二 学習指導要領をめぐる教育裁判

 昭和二十年代後半から、日本教職員組合は国の教育政策に対して激しい反対闘争を繰り返してきた。特に三十年代は学習指導要領改訂に伴う教育課程趣旨徹底講 習会への反対闘争や全国学力調査の実施への反対闘争が激しく、各地で教育紛争が発生して裁判で争われることとなった。これらの裁判では、主として学習指導 要領の法的基準性(法的拘束力)の有無が争点となり、三十年代後半から四十年代を通じて、これらの裁判について次々と判決が出された。地裁段階及び高裁段 階では多くは学習指導要領の法的基準性を認める判決であったが、中には学習指導要領は単なる指導助言文書であり法的基準性はないとする判決などもあり、教 育界の一部では混乱を招いていた。しかし、五十一年五月に旭川学力調査事件の最高裁判決が出され、学習指導要領には法的基準性がある旨の判断が示され、戦 後長らく争われたこの問題に最終的な決着がついた。

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