教育改革フォーラム(熊本)概要



1   日   時:平成15年5月18日(日)13:30~16:00

2   会   場:ホテル日航熊本「阿蘇」

3   次   第:
   (1) 主催者挨拶       河村   建夫   文部科学副大臣
   (2) 基調講演          鳥居   泰彦   中央教育審議会会長
   (3) パネルディスカッション(敬称略・五十音順)
               コーディネーター    上野千奈美    フリーアナウンサー
    加藤   裕治 全日本自動車産業労働組合総連合会会長
    古賀   倫嗣 熊本大学教育学部教授
    高木   絹子 弁護士
    鳥居   泰彦 中央教育審議会会長

4   概   要:
(1)河村建夫文部科学副大臣挨拶
   本日は、お休みのところ教育改革フォーラムに御参加いただき、感謝申し上げる。
   冷戦が終わっても、テロにSARS(重症急性呼吸器症候群)と今日の世界情勢は、先行き不透明である。こういう時代に教育をしっかりしなければならない。小泉首相は就任直後の国会での演説で「米百俵」の話をしたが、これは米を金にかえて教育に投資したという話である。だから、自分は、小泉改革の究極は教育改革で起承転結にしなければならないと感じている。
   教育改革については、これまでもいろいろな議論をしてきたが、教育基本法の問題を真正面から取り上げたのは小渕総理のときの教育改革国民会議であり、教育を根本から見直していくには、教育基本法を見直すことが必要であるという提言があった。それを森総理が引き継いで、小泉内閣の時に、中央教育審議会に諮問をし、3月に答申をいただいた。
   教育基本法は、人格の完成を目指して、自主的精神に満ちた心身ともに健康な国民をつくるなど、大きな理念は間違ってないと思う。しかし現実には、正義、倫理、道徳観を失ったような事件が次から次へ起こっている面がある。これは、今の教育基本法は立派なことが書いてあるが、何か欠けているところがあるということであり、その回答が中教審答申の中にある。これは法律なので、次は国会の場で議論しなければならないが、そのためにはもっと国民の声を聞かなければならない。そこで、このようなフォーラムを全国5ヶ所で開催している。
   皆さんの御意見を拝聴しながら、国会で議論してもらいたいと思っているが、まず与党3党でその方向を決めてもらう必要があり、まだ最終的にまとまってないところ。早急にまとめてもらいたいと思っている。
   今日のフォーラムが、実り多いものになること、教育基本法を改正することによって、真の意味で教育がよくなり、21世紀を担う子ども達が日本人として自信と誇りをもって、意欲を持って学習に取り組むようになることを願いながら、皆さんの御協力をお願い申し上げて、開会の挨拶としたい。

(2)基調講演(鳥居泰彦中央教育審議会会長)
   教育基本法の改正についての議論を聞かれた方は多いと思うが、本体は見たことがない方も多いのではないか。教育基本法は11条からなっている小さな法律である。他の国の教育基本法は、フランスが39条、韓国が29条、イギリスが238条ある。

○教育改革について
   現行教育基本法制定の昭和22年と比較して、家庭、学校、社会と教育を取り巻く環境は大きく変化した。
   家庭については、1世帯あたりの人数が5人から2.7人になっている。また、数だけでなく、親が悪いことを指摘しても、子どもが「ぼくはそう思わない。」と反論するように、親子の関係も変わってきている。学校については、大学進学率が10%から50%へと変化している。社会については、第三次産業の就業率が64%にもなっている。第三次産業を中心にして、我が国の経済を背負っていく人たちをつくり上げていかなければならないときに、どういう教育をすればいいかを考える必要がある。
   実際の教育においては、規範意識の低下、道徳心、自律心の低下、いじめ、不登校、中途退学、学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低下など、多くの問題を抱えている。
   これらの教育問題は、日本だけの問題ではなく、諸外国でも同じであり、諸外国でも教育改革が進められている。
   イギリスでは、1980年からのサッチャー首相の教育改革において、1988年教育法ができた。サッチャーの教育改革は、現在の労働党政権にも引き継がれている。
   アメリカでは、1983年にレーガン大統領のもとで、「A Nation at Risk」という報告書が出された。
   日本でも、1984年に発足した臨時教育審議会から答申が出されている。臨教審答申には、日本の教育改革について非常に大事なことが書かれており、その路線は今でも大切に振り返ってみるべきものであると思っている。
   近年においては、平成12年12月に教育改革国民会議から報告書が出され、平成13年1月には、「21世紀教育新生プラン」、平成14年には「人間力戦略ビジョン」が文部科学省から示された。これらは単なる理念の繰り返し、羅列ではなくて、具体的に現実に何をするかについて打ち出したものであると評価している。

○教育基本法について
   教育基本法は昭和22年3月に憲法施行に先立ち公布、施行されている。教育の目的、方針、教育の機会均等や義務教育など、教育の基本理念や重要な原則について規定しており、学校教育法や社会教育法などすべての教育法規の根本法と位置づけられている。制定から56年間一度も改正されていない。

○答申の概要
   平成13年11月から平成15年3月まで約1年半をかけて、日本の教育を根本から見直し、新しい時代にふさわしく再構築する観点から審議を行い、5つの目標を立てた。5つの目標とは、「豊かな心、健やかな体」、「自己実現を目指す」、「知の世紀をリードする」、「伝統・文化、国際社会についての理解、教養」、「新しい「公共」を創造」であり、この5つを一まとめにしたものとして、「21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」という言葉でくくることにした。

○条文ごとの改正の方向
前文
     「個人の尊厳」、「人格の完成」、「平和的な国家及び社会の形成者」というような現行法の基本理念は引き続き継承すべきであり、これに「21世紀を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成」を目指す観点から、必要な理念を加えようとしている。
第1条、第2条
     「個人の自己実現と個性・能力の伸長、創造性の涵養」等の基本理念を付け加えるべきであると考えている。
   このうち、「伝統・文化の尊重」や「郷土や国を愛する心」については、ずっと前から学習指導要領で明記されていることを、もとになっている教育基本法にも書こうということである。
   「職業生活との関連」については、フランス、韓国の教育基本法では、学校の役割として、「教育」「学習の仕方」の次に書かれているものである。日本には従来そういうコンセプト(概念)はなかったが、こういう考え方も必要であると考える。
第5条(男女共学)
     男女共学が一般に広く認められていなかった56年前と現状は異なっている。50年以上昔の歴史の中で書かれたこの文章を50年も100年も引き継ぐべきではないと考えている。代わりに男女共同参画社会基本法という新しい法律の概念のもとで教育基本法を考えたい。
第6条(学校教育)
     学校の基本的な役割について、知育、徳育、体育の調和のとれた教育を行う観点などから規定する。それに加えて、大学・大学院や私立学校の役割の重要性を踏まえて規定する。また、教員が研究と修養に励み資質向上を図ることの必要性についても追加して規定する。
第7条(社会教育)
     家庭教育の役割について規定する。これは現行法制定時に議論されたが、「社会教育」の語の中に含まれるとされてしまった。
第8条(政治教育)
     自由で公正な社会の形成者として、国家・社会の諸問題の解決に主体的にかかわっていく意識、態度を涵養することが重要であることを規定する。見出しにある政治教育という語は適当ではない。
第9条(宗教教育)
     宗教に関する寛容の態度に加えて、宗教についての知識、宗教の持つ意義を尊重することが重要であり、その旨を適切に規定する。
第10条(教育行政)
     「教育は、不当な支配に服することなく」という現行の規定は引き続き規定し、加えて、国と地方公共団体の適切な役割分担を踏まえて、それぞれの責務について規定する。また、教育振興基本計画の根拠についても規定する。教育振興基本計画の中においては、確かな学力の育成、良好な教育環境や機会均等の確保、私学における教育研究の振興、就学前教育の環境改善などについて検討しようと考えている。

(3)パネルディスカッション
○教育改革の推進や教育基本法の改正について
鳥居氏)    明治初期、日本に初めて"education"という言葉が入ってきた時、それを大久保利通が「教化」と訳した。また、森有礼は「教育」と、福沢諭吉は、「能力開発」と翻訳した。今の日本に一番忘れられているのが、人間は生まれ持った能力があり、その能力を開発するという「能力開発」である。
   教育基本法の審議を通じて、戦前、戦中、戦後にたどった様々の歴史とこの問題が非常に密接にかかわっていることを経験した。一方で、未来を考えると、教育について他の国に学ぶべきこともたくさんあると思った。例えば、ロバート=フルガムの「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ」や、韓国のパク=チョンギの「幼い孫に贈る言葉」における胎教の必要性などである。表層的なところだけで教育を議論している時代はもう卒業しなければならないと思う。
   教育方法・教材・学校施設等についても新しい工夫が必要である。新しい時代のIT化の波の中で、子ども達にコンピューターを与えるだけでは、心豊かな子どもは育たない。学校運営についても、一般企業と同じくらいの考え方で考え、もっと自由に新しい時代の組織を考えるべきである。

加藤氏)    世の中は多様化したとよく言われるが、親の立場になった時に、子ども達に進ませたい道は、相変わらず、有名大学に行って有名企業に入る事である。この事を本当の意味で変えていくことが必要である。トヨタ自動車も30年前は採用時の出身大学が10数校しかなったが、ここ10年くらいは大学名を聞かなくなり、百数十校の大学から入るようになった。有名大学に行くことは必ずしも出世にはつながらない。多様性を学校の中でももっと尊重し、お互いが尊重しあえるような教育を目指してもらいたい。
   また、日本では、最近でこそ社会人入学等の仕組みが出来たものの、欧米諸国と比べて社会に出てからもう一度勉強する事が難しい。さらに、高校生の転校が難しいため、その親が単身赴任をするという事態が生まれているが、このような日本の教育システムの硬直的な面は改めていかなければならない。
   現行の教育基本法は、戦後日本が、先進国に追いつき追い越すために、平等・均質を念頭においてつくられた法律だと思う。世界中で日本の労働者が働き、現地で人を採用する時代にふさわしい、新しい教育基本法を考えていきたい。

古賀氏)    教育改革は、生涯学習体系への移行と市民分権社会の形成という二つの大きな枠組みがあると思う。
   現行の教育基本法は、学校教育と社会教育が分断されているが、今回の教育基本法の改正においては、生涯学習社会への移行という大きな枠組みの中で、学校教育と社会教育がどう向き合っていくかが問題であると考える。少し乱暴な言い方をすると、学校はスリム化し、公民館はもっと多くの機能を果たすべきというのが私の生涯学習の基本的な考え方である。
   もう一つの市民分権社会の形成であるが、平成10年に中教審が公表した「今後の地方教育行政の在り方について」の答申に基づき、学校教育や社会教育に評価の概念が導入された。評価という部分をどうみていくかを考える時に、目的、目標やねらいが保護者や地域や国民の皆さんの願いに応えるものになっているかどうかが一番の課題であると考える。
   それから、今回の答申の柱の一つの教育振興基本計画については、かつて「地域教育計画運動」ということがあったが、市民分権を考えるならば、どこで全国的・統合的な規範を持ち、どこで地域の特色ある計画にしていくのか、そのバランスが課題だと思っている。
   最後に、子ども達の危機的な状況に対して、もっと的確なとらえ方をした方がいいと考えている。心の危機はある程度反映されているが、体の危機が極めて重要である。
   今から25年ほど前の日本体育大学の調査では、日本の子ども達は「低体温・アレルギー・近視」であるという結果が出た。このような子ども達の体の変化をどうするのか。そういう意味で、今回の答申の中の「たくましい」という言葉を吟味することが求められてくると考える。

高木氏)    子どもたちに、なぜそれが悪いのか、なぜしなければならないのかということを考えさせる教育が足りないと思う。人のものを盗んではいけないとか、学校出て働くなど当然のことについて説明を求められる。
   したがって、今回の答申で、公共心などが掲げられ、このこと自体について考えていくことは必要なことだと思うが、どういうふうにそれを持つようにしていくかが難しいと思う。内心の問題へのかかわり方については、危惧と期待がある。
   また、いろいろな思いがあってもそれを言葉にできない子どもがたくさんいる。言葉にできる訓練が必要である。
   最後に、子どもたちの多様化に対応し、高等学校では特色ある学校づくりが行われているが、学校の中だけで問題をとらえているためか、特色とは何か具体的に明確でない部分がある。社会の中で、どのような人間が求められているのか共通認識を醸成し、それが学校の特色化に反映されるようにする必要がある。

○学校・家庭・地域社会の連携について
古賀氏)    小学生に必要なのは、1朝ひとりで起きること、2ひとりで飯をたけること、3相手の立場を考えて行動できることの3つを身につけさせることである。これをプログラム化した事業が福岡県庄内町が実施している生活体験学校であり、平成8年の中教審答申で紹介され、現在全国400の市町村で取り組んでいる。こういう取組に学校の協力が欠けてしまうのが全国的な傾向であるので、いかに学校が持っている機能をつなげていくかが鍵だと思う。

加藤氏)    労働組合としては、日本には年休も取らない仕事人間がまだまだ多いという点で忸怩たる思いがある。地域、家庭で子どもを育んでいくために、働いている父母がそちらで役割を果たせる時間がつくれるよう努力しなければならないと思う。
   また、家庭のような私的な部分に教育基本法では触れるべきではないという意見があるが、地域や家庭の役割は非常に大きいということを教育基本法の中でうたっておくことの必要性は非常に大きいと思う。現状では、親は、教育上の諸問題はすべて学校の問題ではないことはわかっているが、学校の中でそれを解決してほしいという気持ちが非常に強いように思われる。

鳥居氏)    最近は子どもに御神輿を担がせなくなるなど、地方の行事に子どもたちを参加させることもなくなってきている。「文化」を家や社会で教える仕掛けを改めてつくることが必要である。

○これからの学校像について
高木氏)    子どもたちが学校で居心地よく楽しく過ごすためには、目標が必要だと思うが、将来像が描けない点が非常に問題ではないかと思う。自分の成績では、大した者にはなれないし、幾らだって代わりもいるので、頑張っても仕方がないという否定的な子が増えている。そういう子ども達に多様な価値を示してあげれるようにしたい。そのために、高等学校の特色化も、職業や生きる将来の目標と結びつけるようにし、職場訪問などを充実させることが必要だと思う。

加藤氏)    産業界、例えば自動車会社でどんな仕事があるかということは一般の家庭からは見えにくい。これは、欧米と異なり、何の技能もない人を新卒で採用して、社内で育てるというのが、これまでの日本の社会のシステムであったからである。
    ただし、日本でも最近は、派遣労働等が増え、自分で専門技能を磨いており、外部労働市場が形成されかけている。この動きは加速していくだろう。
   また、親が子どもに、こういう子に育ってほしいというような一様な価値観を早くから押し付けず、いろいろなことをさせるようにすることが大切である。

古賀氏)    退学率が20%を超えていたある指導困難高校で、たばこや恐喝をやった子どもに、謹慎ではなく、ボランティアをさせたところ、地域の人から褒められ、態度が変容した例がある。無気力やフリーター対策としても、ボランティアは重要である。

鳥居氏)    これからの学校がしなければならないのは、1人格形成、2教養と知識の伝授、3学習の仕方を教える、4人生設計の支援の4つであると思う。
   人格形成については、まずは、体力づくり、精神力づくり、運動神経づくりである。家庭でも3か月は母乳で育ててほしい。また、美しい言葉を使えるようにすることもある。さらに、習慣、規律、道徳、礼儀作法、「これは悪いことだ」という規範をしっかり教えなければいけない。
   教養・知識の伝授にあたっては、時間、地球の広さ、概念(経済、政治、医学等)という3つの軸から教えることが大切である。
   学習の仕方については、日本の教育の世界では特に遅れている。他国では教育基本法に書いてあるところもある。
   人生設計の支援については、職業に貴賎の別はなく、いろいろな職業の総持ち合いで社会が成り立っているいことを教えるべきである。

○公共心について
高木氏)    公共心自体は広く持つべきであるが、主体的に持たせることが必要である。例えば、ボランティアについては、強制するのではなく、ボランティアをやろうかなと思わせる動機付けに、まず、力を注ぐべきである。
   なお、家庭教育は重要であるが、それが女性だけに責任を押し付けることにことになってはならないと思う。女性にも我が子を母乳で育てたい欲求は強いものがあるが、なかなか難しい面があり、地域との協力も必要になってくると思う。公共心や地域に対する思いも、そういう中から出てくるのではないか。

古賀氏)    「個」と「公」の問題は、平成11年の特定非営利活動促進法ができた頃から議論があった。そうした議論の中で、「個」と「公」を議論する前に、「官」と「民」と「私」という中にどうやって「新しい『公共』」を入れるかが課題であると考えている。

加藤氏)    これからの21世紀において、お上と私の間にある「公」の概念は大切である。昔は、武士道やノーブレス・オブリージュような「公」を意識した生き方があったかもしれないが、戦後の民主主義の中で、権利や自由の方が先にきて、「公」を意識しないライフスタイルが身についてしまい、その弊害が出てきている。

鳥居氏)    「官」「民」「私」のいずれとも違う「公共」というものは、日本でこの数十年否定されてきただけであって、日本にも昔からあったし、外国ではパブリックという言葉で表現されて存在しているものである。それを「新しい『公共』」という言葉で探ろうということである。

○会場からの意見
(総論)
   ・ 教育基本法は、戦後すぐにつくられたもので、今の社会実情に合ってないというが、大本の精神は今もそのときも同じではないか。教育基本法を改正するよりも、子どもたちが伸びやかに育つ社会の器づくりをするため、教育費をもっと増やすことが大事ではないか。また、伝統・文化の尊重、国を愛する心などは、教育基本法に規定して強制されて育つものではないと思う。
国・地方を問わず、これまでの教育施策が迷走を続けてきたのは、その根幹となる理念が欠落していたからだと思うので、3月の中教審答申、教育基本法の動きを高く評価する。背骨がなければ人間は立っていられない。教育とは長期的な視点に立てば、文化・伝統の継承の一側面という意味を持っているが、これまでの教育基本法で最も欠けていたのは、我が国の文化と伝統を尊重する精神の涵養であったと思う。

(公共心)
自由、権利というのは大事ではあるが、同じ共同社会に生きる人間なのだから、社会秩序を守ることも大切である。どこまでを自由とし、それ以上は秩序として明確にしたほうがよいのではないか。

(男女共同参画)
新たに規定する理念に男女共同参画社会への寄与を盛り込むなら、男女共学の規定は削除するのではなく、強化する方向で検討すべきである。

(国を愛する心)
国を愛するのは当然のことであると思うが、どんな愛し方を望んでいるのか、平和と民主主義を大切にしていくためにも十分な議論が必要である。国を愛する心という表現は、ファシズムや独裁的なイメージがあるので、人間を愛するとか、国民を愛するというふうに変えた方が望ましいのではないか。

加藤氏)    愛国心や公共は押しつけられるものではないという意見があるが、日本という民主主義国家の支え手は私達だ、法律をつくるのは私達だという感覚にならないと押しけられるという概念がどうしても出てきてしまうのではないか。イギリスでは、シャドウ・キャビネット(影の内閣)にも、国家予算がついているが、これは法律をつくるのは私達だという意識があるからである。

鳥居氏)    第2次世界大戦に突入していった背景には、いろいろなものがあるが、もっとも大きなファクター(要因)は、軍部が軍事力を使ってある種の独裁体制を引いていって、今、私達が批判せざるを得ないような歴史をつくったことにある。今、「国を愛する心」とか「新しい『公共』」を言っているのは、それを繰り返さないために必要ではないかと考えている。発想の転換をしない限り、いつまでも後ろを向いていることになる。過去を批判することは徹底してするが、新しい時代をつくろうということに尽きるのではないか。

(宗教教育)
   ・ 宗教教育の重要性と基本姿勢を明示して、心の支えとなるものを大事にしたい。
情操は宗教による感化がなければ健全なものが育まれない。一宗一派に偏るわけにはいかないが、単に各宗派の知識を教えただけでは情操は育たない。

(教員の資質向上)
教育基本法の改正とともに、教員の資質向上を特にお願いしたい。教員の基礎・基本をしっかりしてほしい。
教員の資質向上を図ることの必要性はよくわかるが、学校現場を離れての研修は全く意味がない。子どもと向き合って研修できる環境をつくってほしい。