一 ユネスコの諸事業及び改革への協力

 ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)は、昭和二十一年十一月に、教育・科学・文化の分野における国際的な協力と交流を通じて、国際平和と人類の福祉の発展を目指す国連の専門機関として設立された。我が国は、二十六年七月、独立回復に先駆けて加盟が認められ、戦後初めて国際社会へ復帰する緒を開くものとして大きな意義を有するものであった。その後我が国の経済が急速な発展を遂げ国際的地位が高まるにつれて、ユネスコの事業に対しても人的・物的な面を通じて積極的な協力を行うようになった。アジア太平洋地域教育開発計画、教育の完全普及に関するアジア太平洋地域事業計画、東南アジア地域基礎科学事業、文化遺産保存事業及びそのキャンペーン事業への支援・協力なと、特にアジア地域を中心として、ユネスコを通じ、知的・人的・財政的に多大な協力を行ってきた。また、二十三年以来の歴史を持つ各地のユネスコ協会の連合体である社団法人日本ユネスコ協会連盟やアジア地域を中心とする文化の保存・発展・相互理解を図ることを目的として四十六年に設立された財団法人ユネスコ・アジア文化センター等の民間団体も、注目すべき多くの活動を行ってきており、ユネスコ本部をはじめ各国の関係者から大きく評価されている。

 発足当初のユネスコの事業は、戦後の教育の復興や東西文化の理解に係るものが主であったが、三十年代から四十年代にかけて、多数のアフリカ新興独立国の加盟や「国連開発の十年」を契機に、途上国の開発援助のための事業が特に重視されるようになった。その後、加盟国数の増加に伴う途上国援助事業の増加や南北・東西間の対立を含む政治的な傾向、加えて放漫な行財政運営に対して、一部の国から激しいユネスコ批判が起こり、ついにはユネスコ創設の中心であった米国と英国が、それぞれ五十九年と六十年に脱退するに至った。一方、ユネスコを内部から改革すべきであるとの意見も多く、我が国を中心として、このための努力が続けられてきた。具体的には、平成二年から六年間の事業計画の指針となる第三次中期計画において、非識字の克服、地球環境問題への貢献、文化遺産の保存・修復等、人類共通の緊急の課題の解決のための事業に重点を置いており、かつて加盟国間で意見の対立が大きく米国・英国等の脱退の一因ともなった自由な報道を規制しようとする新国際情報秩序の問題は影をひそめた。さらに、我が国が各国に積極的に働き掛け、ユネスコの管理・運営の改善を図っている。

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