プロテオスタシスの理解と医療応用

1.目標名

プロテオスタシスの理解と医療応用

2.概要

近年のゲノム解析技術の発展に伴い、様々な疾患と遺伝子変異との関連が明らかになる一方で、未だ発症に至る分子的背景が不明な疾患が数多く存在する。多くのコホート研究の中で、疾患関連遺伝子を保有していても必ずしも疾患を発症しない事例も見つかってきており、今後の疾患研究においては、遺伝子からタンパク質への発現レベルの解析のみならず、翻訳後修飾(糖鎖付加、酸化、グリケーション等)の過程や、それ以前の翻訳制御についての理解を深めていくことが必要である。しかしながら、比較的単純な構造をとり、取り扱いが容易である核酸の研究に対し、構造に多様性があり、翻訳後修飾を受け周辺環境に応じて構造・機能を変化させるタンパク質についての研究は立ち後れている。
本研究開発目標では、タンパク質が翻訳され生成してから最終的に分解を受けるまでの過程におけるタンパク質の恒常性(プロテオスタシス)※、タンパク質が最終的に不可逆的方向へ向かう変性・凝集・分解反応や、タンパク質の機能に不可逆的な影響を及ぼす翻訳後修飾について、生化学的・構造生物学的なアプローチを用いて構造・機能相関を明らかにし、様々な疾患に至る分子背景を解明し将来的に医療シーズや健康維持に資するシーズを創出することを目指す。また、タンパク質や糖鎖研究分野のみならず、構造生物学、免疫、代謝、神経系等の基礎・臨床研究者や、分析化学、バイオインフォマティクス等の異分野からの研究者が集積し、互いの分野の強みを生かすことで、革新的で独自性の高い研究開発を推進する。

※ プロテオスタシス (proteostasis): 生体の恒常性(homeostasis)維持機能の中で、特にタンパク質(protein)に着目し、その量、品質及び局在を制御する一連の過程をいう

3.達成目標

本研究開発目標では、細胞内外のあらゆる場所に存在するタンパク質の恒常性(プロテオスタシス)に着目し、変性・凝集・分解等の動態を細胞から個体レベルで解析することで、疾患発症機構を明らかにし革新的医療の創出を目指す。具体的には、以下の3つの達成を目指す。
(1)プロテオスタシスに分子レベルで関与するタンパク質周辺環境についての理解の向上
(2)プロテオスタシスの破綻に由来する疾患の発症機構の解明
(3)プロテオスタシスが破綻する機構を標的とした疾患治療薬やバイオマーカーのシーズ開発

4.研究推進の際に見据えるべき将来の社会像

3.「達成目標」の実現を通じ、以下に挙げるような社会の実現に貢献する。
・高齢化に伴い世界的に問題となっている変性疾患、また、これまで有効な治療法が存在しなかった疾患の早期発見・治療が実現する社会
・生化学的なエビデンスに基づいた日常の生活習慣の改善により、健康長寿がさらに推進される社会

5.具体的な研究例

(1)プロテオスタシスに分子レベルで関与するタンパク質周辺環境についての理解の向上
細胞内外におけるタンパク質の揺らぎを伴う恒常性維持機構、及び変性・分解・凝集を制御する機構を、構造学的解析及び機能的解析手法を用いて解明する。具体的には以下の研究等を想定。
・タンパク質の変性・分解・凝集を制御する物理的・生化学的細胞内シグナルの解明
・核内での遺伝子発現やクロマチン制御に関連する核内タンパク質の揺らぎの評価
・タンパク質の変性・凝集や折り畳みにおける立体構造及び細胞毒性の発現機構の解明
・修飾糖鎖によるプロテオスタシスの制御機構の解明
・高解像度で構造を可視化する技術等を用いた糖タンパク質・糖鎖の立体構造解析
・生体内の細胞内外においてタンパク質の変性・凝集等が起こる初期過程及び進行過程の分子機構の解明(環境要因や位置情報、翻訳後修飾を含む)または生体における制御機構(脱凝集・分解等)の解明
・グリケーションや酸化等、非酵素的修飾が生じる分子背景や生化学的構造変化、環境因子の解明及び修飾タンパク質の機能変化の解析
・N-型糖鎖やムチン型糖鎖以外の特殊な糖鎖修飾分子がタンパク質機能に及ぼす構造・機能相関の解析及びグライコプロテオーム等の精密分析

(2)プロテオスタシスの破綻に由来する疾患の発症機構の解明
質の高い動物モデルやヒト疾患サンプルを用いて、タンパク質の恒常性が破綻し、異常な修飾を受けることや変性・凝集することと疾患との関連性を解明する。具体的には以下の研究等を想定。
・変性・凝集したタンパク質(異常タンパク質)や異常な修飾を生体内において認識し対応する機構または細胞毒性を有する分子種の同定や、毒性発現に至る分子機構の解析等による疾患発症機構の解明
・細胞表面受容体や接着因子等のタンパク質について、部位特異的な糖鎖修飾の変動や細胞表面環境における種々の複合糖質によるタンパク質生理機能の制御機構の解明及び修飾タンパク質を介した疾患発症機構の解明
・タンパク質の翻訳機構異常に基づく異常タンパク質の生成機構の解明及び当該異常タンパク質が細胞や組織、生体に影響を及ぼす分子機構の解明
・疾患組織の細胞外マトリクス領域において、様々な環境因子や生体内因子によってタンパク質が変性・凝集する過程の分子機構の解明及び組織機能の変容に至るメカニズムの解明
・ヒト疾患組織中において、位置情報を踏まえた異常タンパク質、翻訳後修飾の生化学的、構造生物学的解析及びそれらの知見に基づいた汎用性のある実験モデルの開発
・タンパク質の変性・凝集や翻訳後修飾の生化学的、分子生物学的エビデンスを踏まえた、疾患発症に至るまでの分子機構を模倣・予測できるバイオインフォマティクス手法による数理モデルの創出

(3)プロテオスタシスが破綻する機構を標的とした疾患治療薬やバイオマーカーのシーズ開発
タンパク質の恒常性が破綻し、変性・凝集・分解される機構を標的とする疾患治療薬やバイオマーカーのシーズ開発につながる研究を行う。具体的には以下の研究等を想定。
・難治性疾患や未診断疾患等に対する、プロテオスタシスに基づく診断・治療法の開発
・異常タンパク質の生成や伝播を制御(毒性発現の抑制、分解促進等)する技術の創出
・糖鎖修飾の不均一性の制御や部位特異的糖鎖構造の制御を可能とする細胞工学的、化学的技術による疾患治療法の開発

6.国内外の研究動向

近年、次世代シーケンサー(やそれを使ったリボソームプロファイリング法)、質量分析技術、クライオ電子顕微鏡、固体NMR等の技術革新が生まれており、新たな知見が蓄積され、プロテオームの世界が革新的に変わりつつある。解析・合成技術も飛躍的に発展しており、ここ数年でこれらの技術をタンパク質研究に応用することが非常に有用となってきている。

(国内動向)
我が国においては、近年、JST-ERATOにおいて「水島細胞内分解ダイナミクスプロジェクト」(平成29~令和4年度)、科研費新学術領域研究において、「天然変性タンパク質の分子認識と機能発現」(平成21~25年度)、「ユビキチンネオバイオロジー:拡大するタンパク質制御システム」(平成24~28年度)、「オートファジーの集学的研究:分子基盤から疾患まで」(平成25~29年度)、「ケモテクノロジーが拓くユビキチンニューフロンティア」(平成30~令和4年度)、「マルチモードオートファジー:多彩な経路と選択性が織り成す自己分解系の理解」(令和元~5年度)、「新生鎖の生物学」(平成26~30年度)を推進し、タンパク質の生理機能の解明、凝集・変性、修飾、分解について研究がおこなわれてきた。我が国に強みのあるタンパク質に関連した研究領域として、日本人のノーベル賞の受賞理由となったオートファジーや、ユビキチン、小胞体ストレス等がある。その他にも、小胞体での糖鎖修飾とタンパク質の折り畳みや品質管理に関連した研究など、いくつかの萌芽的なタンパク質及び糖鎖に関する、これまでの常識を覆す全く新しい基本原理が、日本人により近年発見されてきた。
また、我が国に強みのある糖鎖に関連した研究は領域として、糖鎖を合成する酵素の精製、糖鎖を合成する酵素遺伝子の同定・クローニング、がん関連糖鎖を利用したバイオマーカー研究、糖鎖を利用したイメージング技術開発などで世界的な貢献をしており、タンパク質と糖鎖の相互作用に関する知見や関連する萌芽的な研究も進展している。糖鎖研究に関して、我が国は伝統的に世界をリードしており、多数の海外との合同会議を我が国の研究者が主導して開催してきた実績があり、国際学会において我が国の複数の研究者が国際賞を受賞している。

(国外動向)
タンパク質研究に係る国際会議が数年に一度に開催され定例化されるなど、国際的に盛んに研究が行われている。
日本・米国・ドイツの3国で、プロテオスタシス研究を一つの柱に据えた、タンパク質研究の国際コンソーシアムが発足しており、2020年にはドイツで開催予定となっている。
糖鎖科学の国際動向として、2001年に創設された国際的なタンパク質科学推進団体であるHUPO (Human Proteome Organization)における、国際研究プロジェクト(HUPO Initiative)の一つである”Human Glycoproteomics Initiative”では、日本人研究者を中心的に糖タンパク質に係る研究推進・国際連携が行われている。これまで、米国、ドイツ、オランダ、フランス、中国、韓国、台湾他、各国・地域との国際合同会議が開催されている。さらに、日本・米国・欧州の3大拠点における糖鎖インフォマティクスのデータ整備・シェアを推進する糖鎖研究連合として、2018年にGlySpaceが発足した。

7.検討の経緯

「戦略目標の策定の指針」(令和元年7月科学技術・学術審議会基礎研究振興部会決定)に基づき、以下のとおり検討を行った。

1.科学研究費助成事業データベース等を用いた国内の研究動向に関する分析及び研究論文データベースの分析資料を基に、科学技術・学術政策研究所科学技術予測センターの専門家ネットワークに参画している専門家や科学技術振興機構(JST)研究開発戦略センター(CRDS)の各分野ユニット、日本医療研究開発機構(AMED)のプログラムディレクター等を対象として、注目すべき研究動向に関するアンケートを実施した。

2.上記アンケートの結果及び有識者ヒアリング等を参考にして分析を進めた結果、タンパク質が合成され、変性、分解されるまでに注目し、タンパク質が不可逆的方向へ向かう変性・凝集・分解反応や、タンパク質の機能に影響を及ぼす糖鎖修飾等の翻訳後修飾に関するさらなる知見の集積、さらに医療応用が重要であるとの認識を得て、注目すべき研究動向「タンパク質寿命に基づいた革新的医療の創出」を特定した。

3.令和元年11月に、文部科学省とAMEDは共催で、注目すべき研究動向「タンパク質寿命に基づいた革新的医療の創出」に関係する産学の有識者が一堂に会するワークショップを開催し、注目すべき国内外の動向、研究や臨床応用の方向性、研究期間中に達成すべき目標等について議論を行い、ワークショップにおける議論や有識者ヒアリング等を踏まえ、本研究開発目標を作成した。

8.閣議決定文書等における関係記載

「第5期科学技術基本計画」(平成28年1月22日閣議決定)
第3章(1)<2> i)
我が国は既に世界に先駆けて超高齢社会を迎えており、我が国の基礎科学研究を展開して医療技術の開発を推進し、その成果を活用した健康寿命の延伸を実現するとともに、医療制度の持続性を確保することが求められている。

「健康・医療戦略」(平成26年7月22日閣議決定、平成29年2月17日一部変更)
2.(1)1)
(中略)我が国の高度な科学技術を活用した各疾患の病態解明及びこれに基づく遺伝子治療等の新たな治療法の確立、ドラッグ・デリバリー・システム(DDS)及び革新的医薬品、医療機器等の開発等、将来の医薬品、医療機器等及び医療技術の実現に向けて期待の高い、新たな画期的シーズの育成に取り組む。

「未来投資戦略2017」(平成29年6月9日閣議決定)
第2 I-1.(2)iii)
生活習慣病や認知症の予兆を発見できるバイオマーカー・リスクマーカーの研究・開発を促進するとともに、開発されたバイオマーカーの有用性を検証する。また、生活習慣病や認知症の予防等の効果が期待できる医薬品等の研究・開発を進める。

9.その他

本研究開発目標に関連する施策として、国内では令和2年度戦略目標「細胞内構成因子の動態と機能」において、細胞内高次複合体の「動的構造・局在・数量」と「機能」との因果の理解を目指した解析技術基盤の創出を推進することとしており、本研究開発目標との技術連携等により効率的・効果的な研究推進のための取組が期待される。
JST-ERATO「水島細胞内分解ダイナミクスプロジェクト」(平成29~令和4年度)、科研費新学術領域研究において「ケモテクノロジーが拓くユビキチンニューフロンティア」(平成30~令和4年度)、「マルチモードオートファジー:多彩な経路と選択性が織り成す自己分解系の理解」(令和元~5年度)にてタンパク質研究が推進されており、本研究開発目標との連携等により効率的・効果的な研究推進のための取組が期待される。
また多国間での国際研究プロジェクトを含む海外の研究動向を踏まえ、必要に応じた国際連携の推進が望まれる。

お問合せ先

研究振興局基礎研究振興課
金子、濱田
03-5253-4111(内線4120)