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「望ましい国語力の目安」については,手を付けたら大変だと思う。どういう辺りを終着点にするのか,どのくらいの知的水準を対象と考えるのかということで,みんな変わってきて簡単には言えない。これは文化の有りようとして,一つの理想のあり得べき姿であるというようなことを前段に書いて,もしこれについて検討するとすれば,それなりの相当慎重な委員会でも作って議論せねばならないとかいうところに持っていかないと,時間的なことやいろんなことを含めて,とてもここでやれることではないような気がする。そういう前段の下で,答申するという方向でいかがだろうか。
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今のお話の線で行けばいいのではないかと考える。7ページのところに二重線枠で, , というふうに示してある。現在の学校教育の一つの枠組みというのが,「聞く・話す・読む・書く」という音声言語と文字言語の内容というとらえ方の中で,この と をドッキングさせて考えるとどういうふうになるかというのが,9ページ,10ページに示されていると見るわけである。それが隣の見開きの「構造モデル」にもなっていくわけだけれども,一応「聞く・話す・読む・書く」という形で, と をドッキングさせたら,こういうことだということで,取りあえずは行かざるを得ないと思う。
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私は「話す力」のところで違和感を覚えた。これはどうやって話すかという話し方であり,何を意図しているかということがここで述べられているが,「話す力」の中には,例えば,正確な表現ができるとか,語彙力とか,省略をしないきちんとした言葉遣いができるとか,崩した表現をしないとか,そういうふうなことも入ってくるのではないかと思う。その辺が抜けているので,もしもここに入れるとすると,「読む力」「書く力」のところでもいろいろ変わってくる可能性もあるが,今回,国語力の場合はどのような環境でどのように話すかということ以外に,言葉そのものの力とか,美しさとか,そういうふうなものも考えなければいけないのではないかと感じている。
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全体としては結構詰まってきていると思う。問題点は,9ページ,10ページと28ページをどう詰めていくかということで,これによって出来上がりが変わってくるのではないかと思う。9ページ,10ページの今問題になっている部分については,これはこれなりにある程度網羅していると思うが,今御指摘があったように,まだまだ我々の知恵が及んでいないことがある。だから,この報告案の完成がいつになるかということとも関係するけれども,周知を集めて,例えば,皆さんからこの枠組みの中で気付かれたことをどんどん出していただいて,ここへ挙げていって,未完成ではあるけれども,より内容を豊富にしていくということが一つあると思う。
もう一つは,一番最後の28ページのところである。全体は結構説得力のある内容になってきていると思うが,おしまいが,この形で「その他の」ということが付いていて,何か少し寂しい。こういう終わり方はちょっと残念なので,こういう内容も含まれていていいけれども,やはり提言として結びの部分を何か用意した方がいいのではないか。
例えば,先ほどから話が出ていた漢字についての問題でも,今の状態を調べる調査・研究や,政策に対する提言みたいなものを我々はやる責任があるのではないか。その前に述べ立ててきたことを実現させるためにこういう政策が必要だ,その一つに,調査・研究活動があるだろうというような形である。マスコミに対する働き掛けなどは,前の方に入っている。しかし,全体のまとめとして,それこそ常用漢字の問題一つにしても,常用漢字の今の内容を前提にして私たちはやるべきだ,覚えさせるべきだと書いているけれども,全部覚えさせていいのかどうか,一生使いそうもないような漢字まで入っているという感じだって多少するので,そういうことの再検討がいる。現在,ワープロやテレビでたくさん言葉が外へ出ていくようになっていて,送り手の方が使いたいということで漢字を広げるという方向へ行くけれども,受け止める人たち,子供たちが勉強している中で,限られた時間の中でどれだけ学習できるのかということもきちんと検討をやり直さなければいけないのではないか。議論があって,教育漢字ないしは常用漢字を6年間でやるのは無理だという意見も出たけれども,本当にそれが無理かどうかというようなことを検討し直してみるような教育政策的なことも含めて,おしまいに,政策的な提言に近いようなものをまとめてとして入れたらどうかと思っている。
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この目安についてはどうも自信がないので,時間の限り,例えば報告案を作るときにもう少し検討しなければいけないし,皆さんの御意見も文書などでちょうだいしたい。
例えば,10ページの3行目に「話すことによって人間関係を深めることができる」とある。これはそのとおりだが,具体的にはどういうことなのかとか,話すことによって人間関係を深めるという辺りは,非常に目標が高くて具体性に欠けるとか,いろんなことがある。ちょっとお知恵をちょうだいして,ここはもう少し深められればと思う。
それから,最後であるが,今年1年は読書活動と国語教育だけに絞って議論してきてしまったので,第3の「その他の方策」辺りは,啓発活動をもっと継続・発展させていくというようなことがあったり,新しい案としては,○で書いてある「言葉の専門家」を作るということや「言葉の日」を設けるということがあるくらいで,地方自治体で啓発活動に取り組んでいるところもあるから,更にやってほしいとかいうことにとどまっている。この辺りはもう少しボリュームを付けて,あるいは「啓発活動」というふうにまとめないで,もう少し分けて書くような方法もあろうかと思う。
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全般に,どういう視点から見ても,どのような意見も一応は取り入れられているように感じる。しかし,衝撃を与えるような何かインパクトのある,もう少し緩急の付いたものができると,もっとすばらしい。やはり,まとめのところで,そういうような文言があればなという気がする。例えば,漢字学習についてどうするかとか,小学校の国語の授業時数を大幅に増やすとか,そのためならば中学校,高校の国語の授業時数は減らしてもいいんだというような大胆な意見がほしい。もちろん,この意見が本当に妥当かどうかというのはまだ相当検討する必要があるけれども,こういうような意見をはっきりとどこかに打ち出さないと,インパクトのあるものにならないという気がする。
最後に政策的なと言われたが,そのようなことでも,何か結論付けるようなことができればいいと思っている。「その他の方策」のところでもいいのだけれども,「その他の方策」というよりも,やはり全体的なことを少しまとめた文章,かちっとしたものが最後に欲しいということである。
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章立てについては,既に御承認いただいているわけである。それと,個人個人の方は非常に先鋭的な御意見であってもいいと思うけれども,答申については,必ずしもそんなに特殊なものでなく,中庸的なものでいいという考えを基本的には持っている。
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「その他の方策」のところにでも,もう少しまとめとなるような何かを付け加えてくださればいい。何かというのは,それこそ国語力を身に付けるための方策である。全体的なものはみんな大体分かるのだけれども,その中の強調する部分がないとインパクトがないと感じる。最後が「身に付けるためのその他の方策」ということでなくてもいいのではないか。全体の流れの中で,まとめの部分がないような気がしてしようがない。
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議論が残っているところが一つある。24ページの「「読書指導」を考える」のところの通知表の問題である。これは,読書小委員会で通知表に読書の欄を設けて載せる,通知表の所見欄に読書をやったかどうかを載せるというのはずっと議論があって,自分はこんなことは駄目だと言って反対していたところである。小委員会のまとめでも両論併記になっていた。先ほどの説明では,成績を付けるわけではなく,誤解もされないと思われるので,「たたき台」のまま行きたいということだったが,私は誤解されると思うし,その上には,連絡帳等に「読書の欄」を設けるというような記述もあるのでそれで十分だと思う。むしろ,ここで「通知表」という言葉を入れることで,成績を付けるというふうに先生や保護者が誤解してしまうということで,この3行については削除すべきであるというふうに考える。
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連絡というのは,例えば,プリントを配って親に渡すというようなことで,そういうことにしてしまっては意味がないということは小委員会でも言われていたことである。これを取るのだったら,余りになし崩しになり,全く今までの議論は意味がなくなる。そういうことをこの期に及んで言い出すというのは良くないと思うので,両論併記なら併記で結構なので,この「通知表」という言葉は入れていただきたい。
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25ページの「教科書に載せる文章については,時代に対して少し後向きなくらいでもよい」というのは,非常に印象深い言い方であるけれども,何か舌足らずかなと思う。
もう1か所,25ページの<関係団体との連携・協力」を進める>の3行目,「また,高等学校段階では,古典への入門となる「易しく書かれた古典」のように,本格的な作品への「橋渡し」となる読書入門としての本がないのも実態である」は,どうもよく分からない言い回しになっている。高校で古典を読むのでは遅過ぎるから,例えば,中学校,高等学校段階で,現代語訳で書かれた古典のように,古典への橋渡しとなるような本がないとか,何か適当に言い換えていただければと思っている。
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16ページの<教科内容をより明確にする>というところの「国語科の根本の部分にあるのは感性に基づく情緒力の育成であり,これが大きな領域となっているが」という部分について,感性に基づく情緒力が国語科の根本の部分にあるというふうになるのは違うと思うので,少し言い方を直したいと考えている。
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問題点の指摘をしたい。16ページの<教科内容をより明確にする>の中に,「国語科教育は明確な主張を持っていることが大切であり,その観点から,教科書教材にも主張があるものを入れる必要がある」とあるが,ここは自分で読んでもよく分からなかったので,これを読む人も分からないのではないかというふうに思う。
それから,同じページの<指導の重点は「読む・書く」にある>という中に,「我慢や忍耐を描いた文学作品に触れることも大切である」とある。これもそうではあるけれども,子供が我慢と忍耐だけを押し付けられるのが気になる。もう少し明るい未来も見たいだろうし,世の中をもう少し良くするということも読みたいだろうから,我慢と忍耐をこの分科会が押し付けているような表現になると問題であろう。その後の「中学校や高等学校の国語科においては授業内容が教師による個人的な感覚の押し付けにならないよう」も,何を言っているのか,学校の先生は分かるのかもしれないが,自分にはよく分からなかった。
もう一つ,その次の<演劇などを取り入れた授業を>は中身はいいのだが,初等教育という言葉は,「小学校」というふうに分かりやすくした方がいいのではないか。
それから,17ページの一番下から5行目の「他教科では用語及びその意味用法が国語科と違うものがかなりあるので,国語科は他教科の用語まで考慮していくことが求められよう」というのも,自分には何を言っているのか分からない。これも学校の先生には分かるのかもしれないが,意味があるのならばもう少し分かりやすくしてほしい。
最後であるが,19ページに,スポットを流すのもいいみたいなことがあるのだが,これはだれが15秒のスポットを流すのか,主体がはっきりしなかったという感じがするので,考えていただきたい。 |