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文化審議会

2001/12/17   議事録
文化審議会第18回総会議事要旨

   
文化審議会第18回総会議事要旨
   
1. 日   時 平成13年12月17日(月)10時30分〜13時00分
           
2. 場   所 霞ヶ関東京會舘   シルバースタールーム
           
3. 出席者    
    (委   員) 高階会長、北原副会長、井出、内館、岡田、川村、齊藤、関口、津田、中村の各委員
    (文部科学省・文化庁) 銭谷文化庁次長、遠藤文化部長、鈴木文化財鑑査官、高塩政策課長ほか関係者
           
4. 概要    
    (1)配付資料についての確認があり、前回議事要旨については、意見がある場合は1週間以内に事務局に連絡することとされた。
    (2)事務局より、文化審議会中間まとめ(案)について説明があった。
    (3)その後、次のような意見交換が行われた。
       
   企業の役割については、重複している部分を(特にP4とP8の企業の在り方について)整理するとともに、企業の本来の企業活動と並行して社会貢献をすべきであると強く訴えた方がよい。
   文化と企業活動が一体となっている企業はそれ程多くはない。企業の社会的責任としての文化支援の必要性を訴えることが重要である。外資系企業の中には、そのような意識が薄いところもある。    民間だけでは人的・資金的に不十分であるが、質の高い文化を生み出すことができないとまでは言えない。
       
   企業は、本来の活動と並行して文化活動を行うのみならず、今や文化が企業活動そのものになっている。
   製品を買う際に消費者はデザイン性で選ぶのであり、企業戦略の中でデザインをどのように位置付けるかが重要である。我が国のデザイン力は、国際的にも優れている。
       
   寄附税制については、その充実というより、「改正」として、強く訴えたほうがよいのではないか。また、アメリカなども参考としながら、個人や企業の寄附を誘導するための具体的な施策を検討していくことが必要である。
       
   文化は科学技術の暴走を制御するものであると対立的に捉えるよりも、文化の側から、科学技術に対し積極的に働きかけるという視点で捉えることが必要である。
   また、文章の量を削減したのはよいが、全体的に文化庁の施策に偏っている印象を受ける。他省庁への提言も含めてまとめることが必要である。
       
   文化は科学技術の暴走を制御するというより、より良い方向に導くものである。
   また、文化により人間が「進歩」していくと、大命題で捉えるのはどうか。
       
   早期教育について、「教育における弾力的な取扱い」というのは分かりにくい。義務教育段階において、特別な配慮を行っていくことが必要であり、それが将来実現される可能性を感じさせるような表現にできないか。
       
   教育に関しては、学校段階ごとに記述するよりも、全体を通じて求められることについて、まとめて書いたほうが分かりやすい。
       
   文化を大切にする心を育むためには、日本に生まれてよかったと感じることのできる教育が求められる。
   また、幼いときから大学まで一貫して、個性の追求が求められる。
       
   教育問題の背景には、人間を人間たらしめるものである教養教育の後退がある。高校から大学にかけて、新たなリベラルアーツを構築する時期に来ている。
       
   文化遺産の保存・活用で強く訴えるべきは、ITを活かした保存・活用より、総合的な視野に立った文化遺産の保存・活用と、人々の主体的な参加による文化遺産の保存・活用である。
       
   大人一人一人が文化を大切にしていくことは必要であるが、教養を高めることまで求めると逆に文化が遠いものになってしまう。
    国際文化交流マスタープランについては、その後に記述している芸術文化の国際交流と内容的に重複している部分があり、整理が必要である。
       
   国や地方公共団体の予算については、国だけでなく地方においても施策の評価は必要である。
       
   文化予算については、国は財政状況が厳しい中、充実が図られているが、地方公共団体では軒並み減少している。文化振興は本来の地域住民へのサービスとして行うべきであって、特に地方公共団体に対し、文化予算を充実すべきであると訴えたほうがよい。
       
   「求められると考えます」、「必要であると考えます」といった曖昧な文末表現が多いが、審議会の責任として断定できるところは断定した方がよい。
       
   言葉はコミュニケーションの手段であると同時に、その言葉を母語とする人々の根幹にかかわり、感性と結びついている。したがって、言葉は文化そのものである。このことを、国語の重視のところに記述した方が分かりやすい。
    用いる単語として、「国語」か「日本語」かは議論の分かれる問題であるが、学会においては「国語学」という説はみられなくなった。
       
   文化の基盤として重要なのは、国語というより「ことば」である。
       
   「ことば」というと、外国語を連想する場合がある。この中間まとめ案に書いてある内容であれば、「国語」でよい。
       
   「言葉を大切にする」というのは漠然としている。日常生活の中で、自分の言葉で、意思を正しく伝えることが重要である。
       
   情報化時代に対応する漢字の使用に関する再検討とあるが、表外漢字の字体については既に国語審議会で一定の審議をしたところである。
       
   映画やアニメーションは日本の得意分野として世界にアピールできるものであり、この分野を戦略的に伸ばしていくことは大切である。
       
   我が国が世界に誇るものとしては、映画やアニメーションも大事だが、歌舞伎をはじめとする伝統芸能もある。
       
   映画やアニメーションの支援についての提言は注目を集めるのではないか。
       
   文化について、近年、「発展」や「進歩」から、「循環」という考え方が重視されてきていることにも触れたほうがよい。
   また、目次に見られるように、「発展」や「進歩」という記述が多い。
       
   「アイデンティティー」を日本語に置き換えることについては、例えば、「自己のアイデンティティー」ならば、「自分らしさ」というように、「らしさ」に置き換えることも可能ではあるが、難しい問題である。
       
   「らしさ」という表現は、性別や職業と結びつくと特定の価値観を押し付けることとも捉えられかねず、その使用には気を付けた方がよい。
       
   「国語の機能や美しさ」は、漠然としており、また、誤解を与えやすいので、再考すべき。
       
   文化とは、人間が美しく存在することであり、また、人間が生きてきた中で生み出してきた果実である。
       
   全体的に個人主義的な文化論の印象がある。
   文化は個人が支えるべきものではあるが、個人の自発的・自主的な営みだけではない部分もある。文化は個人という「点」からのみならず、例えば地域文化など、集団という「面」からも生まれるものである。
       
   個々人の文化的な営みの集積が、時が経過した後に文化となるのであり、特に今の時代においては、個を重視することは大切なことである。
       
   P8において、一人一人が文化を担っていくことは大切であるが、同時に社会全体で文化を創っていくことも大切である。その観点からは、「一人一人」という表現がやや多すぎる。また、家庭や大人の役割については、さらに簡潔にすべき。
       
   文化を守り、育て、継承していくのが個人であり、個人が文化を担うのを手伝っていくのが社会である。
       
   講ずべき施策が抽象的なところと、逆に細かすぎるところがあり、整理が必要である。例えば、国語に関する施策として、言葉に関する冊子の作成・配布は細かすぎる。
       
   どこを具体化、あるいは抽象化するかは難しい判断であるが、新聞等に取り上げられそうなものは具体的に書くべき。
       
   日本人が日本の文化に自信を持てるような、格調高いまとめにしていきたい。
       
   教員の文化性の涵養に書かれている内容は、当然過ぎる。教員が教員としての言葉遣いをしっかり行うことが大切である。
       
    (4)今後の修正等については、会長及び副会長が事務局と相談の上行い、委員へ送付し、了解を求めることとされた。
    (5)事務局より、次回総会の日程についての説明があり、閉会した。

 

(文化庁政策課)

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