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文化審議会

2003年5月22日議事録
国語分科会国語教育等小委員会(第3回)議事要旨

国語分科会国語教育等小委員会(第3回)議事要旨

平成15年   5月22日(木)
14時   〜   16時30分
霞山会館   「霞山の間」

〔出席者〕
    (委員)水谷主査,小林副主査,青木,阿辻,井出,沖山,川島,五味,田村,藤田,臼井,手納各委員
       (計 12名)
  (文部科学省・文化庁)山口国語課長,氏原主任国語調査官,鈴木国語調査官,中神国語調査官ほか関係官

〔配布資料〕
       国語教育等小委員会(第2回)議事要旨(案)
     小委員会における意見の整理

〔経過概要〕
       事務局から配布資料の確認があった。

     前回の議事要旨を確認した。(担当調査官朗読)

     配布資料2について事務局から説明があり,その後,「学校教育における国語科教育の今後の在り方について」意見交換をした。

     第4回の小委員会は,6月13日(金)の午前10時30分から開催することが確認された。また,同日の午後に読書活動等小委員会との合同小委員会又は懇談会が予定されており,開催するかどうかも含めて,後日,改めて事務局から文書にて連絡することとなった。

     協議における主な意見は次のとおり。


       小学校に入学する6歳までの間には,情緒力などはかなり身に付いてしまう。したがって,「幼児期」という枠も入れて考えるべきである。
     
     枠を作ってそれに当てはめていくということではなく,子供たちの発達状況を追いながら,各発達段階で何をやるべきかを考えていく必要がある。
     
     個々の家庭の状況については分からないだろうが,幼児期の中でも組織化された教育の行われている保育園などの段階において,言葉の力を伸ばす指導がどのように行われているかを調べる必要があるのではないか。
     
     保育園では,言葉の指導というか言葉の教育については余り重視されていないように思われるが,言葉の遅れには保育士の関心が向けられており,そのような子供たちへの対応は言葉掛けを多くするなど意識的になされている。
     
     幼稚園教育では,自立心・自発性をどう身に付けさせるかということが大きな仕事になっている。言葉については,社会や事物について,どう言葉で表現するかということが中心である。幼稚園は3歳児からが対象となるので,それ以前については家庭で,親と子供との信頼関係をきちんと築いていくことが大切である。
     
     0歳から3歳までは,言葉の芽を育てる上で重要な時期であるが,保育園では言葉を育てるという意識は余りないのではないか。それよりも,私の経験では,事故がないようにということが重視されているような感じだった。
       科学的には,どの年齢までにどういう言葉の力が出来上がるかということは明らかにされているが,それを踏まえたカリキュラムがないように思う。
     
     子供の発達は個人差が大きく,学校段階と発達段階とは必ずしも一致しない。学校段階に余りこだわることなく,子供の発達段階をきちんと把握しておく必要がある。また,子供たちの言葉の使い方を見ていると,小学校の4,5年生で飛躍的に発展するという感じを持っている。
     
     小学校高学年から中学校にかけて,もう少し細かく言えば,男子は小学校4年〜6年,女子は小学校5年〜中学校1年くらいで,論理力・表現力にかかわる前頭前野に血流・代謝のダイナミックな変化が起こり,成人と同じような脳の使い方をするようになる。その意味で,小学校4,5年で言葉の使い方が飛躍的に発展するという今のお話は脳の発達とも一致する。
     
     日本人の子供たちは小学校高学年くらいになると授業で質問しなくなるが,欧米の子供たちの場合はそのようなことはない。この違いはどこからくるのだろうか。
     
     そのことはよく話題になるが,日本人の子供たちの場合は,その年代になると世の中を知るようになるというか,日本の社会の在り方(余り目立ってはいけないなど)を意識するようになって,そこから外れないようにという気持ちが強くなるからではないか,というのが私の仮説である。
     
     論理力・表現力は前頭前野がかかわっているが,語彙力は脳の中でも側頭葉と関係している。側頭葉は前頭前野と違って,早くから大人と同じような働きをするようになる。ということは,語彙力の教育・指導は子供の時から大人になるまで,直線的に同じペースでやってもよいわけである。それに対して,論理力・表現力の教育・指導は前頭前野の発達段階を踏まえて,3歳まで,3歳〜11・12歳まで,13歳以上と3段階に分けて考えていくこともできるのではないか。
     
     構文力や発音にかかわる力は,脳のどの部分が関係しているのか。
     
     論理力や表現力と同じように前頭前野である。語彙力のように側頭葉がかかわるのは「聞く力」がそうである。
     
     これからの国際社会では,他人に自分の意見をきちんと述べる言語力が必要であるということで,前期の「審議経過の概要」でも論理力が重視されてきた。基本は21世紀の国際社会の中で日本人としてどうあるべきかということであり,そのためにどのような国語力をどう育てていくかを考えていくことである。
     
     言葉の問題を扱っていくことは,必然的に我々の価値観・世界観が絡むことになる。人間にとって言葉とは何かということを答申の中で明確にしていくべきである。
     
     乳幼児期のコミュニケーションを担うのは親である。その意味で,家庭の中で言葉を育てることが重要である。乳幼児には母親とのコミュニケーションによって語句・語彙力を身に付けさせる。また,母親が子供に心を開くことで,子供の感性・情緒を育てながら言葉を発達させていく。そこから出発して,国際化社会で必要となる国語力とは何かというように答申の全体を構成していきたい。
     
     高校生になってアルバイトをするようになると,そこで言葉遣いに関するマニュアルが与えられる。子供たちは大人からそういう言葉遣いを求められていると思っているのではないか。また,そのような言葉遣いが現代的であり,かっこいいという気持ちがあるとすれば,そこにも手を加えていく必要がある。企業などで若い社員に対して,どのような言葉の教育が行われているのかを調べてみる必要もあろう。
     
     一人の人間がどのように発達していくのかという観点から,国語力の問題を総ざらえする必要がある。論理力や情緒力を育てていくためには,どのような力が必要なのかを具体的に考えたい。
     
     私も家庭が重要であるとは思うが,そのことがそのまま母親一人の責任とされてしまうのは問題である。答申でも,そのようなイメージをもたれないように配慮したいと思う。家庭では,親子のコミュニケーションを通じて,まず情緒力を育てることが大切であるが,言葉を学ぶための大切な機能を社会全体で担っていくという考え方も重要であると思う。
     
     国語教育の第一歩として,乳児期における家庭内のコミュニケーションの重要性については答申に書き込むべきである。現在は,家庭のコミュニケーションが浅くなっていると思うし,親の言葉掛けも減ってきていると思う。また,母親も情報に飢えているので,子供向けの英語のビデオがいいと聞くと,すぐに買ってやったりしてしまう。そのようなビデオを見せる前に,親子の間のコミュニケーションの方が大切だと書くべきである。
     
     英語の重視がこれだけ言われる中で,これからの時代に求められる国語力の見取図が自分の中に描けない。これからの時代に求められる国語力をどう描くかということをまず明確にし,それを実現するためには何が必要かという方向で検討していくべきではないか。
     
     国際化ということに関連して,論理力の重要性ということが出ているが,もう少し広い視野で見ていきたい。例えば,高度情報化社会の実現といったことも社会変化の一つであり,こういうことも踏まえて,論理力の重要性を取り上げる必要があろう。また,人間関係も随分変化してきており,論理力以外にも大切な力があると思う。
     
     この委員会では,近未来の日本の社会をどうとらえ,その社会を生き抜く人間に必要な言葉の力をどう付けるかを考えていけば良い。その言葉の力の中でも,特に論理的思考力が必要であると私は考えている。そこに重点を持っていくべきである。
     
     日本は国際化という波にさらされているだけでなく,様々な社会変化の波にさらされている。私は日本の良さを残したいと思っているが,最近は親でさえきちんとあいさつができない。その親に育てられた子供もできないわけで,そうやって次の世代につながっていくものである。このような様々な社会変化に対応した答申を出していく必要があろう。
     
     論理力は大切だが,現行の学習指導要領でもかなり重きを置いている。この分科会で論理力の重要性を強く打ち出すのであれば,学習指導要領を上回るような内容のものをまとめていかなければならない。
     
     国語はすべての活動の源であり,国語力が人間のキャパシティーを決めているとも言える。国語力を教科の国語科だけで見るべきではない。国語力は,算数でも理科でも,すべての教科の中で養われるものであり,国語科の枠を超えていくべきである。また,論理性は読むだけでは身に付かず,書くことが大切である。
     
     言葉の能力が,ほかの様々な能力の基本であるとよく言われるが,そのことを説得的に打ち出すためには,その根拠をしっかり集めていく必要がある。
     
     日本人は論理力,思考力が圧倒的に足りないと思うし,日本人の多くが言葉の力を信じていないという問題がある。国会などの議論でも議論がかみ合っておらず,論理を戦わせるということができていない。言葉によって物事が変わる,変えていくことができるということを学校教育の中で教えていく必要がある。学習指導要領には書かれているといっても,実際の教育はなされていないと思う。このような言葉に対する認識がないと,日本の社会そのものが危うくなるのではないか。ここが出発点となるべきであろう。
     
     学習指導要領にも論理力ということは出てくるが,我々が言っている国際化社会に必要な論理力とは違う。論理力を,論理的に話し合って問題を解決する力と定義し直すことが必要である。大学入試の問題は,この点を踏まえて出題されるべきである。答申の中で,乳児期から大学卒業までのすべての段階に影響を与えるような国語力の在り方を明らかにすべきである。
     
     最近の大学入試の問題については出題者も随分工夫しており,入試の関係者として言えば,妥当な出題になっているのではないかと思う。ただし,入試問題の解答欄から見えてくる受験生の文章能力はかなりひどい状況である。
     
     小・中・高という学校教育の流れで言うと,国語科の根本の部分にあるのは感性に基づく情緒力であり,これが大きな領域となっている。そのような中で,小学校段階でも説明文を学びながら論理力を養い,更に中・高では感性・情緒と論理とを並列的に養い続ける形になっている。学習指導要領や教科書では論理力を養うことができるような方向になっているが,現実に,それを十分に能力として使えるところまで養えているかどうかが問題である。
     
     以前,小学校一年生の子供で,語彙が豊かで自信を持って話をする子がいた。その子の両親は共働きであるため,祖父母が育てており,当然祖父母と話をすることが多いということであった。その子がしっかりと話ができるのは,祖父母との会話を通して,生活に結び付いた言葉が身に付いており,生活を言葉で表現できるという自信が背景にあったからである。現在の学校教育は方向としては間違っていないので,もっと生活に密着した言葉を身に付けさせることを考えるべきである。
     
     国際社会との関連で言うと,外国語学部の学生は,通訳がうまくできても自分の考えを外国語で述べるということができない。その意味で,まず日本語で話すことから学ばせることが大切である。それなくして外国語は身に付かない。
     
     家庭が大切であるのはそのとおりであるが,先ほども述べたように,家庭についてはどうしても母親のことが問題になる。しかし,母親だけに責任を負わせるのではなく,母親の担っている大切な機能を支える仕組みが必要だと思う。例えば,子育て支援の中に読み聞かせなどを盛り込むことも考えていくべきである。
    また,母親の存在が社会から切り離されているという問題もあるので,母親同士を結び付けるということも必要である。自治体が支援して,地域の人が読み聞かせをするといった活動を強化していくことも大切である。さらに,母親同士で子育てを支援するという活動をやっているNPOもあるので,そういうNPOを支援するということも考えられるのではないか。
     
     私の理解では,前回はドラスティックな改革を求めるというような議論の流れだったと思うが,今日の議論では学習指導要領はよくできているといったような意見が出され,少しトーンダウンしているように思う。その辺はどうなのか。
     
     確かに学習指導要領,教科書とも,全体の構成はよくできている。しかし,いまだに現場では文学教材中心ということが底流にある。すなわち,材料は良くできているが,うまく料理できていないというのが現状である。その意味で,現場の先生に自覚を促していく必要がある。イギリスの教育を見てみると,自分で考える力を養うということが大きな柱になっている。日本でも,そのような方向に持っていくようにすべきであろう。
     
     学習指導要領の駄目な点は,はっきりと駄目だと言うべきである。そうしなければインパクトがない。文部科学省においても英語教育の重視が進んでいるが,それに対抗して,国語が重要であると強く主張する必要がある。
     
     根本的な問題として,国語力の向上によって何を目指すのかがまだはっきりしていないと思う。そこをまず明確にしていきたい。また,何を身に付けさせるのかについても,具体的に分かりやすい言葉でまとめていくことが必要である。


(文化庁文化部国語課)

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