第一節 学術行政

学術行政体制の改革と発展

 敗戦を契機として、学術体制についても民主的改革を求める運動が起こった。昭和二十二年八月、全国各分野の研究者から民主的に選出された委員で構成する学術体制刷新委員会が成立した。

 この委員会の報告を受けて、二十三年七月「日本学術会議法」が制定され、科学者による選挙が行われて、翌二十四年一月、内閣総理大臣所轄の下に日本学術会議が設けられた。また、「科学技術行政協議会」も同月、同じく総理大臣所轄の下に設けられて、戦後我が国の基本的な学術体制はここに確立されることとなった。

 なお、二十二年七月から二十四年一月の間に、総司令部の招きにより、米国科学学士院の一行から成る学術顧問団、米国人文科学顧問団及び米国科学使節団の三団体が来日し、各地における視察、懇談あるいは調査報告書等を通じて、彼我の科学者の理解の増進に寄与した。

 その後、日本学術会議に附置する機関となった日本学士院については、三十一年三月制定の「日本学士院法」により、「学術上功績顕著な科学者」を優遇するための機関として文部省の所轄機関となり、日本学術会議から独立した。

 終戦当時、学術行政を所掌する文部省の内部部局は科学局であったが、二十年九月科学教育局に拡大された。その後、二十四年六月文部省設置法の施行により、科学教育局は廃止されて大学学術局が設けられ、従来学校教育局と科学教育局とで分離所掌されていた大学行政と学術行政との一体化が図られた。

 さらに三十年代に至り、急速に高まってきた学術研究の規模の拡大と国際化に伴い、膨脹する学術振興業務に対処するため、文部省は、国の学術に関する施策と密接な関連を持ちながら、流動的・弾力的に運営する必要のある事業を実施する主体を確立し、併せてこの種機関の国際的信用を高めるため、四十二年九月、財団法人日本学術振興会を発展的に解消して、新たに特殊法人「日本学術振興会」を発足させた。

 学術行政に関する審議会については、二十四年六月、学術の奨励及び普及に関する事項の調査・審議を目的として学術奨励審議会が設置され、さらに四十二年六月、これを発展的に解消して学術審議会が設置された。また、明治以来の伝統を持つ測地学委員会は、二十四年六月測地学審議会に改組された。

 科学技術行政については、三十一年五月、総理府の外局として新たに科学技術庁が設置され、次いで、三十四年二月、総理府の附属機関として科学技術会議が設置された。これらの機関の設置は、科学技術の振興に対する強い要請にこたえるものであったが、一方、学術研究それ自体の推進を主眼とし、人文科学をも含めて大学を中心とする学術研究を一体的に振興する文部省の学術行政の施策と、科学技術振興施策との間の調和調整を図る上で、複雑な関係と問題がもたらされた。

学術振興の諸施策

 戦後文部省は、まず戦時研究に関連した目的を有する研究所を廃止し、既存研究所の統合と、さらに、新しい研究領域の開拓あるいは産業経済と国民生活向上のために必要とされる研究所の新設を行うとの方針に沿って、昭和二十一年から二十七年にかけて研究所の整備を行った。

 次に文部省では、民間研究所のうち優秀なものに対しては二十二年以来補助金を交付し、二十六年六月制定の「民間学術研究機関の助成に関する法律」に基づいてこれら機関に対し国の財政的援助を行った。

 その後我が国の国力の回復に伴い、我が国学界の研究活動が活発化するとともに、研究の総合化・組織化が極めて重要となり、共同研究体制の確立が求められたため、文部省では二十八年、国立学校設置法を改正していわゆる国立大学附置の共同利用研究所の制度を創設した。さらに、従来の共同利用研究所の構想を一歩進めて、特定の大学に附置しない国立大学の共同利用の研究所として、四十六年筑波研究学園都市に高エネルギー物理学研究所が設置された。

 文部省の科学研究費は、戦前以来我が国の学術の発達に大きな役割を果たしてきた。科学研究費は、戦後、幾多の変遷を経て、四十年に科学研究費補助金となり、さらにその後も曲折を経て科学研究費と研究成果刊行費の二つに大別されることとなった。三十八年には社会的あるいは学術的に要請の極めて強い研究領域を指定し、その領域の基礎的研究を年次的かつ集中的に推進するため、科学研究費の一種目として「特定研究」が設けられ、当該研究の画期的な発展に寄与した。科学研究費補助金の予算額は、四十三年度以降は毎年大幅に増額し、四十七年度は一〇〇億円に達した。

 一方、研究活動の組織化・総合化が進み、研究規模が巨大化して、例えば、宇宙科学、原子力、原子核の研究のようにいずれも過去に例を見ない巨額の経費を必要とするいわゆるビッグ・サイエンスの推進が図られた。特に宇宙科学については、国際地球観測年(三十二~三十三年)を契機として、東京大学においてロケットによる超高層の物理諸現象の直接観測が始められた。その後、科学衛星による科学観測の必要性から、衛星及び打ち上げロケットの研究開発が進められ、四十六年九月、第一号科学衛星「しんせい」が実現した。

 戦後急激に進展する学術に関して、研究の動向、文献資料等に関する情報を組織的・系統的に収集し、提供する必要が痛切となり、文部省は二十七年八月、従来学術課の一部で行っていた学術情報に関する業務を分離して、新しく大学学術局学術情報室を独立させ、学術情報事業の強化を図った。その後、学術情報室を四十年四月から情報図書館課に改組し、大学図書館行政を強化してその近代化を図った。

 また、廃棄、散逸のおそれのある近世以降の文献資料を学術史料として収集保存するため、二十六年東京都品川区に史料館を設けた。

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