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資料9

エンドユーザーの立場から見た「私的録音録画補償金制度」について

文化審議会著作権分科会 私的録音録画小委員会 御中

2007年6月25日
IT・音楽ジャーナリスト
津田 大介

1.   前提条件・私的録音録画補償金制度のそもそも論について

 現状の私的録音録画補償金制度は、制度上エンドユーザーが正規に購入したCDや音楽・映像配信データを私的複製の範囲内でコピーすることについても補償金として徴収せざるを得ない仕組みになっている。本来購入した著作物を私的複製の範囲内でコピーすると主目的は主に「タイムシフト」「プレイスシフト」であり、その目的で行われるコピーについては権利者の不利益が発生していないと考えるのが妥当だ。可能性として、購入した著作物のコピーが他人への譲渡目的で利用されたり、友人やレンタルCDから購入してきたものをコピーすることにより発生する権利者の不利益(ただし、ここの部分についていえば、不利益が発生することの実証的なデータとして本小委員会すべての委員が納得するようなものが出ていないということは重要である)はあるが、本制度が創設された趣旨から考えれば、不利益の発生していないコピーと、不利益の発生するコピーに対し、明確に区別することなくまとめて課金することの是非について議論されるべきである。
 現行制度であれば、不利益の発生しない購入したものからのコピーは除外すべきであるし、仮にHDDのような汎用機器や記録媒体にも一律課金せよという議論になった場合はよりいっそう上記「不利益のない複製態様」について課金をしない具体的な方策を権利者が提示しなければ、エンドユーザーは納得しないであろう。
 椎名委員より映像のコピーワンスの議論で「補償金制度が存続するという前提があったからコピーワンスでみなが妥協できた」という趣旨の発言があったが、補償金制度を権利者と利用者とエンドユーザーの「調整機能」として大きな意味を持たせるのであれば、エンドユーザーにとっても、この制度が家庭内で自分のために自由にコピーして良い「担保」、言い換えればある種の「権利」として意味のあるものにならなければエンドユーザーとしては納得できない。この制度を「調整機能」として権利者が利用するのならば、家庭内における自由な著作物の利用態様を認め、これ以上権利者がエンドユーザーの利用態様を狭めるような制度設計・法改正は避けるべきである。
 こうしたそもそも論を今から積み上げなければ、突貫工事的に新制度を決めたところで数年後同じ議論を繰り返すことになる。文化の発展に資する制度設計を行うために、実証的なデータに基づく議論を積み重ね、拙速に結論を出すことは避けられるべきであろう。

2.   エンドユーザーはなぜ私的複製を行うのか

 ありていに言えば、市販される録音録画に関する著作物が、そのままの状態では鑑賞する際に「不便」だからである。そして、コンテンツは代替不能性が高いという特性を持っていながら、日本においては非常にある1つのコンテンツに対するチャンネルが限定されているという問題も抱えている。テレビでいえば、一度放送されたきり、DVD化もされずエンドユーザーが見たいと思っても視聴機会そのものが失われるケースが非常に多い。このため、放送される際に「タイムシフト」そして「アーカイブ」させる意味が大きくなる。米国の場合、ケーブルテレビによる多チャンネル化が古くから進んだことで同じコンテンツが再放送される機会が日本と比較して非常に多い。米国のVCRの主流が日本のように「アーカイブ」することが前提のDVD一体型HDDレコーダーではなく、HDDで記録し、一度見たら消去するというスタイルがエンドユーザーに定着しているのは、そうした著作物へのアクセス性という部分の違いが大きいと見られている。音楽についても同様だ。300万曲以上の膨大なカタログを揃えている米国の音楽配信と比較して、日本の音楽配信サービスはカタログとして非常に貧弱である。また、無料で安価に多様な音楽に触れることができる環境として米国はラジオというメディアが非常に発達しているが、日本のラジオは質量ともに「多様な音楽に触れる」レベルには至っていない。エンドユーザーは多様な音楽を永続的に楽しみたいからこそ、コピーという手法を取って保存を行うのだ。そもそも多様な音楽がいつでも安価に入手できるような状況があれば、コピーを行う必然性は低くなる。この問題を考える際に、日米の音楽市場においてコピーコントロールCDが受け入れられず、世界的にどのメーカーも結果的に撤退したという事実も重要であろう。エンドユーザーは、音楽CDを購入する際の当たり前の意識として「コピーして多様な利用形態で楽しむ権利」を一緒に購入しているのだ。

 エンドユーザーが著作物を享受したいと思ったときに、もっとも重要な要素は著作物のアクセス性と、可処分時間、そして価格である。そして、IT技術の進化は本来「不便」な状態でエンドユーザーに提供される著作物を、不便な状態から解放させることで、視聴機会を増やすという側面を持っている。技術の進化が産業規模を押し上げた例を挙げれば枚挙にいとまがない。VCRの登場時、映画・テレビ産業は「誰も映画やテレビを見なくなる」と主張し、FMラジオやウォークマンが登場した際もレコード会社は「みんなテープにコピーすれば誰も音楽を買わなくなる」と主張したが、実際にはそうした新しい機器の登場以前と比べて映画も音楽も産業として大きな発展を遂げた。
 プラスチック円盤という安価で大量生産可能なメディアが登場したことにより、CDもDVDも従来のアナログレコードやビデオカセットと比較して商品そのものの利益率が大きく上がり、消費者が買いやすい価格で提供されることによって、市場規模も大きくなっていった。iPodに代表される携帯デジタル音楽プレーヤーも同様である。自分の所有する音楽ライブラリをすべて持ち歩けるという新しい音楽の消費スタイルを提示したiPodは、音楽バブルがはじけた後の人々の音楽への興味を再び喚起することに成功した。技術の進化はエンドユーザーの視聴機会を拡大させ、そのことがコンテンツ産業の「手助け」をしている面があることは疑いようのない事実である。こうした事実に背を向け、一方的に機器メーカーを悪玉に仕立て上げるのは、エンドユーザー不在で権利者が自分たちの都合でしか話をしていないように見える。今まで何度も技術の進化の恩恵を受けてきたにも関わらず、部分的な「不利益」を強調することで、分配の透明性が確保されないという根本的な問題を抱える補償金制度の拡大を目指すのは、メーカー、エンドユーザー側に対してあまりにも不誠実な態度とは言えまいか。権利者にとって本質的にメーカーもエンドユーザーも「敵」ではないのである。そもそもエンドユーザーが購入したくなるようなコンテンツを提供できなければ、コンテンツ産業は成立しない。大きな意味でその仲立ちを行うのは機器メーカーだ。だからこそ、権利者、メーカー、エンドユーザーどれか一方の主張に偏ることなく椎名委員の主張するような「三方一両損」的な着地点を目指すべき(コピーワンスの議論が本当に三方一両損であったのか、という本質的な問題は別として)なのである。しかし、現状の本小委員会の議事を見ていると、メーカーとエンドユーザーが議事の進め方に不満を漏らしている現状があるにも関わらず、権利者の主張する制度改正案が前提とされて議論されている節が見受けられる。少なくとも三者あるうちの二者が反対しているような現状において、拙速な議事進行は避けられるべきであろう。

3.   議事進行についての提案

 前述した通り、従前の議論において権利者、メーカー、エンドユーザーが納得できるような前提条件の共有ができたとは言い難い状況がある。その意味で第5回目において事務局より提出された今後の議事進行の方向性(資料1)について下記の提案を行うものとする。

  「現状維持」という選択肢を含め、権利者、メーカー、エンドユーザー三者が合意への努力を行うべきである。
結論ありきの議事進行を強行すべきではない。
第5回目の配付資料1を白紙撤回し、メーカー、エンドユーザー側も納得する形のたたき台を事務局が再作成する(そのたたき台を作る上で、エンドユーザー側としての協力は惜しまない)

以上


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