中間報告第2章関係

◎教育基本法全般
積極的意見 消極的意見
教育基本法は制定以来、50年以上経過しており、将来の日本や子どもたちのことを考え、改正すべきである。
新しい時代にふさわしい教育基本法を考えていくのは大変良いこと。
教育基本法が制定された当時には、生涯教育の理念は存在しなかったことからも教育基本法の改正が必要。
教育基本法はよくできた法律だが、家族、地域、国、全世界とつながっている社会をとらえきれていない気がする。
国民としての責任を無視し、自国の誇りすら持てない若者を増やしていく今の教育制度は疑問であり、教育基本法の改正に賛成。
一度で完璧な教育法はできないので、何度も何度も改正すればよい。
「地域の教育の確立」「日本や地域の歴史や伝統・文化の継承」「家庭教育の確立と徳育の徹底」の3つの理念を落とし込んだ新しい教育基本法が必要。
教育基本法を改正しても教育現場の問題解決にはならないという意見もあるが、教育基本法は国家的なヴィジョンの提示であり、ヴィジョンなくしては個々の場面の対応は場当たり的なってしまう。
教育基本法は、その精神をより強める方向で見直していただきたい。
白紙から考えるのでなく、現行教育基本法を生かしつつ、戦後60年を経ての新たな理念のもと必要な事項を付加する形がよい。
「国家戦略としての教育改革」をすすめる教育基本法の改正には反対。
教育基本法の精神は決して古くなっていない。いつの時代にも通用し、世界に誇れる原理であると思う。
現行教育基本法を変えるよりも、その理念が十分に生かされるような教育改革を進めていくことが大切。
軍国主義教育の反省のもとに制定した教育基本法の精神は現在も非常に重要であり、守るべきものである。
教育基本法の改定の論議は、憲法にも関わる大きな問題であることを認識し、慎重に審議を進める必要がある。
今回の検討は、教育改革国民会議の提言を受けてのものであり、「改正ありき」の政治主導になっており、慎重な対応をしていただきたい。
教育問題等の解決及び教育基本法の理念は、第11条に基づき、法令等を整備することによって対応することが可能。教育基本法の見直しの必要はない。
今日の教育現場での多くの問題は教育基本法に原因があるとは思えない。
アメリカ型の教育をモデルとした教育基本法の改正は危険ではないか。
山積している教育問題は、教育基本法を変えれば済むことでなく、国の責任で学級定員を減らしたり、教員数を増やしたりすべき。
(その他の意見)
現行の教育基本法に盛り込まれた内容が十分に達成されたのか、達成されてない部分は何なのか、その原因はどこにあるかを審議すべきである。
世界人権宣言、国際人権規約、女子差別撤廃条約や児童の権利条約等との整合性にも留意すべき。
平和憲法、平和をのぞむ態度を大切にして審議をすすめてもらいたい。
 
◎前文
(その他の意見)
前文は新しい教育の理念を明確にした我が国の「教育宣言」の意味をもつものなので、現状のままでいいのではないか。
内容という枝葉の部分を検討する前に、前文という幹の部分を明確に示す必要があるのではないか。
改めて憲法との関連を条文上で述べる必要はない。
 
◎教育の基本理念
▼個人の自己実現と個性・能力の伸長、創造性の涵養
積極的意見 消極的意見
教育の目的が、個人の能力開発のみならず、良き国民を育成するものと認識されている点を評価。
「個性・能力」の伸長には賛成であるが、一部の子に限られないようにすべき。
競争主義の強化には反対。
できる子、できない子に分けてしまうような教育改革には反対。
(その他の意見)

極端な自由主義、個人主義を助長した欠陥を是正すべき。

 
▼社会の形成に主体的に参画する「公共」の精神、道徳心、自律心
積極的意見 消極的意見
個人的利益や享楽の追求に傾斜しがちな今日の社会的風潮の中で、「共通の社会的ルールを遵守」し、「公共に主体的に参画する意識や態度」を涵養することは、民主主義的社会の形成の上からも重要な提起。
現代社会は自分さえよければよいとの誤った個人主義がはびこっている。
  個人の自立性が重要なのは言うまでもないが、公共の福祉に寄与するという「公」の概念が抜け落ちてしまっているのではないか。
「個」と「公」の調和のとれた教育という意味において中間報告に賛成。
現在の社会は規範意識が欠落していて、個と公の区別がついていない。中間報告に賛成。
戦後50数年間、「個」を尊重しすぎるあまり、国民の「公」としての義務や責任という認識を希薄にする結果を招いた。
道徳教育を充実し、倫理観を高める教育を推進すべき。
「個」よりも「公」を重んじる方向性には反対。
「公共の精神」のような内面の自由に関することを法律に盛り込むのは適当でない。
個人が公共に仕えるようになり、個人の尊重の原則を侵すことになる恐れがあるため反対。
NPOやNGOの活動は国の働きかけよりは、国民一人一人の参加によって盛んになったと認識。国民の側が新しい公共を生み出している以上、今更国が言わなくてもよい。
(その他の意見)
現状の教育現場は厭世主義を助長させているだけなので、もっと自分は社会や共同体の中で生きているという実感を与え、その社会や共同体の為に尽くす、発展させる教育を行うべき。
「個性の尊重」と「公共への参画」は、決して対峙する関係ではないことを示す必要がある。
「公共心」は「他者を思いやる心」のように表現すれば、乱用されることもなく、いいのではないか。
 
▼日本人としてのアイデンティティ(伝統、文化の尊重、郷土や国を愛する心)と、国際性(国際社会の一員としての意識)
積極的意見 消極的意見
【全体】
世界に生きる日本人として、日本の伝統文化を尊重し、国や郷土を愛する心を持つことは大切だが、それが日本のみを愛する心、国家至上主義に陥ってはならない。
郷土や伝統を大切にすることには大いに賛成。ただし、愛国心は行き過ぎないように。
教育基本法に日本の伝統文化の尊重、愛国心、公共心などを盛り込んだものにしてほしい。
自国に誇りを持ち、自国を語れてこそ、相手の国を理解でき、公平な立場で公平な意見が言える。日本人としてのアイデンティティを育めるよう教育基本法を改正すべき。
国家の再生の鍵は教育にあり、特に、日本人のアイデンティテイの確立が大切である。
   
【伝統】
伝統・文化を受け継ぎ、日々新たに創造していく力を育むことは重要。
国際社会の中では、各国民がそれぞれの国の歴史や伝統を相互に尊敬し合い、理解を深め、協調していくことが必要。今回、国際性の視点とともに、日本人のアイデンティテイの視点が重視されているのは大きな意義がある。
   
【郷土や国を愛する心】
国を愛する心は押し付けるものではないが、育むことは必要。また、その為の良い材料を提供すべき。現在は、国を蔑む教育が行われている。
家族、郷土、母国を愛することができることは幸せなこと。この理念を持った教育基本法にしてほしい。
個人の内面に関わることを教育するのはどうかとの意見があるが、教育は強制ではなく、生きていく為に必要な知識、経験の選択肢の提示であり、何を選択し、何を得るかは最終的には個人の裁量。「国を愛する心」をはじめ、学んだことを否定する人がいるのも当然。はなから提示しないことが一番良くない。
政治思想に関係なく国民が「国を愛する心」を持つ教育は、世界の国のほとんど全てで行っている。いわゆる先進国の中で、日本のみが依然として行っていないのは問題。
【全体】
「郷土や国を愛する心」「伝統の尊重」「公共の規範意識」などの個人の内心の自由に関することを法律で規定することは問題。
国を愛する心、伝統文化を盛り込む意義が不明確であり、教育勅語への逆戻りを危惧せざるを得ない。
「日本人としてのアイデンティティ」の視点の重視は、諸国民の協和、国民協調の精神に著しく反する。
「日本人としてのアイデンティティ」を強固に持つことは、「違い」を強く意識することにつながり、かえって争いの発生を助長することになるのではないか。
   
【伝統】
守るべき伝統と、封建的差別を助長するような変革すべき伝統もある。何を尊重し、何を変革するのかの判断権は、一人一人の国民にあり、他の人も自分と同じように考えて欲しいと願うことは自由だが、強要はできない。国家であっても同様。
伝統や文化を「知り」、「理解する」ことと、「守り」、「尊重する」ことは全く意味が違う。「守るべきもの」も「変化させるべきもの」もある伝統や文化については、「尊重する」のではなく、「正しく理解することが重要」とすべき。
   
【郷土や国を愛する心】
「郷土や国を愛する心」は大切なことだと思うが、今の流れみていると、平和な世の中を維持できるのか心配。
「国を愛する心」を強調することは、国際的な視点とは全く反対の方向に向かわせる事になるのではないか。
基本的人権が保障され、安心して暮らすことができれば、「郷土や国を愛する心」は自然に芽生えてくるので、法律で規定する必要はない。

「愛する」という内心の問題を例示として取り上げることは不適切、「自らが国づくり、地域づくりの主体であるという自覚」で足りる。

(その他の意見)
グローバルに全世界の人々と平和を愛する国民に育つようにすることが大切。
「愛国心」については、「自らの属する社会・環境を愛する心」とした方が、過去の歴史のように乱用されることもなく、いいのではないか。
 
▼その他基本理念に関するもの
教育の目的は、「人格の完成」である。戦前の「人材の育成」を目的とした教育のもたらした歴史的教訓を忘れず、現行教育基本法を生かしてほしい。
前文や第1条の理念は普遍的価値があり、変える場合には、今後の社会の変化に合わせて足りないものを付け加える方向で考えるべき。
「心身ともに健康」の文言は障害者や病弱な子ども達に辛い思いをさせている。削除して、「自主的精神に充ちた国民の育成」で十分ではないか。
 
◎教育の機会均等
積極的意見 消極的意見
 
「教育を受ける機会」を「教育を受ける権利」に改めることは、行政が国民の「教育を受ける権利」を保障する責務規定がなくなるので問題。
(その他の意見)
障害児については、分離せずにインクルージョンを進めるべき。
 
◎義務教育
(その他の意見)
義務教育期間を9年とすることには賛成であるが、普通教育に限定しなくてもよいのではないか。
 
◎男女共同参画社会への寄与
積極的意見 消極的意見
男女共学の趣旨は広く浸透しているが、社会における男女共同参画は、まだ十分に実現していないので、男女共同参画社会の実現や男女平等の促進に寄与する基本理念を定めることに同感。
男女共同参画の視点を答申ではもっと強くしてほしい。
男女共学は、男女平等教育をすすめる上で不可欠。教育基本法第5条を削除するのでなく、むしろ積極的な共学推進を提言してほしい。
男女共学も別学もそれぞれ長所があることから、現行規定の維持が適当。
 
◎国・地方公共団体の責務等
(その他の意見)
国・地方公共団体における公財政支出及び税制のあり方等、公的支援の在り方を再検討すべき。
地方教育行財政(各都道府県の教育計画や生徒等の収容計画等)に対する国の調整及び指導について検討すべき。
教育の地方分権を条文上明記すべき。
 
◎学校
積極的意見 消極的意見
高等教育の視点を盛り込むことには賛成。
学校教育制度における私立学校の位置付けを明確にすべき。
私立学校の振興について盛り込むのであれば、国公立大学法人との関連性についても言及されたい。
教育基本法は大学を含めた教育の目的・基本理念を示しており、大学の役割が読み取れないことはない。
 
(その他の意見)
大学の役割について盛り込む際には、学問の自由や大学の自治との関係についても書き込んで欲しい。
学校の役割は、第一義的には知・徳・体のうち知であり、徳・体については第一義的には家庭・地域社会の中で培われるべきものである。このことを明確にした上で、学校の役割を規定すべき。
 
◎家庭教育、学校・家庭・地域社会の連携・協力
積極的意見 消極的意見
家庭の教育機能の向上が大切な問題であり、家庭教育や親の責任も教育基本法に盛り込むべき。
教育の原点は家庭であり、子どもの成長に家庭教育は欠かすことができない。さらに学校教育、そしてそれらを補うものとしての地域教育が改めて重要になってくると思う。学校教育の重要性と共に家庭教育、地域教育の重要性をうったえる改正に賛成。
家庭、学校、地域の連携について教育の基本である教育基本法に明記することが大切。
子どもの規律については、家庭教育において幼いころから小学校まで「躾」を徹底させることが肝要。
学校・家庭・地域の連携・協力も大切であるが、それぞれがそれぞれの教育機能を徹底的に果たすことがまず必要。
家庭の責任を強調すると、家庭状況による差別を生み出す原因になるのではないか
教育問題の主原因を家庭に押し付けるのは問題。
教育行政の家庭教育への介入は、困難をかかえた家庭への支援にとどめるべき。
家庭教育は私教育であり、教育基本法に家庭教育のあり方に関する条文を追加することには反対。
学校・家庭・地域の連携は、地域によって大きく事情を異にすることなので、地方分権が進む中、教育基本法に盛り込むのは適当でない。
(その他の意見)
学校教育や社会教育の場で家庭生活の必要性や生活に関する基礎的な知識や技術の教育を十分に行うことが必要。
家庭教育に関しては突っ込みが浅く、このままでは、これまで以上に青少年の教育を学校に委ねる事にならないか心配。
家庭教育の基盤を固めるためには、「親になるための教育」を重視する視点を導入する必要がある。
 
◎宗教に関する教育
「宗教的情操の涵養」は、教育の中で重視されるべきであり、このことを教育基本法の中に明示すべきである。
これまでの条文は、すべての宗教的情操、宗教一般の否定、無宗教教育又は宗教否定教育が望ましいかのように誤解されてきた。少なくとも「畏敬、仁、慈悲、愛、感謝、祈り」といったことは重要な教育内容に位置付ける必要がある。
宗教の事例と歴史を学ぶことは21世紀の日本人の不可欠な教養。また、宗教的情操の育成も人格の中核であることから欠くことができない。
宗教の考え又それぞれの特色を、せめて先進国同様に教育しないと、益々人命さえ尊重できない人々が増えることは明らかである。なお、一つの宗教に偏らない教育を行うこと、宗教の危険性などもあわせて教育することは勿論である。
「善悪」の価値基準や「生かされている」事への感謝などを教育するため、義務教育での宗教的情操教育の実施が必要。
宗教的情操を盛り込む意義が不明確。教育勅語への逆戻りを危惧せざるを得ない。
宗教的情操については内心の自由に関するものであり、法に盛り込むこと自体が問題。
一つの宗教をとり上げて教育をするのは、思想の自由に反する。様々な宗教を尊重することは、一人一人の考え、存在を大切にする人権教育に期することができるので、学校教育における宗教教育は必要ない。