日本派遣米国教育使節団員
ジョン・N・アンドルウス
ハロルド・ベンジャミン
ゴードン・T・ボウルス
レオン・カルノフスキー
ウイルソン・コムブトン
ジョージ・S・カウンツ
ロイ・J・デフェラリー
ジョージ・W・ディーマ
カーミット・イービー
フランク・Nフリーマン
ヴァージニア・C・ギルダースリーヴ
ウィラード・E・ギヴンス
アーネスト・R・ヒルガード
フレデリック・G・ホックウォルロ
ミルドレッド・マカフィー・ホートン
チャールズ・N・ジョンソン
アイザック・L・カンデル
チャールズ・H・マックロイ
E・B・ノートン
T・V・スミス
ディヴィット・ハリソンステイーヴンス
ボール・B・スチュアート
アレクサンダー・J・ストダード
(団長)ジョージ・J・ストダード
W・クラーク・トロウ
パール・A・ワナメーカー
エミリー・ウッドワード
ジョージ・D・ストダード博士を団長とする米国教育界代表二十七名より成る米国教育使節団は、本報告の作成に当り日本に本年三月の一か月間滞在し、その間連合国最高司令部民間情報教育部教育課の将校および日本の文部大臣の指名にかかる日本側教育者委員、および日本の学校および各種職域の代表者とも協議をとげたのである。本報告は本使節団の各員の審議を基礎として作製し、ここに連合国最高司令官に提出する次第である。本使節団は占領当初の禁止的指令、例えば帝国主義および国家主義的神道を学校から根絶すべしというが如きものの必要は、十分認めるものではあるが、今回は積極的提案をなすことに主要な重点を置いたのである。
本使節団はかくすることにより、日本人がみずからその文化のなかに、健全な教育制度再建に必要な諸条件を樹立するための援助をしょうと努めた次第である。
日本の教育の目的および内容高度に中央集権化された教育制度は、かりにそれが極端な国家主義と軍国主義の網の中に捕えられていないにしても、強固な官僚政治にともなう害悪を受けるおそれがある。教師各自が画一化されることなく適当な指導の下に、それぞれの職務を自由に発展させるためには、地方分権化が必要である。かくするとき教師は初めて、自由な日本国民を作りあげる上に、その役割をはたしうるであろう。この目的のためには、ただ一冊の認定教科書や参考書では得られぬ広い知識と、型通りの試験では試され得ぬ深い知識が、得られなくてはならない。カリキュラムは単に認容された一体の知識だけではなく、学習者の肉体的および精神的活動をも加えて構成されているものである。それには個々の生徒の異たる学習体験および能力の相違が考慮されるのである。それ故にそれは教師をふくめた協力活動によって作成され、生徒の経験を活用しその独創力を発揮させなくてはならないのである。
日本の教育では独立した地位を占め、かつ従来は服従心の助長に向けられて来た修身は、今までとは異った解釈が下され、自由な国民生活の各分野に行きわたるようにしなくてはならぬ。平等を促す礼儀作法・民主政治の協調精神および日常生活における理想的技術精神、これらは、皆広義の修身である。これらは、民主的学校の各種の計画および諸活動の中に発展させ、かつ実行されなくてはならない。地理および歴史科の教科書は、神話は神話として認め、そうして従前より一そう客観的な見解が教科書や参考書の中に現われるよう、書き直す必要があろう。初級中級学校に対しては地方的資料を従来より一そう多く使用するようにし、上級学校においては優秀なる研究を、種々の方法により助成しなくてはならない。
保健衛生教育および体育の計画は教育全計画の基礎となるものである。身体検査・栄養および公衆衛生についての教育・体育と娯楽厚生計画を大学程度の学校にまで延長し、また、できるだけ速かに諸設備を取替えるよう勧告する。職業教育はあらゆる水準の学校において強調されるべきものである。よく訓練された職員の指導の下に、各種の職業的経験が要望せられ、同時に工芸、およびその基礎たる技術および理論に重点を置くべきである。技術工および労働者の寄与に対しては、これを社会研究のプログラム中に組み入れ、かつ独創性を発揮する機会が与えられるべきである。
国語の改革 国字の問題は教育実施上のあらゆる変革にとって基本的なものである。国語の形式のいかなる変更も、国民の中から湧き出てこなければならないものであるが、かような変更に対する刺戟の方は、いかなる方面から与えられても差しつかえない。単に教育計画のためのみならず、将来の日本の青年子弟の発展のためにも、国語改革の重大なる価値を認める人々に対して、激励を与えて差しつかえないのである。何かある形式のローマ字が一般に使用されるよう勧告される次第である。適当なる期間内に、国語に関する総合的な計画を発表する段取にいたるように日本人学者・教育指導者・政治家より成る国語委員会が、早急に設置されるよう提案する次第である。この委員会はいかなる形式のローマ字を採用するかを決定するほか、次の役目を果すことになろう。すなわち
(一)過渡期における国語改革計画の調整に対する責任をとること。(二)新聞・雑誌・書籍およびその他の文書を通じて、学校および一般社会ならびに国民生活にローマ字を採用するための計画を立てること。(三)口語体の形式をより民主的にするための方策の研究。
かかる委員会はゆくゆくは国語審議機関に発展する可能性があろう。文字による簡潔にして能率的な伝達方法の必要は十分認められているところで、この重大なる処置を講ずる機会は現在が最適で将来かかる機会はなかなかめぐってこないであろう。言語は交通路であって、障壁であってはならない。この交通路は国際間の相互の理解を増進するため、また知識および思想を伝達するためにその国境を越えた海外にも開かれなくてはならない。
初等および中等学校の教育行政 教育の民主化の目的のために、学校管理を現在の如く中央集権的なものよりむしろ地方分権的なものにすべきであるという原則は、人の認めるところである。学校における勅語の朗読・御真影の奉拝等の式を挙げることは望ましくない。文部省は本使節団の提案によれば、各種の学校に対し技術的援助および専門的な助言を与えるという重要な任務を負うことになるが、地方の学校に対するその直接の支配力は大いに減少することであろう。市町村および都道府県の住民を広く教育行政に参画させ、学校に対する内務省地方官吏の管理行政を排除するために、市町村および都道府県に一般投票により選出せる教育行政機関の創設を、われわれは提案する次第である。かかる機関には学校の認可・教員の免許状の附与・教科書の選定に関し相当の権限が附与されるであろう。現在はかかる権限は全部中央の文部省ににぎられている。
課税で維持し、男女共学制を採り、かつ授業料無徴収の学校における義務教育の引上げをなし、修業年限を九か年に延長、換言すれば生徒が十六歳に達するまで教育を施す年限延長改革案をわれわれは提案する。さらに、生徒は最初の六か年は現在と同様小学校において、次の三か年は、現在小学校の卒業児童を入学資格とする各種の学校の合併改変によって創設されるべき「初級中等学校」において、修学することをわれわれは提案する。これらの学校においては、全生徒に対し職業および教育指導をふくむ一般的教育が施されるべきであり、かつ個々の生徒の能力の相違を考慮しうるよう、十分弾力性を持たせなくてはならない。さらに三年制の「上級中等学校」をも設置し、授業料は無徴収、ゆくゆくは男女共学制を採り、初級中等学校よりの進学希望者全部に種々の学習の機会が提供されるようにすべきである。
初級と上級の中等学校が相伴って、課税により維持されている現在のこの程度の他の諸学校、すなわち小学校高等科・高等女学校・予科・実業学校および青年学校等の果しつつある種々の職能を、継続することになろう。上級中等学校の卒業は、さらに上級の学校への入学条件とされるであろう。本提案によれば、私立諸学校は、生徒が公私立を問わず相互に容易に転校できるようにするため、必要欠くべからざる最低標準に従うことは当然期待されるところであるが、それ以外は、完全な自由を保有することになろう。
教授法と教師養成教育 新しい教育の目的を達成するためには、つめこみ主義、画一主義および忠孝のような上長への服従に重点を置く教授法は改められ、各自に思考の独立・個性の発展および民主的公民としての権利と責任とを、助長するようにすべきである。例えば、修身の教授は、口頭の教訓によるよりも、むしろ学校および社会の実際の場合における経験から得られる教訓によって行われるべきである。教師の再教育計画は、過渡期における民主主義的教育方法の採用をうながすために、樹立せらるべきである。それがやがて教師の現職教育の一つに発展するよう計画を立てるよう提案する。師範学校は、必要とせられる種類の教師を養成するように、改革されるべきである。師範学校は現在の中学校と同程度の上級中等学校の全課程を修了したるものだけに入学を許し、師範学校予科の現制度は廃止すべきである。現在の高等師範学校とほとんど同等の水準において、再組織された師範学校は四年制となるべきである。この学校では一般教育が続けられ、未来の訓導や教諭に対して十分なる師範教育が授けられるであろう。教員免許状授与をなすその他の教師養成機関においては、公私を問わず新師範学校と同程度の教師養成訓練が、十分に行われなくてはならない。教育行政官および監督官も、教師と同等の師範教育を受け、さらにその与えられるべき任務に適合するような準備教育を受けなくてはならぬ。大学およびその他の高等教育機関は、教師や教育関係官吏がさらに進んだ研究をなしうるような施設を拡充すべきである。それらの学校では、研究の助成と教育指導の実を挙げるべきである。
成人教育 日本国民の直面する現下の危機において、成人教育は極めて重大な意義を有する。民主主義国家は個々の国民に大なる責任を持たせるからである。学校は成人教育の単なる一機関にすぎないものであるが、両親と教師が一体となった活動により、また成人のための夜学や講座公開により、さらに種々の社会活動に校舎を開放すること等によって、成人教育は助長されるのである。一つの重要な成人教育機関は公立図書館である。大都市には中央公立図書館が多くのその分館とともに設置されるべきで、あらゆる都道府県においても適当な図書館施設の準備をなすべきである。この計画を進めるには文部省内に公立図書館局長を任命するのがよい。科学・芸術および産業博物館も図書館と相まって教育目的に役立つであろう。これに加うるに、社会団体・専門団体・労働組合・政治団体等をふくむあらゆる種類の団体組織が、座談会および討論会の方式を有効に利用するよう、援助しなくてはならない。これらの目的の達成を助長するために、文部省の現在の「成人教育」事務に活を入れ、かつその民主化を計らなくてはならぬ。
高等教育 日本の自由主義思潮は、第一次世界大戦に続く数年の問に、主として大学専門学校教育を受けた男女によって形成された。高等教育は今や再び自由思想の果敢な探究、および国民のための希望ある行動の、模範を示すべき機会に恵まれている。これらの諸目的を果すために、高等教育は少数者の特権ではなく、多数者のための機会とならなくてはならぬ。
高等程度の学校における自由主義教育の機会を増大するためには、大学に進む予科学校(高等学校)や専門学校のカリキュラムを相当程度自由主義化し、以て一般的専門教育を、もっと広範囲の人々が受けられるようにすることが望ましいであろう。このことは、あるいは大学における研究を、あるいはまた現在専門学校で与えられるような半職業的水準の専門的訓練を、彼等に受けさせることとなるが、しかしそれは、より広範囲の文化的および社会的重要性を持つ訓練によって一そう充実することとなるであろう。
専門学校の数を増加するほかに、適当な計画に基いて大学の増設が行われるようわれわれは提案する。高等教育機関の設置や先に規定した諸要件の維持に関する監督には政府機関に責任を持たせるべきである。開校を許可する前に、申請せる高等教育機関の資格審査、および上述の第一要件を満足させているか否かを確認する役目以外には、その政府機関は、高等教育機関に対する統制権を与えられるべきではない。その高等教育機関は、みずから最善と考える方法でその目的を追求するために、あらゆる点において安全な自由を保有しなくてはならない。
高等教育機関における教授の経済的および学問的自由の確立は、また極めて重要である。この目的達成のため、現在の文官制度の廃止が勧告される次第である。
学生にとって保証されるべき自由は、その才能に応じてあらゆる水準の高等な研究に進みうる自由である。有能な男女で学資の無いため研究を続けられぬ人々に、続いて研究ができるよう確実に保証してやるため、財政的援助が与えられなくてはならない。現在準備の出来ているすべての女子に対し、今ただちに高等教育への進学の自由が与えられなくてはならない。同時に女子の初等中等教育改善の処置もまた講ぜられなくてはならぬ。
図書館・研究施設および研究所の拡充をわれわれは勧告する。かかる機関は国家再建期およびその後においても、国民の福利に計り知れぬ重要な寄与をなしうるのである。医療・学校行政・ジャーナリズム・労務関係および一般国家行政の如き分野に対する専門教育の改善に対し特に注意を向ける必要がある。医療および公衆衛生問題の全般を研究する特別委員会の設置をわれわれは要望する。
ハロルド・ベンジャミン
ジョージ・W・ディーマ
フレデリック・G・ホックウォルト
パール・A・ワナメーカー
(団長)ウイラード・E・ギヴンス
昭和二十五年八月二十七日第二次訪日アメリカ教育使節団が東京に到着した。この五人の教育使節団員は、かつて昭和二十一年の使節団の任務に従事したものである。かれらはマッカーサー元帥の招請によってふたたび来朝し、一か月滞在して、かれらが昭和二十一年提出した勧告事項の進行と成果とを研究した。このたびの訪問による報告書は、教育問題のうち、さらに考究する必要があると信ぜられるもののみを扱っている。
日本の将来は、公立学校教育制度の成否と緊密に連関している。日本の新憲法は国民に教育の機会均等と義務教育の無償とを保証し、教育基本法・学校教育法・教育委員会法・文部省設置法および教育職員免許法は、教育の組織を変革して、民主的教育制度の発展に一つの枠付けを与えた。
しかし民主的教育計画の実質を真に確保するためには、改革はなお継続されなければならない。日本国民は、国・都道府県・市町村の責任において六・三・三制を完遂するに必要な資金を用意すべきである。公立小学校および中学校は日本全国民の全児童に対して絶対無償であるべきである。このことは教科書学用品の無償配布をも含んでいる。義務教育費に対して父兄が多大の負担をするようなことがあってはならない。高等学校も就学希望者に対しては無償でなければならない。
適当な校舎の供給 日本は戦争の被害さらに颱風その他の天災によって校舎不足の危機に立っている。教育施設の為の経費は極めて少なく、戦後公共事業計画費の僅か六・九パーセントにしか過ぎない。講堂や廊下その他間に合わせの教室が使用され数百万に及ぶ児童は標準以下の教室で学んでいる。そこでこの問題に関してわれわれは次のことを勧告する。
一 義務教育計画の効果を完全に挙げるために校舎建築を促進すること。
二 建築の様式に対する研究。
a 独立的思考力・創意・および創造的経験を奨励する如き教育課程の必要を充たすこと。
b 地震や台風の被害に拮抗すること。
三 教育委員会は建築家を雇い契約を結ぶ権能を持って校舎建築に関し全面的責任を取る。
四 校舎に重複する部分があってそのため財政を浪費することのないように、校舎建築にはその通学区域を慎重に計画すること。
五 教師・学校管理者側・地域社会・教育委員会が相共に能率的な校舎の計画を立てること。
六 文部省は計画の発展および資材の利用に関して助言を与えるために専門的な指導をすること。
教員不足の危機日本では現在教員が不足している。そのため現在および将来の必要を充たすために有資格の小中学校教員の供給を増大しなければならない。教員を充分に確保するためには、教員の俸給を上げることに努力しなければならない。われわれは教育委員会が教員の給与を性別・結婚の有無・扶養家族等を考慮せずに資格経験責任に基いて確立することを勧告する。
教育の機会の拡張と活動の増加 身体的精神的障碍を有する児童にたいする教育の機会の問題は重要である。保育園や幼稚園は小学校の一部として設けられるべきである。
児童生徒の安全と生活を守るため、家庭・学校・地域社会が協力して教育計画を樹立する必要がある。学校給食計画は、各学校の正規の学校教育計画の一部と考えられるべきであり、屋外教育は、天然資源の重要性を理解する機会を与えるものであり、休暇中・始業前・放課後等のレクリェーションの計画は、青少年犯罪防止の積極的手段となる。教育計画は多様性を持って、能率的に運営され、かつよく教えられるものでなければならない。
組織 国一文部省は自由で、独立で、他の機関と統合されてはならない。文部省の力は教育委員会・教育・学校長・監督官に援助を与えて、独立・創意およびみずからの問題を研究・解決する能力を発展させることにある。
都道府県・市町村一現在日本では、市町村が小・中学校および若干の高等学校を維持しており、都道府県がまた若干の高等学校を維持している。このことは管轄の重複と課税区域の重複とをあらわしている。われわれはこれを変更してあらゆる小学校中学校および高等学校が一つの教育委員会の下に運営されるようになることを勧告する。
教育区組織の指導原理 教育区は出来るだけ自然の地域社会を中心に設けられなければならない。これは幾つかの村や町や市を包含するであろう。新学制ならびに豊富にして包括的な教育計画に必要な施設を備え、機能を果すために人口と税源とを有する十分な広さの地域を持つことが重要である。
教育委員会の責任 教育委員会の委員は、民衆の自由選択によって党派によらざる投票により選挙されなければならない。彼らは利己的人物であってはならず、ひそかに目的を持っている人、また個人的な利害で集まった集団の代表者であってもならない。教育委員会の選挙には高度の社会的伝統を樹立する必要がある。委員会はその政策遂行にあたっては、専門的指導家の協力を得ることが必要である。
財政的独立 現在日本においては、県会や市町村会が教育委員会の予算要求額を任意に削減している。かかる実状ではやむなく仕事は縮小されたり削除されたりするに至るであろう。われわれは教育委員会が予算に全責任を持ち、市町村会や県会の協賛を経なくても予算執行に必要な徴税を決定する責任を与えられて、財政的に独立することを勧告する。教育を財政的に支持するための平衡交付金は客観的な公式に従って算定され、教育計画を支持するための歳入総額中に組入れられるべきである、教育は公共の経費中で第一の要求権を持つべきである。
教材センター 各校には図書館用図書其の他の教授資料が適当に備えつけられていなければならない。学校図書館は本だけでなく、教師と生徒で作製した教材をも持っているべきである。また幻燈や映画も経費さえできればつけ加えられてよいであろう。教材センターとしての学校図書館には生徒を助け指導する司書を置き、学校の中心となるべきである。
教師の職務 教員の補充と選択は日本人の主要問題である。このことは、政府・大学当局ならびにその教師達・文部省・教育委員会・学校行政官および広く一般の人々によって認識されなければならない。立派な資格を持った個人が、日本のあらゆる教室・行政的地位にもいることが目標でなければならない。
よき教師とは、何よりもよき性格や人格を持ち、教授に必要な知識や理解力を持っていなければならない。また学習指導上必要な専門的洞察力と技倆を持ち、生徒の個性や要求を理解し、適切な指導方法を知っていなければならない。また教師は生徒の属する家庭や社会を知り、父兄や社会との協力の仕方を考えて、児童の学校内外における興味や活動を健全な価値ある方向に仕向ける責任を持っている。
教師養成の進歩 第一次教育使節団が勧告を発してから四か年半のうちに教師養成の改善に多くの進歩がなされた。師範学校は大学に合併され、教育学部が国立大学に設置された。教員の再教育が行われ、免許資格が拡大された。教師は政策の決定・学習課程の編成・教授法の決定および生徒の指導に非常な役割を持つに至った。
未解決の問題とその解決法 (新制大学における教師養成) 教師養成のための新制国立・公立大学はその組織がまだ十分でなく、施設をはじめ機能や計画に欠けている。しかも生徒は不足し、諸学校の必要を充たすには不適当である。急速に増加する人口を適当に教育しようとすれば、教師の不足が救われるまで、二年の課程への進学が奨励される必要がある。教師養成の大学を発展させるため、分校は出来るだけ早く一地方に合併し、教授陣容の改善をはかり、施設・設備が充実整備されなければならない。
(教育学部) 教育学部について多くの国立大学は、まだ十分教師養成の分野における責任を認識していない。それはいろいろの理由からであるが、一つには大学当局や教授達の理解が欠けており、また予算も少ないという原因があげられる。
教育指導者を養成し、教育の特殊専門家を養成するために特別の注意が払われ、大学院を含む強力な教育学部が国立大学に発展しなければならない。また私立の大学専門学校も従来の教師養成の機能を継続し改善するよう奨励されなければならない。
(現職教育) 教師の現職教育には広く教師が参加して行われた。しかし計画を促進する資格ある幹部の欠如・教員の給与の低さ等のために、計画は十分に行われなかった。現職教育に対し各大学はさらにその責任を認識し、広範な計画があらゆる教師に準備されるべきである。監督官と教師とは地方協議会・学会・実地授業・研究集会等を組織すべきである。
(教育職員の免許) 教員免許の条件は高められた。すべての公立学校教職員は専門の訓練を受け免許状を持つことを要求された。しかし免許法に対して教員および若干の教育指導者をも含む多くの人々から反対がある。けれども、これは教員の専門的資格の重要性を認識していないからである。現在の免許法の基準は下げられるべきでなく維持改善されるべきものである。
(教師養成の教育課程) 教師養成の教育課程の再編成は、一般教育・専門教育・教職教育の三方面が認められ進歩がなし遂げられた。しかし一般教養の教育課程については絶えざる研究が必要である。専門科目を重視し過ぎて広い教養をないがしろにしてはならない。衛生と健康教育は教師養成においては重視される必要がある。附属学校・協力学校・保育園・幼稚園等は連絡を密にして、児童の成長の仕方・学び方の観察指導に用いらるべきである。進んだ研究は教育実習を含む実験室の経験について行われる必要がある。PTAの組織は教師養成機関の奨励と援助を必要とする。PTA組織および父兄教育に対する指導力を養う課程も設けられなければならない。
(教師養成施設) 教師養成大学の多くは、建築・体操場・図書館・科学的ならびに視覚的設備の最低限度の必要条件を欠いている。建物の多くは衛生状態が悪い。教師養成の大学は施設設備において他の模範となるものでなければならない。
(学生募集) 前にも述べた如く教師養成の大学の学生数は有資格教師の必要数をみたすには不足である。これは父兄の財政能力の貧困さが原因であると同時に、今一つは以前師範学校が持っていた特権がなくなったことに起因している。国家は教師養成学校の生徒に奨学金を与えたがその額は少い。又一方教師の俸給は貧弱であり、職業自体が若者を引きつけない。したがって学校の標準が高められ、多額の奨学金が与えられなければならないし、同時に教師の俸給は有能な人々を引きつけるに十分な程度にならなければならない。しかし教職の文化的社会的重要性ならびに使命の認識についても、有能な若者は指導されなければならない。
(最低の設置基準) 大学基準協会を通じ、同協会々員の最低標準を樹立することに或る程度進捗が見られた。しかし大学協会の立てる標準は主として財政関係をはじめとする施設設備・職員の資格等に関する一般基準でなければならない。かかる一般基準に加えて、教師養成機関は免許関係授与機関の援助の下に教員養成計画の設定基準を発展させるべきである。
(自発的に組織される教職員団体) 教師養成の分野に専門団体組織を作り上げることに大きな進歩がなされている。日本教員養成大学協会とそれに加入する学部長・教授・附属学校の三団体は専門的な団体で、教育大学とその附属校・連繋校の発展に立派な影響力を及ぼしている。この団体とそれに加入せる部門は、日本の少年少女のためにょい教師を与えようとするすべての人達によって支持されるべきである。
第一次訪日教育使節団は、高等教育の全制度の改組の必要を勧告した。その結果日本の高等教育機関は外形的面で急速の改革が成し遂げられた。国公私立の大学数は非常に増加した。第二次教育使節団の関心事は、それらの変革とそれに伴う発展を批判し検討することである。すなわち次の四つの問題である。
(1)日本はどれだけの高等教育機関を必要としているか。
(2)日本はどのような種類の高等教育機関を持つべきか。
(3)日本の高等教育機関は、どのようにすれば最も有効に組織され、運営されうるか。
(4)日本は必要とする高等教育機関を持つ余裕があるか。
高等教育機関の数 現在日本には、四年制の高等教育機関が二百二十校もある。この数はこれらの教育機関が不十分な養成教育しか与えようとしていないなら、もちろん多すぎる。しかし新日本の経済的・社会的・政治的および精神的な進歩のために高等教育を与えることができるとすれば、この数は多すぎはしない。狭少な国土に密集した人口を擁する日本ほど高等教育を必要とする国はほかにない。どれだけの数の高等教育機関を必要とするかは、かれら自身で決定したければならない問題である。それは高等教育の質と内容を十分発展させることができれば比較的解決は容易であろう。
高等教育機関の種類と内容 戦前の日本において見られたような高等教育のあの画一主義の観念は、避けられなければならない。高等教育機関の性格や活動については、地域的・国家的および国際的問題に関連して研究することが必要である。その際高等教育機関の社会的・文化的貢献を考えてその種類と内容は独自性と多様化を期すべきである。大学院をはじめ半専門的短期大学的ものまで含めて、各種高等教育機関が日本には必要であるといえる。
高等教育機関の独自性は直接地域の人々に奉仕することによって裏付けられ、高められるものである。したがって高等教育機関は地域の要求を研究し、他の機関で行われていない研究的・教育的および奉仕的仕事を選定することが必要である。このようにすれば大学の各学部は、それぞれ独自の個性を持つようになるであろう。
同時にまた高等教育機関とその関係者は、技術家・工芸図案家・美術家・医者・看護婦.社会事業家・実業家・政治指導者・詩人・小説家・教師等その他あらゆる専門家をどれだけ日本は必要とし、教育をしているかということについて慎重に研究しなければならない。
高等教育機関の組織と運営 新しい日本の高等教育機関は、過去の高等教育機関がおちいっていた学術という動脈の規則化・標準化という硬化作用を防止しなければならない。そのため自由な方向と基準を持つ必要がある。
民主社会の高等教育は人々の代表によって支配され、それらの人々によって定められた基準が適用されなければならない。現在日本の高等教育機関はその主要方向を教授達に支配されている。そこで本使節団は、各高等教育機関が、その支持者を代表する男女からなる政策樹立委員会を持ち、しかもその委員は、全部でないまでも大部分が他のいかなる公式資格においても、その機関と関係のないようにすることを勧告する。現在「大学基準協会」によって高等教育機関の基準は示されているが、この機関が専門職業的分野について基準委員会を持つように考慮するよう勧告する。
日本における成人教育計画は、第一次教育使節団の勧告以後、多種多様の文化的・レクリエーション的および教育的活動をもって展開され、社会教育連合会という自主的な私設団体も組織された。しかしなお現在多くの欠点のためにたち遅れている。熟練した指導者が不足し、計画の中味が乏しく、財政上の補助があまりにも少ない。よい指導力・有用な資料・堅実に立案された継続的計画が望まれている。これらは文部省・大学および諸学校・労働団体・社会連合会その他の代表者からなる全国的な諮問審議会によって、地方や都会の必要に応ずるようくふうされるべきである。
成人教育計画において、「父母と先生の会」、それにユネスコ関係団体の二つは有力な団体として奨励されるべきである。教師も教育家もこれらの団体への参加と、その目的および計画の理解を高めるよう努め、あらゆる部面において啓発された民主的市民の育成に励むことが望ましい。
図書館 成人教育の広範な計画は、強力な図書館資源なくしては、実施することはできない。図書館は、現在殆んど無料であるが、それが大して発達しておらない。日本図書館協会は、図書館人の緊密な団結による専門的団体として発展しており、その事業は努めて奨励されるべきである。また近い将来、アメリカ図書館協会の主宰で、図書館職員養成機関が開かれると報ぜられている。日本の図書館施設は、資金が得られ次第、すみやかに拡張されるべきである。同様な措置は学校図書館に対してもとられるべきである。
博物館 現在日本には全部で二三五館と類似施設があるに過ぎない。これらの大多数のものは財政上の困難によって、いちじるしく不利な立場に置かれ、そのあるものは毎年補助金を受ける国の施設になるように請願している。文部省が博物館の窮状を研究し、その保存と拡張のために必要な勧告をなすよう勧める。
第一次教育使節団の勧告以後、日本の国語改革はある程度の進歩を見せている。多くの小・中学校でローマ字が教えられ、当用漢字音訓表が採用された。これによって漢字は理論的に制限され、かなづかいも改良され、ローマ字の使用は増加し、口語が公文書に使用されるようになった。国立国語研究所が国語ならびに国語と国民生活間の関係を科学的に研究するために設立された。しかしこれまでの改革は必ずしも十分とはいえない。現在のところ改革は、国語そのもののほんとうの簡易化・合理化には触れないで、かなや漢字の単純化に終ろうとしている。
国語改革については次のように勧告をする。
一 一つのローマ字方式が最もたやすく一般に用いられうる手段を研究すること。
二 小学校の正規の教育課程の中にローマ字教育を加えること。
三 大学程度において、ローマ字研究を行い、それによって教師がローマ字に関する問題と方法とを教師養成の課程の一部として研究する機会を与えること。
四 国語簡易化の第一歩として、文筆者や学者が当用漢字と現代かなづかいを採択し、使用するよう奨励すること。
教師の団体 よく組織された自発的な、だれもが参加しうる教育者の組織団体が、すぐれた教育計画の展開を助けることができる。すぐれた教育計画は、教師の生活条件や労働条件が安定し、教師の人格的・職業的発展を促進するような自由があってはじめて十分に展開される。日本は独立した自発的な教育家の団体をもつべきである。それは青少年教育のためにすべての他の団体と協力できるものである。しかし日本の青少年が当然受ける権利をもっている教育と、日本の最善の福祉のために必要な教育を妨げようとする団体に対しては、反対する自由をもつものである。
職業教育 民主社会においては、高度の一般教育が重要なものである。しかしこの一般的文化的教育とともに、しっかりした職業教育計画がなければならない。日本は民主化を保障し、自給産業国を建設する熟練した技術者を必要としている。諸学校・諸大学の職業教育計画は大いに強化される必要がある。
私立学校教育 国立および公立の学校と私立の学校の指導者たちは、ともにこの国の指導者を養成しているのであるから、相互に理解と同情をもたなければならない。私立学校教育は、国立および公立の学校に要求されているのと同等の基準に達していなければならない。したがって同時に公職につく卒業生には、同等の資格が与えられなければならない。
道徳および精神教育 われわれは日本に来てから、新教育が道徳的および精神的支柱を失っているということを聞かされた。しかしこうした見解は、個人生活の一面のみを見ているからかも知れない。
道徳的または精神的価値は、われわれの周囲のいたるところにある。われわれは、それを家庭生活や学校生活の中に見出すことができるのである。教師は青少年の日常経験の中にそれらの価値を生かし、あらゆる学習活動も単に知力の発達だけでなく、徳性の完成に役立たすことができるのである。道徳教育は、ただ杜会科だけからくるものだと考えるのは無意味で、それは全教育課程を通じて力説されなければならない。
学制百年史編集委員会
-- 登録:平成21年以前 --