四 青少年教育施設の整備

国立オリンピック記念青少年総合センターの再出発

 国立オリンピック記念青少年総合センターは、東京で開催された第一八回オリンピック競技大会を記念し、健全な青少年の育成を図ることを目的として、同競技大会の選手村の施設、敷地を用いて昭和四十年に特殊法人として発足した。その後、同センターは、五十二年に体育局から社会教育局に移管され、さらに、全国的に整備が進んできていた国公立の青少年教育施設の中核的施設として、青少年教育指導者の研修や青少年教育に関する調査研究・情報提供を推進する必要性が高まる一方、行政改革の観点から特殊法人の整理合理化が求められる中で、五十五年五月、文部省直轄の社会教育施設に改められた。

 同センターは、これまで青少年関係者に対する研修、青少年教育に関する施設及び団体との連絡・協力、青少年教育に関する専門的な調査研究、情報の提供等の事業を行ってきているが、建造以来相当の年月を経過し、その施設機能の低下が指摘されていたため、二十一世紀における青少年教育の総合センターとしての整備を目指して、平成三年度から改築整備に着手した。

青年の家の整備

 青年の家は、集団宿泊生活と多様な研修プログラムを通じて健全な青年の育成を図ることを目的とした社会教育の機関である。

 文部省は、地方公共団体が設置する公立青年の家の整備費に対し、昭和三十三年度から補助してきた。以来、かなりの公立青年の家の整備を見たが、当初の施設はその規模が小さく、利用団体の大型化の傾向にこたえられない面も生じ、施設の老朽化も見られるので、その後これらの増改築も進められている。公立青年の家の施設数は、四十六年では宿泊型が一八九施設、非宿泊型(いわゆる都市型)が七六施設であったが、平成二年度には、宿泊型が二五四施設、非宿泊型が一六八施設になった。

 国立青年の家は、昭和三十四年、皇太子殿下御成婚記念として国立中央青年の家が創設され、その後、全国のブロックごとに整備が進められ、八施設が既に整備されていたが、ここ二十年の間においては、四十七年に沖縄復帰を記念して設置された国立沖縄青年の家及び岩手山、大洲、乗鞍の四施設が設置され、五十一年の三瓶青年の家の設置をもって一三施設となり、整備計画の完成を見た。なお、国立青年の家が設置されて以来、平成二年度末までの間に、延べ約二、一六六万人(累計延べ宿泊者数)が利用している。

少年自然の家の創設

 昭和四十年代に入ると、身近な工場公害などの環境問題が認識されるようになった。加えて、都市化などに伴い、青少年の人間形成の糧である各種の自然体験や生活体験が貧困になり、教育上、憂慮すべき状況が指摘された。そこで、文部省は、少年たちが恵まれた自然環境の中で仲間たちとの宿泊生活を送りながら、自然体験、集団体験、あるいは自己充足体験などを通じて、健康で心豊かな人間形成を図る少年自然の家を構想し、四十五年度から公立少年自然の家整備費補助を新たに始めた。

 四十七年には、学制百年記念青少年施設に関する調査研究会が、学制百年を記念する事業として国立少年自然の家を整備するよう提言した。これを受けて、五十年に国立室戸少年自然の家を創設し、以後、全国の各ブロックに計画的配置を進めることとした。この整備計画は、那須甲子、諌早、花山、曽爾、日高、吉備、立山、若狭湾、大隅、夜須高原、山口徳地、信州高遠の各少年自然の家の設置と続き、平成三年に第一四番目の妙高少年自然の家の設置をもって完了した。

 国立少年自然の家が設置されて以来、二年度末までの間に、延べ約七四一万人(累計延べ宿泊者数)が利用した。また、公立少年自然の家の施設数は、昭和四十五年度の四施設に対する国庫補助で始まり、平成二年度は二七八施設を数えるようになった。

その他の青少年施設の整備

 文部省は、昭和三十四年度から四十七年度の間、少年が文化・科学に対する興味や理解を深めるための機会を提供する児童文化センターの整備を図るため、地方公共団体に対して補助を行ってきた。また、四十六年には、林野庁の協力を得て、青少年施設を整備するに当たって国有林野を活用する方途を開くとともに、六十年度から、過疎地等において学校の統廃合により廃校となった校舎を整備し、集団宿泊施設として転用する市町村事業に補助するなどして、青少年施設の多角的な整備を進めている。

 また、五十年代に入ると、少年非行が戦後第三のピークを迎えつつあったことから、五十四年の国際児童年を機に、青少年が大自然の下で自らを鍛える野営施設を構想し、その整備を進め、六十二年に青少年のための初の国立キャンプ場として、国立南蔵王青少年野営場を開場した。

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