第四節 宗務行政

 連合国の占領政策の重要なものの一つに宗教政策があったが、それは信教の自由、政教分離、軍国主義的ないし極端な国家主義的思想の除去の三大原則に基づいて行われたものであった。昭和二十年十月、「政治的、社会的及宗教的自由ニ対スル制限除去ノ件」(いわゆる人権指令)の覚書が発せられ、治安維持法等とともに宗教団体法も廃止されることになり、同年十二月、宗教団体法と四関係勅令が廃止され、同月、宗教法人令が公布、施行された。宗教法人令は、宗教団体法の認可主義を準則主義に改めたもので、これにより宗教法人の設立、規則変更、解散は自由になった。

 これより先、同年十二月、「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」(いわゆる神道指令)の覚書が発せられた。この指令の根本趣旨は、軍国主義ないし極端な国家主義思想の根絶、信教の自由の確立、政教分離の徹底、神社神道の国家からの分離にあった。神社が宗教であるか否かについては、それまでも種々議論のあったところであるが、連合国は当初から宗教として取り扱った。翌二十一年二月の宗教法人令の改正等により神社神道は宗教法人となり、文部省の所管となった。

 宗教法人令は準則主義を採用したので、所管庁に対しては届け出るだけで宗教法人になることができた。そこで、既成教団からの分派、独立、新教団の設立が激増し、また、実態において宗教団体でないものまでが免税その他の保護を受けるために宗教法人になる例が見られた。このような事態の発生に伴い、宗教法人令に代わる新たな立法措置を求める機運が生れた。こうして二十六年四月、準則主義を廃して所轄庁により規則等の認証を受ける認証主義を採り入れた「宗教法人法」が施行された。

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