p.100〜「第2節 著作権法第30条の範囲の見直しについて」
一定の管理可能な私的録音録画については著作権法30条の適用除外とすべきであり、また、契約が存在する場合には私的自治の原則を尊重したオーバーライドの理論により、契約が優先適用されるべきである。この点については中間整理でも同様の整理がなされているが、どのような態様の録音録画行為が除外されるべきかについての現状の整理は不適当である。
そもそも著作権法第30条が、家庭等の閉鎖的範囲で行われる私的録音録画について著作権者等の権利行使が事実上できないことに鑑みて制定されているとの立法趣旨に照らせば、技術やビジネスモデルの活用によって、著作権者等の権利行使が可能となる場合には、私法の原則どおり私的自治が優先されるべきである。
適用除外とする典型例として、ネットにおける適法配信がある。そのことは中間整理でも大勢の意見として記載されている(p.108,a,)。一方で、有料放送とCDレンタルについても適用除外の可否が検討されているものの、両者ともに適用を除外すべきでないとの記載となっており、これらは適切ではない。
有料放送のように著作権保護技術(注1)が利用されている場合、それを回避して行う複製は著作権侵害を構成する。換言すれば、その複製が私的使用目的の複製であっても、認められた複製の範囲が広いか狭いかに関わらず著作権者等によって予め決められた範囲でしか複製ができないのであるから、そのような複製は著作権者等により許諾された複製である、すなわち著作権者等によって権利行使されていると考えるのが自然である。著作権保護技術が利用されている場合の録音録画は、そもそも第30条の適用を除外すべきである。なお、日本に比較して補償金類似の制度に大きく依存しているドイツにおいてさえ、著作権保護技術によって複製が制御される場合には、ドイツ著作権法第95条b(著作権保護技術を用いる場合には、一定範囲の私的複製等、権利制限で許容される行為を妨げないようにする手段の提供義務)の解釈によって、そのような録音録画はもはや私的複製には該当しないとの立場を傍論ながら示すドイツ連邦憲法裁判所の判断がある(注2)。
著作権保護技術が利用されていることを著作権の権利行使と同視すべきと考えれば、その範囲内の複製に対して私的録音録画補償金をかけることは二重の利得を著作権者等に与えることとなるはずである。別の言い方をすると、消費者は著作権者等により決められた範囲の複製しか認められないという不便さを負わされることに加え、その範囲内の複製に関してお金の支払を要求されているとみることができる。
CDレンタルについても管理可能性という点では、適法配信や有料放送と異なるところはない。相違する点は、著作権保護技術が利用されていない点だけである。しかし、著作物の利用を提供するサービス等における著作権侵害主体について、従来から用いられてきた判例理論においては、管理支配性(利益と支配)を要素として該当性を判断しているが、この際、技術的支配が判断の要素となっているわけではない(注3)。同様に、第30条の適用範囲を検討する際の「管理可能性」について、技術的な管理に限定すべきではない。なお、米国においても、技術的管理支配がない場合であっても、利益と主観的要件で侵害を認めた最高裁判例がある(注4)。
CDレンタルは、CDに録音された楽曲の私的録音が行われることを前提としたサービスであって、レンタル事業者が著作権者から許諾を受ける貸与権は、無断で行われる私的録音への対策として立法された経緯があり、利用者による録音に対してCDレンタル事業者の管理支配性が及ばないとは言い切れないだろう(注5)。適法配信の中にも、複製できる範囲についてのバリエーションを複数用意した上でユーザーに選択させ、それぞれの料金に差異を設けるビジネスモデルがすでに行われているし、またDRMフリーと呼ばれる、特段の著作権保護を施さない配信の例も登場している。CDレンタルにおいても許容される複製の量や個数によって契約を複数用意することはできるはずであり、技術的管理支配がなくとも、法的に管理支配可能なのであって、ユーザーのプライバシー等を侵害することなくそれに相応した対価の徴収が可能という点でも何ら適法配信と異なるところはない。
(この項は以上)
p.110〜「第3節 補償の必要性について」
補償の必要性については、いまだ十分議論が尽くされておらず、補償金制度の見直しの前提として、広く国民の意見を踏まえて必要性を判断すべきであり、この点は、消費者代表を含む複数の小委員会委員から指摘されているところである。なお、補償金制度を有する欧州においても、補償の必要性が明確にされないまま制度が運用されていることに対して、批判が高まっているところである(注6)。
補償の必要性の判断基準については、「著作権者に重大な利益の損失が生じうる場合は、著作権者に何らかの補償を与えるべき」と説明されている(注7)。
問題はいかなる場合に権利者が重大な経済的不利益を受けているといえるか(補償が必要といえるか)であるが、WIPOベルヌ条約逐条解説(the Guide to the Berne Convention)9.8によれば、「講演者がそのテーマを補強するため、専門雑誌から短い論文をフォトコピーし、聴衆に向かってそれを読む場合は、雑誌の流通を害するまでのことがないのは明らかである。講演者が多数のコピーを印刷し、聴衆に配付する場合は、事情は別である。雑誌の売行に相当の影響を与えるおそれがあるからである。著作権者に重大な利益の損失が生じうる場合は、法律はなんらかの補償を著作権者に与えるべきである(適当な報酬を伴う強制許諾制度)」(注8)とある。また、ベルヌ条約の3ステップテストを承継するWTO TRIP協定第13条の解釈について述べたWTO紛争パネル報告では、上記逐条解説を引用しつつ、「重要なのは、第3の要件において一定の『害』が『不当ではない』として許容されるとすれば、どの程度あるいはレベルの『害』が『不当である』とみなされるのかという問題である。われわれの見解では、権利者の正当な利益に対する害は、例外規定または権利制限規定が著作権者の収入(income)に不合理な損失を生じさせまたは生じさせるおそれがある場合に、不当なレベルとなる」と述べている(注9)。
これらの説明から、補償の要否について、個別の具体的状況を吟味し、本来コピーがなされなかったならば相当の売上が見込めたか、という”逸失利益”等の具体的不利益の可能性の有無が基準とされていることがわかる(注10)。
これに対し、中間整理p.111〜112の「経済的不利益の評価について法律的な視点」のアの立場(具体的損失が発生していることまでの立証が不要との立場)は、「権利制限された場合は経済的不利益がある」として、複製行為があると自動的に不利益が存在すると擬制しており、明らかに同条約の解説と矛盾する。1970年の発効以来、著作物の保護と利用を調和させる基準として国際的に機能し、その後のWTO TRIPs協定、WIPO著作権条約においても踏襲されている3ステップテストの利益衡量を、敢えて、より保護に厚く傾斜させるべきではないし、その必要はない。
当協会は、著作権保護技術が利用されている場合には補償は不要と考えており、この見解はこれまでにも小委員会で述べてきたところである。なお、著作権保護技術が利用されている場合には、そもそも第30条の適用を除外すべきとの立場であり、その旨を「第2節 著作権法第30条の範囲の見直しについて」に関して述べている。補償の要否の点で言えば、当然に補償は不要との立場となる。
これに対し、著作権保護技術が利用されている場合であっても、私的録音録画が完全に禁止されていない以上は補償が必要との立場がある(p.115 イ-)。
しかしながら、技術的保護手段に該当する著作権保護技術を回避して複製した場合、私的使用のための複製とは認められず、著作権侵害に該当する(第30条1項2号)。したがって、著作権保護技術を利用していること自体が、著作権者等が権利行使をしているのと同視できるのであって、そのような場合にまで補償金請求権を与えることは、二重利得に該当するおそれが高い。すなわち、技術的コントロールという形でいったん権利行使をしている以上、さらに補償金を与えることは、技術的にコントロールされた複製についての逸失利益を填補することとなり、法が二重の権利行使を認めることになる。また、そもそも、著作権保護技術が利用されている場合には、著作権者等としては、著作物を流通に置いた以降、どのように利用されるかが予め想定可能であるから、元々損失というものを観念できないはずである。
以上より、私的録音録画が完全に禁止されていない以上は補償が必要という考え方は、失当であると言わざるを得ず、著作権保護技術が利用されている場合には、補償は不要となると考えるべきである。例えば、有料放送や地上無料デジタル放送は、著作権保護技術(コピーワンス等)によって、私的録画が一定限度に制限されている。放送の受信後の利用を想定した上で著作物(番組)を流通においており、著作権者等の権利行使と同視できると考えられることから損失自体を観念できないのであって、したがって、重大な経済的不利益はなく、補償は不要と解すべきである。
補償の必要性について、「著作権者に重大な利益の損失が生じうる」かどうか、すなわち、相当の売上が見込めたか等、具体的不利益の可能性の有無を基準に検討すべきであることは前述した。この基準に照らし、以下のような複製については、具体的不利益の可能性があるとは言いがたい。
上述の通り、著作権保護技術が利用されている場合には、補償が不要となると考えられるところ、「試案」で示される条件には不適切なものが見受けられる。
アにおいて、「厳しく」との表現により複製できる範囲を問題としているが、「厳しく」との限定を付すのは不適当である。著作権者等が、複製の範囲について許容した上で著作物を流通におき利用に供する以上、複製の範囲や多寡は、補償の要否の問題とならないはずである。
また、イにおいて個々の権利者等による自由な「選択権を行使できる」ことが条件とされているが、不適当である。通常の私人間の契約においても、必ずしも当事者の意向が全て契約で実現できるものではなく、市場環境や当事者の力関係から、特定の当事者が苦渋の選択を迫られ、契約が成立する場合が多く存在することは言うまでもない。そのような場合であっても、いったん契約が成立した後は「合意が形成された」と扱われるのであり、どの程度当事者の意向が反映されたかは問わないのが民法の大原則である(参考条文民法第五章法律行為第91条、93条等)。したがって、権利行使したかどうかの判断においては、著作権保護技術の利用を選択する権利を行使したかどうかを問題とすべきであり、選択肢が多いかどうかとか、自由に選べたかどうかを問うことは、私法の一般原則と矛盾する。
(この項は以上)
p.123〜「第4節 補償措置の方法について」
補償金制度による対応と契約による対応を挙げた上で、契約に委ねることに否定的見解が記載されているが、契約に委ねられるところについては委ね、仮にそれでは不十分という場合には補償金制度による解決ということもありうるのであるから、全面的に契約に委ねることに問題があるとしても、契約による解決を否定する理由とはならないはずである。
(この項は以上)
p.126〜「第5節 私的録音録画補償金制度のあり方について」
中間整理は第5節p.126以降で、「『仮に』補償の必要性がある場合」と断りつつも、補償金制度のあり方について言及されている。しかし、補償の必要性がないと判断されれば補償金制度自体が廃止されることになるのであるから、「仮に」の議論は不要となるのである。複数の委員から、補償の必要性の議論は十分行われたとは言いがたい状況にあることは再三指摘されているところ、今後、補償の必要性の議論が十分尽くされ、一定の方向性への合意が形成されない限り、抜本的見直しを求められている本小委員会において制度ありきの議論は慎まなければならない。
以下、中間整理にて言及されている幾つかの点について、意見を述べる。
これまでも従前の法制問題小委員会、および当小委員会にて意見を表明してきたところであるが、補償金制度は、私的録音録画に用いる専用機器・専用記録媒体を対象とするからこそ機能できたのであり、汎用的な機能を有する機器・記録媒体については、そもそも補償金制度の考え方には馴染まないものである。したがって、p.129アの考え方は、全く不適当である。具体的な機器等を対象とすべきかについて、中間整理では、「代表的な機器等を念頭において整理化して検討を加えたものであり、個別の機器等についてはこれらの考え方を踏まえて、更に詳細な検討の上、判断されるべきである」(p.132)としているが、「更に詳細な検討の上、判断されるべき」点には、全く賛成である。
中間整理では、政令指定方式を維持することとしており、この点は全く妥当である。しかしながら、「法令で定める基準に照らして、公的な「評価機関」の審議を経て、文化庁長官が定める」とする点については、大きな懸念を覚えるものである。「法令で定める基準」がいかなる内容であるか、また「評価機関」の権限や運営方法等をどのようにするかによるが、政令指定方式によるとしながら、それを事実上無意味なものとする制度改訂には反対である。
製造業者を支払義務者とすべき根拠は存在しない。
現在は機器や媒体の購入者が支払義務者であるところ、それを製造業者にかえることが検討されている。中間整理では、製造業者の負担する協力義務は支払義務と「同じ」であると記載されている(p.136〜137)。それゆえに支払義務を製造業者に負担させてもいいのではないか、という論理である。しかし、支払義務と協力義務に類似する別の例として、契約上他人が負担する金銭債務を預かって債権者に引渡義務がある場合と対比してみると、その引渡義務を負担する者の債務が、債務者のそれと「同じ」であるなどとは法律的には考えがたい。金銭債務が100万円の場合、それを受け取った者は当然にその100万円を債権者に引き渡す義務があるために、引き渡すべき金額が一致することは言うまでもないが、そのことから、金銭債務と引渡債務が法的評価として同じとはいえまい。したがって、両者の義務は異なる性格のものである以上、製造業者に支払義務を負担させることの正当化根拠は存在しない。また、仮に消費者が補償金の支払を拒否したような場合には、そもそも製造業者は預かり金を保有しない以上、協力義務の不履行自体が生じないともいえる点からも、両者の義務を同一視する見解は不当である。
これに対し、機器や記録媒体の販売によって利益をあげていることが、製造業者に支払義務を負担させる正当化の根拠と主張する意見があるが、製造業者が協力義務を負担するに至ったのは、機器や記録媒体の販売によって利益をあげているからではなく、他に適当な請求・徴収する手段がなかったからにすぎない(著作権審議会第10小委員会報告書(注14))。仮に支払義務を負わせる根拠を「利益」に求めるというのであれば、現行法の拠って立つ「著作物等の利用の責任は、その受益者たる利用者が負うのが原則的な考え方」(注15)を根本から変更することになるのであり、これを「形式的・理念的なものにすぎない」(p.137)と片付け、あたかも理念を持つ必要もないとの姿勢をとることは大きな疑問である。
また、欧州の複数の国では製造業者等が支払義務を負担していることから、我が国においても同様な制度を採用しうるかのような記載があるが、欧州の消費者が補償金について十分認識していないままに制度を導入され、認識が高まるに連れ、それを問題視する声も拡大している現在、それらが根拠となるものではない(注16)。
支払義務者を製造業者等とすることは、返還制度の問題点の本質部分をさらに拡大する。
仮に製造業者に支払義務を認めると、機器や媒体のすべての購入者はその価格を負担することになる。そうなると、私的使用目的の複製を全く行わない者(企業等が購入者の場合もここに含まれる)から返還請求権(第104条の4第2項)を奪うことになる。平成18年1月の文化審議会著作権分科会報告書は、「返還金制度もそもそも返還額が小額であり実効性のある制度とすることが難しい」と指摘しているが、そもそも私的使用目的の複製を行わない者には負担を強いるべきでないと考えているからこそ返還の実効性を問題としているのであって、まったく返還しない方向で制度を変更することは、上記報告書の趣旨に反し、より多くの自然人及び法人の財産権(憲法第29条第1項)を侵害すると思われる。
なお、中間整理では、返還請求権を奪うことにより不公平を助長するという指摘に対して、「製造業者等が支払義務者である場合については、私的録音録画行為があったときに初めて金銭債務が発生するわけではないので、利用者は補償金支払済みの機器等、すなわち私的録音録画を適法にできる権利付きの機器等を購入したことになり、仮に購入者が私的録音録画を行わなかったとしてもその権利を行使しなかっただけであり、私的録音録画に使用される可能性が低い機器等を補償金の対象からはずすこと、補償金の額で調整することなどの工夫をすれば、必ずしも不公平にはならないと考えられる」と反論する(p.137)。しかし、上記の通りそもそも私的録音録画を行わない法人の財産権をどう考えるのかという点、また「補償金支払済みの機器等」となるのは支払義務者が利用者(購入者)である場合も同じである点に鑑みれば、論理的な反論であるとは思われない。
(この項は以上)