第一節 経済・社会の発展と教育改革

 戦後の新しい教育制度の下に、我が国教育は、機会均等の理念を実現しつつ著しい普及発展を遂げ、科学技術の進歩や経済の高度成長の原動力となって、今日の我が国社会の発展に大きく寄与してきた。

 しかし、昭和四十年代の後半には我が国の社会は経済の高度成長の時代から、安定成長の時代に移行し、また、所得水準の向上やベビーブームなどによって後期中等教育、さらには高等教育への進学希望者が増大し、教育の大衆化が促進された。このような経済社会の発展変化や教育の大衆化が教育の多様化等を要請し、この二十年間は、このような事情に対応して一連の教育改革が検討され、実施に移された時期であった。

 この時期には、生活水準の向上等による国民のニーズの多様化や個性化、科学技術の進展や経済のソフト化あるいは就業構造の変化、さらには情報化や国際化等が進展し、また、都市化の進展や伝統的な各種の社会規範の弱まり、さらには核家族化や家庭の教育力の低下等も進行した。このような社会の構造的な変化が従来の伝統的な教育、特に学校教育の在り方の画一的な性格の是正や、変化への対応などを求め、更に生涯学習体系の立場に立った教育改革を迫ったのである。

 このように、経済社会の発展と変化は言わば外部から教育改革を促すものであるが、他方、経済社会の発展による人材需要の増大と国民の生活水準の向上によって教育が普及し、教育が量的に拡大し、特にこの時期、後期中等教育・高等教育への進学希望者が増大し、進学率が高まり、それに伴い、教育の多様化が求められるなど、内在的に学校の改革を促し、教育改革が求められたのである。

 このような状況を背景として、新しい教育制度が二十年を経過した時点で、四十六年、中央教育審議会は学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について、いわゆる四六答申を出し、初等中等教育から高等教育に至る多岐にわたる改革等について提言した。提言について各種審議会で検討が行われ、四十年代後半以降、特殊教育の充実や高等教育計画等の拡充方策及び教育課程の改善や教員の待遇改善等教育の質の改善等に関する数多くの施策が実現された。

 四十六年答申以降も中央教育審議会では、四十九年の「教育、学術、文化における国際交流について」や五十六年の「生涯教育について」等の答申を行い、各般の施策の指針となると同時に臨時教育審議会による審議の対象に含められた。他面、五十年代後半から中学校を中心として校内暴力、いじめ、登校拒否等、いわゆる学校教育の荒廃と言われる問題が目立つようになった。これらの課題について中央教育審議会で検討を始め、文部省でも省を挙げて対応したが、五十九年に至り内閣総理大臣の諮問機関として総理府に臨時教育審議会が設置され、広く教育に関連する社会の諸分野に係る諸施策を含めて、総合的に検討を加えることとなった。

 臨時教育審議会は、五十九年八月から六十二年八月までの三か年にわたり、教育改革について四次にわたる答申を提出し、生涯学習、学校教育、国際化、情報化、教育行財政等全般にわたり、また文部省だけでなく政府各省にまたがる改革を提案した。答申では、全般を通じる教育改革の視点として個性重視の原則、生涯学習体系への移行及び国際化、情報化等変化への対応を掲げた。

 臨時教育審議会の答申を受け、政府全体として教育改革に取り組むことが閣議決定され、文部省では臨時教育審議会の答申を更に具体化するため、中央教育審議会をはじめ関係の審議会等で種々の検討が行われている。これらを踏まえつつ、文部省においては、生涯学習体制の整備、教育内容の改善、教員の資質向上、高等教育の多様化・弾力化などの施策を進めており、そのための法律の制定、改正も数多く行われ、必要な予算措置も講じられている。

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