ここからサイトの主なメニューです
審議会情報へ

国語分科会

2003/03/10 議事録
文化審議会国語分科会第13回議事要旨

文化審議会国語分科会第13回議事要旨

平成15年   3月10日(月)
午前10時〜午後0時30分
東海大学校友会館「朝日の間」

〔出 席者〕
(委員) 北原分科会長,阿刀田副分科会長,青木,阿,臼井,岡部,沖山,甲斐,勝方,川島,工藤,小林,五味,齋藤,舘野,手納,藤田,藤原,辺見,松岡各委員(計23名)
(文部科 学省・文化庁)河合文化庁長官,銭谷文化庁次長,寺脇文化部長,山口国語課長,氏原主任国語調査官ほか関係官

〔配 布資料〕
1   文化審議会国語分科会委員名簿
2   文化審議会国語分科会運営規則
3   文化審議会国語分科会の議事の公開について
4−1       これからの時代に求められる国語力について−審議経過の概要−
4−2       これからの時代に求められる国語力について−審議経過の概要   参考資料−
小委員会の設置について(案)

〔参 考資料〕
1   文化審議会関係法令
2   文化審議会運営規則

〔経 過概要〕
   事務局から,出席者(委員及び文化庁関係者)の紹介があった。
   委員の互選により,北原委員(文化審議会副会長)が国語分科会長に選出された。また,分科会長から文化審議会令第5条第5項の規定に基づき,分科会長の代理者として,阿刀田委員が副分科会長に指名された。
   事務局から,配布資料の確認があった。
   事務局から,資料2「文化審議会国語分科会運営規則」及び資料3「文化審議会国語分科会の議事の公開について」の説明があり,今期の分科会においても,そのまま踏襲することが確認された。
   第2期国語分科会の発足に当たり,河合文化庁長官から,あいさつが行われた。
   事務局から,配布資料4−1,4−2についての説明が行われた。
   事務局から,配布資料5の説明があり,資料の趣旨に沿って「読書活動等小委員会」及び「国語教育等小委員会」の設置が了承された。小委員会に所属する委員については分科会長の指名によることとし,指名が行われ次第,事務局を通じて各委員に連絡することとされた。なお,小委員会の開催通知は全委員に送り,自分の所属していない小委員会にも自由に参加できること,また,事情により小委員会に所属しない委員も小委員会に自由に参加できることが確認された。
   次回からは小委員会の開催となるが,小委員会の開催日時については,できるだけ早い時期に日程を調整した上で,事務局から各委員に連絡することとされた。
   意見交換における各委員の意見の要旨は次のとおりである。
    (○は委員,△は事務局を示す。)


   私は,かねてから子供たちには国語が本当に重要だと思っている。算数も,理科も,社会も,すべて国語で学ぶわけであるから,やはり本当に基本的な国語力ができていないと,どの科目も伸びない,そのように思っている。
   また,今,本当に個性重要視という時代になって,いろんな地域の言葉,方言,こういうものも大事にしていかないと,それぞれの地域で非常に個性のある人が育ちにくいのではないか。言葉もその他の考え方も,すべて画一になっていくので,個性重要視と言いながら,いろんなところで逆行しているのではなかろうかと思っているので,今後そのような考え方も発言していきたい。

   私の専門は脳の研究である。それも,人間の脳がどういうときにどう働くかということを画像で調べるのが専門である。こういう専門領域の研究の中で,国語力と脳の力の関係というのも,いろいろなデータの中からたくさん見えてきている。今日,この「審議経過の概要」を見せていただいて,正に私たちが行っている脳の研究が,かなりコントリビュートできる場所があるなという印象を持った。
   例えば,「これからの時代に求められる「国語力」についての基本的な考え方」という中で,考える力,感じる力,想像する力,表す力が提起されている。実は,私たち人間が何かを考えているとき,何か言葉を感じているとき,聞いたり見たりしているとき,それから,言葉を使って様々なものを想像しているとき,自らの言葉を作り出しているとき,そういうときの脳の働きを写真に撮ることに,私たちは既に成功している。これは様々な局面があるので,その代表的なところを写真に撮っているというふうに御理解いただき,これから機会があれば是非御紹介したいと思っている。
   その写真を見ていく中で,これらの四つの力を出している脳の場所というのは音読をすることによってすべての場所が活性化できるということを見付け出した。すなわち,脳というのは体の一部だから,脳を使えば使うほど鍛えることができる。だから,音読をたくさんして鍛えることによって,鍛えられた脳の場所というのは,これらの四つの力を発揮する正にその場所であるというようなデータがたまりつつある。
   そこで,私たちの方では社会的な活動として,仙台市の協力を求めて,仙台市に在住している高齢者の方々と,児童館の協力で,幼児たちを児童館に集めて音読会を開くというような活動をこの秋から始めようというところまで,実地の方も進んできている。したがって,地域において国語力を付けるというような活動の一つの実験というのも,この1年の間にスタートできるので,ある程度の情報を皆様方に提供することができると考えている。
   あとは将来に向かってということであるが,特に私たちはITと言葉の関係というものにも非常に興味を持っていて,ITを使うことによって,人間の脳の中で言葉がどう変換されているかというようなことを,正に脳の働きの写真を撮ることで見いだせないかということもやっている。この基となっているのは,子供たちにパソコンの入力の仕方を覚えさせた上で作文をさせると,非常に大量の文章を書き出すという事象があるという報告を教育現場の方から聞いたからである。手で書いているときと比べても文章の出てくる質と量がまるっきり違うし,質も別に落ちているわけでなく大量の文章がなぜか出てくるというような面白い事象があるということをお聞きしたことがある。
   そこで,私たちが今持っている一つの仮説というのは,「審議経過の概要」のスキームでも,言葉には音声的な言語と文字的な言語との二つがあると書かれている。我々は文字を書き出そうと思うと,頭の中で音声言語で考えていても,文字言語に変換するという作業が必要になる。ITというのは,そこのところを飛ばして,もしかしたら音声言語自身を文字に書き出すというような非常に特殊な能力を現代の我々に与えつつあるのかなという印象も持っていて,ここら辺を科学的に見ていければと思っている。このようなことも考えているので,分科会の中で,そういったことも一つテーマとして上がってきたときには是非積極的に発言させていただければと思っている。
   最後に,私は神経科学というところの出身になるので,皆様方のバックグラウンドと大分違うと思うが,神経科学の中で一つだけすごく面白いデータが最近出てきたので,それを御紹介して,私の発言を終わらせていただきたい。
   これは東京医科歯科大学の生理学の入来教授たちがやっている実験である。サルに道具を使わせるという実験を精力的にやっている先生方がいらっしゃる。実は,ニホンザルでも道具を使うことができるが,サルをいすに座らせておいて,サルの手が届かないところにえさを一個置いておく。サルの目の前には,えさに届く長い棒を1本与える。そうすると,我々人間だと,すぐ棒を持ってえさを自分のところに引き寄せればいいということに気が付くが,ニホンザルは2週間くらいかかってこれを学習できる。
   その後に,今度はもうちょっと難しくして,えさを遠くに置く,かつ長い棒も手の届かないところに置く。手元には長い棒にだけ届く短めの棒を用意する。そうすると,人間だと,道具を二つ使って持ち替えればいいということに気が付くが,これが普通の野生のニホンザルだと,実験環境の中でも,ほぼ一生かかっても二つの道具を使いこなすことができない。ところが,2週間かかって道具の使い方を学習したサルたちは,1日で二つの道具を使いこなせるというデータが出てきている。そのときの脳活動のデータもたくさん取られているが,正にこれが国語力ということだけにとどまらず,基礎的な学力が生体の脳に与える影響を如実に表しているのではないかと私たちは考えている。長い棒を使ってえさを取るという基礎的なトレーニングを時間を掛けてしっかり積んだサルたちは,どんなに難しい環境に置かれても,彼らの脳がその解き方を教えてくれるというような示唆に富むデータではないかと思っていて,そこら辺のところも国語力と絡めながら調べていけたらいいなと,こんなことを今考えている最中である。

   私は,先日,学力テストのまとめということで,国語,算数,社会,理科の各教科の先生方と会ってお話しをした。その時に,算数も,理科も,社会科も声をそろえて言うのは,国語の力がないために算数の力,社会科の力,理科の力が育っていかないし,またテストをやってもそれが結果として出てこないというようなことであった。つまり,ちょっと問題が長くなると読まなくなったり,ちょっと難しそうだということで解こうとしなかったり,ちょっと面倒くさいなというようなことで手を付けなかったりというような問題が,かなり多くあるというようなことであった。先ほどから出ている考える力ということと同時に,意欲の問題と学力が相当深いかかわりを持っているのではないかと考えている。
   私は,子供たちが社会に出てから,より確かで,豊かで,そして美しく的確な日本語を使って話ができればいいと思いながら,ふだん学習を進めてきたし,現在もそうした研究を進めているけれども,特に近ごろ私の学校では,習熟度別学習を取り入れた国語科の学習指導ということで研究を進めている。これについては,また御紹介できればと思うが,望ましい国語力の具体的な目安を作るというのは大変難しいと思いながら,先ほどからお話を伺っていた。現場からの発想で発言できることがあればいいなと思いながら,ここに座らせていただいている。

   私は,地方で自分史の書き方だとか短歌の楽しい教室とかを持っていて,短歌を作るに当たっても,文章を書くに当たっても,読書がいかに大事かということで,本の楽しさみたいなことにも触れながらやっている。
   それで,今までお話をお聞きして,国語の力とか,そういう大それたものではないけれども,読書の楽しみを通しながら,日本語の美しさとか,いろんな日本の習慣・慣習の良さとか,消えていくもの,守りたいもの,そういうふうなものも考えていきたいなと思っている。

   まず1点,この4月から,中学校であるけれども,司書教諭が12学級以上の学校には配置されるということで,先日,私どもの学校にも内示があった。この3月で定年退職される方で,司書教諭の免許を持っていて,さらに嘱託を希望しているという英語の先生で,時間を2時間軽減されるわけであるが,五,六時間の授業を持ちながら,図書館の整備をしたり読書の啓発を生徒たちに図ったりという指導をしてくださるわけで,大変有り難く思っている。
   ただ,今12学級以上という学校はそんなに多くないので,来年度,恐らくそれほど多くの学校への配置はないかと思うけれども,一人そういう先生が配置されることで,学校現場としては,とりわけ中学校は随分助かると思う。その先生を核にして,地域の方のお手伝いもいただいたり,活動を促したりということが,今後どんどん展開されていくかと思っている。
   それから,一昨日もあったのだが,私は毎月1回土曜日,中学校の国語の若い先生方20人くらいで集まって勉強会を持っている。一昨日も,たまたま文化審議会国語分科会の「審議経過の概要」の話題が出たりしたが,前にも申し上げたように,国語の時間が3時間になってかなり現場の先生が困っているという実態がある。いろいろな活動,例えば,スピーチをさせる,ディベートをさせる,お話を作らせる,そういう活動をしようと思っても,3時間では難しいという声がある。
   それと同時に,総合的な学習はどこも週2時間ぐらいは取っているが,これとの関連をもっとうまく持たせることで国語教育が充実していくのではないか,その辺の研究をしていく必要があるという声も出されていた。つまり,学習指導要領である程度触れられてはいるが,国語で基礎的なことを教える。そして総合的な学習では,発表したり,一つの課題についてディベートしたり,スピーチをしたり,そんな学習をどんどん展開するように,国語と総合的な学習との関連をもっと研究していく,有意義に関連付ける研究をしていく必要があるという声も出されていたが,限られた時間の中で,より良い国語教育を展開していくことについても模索していく必要があろうと思っている。

   3学年で12学級というと,1学年4学級以上ということで,かなり大きな中学校になるのか。

   私の学校は,今18学級プラス身障が2学級あるので,20学級という規模の大きな中学校である。

   今のお話は,司書教諭を採用する分のお金が新しく来たということか。

   新しく人数を増やすというわけではない。資格を持った教員をできるだけ人事異動等でそこへ配置するようにしながら,今のところは2時間のようであるけれども,授業の軽減を図る。つまり,その教諭の持ち時数を2時間減らして,その替わり図書の整備,あるいは啓発活動等に当たるということで,人数が1人増えたということではない。

   諮問に即するような形で,分科会も審議が続けられることになると承知しているが,国際化・情報化の進展や価値観の多様化という時代の流れの中で,先ほどの小委員会の検討課題例の中に,義務教育修了時とか,高等学校卒業段階とか,社会人とか,望ましい国語力の目安を考える場合の視点の当て方,年代的にどの辺に焦点を当ててということが出ている。大学生にも基礎力を付けていくという考え方の中で,例えば,私が今勤務するところではどんなことを考えているかというと,一つは英語力の充実,一つはコンピュータ力の充実,それに即して,もう一つは日本語,国語における表現力の育成。これは音声言語力と文字言語力の双方であるが,これを大きな三つの目玉にして,基礎的な能力を付けていくというような考え方を採っている。
   それは新しく始まっている平成14年からの小中,それから高等学校も始まるわけであるが,その中で考えられている国語科の中での重点の置き方というようなもので,表現力を充実する,思考力を充実する。つまり,論理的な思考力を充実しつつ表現力を高めていくということが,小中高でねらわれていく。大学も同様に,基礎力の充実の中に,英語力,コンピュータ力,国語力。国語力は,今申し上げたように,表現力の充実というふうに考えている。ということは,現在までの流れの中で,小中高の教育の中での国語力の重点の置き方というのが,現場の先生方の中にどれほど自覚的に行われてきたかというようなことなどもかかわってきているのではないかと思われる。入ってきた大学生自体の言葉,日本語の能力を私どもは非常に問題にする。それから外国語力。それを問題にするという現状認識から出発したというようなことがあって,ここで,年代層の限定ということの中に,社会人という言葉が入っているからよろしいが,大学なんかも一つ視野の中に入れてもいいのかなという気がしないでもない。
   つまり,社会に出ていく前の段階は,義務教育修了時と高等学校修了時と大学卒業時というのもあるわけで,そういうような視野の置き方もできそうだなと思っている。

   今後,二つの小委員会で独立した形で審議が続くと伺ったが,これがどのようなものになるのか,もう少し内容的なこと,また会長及び国語課の方でどのように考えていらっしゃるかをまず伺いたい。
   もう一つは,先ほど社会人ということが出たけれども,読書活動等小委員会及び国語教育等小委員会という形になると,後者の方は,学校教育という中での国語教育であるのか,この中に学校のカリキュラム以外のすべての日常の生活も入るようなことを想定していらっしゃるのか。また,小委員会の中で,どんどん方向性を決めていけるものであるのか,そういうことをもう少し知りたいという感じを持っている。
   と申すのは,国語教育等小委員会の中で,望ましい国語力,国語教育そのものだけを真っ正面からもしも議論するとなると,今までの国語教育の域を出ない危険が出るのではないか。つまり,学校教育全体の中で国語を考えるということが必要なのではないかと思っているので,一言質問したわけである。

   この「審議経過の概要」の9ページ以下を踏まえて,今度の委員会を立ち上げているわけであるけれども,9ページの3の(2)に「読書活動を定着・発展させるための取組について」,10ページに「(3)子供たちの国語力を向上させるための学校教育などの在り方について」があり,この分科会で出されたそれぞれの御意見の具体的なものがたくさん載せてある。これを受けて,1年間かけて身に付けるための方策を更に掘り下げようということで,今おっしゃった学校教育の小委員会についても,全くおっしゃった言葉のとおり,11ページの上から5行目に「「国語科」だけにとどまる問題ではなく,学校教育全体で取り組むべき問題である」と,我々は審議経過の結果を総括している。したがって,おっしゃるとおりの方向で御審議いただくことになるだろうと思う。
   それから,委員会の中身は,どんどん掘り下げる過程でいろんなことが出てきていいし,出てこなければいけないだろうと思っている。

   私どもとしては,先ほどの資料の3ページに「主な検討課題例」ということで,イメージがわくようにということで少し書かせていただいているが,もちろん,小委員会を進めていく中で,小委員会ごとに同じようなテーマを御議論いただくということも当然あろうかと思うし,ここに書かれていないことも議論の過程の中で必要があれば,取り組んでいただければというふうに考えているところである。
   ただ,私どもが二つの小委員会を御提案申し上げたのは,一つには具体的方策における柱というものを踏まえて,例えば,読書活動の問題,それから一番最後に「国語力を高めていくためのその他の方策」という項目もあるが,そういったものについて検討いただく必要があろうと考えていること,また,国語教育の方は,恐らくかなり学校教育の問題が大きく取り上げられると思うけれども,「審議経過の概要」にもあるように,学校だけではなくて,家庭とか地域でも国語教育の在り方について考えていくべきところもあろうかと思い,国語教育等の小委員会という形にさせていただいている。
   それから,何よりもやはり国語の審議会であって,教育そのものではないので,その意味から言うと,難しいのであるけれども,これからの大きな課題は,どういった国語力を目指していくかという御議論を積極的にお考えいただく必要があるのではないかと事務方では考えているところである。

   質問であるが,読書活動の委員会と国語教育の委員会に与えられている課題の現実性にかなり知的な差があるというか,読書活動の方が,逆に言えば,作業の進み方のアウトラインがある程度共有しやすいと思う。国語教育の方は,間口が広い話合いが求められている部分がまだあるので,委員会の最終的な目標というか,特に国語教育の委員会の場合に,提言の最終的な目標というか,それによってかなりハードさも違ってくるようなイメージを持つので,ぼんやりとでもいいのであるけれども,例えば読書活動の方なら,今まであるようなリストをもっと精緻化していくようなイメージがあるが,こちらの国語教育の方の小委員会は,更に具体的に言うと,どのぐらいのイメージというか,期待される課題の具体性というか,目標はどの程度のところにあるのかというのをちょっとお聞かせいただけると有り難いと思う。

   正直申し上げて,事務方でも,今の時点でこういったことをという具体的なイメージを申し上げる段階にはない。というのは,審議経過概要をまとめるに当たっても,特に「子供たちの国語力を向上させるための学校教育などの在り方」という部分については,大変多くの御意見,それも一つの見方だけではなくて,様々な見方から様々な提案をいただいており,これについて,まだ小委員会を始める前であるので,最終的なイメージはこうだということは今申し上げることはできないわけである。是非積極的に小委員会の中で議論していただいて,より具体性のある御提言をいただければというふうに思っている。

   方向としては,国語力を身に付けるための方策として読書活動を定着させたいということであるので,あるいは国語力を身に付けるための方策として国語教育の在り方について考えていただくということだと思うので,目標は,国語力を付けるためというところにいっていただきたいというふうに思うけれども,具体的なことは検討する過程でいろんなことが出てくるだろうと思う。

   こういう小委員会ができて具体的な方策を考えるときに,例えば私の場合は,いろんな小学校,あるいは図書館で話をさせてもらったりして,現場の状況とかデータというのは個人としてはかなり持っている。
   ただ,「ここでこういうことが増え始めたよ」みたいな言い方をしたときに,実は残念ながらその裏付けがない。そういうときに,どうもこうらしいから,それについてはどのようなデータの調べ方があるかとか,あるいはそれについてのサジェスチョンを,例えば国語課か,そういうところからいただけるものかどうか。どうしてもきちんとしたデータの裏付けが欲しいと思うときに,何かそれを手に入れる道というのか,助力をいただけるものかどうかというのをお伺いしたい。

   小委員会を開催していく場合に,次回までにこういう資料が欲しいというような御要望が出てくるのではないかと思う。それをすべて私どもで準備できるかどうかは,はっきりしないが,例えば地方でどんな取組が行われているかとか,全国レベルではないけれども,ある団体が行った調査ではどんなデータが出ているかとか,そういった形ででき得る範囲内の資料については,小委員会で御要望いただければ,できる限り早急にそろえて御報告申し上げたいと思う。
   また,団体のヒアリングをしたいという御希望があれば,そのときも調整させていただきたいと思っている。事務方としても頑張っていきたいと思っているので,よろしくお願い申し上げる。

   国内と言わず,海外での読書活動はどうなのか,調べてくださいといったときにも,多分全力を尽くしてくださるだろうと私は勝手に思っている。

   国語教育等小委員会の中に,国語力の現状についてという項目がある。これにかかわってであるが,今,私の手元に中学校学習指導要領の解説がある。私は,これはかなり繰り返し繰り返し読んで,大分手あかにまみれているが,学校現場においてはこれを基にしながら教育が展開されている。そこで,これから審議を進めるに当たって,私はやはりこれを委員の先生方に御理解いただくことが前提になると考えている。どこがいけないのか,どこをどういうふうにしていけばいいのか,これは中学校の国語だけで,このように一冊になっているが,かなり国語教育にかかわって細かく記されている。もちろん国語教育の目標とかも,学年別,項目別に書かれていて,それをどのように指導していくことが望ましいかも示されているけれども,これを度外視して,小学校も当然であるが,いろいろ論議することはできないと思う。
   そういう意味では,これは一冊130円なので,皆さんの分をそろえてもそんなに高額にはならないと思う。更に加えて文部科学省の調査官から一度お話をいただければいいと思うけれども,これを理解するところからスタートする必要があるのではないかと私は思っている。

   国語教育を論ずるときに,確かに現状はしっかりと押さえておかなければいけないと思う。それと,余り指導要領を細かく分析していくと,縦割り行政の縄張りを侵すようなところも出てきたりする。そもそも,学習指導要領というのはどういう審議会を経て出来上がるのか,簡単に答えてほしい。

   学習指導要領は,以前は教育課程審議会というのがあって,そこで御審議いただいた上で定まる形になっていたが,全体の審議会の見直しの中で,中央教育審議会の一部分に初等中等教育の分科会ができていて,その中で,教育課程も扱うということになっている。例えば,現行の学習指導要領を改定する,見直すということになった場合には,その審議会で議論して定めていくという形になろうかと思う。

   中央教育審議会の中に初等中等教育分科会があって,その分科会の中に教育課程検討委員会か何かがあって,その中で指導要領作成委員会か何かがあって,各教科の指導要領ができているのか。

   もともとは,例えば生涯学習審議会とか,教育課程審議会とか,保健体育の審議会とか,いろいろあったけれども,今,それが中央教育審議会の中に,例えば大学審議会も,大学分科会という形で中央教育審議会の一部分になっている。また,教育課程についても,初等中等教育分科会の中の一分野という形になっている。審議会の全体の見直しの中でそういう仕切りになっているけれども,実態としては初等中等教育の審議会,今は分科会,あるいは部会であるが,そこで御議論いただいて,学習指導要領の見直しというのに直接つながっていくという形になろうかと思っている。

   そういうふうに,ここも文化審議会の分科会になったけれども,3年前までは国語審議会だったわけである。教育関係は,大学法人設置審議会というのは別であるが,ほとんど審議会が統合されている。
   中央教育審議会の中に初等中等教育分科会であるか。その下に,さっき言ったように教育課程審議会,ここは確か国語を何時間にするかとか,理科を何時間にするかとか,そういう教育課程全体の大枠を決める。国語の中身をどうするかというのは,またそれを分けた分科会でやる。

   そういうふうに言うと,何か非常に瑣末なところで決まっていくように感じるわけだが,現実には先ほど来申し上げているように,例えば,この国語分科会は文化審議会の分科会であるけれども,別に下部機関というようなことではなく,ここで議論されたことが日本の国語政策を決めていくわけである。
   その意味で,中央教育審議会の初等中等教育分科会の中の教育課程部会というような言い方をすると,小さくなったようであるけれども,実質的には,同じように大局的な御議論も含めて,教科の内容については,それぞれ専門家の方に具体的な文言を詰めてもらわなければいけないところがある。
   そういうことは,多分この国語分科会でも,例えば仮名遣いなどについて議論するときには,その仮名遣いを具体的にどうするかという作業チームができていくわけであるから,そういう意味で,広い議論と専門的な方々の細密な議論を組み合わせて作られているというような御理解をいただければと思っている。

   先ほど,提案された130円の本というのは入手できるのか。それは130円払ってもいいから,是非お願いしたい。(→小・中・高の国語の「指導書」については各委員に配布することとなった。)

   この議論が今年まで延びたのは,具体的方策に踏み込めなかったからで,具体的方策にとにかく焦点を絞ってほしい。この検討課題例の読書活動の方では,2の3番目「読書活動を推進するための方策について」をまず取りあえずやる。上からやっていくと,また前期の二の舞になると思う。これ以上時間を費やせないと思うので,どちらの委員会も具体的方策として何を出せたかをチェックすべきだと思う。
   例えば,総会と小委員会を分ける必要はないと私は思っているが,総会の中に小委員会の時間を設けて,最後の30分でそれぞれの小委員会においてどんなアイデアが出たかというのを交換すれば,情報交換は効率的だと思うので,それぞれを完全分離して活動させるというのは効率が悪いと思っている。
   具体的な方策が出ないのだったら,これ以上やっても無駄だと思うので,一回一回どんな方策が出せたのか,それについて実現可能な線はどこなのか,どこまで行ったのかのラインを常に毎回終了時にチェックして,その情報が全員に行き渡るようにしていただきたい。あれこれ議論する時間はもう終わったと思う。

   私の中でも一抹の不安がある。「これからの時代に求められる国語力について」の概要で,10ページと11ページがそれぞれ各委員から出された方策案である。そして,様々な方策の中で最も具体的な活動に行きやすい読書活動が一つの小委員会に立てられて,ほかのはその他になってしまったという印象がある。カルタを取り上げたいという委員もいらっしゃったし,私は演劇を是非取り入れたいという提案をしたけれども,本来なら,小委員会を作るなら,それぞれでやっていくべきことだと思うが,そこに踏み込むには具体的なデータとかアイデアに欠けている,まだそこまでいく状況にないということで,読書及びその他というふうになったのが実情ではないかと思う。
   その辺りのところを相当本気でやっていかないと,その他の中で,どれに重点を置くかというところで,また時間が費やされてしまうのではないかというおそれを私は持っている。実は,例えば,カルタの提案にしても,私が提案した演劇にしても,読書ということと不可分なわけである。だから,そこの辺りをどうやってつなげるかということも問題になってくると思うし,はっきり分けてしまうと何かつながりがなくなってしまうということもある。せっかく全体で総合して「国語科」だけの問題ではない,総合的に考えてというふうなつもりで,多分,皆さんこの席に臨んでいらっしゃるのだから,私もそうであるが,そこは何かいいアイデアがないかなということである。

   先ほどから指導要領のことが出ているけれども,私は指導要領を重視することは絶対反対である。それはこの審議会をほとんど無に帰することだと思う。要するに,指導要領の下でどのような教育をすべきかというのは,専門家,国語の先生たちの研究会ですべき話で,ここはそういう委員会とは全然違うわけである。もちろん,指導要領を踏まえることは大切だと思うが……。したがって,皆さんに委員会から指導要領の指導書を一部ずつ配布するのは賛成である。
   指導要領に限らず,既存の枠,大学ではこういうリテラシーが問題になるというような御紹介があったが,そのような既存の枠にとらわれることは,私は反対である。すべて白紙にして,理想的な国語教育とはどういうことかを議論する。読書活動にしても同じである。それから,先ほどの御意見で国語力を上げるためということを最終目的とするいうのにも私は反対である。要するに,どのような人間を作るのか,あるいはどのようにして国を再生するのか,こういう観点から,そのために国語は何ができるか,こういうようなコンテクストでやってくれないと,我々は国語の業界の利益代表でも何でもないわけで,要するに,人間を作るために,良い国を作るために,そのために国語の担う役割は他教科に比べてずば抜けて大きいものがあるけれども,具体的にそのためにどういうことをすべきかということである。
   国語力ということだけにとらわれてしまうと,やはり視点が小さくなる。国語の中でどんなことができるか,そういう視点が非常に重要ではないか,と思っている。

   演劇とか,カルタとか,そういうところに私は参加したいわけである。読書,その他ということになると,それぞれが集約的な議論に移動しながら参加できるという体制をこの場で作った方がいいと思う。
   ラウンドテーブル的に,ラウンドテーブルであると,それぞれにホワイトボードがあって,ここでは主に読書をやられて,そこでは演劇がやられて,そこではカルタというテーブルが幾つかあったとする。そうしたら,ある時間帯はカルタのところに行って,どうなっているのかを聞き,あるいはアイデアを出す。取りまとめる中心的な人物というのはカルタの中心人物,演劇の中心人物がいていいわけであるけれども,相互に移動可能な場の作り方である。これだけ時間を取るわけだから,その時間中にある程度けりを付けていくというふうにして相互に移動可能でないと,具体的な方策に入れば入るほど,その中にまた小委員会を作らなくてはいけなくて,同時にそれぞれに出ることは現実的に無理なので,私はこの場をそのように分割するということを提案する。これは前にも言ったことであるが……。

   前の22期の国語審議会に出ていたのだが,この時も三つの部会があって,それぞれに月に何回も開催される。どこへ出てもいいよということだったが,回数が多いので,なかなか出られない。今の御意見のように,すべて総会を開催して,その中で分かれてということになると,夏休み前がどこか分からないが,それまでに多分20回近い総会を開催することになって,遠い方とかお忙しい方は到底参加できないと思う。そこで少人数に絞って,その方々の都合の良いところで開催する。回数を減らすわけにはいかないのだから,小委員会方式でないと事は進展しないのではないか。私は,この小委員会形式で進めていただくのが良いのではないかと思っている。

   発想として,集まれないから,この中でやるということである。ラウンドテーブル式の流動可能な小グループ方式で20回ということはあり得ない。ラウンドテーブル式の方が回数が増えるという根拠はないわけで,私は会議の本を出しているくらいであるから,その辺にはこだわりたい。効率良く全体の意見を流通させ,交流させるためにテーブルを作るわけであるから,小委員会を作ってばらばらに活動しておいて,後でまとめるよりは効率はいいと思っているのである。
   先ほど言われたような演劇を集約的に語りたいというのは,その他の部会でどれだけ時間を取ってできるか。現実的に考えたら,この議題の立て方でいったら,ほとんどないと思う。効率の悪さを今の私の提案について指摘されるのであれば,それにはちょっと反論がある。

   おっしゃるとおり,効率が悪いからとか,いいからとかいうことではないと思うが,ここにいらっしゃる方は皆この会議の委員でいらっしゃる。総会をやるときに非常に参加しにくいような状態の下で総会をやることはやはり非常に問題がある。今ここで申し上げている総会と小委員会というのは,小委員会だから総会よりもレベルが低いとか,あるいは視野が狭い部分をやっていくとは限らないわけで,一言で言うなら,今おっしゃったような運営の仕方で小委員会を運営していくというようなやり方,つまり形式としては小委員会という形を採らざるを得ないわけであるけれども,その中で運営のやり方を工夫することは十分できると思うが,いかがであろうか。

   会議の仕方を抜本的に変えるということは,先ほどの御意見のように教育全体を抜本的に変えるということとつながるような気がするので,私はやってみたいと思う。
   私がおそれていることは,このような小委員会方式だと,実際にどういう形で私が考えていることが具体的に教育の現場に生かされるのかどうか,そこまでの道のりがとても遠く思えるということである。

   今の御意見は,この委員会の立て方で私は十分に対応できると思っている。大きく二つに分かれるわけで,その両方に出ようと思えば出られるわけである。読書であろうと,カルタであろうと,演劇であろうと,短歌であろうと,興味のあるものを出していけるわけである。そうしたら,その委員の興味と意欲が問題になるわけで,どんな形であっても,やりたければそれはどんどんやっていける。少なくとも私はどんな形に分かれようと,自分が興味を持って具体的に出したいと思うものは出そうと思っている。
   結局,具体策というのが本当に具体策かどうかは,答申をした後で,一般の人たちがそれを面白がるかどうか,実際にそれをやっていくか,結果,どうなったかということであって,いかに具体的な箱,ルートを作るかだと考えている。とにかく皆さんの持っておられるそれぞれの分野のアイデアと知識で,それこそ具体的にやっていけば,この委員会という形はどのような形でもやっていけると私は思う。

   小委員会を二つ設けたのは,去年1年間やってきた中で,この辺りにトピックスとして中心的なものになり得るものがあるのではないかという成果で,この二つを挙げたのだろうと思う。
   今度の方針を採っても,この総会が中心であることは全然変わりないわけであって,この総会でいろいろなトピックス,演劇の問題も,カルタの問題も,ここで出て一向に構わないわけである。もちろん,小委員会の形でなお熟す話題であれば,そこでやってもよろしいとは思うけれども,本来,この総会の場で出せるものであるならば,皆ここで出して構わないという発想ではないかと思う。
   それではなぜ小委員会を設けたかというと,去年1年間やってきて,この辺りの話題がどうも集約的に議論しやすいのではないかということで,この二つを設けたわけである。しかし,やはり本当の場はこの総会にあるのではないかと私は考えるので,そういうやり方で矛盾なく運用できると考えているが,いかがであろうか。

   基本的に御提案の二つの小委員会を生かすという方向を考えた場合は,読書活動等とあるのを,つまり,いろんな活動の中に,読書もあり,演劇もあり,カルタもある云々という考え方をして,活動を検討していって,効率的な改善の方策,具体的な方策を考えていくというような委員会のイメージの作り方になるのかなと思う。
   国語教育の方は,見ると,検討課題例の一つに,学校や家庭,地域における云々と書いてあるから,場の問題である。そこではどういうようなことが考えられていくかということに絞って,つまり,読書の委員会とも関係するが,家庭教育の中ではどんなふうに具体的な改善の方策が考えられていくかというふうに見ていったらどうであろうか。学校とか,家庭とか,社会とかというふうな場の中でアプローチしていく。だから,結局は両方とも相互に絡み合わないと,まとまってはいかないだろうと思っている。

   先ほどの会議の進め方の御提案は前にも承って,忘れていないが,そのような御意見を踏まえた上で,小委員会方式を採らせていただきたいということで提案したわけである。そういうことで,今回は小委員会方式でやらせていただきたいと思う。
   それと,先ほども申したように,小委員会は夏休み前ぐらいまでに集中してやっていただいて,その間にも総会を開かせていただく。それから,後半と言っても,11月ぐらいにはかなり出来上がらせて,また片仮名になるが,それをパブリックコメントにかけて,文化審議会に報告してまた審議してもらうという段取りであるから,余り時間はないが,後半は,総会で委員会から上がってきたものを踏まえて皆さんで議論していただく,そういうことになろうかと思う。
   小委員会に丸投げして,少数の方が作ったものを全体の意見にするということはしたくないと思うし,そのためにも,この総会でいろいろ議論していただきたいと考えているので,よろしくお願いしたい。



(文化庁文化部国語課)

ページの先頭へ