五 埋蔵文化財の保護

埋蔵文化財保護体制の整備

 昭和五十年の法改正以降も、各種開発事業はますます拡大し、開発事業による埋蔵文化財発掘届出件数は、五十五年には五十年の約三倍、平成二年には昭和五十年の約一〇倍の二万六、〇〇〇件となっている。このような国土の開発の進展は、様々な局面において埋蔵文化財の保護と衝突し、多くの困難な問題をもたらしたが、現在は法改正後相当な期間の経過もあり、地方公共団体における文化財保護体制の拡充や関係者の継続的な努力により、開発における文化財への配慮の必要性に対する認識は進み、調整を図るための方式も定着してきた。

 文化庁においても、史跡の買上げや先行取得に対する補助を拡充するとともに、奈良国立文化財研究所に埋蔵文化財センターを設置し、地方公共団体の埋蔵文化財担当職員の研修の充実を図った。地方公共団体においても、埋蔵文化財担当職員の充実に努め、平成三年五月現在、約四、七〇〇人と、二十年前のおよそ二〇倍に達している。

 また、埋蔵文化財の調査については、地方公共団体による「全国遺跡分布地図」の作成等が進められている。このような調査結果を総合すると、埋蔵文化財を包蔵している土地は、全国に三〇万か所以上あると考えられている。文化庁は、埋蔵文化財の調査体制の整備等について地方公共団体に対して指導するとともに、公立埋蔵文化財調査センターの建設に対し国庫補助を行い、その充実を図っており、三年度までに、四〇館を数えている。

重要な遺跡の発掘

 以上のような発掘調査の進展に伴って、重要な遺跡が次々と発見されてきた。昭和四十七年に奈良県飛鳥地方で発見された高松塚古墳とその石室の彩色壁画は、国民から大きな関心を持って迎えられるとともに、国際的視点による学際的研究の必要性を認識させた。また、五十三年には埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣の金象嵌銘文(きんぞうがんめいぶん)が解読され、古代史の認識を変えるものとして大きな話題を呼んだ。その後も、銅剣・銅鉾(ほこ)・銅鐸(たく)が多数埋納されていた荒神谷(こうじんだに)遺跡(島根県)、長屋王(ながやおう)邸跡(奈良県)出土の多量の木簡、多くの優れた副葬品を出した藤ノ木古墳(奈良県)などの貴重な遺跡や出土品の発見が相次ぎ、国民の埋蔵文化財に対する興味と関心を呼び起こした。平成元年に佐賀県で発見された、弥生時代の大規模環濠(ごう)集落である吉野ケ里(よしのがり)遺跡に、発見後数か月で一〇〇万人以上の見学者があったことも、このような国民の埋蔵文化財に対する関心の高まりを示すものであろう。

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