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文化審議会

2001/06/29 議事録

文化審議会第7回総会議事要旨

文化審議会第7回総会議事要旨

1.日時

平成13年6月29日(金)10時00分〜13時00分

2.場所

霞が関東京會舘シルバースタールーム

3.出席者

(委員)

高階会長、北原副会長、井出、内館、岡田、川村、北川、齊藤、関口、野村、藤原、森、脇田、渡邊の各委員

(文部科学省・文化庁)

池坊大臣政務官、佐々木文化庁長官、銭谷文化庁次長、林文化庁審議官、遠藤文化部長、長谷川文化財部長、鈴木文化財鑑査官、高塩文化庁政策課長  ほか関係者

4.概要

(1)  配付資料についての確認があり、前回議事要旨については、意見がある場合は1週間以内に事務局に連絡することとされた。

(2)  出口正之氏(総合研究大学院大学教授)より意見発表があり、その後、意見交換が行われた。

【出口正之氏の意見発表の概要】
(第二次ニューディールにおける芸術家雇用政策)
  • □  公共投資を中心とした財政政策が行き詰まりをみせている。高速道路の建設で見れば、近年になって開通した道路ほど利用台数が少なくなっている。また、建設業の就業人口と公的固定資本形成(公共投資)の関係を見ると、市町村レベルでは約3割と、公共投資が多い地域ほど就業人口に占める建設業の割合が高くなっている。こうした中で、従来型の公共投資は限界にきているのである。財務省の研究会でも同様の議論がなされており、結論は出されなかったものの、これからは人的投資をすべきだとの理解であった。公共投資のこのような現状を踏まえた上で、ニューディール政策について考えてみたい。
      我が国ではテネシー渓谷開発公社などの公共投資が行われた第一次ニューディールが有名だが、人的投資が行われた第二次ニューディールに注目すべき取り組みがある。社会情勢的にも第二次のほうが現代の日本に近いといえる。
      第二次ニューディールにおいて実施された人的投資とは、WPA(雇用促進事業局)による大雇用政策である。単に失業者への生活保護を行った第一次と違い、第二次は、仕事を与え、それに対する給与を支払うという形式をとったが、その中の一つとして、「フェデラル・ワン」と呼ばれる芸術家雇用政策が行われたのである。
      具体的には、美術、音楽、演劇、作家、歴史的記録調査の各プログラムが実施され、各地域においてこれらのプログラムに適格な者かどうかを審査する機関を設置し、結果として4万人の芸術家を雇用した。
    •   連邦美術プロジェクト(FAP):最盛期(1936年)には、5,300人の美術家及び関連の専門職を雇用し、1万点を超える絵画と18,000点の彫刻が制作され、学校、病院等に飾られたほか、2,500箇所の公共建築物に壁画が製作された。この影響として、地域社会にアートセンターやギャラリーができたほか、同時に行われた教育的プログラムによって、美術愛好家が増大した。
    •   連邦音楽プロジェクト(FMP):最盛期には16,000人の音楽家及び関連の専門職が雇用され、毎週およそ300万人の聴衆に5,000もの公演を行ったほか、5,500の曲が創作された。これらの活動は、地域の教育委員会や、各種の民間団体による支援と連携して行われた。
    •   連邦演劇プロジェクト(FTP):最盛期には13,000人の演劇関係者が雇用され、4年間で1,200の新作を世に出し、100人の新人劇作家を育成した。毎月1,000を超える公演を行い、そのうち78%が無料公演であった。
    •   連邦作家プロジェクト(FWP):最盛期7,000人近い作家を雇用し、公式ガイドと風土記の要素を併せ持つ「アメリカン・ガイド・シリーズ」や地域紹介のパンフレット類を作成した。
(寄付金控除制度)
  • □  米国では、雇用政策のほか、第二次ニューディール下の1935年に寄付金控除制度が出来上がり、36年より実施に移された。我が国では寄付金控除は税の「優遇」と言われるが、米国ではそのような言い方はしていない。現在、米国では年間20兆円を超す寄付がなされており、そのほとんどが個人からの寄付である。
      寄付やボランティアは「公共財への心の投票」と言え、本来課税根拠はないものである。民間部門が公共財に資金を拠出しないから政府が税として金銭を強制的に徴収し、分配するというのが、典型的な税の理論であるが、民間部門が自ら寄附をするのであれば、そこに課税する根拠はない。個人に公共財の供給を任せると偏りがでてくるというのならば、政府の支出で調整を図ればいいのである。
(議会の干渉と文化政策の難しさ)
  • □  ニューディール政策は大成功を収め、1936年の大統領選挙でルーズベルトは圧勝したが、その波に乗り増税を行ったことが大不況を招いた結果、保守派の巻き返しを受け、フェデラル・ワンはその標的にされた。WPAのハリー・ホプキンス長官は、このプロジェクトの実施にあたって「政府によって劇場プロジェクトに補助金が投ぜられたとしても、政府は検閲をしないのか、と聞かれれば、その答えはイエス(検閲しない)である。」と述べていたが、芸術家が当時の全体主義や社会主義の指導者を演劇の中で積極的に取り入れたりしたこともあって、格好の批判の材料となってしまったこともその背景にある。その結果、外国の指導者をモデル化することが禁止され、連邦演劇プロジェクトのニューヨーク市局長が更迭されるなどの事態も起きてしまった。議会はこれ以降も政府の文化支出に対して度々干渉を行っている。しかしながら、寄付金控除制度について言えば、一度もその必要性が疑われたことはない。
(現代日本への示唆)
  • □  フェデラル・ワンがもたらした、現代日本への示唆は何か。
      このプロジェクトは戦後の米国の文化産業の隆盛に大きな効果をもたらしたといえる。OrsonWells,BurtLancasterなど著名なハリウッド関係者はこの時に雇用されており、大恐慌時に一時投資家が撤退したハリウッドが1930年代に盛り返したが、ハリウッドの成長にも相当の影響を与えたと思われる。政府の報告書にも米国演劇史上非常に重要な貢献をしたということが記述されている。映画産業という新しい産業が出始める当時の状況と、ITの進展による新しいメディアの登場など、新しい技術が萌芽的に誕生している現在とは状況がよく似ているといえる。
      また、フェデラル・ワンは米国人を対象としたものではなく、米国に居住する芸術家を対象として施策が展開された。これにより多くの優れた芸術家が失業者が溢れる米国に流入したという効果は忘れてはならない。
      さらに、フェデラル・ワンは地域社会と密接に結合されて展開したため、保守派の巻き返しがあって連邦政府の支出が途絶えた後も、地域社会の支援でプロジェクトが継続された地域もあるなど、地域社会での文化の発展にも大きな効果をもたらしたと言える。
      最後に最も強調したい点は、地球が数億年かけて作り上げた化石燃料がエネルギー産業の元であるように、人類が数十年から数千年の時間をかけて作り上げた芸術文化は、文化産業・観光産業の元ということである。しかも、化石燃料は競合性を持つ私的材であるが、芸術文化は非競合的な要素が強い公共財なのである。文化政策は将来への投資であり、このようなスケールで考える必要がある。そう考えれば、現在の厳しい財政状況のもとにおいても、文化政策へ資金を拠出することが正当化されると考える。
【出口正之氏と委員との意見交換】

【委員】

  フェデラル・ワンにおいて、どのように雇用される芸術家を選定したのか。また、そこで制作される作品は商業主義的なものに流れるおそれはなかったのか。

【意見発表者】

  このプロジェクトは連邦政府の予算であったが、芸術家の認定は、各地域に専門家を置き、そこで認定を行った。芸術家の質については地域によってばらつきはあったと思われる。また、当時は大不況時であり、商業主義に流れることは雇用にもつながるものであり、決して悪いことではなかった。

【委員】

  文化や学問に政府が資金を拠出するのは是非必要であろうが、ここまで深入りすることは危険ではないのか。これらの分野はある程度民間に任せるべきであると考える。

【意見発表者】

  保守派の巻き返しの中でも議論がされた問題だが、私が強調したいのは、1930年代の社会危機を多くの国が全体主義や社会主義に流れる中にあって、自由やデモクラシーで乗り切ったのは米国だけであったということである。1989年の東欧革命の動きも芸術家から起こったものであり、芸術とデモクラシーは密接に関係しているのである。
  また、芸術家育成という意味においても、失業のリスクが高い芸術家という職業に職が与えられたという後進たちへの学習効果が、戦後の米国で多くの若者が芸術家をめざしたことに大きな影響を与えたと考えている。政府の関与は受けたくないという芸術家に無理に干渉をするものではない。

【委員】

  政府が資金・雇用機会を与えることで文化が振興するのか疑問である。貧困の中から生まれる優れた文化もあり、文化には固有の特質があると考える。

【意見発表者】

  申し上げたいのはニューディール政策では公共事業のみならず、人材育成も行われたということである。現在の不況の中で、大学においても文化や芸術よりも明らかに実学重視ムードになっている。国家を長期的に見た場合、果たしてこれでいいのかという問題提起を行いたい。

【委員】

  貧困と文化ということでは、精神的な渇望は文化芸術に必要だが、歴史的にはパトロンがあってこそ優れた文化が生まれてきたという側面もある。経済が豊かであって初めて成熟した文化が花開くのではないか。

【委員】

  芸術家を雇用する際の才能の見極めについてお話を伺いたい。

【意見発表者】

  希望した人間が誰でも雇用されたわけではないが、かといって雇用された100人が100人とも成功したわけでもない。一人のモーツァルトが生まれるためには99人の挫折した人がいるというのが芸術文化であろう。ただ、優れた芸術家が米国に流入し、芸術の中心がこの時期にヨーロッパから米国に移っており、このことにはニューディール政策による効果も大きいと思われる。

【委員】

  文化に社会的な財を移動させる場合に、政府が財を一旦集めて再分配するのが税のやり方であり、自由競争の原理のもとに民間が自らの判断で分配するのが寄附金である。我が国で寄附が広まらない理由の一つに政府が再分配する方式の方が社会的に公平・平等であるという考えが強いことがあげられる。寄附が広まれば当然税金は減るが、どちらを重視すべきとお考えか。寄附金控除を拡げると競争原理の中で、日の当たらない分野は脱落して行かざるを得ないのではないか。

【意見発表者】

  原則は、選挙によって選ばれた議会によって税金方式で行われるべきである。ただ、それだけでなく、民間の心の投票である寄附も促進されるべきと考える。いずれも最終的には公共財へ流れるのであり、寄附によって税金は減るが、ゴールは同一である。また、自分の財を公共財に転換する場合に、税として集めるよりも民間で集めるほうが公共財に流れるトータルは増えるということが実証されており、このことも一緒に考えて議論すべきである。私はすべて寄附金で行うべきと考えているわけではなく、ほんの少しでよいのでそちらの道を開くべきと考えている。ほんの少しすらないのが現状ではないか。

【委員】

  自由競争は芸術家にも必要であり、同時に、それだけでは埋もれてしまう文化にも日を当てるようにすることも必要である。官と民のバランスの取れた文化振興が重要と考える。

【委員】

  地域に対するフェデラル・ワンのその後の影響はどのようなものがあるのか。

【意見発表者】

  当時設けられたギャラリーや壁画は現在も残っている。また、作家プロジェクトについては、ガイドはその土地に愛着を持つ作家によって作り上げられたものであり、現在でも貴重な資料となっている。

【委員】

  先日、文楽の人間国宝の方が切符の売上げについて自ら頭を悩ませていたが、現代では文化芸術が効率主義に流されている。文化芸術振興のためには、教育課程の中で文化芸術を大切にする風土を育成していくことが重要であると考える。

【意見発表者】

  寄付金控除制度の中には「芸術」という言葉はなく「エデュケーショナル」という言葉に包括されているが、大切なことは、教育的な観点を増やし、文化芸術を楽しむ人を育成していくことではないか。

【委員】

  米国と我が国では寄附やボランティアに対する市民の意識が違うと考えるが、それを我が国で育てることについてどのようなお考えをお持ちか。

【意見発表者】

  知っている事実を一つ挙げれば、阪神大震災以前、ボランティアの話をすれば、日本はキリスト教国ではないからボランティアが出てくるわけがない、といわれていたということである。

【委員】

  ITの振興は非常に重要だが、文化やその成果物の公共財としての側面が誤解されたまま、ソフト不足の中で消耗財として使われてしまう危険性がある。新たに芸術家を養成したり、地道に新しいソフトをつくることに対する支援を文化政策として、ここでどう実施していくかが重要と考える。

【意見発表者】

  結局、情報化の中で何を日本が伝えるべきものとして持っているかが重要。国境が決定的な意味をなさなくなってきている中で、国家を形成するものは何かを考えていけば、それは固有の文化芸術である。これらが日本で作られ発信されることによって、様々な人材が日本を訪れ、それによりさらに活性化するという循環が生まれるのである。ここを疎かにすると、情報通信技術の発達により他の都市は栄えるが、日本はさびれてしまうことになりかねない。

【委員】

  ニューディールによる映画振興は、米国民に光と希望を与えたという意味で大きな意義があったと思う。
  現代日本は赤字の一方で大きな貯蓄もある。消費の喚起というが、モノの消費はもう十分で、文化や芸術に親しんでいくことが求められている。モノの生産だけが消費の喚起だという発想を切り替えることが必要である。

(3)  山崎正和氏(東亜大学学長)より意見発表があり、その後、意見交換が行われた。

【山崎正和氏の意見発表の概要】
(文化とは)

【意見発表者】

  文化とは何か。一番広い概念は、文化人類学者の言う文化であり、そこには人間の生活様式全てが含まれるが、価値観の上下はない。しかし、これでは文化を論ずるにあたっては広すぎるため、人間が心映えを何かの形にすることであると定義したい。この心映えというのは福祉にもつながるものであるが、福祉は人々の日常生活の豊かさを保つため、効率的に行うことが求められるものである。一方、倒れている人にとりあえず食事を与えるにしても、文化的な振る舞いとは、然るべき茶碗をお盆に乗せ、優雅な手つきで優しい言葉を掛けて渡すことだろう。文化は心映えを形にするところから始まり、茶碗や仕草、言葉が美術や舞踊や文学などの芸術文化に繋がっていくのである。

(芸術文化の有効性)

【意見発表者】

  芸術文化は国家との関係においてどのような意義があるのか。芸術文化の有効性について3点ほど申し上げたい。
  まず第一に、芸術文化の根底を支えているのは、イマジネーション(想像力)ということである。想像力は空想ではなく、私たちの回りにある現象に、ある脈絡を付け、まとめることである。
  例えば、大昔に人々が夜空を見上げたときに、星はただ星屑として散らばっていただけだが、長い間に人々はそこに秩序を見出した。それが星座である。星を把握するための基礎ができあがり、それに意味が与えられ、そこから占星術や天文学が生まれていった。こうしたことが、自然科学、科学技術を支えている力でもある。
  もう一つの例だが、かつて、飛行機を作りたいと考えたとき、人々は必ず羽ばたく鳥を思い浮かべ、似たものを作ったが、全て失敗した。しかし、想像力の転換で、万一、ルネッサンスに羽を広げて滑空する鳥を思い浮かべていれば、当時の技術と素材で十分にグライダーのような飛行機は出来ていたはずである。このように、想像力の喚起、転換、柔軟さというものが、科学技術の根底をも支えており、その想像力を養う一番良い方法が芸術文化である。芸術文化を通じて想像力を涵養することは、産業及び科学技術の発達にもつながっていくのである。
  芸術文化の有効性の第二は、私たちが物を見る時、自ずからその物と感覚のレベルで一体になるという「感情移入」という機能である。例えば、二人の力士が渾身の力を込めて互角に組んでいるのを見ていると、いつの間にかこちらも自分の拳を握っている。この「感情移入」は、物と私たちを結びつけるだけではなく、同じものを見ている人間をも結びつける。そこで相互の感情移入が共鳴現象を起こし始める。この能力が延長していくと人々に対して共感を覚えるようになる。人が痛ければ自分も痛いと感じるこの共感は、どんな説教よりも倫理的、道徳的な効果をもたらすものであり、単なる組織とか強制によらない人間の協働、共生の基盤になる。
  第三は、「感情表現」である。この表現という言葉は、しばしば誤解されるが単に漏らすということではなく、自分の中にある脈絡のないある気分、感情に対して想像力を働かせ、形にし、それを外に表していくことである。外に表していくということが、実は内側を作るということにもなるのであり、感情表現は「自己形成」と言い換えることもできる。
  このように、科学、倫理、自己形成に有効な芸術文化は、当然ながら、公的権力或いは国家が支えていく義務がある。そこには自ずと限界がなければならないが、よき国民を作るというのは、近代国家の一つの義務である。
  文化政策に政府が力を入れることは同時に人間形成を側面から支援することである。つまり、国民に対する自由を保障すると同時に、間接的に豊かな自己実現を成し遂げた国民をつくるという意味で、国家統治の観点からも意義のあることといえるのである。

(芸術文化政策を不十分にしている要因)

【意見発表者】

  長年の間、芸術文化の有効性は語られながらも、国の支援は十分ではなかった。これは日本の風土が芸術文化から遠いところにあったということである。
  その理由の一つは、明治以降の日本が工業化に力を注ぎ、経済立国を目指してきたということである。日本の科学技術は大半が西洋からの輸入技術であり、日本はその成果だけを効率よく身に付け、若干の改良を施して産業を興したのである。したがって、想像力が求められる科学技術の基礎的な段階はなおざりにされてきたといえる。これは、政府だけではなくて、企業もそうであり、一般市民ですら、効率性を求めるため、創造力を犠牲にするという思想に傾いていったのである。
  第二点目は、江戸時代における反都市文化性である。江戸に幕府を開いたこと自体が都市文化による汚染をおそれたからであるが、江戸幕府の儒教的な考え方と、農民的な暮らしが重なった結果、紳士の教養として許された能、お茶、お花などいくつかの文化のほかは、遊郭など隅の方に押し込められてしまったのである。
  第三点目は、日本社会の平等制である。歴史を通じて、西欧諸国、中国と比べると、日本は階層性が弱く貧富の差が少ない。つまり、日本にはパトロンになるような金持ちが形成されにくかったのである。第二次大戦後になると、益々平等化が進められ、個人が芸術のパトロンになることは殆どなく、企業がようやくメセナという形で芸術活動を支援したが、企業の本来の目的は利益を上げることであり、はかばかしくはなかったといえる。
  もう一つ、この平等制の弊害は、日本ではプロが育ちにくいということである。日本で芸術文化を議論すると、必ず裾野を拡げる話に収斂する。裾野を拡げることは、私は大賛成であるが、芸術文化もスポーツと同様に、裾野を広げることと頂点を目指すことは全く別のことであり、これが混同されている。これは一般の民衆の心情に負うところが大きいのであるが、特に芸術文化は個人の能力差が明確に出る世界であり、その能力差を認めることが必要である。
  第四点目は、芸術文化の種類が極めて多様であるということである。日本特有の現象であるが、江戸時代以来、一つの様式(スタイル)が生まれると、それがそのまま一つのジャンルになって固定するという不思議な性質がある。例えば、日本では能があり、そして、歌舞伎が生まれるが、西洋であれば歌舞伎が能を吸収したはずである。その結果、日本の芸術文化のメニューは膨大となり、芸術振興予算をどこに優先順位をおいて配分すべきか分からず、薄く広くということになってしまう。
  第五点目は、日本の芸術文化政策というのは、中心を持っているが、総合性を持たないということである。文化庁のみならず、他省庁でも文化政策は展開されているが、横のつながりはほとんどない。

(芸術文化の支援の在り方)

【意見発表者】

  以上、五つの理由を挙げたが、大変深刻な問題もあれば、これから意識を変えれば解決できる問題もある。芸術文化の重要性について、この機会に問題点を洗い上げ、良い方向にもう一度議論を高めていくことが大事である。
  例えば、芸術文化が多様であるという特殊事情については、民間のイニシアチブを大幅に認めることも解決方法の一つである。ある枠組みの中で認められた人物及び団体に寄付した場合は税金が控除できるという形で、お金を出す人のイニシアチブを大切にすることにより、文化の多様性に対応できる。
  税金の再配分も極めて大事であるが、個人が自分が支えるんだという愛情がこもったお金を出すということも非常に大切であり、芸術家と同じ様な愛情を持って支える小さなパトロンたちを政府が間接に支えていくということも一つの望ましい形であると考える。

【山崎正和氏と委員との意見交換】

【委員】

  日本では平等から少しでも外れると、それに対する反感が起こる。平等が決していけないということではなく、平等は大切だが、裾野を広げることと頂点を極めることは全く別であり、頂点をつくることは差別とは違うということを、教育の場で、ごく当然のこととして子どもたち教える必要がある。

【意見発表者】

  私は「不透明な平等から透明な不平等へ転換しよう」という言葉を使っている。透明というのは、ある人が特に選ばれているプロセスを明らかにするということで、功績、評価をはっきりさせた上で差を付けるということが重要である。

【委員】

  頂点の部分と裾野の部分をそれぞれどのように支援していくかについても考えなければならない。

【委員】

  江戸時代には共同性、平等性の結果としての文化が花開いて、地域文化が発展したという面もあり、頂点の文化と同時に、裾野における文化も大切にしていくことが必要である。

【意見発表者】

  地域における文化活動は非常に大切である。地域で文化活動を支える個性あるリーダーがいるということが、地域を豊かにするのであり、漠然とどの町内会も一律に支援するというのではなく、そういう人を顕彰し、支援しなければいけない。

【委員】

  頂点を伸ばそうとし、裾野を広げようとしても、今の教育の現場では学生からの反応がない。若者は、感情移入、想像力、自己形成のすべてを持ち合わせてはいるのだが。これは、むしろ大人がアンテナ、つまり教育者として教えるすべを失っているからかもしれない。

【意見発表者】

  教育の問題は重要である。総合的な社会的優位性は作るべきでないが、それぞれの分野で傑出した人材を育成する必要がある。そのために、大学においては、国民の半分が大学に進学するという現状を踏まえ、知識教育と技芸教育を明確に分けて教育を行うことも重要なのではないか。だが、教授の意識改革がなかなか進んでいないのが現状である。

【委員】

  小学校、中学校の段階で、既存のイマジネーションを単に覚えさせるという教育をしていては、新しいイマジネーションを育てることはできない。初等教育の段階での教育がかなり重要ではないか。また、例えばテレビドラマなどでは、視聴率を気にしすぎたり、あるいは国民を低く見ているのではないか。メディアが日本の文化の程度を下げている一因になっていることも考えられる。

【意見発表者】

  現在、地方公共団体において、学校教育は教育委員会の所管だが、芸術文化の行政は大体知事部局でやっている。これは、教育委員会が文化に不熱心であることに起因していると思われるが、一方で、知事部局と教育委員会の接点が極めて悪い。ここを改める必要がある。

【委員】

  前回、今時の青少年の心が荒んでいるとうことに関して、親の世代の再教育が必要ではないかという議論があったが、親たちが創造性を涵養したり、共感を覚えたりする訓練をしてきていないことに原因があるのではないか。親の再教育は極めて困難であるが、何も手を講じないわけにもいかない。いいお考えがあれば伺いたい。

【意見発表者】

  女性の参加が大きな契機になるのではないか。現在、芸術活動を見るだけでなく、支える活動に参加したいという声も聞こえており、一つの具体的な突破口になるのではないかと思う。

【委員】

  先程挙げられたこの五つは全部繋がっていて日本を特徴づけるものである。現在我々がこれらの特徴の上に立っているのは仕方がなく、これを良い方に展開させることを考えるべきである。例えば芸術の多様性も、独創性を生み出す地盤になりうるかもしれない。ネガティブなものをポジティブに作り変えていくことについてお考えがあれば伺いたい。

【意見発表者】

  地域文化に大きな貢献をした近年の団体、個人の状況を見てみると、国際性という要素が非常に強まっている。地方の末端が東京を飛び越して世界と繋がっているという状況が多方面で出てきており、それにより海外からの意見を聞いたり、改めて国内の意見に耳を傾けたりすることができる。国際性を導入するというのは一つの面白い方法であると考える。

【委員】

  教育委員会は、公平性ということには向いているが、突出した才能を育てることは十分ではなかった。また、日本の行政は受益者負担という考え方をしてきた。ある意味でお金のなさをカバーする思想だったのかもしれないが、文化・教育にとってはマイナスとなる恐れもあるのではないか。

【意見発表者】

  文化や教育、つまり国民性の涵養を考えた場合に、受益者負担という発想ではいけない。むしろ受益者というものの概念を変えて、ある人がすばらしい科学研究を行う、ある人が素晴らしい芸術的成果をあげることは、国民全体が受益することだと考えるべきである。

【委員】

  日本文化が持っている五つの壁をどうすれば良いかということが問われている。その際にネガティブなものをプラスに変えていくことが必要であると考える。あるものを受容しながら何かを作っていくことの創造性をプラスに考えるべきであるし、裾野を広げることの問題点もいろいろ指摘されたが、寄付金控除などは多くの人々の考えを生かせる分野になるのではないか。また、メニューが膨大だという多様性の問題も、多くの文化が存続しており、世界の博物館たり得るというプラス面を考えるべきである。さらに、行政の縦割りは悪いことではなく、それぞれが施策を打ち出すのは良いことである。問題は、横のつながりが悪いということであり、その方策についても検討しなければならない。

(4)  事務局より、次回総会の日程についての説明があり、閉会した。

(文化庁政策課)

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