概説

国際関係下の学術・文化

 教育の場合と同様に、明治以降の我が国の学術・文化は、欧米の先進的な学術・文化の移入を軸として展開されてきた。当初から一貫して広義の国際交流の下に、近代日本の学術・文化は形成されてきた。昭和十年ごろから日本文化の特殊性と優越性とを極端に強調した時期があったが、それとても対外戦争という負の国際関係の下での現象であった。

 幕末開国から明治中期にかけて我が国は科学技術・社会制度・思想・風俗慣行など学術・文化のほとんど全分野にわたって、欧米先進諸国の成果の学習と導入とに専念したと言ってよい。特に明治維新以降は、外国人御雇教師を招聘(へい)し日本から留学生を海外に派遣するなど、欧米諸国から直接的かつ本格的に学習する方式を採用した。これと併行して欧米の学術・文化に関する自主的な教育・研究の発展を図った。初期の東京大学がほぼ全面的に外国人教師に依拠していたのに、わずか十五年後にはほとんど日本人教授に代わっていたという事実が示すように、自立的近代化の意欲は強かったのである。

 文化面においては、明治初期我が国の伝統的な文化財が軽視され、破壊や海外への大量流出が見られた。日本の絵画や版画の芸術的な価値が外国人により教示されるという事態すら見られた。

 学術の分野においては、明治二十年代に学位制度が成立を見、二十年代以降には国際的評価に堪え得るような研究者の研究が発表され始め、大正期には学術研究会議が創立され、我が国学術の国際的な活動の中心機関として重要な役割を果たした。

 我が国の学術・文化の自主的な展開が見られるようになった後に、昭和初期には軍事的要請からの科学研究の方向付けが強められる一方、民族性を一面的に強調した国家主義的な文化政策が採用されるに至った。国際的にもナチス・ドイツやファシスト・イタリアとの学術・文化の交流が推進され、戦時体制の進行につれて、学術・文化ともに国家の戦争目的に全面的に動員されることになってしまった。

学術行政の創始と展開

 我が国の学術研究は、文部省をはじめ工部省・開拓使・司法省等の諸官庁が設立した人材養成機関において、御雇外国人の指導の下に開始された。明治十年代後半からそれらの人材養成機関が文部省の所管に統合され、帝国大学が人材養成とともに学術の中心機関としての位置を占めた。後の帝国学士院の前身をなす東京学士会院(十二年創設)や学位制度(二十年学位令)も文部省の所管に属した。他方、各省庁は自己の所管事項に関連して各種の試験研究機関を設置し、それらは大学・大学附置研究所及び民間研究機関などとともに学術研究の一端を担った。しかし研究への補助奨励を含む本格的な学術行政が展開されるのは大正期に入ってからであり、七年文部省は科学研究奨励金制度を設けて、研究者に対する研究費助成事業を開始し、昭和に入ると科学研究費交付金となって飛躍的に増額した。第二次大戦下においては、科学を国家目的、戦争遂行のために集中動員することが必要とされ、政府を挙げて科学研究推進政策が強化された。

文化財保護と文化行政

 文化行政は、明治初期の神道主義的な廃仏毀(き)釈政策や文明開化による伝統的文化遺産の廃棄・海外流出の防止策から始まった。「古器旧物保存方」の太政官布告(明治四年)に始まり古社寺保存法(三十年)へ至る方策は我が国文化財保護行政の嚆矢となった。著作権保護に関しても、明治二年の出版条例を萌芽とし、明治三十二年に至って国際的水準を満たす著作権法の制定を見た。また民間での国語国字改良論に触発されて国語国字問題への取組が開始された。明治末期からは、社会教育政策と密接に絡みつつ芸術文化行政が着手された。四十年の文部省美術展覧会(文展)に始まり、文芸委員会の設置、幻灯映画の審査などがそれである。昭和期には、学術をも含めた文化振興の奨励措置として文化勲章制度が創設された。しかし昭和十年代には、戦争遂行のための宣伝手段として文化及び文化行政が位置付けられることになった。

宗教行政と文部省

 宗教については、明治元年の神祇官の設置に始まる神社神道の国教化と神仏分離令以来、国家行政の一環に組み込まれた。文明開化の進展により四年神祇(ぎ)官は神祇省に格下げされた。五年教部省が設置され宗教行政と宗教家による国民教化とを担当することになり、神祇祭祀(し)と宗教行政とが分離された。その後教部省は十年に廃止され、以後は内務省社寺局が宗教行政を所管することになった。大正二年六月内務省に代わり文部省が宗教局を設置して宗教行政を所管するようになった。

 内務省は明治三十二年以来宗教団体の監督のために宗教法の立案を計画していたが、これは文部省に引き継がれ大正十五年宗教制度調査会を設置して調査審議したが、様々な事情から難航し、昭和十四年にようやく宗教団体法として成立した。これにより宗教に関する諸法規が統合され宗教行政の一元化が可能となったが、同時にそれは宗教団体への国家統制の強化を意味したのであった。

お問合せ先

学制百二十年史編集委員会

-- 登録:平成21年以前 --