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文化審議会

2001/09/11 議事録

文化審議会第10回総会議事要旨

文化審議会第10回総会議事要旨

1.日時

平成13年9月11日(火)14時00分〜16時30分

2.場所

霞が関東京會舘シルバースタールーム

3.出席者

(委員)

高階会長、北原副会長、井出、内舘、川村、齊藤、関口、富沢、野村、藤原、黛、の各委員

(文部科学省・文化庁)

銭谷文化庁次長、天野文化庁審議官、遠藤文化部長、鈴木文化財鑑査官、高塩文化庁政策課長  ほか関係者

4.概要

(1)  配付資料についての確認があり、前回議事要旨については、意見がある場合は1週間以内に事務局に連絡することとされた。

(2)  澄川喜一氏(東京芸術大学学長)より意見発表があり、その後、意見交換が行われた。

【澄川喜一氏の意見発表の概要】
(東京芸術大学について)
  • □  本学は非常に小規模な大学である。実技を主とした教育を展開しており、入試も大変厳しい実技を課し、時間と労力をかけた上で選考している。いわゆる就職のための大学ではないということが言えるが、社会に認められるアーティストとなるのはごく一部の人間だけであり、その他の卒業生は企業の製品デザイン等、社会において幅広く活躍している。  本学の歴史は古く、その源流は明治維新をさかのぼること5年前に英国に留学した山尾庸三に辿り着く。彼は当時の一等国である英国において造船の勉強を熱心にしていく中で、船を造るにしても技術と同時に美的感性が備わっていなければいけないということを痛感したのである。その後、彼の尽力により、柔軟な発想と、常に創意工夫のできる工と美のバランスのとれた感性豊かな人材を育成すべきとして、明治9年に工部美術学校が設立されたのである。  この工部美術学校はいったん廃校になったが、改めて明治20年に東京美術学校が設立され、ここでは「芸術とは何か」を教えた。「芸術」の「藝」は草や花を育てる形を表し、「芸術」とは植物が萌え出る術であり花を咲かせ実らせる術であるという。広く世界に学び、日本文化に誇りを持ち、創意工夫のできる人材を育てるという理念で開校されたのである。  昭和24年には、時を同じくして設立された東京音楽学校と併合し、現在の東京芸術大学となった。創立当初から、教師なし、先輩あるのみという伝統があった。教師である前に、現役で活躍する芸術家であろうということである。先輩と学生が同じ目線で、お互いの才能を磨き合う緊張の場が、東京芸術大学である。
(文化の発信)

  経済面で閉塞感が強まっているが、今まさに我々は科学技術立国と同時に文化立国を唱えつつ、日本のすばらしさを世界に発信していかなければならない。技術と芸術のバランスがとれる人材育成の必要性から、感性教育をその理念として大学が設立されたが、もう一度、そこに立ち返る必要があるのではないか。そして、もう一度、日本の文化そのものであり、歴史の中で積み重ねられたものである日本人の手業、日本の感性の良さを誇りとし、世界へ伝えていくべきである。  本学には奏楽堂というシンフォニーホールと美術館がある。できるだけ広く世間の方々に観賞していただきたいと思っており、大学における地道な研究の成果を展覧会という形で社会に還元している。小学校の児童などはなかなか鑑賞に来てくれないが、そのようなことも改善していけるように情報を広く発信し、文化を伝えていかなければならないと考えている。

【澄川喜一氏と委員との意見交換】

【委員】

  ルーブル美術館では子どもたちが多数来館し、それに対して学芸員が絵の構図や技法などを学芸員が説明しており、大変感銘を受けた。しかし、日本では、学校は指導要領に沿った授業で忙しく、学校行事を減らす傾向にもあり、現実にはなかなかその実施は困難である。

【委員】

  学校における音楽や美術の授業においては、鑑賞の時間を増やし、優れた芸術を理解させることの比重をもっと多くしていくべきである。一方、プロをめざす子どもに対しては別に教え方を考えていくべきである。

【委員】

  小中学生に対する芸術教育は大変重要であるが、芸大の美術館では小中学生に対して作品解説などは行われているのか。

【意見発表者】

  当然実施しているが、残念ながらそのような要請はあまりないというのも事実である。小さいときから芸術をはじめ、いろいろなことに触れる機会を増やしていくことは大事なことではある。幼い頃に芸事を習うということは、「習う姿勢を習う」という意味でも、また、鑑賞するための感性を養うという意味でも非常に大事なことではないかと思う。

【委員】

  芸大は奨学金の滞納率が高いことでも知られている。ごく少数の、社会に認められているトップアーティストの他にも、卒業生は社会の非常に幅広い分野で活躍しているというお話をいただき、感服してもいるが、この滞納率の高さから見ると、それだけでは生活していくことができない卒業生も数多いというのも現実なのだろう。
  芸術は学歴ではなく、自らの才能と実力に負うところが大きいのであり、プロの芸術家の養成が大学の究極の目的というのであれば、入学定員も絞り込み、本当に一握りのプロの育成に特化した方が一流の芸術家は育っていくのではないだろうか。

【意見発表者】

  芸術家の養成は、先生対学生(弟子)だけではなく、多くの学生同士がお互い切磋琢磨する中で、自分の才能を確認し、向上していくことが必要である。芸大の授業は全員が横並びで作品を制作していくので、作品の優劣がお互い分かってしまう。その屈辱感を克服し、さらなる意欲をかき立てることができた者は強くなるのである。この、人との距離感が分かるというのは、相手の気持ちへの理解にもつながるものであり、非常に大切なことである。「心の教育」であり、感性教育といえる。このような物差しが複数あることが必要であり、中学高校からそういう教育も導入すべきである。

【委員】

  優れた芸術家の養成のためには、飛び級制度の導入も必要である。そうでなければ、才能ある子どもたちは皆、海外へ出てしまう。これは我が国の文化の発展にとっても、大きな損失である。

【委員】

  芸大においてはクリエイターの保護についての法律や、著作権法などの講義はなされているか。また、芸術家が若いときに安く出売却した作品がオークションを重ねるたび毎に何倍もの値が付いていくというときに、その差額の何%かがクリエーターに戻る追求権という制度を設けている国もあるが、作品を売却した芸術家に対する保護策についてお考えをお聞きしたい。

【意見発表者】

  現段階では、大学として大きく取り上げてはいないが、著作権の問題は重要であり、カリキュラムの中に組み込みはじめている。また、追求権制度の創設は、なかなか難しいであろうが、社会的な制度の中に作品が適性に位置づけられることは大切である。

【委員】

  電子メディア等の発達に伴う著作権の二次使用の問題なども出てきており、著作者の権利と、著作物の公正かつ広範な利用との調整について検討していく必要がある。
  また、技術と芸術の関係では、複数使うことが可能な技術だと特許、意匠登録として保護され、一点制作の芸術作品は著作物として保護されるが、その中間の領域についての問題も検討すべき課題としてある。

【意見発表者】

  人間は、二足歩行を始め、両手が空いたときから道具を作りはじめたが、その時より、例えば、縄文土器を見ればわかるように、プラスアルファ、つまり感性により創意工夫を加えてきた。この感性というのは重要であり、たとえ故障しない車であっても、デザインが美しくなければ名車とは言えないのである。

【委員】

  大学において奏楽堂と美術館を運営されている中で、どのような面で苦労されているか。

【意見発表者】

  本学の美術館は「大学の美術館」であり、大学教育という生産現場と隣り合わせである。従って、ファクトリーミュージアム的な発想であり、生産現場として見ていただけるとともに、生産したものを広く見てもらうという教育的な側面を有している。
  また、本学には資料だけは豊富にあり、それらによって活力を出そうとしているが、事業予算は付いておらず、厳しい状況である。教育に効率を求めると文化も育たないし、人材も出てこないのではないかと思う。

【委員】

  自分の小中学校時代を振り返ってみても、こと芸術教育、特に美術の面では教師の影響力は非常に大きいと考えられる。教師次第で芸術科目を好きになったり嫌いになったりするのではなかろうか。

【意見発表者】

  私の経験から言っても教師から受ける影響は大きい。指導に熱心なあまり自分の意に沿うように作品を作り替える先生もいた。感性教育というのは答えやマニュアルがなく、最も難しいといえる。

【委員】

  小学校は基本的に教員養成課程の大学を出た教師が全教科を教えている。美術や音楽などの感性に最も優れた人たちは芸大などの芸術系の大学に進学してしまうので、そういう人たちは少なくとも小学校の現場にはいない。すると、美術館としての役割は重要であり、子どもたちを指導できるキューレーターの存在が求められる。

【意見発表者】

  美術館に生徒を連れてきて、キューレーターが自由に指導するということが行われれば、教育の場も広がっていく。

【委員】

  一流の芸術家が小学校に行って最高の教育ができるか、というとそうではなく、芸大はあくまでプロの芸術家を育てるのであり、子どもへの指導のためには、教員養成課程における工夫が必要である。

【意見発表者】

  小学校中学校のいずれにおいても本物に接するというのは大事なことである。特に、高度情報化の進展に伴うメディアの発達により、本物と虚像の区別が付けられなくなっている生徒たちに本物を経験させることは大変大事なことである。

【委員】

  芸術系の大学は、個性的な人がそれぞれの価値観を認め合う中で、人間関係を学ぶことができ、心の教育が行われているといえるのではないか。

【委員】

  奨学金の返還免除に関して、卒業後、国立の美術館に勤めたら返還が免除されて、地方の美術館勤めでは免除されないというのでは説得力がなく、文化の担い手になろうと考えている人には優遇策を考えてもよいのではないか。

【委員】

  現在は大学院で借りた奨学金で、教育または研究職に就いた場合のみ返還義務免除の制度がある。何が研究職に該当するのかという問題もあるが、むしろ免除対象を廃止し、その代わり限られた数ではあっても社会に本当に必要な人材に関しては最初から渡しきりにする給費制度を充実させた方がよいのではないか。

(3)  青木保氏(政策研究大学院大学教授)より意見発表があり、その後、意見交換が行われた。

【青木保氏の意見発表の概要】
(文化の役割の増大)
  • □  東西冷戦が終わってから文化の役割の増大ということが言われている。冷戦の時代はソビエトとアメリカの東西ブロックが武力を背景に対立し、その中で全ての世界の物事が決まっていったが、冷戦終結によりたががはずれ、様々な民族紛争が表出してきた。21世紀になっても解決の糸口が見えない民族紛争なども多い。その中で、武力、軍事力ではなく、むしろ文化力により解決すべきだという議論が出ており、「ソフト・パワー」ということが提唱されている。これは、武力、軍事力の脅威で相手を押さえるのではなく、文化などの魅力をもって相対していくべきだという考えである。  そこで、文化政策が非常に重要となってくるが、実際は、文化に関わる様々な問題が現実にあるにも関わらず、文化政策が重要な問題として受け止められていない。文化を広く捉えて、様々な人間の行為、人間の価値に影響を与える要素、システムだと捉えるべきである。  その場合、文化にはハード、ソフトの両面がある。ハードな面というのは重い面という意味であり、これは、民族問題、言語問題、宗教問題など、紛争、戦争の対象となってくる。文化遺産も紛争の対象になり得、バーミヤンにおける仏像の破壊などがその例だが、文化が色々な形で存在すると、一方では非常に重要なことでも、別の立場では何ら価値がないということがある。文化遺産の重要性を教育の中で、誰が誰にどの文化遺産について教えるかということが論議されていないため、こうした対立が世界各地で起こっている。  もう一方のソフト面とは、芸術文化、伝統文化、地域文化など、生活の衣食住にまつわる文化で、比較的ソフトな面である。しかし、これも、インドネシアで調味料製造会社が豚の酵素を製造過程で使用したということで不買運動を受けたように、すぐにハードな問題に転化しうるのである。また、日韓関係において、日本のソフトカルチャーの開放に制限があるように、ソフトな文化も、実はハードな面と入り組んだ関係があるのである。  文化をハードとソフト両方の面で捉え、両者が入り組んだ関係にあるという認識を持つことが必要であり、文化という言葉を、21世紀は正面から捉える必要があるのでないか。

(文化政策の内と外、魅力ある国づくり)

  • □  そこで、内と外の文化政策が必要となってくる。  1つは対外文化政策であり、日本でも外務省や国際交流基金などが様々な施策を展開しているが、イギリスやドイツなどと比べると、まだまだ貧しいものとなっている。イギリスはブリティッシュカウンシル、ドイツはゲーテインスティテュートと、それぞれ対外文化機関を世界各国へ設置して、文化交流を展開しているのである。  例えば、スリランカのコロンボにあるブリティッシュカウンシルでは、イギリス関係の図書や情報検索システムなどの最新システムが一般開放されているとともに、講演会などが開催され、多くのスリランカの学生などが利用している。また、ゲーテインスティテュートもスリランカ独立後、50年に渡ってドイツ語教室だけでなく、様々な文化交流プログラムを展開している。  その一方、第二外国語と言える程に圧倒的な数の学生が日本語学習を希望しているにもかかわらず、日本の文化センターは設置されていない。  日本は世界一のODA大国であり、国連やユネスコに対する拠出金などの貢献も世界一であるが、それに見合うだけの存在感は決してない。世界に日本文化を発信し、文化交流の拠点となる対外文化機関の設置について、政府や民間は本気で考えるべきである。  このような対外文化戦略は重要であり、アメリカは、様々な手段により、自国の文化の魅力を伝え、自由で開放的なイメージを世界に与えている。これにより、アメリカを好意的に感じる人を世界に増やし、ひいてはアメリカに対する世界的な支持へとつながっている。大衆文化を中心としたアメリカの文化戦略は世界的に大きな力を持っているのである。  同時に、国内での文化政策の充実を考えていく必要がある。対内文化政策の充実は、対外文化政策にそのまま結びつくのである。例えば文化施設についてはハコモノ行政と批判されているが、東京都は世界の首都と比べるとハコモノがあまりにも少ないし、その内容も貧弱である。巨大な箱物が非常に効果的かつ魅力的に文化として世界の先端を行く形で運営されている、パリ、ロンドン、ニューヨークなどと比べると東京の吸引力は非常に薄いと言わざるを得ない。日本という国の持つ、文化的な魅力が背景になければ、世界に素晴らしい文化センターを作っても、大きな効果は得られないのである。  魅力的な国づくりが非常に重要であり、自然や都市の魅力、生活の充実、地域の特色、伝統などを総合的に文化として捉え、その振興を図っていかなければならない。  その意味では、成田空港は日本の文化を標示する一つの象徴であるが、外国から帰ってくると、この空港の使い勝手の悪さに文化的な差を感じずにはいられない。施設自体の整備充実だけでなく、都市へのアクセスなどを文化政策として、総合的にデザインしなければいけないが、日本は戦後の政治、行政の中でそういった配慮はなく、持てる力は非常に沢山あるのに、それが魅力的にアジア、世界に対して発信できていないのである。文化政策の中心として、魅力的な国づくり、そしてその世界への発信を行うべきである。
(アジアの現在)
  • □  現在アジアの主要都市が文化に非常に力を入れている。例えば、シンガポールでは、建国以来、経済発展を第一に、国づくりを進めてきたが、ここにきて文化をかなり重視しはじめている。よく知られているようにシンガポールでは生命科学に政府が大変力を入れており、外部から多くの研究者を高給で呼んできているが、国としての文化が充実し、魅力のある都市が形成されていなければ、一流の研究者が定着しないことに気がついたのである。  シンガポール以外でも、北京、上海、香港、ソウル、マカオなど各国の主要都市で文化が重視されてきており、文化的大競争時代が到来している。例えば、アジアの幾つかの国で同じ公演を鑑賞できるような場合、日本は物価も高く、空港のアクセスも悪い。それならシンガポールで鑑賞しようという時代になってきているのである。  日本も世界に誇れる、日本に行って文化を知りたいという気持ちを起こさせるような文化を創造するとともに、それらの文化を発信する装置を作ることが求められているのである。
【青木保氏と委員との意見交換】

【委員】

  文化は、人間の行為・価値など見えない文化、そして文化遺産などの形として表れている文化の2つに捉えることができる。ソフトパワーとしての文化が、武力、軍事力に代わる冷戦後の世界の在り方の鍵ということだが、民族紛争、宗教戦争のように人間の行為、価値など見えない文化の違いによってもたらされている憎しみ、戦いというのは解決の道があるのか。

【意見発表者】

  現在起こっている様々な紛争においては、文化の対立が背後にあるが、政治や武力や軍事的な問題の影に隠れてしまって、そこにおける文化の問題というのが、しっかりと論じられていないのである。ソフトパワーを展開するときに当然そこには異民族の文化、自分たちと異なった文化をどう取り込んでいくかという問題がでてくるが、対立が生じる前に、異文化同士が融和するシステムを文化政策に取り込みながら考えていく必要がある。

【委員】

  ブリティッシュカウンシルなどの対外文化センターが世界各地に作られているが、彼らが植民地主義を押しつけているような感覚を持たざるを得ない。日本が文化センターを世界に設置しても、民族の対立を融合し、全世界のグローバルな平和を増進させる方向にはいかないのではないか。

【意見発表者】

  植民地時代にはブリティッシュカウンシルなどは政治、経済、文化、宗務も含めて全面に渡り世界を支配するという姿勢があったと思うが、この時代の流れの中で変容してきており、そのような姿勢では受け入れられないということに気がついている。例えばイギリス文化でも、文化そのものに魅力がなければ世界に受け入れられることはない。文化の魅力を充実させながら、それによって自分たちの影響も確保していきたいと彼らは考えているのである。
  ただ日本の場合は、まずもって、日本に対する関心が強いのに、日本について発信する拠点がないのが現状なのである。
  また、民族紛争について考えた場合、スリランカの中では独力では調停もできないが、外国の文化センターであれば、ある程度客観的に議論をする場を提供できる。このような対話の場を設けることは重要であり、日本の文化センターがあればアジアの観点から対話の場の提供が可能となるのである。

【委員】

  自らの文化も大切にするが、同時に質の高い優れた文化であれば異なる文化でも受け入れていくという、文化を相対的に見る見方が根づいてきている。

【意見発表者】

  ドイツやフランスなどと経済力を比べると、日本は世界第2位で圧倒的に強いが、文化的存在感がない。国連にしてもユネスコにしても財政的な貢献はしているが、存在感は非常に薄い。

【委員】

  アジアでは日本から輸出されたものに対する信頼が実に高い。日本は外交でなく、そういった輸出したものによって高い信頼を受けており、潜在的な評価は広く行き渡っている。成田空港も施設自体の建築デザインとして見た場合は、決してヨーロッパに劣るものではないし、地方空港の水準の高さは世界に冠たるものだ。日本はもっと自信をもって自分たちの存在感を示し、良い意味での影響力を海外に対する貢献として広めていくべきである。

【意見発表者】

  グローバル時代においては、人、物、情報・文化の3つの要素がある。日本のテクノロジーの産物である物は世界中に行き渡っており、これはアジアでもヨーロッパでも非常に信頼が高い。それに反し、人については、政治家、学者も含めて個人としてはそれほどの影響力を持ちえていない。情報・文化についても、日本の情報・文化を積極的に発信していけるような機関がない。
  また、成田空港が象徴するように、個々の建物の良さはあるが、それをつなぐコミニュケーションの要素が文化として考えられていない。テクノロジーだけは良いが、それをどう人間が使うかという視点が、テクノロジー大国の日本には欠けているのである。

【委員】

  民間も政府の縦割り行政も横断し、全体としてネットワーク化していくような文化政策を考えなくてはいけない。

【意見発表者】

  文化庁がカバーする問題は非常に重要かつシリアスな問題でもあり、文化庁は文化省として、もっと権限を持つべきである。国と国との関係においても、文化交流により政治的・民族的な対立を越え、新たな関係が築かれる場合もあり、文化政策は非常に重要である。

【委員】

  日本語や日本文化を世界に紹介していく機関をもっと積極的に展開していくべきである。これは雇用機会の拡大にもつながるものである。
  また、多くの日本人が海外旅行を楽しんでいるものの、現地の日常生活に接する機会が非常に乏しいことが指摘されているが、現地の文化にもう少し接していけば、個人のレベルで日本の文化を広く世界に紹介することにもなる。

【意見発表者】

  文化についての教育が重要である。その国の人がどのように生きているのかも含め、相手の文化についての理解が観光に際しても有意義である。

【委員】

  文化というのは防衛力になるうるが、攻撃力に使うべきではない。日本のみならず、アジア諸国も含め全世界が文化交流をするこということは、ある意味で国家及び文化を防衛することであるともいえ、極めて重要である。

【意見発表者】

  文化の多様性は非常に重要であり、グローバル化と文化の多様性の関係については考えていかなければならない。イランの映画など、アメリカのソフトパワーによって目覚めさせられ、これを逆手にとって活性化している例もあり、複合的にこれらを取り込みながら自分たちの創造性を高めていくことがグローバル化時代においては益々必要なことである。

【委員】

  魅力ある国づくり、つまり文化を中心とした国づくりをしっかり行うべきである。ただ、現在の縦割りの官僚社会の中で、文化庁を文化省にしただけで、これだけの理念が実現できるのか。

【意見発表者】

  文化省にするだけでもインパクトはある。特に重要なことは、人材の育成である。日本においても文化担当官を独自に育成して、そういう人たちにある程度権限を持たせて文化を任せることが必要である。

(4)  事務局より、次回総会の日程についての説明があり、閉会した。

(文化庁政策課)

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