せずに、いたずらに必要な手続きを省略するための制度としてはいけない。
  •  裁定制度は、不明の場合も協議不調の場合もあるが、権利者の意思にかかわらず権利を制限するという意味では、やはり大きな例外。ただ、実演を加えるのか、視聴覚実演だけに限るのか、また、その主体を誰でも認めるのか、放送事業者に限るのか、さらに、利用行為一般が含まれるのか、インターネット配信は許さずに再放送に限定するのか等々、きめ細かく設定して制度を作ることも可能で、それによっては各種の条約の適合性も担保され得るのではないか。
  •  裁定制度を使いやすくするとザルのようになってしまうのではないかという不安があるが、もっと使いやすい裁定制度をという声があるのも事実だと思う。法改正だけではなく、制度的な運用や民間での取組への提言も含めて検討したい。
     米国で保護期間の最後の20年は図書館等の一定の利用行為について権利制限されているが、このように図書館制度と組み合わせるなど複合的な策を講じていかないと、単純に裁定制度を簡便化するのでは危険。また、第三者機関の設置による強制許諾の可能性も考えているが、分野を狭めて考えないと汎用的な機関であれば危険である。

(民間での対応の限界)

  •  日本経団連の枠組みでは、最終的にリスクがゼロになるわけではない。ゼロが無理でも、リスクはなるべく小さくしたい。裁定制度でなくても、例えば、何らかの権利者を捜す努力をしていれば差し止めの可否や刑事罰のところで免責されるようなことは考えられないか。【再】
  •  民間の処理では、故意はあるので、刑事罰の対応が問題になるのではないか。
  •  日本経団連の枠組みでは、最終的にリスクがゼロになるわけではない。ゼロが無理でも、リスクはなるべく小さくしたい。裁定制度でなくても、例えば、何らかの権利者を捜す努力をしていれば差し止めの可否や刑事罰のところで免責されるようなことは考えられないか。【再】
  •  日本経団連の「映像コンテンツ大国を実現するための検討委員会」であった議論とも連携しながら、何が問題になっているかを具体的にイメージできるような形で検討を進めるべき。
  •  日本経団連での議論は、文化庁での議論がなかなか進まない中で、実務上はどんどん進めないと、コンテンツの流通を早く進めなければならないということで、民−民でお互い妥協ができる部分は妥協し、リスクがあってもやろうという話で、報告したもの。
  •  日本経団連での議論についても、ひとつの意見として重視すべきではあり、煮詰められた議論は参考になるが、法制度はもっと小さな分野にも及んでいくものであり、まずは一意見として扱うべき。
  •  音楽配信では、何百万曲というコンテンツを利用したビジネスが始まっており、一つのコンテンツの中に細分化されて権利がある場合、一部の著作者が後から判明するときがどうしてもあるなど、何らかのセーフティネットがないと実務が難しくなっている。裁定制度はもちろん、その他の仕組みも含めて、一方がリスクを負う形ではなく、著作権と著作物流通の調和の中でみなが使いやすく、また何かあったときのリスクが巨大化しすぎないようなセーフティネットをつくっていく必要がある。

(民間裁定機関、プール機関)

  •  国の裁定制度でなく、権利者に代わって許諾を出せるような仕組みが必要である。例えば、権利者のデータを管理し、一定の場合には許諾を出すことができ、後で権利者が出てきたら差止めも報酬請求も、その管理センターに対して行える、そういった強制許諾ができるような機関をつくるのはどうか。
  •  それは政府が強制許諾をするのと同じではないか。政府の裁定制度と同じ問題が発生するし、民間の特定の主体にそのような権限を与えることは危険である。
  •  現行の裁定制度は基本的に権利者を守ることを前提に、なるべく利用者が使いにくいようにするとのコンセプトで作られている。今後は、利用の円滑化というコンセプトで検討するのであるから抜本的に考え方を変える必要がある。例えば、申込みの料金はゼロでもいいし、供託金も事後に権利者が現れてから払えばいいというシステムは非常に使いやすい形であると思う。【再】
  •  英米のように事後に支払うような制度の場合、利用した業者が倒産するとかで支払い能力が無くなった場合などにトラブルが起きるのではないか。【再】
  •  日本経団連の枠組みでは、最終的にリスクがゼロになるわけではない。ゼロが無理でも、リスクはなるべく小さくしたい。裁定制度でなくても、例えば、何らかの権利者を捜す努力をしていれば差し止めの可否や刑事罰のところで免責されるようなことは考えられないか。【再】
  •  免責事項があればいいというのも具体的なもの。まず裁定制度を導入するということを決めるのではなく、そういった具体的な事例に基づいた検討が必要。【再】
  •  裁定制度を使いやすくするとザルのようになってしまうのではないかという不安があるが、もっと使いやすい裁定制度をという声があるのも事実だと思う。法改正だけではなく、制度的な運用や民間での取組への提言も含めて検討したい。
     第三者機関の設置による強制許諾の可能性も考えているが、分野を狭めて考えないと汎用的な機関であれば危険である。【再】
  •  裁定制度をどんどん緩やかな制度にするのは反対である。裁定制度は、特別のどうしようもない時に利用する伝家の宝刀的なものであり、現状の程度がいいのではないか。日本経団連で検討されている仕組みでは許諾を出す法的根拠がないと思うが、第三者機関がまとめて何らかのリスクを背負わないと難しい。リスクが残るからといって、制度全体を緩めてしまうことは危険。運用その他についてきちんとしたルールを定めて監視をしつつ、集中管理をしていく必要がある。例えば第三者機関が不明な人の許諾を出し、そのために、行政が第三者機関を認可し、監督する等を行う必要があるのではないか。【再】
  •  裁定制度の運用主体について具体的に検討する必要がある。供託金を受け取る者がおらず、国庫に入ってしまうのはおかしい。例えば供託金をプールしておいて、それが累積するようであれば、供託金を値下げするとか、一部をクレーム処理費等に当てるとかを考えてはどうか。官で行うと弾力的にできないというのであれば、第三者機関や既にある団体が代行することも考えられるのではないか。【再】
  •  現行の裁定制度は、申し込むのにハードルが高くなっているが、実際に供託金から支払われる例は少ない。このような供託金を活用して、権利者データベースに載っていないものについては安い料金で裁定制度を出すことができるようにしてはどうか。正当な利用料として支払われる供託金を、国や第三者機関で、不明権利者を探すための広告料や運営費として使うなどのシステムを考えてはどうか。【再】

(保険)

  •  現在の音楽配信等の問題点として、1曲の中の2〜3割の部分について団体管理となっていない場合があり、配信事業者がリスクを負う形となっている。企業はこの分の使用料をプールしつつ権利者をさらに探すが、年度ごとの会計の関係で何期にもわたってはプールできない。このような問題を日常的に処理できるようなルールが必要。
  •  音楽の場合には、不在のリスクに対し、保険でカバーできないかということで、保険会社にお願いして作ってもらったことがあるが、保険だけでは無断利用という法的リスクをカバーできるかどうか分からないため、何らかのルールや根拠などを法制度的にも整備すべき。

(権利制限での対応)

  •  国によって著作権の在り方にはかなり違いがあり、保護期間の問題についても、そのことだけで議論すべきではない。フェアユースの概念がある国もあるし、もし欧米並みということであれば、その部分についても同様に議論しなければならない。【再】
  •  表現の自由、公正な利用の確保について、今の制約が過剰というのであれば、保護期間が30年でも同じ問題がある。保護期間ではなく、著作権の存在自体の問題であり、20年の差によって生じるものは程度問題。保護期間について論じるより、存続期間中の自由を確保する方がメリットがある。二次創作やパロディーのための権利制限、非営利無償のアーカイブ、フェアユース的な一般条項などがあり得るが、延長問題とセットにすれば、フェアユース的な規定を入れる千載一遇のチャンスではないか。【再】
  •  権利を強くするのだからどこかを引っ込めるという議論ではなく、延ばすべきか延ばさないべきかで議論すべき。権利制限を併記していくべきではない。【再】
  •  パロディー条項のような権利制限を議題に入れると議論が対立しそうで、現実的なのか疑問はあるが、インターネット時代にあって二次創作のモチベーションは生じてきており、是非議題に入れるべき。【再】
  •  権利の強さは「権利の幅かける保護期間」で考えられ、長さを伸長するなら代わりに幅を縮めるという考え方は成り立ち得るが、権利制限となると全部の著作物に関わる話であり、当小委員会ではなく法制問題小委員会で検討すべきではないか。【再】
  •  権利者不明といっても、実演家ではなく単なる一般人の写り込みの場合が混ざっていると思われるため、定量的な分析や具体的な事例を挙げながら検討していく必要がある。【再】
  •  確かに著作権が強すぎる部分がないわけでもないが、データベースの整備や裁定制度の簡略化といった利用円滑化プランを提示しているのだから、その議論をしてからでないと話は先に進まない。

(共有著作権について)

  •  共同著作におけるガイドラインの作成については、示す必要がどのくらいあるのかというのがポイントになるかと思う。あるとすれば、共同著作か否かという場合分けはあり得る方法である。
     共同実演については、まず実演家に共同実演が認められるのかどうか(現行法で想定されているのかどうか)、安易に認めてしまえば実演の利用の阻害を生じるのではないかという懸念もある。認めるとしても、分離利用が可能な場合、不可能な場合それぞれによって違いが生じるが、認めないとしても、その者が他の実演にも関与している場合には隣接権が及ぶことになるので、結局、共同実演を認めるか認めないかの違いは、部分を利用する際にその部分には関与していない他の実演者の許諾を得るか得ないかという問題である。
  •  「正当な理由」のガイドラインは、事前にあらゆる事例を想定して書くことは不可能であって、役に立たないものになるか、また、作っても裁判所が別の判断をして、まずいことが起きるものになるかである。「正当な理由」の判断基準を示す必要はない。
     65条の規定については、共同著作者の場合の共有と、そうではない場合の共有については、同じと考えるべきである。(共同創作についての)思い入れの部分は、64条の人格権の問題として考えればいい。
  •  結合著作物を利用する際、複数の権利者が自発的に結合させた場合は(勝手に結合された場合など結合著作物一般に広げるのは問題があるが)、事後的に利用に反対するには一定の理由がいるというような制度も考えられる。
  •  詞と曲は、法律上は結合著作物であり、分離して利用する場合、例えば曲のみ利用して歌詞は利用しない場合は作詞者の許諾は得なくてもよいということになる。これをやられると作曲家としては利用範囲が際限なく増えるが、業界としては困ることになる。結合著作物と共同著作物それぞれの概念をはっきりさせると、利用頻度も変わってくるのではないか。

2.アーカイブ関係

(アーカイブ関係総論)

  •  近年、アーカイブ構築の促進については、特に先進国で社会政策的な観点から制度を設ける国が増えてきている。我が国では、単に個別の契約等に任されており、他の諸外国とのコンテンツ流通の格差が拡大している。ある程度包括的な処理機構なり、システム、法制度を実現することによって、日本の知的な財産を活用して社会全体を発展させていくという政策的な視点が必要。国内だけ、権利者と直接利用者の間だけの議論のみで終わらせてしまってはならない。
  •  デジタル技術の発展で、データ容量や処理スピード、送信速度が向上し、コストも安くなったことで、従来大規模施設でしか行えなかったアーカイブが、個人や小規模な図書館、機関でも可能になってきた。こういった小規模なアーカイブも国の発展に貢献すると思われるので、これらを社会政策的にどう位置づけるかが必要になってくる。利用方法も、従来の収集、閲覧、上映、複製に加えて、公衆送信や二次利用のための加工、翻案、複製ということが必要になる。
  •  近年、先進国では、社会政策的な観点からアーカイブ促進の制度を設ける国が増えている。我が国では、個別契約等に任されており、他の諸外国とのコンテンツ流通の格差が拡大している。包括的な処理機構なり、システム、法制度を実現して、日本の知的財産を活用して社会全体を発展させていくという政策的な視点が必要。権利者と直接利用者の間だけの議論で終わらせてはならない。
  •  アーカイブは、デジタル技術が発展し、コストも安くなったことで、大規模施設だけでなく個人や小規模な図書館、機関でも可能になってきた。これらも国の発展に貢献するものであり、これを社会政策的に位置づけることが必要。利用方法も、従来の収集、閲覧、上映、複製に加えて、公衆送信や二次利用のための加工、翻案、複製が必要。
  •  デジタル複製技術、ネット流通によってローコストになると言われがちだが、情報の信頼性の付与、対価を払うに見合ったコンテンツとするための編集など、情報の生成加工にかかるコストは変わらず、さらに、マルチメディア化することでより多くのコストがかかる場合もあることに留意が必要。
  •  アーカイブを行う際、裁定制度の簡略化、権利者の確認システムの構築、運営が必要。また、不許諾の場合も、科学技術論文など社会政策上必要なものについてはある程度社会のために使える方策も探るべき。その場合は、権利者の不利益は公的に補償されることが前提。現在作成される著作物は、デジタルデータとして作成されるものが多く、このデジタルデータ自体を収集するシステムが必要。
  •  アーカイブの構築と利用は、公共的な立場でやるべきことと企業に任せる部分を明確にした上で制度設計を考えるべき。音楽配信や電子出版サービス市場も拡大しており、これらのコンテンツを図書館でどう利用するか、民業との協調も考える必要がある。
  •  デジタル出版は、携帯向けの小説、コミック市場から、文芸書の電子書籍の小さなマーケット、自然科学系の学術論文の電子ジャーナルなどの商業的にも成功している巨大市場など多岐にわたる。ビジネスモデルも商業出版からオープンアクセス、広告モデルによる無料配信、図書館向けのビジネスなど多様であり、議論する際には注意が必要。
  •  デジタル出版を行う際の著作権処理については、従来の出版契約に加え、電子化のための契約、公衆送信権の許諾も必要で、現在は、図書館向けのサービスも含めて個別の著作権者と契約をしている。また、DRMの設定は必須であるが、ファイル形式が標準化されていないため、デジタル出版が普及するブレーキになっている。
  •  出版は、原則的に読者のコスト負担によって情報が回る自立的なサイクル。図書館は、この出版の流れとは別に蓄積する役割だが、デジタルアーカイブでは、単に蓄積を意味せず流通を兼ねてしまう。読者がいつでも入手できるようになるため、情報のサイクルを維持するためには、外部運営費を持ち込まなければならなくなる。外部運営費での運営は、それが小さくなったとたんに、90年代半ばの自然科学のジャーナルクライシスのような問題が起き、出版が難しくなる状況がある。
  •  欧米で、図書館が電子図書を大量に利用者に提供しているという状況は、欧米では出版社にとって図書館は購入してくれる顧客であり、図書館に向けたデジタル図書のビジネスを行っていて、出版社がデジタル図書館の会社に原稿を提供すると、その会社が図書館と個別契約をして提供するという形である。デジタルデータに同時に何人もがアクセスできないような制限などのインフラも必要。
  •  米国では、出版物のデジタル化だけでなく、データベースも、間に業者が入って100〜200のデータベースをまとめて図書館に納入し、図書館は税金で使用料を支払って、市民はただで使う形がある。単に個別契約だけで進めるのではなく、そういう社会的な制度やコンセンサスが必要。
  •  自立的コンテンツ流通システムとしての通常の出版事業が妨げられないようにするには、図書館は利用者がただで借りられる環境を保障した上で、その裏では出版社に対価が払われるという形が理想。
  •  アーカイブは便利にはなるが、権利者に金が回らなくなってしまっては、そもそもがなくなってしまう。商業的なきちんとした新しいサイクルを作るためのインフラとしてアーカイブやそれを支援する法制度を考えていくべき。
  •  アーカイブとして機能するためには、データベースとして使いやすいものであることが前提であり、収集保存の際にはできる限りデジタル化し、提供という目的が十分に果たせるよう、データベースとして十分なものにするようにすべき。
  •  何をもってアーカイブとするかという線引きが難しく、制度的な措置は難しいのではないか。まずは著作者不明の場合の裁定制度を使いやすくし、その後での話ではないか。図書館サービスの多様化によって民業を圧迫するようなことは本来の趣旨ではないだろうから、ビジネスとの競合の観点を踏まえて検討すべき。
  •  アーカイブについての権利処理上の問題より、図書館を含めたサービス事業間の産業間調整の部分の課題が先にあるのではないか。不許諾になったものでも科学、学術にかかる情報等については社会政策上の観点から強制許諾を行うということは、どういう基準に判断するのかが難しいのではないか。
  •  保護期間の延長に際し、保護期間が満了したものをアーカイブしている場合、50年が70年になったら困るという話から、例えば裁定制度の簡略化が話題になったもの。権利制限的なことも考えられるが、裁定制度の利用方法について50年以降のものに限らず30、25年以降、登録されていないものはなるべく自由に利用できることにしていけば、権利制限でなく裁定制度の改革でもずいぶんクリアできるのではないか。

(アーカイブの中での図書館の位置付け)

  •  図書館の機能が今までと変わってきているのなら、そもそも今後、地域において図書館がどのような役割を果たしていくのか、それを著作権上どのように捉えていくのかについて議論すべき。
  •  図書館においては、その役割自体において公共性があるところから、社会政策的あるいは経済的な政策の側面からの検討が必要。【再】
  •  図書館といっても、その中に国立国会図書館から学校図書館など様々な種類があり、それぞれ性格が異なる。それぞれが社会において果たすべき役割は何なのかというところから出発しないと、一括りで図書館と議論することは不適切である。【再】
  •  図書館のアーカイブ問題を考える際、図書館の機能を拡大的に捉えていくといろいろ問題が出てくる。ベーシックな機能で考えるべき。アーカイブされたものは幅広く使われていく可能性があり、そうなると出版社の権利にいろいろな影響を与えることになるので、出版社がどのような権利を持つべきかという問題についても検討すべき。
  •  図書館 対 権利者という議論ではなく、利用者たる国民一般と権利者という関係で考えないと本質を見失う。図書館は、利用者の声の代弁をしており、日本の社会での著作物の活用の仕方の中で、図書館というシステムをどう利用するかという形で考えるべき。コンテンツの円滑な利用を担保するシステムを作るために、使用料をきちんと払うシステムを作るなど、色々なレイヤーでの対応を個別に図っていく必要がある。また、当事者だけで議論を行っているうちに、諸外国が制度整備を進めて、国家間で差が広がってしまうことについて誰が責任を取るのか。
  •  図書館が楽譜を所蔵し、コピーして渡すこともサービスとして行われている例があるが、図書館がそこまでやるべきなのか。調査研究を逸脱する部分については規制すべき。

(図書館の権利制限での対応)

  •  デジタル化利用には、許諾が必要かどうか、モニタリングが可能かどうか、課金が可能かどうかをそれぞれの利用ごとに考えてみると、閲覧の場合は、許諾は不要、モニタリングも不要であり、課金はすべきではないことに異論はないだろう。
     伝送の場合は、許諾が必要かどうかはその対象によって違うが、一般ユーザーへの伝送はおそらく必要で、公共図書館同士の伝送の場合は議論があり、韓国では事前許諾をなくし補償金制度を導入している。モニタリングができ、課金も可能であるということ。
     出力(紙媒体でのコピー)の場合は、許諾が必要かどうかは議論が必要。韓国では許諾を不要としているが、コピーカードの導入を条件として、モニタリングや課金ができる仕組みを作ったことが前提となっている。
  •  デジタル化に際し、イメージでするのかテキストでするのかということも区分けして考えていく必要があるのではないか。
  •  権利制限規定の要件を細かく定めたり、追加的な義務を定めたりするのは可能で、結局はどのような内容でコンセンサスが得られるかどうかの問題に尽きる。現在違法とされている利用方法も、社会にとって有用なのであれば、何か条件付けによって落とし所が見つかるのであれば、円滑化方策として検討すべき。

(図書館について裁定制度での対応)

  •  図書館資料について、相当年数経ったものについては保存のために別の媒体で保存することなどもあり得るが、そういった場合には、現在よりも簡便な裁定制度が必要ではないか。復刻等の利用をして欲しくない著作者は、データベース等に意思表示をしておく仕組みがあれば無理矢理利用することもなく、その意思が反映できる。そういう登録すらしないものに関しては、なるべく自由に流通するようにすることが必要である。
  •  図書館資料の保存の観点から言うと、再生手段の入手困難時における複製について、現行法では認められていないので、権利制限の要望が認められなかったとすれば、その場合は裁定制度を利用するしかない。障害者用録音テープ作成(媒体変換)にも、図書館で行う場合には許諾が必要であり、権利制限が認められなければ、裁定を利用しなければ使えないので、より簡便な裁定制度の仕組みが必要。
  •  図書館においては、その役割自体において公共性があるところから、社会政策的あるいは経済的な政策の側面からの検討が必要。【再】
  •  図書館といっても、その中に国立国会図書館から学校図書館など様々な種類があり、それぞれ性格が異なる。それぞれが社会において果たすべき役割は何なのかというところから出発しないと、一括りで図書館と議論することは不適切である。【再】
  •  著作者が営利を求めているものは出版物の中では一握り。研究論文や自費出版物など、とにかく読んで欲しいというものも多い。それらはアーカイブして、ネットで配信しても、著作者にとってはありがたいこと。一握りの文豪作家の作品については登録制度にするなどして線引きをしっかりして、あとはなるべく自由にすべき。

(NHKアーカイブス)

  •  NHKアーカイブスは、現在60万の保存番組があるが、閲覧できるのはテレビ番組で約5,400本、ラジオ番組で約600本。閲覧できる数を増やすにはサーバーや回線の能力の向上が必要であり、経費の問題が生じる。実際に見られている数から考えると、これ以上増やすことは費用対効果として疑問。また、無償でネット配信するとなると、ビジネスの観点からは無償でやることがいいか議論もある。社会政策上必要な部分とビジネスとの線引きが難しい。
  •  NHKアーカイブスの公開に当たっての権利処理は、公開ライブラリーの目的や、公開施設が限定されており、あまり大きな問題はなかった。一部使用料等の部分で合意できなかったものもあるが、公開できなかった一番の理由は人権、プライバシーの面。
  •  現在、NHKアーカイブについては文藝家協会とNHKで契約しているが、最初の前提とは異なり、地方局でも見られるようになったり、ネット配信も行われる可能性もあるなど、事後の利用状況は全く未知であり、最初に番組を作る段階で全ての権利を契約することは不可能。
  •  NHKアーカイブスの話は、契約書などは作らない業界ではあるが、ある程度契約関係を確立し、きちんとクリアにしておくべき。文化遺産として保存していかなければならないのなら、最低限、そういう部分の契約を統一して実行していくのも一つの手段。

(アーカイブワーキングチームの報告書について)

  •  図書館は、古代エジプトの時代から国民の文化にとって極めて重要であり、特に欧米に比べて図書館は遅れているので充実を図ることが大事である。充実を図ることは、著作権法上は権利者に不利なように見えるかもしれないが、図書館でコピーしてもらって保存してもあることを望む権利者も多いはずである。アーカイブに関しては大胆な提言を打ち出してもいいのではないか。
  •  全国3,000余りの公共図書館に買ってもらうことで成り立っている少部数の出版物もあるので、31条の「図書館等」にどこまでの施設を含むのか、一般の図書館については図書館の今後の在り様、書籍の流通の実態やアーカイブの実際の効用について、改めて議論をすべき。
  •  地方の図書館が充実していないのは事実。ユビキタス時代にあって、都市と地方で文化へのアクセス状況に差があることは好ましくなく、利用に関しては、公貸権など議論はあり得ると思うが、アーカイブについては、もっと許してもよいのではないか。
  •  国会図書館と地方図書館をオンラインで結べば便利であると言われるが、地方の図書館が経済的に苦しい現状を考えると、少部数の出版は成立しなくなり、出版文化そのものが崩壊するおそれがある。例えば公貸権などによって少部数の出版や著作者を保護する仕組みができれば、そのような便利なシステムも実用化できるとは思うが、現状では国会図書館でのアーカイブに限り法律を改正して、利用方法については十分な議論が必要である。
  •  酸性紙がどんどん劣化しているし、できるだけきれいな状態でデジタル化することは必要で、国会図書館でデジタル化することは法改正をして自由にできるようにすべきだが、利用については、例えばコピーサービスに関して、デジタルデータであれば、そのままP2Pで流出するような危険性もあり、従来の本を開いてコピー機で行うコピーとデジタルアーカイブされたものからコピーをするのでは差があると考えて慎重な議論が必要である。
  •  公共図書館が国会図書館の資料を利用するのは、刊行から10年、20年経過したもの、完全に品切れになっているものが中心であり、市場で入手できない資料である。また、デジタル化した資料の相互貸借ができず、原資料を貸し出すことをするというのでは、そもそもきれいな状態で保存しておくことができないという矛盾になる。少なくとも相互貸借は図書館法上の努力義務であり、国会図書館から地方図書館への貸出は現状レベルで保障されなければならない。先進国では、日本の何倍も図書館間の本の流通が行われている。
  •  社会政策的に図書館の在り方を議論する必要がある。例えば、米国では医療情報、ビジネス支援、訴訟のための情報提供など、実務的な仕事や生活を支えるための情報提供を行っている。情報の流通によって国を強くしていかなければならず、諸外国では可能な利用方法ができないのでは日本は遅れをとってしまう。
  •  デジタル化が普通の人でもすぐできる環境にありながら、対応が先送りになっている印象がある。将来的な展望を見据えて、他国を参考とすべき。その際には、それらの国にならって著作権者に還元される仕組みも組み込むべき。また、例えば「重版がとぎれて2年以上経ったとき」などの具体的な基準を入れると、出版者、著作者の心配も薄れるのではないか。
  •  アーカイブを促進すべきという点では一致している。ただし、デジタル化することによって利用の方法が高度化し、予見できない問題がある一方で、デジタル出版も急速に進んでいくので、図書館と出版社がどのように連携をとっていけるのか、関係者の協議によって解決していくものである。
  •  図書館が文化発信をしていくことは大いに結構なことであるが、その社会のインフラのために予算がつかず、権利者や現場が我慢をさせられて文化が成り立つというのは違うのではないか。思いは一緒でも、現場ではどうしても金銭的な話で対立してしまう。文化審議会の場であるので、文化の有り様について提言をしてもいいのではないか。
  •  誰かが我慢することは避けなければならないし、補償金なりの制度を作る必要もあると思うし、当事者間の意見調整が必要だとは思う。しかし、実際に地方図書館が国会図書館から借りている本は、ほとんどが重版される可能性がないものである。
  •  以上は事務局において発言の要旨をまとめたものである。