(7)平山郁夫氏(東京芸術大学長)の意見陳述の概要(中央教育審議会第23回基本問題部会(平成15年1月29日)より)

     本日は、芸術・文化を中心にお話ししたい。
     
     自分は、日本文化の源流を探るため、長年シルクロードを取材してきた。このようにして日本の外に出てみると、逆に日本のことがよく分かるようになった。
     自分は昭和5年の生まれで、中学3年生のとき、勤労動員中に広島で被爆した。自分のいた中学では13名の恩師と188名の生徒が亡くなったが、自分はいろいろな偶然が重なって、長らく放射能障害に苦しんだものの、生き延びることができた。だから、「生かされている」という気持ちがある。
     その後、画家になってその体験を活かそうということで、告発的な作品を描くのではなく、平和の祈りを絵に託そうという思いから、玄奘三蔵の故事を取材して、昭和34年に、その生き様を「仏教伝来」という作品にした。当時は中国のこともシルクロードのことも知らないままに文学的幻想的に描いたが、これが画家としての出発点であった。当時、体力は落ちていたが、新聞などで評論してもらうことで、画家として何とかやっていけそうだという活力の方が優っていたのだと思う。そして、一度でいいから玄奘三蔵の歩いた道を歩いてみたいという願いを抱くようになった。
     その後、昭和36年にユネスコの美術奨学金を得てヨーロッパに留学した。ヨーロッパ留学を経験した多くの先輩たちは、ヨーロッパの近世近代の芸術文化の層の厚さに圧倒されて挫折感を味わうか、あるいは、日本的なものに没頭し、国際社会に背を向けて、日本主義に走るようになるかのどちらかであった。しかし、自分は、日本画の源流を中国に見出していたこともあり、東洋文化対ヨーロッパ文化という比較をしていた。つまり、東洋文化とは、オリエント全体(シュメール文明、メソポタミア文明、インダス文明、黄河文明など)の文化を分母とし、日本の文化を分子とするもの。一方、ヨーロッパ文化についても、ヨーロッパ全体の文化を分母とし、各国の文化を分子とするものであると捉えていた。そういう解釈をすると、日本はたしかに小さい国であるが、その文化の背景にはインド、中国はじめ様々な要素が含まれていること、また、非常に優れたものを生み出しているということを実感でき、決してヨーロッパに比べて劣っているわけでも弱いわけでもないということを感じた。
     日本文化の成り立ちについて考えると、6世紀、欽明天皇の時代に、当時の中国の進んだ文化を取り入れるべく百済の聖明王から仏教を導入したことにさかのぼると考える。以後、日本はその時々の中国の優れた文化を輸入し、これを日本のローカルな文化と融合させながら、日本の伝統を築いていった。
     その中国文化は、世界文化史上2つの金メダルを獲得していると考える。一つは漢王朝の文化であり、もう一つが唐王朝の文化である。文化というものは同じパターンを繰り返すとやせ細ってくるが、唐王朝は、漢王朝の文化を踏まえ、そこにインドの仏教文化や、それに付随して中央アジア、西アジア、ヘレニズムの文化を取り入れながら、世界文化史上でも特筆すべきユニバーサルな文化を築き上げた。これは、東アジア文化として各地に伝播していったが、日本は在来文化をすべて放棄して唐文化に染まるのではなく、例えば神仏習合とかいう形で在来文化を軸にし、己を忘れることなく、アイデンティティを保持しながら、上手に取り入れていったという歴史を有する。
     国も組織も個人も、自国の民族性を有しながら異文化に接することで大きく発展していくという原則がある。例えば、古代ローマ帝国も、ギリシア文明を軸にして、地中海のフェニキア、カルタゴの文化やゲルマン文化を折衷しながら国際性を持った文化として発展し、今日のヨーロッパ文化の基礎を築いている。このような理念は、自分の芸術の発想の原点になっている。単に技術を持つだけでなく、高い理想を掲げ、それを追求する姿勢が大切である。
     
     新しい教育には、日本人としてのバックボーンが重要であると考える。観念的に「日本人としてのアイデンティティ」「国を愛する」と言っても、その中味は何か、なぜこれらを持つべきなのかということを考えないで一方的に押しつけたのでは長続きしない。どんな考え方にも様々な歴史や背景があることに思いを至らせる必要がある。
     例えば、それぞれの家族には喜びと悲しみの歴史があり、村の小さな神社にも1本の路地にも歴史や物語がある。日本の歴史はそういったものの積み重ねであり、われわれの祖先の成功も失敗も含めた様々な事例を学びながら、日本人としての誇りを涵養することが必要である。
     誇るべき伝統や、有形無形の文化を育てていく営みには、教育的な価値がある。小さい頃の家庭でのしつけや、小学校、中学校の教育により、伝統的な文化や新しい文化、外国の文化を教え、比較させることが重要である。それが、自らの基盤となるものをはっきりさせ、それを誇りに思うことや、自国の文化や歴史に自信を持ち、大切にすること、さらに、異文化を尊敬し、理解することにつながり、ひいては、国や郷土を愛する心にもつながっていく。
     シルクロードをローマまでつなごうという発想で、タシケントに「文化のキャラバンサライ」を作り、歴史に関する展示・研究・広報センターを寄贈した。その際、自分は、その国の国旗と並べて日本国旗を掲揚してもらうようリクエストしたが、タシケントの青空に日章旗が翻るのを見て、平和と文化がやってきたことを感じた。キャラバンサライについては、パキスタンやアフガニスタンのカブールでも建設の要請があったが、シルクロードのおかげで今の自分があるので、私財をなげうってでもこの計画は進めようと考えている。
     日本国旗については反対論もあるが、国旗として認められている日章旗をいつまでも悪い悪いと言っていては永久によくならない。たしかに、自分も戦時中、日の丸の名の下に徴用された経験をもつ。しかし、それが日本の国旗である以上、トランクには日の丸を描き、日章旗を掲げることで、それを各地の人に尊敬してもらえるよう努力している。子どもたちにも、自分のふるさとを愛することの集積が日本を愛することであると言うことを伝えたい。
     
     アフガニスタンには、難民、戦争未亡人、戦災孤児が数多くいる。23年間の戦乱のため、彼らは字を読むことはできないが、武器の扱いには習熟している。今も武装解除されず、人々の心からは道徳も人間性が失われている。これをどのようにして社会復帰させるか考えたとき、第一に教育から支援したい。最近、あまりマスコミでは報じられないが、子どもや若者の人間性復活のため、日本は地道な努力を行うべきである。
     日本の若者を短期間でもアフガンやカンボジアに連れて行くと、彼らは日本がいかに恵まれた環境であるかを実感することができる。「百聞は一見に如かず」というが、映像や文字情報ではない、世界の今を知ることは大変重要である。そうすることが、困っている国を助けようという気持ちにつながる。また、わずかなお金でもたくさんの人が持ち寄れば、アフガニスタンに学校を建てて文字を教え、給食も出すことができる。これを通じて、人間性といたわりのある子どもを育てることに日本が協力できればいいと思う。
     アフガンの救援ということで講演をしたら、ある学校から文房具を幾箱も寄贈された。しかし、送料が非常に高くついてしまうので、できればお金を送ってもらい、現地で文房具を調達して、子どもたちに届けたい。NGOもこの運動に携わっているが、まだまだ物資が足りない。
     今、近代的で豊かな生活を享受しているのは地球上のわずか20%の人口に過ぎない。だから、日本はそうでない人に教育という手をさしのべられる国でありたい。
     シルクロードを実際に歩いてみると、日本文化の源流ともいうべき文化遺産が、戦乱や盗掘や自然災害によって破壊されているのを見た。これに対するため、文化財だけを修理するのではなく、生きた人間も救うという人道的な観点を取り入れたい。「文化財赤十字」という発想は、そこから生まれた。これからは、猛烈な機械力で道路を一気に整備するのではなく、広く浅くみんなが経済効果を受けられるようにするべきである。みんなが人力を持ち寄ってみんなで働けば、みんな職を持つことができ、少しずつではあるが収入を得ることができる。このような形態の協力を、より推進していきたい。
     日本人100人の人件費で、アフガニスタンだと1個師団(=約1万人)を養うことができる。これまでは貧しさのために鉄砲を持って殺し合いをしてきたが、こういう形で援助すれば、鉄砲を放棄してくれるのではないかという考え方を基本にしている。
   

 

【質疑応答】
  委員)
       日本の公教育のうち、文化・芸術教育につい御意見をいただきたい。
     
  平山学長)
       いきなり子どもたちに「文化・芸術教育」といってもよく分からないと思う。昔は情操教育というものがあった。これは進学には関係ないように思えるが、感性を磨くことや観察力は芸術のみならず科学を含め、あらゆることの基本になる。感性なくして知識だけを詰め込んでも新しい発見はない。自然を観察して絵を描くような時間も少なくなっている。絵が上手ならばその方面に行けばいいし、科学においてもその基本は「観察すること」にある。花の美しさは自然界の絶妙のバランスの上に成り立つもの。鳥や昆虫も、美しいからこそ生きていける。そのことを感覚的に観察し、平面に造形することが「絵を描く」ということ。感じることをやめたところに進歩はない。政治、経済、文化、科学、音楽のいずれの分野においても、絶妙なバランスは自然から教わるもの。そのバランスが失われたとき、枯れたり、醜くなったりする。この摂理を教育の中に取り入れることが重要である。
     
  会長)
       「仏教伝来」という作品は、物語の世界を題材にしたものか。
     
  平山学長)
       猪八戒が出てくる「西遊記」は明代の作品。実際の玄奘三蔵は、若い頃に隋朝末期の混乱に触れ、629年、混乱する民衆の精神を救うため、サンスクリット語の原典から正しい仏法を得ようとして西域に遠征し、645年に帰朝したとされる。当時、国際情勢はもちろん、言葉も宗教もよく分からない地域に、単身、無一文で赴き、無事に生還したのは、玄奘三蔵の頭脳の明晰さばかりでなく、異文化に接することで彼が人間として修行を重ねたから。彼と接した人たちはみな玄奘を応援したというし、彼自身は国禁を犯して西域に旅行した僧であるにもかかわらず、当時の皇帝が三顧の礼を尽くして迎えたといわれる。自分の「仏教伝来」は、ある意味で日本文化の恩人である玄奘の生き様を絵にしたものである。
     
  会長)
       歴史や文化を教えようとさかのぼると、必ずどこかで「神話」という壁に突き当たると思う。どこまで歴史をさかのぼるべきかについて、各国で論争になっているが。
     
  平山学長)
       子どもにとっては歴史そのものを理解するのは難しいので、物語のような形で教える方がいいかもしれない。易しいものから始め、いろいろと比較させながら、具体例をもって教えていくしかないのではないか。
     
  委員)
       今の日本の子どもたちについて御意見をいただきたい。
     
  平山学長)
       若い人の間にしらけはあるが、「このままではいけない」という思いもあるのではないか。興味があることには動くのだろうが、大人や社会が与えるものと子どもが求めるものとの間に差があるように思う。しかし、先に述べたように、アフガニスタンなどたいへんな地域に若者を連れ出すと非常に生き生きしてくる。おそらく、活躍したい思いはあるのだろうし、実際にそういう状況になったらやることはやるのであろう。現に、海外で活躍する日本人ボランティアはとても評判がいい。日本の若者は頼りなく思えてもいざというときにはやるものだという希望を持っている。