二 国立学校の施設整備

 国立学校の施設整備事業は、昭和三十年代から継続されている各大学の移転統合整備が順次推進されたこと等により順調に伸展していったが、四十年代後半からは新たな教育研究の需要に対応して急激な上昇を見ることとなった。

 すなわち、移転統合に加えて筑波大学の創設、新設医科大学の創設、巨大科学の基礎研究実験のための高エネルギー物理学研究所の創設のほか、既設大学においては高等教育機関への進学者の増加等に対応するため、施設の拡充整備が続いた。筑波大学は、総合的・組織的かつ高水準の研究教育拠点を形成するとともに、首都圏全体の均衡ある発展に資することを基本理念として整備されることとなった筑波研究学園都市の中心的施設であり、教育・研究体制、管理形態とも従前の大学の制度、慣行にとらわれない新構想の大学の端緒であった。また、医師の不足や地域的偏在等を改善するなどの社会的要請が高まり、これらに対応し無医大県解消計画により四十八年度から合計一六の新設医科大学(医学部)が順次創設され、大規模な施設整備が長期にわたり実施された。

 さらに五十年代に入り、高等専門学校に接続した教育内容を持つ技術科学大学(長岡・豊橋)や現職教員に学習研究の機会を与える新教育大学(上越・兵庫・鳴門)等の新構想大学、あるいは全国の大学の研究者等に対し、広く利用に供することを目的とした大学共同利用機関が続々と新設された。

 これらのことから、五十四年度施設整備費は一、五七四億円と過去最高額に達したが、第二次石油危機による不況に伴い、五十六年の臨時行政調査会の行政改革に関する第一次答申においては文教関係予算を含めた国の予算に対し厳しい見直しが求められ施設整備予算の縮減が謳(うた)われたこと等により、施設整備予算は以降年々減少していくこととなった。(表6参照)

表6 国立学校施設の整備状況

表6 国立学校施設の整備状況

 このような状況の下、高エネルギー物理学研究所の衝突型加速器実験施設の建設や地方の学園都市開発事業の一環として整備されることとなった広島大学・宮崎大学の移転統合事業が進められ、また、鹿屋体育大学や高岡短期大学等の新構想大学、あるいは宇宙科学研究所の整備が行われていった。一方、国立大学の附属病院については、医学の急速な進歩に伴う医療の高度化、専門化及び医療機器の増大等に対応するため、各大学において二十一世紀を見通した再開発計画の検討が続けられ、六十年代に入って本格的に整備が実施されることとなった。また経済・文化活動の国際化の進展に伴い、二十一世紀初頭までに留学生の一〇万人受入れの計画が提言されたこと等により、留学生会館、国際交流会館等の受入れ施設の整備が精力的に進められていった。さらに、聴覚や視覚の障害者に対する高等教育機関としての筑波技術短期大学や、先端科学技術大学院大学、核融合科学研究所の整備が行われた。

 このように、新設大学や大規模事業推進のため、かなりの施設整備費を要したことから、既設学部における各種施設整備が滞る事態となった。これら既設学部施設の老朽化に加えて、教育研究の進展に伴う施設の狭隘化が進行しつつあることから、教育研究環境の改善充実の要望は極めて大きいものとなってきた。平成二年に策定された「公共投資基本計画」においては、「学校教育条件等の改善・充実を図るため、改築・改造を始めとする学校施設の整備を着実に推進する」との基本的方向が示され、平成三年度予算において新たに設定された「生活関連重点化枠」において国立大学の老朽危険校舎の改築整備の予算が認められ、以後の整備の足掛かりとなった。さらに、平成四年度予算においては、国立学校特別会計に「特別施設整備資金」が設置され、老朽化、狭隘化が特に著しい国立学校の施設整備を計画的に実施することができることとなった。当面、平成四年度以降五か年計画で各年度二〇〇億円の事業が予定されている。

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