文化審議会
2001/09/11 議事録
平成13年9月11日(火)14時00分〜16時30分
霞が関東京會舘シルバースタールーム
高階会長、北原副会長、井出、内舘、川村、齊藤、関口、富沢、野村、藤原、黛、の各委員
銭谷文化庁次長、天野文化庁審議官、遠藤文化部長、鈴木文化財鑑査官、高塩文化庁政策課長 ほか関係者
経済面で閉塞感が強まっているが、今まさに我々は科学技術立国と同時に文化立国を唱えつつ、日本のすばらしさを世界に発信していかなければならない。技術と芸術のバランスがとれる人材育成の必要性から、感性教育をその理念として大学が設立されたが、もう一度、そこに立ち返る必要があるのではないか。そして、もう一度、日本の文化そのものであり、歴史の中で積み重ねられたものである日本人の手業、日本の感性の良さを誇りとし、世界へ伝えていくべきである。 本学には奏楽堂というシンフォニーホールと美術館がある。できるだけ広く世間の方々に観賞していただきたいと思っており、大学における地道な研究の成果を展覧会という形で社会に還元している。小学校の児童などはなかなか鑑賞に来てくれないが、そのようなことも改善していけるように情報を広く発信し、文化を伝えていかなければならないと考えている。
【委員】
ルーブル美術館では子どもたちが多数来館し、それに対して学芸員が絵の構図や技法などを学芸員が説明しており、大変感銘を受けた。しかし、日本では、学校は指導要領に沿った授業で忙しく、学校行事を減らす傾向にもあり、現実にはなかなかその実施は困難である。
【委員】
学校における音楽や美術の授業においては、鑑賞の時間を増やし、優れた芸術を理解させることの比重をもっと多くしていくべきである。一方、プロをめざす子どもに対しては別に教え方を考えていくべきである。
【委員】
小中学生に対する芸術教育は大変重要であるが、芸大の美術館では小中学生に対して作品解説などは行われているのか。
【意見発表者】
当然実施しているが、残念ながらそのような要請はあまりないというのも事実である。小さいときから芸術をはじめ、いろいろなことに触れる機会を増やしていくことは大事なことではある。幼い頃に芸事を習うということは、「習う姿勢を習う」という意味でも、また、鑑賞するための感性を養うという意味でも非常に大事なことではないかと思う。
【委員】
芸大は奨学金の滞納率が高いことでも知られている。ごく少数の、社会に認められているトップアーティストの他にも、卒業生は社会の非常に幅広い分野で活躍しているというお話をいただき、感服してもいるが、この滞納率の高さから見ると、それだけでは生活していくことができない卒業生も数多いというのも現実なのだろう。
芸術は学歴ではなく、自らの才能と実力に負うところが大きいのであり、プロの芸術家の養成が大学の究極の目的というのであれば、入学定員も絞り込み、本当に一握りのプロの育成に特化した方が一流の芸術家は育っていくのではないだろうか。
【意見発表者】
芸術家の養成は、先生対学生(弟子)だけではなく、多くの学生同士がお互い切磋琢磨する中で、自分の才能を確認し、向上していくことが必要である。芸大の授業は全員が横並びで作品を制作していくので、作品の優劣がお互い分かってしまう。その屈辱感を克服し、さらなる意欲をかき立てることができた者は強くなるのである。この、人との距離感が分かるというのは、相手の気持ちへの理解にもつながるものであり、非常に大切なことである。「心の教育」であり、感性教育といえる。このような物差しが複数あることが必要であり、中学高校からそういう教育も導入すべきである。
【委員】
優れた芸術家の養成のためには、飛び級制度の導入も必要である。そうでなければ、才能ある子どもたちは皆、海外へ出てしまう。これは我が国の文化の発展にとっても、大きな損失である。
【委員】
芸大においてはクリエイターの保護についての法律や、著作権法などの講義はなされているか。また、芸術家が若いときに安く出売却した作品がオークションを重ねるたび毎に何倍もの値が付いていくというときに、その差額の何%かがクリエーターに戻る追求権という制度を設けている国もあるが、作品を売却した芸術家に対する保護策についてお考えをお聞きしたい。
【意見発表者】
現段階では、大学として大きく取り上げてはいないが、著作権の問題は重要であり、カリキュラムの中に組み込みはじめている。また、追求権制度の創設は、なかなか難しいであろうが、社会的な制度の中に作品が適性に位置づけられることは大切である。
【委員】
電子メディア等の発達に伴う著作権の二次使用の問題なども出てきており、著作者の権利と、著作物の公正かつ広範な利用との調整について検討していく必要がある。
また、技術と芸術の関係では、複数使うことが可能な技術だと特許、意匠登録として保護され、一点制作の芸術作品は著作物として保護されるが、その中間の領域についての問題も検討すべき課題としてある。
【意見発表者】
人間は、二足歩行を始め、両手が空いたときから道具を作りはじめたが、その時より、例えば、縄文土器を見ればわかるように、プラスアルファ、つまり感性により創意工夫を加えてきた。この感性というのは重要であり、たとえ故障しない車であっても、デザインが美しくなければ名車とは言えないのである。
【委員】
大学において奏楽堂と美術館を運営されている中で、どのような面で苦労されているか。
【意見発表者】
本学の美術館は「大学の美術館」であり、大学教育という生産現場と隣り合わせである。従って、ファクトリーミュージアム的な発想であり、生産現場として見ていただけるとともに、生産したものを広く見てもらうという教育的な側面を有している。
また、本学には資料だけは豊富にあり、それらによって活力を出そうとしているが、事業予算は付いておらず、厳しい状況である。教育に効率を求めると文化も育たないし、人材も出てこないのではないかと思う。
【委員】
自分の小中学校時代を振り返ってみても、こと芸術教育、特に美術の面では教師の影響力は非常に大きいと考えられる。教師次第で芸術科目を好きになったり嫌いになったりするのではなかろうか。
【意見発表者】
私の経験から言っても教師から受ける影響は大きい。指導に熱心なあまり自分の意に沿うように作品を作り替える先生もいた。感性教育というのは答えやマニュアルがなく、最も難しいといえる。
【委員】
小学校は基本的に教員養成課程の大学を出た教師が全教科を教えている。美術や音楽などの感性に最も優れた人たちは芸大などの芸術系の大学に進学してしまうので、そういう人たちは少なくとも小学校の現場にはいない。すると、美術館としての役割は重要であり、子どもたちを指導できるキューレーターの存在が求められる。
【意見発表者】
美術館に生徒を連れてきて、キューレーターが自由に指導するということが行われれば、教育の場も広がっていく。
【委員】
一流の芸術家が小学校に行って最高の教育ができるか、というとそうではなく、芸大はあくまでプロの芸術家を育てるのであり、子どもへの指導のためには、教員養成課程における工夫が必要である。
【意見発表者】
小学校中学校のいずれにおいても本物に接するというのは大事なことである。特に、高度情報化の進展に伴うメディアの発達により、本物と虚像の区別が付けられなくなっている生徒たちに本物を経験させることは大変大事なことである。
【委員】
芸術系の大学は、個性的な人がそれぞれの価値観を認め合う中で、人間関係を学ぶことができ、心の教育が行われているといえるのではないか。
【委員】
奨学金の返還免除に関して、卒業後、国立の美術館に勤めたら返還が免除されて、地方の美術館勤めでは免除されないというのでは説得力がなく、文化の担い手になろうと考えている人には優遇策を考えてもよいのではないか。
【委員】
現在は大学院で借りた奨学金で、教育または研究職に就いた場合のみ返還義務免除の制度がある。何が研究職に該当するのかという問題もあるが、むしろ免除対象を廃止し、その代わり限られた数ではあっても社会に本当に必要な人材に関しては最初から渡しきりにする給費制度を充実させた方がよいのではないか。
(文化政策の内と外、魅力ある国づくり)
【委員】
文化は、人間の行為・価値など見えない文化、そして文化遺産などの形として表れている文化の2つに捉えることができる。ソフトパワーとしての文化が、武力、軍事力に代わる冷戦後の世界の在り方の鍵ということだが、民族紛争、宗教戦争のように人間の行為、価値など見えない文化の違いによってもたらされている憎しみ、戦いというのは解決の道があるのか。
【意見発表者】
現在起こっている様々な紛争においては、文化の対立が背後にあるが、政治や武力や軍事的な問題の影に隠れてしまって、そこにおける文化の問題というのが、しっかりと論じられていないのである。ソフトパワーを展開するときに当然そこには異民族の文化、自分たちと異なった文化をどう取り込んでいくかという問題がでてくるが、対立が生じる前に、異文化同士が融和するシステムを文化政策に取り込みながら考えていく必要がある。
【委員】
ブリティッシュカウンシルなどの対外文化センターが世界各地に作られているが、彼らが植民地主義を押しつけているような感覚を持たざるを得ない。日本が文化センターを世界に設置しても、民族の対立を融合し、全世界のグローバルな平和を増進させる方向にはいかないのではないか。
【意見発表者】
植民地時代にはブリティッシュカウンシルなどは政治、経済、文化、宗務も含めて全面に渡り世界を支配するという姿勢があったと思うが、この時代の流れの中で変容してきており、そのような姿勢では受け入れられないということに気がついている。例えばイギリス文化でも、文化そのものに魅力がなければ世界に受け入れられることはない。文化の魅力を充実させながら、それによって自分たちの影響も確保していきたいと彼らは考えているのである。
ただ日本の場合は、まずもって、日本に対する関心が強いのに、日本について発信する拠点がないのが現状なのである。
また、民族紛争について考えた場合、スリランカの中では独力では調停もできないが、外国の文化センターであれば、ある程度客観的に議論をする場を提供できる。このような対話の場を設けることは重要であり、日本の文化センターがあればアジアの観点から対話の場の提供が可能となるのである。
【委員】
自らの文化も大切にするが、同時に質の高い優れた文化であれば異なる文化でも受け入れていくという、文化を相対的に見る見方が根づいてきている。
【意見発表者】
ドイツやフランスなどと経済力を比べると、日本は世界第2位で圧倒的に強いが、文化的存在感がない。国連にしてもユネスコにしても財政的な貢献はしているが、存在感は非常に薄い。
【委員】
アジアでは日本から輸出されたものに対する信頼が実に高い。日本は外交でなく、そういった輸出したものによって高い信頼を受けており、潜在的な評価は広く行き渡っている。成田空港も施設自体の建築デザインとして見た場合は、決してヨーロッパに劣るものではないし、地方空港の水準の高さは世界に冠たるものだ。日本はもっと自信をもって自分たちの存在感を示し、良い意味での影響力を海外に対する貢献として広めていくべきである。
【意見発表者】
グローバル時代においては、人、物、情報・文化の3つの要素がある。日本のテクノロジーの産物である物は世界中に行き渡っており、これはアジアでもヨーロッパでも非常に信頼が高い。それに反し、人については、政治家、学者も含めて個人としてはそれほどの影響力を持ちえていない。情報・文化についても、日本の情報・文化を積極的に発信していけるような機関がない。
また、成田空港が象徴するように、個々の建物の良さはあるが、それをつなぐコミニュケーションの要素が文化として考えられていない。テクノロジーだけは良いが、それをどう人間が使うかという視点が、テクノロジー大国の日本には欠けているのである。
【委員】
民間も政府の縦割り行政も横断し、全体としてネットワーク化していくような文化政策を考えなくてはいけない。
【意見発表者】
文化庁がカバーする問題は非常に重要かつシリアスな問題でもあり、文化庁は文化省として、もっと権限を持つべきである。国と国との関係においても、文化交流により政治的・民族的な対立を越え、新たな関係が築かれる場合もあり、文化政策は非常に重要である。
【委員】
日本語や日本文化を世界に紹介していく機関をもっと積極的に展開していくべきである。これは雇用機会の拡大にもつながるものである。
また、多くの日本人が海外旅行を楽しんでいるものの、現地の日常生活に接する機会が非常に乏しいことが指摘されているが、現地の文化にもう少し接していけば、個人のレベルで日本の文化を広く世界に紹介することにもなる。
【意見発表者】
文化についての教育が重要である。その国の人がどのように生きているのかも含め、相手の文化についての理解が観光に際しても有意義である。
【委員】
文化というのは防衛力になるうるが、攻撃力に使うべきではない。日本のみならず、アジア諸国も含め全世界が文化交流をするこということは、ある意味で国家及び文化を防衛することであるともいえ、極めて重要である。
【意見発表者】
文化の多様性は非常に重要であり、グローバル化と文化の多様性の関係については考えていかなければならない。イランの映画など、アメリカのソフトパワーによって目覚めさせられ、これを逆手にとって活性化している例もあり、複合的にこれらを取り込みながら自分たちの創造性を高めていくことがグローバル化時代においては益々必要なことである。
【委員】
魅力ある国づくり、つまり文化を中心とした国づくりをしっかり行うべきである。ただ、現在の縦割りの官僚社会の中で、文化庁を文化省にしただけで、これだけの理念が実現できるのか。
【意見発表者】
文化省にするだけでもインパクトはある。特に重要なことは、人材の育成である。日本においても文化担当官を独自に育成して、そういう人たちにある程度権限を持たせて文化を任せることが必要である。
(文化庁政策課)