一 私立学校振興施策の充実

 戦後の新しい教育理念に基づく我が国の学校教育において、私立学校は大きな役割を果たしたが、戦災や戦後のインフレの進行により基本財産はほとんどその価値を失い、新しい学校制度に対応する施設設備の整備などのため、財政的窮乏に直面したことから、昭和二十七年に特殊法人私立学校振興会が設立され国の出資等により資金の融資が実施された。このほか、研究設備補助などの設備費等補助は逐次充実された。

 三十年代後半から、我が国の高度経済成長に伴う学校教育に対する国民の需要の増大と戦後のべビーブームの波に対応して、私立学校は年々拡大し、その果たす役割は急速に高まってきた。しかるに一方では、私立学校には経営事情、教育研究条件、学生生徒の学費等についての問題が山積していた。このため、四十五年度から、私立大学等に対する経常費助成が開始され、私立学校振興会の発展的解消により日本私学振興財団が発足した。また、高等学校以下の私立学校に対しても、四十五年度から地方交付税による財源措置が開始された。

 このように私学助成は拡大されてきたが、四十年代後半に起こった石油危機以降の物価上昇と人件費負担増大は、再び私立学校財政にも窮迫をもたらした。これに対し、私立学校は、学生等納付金の引上げと収容人員の増加等によって対処せざるを得なくなり、学生等の学費負担を重くするとともに、教育条件の低下を招くことになった。また、私立大学の発展による高等教育の普及は、一面において、大都市集中や専門分野別地域配置の不均衡をもたらし、高等教育全体の水準の維持向上と計画的な整備を図ることが課題となった。

 このため、五十年に議員立法により私立学校振興助成法が制定され、私立学校に対する国の財政援助が法的保障の下に実施されることとなるとともに、私立学校法の一部が改正され、私立大学の学部の学科及び収容定員に係る学則の変更が新たに文部大臣の認可事項として追加されたほか、五十六年三月末までは私立大学の設置、大学の学部又は学科の設置、及び収容定員増に係る学則の変更の認可は、特に必要と認められる場合を除き行わないこととされた。これは、当面私立大学においては量的拡大よりも特色ある教育の実践により質的向上を図ることが適切であること、及び国の一定の財源によって援助効果を最大限に発揮しようとしたことによるものである。これに加えて、四十年代から作業が続けられていた戦後初めての高等教育計画(五十一~五十五年度)が五十一年に高等教育懇談会においてまとめられ、この計画においても、高等教育の量的拡大を抑制し、質的充実を図ることとされた。

 また、私立大学等の設置に係る学校法人の寄附行為(変更)認可をより慎重かつ適切に行うため、審査手続の改正が行われ、医科大学(医学部)、歯科大学(歯学部)の設置については四十七年度の申請から、それ以外の大学、学部等の設置については五十一年度の申請から、従来の一段階の審査方式が二段階の審査方式に改められた。

 このほか、いわゆる一条学校以外に各種学校制度が設けられていたが、五十年の学校教育法の改正により、各種学校のほかに一定の規模、水準を備えたものを対象とする専修学校制度が創設された。専修学校の大部分は私立であり、教育機会の多様化に大きく寄与している。

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