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文化審議会

2001/07/10 議事録

文化審議会第8回総会議事要旨

文化審議会第8回総会議事要旨

1.日時

平成13年7月10日(火)14時00分〜16時30分

2.場所

霞が関東京會舘ゴールドスタールーム

3.出席者

(委員)

高階会長、北原副会長、井出、岡田、川村、齊藤、関口、津田、中村、野村、藤原、黛、脇田、渡邊の各委員

(文部科学省・文化庁)

佐々木文化庁長官、銭谷文化庁次長、天野文化庁審議官、遠藤文化部長、木谷文化財部長、鈴木文化財鑑査官、高塩文化庁政策課長  ほか関係者

4.概要

(1)  事務局から,文化庁職員の人事異動についての紹介があった。

(2)  配付資料についての確認があり、前回議事要旨については、意見がある場合は1週間以内に事務局に連絡することとされた。

(3)  梅原猛氏(国際日本文化研究センター顧問)より意見発表があり、その後、意見交換が行われた。

【梅原猛氏の意見発表の概要】
(世界の行方1モダニズムからポストモダニズムへ)
  • □  世界は刻々と変化している。その変動は縦軸と横軸の双方で考察すべきであるが、時間軸としての縦軸で考えると、それはモダニズムからポストモダニズムへの文明の流れである。
      近代についての終焉を言い出したのはニーチェであったが、現代はヨーロッパに始まる近代主義が明らかに破綻してきており、近代主義を克服した新しい思想の上に世界が再構築されるべきであることに多くの人が気がつきはじめている。
      近代思想の問題は何かというと、その自然観である。自然は人間の前に対峙するものであり、自然を科学的に理解することで自然を征服し、奴隷のように扱うことができるという自然征服の文明が近代思想の根本にある。人間が自然を支配すればするほど、それは歴史の進歩であるという進歩の哲学が、近代思想の中で、イデオロギーの如何を問わず信じられてきた。
      日本の政治も田中元総理の「日本列島改造論」に象徴されるように、自然征服の思想で現在まで行われている。しかし、その結果、自然破壊、環境破壊が激しい勢いで生じてきており、人類の存続すら脅かされるような状況になってしまったのである。
      自然を征服する文明から自然と共生する文明へ、進歩中心から循環という考えかたが中心の思想へと移行していかなければ、人類は生存できないことがおおよそ理解されてきている。新しい文明は、モダニズムではなくポストモダニズムの文明となるべきである。
      近代文明を生み出した西洋においてはモダニズムの限界が理解されてきているが、近代文明を大陸から移し、大発展を遂げたアメリカにおいてはモダニズムの確信が最も強く残っており、我が国もアメリカに続いて近代文明への反省が欠如している。
(世界の行方2文明の対立)
  • □  世界の流れを横軸で捉えるならば、それは文明の対立である。国際政治学者であるS.ハンチントンは、イデオロギーの対立の時代は終わり、新たな時代は文明の対立の時代であると指摘する。確かに現実を見れば、文明の対立は世界史の大きな動きになってきており、対立が生じるから和解すべきであるという本来のハンチントンの意思を超えて、対立を増幅させる方向で歴史が進んでいる。
      しかし、西洋的な考え方からは対立という概念が出てくるが、仏教などの東洋的な思想からは和解ということが導き出されるのであり、日本は文明の和解について積極的に発言していかなければならない。
      文明同士は戦争によって争うべきではなく、それが生む文化によって競争すべきである。各文明は、その文明の中から世界に通じる優れた文化を生み出し、人類はそのような文化を共有することによって文明の対立を和らげるべきである。
(独創的な文化と伝統)
  • □  文化の創造についても、これらの世界的な縦軸と横軸の流れを受けた上で創造を行っていかなければならない時代がきている。
      ところが、明治以降の日本の文化を考えると、西洋から文化を輸入し、多少の創造性を加えただけの類似の文化の産出がそのほとんどであった。哲学者の中村元氏が「奴隷の学問をやめろ」と指摘したことは正しいのである。黒沢明や手塚治虫などが例外として世界的に大きな影響を与えたが、この100年は主として西洋の文化を輸入しつづけたのである。
      独創的な文化を生み出すには自国の伝統に深く根ざさねばならないと考える。優れた作家は自国の伝統を背負っているものである。例えば宮沢賢治は、日本のほとんどの作家が仏教を見捨てたのに対し、彼は仏教の伝統の上に立って、布教のために多くの童話を書いたのである。夏目漱石、谷崎潤一郎、哲学では西田幾多郎、和辻哲郎なども自国の伝統に根ざしているのである。
(あるべき未来の文明)
  • □  グローバリズムが進展し、アメリカを中心に画一的な文明が世界を支配しているが、各文化圏は、自らの伝統に還り、それを新しくするような文化を生み出さなければならない。そして世界に、あるべき未来の文明を告知していくべきである。文明の対立を和らげることができるのは、各文化圏が生み出した文化である。
      時代の方向はポストモダニズムを向いている。人間が自然と共存する、循環の文明が求められている。このような文明を志向するならば、芸術の質も本来変わっていくべきなのである。
      例えば、日本の文学の主流は私小説であるが、この狭い枠は破られなければならないのである。宇宙における人間の地位をあらためて顧みるような芸術が、今後日本の芸術として起こらなければならない。文学に限らず演劇や造形美術、音楽もこのような高い理想の上に立って創造されるべきである。それが日本文化の創造の道であると考える。
【梅原猛氏と委員との意見交換】

【委員】

  先生は、我が国の縄文文明を共生の文明として高く評価されているが、この優れた文明を引き継いだ日本が、なぜ現在そこから最も遠いところにあるのか。

【意見発表者】

  中国は農耕が早くから発達し、都市も整備されてきた。その一方、日本では非常に長い時期、狩猟採集の時代である縄文文明が続いた。これが日本の基礎文明である。その後、中国から1万年以上遅れて弥生時代に農耕が渡来するが、稲作は小麦農業、牧畜と違い、自然の破壊度が弱いものであった。根幹に縄文文明があり、稲作文明とマッチしながら日本文化は形作られてきたのである。神道はもともと縄文文明の自然宗教であり、諏訪の御柱、伊勢神宮の遷宮などには、縄文文明以来の自然と人間の共存という思想が表れている。
  しかし、明治時代にこのような文化では西洋に追いつけないと言うことで、西洋の文化を輸入し、近代化を図ってきた。日本には素晴らしい伝統があるのだから、これを生かした国づくりをすれば、世界からも尊敬されるはずである。これは政治家のみならず、文化人が頑張らなければならない問題である。

【委員】

  モダニズム、ポストモダニズムとよく対比されるが、一神教と多神教については、世界文明の行方の横軸と考えられるのか。

【意見発表者】

  ハンチントンの指摘は一神教に基づいており、正しいのは一つという考えかたである。これは危ういものであり、相互に善があるという、相手の立場も認める考え方でなくてはいけない。キリスト教は正義感が強いが寛容さが足りず、一方、日本人(仏教)は寛容だが、正義感に欠けるきらいがある。しかし、キリスト教でも近頃では他宗教を認めるようになってきてはいる。文明の対立を考えた場合、日本は世界を和解させる国家としての役割を担うべきである。

【委員】

  文明の対立を和らげると言う場合、伝統あるいはその上層部の文明の部分で尊重し合っていくという、いい意味での相対主義についてどのようにお考えか。

【意見発表者】

  ハンチントンの理論に影響を与えたトインビーは、文明は対立するが、その文明が新しいものを生んでいくことによって、対立ではなく文明の調和が得られるという考えを持っていたと思われる。非西洋文明を取り入れることで新しい文明が生まれると、彼は非西洋文明に期待をかけていた。これは、非西洋文化に住む人間の使命について示唆を与えるものである。

【意見発表者】

  縄文時代の宗教も、例えば法然も、人間は死ぬとあの世へ行き、そしてまた帰ってくるという無限の生命の循環という考え方が思想の根底にある。この永劫回帰の考えかたをもう一度哲学の中に生かせないかと考えている。

【委員】

  なぜ日本では文化の面で模倣から脱却した独創性が育たなかったのか。

【意見発表者】

  我が国は、明治以降、西洋に追いつき追い越すことを目標とし、近代化を進めてきた。その中で、大学教育は、創造的なものを生み出す人材よりも、西洋から輸入し、それを効率よく消化し、応用することができる人材の養成を行ってきた。厳しい競争意識と独創性への信頼のもとにこれを打破していかないと優れたものは出てこない。そのためには、大学の組織を変えていかなければならない。

【委員】

  伝統や芸能はどのような形で可能性を将来に求めるべきか。

【意見発表者】

  例えば現代に歌舞伎の新しい作品が生まれるということは、歌舞伎という芸術の命が現代によみがえり新たな作品になるということであり、これは素晴らしいことである。新しく芸術が生まれ変わることが大事である。

【委員】

  かつては自然と人間の間に、歌や俳句などが大きく介在していたが、これからの歌や俳句の役割について伺いたい。

【意見発表者】

  言葉で表現し、真実を語っていくことは非常に大事なことである。最後に勝ち抜くのは、やはりペンではないだろうか。

【意見発表者】

  今の日本では、例えば作家でも、優れた作家は女性に多い。男性は組織などに縛られているが、女性はそのようなこだわりがなく、生き生きしている。女性が活躍する時代がきているのではと感じさせられる。

【委員】

  独創的な文化は自国の伝統に深く根ざすということでは、数学はまさにそのとおりである。数学は、和算の伝統、日本人の美的感受性の鋭さ、五七五から宇宙を想像する俳句の存在など自国の伝統に深く根ざしており、その結果、世界のトップの水準にある。また、日本語は数学をするのに非常に有利である。それは、日本語は、ぼんやりとして、漠然とした言語であり、論理的に表現しにくいが、独創するには非常に便利であることによる。

【意見発表者】

  数式もそうだと思うが、美しいものが真理である。
  日本人は創造性についても潜在的な能力はあるのだが、教育に問題がある。可能性としては日本人は世界に冠たる芸術や学問を作り出すことができると考えている。

(4)  西尾珪子氏(国際日本語普及協会理事長)より意見発表があり、その後、意見交換が行われた。

【西尾珪子氏の意見発表の概要】
(海外の日本語学習者)
  • □  国際交流基金の調査では、海外における日本語学習者数の上位は、韓国、オーストラリア、中国、台湾、米国という順になる。その内、65.7%は、初等・中等教育における日本語学習者で、21.8%が大学などの高等教育で学んでいる人、12.5%は学校教育以外での学習となっている。
      最近の傾向として、オーストラリア及びアメリカから始まった初等・中等教育における日本語教育が東アジアに移り、現在アジア全体へ広がってきている。
      言語は文化であり、初等・中等教育で日本語に触れるということは、日本の理解者、日本文化の理解者がそれだけ若いうちから育成されているということである。そのため、熱心に支援を行ってきてはいるが、教員数が十分ではない。その国の初等・中等教育に従事できる教員を育成するということが大きな課題である。
      初等中等教育における日本語教育は、日本語教育の分野の近年の新たな課題であり、日本語教師の養成、教育内容の研究や教材開発が急がれている。
(国内の日本語学習者)
  • □  国内の場合、文化庁の調査では、教育機関に属して日本語を学習している人が10万人になろうとしているが、テレビ講座等のメディアを利用し、必ずしも学籍を持たずに勉強している人も多いため、実際は、この数をはるかに上回る数の人たちが日本語を必要として学んでいると考えられる。
      国内で日本語を学んでいる人の特徴は、滞在目的、学習目的、学習形態、学習地域が非常に多様化していることである。多様化の実情についておおよそ次のような要因が挙げられる。
    • 1  留学生:大戦後の賠償留学生に始まり、一般の留学生に移行。留学生受け入れ推進が図られている。
    • 2  進学予備教育の就学生:主として(財)日本語教育振興協会認定の日本語学校で学ぶ。2001年6月15日現在293校。
    • 3  技術研修生:大企業から中・小企業まで幅広い受け入れが行われている。
    • 4  定住を目的としたインドシナ難民や中国帰国者とその家族:この対応が日本定住者に対する国家的日本語研修のはしりとなった。
    • 5  日系南米人とその家族:年間平均22〜25万人滞在し、就労・就学している。
    • 6  外資系企業を中心とするビジネス関係者や外交官、実務家等:バブル崩壊後再び増加。非常に高度な日本語の学習。
    • 7  専門教育、研究者、語学教育を目的に来日する人たち。
    • 8  国際結婚の配偶者たち:農村地帯等で、土地の継承・家督の相続のため行政が関わって海外から結婚相手を連れてくるケースの増加。
    • 9  上記滞在者の子どもたち:日本語が不自由なまま、公立小・中学校に在籍。
        全国各地に在住するこのような人たちは、目的の如何に関わらず、生活上、日本語を必要としており、日本社会への適応、日本人とのコミュニケーションの成立、多文化共生というようなことを考えると、取り組まなくてはならない課題が多角的に存在しているのである。
(日本語教育と日本文化)
  • □  日本語を必要とする人、学ぼうとする人が国内外で増えているということは、言語は文化であるという私の信念から申せば、日本文化の理解者がそれだけ増えているということである。よって、単に言葉をツールとして教えればいいということではなく、言語の背景にある文化を含めて理解してもらわなければならない。
      特に、非常に細かい日常の生活文化を身につける必要性が各地で生じており、個々に対応しているのでは間に合わず、今後、国家的に取り組んでいくことが求められている。
      国内への外国人の流入は、我が国の少子化による労働人口、生産人口の減少を考え合わせると、避けては通れない問題である。こうした状況の下、あるグループには手当てができて、あるグループには手当てができていないことのないよう、省庁の壁を乗り越えた形で国家的に対応する時期に来ている。
      また、学校における日本語ができない子どもへの対応は難しく、国内の小・中・高校に在籍する外国人児童・生徒の日本語教育に関し、すべての教員に日本語教育の基礎的知識を持ってもらうことが必要であり、教員養成課程での対応が望まれる。
(日本人にとっての日本語)
  • □  芸術文化のみならず、言語も文化である。日本語というものは、今、固有文化でありながら日本人だけのものではなくなりつつある。日本文化を身につけて生きる外国人たちが増加しているということを含め、世界的な広がりの中で日本語の将来を考えていく必要がある。固有文化として日本語を継承してきた我々日本人は、ますます意識して継承し、かつ保持していかなければならない。
【西尾珪子氏と委員との意見交換】

【委員】

明治の日本人は漢文などの素養もあって、新しい言語を数多く創り出せた。日本人の日本語教育、特に漢字教育も非常に重要である。

【意見発表者】

  外国人が、日本語を身につけていく段階に変化が起こっている。例えば、日本で暮らすために支障がないように、まずは聞いてわかるということから教育している。本来、言語を体系的に学習するには読み書きが必要だが、学習には段階を持たせている。

【委員】

  少子化が進む一方で、生産人口を維持するためにわずか100年の間で人口の半分が外国人に入れ代わると言われている。その中で、日本語の構造自体が変わってしまったり、共通語として英語が非常に大きな比重を占めるようになるのではないか。

【意見発表者】

  国際化すればするほど固有文化に対し光が当たっており、民族的な問題も含め、例えば世界が英語などの一つの言語文化に合流してしまうとは考えられない。
  ただし、世界で通用する日本語というものを考えたときに、日本語の意識を変えていくことは必要である。日本人には、暗黙の了解のうちに意思疎通していたような状態があり、今までは聞き手が話し手の本意を察して会話が成り立っていたが、今後は聞き手に理解してもらいやすいように、話し手が的確で簡潔な日本語を発信するというように変わっていくことが重要になると思われる。
  また、同時に、多文化共生の時代にあっては、何かに同化していくのではなく、アイデンティティを尊重しながら多民族多文化国家を形成していくという方向で社会を形成していくべきである。日本国内でも異文化の接触があるのだということを日本人が気づいた上で外国人を受け入れていかなければならない。

【委員】

  ドイツで外国人の流入が大きな問題となったが、異文化を受け入れるということ自体がどういうことか、もっと真剣に考える必要があるのではないか。

【意見発表者】

  異文化を受け入れることの意味については、日本の社会ではまだよく認識されていない。日本人の意識が変わり、宗教も含め、異文化を許す社会を日本流につくりあげていくほかはないと考える。

【委員】

  世界で350万人が日本語を学んでいること、そして、日本語は文化であるということから、我々は日本語を通じて日本文化の輸出が行われているということを認識しなければならない。
  また、以前、言葉には情報を伝える部分(インフォメーション)と気持ちを伝える部分(アフォーダンス)があるという話を伺ったが、より文化と密接につながっているアフォーダンスの部分を重視しなければならない。

【意見発表者】

  確かにそのとおりであり、日本語を学ぶ人が日本の理解者になるということ、また、日本語の使用者が日本語で文化を発信できるのだという自意識を持つ必要がある。そのことを日本人自身が気づかないでいるということが一番の問題点である。全く無意識に使っている日本語に一つの文化としての価値を見出すこと、つまり、日本人が日本語、日本文化を意識化することから始める必要がある。

【委員】

  例えば、外国人の子どもたちを受け入れるような場合など、受け入れる子どもたちに少数者へのいたわりの心が欠けるなど、課題が多いのではないか。

【意見発表者】

  識者のシンポジウム等で、異文化適応や、多文化共存の必要性が言われているが、現実には、例えば地方の農村の日常生活の中や零細企業の生産現場など社会の末端で現実に異文化接触が起こっている。そこでは人間同士の付き合いができていて、理想的な歩みが始まっているものである。このような現場を支援することで共存の優れた事例も出てきて、全体的にもよい方向へ向かっていくと思われる。

【委員】

  日本語を大学で体系的に学んでも、日本語教師としての就職先が現状としてはあまりに少ない。

【委員】

  国家政策的に、国内あるいは国外に日本語を教える場所を確保しながら日本語教師を養成していかないと続かない。

【意見発表者】

  大学で日本語を学んだ人が、卒業後、すぐにその専門で職を得なくても、異文化の問題も含めて日本語を身につけたということは、日本語が我々の文化である以上、いつかどこかで必ず役に立つものであり、意義があるといえる。

【委員】

  ドイツでは組織的に世界に国語教育を展開しているゲーテ・インスティチュートという組織があり、国語教師の活躍の場が多い。

【意見発表者】

  ドイツ・フランスの場合には、言語体系としてドイツ語やフランス語を学んだ後に、それを教える世界的な極めて広い活躍の場があり、そこへ国家的に教師を派遣するというシステムが構築されている。日本の場合にも、国際交流基金の専門家派遣などがあるが、余り世界的な規模では行われてこなかった。大戦後の配慮として、日本語という言語を持ち出すことについては、特にアジアに対して慎重であったということが背景にあったと考える。

【委員】

  ドイツ・フランスは国家政策として国語教育の世界への展開を行っていた。これは文化としての言語という意識が強かったということであろう。我が国でもこれから国家政策として考えるべき問題である。

【委員】

  外国人に対する日本語教育と同時に、日本語教師だけではなく全教員が、言葉をもっと意識し、きれいな正しい言葉を使うようにしていくことが重要である。それが日本文化の認識、自覚にもなり、ひいては異文化を相対的に捉えることにもつながっていく。
  また、日本文化センターを日本人向けに設置し、大人も教育する必要があるのではないか。講座を開くなりして、国民総力を挙げて言葉に自覚的になるような動きをつくっていくべきである。

【意見発表者】

  日本人に対して日本語教育を行うことについては、全く賛成である。基本的には、国家政策として言語をどうとらえ、これからの21世紀の日本語なり文化の発信というものをどう考えていくかということであり、言語政策を確立することが肝要である。

【委員】

  日本語教育の問題は、外国人に日本語を教えるということだけではなくて、日本人が日本語をどう考えるか、さらには教育一般の問題でもある。

【委員】

  インターネットとか電子メディアが発達すれば、共通語が出てくるが、逆に固有語も出てくる。単にコミュニケーション、つまりインフォメーションツールであれば、共通語でもいいが、しかし、文化ということになると、それぞれの固有言語の重要性というものを認識しなければいけない。

(5)  事務局より、次回総会の日程についての説明があり、閉会した。

(文化庁政策課)

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