一 文化志向の高まりと文化行政の展開

文化志向の高まり

 昭和四十年代以降の我が国経済は、二度の石油危機を経験しながらも成長を続け、かつてない繁栄を享受するに至った。経済発展により、人々の生活水準は著しく向上し、物資的な面では恵まれた生活を送ることができるようになった。しかし、この反面、経済成長がもたらした高度産業社会の中で、都市化、環境破壊、組織の巨大化・管理強化による人間性の喪失などが進行し、人々の間には心の豊かさや精神的な充足を求める傾向が見られるようになっていった。

 また、余暇の増大や高学歴化、高齢化など、経済の成長とともに進んだ様々な社会変化は、人々のこうしたより個性的で、多様な、精神的に充実した生活を送ることへの思いを更に強くさせ、この思いが文化への強い志向となって表れていった。四十九年の文化庁の主催によるモナリザ展が一五〇万人を超える入場者を集め、大きな社会反響を呼んだのも、文化庁の企画・提供によるテレビの長寿番組「美をもとめて」が四十七年より始まったのも、人々の文化志向が高まってきたことを示す例とも言えるであろう。人々の文化志向は、その後このような芸術・文化財を鑑賞する受け身の態度にとどまらず、自ら積極的に参加し、制作し、演じ、楽しもうという「参加する文化活動」へと発展していった。

 こうした国民の間の文化志向の高まりと広がりを見て、昭和五十四年、時の大平総理大臣は国会の施政方針演説において「文化の時代」の到来を宣言したのであったが、この「文化の時代」はまた「地方の時代」とも言われ、この「地方の時代」の名の下に各地方でも伝統地方文化の発掘、継承をはじめ、様々な文化活動が活発となり、それを「まちづくり」や「むらおこし」の柱とするような動きも見られるようになった。

 また一方では国際化が大きく進み、芸術・文化の国際交流が活発となり、人々の文化活動は更に多様な広がりと深みを増して今日に至っている。

文化行政の展開

 昭和四十三年六月、文部省内部部局の文化局と外局の文化財保護委員会が統合され、文部省の外局として文化庁が創設された。文化庁の創設は、今述べたような文化志向の高まりに対応し、文化行政を総合的・一体的に進める上で、大きな意義を持つものであった。文化庁は、本来人々の自発的・創造的な営みである文化活動を側面から支援することを基本的役割として政策を展開していったが、その具体的な方向は、中央教育審議会や各種懇談会において検討され、示された。その主なものを挙げると、四十九年五月の中央教育審議会の「教育・学術・文化における国際交流について」の答申、五十二年三月の文化行政長期総合計画懇談会によるまとめ、五十四年六月の中央教育審議会による「地域社会と文化について」の答申、五十五年七月の大平総理大臣の政策研究会であった文化の時代研究グループによる「文化の時代」報告書、六十一年七月の民間芸術活動の振興に関する検討会議による「芸術活動振興のための新たな方途」と題するまとめ、竹下総理大臣から検討の要請を受け、各般にわたる提言が政府全体の「国際文化交流行動計画」として結実した、国際文化交流に関する懇談会の平成元年五月の報告書などである。いずれもその時々の文化振興上の課題について検討し新たな提言を行ったもので、こうした提言に沿って、文化庁は1)芸術文化活動への奨励援助、2)国民の文化活動の機会の拡充、3)国語施策、著作権施策及び宗務行政の推進、4)文化財の保存と活用、5)国際文化交流の推進等様々な施策を展開し、その内容についても逐年充実を図ってきている。

 この間、芸術文化の分野においては、昭和四十一年に古典芸能の保存継承のための国立劇場の設置主体として発足した特殊法人国立劇場が、逐次劇場施設を拡充するとともに、平成元年には現代舞台芸術のための第二国立劇場(仮称)の設置主体となり、さらに二年には、広く芸術文化活動を助成する芸術文化振興基金の運用主体となる(特殊法人日本芸術文化振興会に名称変更)ことにより、芸術文化の振興に関する事業を強力に行う機関の一つが実現するなどの動きがあった。

 また、文化財保護の分野においては、昭和四十年代になって、各種開発事業の急速な進展や生活様式の変化等により、文化財の保護を強化する必要があるとの認識が高まり、埋蔵文化財の保護の強化をはじめ民俗文化財や伝統的建造物群の保護制度の整備等を柱とする文化財保護法の一部改正を五十年に行うなどの進展が見られた。

 このような文化についての施策の進展につれて、四十三年の文化庁の発足以来初めて一〇〇億円の大台に乗った文化庁の予算額は、四十七年度の一一三億円から平成四年度の四九六億円へと大きく増加したが、国の一般会計予算に占める比率、文部省の一般会計予算に占める比率は依然低く、欧米諸国の文化予算に比べてもまだまだ少ない状況であると指摘されている。

 文化庁は、昭和六十三年に創立二〇周年を迎え、これを機会に、これまでの我が国の文化と文化行政を振り返るとともに、現状を把握し、将来を展望することを目指して、「文化白書」とも言うべき「我が国の文化と文化行政」を刊行した。

 地方公共団体においては、五十年代に入り、すべての都道府県に文化行政担当の課が設置され、芸術文化担当の係などが設けられるようになるとともに、埋蔵文化財担当専門職員が急増し、さらに、公立文化会館や公立美術館、公立歴史民俗資料館の建設も盛んに行われた。また、芸術文化関係予算も大幅に増加した。

 このような中にあって、文化庁も、国民が参加する文化活動の推進を施策の重点に加えるようになった。特に、六十一年には、全国的な観点から国民の文化活動への参加の機運を醸成し、その奨励を図るため国民文化祭を発足させた。

 文化勲章、文化功労者、紫綬(じゅ)褒章に加え、五十八年からは、多年にわたり地域の文化振興に功績のあった個人及び団体に対してその功績をたたえるための地域文化功労者表彰制度が、平成元年からは文化活動に優れた成果を示し、我が国文化の振興に貢献した人に対してその功績をたたえる文化庁長官表彰制度が始められ、年々各地域、各分野から多彩な被表彰者を見ている。

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