ここからサイトの主なメニューです
資料1

第7回 私的録音録画小委員会における意見の概要

1. 制度全体の問題について
 文化審議会著作権分科会報告書(平成18年1月)にあるように、私的録音録画について抜本的な検討を行うべきと考えているが、そのためには、どのような行為に補償措置が必要であるかについて、レンタルや配信ビジネス等の実態、タイムシフト、プレイスシフト等の利用態様との関係を十分に検討することが不可欠である。

 何に対して補償が必要であるのかがわからない状況下でやみくもに制度設計を行うということは適切ではない。国民生活に影響を及ぼす内容であるにもかかわらず、一定の結論が先に存在するかのような構成の資料が検討されることに強い懸念を感じている。

2. 第30条の範囲の縮小について
 補償金制度は代替手段がないために設けられた妥協の産物。利用者の私的録音録画を想定した契約等の他の手段があるかどうかという基準により判断すべきである。CDレンタル等についても個別的、具体的に検討すべきと考える。

 有料放送事業者は、権利者との関係のライセンス契約に視聴者の私的録画の対価は含めておらず、視聴者から私的録画の対価は受け取っていないのが現状であり視聴料と補償金の二重取りは生じていない。
 有料放送は録画を前提としたサービスではなく、すべての権利者から視聴者の録画の許諾を得ることは極めて困難。実際に録画する視聴者の数や番組を具体的に把握するような仕組みもなく、録画実態を見積もることも難しい。
 これらの理由から、有料放送の私的録画を30条の適用範囲から除くことは適当ではない。

  WOWOWが総務省情報通信審議会第3次中間答申に対して出した意見書の中で、コピーワンジェネレーションは放送事業者のビジネスモデルに基づき運用されていること、コピーコントロールの緩和の議論は各放送事業者と著作権者の契約内容を踏まえて行ってほしい旨の記述があるが、これは私的領域で行われるコピーの程度を契約上の前提としていると考えられる。また、SKY PerfecTV!のホームページを見ると、番組によりいくつかの異なる録画制限をしていることが明記してあり、有料放送事業者はコピーの可否・程度に関し幾つかのパターンを設けて番組を提供できるインフラを設けていると理解している。メーカーとしては、良質なコンテンツを継続、安定して提供できる環境をコンテンツホルダー、サービス事業者とともに構築するために彼らの要求に応じコピーコントロール技術を開発、提供してきており、放送事業者が「視聴者の録画を管理できない」という立場をとられるとすれば、それは残念。
 私は有料放送の契約視聴者であるが、タイムシフトなど視聴目的の録画行為について、別途対価を払えと言われるのは承服できないし、これは二重取りの懸念があると考えている。

3. 著作権保護技術と補償の必要性との関係
 参考資料1では技術的保護手段と補償金が併存可能としているが、JEITAとしてはそれ自体に賛成しておらず、そこについては論点であるべき。

 無料放送でも、技術的にコントロールが可能である限りは、権利者の意思を反映し得るので補償は必要ではない。

 放送事業者としては、権利者への配慮からできるだけ私的録画を抑制したいと考えているが、30条による権利制限があるので、私的録画が行われる。そうした中、コピーワンスであっても1枚でもDVDが複製されると全国でそれが複製され、それにより権利者の権利が害されるので、補償金制度はやはり必要だと思っている。

 これまで10数年、デジタルのコピー制御技術と回避技術の開発がイタチごっこになっている中、視聴者に対し30条の範囲内での録画機会を担保したうえでテレビ番組の違法流出を防ぐためにコピーワンスを適用している。しかしながら、私的使用目的で録画されるテレビ番組が違法流出する場合も多く、適法な複製と違法な複製の垣根が低くなっている。事業者、視聴者の利便性と権利者の利益のバランスをとるために補償金制度は有用であり、著作権保護技術とは併存すべきと考えている。

 権利者が主体性を持ってコピーコントロールを行える条件が整わない限り補償金制度は必要である。

 映画の著作物はコピーネバーを基本としている。これはDVD等のパッケージ商品を複製禁止としても消費者に何ら不都合がないためである。
 ただ、一般放送のタイムシフト録画のみについては、様々な問題から短絡的にコピーネバーにすることにはなじまないと考えている。この問題は総務省の検討会で長らく議論してきており、映画の著作権者は、地上波デジタル放送の著作権保護技術に関して、補償金制度を前提として譲歩せざるを得ないという苦渋の決断に至っている。

 補償金の必要性がなくなるイの場合は、アとウの中に包括されると思うが、書き方があいまいで、プラットフォームからハードウェア、ユーザー端末までを保有する寡占事業者が権利者に裁量の余地をあたえずスキームを強要するケースのような拡大解釈が可能になって危険ではないか。

 JEITAの著作権保護技術と補償金制度は併存する必要はないとの主張は、JEITAが総務省の検討委員会でコピーワンスからEPNまでの保護レベル切り下げを主張しながら補償金制度に言及しなかったことと矛盾する。

 著作権保護技術の進展により補償金制度が不要となるのは、著作権保護技術により私的複製がすべて禁止される場合か、全ての私的録音録画に課金できるようになる場合のいずれかではないかと考えているが、著作権保護技術がいつ効果的な進展を示すのかまだ予想がつかない状況で、著作権保護技術と補償金制度が併存可能であるということは、これまでの検討から見ても明らかである。
 補償金制度は前提だが、デジタルの世界で複製規模を30条の範囲内の複製に留める上限ルールは不可欠である。その場合においても、著作権保護技術の無効化に対処するルールを法律で規定することも必要ではないか。

 権利者の意思で私的複製をコントロールできる状態は、権利者が複製回数を選択可能な状況において初めて該当するのであり、総務省のコピーワンス見直しの議論のように、関係当事者の調整の結果であって権利者の意思がそのまま反映できなかったものは、権利者の意思でコントロールできたとは言わないのではないか。

 仮に権利者の意思で私的複製回数をコントロール可能になったとしても、レコード会社は放送局に対し報酬請求権しか持たないため、権利者の意思が反映できない。

 私的録音録画の総体自体が減らなくても、補償が必要な私的録音録画が減少していれば、補償金制度を維持する必要はなくなるのではないか。タイムシフトやプレイスシフトのような形態の私的録音録画まで減って初めて補償金制度が不要となるのはおかしい。

 補償金制度が不要になる条件の一つとして、「私的録音録画が著作権保護技術によって厳しく制限されれば」とあるが、なぜ「厳しく制限」されることが要件かよく分からない。

 重大な経済的損失の有無、権利者による技術的コントロールの可否という視点で補償の要否が判断されるべき。

 津田委員の意見書の中で、補償金制度を権利者と利用者の調整機能として捉え家庭内における複製の自由を担保するものと考えられれば納得感があるとされていた。複製の自由があるとはどういう状況をいうのか。複製が禁止されていないことをもって、複製が自由であるということなのか。どの程度の自由があれば、補償金を払うことに納得感があるのかといった議論が必要。

 JEITAとしては、もともと30条は無許諾、無償であったが、その理由は零細性・閉鎖性や権利行使の困難さといった消極的なことばかりではなく、知る権利や表現の自由といった公正利用の観点、さらなる創作活動へとつながるある程度の自由利用を私的領域において認めるべきという観点もあったのではないかと考えている。そのような前提のもと、著作権保護技術が未熟だった時代に、デジタル化により著作権者の予期せぬ複製量が増えた部分への金銭的手当てが必要ではないかとの認識が補償金の導入だったと理解しており、依然として無許諾、無償で私的複製してよい範囲がデジタル、ネットワークの時代になっても存在するべきと考えている。

 タイムシフト、プレイスシフトは無許諾、無償であるべきと思われると盛んに主張されるが、自分で購入したCD以外は複製しない機器・媒体があればそうした仮定の議論も成立するが、実態は混然としている。結果として私的複製の総体が増大していることは間違いない。利用行為ごとに峻別して概念を定義しても、補償措置のところで何らかの配慮が必要かも知れないが、実際の利用行為を峻別できる機器も記録媒体もないので、その点に拘泥して議論が先に進まないというのはおかしいのではないか。

 映画のコピーコントロールに関する分類は、複製ゼロか1枚以上複製される場合の二通りのみ。コピーネバーが選択できなければ、補償金の運用が前提となる。

 著作権保護技術の発達により補償金の必要がなくなるような事態は当面は全く訪れないと思われ、「著作権保護技術と補償の必要性との関係」の議論自体にあまり意味を感じない。このような議論は、技術的保護手段が私的複製をかなりの程度コントロールできる状況になったときにすべきであり、現状では他の重要な議論をすべき。

 本来私的複製は自由ではなく、30条を設けて初めてそうなった。私的複製に関する本来の権利は権利者にあるという前提から議論が出発していることは認識する必要がある。30条の制限規定により可能になった私的使用目的の複製を一般化し過ぎている認識は間違っていると思う。

 今の発言は課金技術がセットになった著作権保護技術を想定されているのではないか。ここでは著作権保護技術だけが前提である。

 そもそも情報が自由に流通するのが自由主義経済であり、その中で、著作権という形で情報を囲い込む術を作ったという法律観もあるのではないか。その場合、囲わなかった部分は本来の自由な部分に帰すると考えることもできる。

 コピーコントロールの必要性について、オリジナルに近い品質の複製ができてしまうからという理由があったが、DVDはアナログ放送でもデジタル放送でも標準画質でしか録画できない。アナログ放送は標準画質でコピーフリーの状態だが、そのために大混乱や放送局の被害が起きているとは聞かない。権利者等は自分の意見が認めてもらえなかったと言うが、これは消費者の意見も同様であり、コピーコントロールと補償金の両方を選択の余地なく押しつけられているという現状は不本意。

 30条の範囲の議論と補償金の要否の議論は別のような気がする。補償金が必要な場合とそうでない範囲があってもいいのではないか。コピーワンスでも補償金の対象だったが何故なのかよくわからない。

 現行制度で問題が生じていないから放送はコピーフリーでよいという意見があるが、技術の発達により現在予想できないような事態が起こるかもしれないために現在の問題として議論されている。

 30条の範囲内の複製のうちで補償の必要な部分はどこかということではないか。技術的保護手段の回避による違法複製がたくさんあるから補償でどうにかするという議論ではないと理解している。

 回避技術の一般化によって事実上DRMといえないものについては、やはりそのことも加味して考えなければならないのではないか。

 現行法の技術的保護手段の定義では、その有効性について何も規定していない。30条1項で、技術的保護手段の回避を伴う複製は違法になっており、それと全く別に2項で補償金制度が規定されている。技術的保護手段とその有効性の程度、あるいはそれに加えて補償の要否についてきちんと整理すべき。

 私的複製に関する権利のそもそも論は、どちらが原則かは難しい。著作権法がなかった時代は利用は自由であったのが、著作権法の制定で禁止され、30条の制定でそれが解除され、今日、補償金の支払いを前提にまた解除されようとしている。著作権保護技術については、現状と将来の問題は違うと思われるが、とりあえず立法については現状を前提にしなければならないと思う。

4. 制度設計の大枠
 制度設計の大枠として、「ア 録音録画機器・記録媒体の提供という行為に着目した制度設計」を採用すべき。

 「イ 録音源・録画源の提供という行為に着目した制度設計」は、実際に録音録画される可能性を一切無視した制度であり、現行制度をラフジャスティスだとして、単にラフにするだけの制度ではないか。

 「イ 録音源・録画源の提供という行為に着目した制度設計」について、私的複製分に関する権利者の録音源・録画源提供者に対する請求権の法的な根拠づけのほかにも、物理的な仕組み作りが可能かどうか、現在のビジネスの実態から近い将来の状況を念頭に置いて考えるべきではないか。その観点から、この制度設計には反対している。

 新しい制度を考える上で、現状で実態がないことはあまり理由にならない。

 まず補償が必要とされる行為態様が明確にされ、それがどのような録音録画源・機器媒体でなされるか整理され、その事実確認があったうえで制度設計の大枠について議論すべきではないか。

 配信事業は、PC等へのダウンロード時点まではログがあるが、それ以降の録音録画の段階については複製回数の上限があるだけで実際にどれだけ録音録画されたかは個別的には把握されておらず、コンテンツ調達時には、その上限回数が示されたうえで契約が成り立っているということではないか。配信されたコンテンツが実際に複製された回数に応じて対価が回収される仕組みであれば、配信と有料放送というのは確かに違うかもしれないが、実際の配信事業のプラットフォームにおいて複製の上限回数を前提としてコンテンツホルダーとサービス事業者の契約が結べるとすれば有料放送と配信事業は同じではないか。

 制度設計の大枠として、イが良いと主張する人がいないとすれば、その前提で次に進み、今後の議論の展開の中でやはりイがいいという意見が出てくれば、そのときに検討するということでよいのではないか。

 イがよく分かっていない。私的自治の原則から、本来契約で処理できるなら、なるべく法律の介入はないほうがよいと思うが、契約ベースの社会を作るために報酬請求権のような法的インフラが必要というのであればイは意味を持つと思う。

5. 録音録画機器・記録媒体の提供という行為に着目した制度設計について(1対象機器・記録媒体の範囲について)
(2)1イの表のカテゴライズが理解できず、これをもとに議論することは困難。

 汎用機器と専用機器の違いが不明確なのは、ネーミングの問題ではなく分類しにくいことの問題。今回の制度見直しの最重要点は、従来の補償金制度が専用機器・記録媒体のみを対象としていたことではないか。見直しにあたってはこの状況を改善するべき。

 大量の私的録音録画行為が可能であることを売り物にしているパソコンや音楽携帯は、音楽の利用を重要な前提としていることは間違いなく、補償金の対象として汎用機と専用機で分けることはおかしい。

 現行制度は専用機器の分離型機器に課金しており、分類の名称は別として、現行の枠組みが現在の状況においてどうなのかを中心に議論していただければと思う。

 (2)1イの表は、現行制度との関係で対象機器をまとめているのでこういう書き方にならざるを得ない。専用機と汎用機の概念分類に加え、例えばパソコンのようなものは一体型でもあり分離型でもあるので、分離型と一体型にも分けられない。表は、現行制度から見た対象機器の分類であり、これに加えて、私的録音録画に関与する機器、記録媒体の整理をもう一度やったほうがよいのではないか。

 違法複製物・違法サイトからの録音録画、適法配信・有料放送からの録音録画が仮に30条の範囲から外れること、著作権保護技術で複製がコントロールされているものは補償の対象にならないことを前提にすると、(2)1イの表は、行為態様、録音源・録画源ごとに見た実態を調査しないと整理できないのではないか。論点を絞らないまま議論しても建設的な議論ができないのではないか。

 専用機器と汎用機器の区別が無くなっているのはもっともだが、汎用機器でも私的録音録画に使っているものとそうでないものがあり、あまりにもいろいろな態様があり過ぎるので、個別に決定していくのは途方もない作業になる。

 汎用機器に補償金をかける場合、録音録画に使用していないにもかかわらず補償金を支払うことになった場合、おそらくエンドユーザーの9割以上は納得できない。

 将来専用機器がなくなってしまう可能性が強いと思うが、一方で汎用機器を特定するためにいちいち議論すること自体が無駄になるのではないか。金額はそれほど高くないことを絶対の前提に、録音録画できる機器を補償金の対象にしていく考え方を大前提にして制度を考えないと抑えが効かなくなるのではないか。

 製造販売元が録音録画機能をプロモーションして消費者の購買意欲を誘引しているような汎用機器、一体型機器は現実にある。このような機器は購入したユーザーの私的録音録画を前提としているのに補償金制度の対象になっていないという矛盾がある。

 現在の機器・記録媒体の複雑な利用態様、技術仕様の移り変わりのスピード感への対応を考えると、法律上は対象を私的録音録画に供される機器・媒体とシンプルに書き、それに対する補償金額の決定に際して色々な要素を勘案して調整するような仕組みも考えられないか。

 提案されている制度はまさに物品税のようなものと感じられるが、果たして評価委員会で適宜決めるというようなことでよいか。広く薄く徴収されることについて、支払う側が納得しない限り、そうした制度を拡大するようなスキームをつくっていいのか疑問。

 現行制度は機器・記録媒体の客観的な性質によって対象を決める枠組みだが、今後は録音源・録画源によって違いが出る以上、利用態様によって補償金額が変わってくる仕組みになってくるため、理屈上はユーザーが何のために使っているかという利用態様を織り込んで対象を決めることにならざるを得ない。
 一応対象機器だが補償金ゼロということもありうるという概念を入れてしまうと、録音録画のできる機器はすべて対象となる。
 対象機器の整理の議論は、利用態様を勘案した具体的な補償金額の決定の仕組みをどう作るかの議論と切り離しては議論しにくいのではないか。
 録音源・録画源、利用態様を考慮するために実態調査をして、その結果を考慮した上で補償金額を決める方式を取らざるを得ないとすれば、録音録画はできるがほとんどのユーザーは使用していない機器と使用されている機器を区別していくべきである。
 客観的な機器の性格からどうしても区別できないという問題が出てくる場合はその時点で議論すべきであり、対象機器の整理の考え方だけ切り離して議論することは難しいということで意見は一致しているのではないか。

 補償金がなぜ必要なのか、私的録音録画の中でも無償でできる範囲があると考えられるなかで補償金が何をカバーするものなのかについて適切な説明がない状態で、(2)1イの表だけをもとに機器の分類論で制度が拡大されていくことは全く納得できない。

 補償金制度ができた当初は、専用機器・記録媒体とパソコンしかデジタルの私的録音録画に供されることが想定されなかった。パソコンについては敢えて私的録音録画に利用しようと思えばできない機器ではなかったというような状況であり、その中で現行制度がつくられたことは事実である。
 しかし、専用機器でもそれ以外の利用方法もあり、コンテンツの利用にシフトしてきたパソコンや、それを売りにした販売方法は実際にある。テクノロジーが進むほど、汎用機器におけるコンテンツの利用がごく当たり前になってきている状況の中、一定の期間ごとに私的録音録画に使われている割合を調査し、補償金率に反映するような制度を創っていく必要がある。

 補償金は文化を守るためのインフラだという理論は、録音録画だけが補償金の対象になるという状況自体おかしいのではないか。

 録音録画ということで、音楽家と映画制作者だけに分配されていると誤解されているが、歌詞などのテキストや脚本、小説などにも補償金は分配されている。

 どのような制度を作っても、転嫁されれば消費者が事実上補償金を払わざるを得ないのは事実。しかし、補償金制度は消費者にもメリットはあるのではないかという判断のもと、ラフジャスティスではあるが、国際的にも承認されるジャスティスだということで現行制度が導入されたのであり、一定の者だけの利益のための制度ではないと理解している。

 何故私的録音録画を自由に行うには補償金が必要なのか説明を要求すると、では30条がなくてもよいのかと言われることに納得できない。

 現在、クリエーターはいろいろな保護技術を選択できるのではないか。豊かなコンテンツビジネスを展開し、もっと豊富な利益を真っ当なビジネスから得るという方法を考えるほうがクリエーターの創造のインセンティブに確実につながると思う。

 不利益を立証していないと言われるが、CDの売り上げの減少に伴って権利者の不利益の一端が見えることは説明した。昨年の委員会に利用実態調査の資料も提出した。不利益の立証がされていないと言う論拠がない。

 コピーコントロールがかかっている機器は補償金の対象から除外すべきという意見があるが、資料に挙げられている機器でそのようなものはないと思う。利用態様ごとに機器の属性を分けるとしても、タイムシフト、プレイスシフト等しかできない機器・記録媒体メディアはないので、そのような分類はできない。CDからの録音と放送の録画を対象とした制度という観点からざっくりと分類すればよいのではないか。

 権利者の損害を数字等で立証してくださいと申し上げたことはない。CDの売り上げの減少が損害だと言われる一方で、損害がなくとも原則は複製ごとの許諾・対価が必要だという説明があり、権利者にとってはどちらでもいいのかもしれないが、説明できていないと思う。この点について統一見解として説明してほしいと考えている。

 実際に行われる複製は、補償が必要な態様のものもそうでないものも混然一体としており、権利者の側から見るとCDの売り上げが落ちたことの中に不利益の一端が入っていると説明をしたつもりである。

 補償金制度自体の正当性については現行制度ができるときにさんざん議論してきたので、本委員会では、当時と現在の技術状況の変化を中心に議論していただければと思う。

 汎用機器の問題は、返還制度が有効に機能していないことが大きい。逆に、簡単な手続でコストがかからず返還制度が機能する仕組みがあるとユーザーは受け入れられると思われるため、それを含めて議論していくのも一つの方向性ではないか。

 現行制度は録音録画の機能に着目しており、現在の議論は機能ではなく用途に着目するということだと思うが、そうすると、まさにどのような用途の場合に補償が必要なのか前提を皆で共有できていないといけないのではないか。そのうえで、実態として、機器がどのような用途に用いられているかをきちんと把握すべき。

 現行制度を検討した第10小委員会では、きちんと審議会で実態調査を行った。既存の調査からつまみ食いでデータを利用するのではなく委員会として実態を調査することが必要だと思う。


ページの先頭へ   文部科学省ホームページのトップへ