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資料5-3

「過去の著作物の保護と利用に関する小委員会」への意見表明にあたって

2007年5月16日

椿 昇(コンテンポラリー・アーティスト 京都造形芸術大学教授)

 検討課題4項目のうち、主に保護期間延長問題に関して意見を申し上げます。

3: 保護期間の在り方について

私はコンテンポラリーアートという主に欧米に巨大なマーケットを有する文化産業と、日本における美術・デザイン教育の双方に長年携わって参りました。そのなかでアーティストと教育者という二つの異なる立場から見た著作権問題を簡潔に述べさせていただこうと思います。まずアーティストとして著作権に保護してもらわなければ困るという問題が当然あるように思われますが、それよりも自らの制作においては、他の作品の著作権を侵害する危険性のほうが圧倒的に高いということにあります。

なぜなら、世界を舞台にした表現活動のなかでは現行著作権制度下で明らかに侵害行為とみられる表現が多方面で台頭し、それが世界を牽引しています。音楽におけるDJのリミックス表現に代表されるサンプリング文化の台頭。世界を圧倒的な格差に追いやるグローバリゼションを風刺するパロディー的なアート作品。特に後者のコンテンポラリーアートにおいては、風刺を超えた過激で攻撃的な作品を作る中国やインドの若手が欧米のマーケットを席捲する有様です。

皮肉にも、新しい富を生み出すエンジンが、著作権意識の希薄な地域や著作権という利権保護を潔く思わない立場のカットエッジな若者によって生み出され、インターネットの普及も手伝って、自作を保護したいという保護主義的な空気を非常に嫌って流動してしまうという事態が起こっています。また、インターネットによって育った人々に芽生えた「共有意識」にとって、現代の著作権がディズニー法と相乗した「文化帝国主義」と感じられるということも大きいでしょう。過剰な権利保護は一部の人間のみに利益をもたらし、圧倒的多数の地球市民を抑圧する元凶ではないかという疑念を持つ若い表現者が多いのです。

ご存じのように、ピカソはアフリカの彫刻を買い集め、それをアレンジして莫大な富を築きましたが、彼は1フランの著作権使用料もマリ共和国に支払う必要はありませんでした。また熱帯雨林の植物から貴重な遺伝子を採取して新薬を開発しても、その企業は1ドルの資金も払わないばかりか、特許の切れたジェネリック医薬品の普及にすら抵抗をする有様です。これらの行為も現代の表現者には帝国主義の残像と映ります。また、世界規模で考える時、レーガン・サッチャー以降の市場原理の行き過ぎに歯止めがかからなくなって人類そのものが暴走しているという危惧も多くの表現者が抱える問題意識となっています。温暖化問題に代表されるように、あらゆるものを奪い取るという利潤追求を至上命題とする市場原理がこのまま暴走を続ければ、資源の奪い合いと気候変動が近い将来世界全体を大きな混乱と混沌に陥れてしまうことは確実です。

私は2004年に文化庁の支援を受け、パレスチナのアルカサバシアターに招かれて舞台美術の制作を行いましたが、アーティストとして地球環境問題や先進国による資本の独占をテーマとしながら、欧米主導のマーケットで作品を取引するという矛盾を彼らに指摘されました。当然のことながら欧米以外の国で表現する時、日本人としてどのような立場に立つのかを厳しく追及されることになったのですが、自作は「パブリックドメイン」だと語ると周囲のパレスチナやイスラエルのアーティスト達から拍手が沸き起こりました。今ほど一国の利害を超えて人類全体に想いをはせることが表現者に求められている時代は無いと考えます。21世紀の地球市民として、過度の独占を自ら律し、人類全体の幸福に供するため「独占から共有」へという流れを明確にすべきと考えます。

よって、今回のテーマのひとつである著作権保護期間の延長を欧米の基準にそろえて50年から70年にしようという考えには賛同できません。京都議定書も提唱し、人類の福祉を増進することを国是とする我が国こそ、逆に知的創造を世界で共有するために保護期間を短縮する逆提案が必要なのではないでしょうか。すでに貿易額においても中国やアジア圏に主体が移るなか、アジア経済圏独自の創造を促す著作権の枠組みを主導するということも不可能では無いと考えます。

この意識の高まりを捉え、私がネット上の作品や画像に関して利用しているクリエイティブコモンズや、違法コピーに歯止めをかけてクリエーターとユーザー双方に豊かさをもたらしたitunesのような新たなテクノロジーを開発することを急ぐべきと考えます。googleの成功を見てもわかるように、情報流通の適正なプラットフォームを緻密に構築することでしか問題は解決しないのです。安直に50を70にするという決定をした瞬間、またもや日本は枠組みを作るという大切なステージから降ろされてしまうと考えます。国全体からすると小さな問題かもしれませんが、この問題はボディーブローのように若い表現力を奪うのではないかと危惧します。

補足: 教育現場における著作権問題など

私は長らく教育の現場に携わって参りましたが、現在抱える最大の問題は若い世代が夢や希望を持たず、ちいさな自己に閉じこもって「意欲」そのものを喪失しているという現状にあります。連日のようにすぐに「落ち込む」若いクリエーター達を励まし、勇気づけ、鍛える日々の繰り返しで人材の育成以前の段階で苦慮します。次の時代を作るのは「批評精神」や「社会風刺」のエネルギーであるにも関わらず、問題が起ることを恐れてひたすら中途半端な和風に逃げることでその場をごまかそうとするのです。そんな逃げ腰の日本の若者を尻目に、中国やインドのアーティスト達は欧米の資本やロゴマークをパロディーとして風刺し、著作権を平然と侵害する作品で莫大な外貨を獲得しています。

このような現状で著作権を70年にすれば、本来ターゲットにしなければならない中国人やインド人には全く効果なく、日本人だけに劇的に効くという最悪の結果がもたらされ、日本の一人負けを促すことが危惧されます。日本人の比較的温厚で大人しい国民性を考える時、教育の現場において重要なことは、管理や保護から自律と挑戦へ方向を大転換するべきと考えます。それらすべての想像と創造に対する危機を象徴するランドマークが保護期間延長問題であり、今回うかつに70年にすれば、将来にわたって日本文化の生産力に影響すると考えます。

私が最も恐れるのは、敗戦の混乱から立ち上がり、欧米に闘いを挑んで莫大な外貨の獲得に成功した日本の工業を支えた突破力を文化面でどのように継承できるのかということです。私たちが資源の無いこの国で曲りなりにも生存できるのは、彼らに寄生できたからに他なりませんし、21世紀に至って工業だけにその責任を負わせ続けることはできない状況に至っています。戦後、中途半端な国内市場や美術館に守られて国際市場への展開に遅れを取った美術業界を尻目に、保護が一切無かったファッションデザインや建築は世界に通用する人材を輩出しました。そしてマンガやアニメなどのサブカルチャーも権威や保護が無かったからこそ、クールジャパンと呼ばれる世界標準となりました。

過度な保護は必ず個体の自助努力を失わせ、種そのものの生存を脅かします。インターネットとリミックスによって人類の資源を共有する新しい価値を生む為にも、日本が文化的に世界に貢献を果たすためにも、各ジャンル毎に適正な保護期間を再設計することを切に願うものです。

以上


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