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私的録音録画問題と報酬請求権制度の導入について 要旨

  著作権者の被っている不利益について
 新しい楽しみ方である私的録音録画は、一人一人の行為は家庭内のごくささやかな出来事ではあっても、社会においては巨大なものに。1987年に支払われた補償金は報酬請求権制度を導入している西ドイツ(当時)で68億円(注1:2005年242億円)、フランスで59億円(注2:2006年 258億円)、それらを日本に当てはめると100億円(注3:2006年 フランスの補償金規定適用で483億円)の損失。
 このような不利益はベルヌ条約9条2項の範囲を超えている。

  著作権制度整備の必要について
 著作権者等の無権利状態の放置は、文化的視野から見ても不適切。技術の進歩や社会の変化に取り残されない文化的な制度の再構築が急務。
 ソフトとハードの両立が、それぞれの発展を考える上で不可欠の要件。

  文化の課題について
 私的録音録画によるレコードの売り上げ減少という観点からの議論があるが、この問題の本質はそのような次元のものではない。
 著作者が音楽を作り、演奏家が世に送り出す、受け手はユーザー。この三者の環の交流の中でこそ音楽文化は生きて発展するもの。この環の営みが技術で断ち切られ、コピーの増殖で音楽を消耗し尽くしてしまうとしたら、音楽の盛大な消費はあっても、文化としての成長発展は止まってしまう。補償金制度によって、音楽をめぐる人々の善意や自由、自然の気持ちを生かすことが大切。
 音楽文化の良い循環の形成と法的な権利の調整を、考えられる最も滑らかな方法で実現しようとするのがこの制度。

  自由に伴う責任と節度について
 自由には責任が伴うし、節度が求められるのは当然。西ドイツ最高裁判決の言葉を借りれば、「個人の芸術的要求の満足には、精神的創作者に対する感謝義務が結びついている。それは創作に対する個人的および経済的利益を法律上有効に保護することによって償われる。」ことになる。
 補償金制度があることによって、ユーザーの自由は確保され、しかも著作権者等の権利侵害のおそれはなくなるという優れた工夫だが、メーカーの方々には販売前に手数をわずらわせなければならない。現代の企業がもっている大きな社会的な役割や責任からいっても、ぜひ引き受けていただきたい。

  企業の社会的役割と責任について
 企業を悪者にする理論ではない。
 企業の社会的責任や音楽文化への貢献は大きい。その企業が開発した技術によって個人が家庭で簡単にきわめて質のよい複製をすることが可能になった。その結果、大量生産、大量消費の過程で著作権者が無権利状態になってしまった。
 そこで、企業が販売に先立って著作権処理をすることで、権利侵害をおこすことなしに自由に録音録画できるようにするための制度。現代の企業には、こうした社会的役割を果たす責任が求められているのではないか。
 自由な経済活動が阻害されはしないかという懸念があるとすればそれはむしろ逆であって、混乱を放置する方がはるかに阻害の恐れがある。

  技術の進歩による恩恵について
 技術の進歩がもたらす音楽文化の発展への寄与は事実であるが、そのことによって権利者の不利益が相殺されるという考えは誤り。

  録音と録画、機器とテープについて
 録音も録画も、著作権者等に被害を生じさせないようにして、ユーザーにも自由に録音録画できるようにしようとする補償金制度の基本的な必要性は同じ。
 また、私的録音録画により著作物を複製する可能性は、機器と記録媒体双方にあるのであり、権利者に生じている不利益相当の額を、関係のある双方に広く範囲を広げて分担することが適当。
 補償金の負担は、ユーザーにとっても負担といえるほどのものではなく自由に録音録画できるようにするところにこの制度の良さがある。西ドイツの例では、録音テープ(60分)一本につき10円弱。録画テープ(60分)一本につき14円弱。機器も録音機一台につき200円弱、録画機一台につき1,500円弱である(注4:日本では2006年MD(記録媒体)1枚当たり平均3.6円、MD録音機器1台当たり平均406.9円)。

  使用料の分配の原則について
 分配については基本的に権利者の自主に委ねられることが原則。
 しかし、一人一人の録音録画頻度の違いや使われた楽曲を一つ一つ調べられないことを考慮すると、一部を留保して関係者の共通の利益のために使うというのは賢明な工夫であり、著作権制度に馴染むものと考える。

(注1〜4は比較用に現在の状況を追記したものです。)
以上


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