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文化審議会

2001/04/16 議事録

文化審議会第3回総会議事要旨

文化審議会第3回総会議事要旨

1.日時

平成13年4月16日(月)12時00分〜14時00分

2.場所

霞が関東京會舘シルバースタールーム

3.出席者

(委員)

  高階会長、北原副会長、井出、内館、岡田、川村、北川、齊藤、関口、津田、遠山、乳井、野村、藤原、黛、脇田、渡邊の各委員

(文部科学省・文化庁)

  町村文部科学大臣、大野文部科学副大臣、河村文部科学副大臣、池坊大臣政務官、佐々木文化庁長官、銭谷文化庁次長、林長官官房審議官、遠藤文化部長、長谷川文化財部長、鈴木文化財鑑査官、高塩文化庁政策課長ほか関係者

4.概要

  • (1)町村文部科学大臣から、審議会に対し「文化を大切にする社会の構築について」諮問が行われ、引き続き諮問理由について説明が行われた。説明の大要は次のとおり。

      大臣就任後の最初の記者会見で述べたように、我が国は文化を充実させ、文化大国をめざすべきであるとの思いは変わらない。
      社会の急激な変化の中にあって、モノより心の大切さがいわれ、文化の重要性がますますクローズアップされてきている。また、情報化の進展に伴うグローバル化の中で、世界が特定の文化一色になってしまうのは望ましいことではなく、文化の多様性が重要である。その中で日本としても世界に文化を発信していくことが求められている。
      外国のオーケストラ指揮者と話をした際に、欧米でも日本でも鑑賞者に若い人を見ないが、これは学校で文化をきちんと位置づけていないからではないかという話が出た。学校の中で文化を大切にしていくことが重要である。文化活動をより楽しむことができる環境づくりとして、学校教育さらには生涯学習の中での文化についても考えていただきたい。また、文化の支援策に関して、国・地方・民間の役割分担について日本独自の在り方も含めて、御検討いただきたい。さらに、文化を支えるのは人であり、裾野を広くしていくための人材の育成についてもお考えいただきたい。
      今回の諮問は大きく構えたものとなっているが、文化審議会の役割は大変重要であり、十分に議論していただきたい。

  • (2)配付資料についての確認があり、前回議事要旨については、意見がある場合は1週間以内に事務局に連絡することとされた。
  • (3)事務局より、諮問についての検討事項例及び今後の審議の進め方についての説明があった。
  • (4)その後、諮問の内容について次のような意見交換が行われた。
    •   20年、30年先を見越し、長期的に日本の文化をどのようにするのかという議論と、現在の足元の文化をどう振興していくかの両方の議論が必要である。その際、文化のとらえ方について、大枠があってもいいのではないか。また、広義の文化と狭義の文化との関係についても考えることが大切。
    •   今すぐ「文化」を定義することは必要がないかもしれないが、答申の際には、何らかの整理が必要ではないか。
    •   究極の文化とは空気のようなものであり、文化を大切にしようと特別に意識しなければならないような社会は、高度な文化的社会とはいえない。文化は大切にするものではなく、そこにあるものである。
    •   科学技術と文化は対立する概念ではなく、科学技術そのものも文化である。文化の概念を整理していく必要がある。また、基本的なプランと具体的なアクションプランの両方について議論を進めていくべき。
    •   情報化と文化についても検討していくべき。また、人々の創造活動は、人間の文化的行為である「写し」と「模倣」に大きくかかわっており、そういう観点から文化の基盤としての著作権が重要。
    •   文化の中には普遍的な部分と、時代とともに変化する部分がある。また、社会と文化の関係では、社会の変化にブレーキをかける文化と、変化をリードしていく文化の双方がある。
        我が国において、一人一人が自分の生涯について自ら考え,設計し,それを実現していくための文化的風土の醸成がなされていないことについては、諮問理由における指摘どおりである。その理由としては、我が国が島国で、限られた範囲の中で物事を考える習性がついていることや大学も含めた教育機関において、例えば、受験における選択式問題などにより、枠の中で選ぶという習性がついていることなどが考えられる。
    •   「都市」中心ではなく、地域ということを考えていかなければならない。その際、「地域」が「中央」の下になるようなことがあってはならない。
    •   単に生きるためには必要ないが、人間らしく生きるために必要なのが文化ではないか。地方における祭りが危機に瀕している。新しい住民は祭りに参加したり寄付したりしない。また、地方で音楽会をやっても人が集まらない。私どもの財団では地域の地道な文化活動を顕彰しているが、こうした民間の力をより一層活用していくことが重要である。神社や仏閣の修理に対して企業が寄付を求められるが、こうしたことは国が行い、民間は地道な文化活動を支援するというように、国と民間が役割分担を考えていく必要がある。
    •   人間にとって、文化の持つ意義をどのように考えて深めていくかが重要である。これまで文化庁では、昭和63年の文化白書以来、「文化は人として生きるあかし」と定義してきているが、これと文化庁の所掌する「文化」との関係がわかりにくい面がある。英語のCultureは、1教養と2文化との二つの概念を含んでいる。つまり、Cultureとは、人間がよりよく生きるための方策であり、それが個人にとっては教養であり、社会にとっては文化といえる。文化が人間がよりよく生きるための拠り所となるためには、伝えていくべき部分と、新たに創り出す部分の双方について考えていく必要がある。
        このように、文化は人間の精神性を支える基盤であることから、文化の機能・役割について議論し、それをバックボーンとして様々な推進方策を検討していく必要がある。
    •   新聞においては、政治、社会、経済などの実用的な部分に重きがおかれており、文化は「無用の用」的なところがあるが、近年、文化に関する紙面が増えている。これは、世の中がそうしたことを求めていることの表れである。本審議会においては、この「無用の用」をどう位置づけるかという観点が必要である。
        地域社会の形成が困難という観点では、都市だけでなく、地方においても文化的な基盤が空洞化している。したがって、「過疎化と文化」についても議論する必要がある。
    •   本審議会が対象とする文化の範囲を明らかにするとともに、具体的な施策につながるような答申にする必要がある。
    •   科学と文化は切れ目がなく、純粋科学そのものも文化である。いずれも何かにすぐ役に立つという性格のものではない。本審議会においては、文芸、礼節、美しい田園、言葉なども含め、文化を広くとらえる必要がある。文化庁の予算も,芸術文化と伝統文化に偏っているのは問題である。
        また、答申を出して終わりということでなく、具体的に何ができるのかということについて、長期的なものと短期的なものに分けて考えていく必要がある。
      最終的には教育で何ができるかという問題に尽きるのではないか。真の国際人となるためには、英語ができるだけではなく、文化・教養をきちんと身につけていることが大切である。そのためには初等中等教育の段階から子どもたちに文化を植えつけていくことが必要である。
    •   松尾芭蕉の「予が風雅は、夏炉冬扇のごとし」のように、文化は単に生きていく上では必要ないのかもしれないが、何物にも代え難く価値あるものである。
        新聞、雑誌から缶茶に至るまで俳句や詩があふれており、日本は俳句・短歌の国と言える。そうしたことを外国人から言われないとなかなか気づかない。かねてから日本人は心のそばに詩をおいてきた民族だが、最近、若い人の関心は薄い。学校の授業でしっかりと俳句や詩にふれる機会を作っていくべき。
    •   自然科学など人間が創るものはすべて文化ととらえて、その上に狭義の文化が成立するものと考えている。
        祭り等の地域における伝統芸能の継承については、地域に引き受け手がいなくなっている一方、地域外で参加したいと思っている人も多い。
        文化の担い手に対する教育が重要であり、小学校段階から養成機関を作る必要がある。例えば、ロシアのバレエ学校や、フランスにある銀細工の技術者の学校のようなものが、学校教育の課外のものでもいいのでできないかと思う。
    •   地域と文化の関係には三つの側面がある。一つは、地域に文化を持ってくるということ。例えば、外からオーケストラを呼ぶことがこれに該当する。二つ目は、地域の文化を大切にするということ。例えば、地域のお祭りがこれに該当する。三つ目は、地域で文化を育てるということ。例えば、地域でオペラを育てることがこれに該当する。
    •   田舎の街や民家が次々と失われている。それらについて、周辺の環境も含めてどのように扱うのかについて議論する必要がある。このように、文化は日本の国土政策と密接な関わりを持っている。また、自然環境との関係では、技術への依存について危機感を持っており、文化論は自然環境論とも密接な関わりがある。さらに、文化の多様性については、地域の文化をどのようにとらえるかの問題がある。
        なお、行政の行う文化論は、政策と結びついてくるので、行政が文化を評価することになることに留意しなければならない。
    •   文化の問題は教育問題に尽きる。言葉の問題についても、テレビドラマにおいて、少しでも台詞の表現が難しい場面はチャンネルを変えられてしまい、視聴者に受け入れられるためには貧しい表現を使わざるを得ない。人間はそれぞれの母国語で思考するのだから、学校で国語の時間が削減されるのは問題である。
        また、古い唱歌が教科書から消えているが、伝えるべきものは伝えていかなければならない。このほか、畏怖の念を子どもたちにきちんと教えなければならない。こうしたことは関連の行政機関に実現するようにお願いしてほしい。
    •   個の確立こそ、文化的な社会の構築のために必要なことである。そのためには、自己確認をする過程としての教育が重要である。
    •   文化的アイデンティティーとしての、日本人のための日本語教育という視点が重要である。
    •   1990年代は、失われた10年といわれているが、その間、国際競争力とともに、帰属意識、絆、愛・美・真実への感動性も失ってしまった。感動がないところには文化は育たない。
        国際文化交流の面で我が国は遅れているが、広い意味での安全保障にもつながるものである。
        日本には古くから伝わる良いものが数多くあり、祖先の生活環境も大切にして残していく必要がある。
        文化の振興は民間も含め国民全体で支援すべきものであり、利益を上げた人がそれを良いものに使えるよう、税制面でも支援を行うべきである。
    •   憲法上文化が出てくるのは第25条の生存権の規定だけである。もう少し文化というものをきちんと位置づける必要があるのではないか。文化というとフランスを連想するが、フランスには中・高等学校で日本語を第1外国語としているところもあり、懐の深さを感じる。
    •   今後、国語、礼節、道徳、道の文化などが生き延びていけるのか不安である。外からの文化は自然に育っていくが、伝統的な文化を残していくためには強い思い入れが必要である。学校教育で思い入れをする人を育成していく必要がある。
  • (5)事務局より、次のような説明があった。
    • 1  できれば、年内を目途に、中間まとめか、審議のまとめのようなものをお願いしたい。
    • 2  文化の定義については、文化庁の所掌する文化に限らず、広くとらえて議論をお願いしたい。
  • (6)事務局より、次回総会の日程についての説明があり、閉会した。

(文化庁政策課)

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