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参考資料1では技術的保護手段と補償金が併存可能としているが、JEITAとしてはそれ自体に賛成しておらず、そこについては論点であるべき。
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無料放送でも、技術的にコントロールが可能である限りは、権利者の意思を反映し得るので補償は必要ではない。
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放送事業者としては、権利者への配慮からできるだけ私的録画を抑制したいと考えているが、30条による権利制限があるので、私的録画が行われる。そうした中、コピーワンスであっても1枚でもDVDが複製されると全国でそれが複製され、それにより権利者の権利が害されるので、補償金制度はやはり必要だと思っている。
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これまで10数年、デジタルのコピー制御技術と回避技術の開発がイタチごっこになっている中、視聴者に対し30条の範囲内での録画機会を担保したうえでテレビ番組の違法流出を防ぐためにコピーワンスを適用している。しかしながら、私的使用目的で録画されるテレビ番組が違法流出する場合も多く、適法な複製と違法な複製の垣根が低くなっている。事業者、視聴者の利便性と権利者の利益のバランスをとるために補償金制度は有用であり、著作権保護技術とは併存すべきと考えている。
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権利者が主体性を持ってコピーコントロールを行える条件が整わない限り補償金制度は必要である。
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映画の著作物はコピーネバーを基本としている。これはDVD等のパッケージ商品を複製禁止としても消費者に何ら不都合がないためである。
ただ、一般放送のタイムシフト録画のみについては、様々な問題から短絡的にコピーネバーにすることにはなじまないと考えている。この問題は総務省の検討会で長らく議論してきており、映画の著作権者は、地上波デジタル放送の著作権保護技術に関して、補償金制度を前提として譲歩せざるを得ないという苦渋の決断に至っている。
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補償金の必要性がなくなるイの場合は、アとウの中に包括されると思うが、書き方があいまいで、プラットフォームからハードウェア、ユーザー端末までを保有する寡占事業者が権利者に裁量の余地をあたえずスキームを強要するケースのような拡大解釈が可能になって危険ではないか。
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JEITAの著作権保護技術と補償金制度は併存する必要はないとの主張は、JEITAが総務省の検討委員会でコピーワンスからEPNまでの保護レベル切り下げを主張しながら補償金制度に言及しなかったことと矛盾する。
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著作権保護技術の進展により補償金制度が不要となるのは、著作権保護技術により私的複製がすべて禁止される場合か、全ての私的録音録画に課金できるようになる場合のいずれかではないかと考えているが、著作権保護技術がいつ効果的な進展を示すのかまだ予想がつかない状況で、著作権保護技術と補償金制度が併存可能であるということは、これまでの検討から見ても明らかである。
補償金制度は前提だが、デジタルの世界で複製規模を30条の範囲内の複製に留める上限ルールは不可欠である。その場合においても、著作権保護技術の無効化に対処するルールを法律で規定することも必要ではないか。
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権利者の意思で私的複製をコントロールできる状態は、権利者が複製回数を選択可能な状況において初めて該当するのであり、総務省のコピーワンス見直しの議論のように、関係当事者の調整の結果であって権利者の意思がそのまま反映できなかったものは、権利者の意思でコントロールできたとは言わないのではないか。
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仮に権利者の意思で私的複製回数をコントロール可能になったとしても、レコード会社は放送局に対し報酬請求権しか持たないため、権利者の意思が反映できない。
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私的録音録画の総体自体が減らなくても、補償が必要な私的録音録画が減少していれば、補償金制度を維持する必要はなくなるのではないか。タイムシフトやプレイスシフトのような形態の私的録音録画まで減って初めて補償金制度が不要となるのはおかしい。
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補償金制度が不要になる条件の一つとして、「私的録音録画が著作権保護技術によって厳しく制限されれば」とあるが、なぜ「厳しく制限」されることが要件かよく分からない。
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重大な経済的損失の有無、権利者による技術的コントロールの可否という視点で補償の要否が判断されるべき。
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津田委員の意見書の中で、補償金制度を権利者と利用者の調整機能として捉え家庭内における複製の自由を担保するものと考えられれば納得感があるとされていた。複製の自由があるとはどういう状況をいうのか。複製が禁止されていないことをもって、複製が自由であるということなのか。どの程度の自由があれば、補償金を払うことに納得感があるのかといった議論が必要。
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JEITAとしては、もともと30条は無許諾、無償であったが、その理由は零細性・閉鎖性や権利行使の困難さといった消極的なことばかりではなく、知る権利や表現の自由といった公正利用の観点、さらなる創作活動へとつながるある程度の自由利用を私的領域において認めるべきという観点もあったのではないかと考えている。そのような前提のもと、著作権保護技術が未熟だった時代に、デジタル化により著作権者の予期せぬ複製量が増えた部分への金銭的手当てが必要ではないかとの認識が補償金の導入だったと理解しており、依然として無許諾、無償で私的複製してよい範囲がデジタル、ネットワークの時代になっても存在するべきと考えている。
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タイムシフト、プレイスシフトは無許諾、無償であるべきと思われると盛んに主張されるが、自分で購入したCD以外は複製しない機器・媒体があればそうした仮定の議論も成立するが、実態は混然としている。結果として私的複製の総体が増大していることは間違いない。利用行為ごとに峻別して概念を定義しても、補償措置のところで何らかの配慮が必要かも知れないが、実際の利用行為を峻別できる機器も記録媒体もないので、その点に拘泥して議論が先に進まないというのはおかしいのではないか。
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映画のコピーコントロールに関する分類は、複製ゼロか1枚以上複製される場合の二通りのみ。コピーネバーが選択できなければ、補償金の運用が前提となる。
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著作権保護技術の発達により補償金の必要がなくなるような事態は当面は全く訪れないと思われ、「著作権保護技術と補償の必要性との関係」の議論自体にあまり意味を感じない。このような議論は、技術的保護手段が私的複製をかなりの程度コントロールできる状況になったときにすべきであり、現状では他の重要な議論をすべき。
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本来私的複製は自由ではなく、30条を設けて初めてそうなった。私的複製に関する本来の権利は権利者にあるという前提から議論が出発していることは認識する必要がある。30条の制限規定により可能になった私的使用目的の複製を一般化し過ぎている認識は間違っていると思う。
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今の発言は課金技術がセットになった著作権保護技術を想定されているのではないか。ここでは著作権保護技術だけが前提である。
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そもそも情報が自由に流通するのが自由主義経済であり、その中で、著作権という形で情報を囲い込む術を作ったという法律観もあるのではないか。その場合、囲わなかった部分は本来の自由な部分に帰すると考えることもできる。
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コピーコントロールの必要性について、オリジナルに近い品質の複製ができてしまうからという理由があったが、DVDはアナログ放送でもデジタル放送でも標準画質でしか録画できない。アナログ放送は標準画質でコピーフリーの状態だが、そのために大混乱や放送局の被害が起きているとは聞かない。権利者等は自分の意見が認めてもらえなかったと言うが、これは消費者の意見も同様であり、コピーコントロールと補償金の両方を選択の余地なく押しつけられているという現状は不本意。
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30条の範囲の議論と補償金の要否の議論は別のような気がする。補償金が必要な場合とそうでない範囲があってもいいのではないか。コピーワンスでも補償金の対象だったが何故なのかよくわからない。
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現行制度で問題が生じていないから放送はコピーフリーでよいという意見があるが、技術の発達により現在予想できないような事態が起こるかもしれないために現在の問題として議論されている。
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30条の範囲内の複製のうちで補償の必要な部分はどこかということではないか。技術的保護手段の回避による違法複製がたくさんあるから補償でどうにかするという議論ではないと理解している。
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回避技術の一般化によって事実上DRMといえないものについては、やはりそのことも加味して考えなければならないのではないか。
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現行法の技術的保護手段の定義では、その有効性について何も規定していない。30条1項で、技術的保護手段の回避を伴う複製は違法になっており、それと全く別に2項で補償金制度が規定されている。技術的保護手段とその有効性の程度、あるいはそれに加えて補償の要否についてきちんと整理すべき。
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私的複製に関する権利のそもそも論は、どちらが原則かは難しい。著作権法がなかった時代は利用は自由であったのが、著作権法の制定で禁止され、30条の制定でそれが解除され、今日、補償金の支払いを前提にまた解除されようとしている。著作権保護技術については、現状と将来の問題は違うと思われるが、とりあえず立法については現状を前提にしなければならないと思う。 |