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1部   高等教育の課題と展望
第1章  我が国高等教育の歩み
第2節  戦後の高等教育
2  新制大学の発足


学校教育法の制定により,新制大学が発足した。学校教育法は,「大学は,学術の中心として,広く知識を授けるとともに,深く専門の学芸を教授研究し,知的,道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする」(同法52条)と規定している。すなわち新制大学は,旧制の高等教育機関,特に専門学校が,「普通教育を与える機会があまりに少なく,その専門化があまりに狭すぎ」,「学者の占める高い学識の世界と―般民衆の間に越えがたい溝が在していた」(第1次アメリカ教育使節団報告書)とされたのを一新し,人間的教養の基盤の上に,学問研究と職業人育成を進めようとの理念を掲げて誕生したのであった。


(1) 国立大学

この新制大学の設置に当たり,国立大学には多くの解決すべき問題があった。

国立学校については,我が国の大学が大都市に集中し,教育の機会均等に反しているとの批判があり,文部省では,同一県内の国立学校は原則として一大学に合併すること,国立大学における学部,分校は,他の府県にまたがらないものとすること,などのいわゆる国立大学設置11原則を立てた。これに対しては,例えば,旧制の大学と高等学校との府県を越えた統合を希望するもの,専門学校で単独の昇格を主張するもの,専門学校で師範学校との合併に難色を示すもの等,これらの原則に抵触する様々な問題が続出したが,こうした難題を調整した上で,昭和24年5月に国立学校設置法が制定され,69の新制国立大学が発足した。


(2) 私立大学

戦後私学の当面した問題は,まず財政問題であった。都市に集中した私学の戦災は著しく,また,急速なインフレの進行により経済状態は私学存立の基盤を崩すほどであり,その経営を極めて困難な状況に陥れた。

文部省では戦災復旧貸付金の措置など,都道府県では契約金や補助金の支出など応急的助成の手を打ったが,財政問題はその後長く尾を引いた。

このような財政問題のほか,教育改革における私学の課題は,国公私立の平等の発展を図ること,私学の自主性を確立するとともにその公共性を高めること等であった。

学校教育法の制定などにより,国公私立を通じた制度が確立され,また私学の自主性,公共性の保障のために新たに私立学校法が制定された。

この法律の内容は,一つは私立学校の自主性を尊重し,二つは学校法人制度を創設してその公共性を確保し,三つには憲法第89条との関係を調整して私学に対する公の助成の道を開いたことである。

こうして施設,設備,陣容は不十分ながらも戦後の荒廃の中から発足した新制大学は,昭和24年度末には国立70校,公立18校,私立92校の180校に達した。


(3) 大学院

大学令には,特に大学院の目的を示した条項はなかったが,学校教育法は,「学術の理論及び応用を教授研究し,その深奥を究めて,文化の進展に寄与することを目的とする」と明記した。大学院を学部の延長にある研究の場としてではなく,それ自身の独自の地位と使命を制度的に認めることとし,新制大学院は昭和25年度から私立の4大学に設置が認められたのを皮切りに,28年度には国公立大学にも設置された。なお,旧制大学院も経過措置として37年3月まで存続した。

大学院制度の改革に伴い,学位制度も大きく改められた。旧制度と異なり,新しい学位は大学が授与し,文部大臣の認可を必要とせず,また,博士のほかに修士の学位が設けられた。


(4) 短期大学

新制大学への転換の過程における大きな問題の一つは大学基準に達しない学校の扱いであった。

昭和24年,新制大学への切替えに際し,旧制の専門学校の大部分は4年制大学への転換を目指したが,そのうち約50校は教員組織,施設・設備等が不十分のため,4年制大学への転換が認められなかった。また,旧制の機関のうちには4年制機関への移行を望まないものもあった。

このため,昭和24年5月,学校教育法の一部を改正し,暫定措置として修業年限2年または3年の大学を設け,これを短期大学と称することとした。昭和25年度には公立17校,私立132校の計149校が認可され,短期大学として発足した。


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