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1部   高等教育の課題と展望
第2章  高等教育の現状と課題
第1節  高等教育の規模
2  高等教育人口の推移と高等教育の計画的整備


高等教育への進学対象年齢人口としての18歳人口の推移は,高等教育の規模に影響を与える大きな要因となっている。

18歳人口の推移には,戦後の第一次ベビーブームによる昭和41年のピークと,第二次ベビーブームによる平成4年のピークとがある。

戦後から昭和50年までの間の,高等教育の量的規模の大幅な拡大を伴う施策としては,30年代の理工学系学生増募計画と40年代のべビーブーム対策が挙げられるが,そのほか,特定分野にかかる整備として,経済社会基本計画(昭和48年閣議決定)に基づき48年度から行われたいわゆる無医大県の解消計画,第二次ベビーブームに伴う児童の増大に対応して45年度から54年度までに行われた小学校教員養成課程の拡充整備等がある。

しかしながら,高等教育対象人口の推移等に対応して,ある一定の期間,高等教育全体について計画的な整備を図ることとしたのは,昭和50年に始まるいわゆる「昭和50年代前期計画」からである。

以下は,高等教育の計画的整備について年代ごとに概観する。


(1) 昭和50年以前の高等教育の整備
1) 理工学系学生増募計画

昭和32年12月に,「新長期経済計画」が閣議決定され,また,この計画に大幅な修正を加えて35年には,「国民所得倍増計画」が閣議決定された。

これらの計画を実行するに当たっては,特に必要とするマンパワーの確保が要請された。こうして,昭和32年度から35年度までの理工学系学生8,000人増募計画及び昭和36年度から39年度までの2万人増募計画が実施されたのである(2万人増募計画については,4年間から1年短縮され,3年間で達成された。)。これらの計画に沿って,工学部の増設や学生増募が行われ,この結果,理工学系学部学生数の比率は,昭和30年度に27%だったものが,45年度には32%まで増加した。


2) 第一次ベビーブームと高等教育の拡大

昭和41年度から43年度にかけて,大学入学志願者数が急増した。これは,戦後のいわゆるベビーブームの時代に生まれた世代が大学進学該当年齢(18歳)に達したことによるものであり,昭和40年度に195万人であった18歳人口は,41年度には一挙に249万人に急増した。

文部省は,入学志願者の合格率を急増期以前と同じ60%に維持することを基本目標として,入学定員の大幅な増加を行った。昭和40年度に入学定員は1万8,000人の増,入学実貝は,5万2,000人の増がなされ,また,41年度から43年度までの3年間では,入学定員7万7,000人増,入学実員12万3,000人増となった。

18歳人口は,その後昭和40年代を通じて減少期を迎えたが,国民の所得水準の上昇,高等学校進学者の増大,産業界の人材需要の拡大等を背景として,国民の高等教育への進学意欲は上昇し続け,進学率は,年2〜3%増の勢いで上昇し,44年度には20%を超え,49年度には30%を超えるに至った。


(2) 昭和50年代の高等教育の計画的整備

大学,短期大学及び高等専門学校(第4年次)への進学者は昭和50年度には,61万人に達し,進学率は,38.4%まで上昇した。このような高等教育の規模の急速な拡大に伴い,以下のような不均衡や問題点が生じてきた。

第一は,高等教育の規模の急速な拡大が教育条件の低下を招いたことである。この間の拡充は,もっぱら私学の急増によって行われたが,「マスプロ教育」等と批判される状況を招くこととなり,私学の定員超過率の推移でみると,昭和35年度に1.50であったものが,50年度には1.79に上がるに至った。第二は,大学の大都市への過度の集中及び進学機会の地域間格差が生じたことである。昭和50年度には三大都市圏(南関東,東海及び近畿)に所在する大学・短期大学の在学者数は約155万人で,その割合は全国の大学・短期大学の在学者数の74%となっていた。

このような状況の下で,昭和46年の中央教育審議会の答申等において高等教育の計画的整備の必要性が指摘され,47年には,文部大臣の諮問機関として高等教育懇談会が設置された。この懇談会では前述のような状況に適切に対処すべく,我が国の高等教育の拡充整備の長期的な在り方について検討が行われ,昭和51年3月には,51年度から55年度までのいわゆる「昭和50年代前期計画」が取りまとめられた。また,昭和54年12月には,大学設置審議会大学設置計画分科会から,56年度から61年度までの「昭和50年代後期計画」が報告された。この期間は18歳人口がおおむね約150万人〜160万人台で推移する期間であり,両計画を通じて,量的拡大の抑制,私学の定員超過率の改善等による教育研究条件の改善,大都市における新増設の抑制等による地域配置の適正化等の観点から高等教育機関の整備を図った。また,昭和50年には,私立学校法を改正し,昭和56年3月31日までの間は,原則として,私立大学の設置,私立大学の学部又は学科の設置及び私立大学の収容定員の増加の認可は行わないこととした。

これらの施策の結果,計画期間中の進学率は横ばいで推移したが,定員超過率の改善等教育研究条件の改善が進んだほか,地域間格差の是正がある程度進んだ。

なお,昭和51年には専修学校制度が創設され,専修学校(専門課程)が高等教育の重要な―翼を担うこととなった。


(3) 第二次ベビーブームと高等教育の計画的整備

昭和61年度以降の高等教育の整備については,59年6月に「昭和61年度以降の高等教育の計画的整備について」(大学設置審議会大学設置計画分科会)が報告された。

昭和61年度以降18歳人口は,平成4年度の205万人をピークとして増加し,平成12年度には150万人台に戻るという急激かつ大幅な変動が予測されている。このような状況の下で,この報告は,平成12年度までの15年間の展望に立ち,当面,昭和61年度から平成4年度までの7年間についての高等教育の計画的な整備の方向と内容を示している。計画の概要は,次のとおりである。


1) 高等教育の質的充実

高等教育を大学,短期大学及び高等専門学校における教育にとどまらず,専修学校(専門課程)その他の高等教育レベルの多様な教育形態を含むものとしてとらえた上で,開かれた高等教育機関,高等教育機関の国際化,特色ある高等教育機関の三つの視点に立って質的充実を図る。


2) 高等教育の量的整備

18歳人口ピーク時の平成4年度において,少なくとも昭和58年度と同程度の進学機会(進学率35.6%)を確保するという考え方のもとに,昭和61年度から平成4年度までの7年間で,大学,短期大学及び高等専門学校について,8万6,000人の定員増を目途として整備を進める。そのうち4万4,000人については,平成5年度以降,18歳人口が急減期に入ることを考慮し,期間を限った定員(いわゆる臨時的定員)増とする。


3) 地域配置

従来どおり,大都市への大学,短期大学の集中を抑制し,地方に重点を置いた整備を進める。

この計画を踏まえ,昭和61年度から平成元年度までの間に国公私立合わせて約9万5,000人の入学定員増(うち約4万5,000人は期間を限った定員増)が行われた。この時点で,既に,計画の量的整備の目途を1万人ほど上回ったが,一方で,1)入学定員超過率の改善が進み入学者の実数では計画の想定した規模に達していないこと,2)大学,短期大学への志願率,志願者数が予想を上回って大幅に増大して多数の不合格者が生じていることなどの状況に至っていた。このため,平成元年2月大学審議会において,現高等教育計画の運用に関して,臨時的定員増を含めて引き続き必要な定員整備を進めることとされた。平成2年度までの実績によると,合計約11万1,000人の入学定員増が行われているが,さらに,3,4年度においても,私立大学について期間を限った定員増が図られるようその認可の扱いを緩和するなどの措置を講じている。

以上の計画の進行により,高等教育機関の地域間格差の是正が徐々に進んできているほか,高等教育の質的充実の面では,大学間の単位互換,研究委託指導,大学の社会人受入れ等が進み,また,時代の動向を反映して,情報科学,情報処理等の情報関係,国際文化,国際教養等の国際関係等人材養成の需要の大きい分野の学部・学科が多く新増設されてきている。


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