三 高等教育における発展

 私立大学は昭和四十年代に著しい量的拡大を遂げ、我が国における高等教育の普及の原動力となった。しかしながら、一で述べたように四十年代後半の社会的諸情勢の変化に伴い、私立大学においても質的水準の維持向上が困難になるなど様々な課題が生じたことから、五十年には私立学校振興助成法の制定とともに私立学校法の一部改正を行って量的抑制を図ることとされた。昭和五十年代前期高等教育計画(五十一~五十五年度)でも同様の方針が示された。

 昭和五十年代後期高等教育計画(五十六~六十一年度)及び新高等教育計画(六十一年度~平成四年度)においても、高等教育機関の整備の方向として量的拡大よりも質的充実の重要性が提言されるとともに、大都市における私立大学等の新増設等は原則として認めないこととされた。昭和五十七年度以降開設された私立大学には、地方公共団体が土地を提供して誘致するなど地方公共団体との協力により設置運営されるものが増えてきており、五十七年度から平成四年度までの、いわゆる公私協力方式による大学・短期大学の新設、学部、学科の増設は六二件となっている。また、平成三年に策定された「平成五年度以降の高等教育計画」においても、五年度以降の十八歳人口の一貫した減少を踏まえて昭和五十年代前期計画と同趣旨の提言がなされ、私立大学等の新増設等については必要性の高いものを除いて原則抑制とする方針が示されている。

 このような推移を経て、平成三年度現在、私立大学・短期大学は学生数約二〇七万人で国公私立全体の七割を超える高い割合を占めており、我が国の大学教育の普及に大きく寄与している。また、地域別の収容カを見ると、昭和五十年度には関東、近畿、東海など都市部で特に高く著しい偏りがあったが、平成三年度には、それら以外のすべての地域において収容力が上昇し大学の地方分散が着実に進展している。入学定員超過率についても昭和五十年度には一・七九倍であったものが、平成三年度には一・二三倍と大幅な改善がなされている。

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