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1部   初等中等教育の課題と展望
第1章  時代の進展と教育の質の向上
第1節  初等中等教育の歩み
3  教育水準の向上


教育の機会均等とは単に学校教育を受ける機会の確保だけを意味するものではなく,教育内容についてもその同質性が保障されていることが大切である。すなわち,全国的に一定の教育水準が確保され,幼児児童生徒が,全国どこにいても質の高い同一水準の教育を受けることができるよう学校教育の機会を確保することが公教育の使命である。

このような観点からこれまでも教育課程の改善,教科書検定の実施,教職員の待遇の改善や定数の充実,学校施設の整備などが進められ,国民の強い教育志向とあいまって我が国国民の教育水準は高いものとなっている。例えばIEA(国際教育達成度評価学会)が先に行った国際数学教育調査や国際理科教育調査においても我が国の成績はおおむね国際平均を上回っており,このことだけで我が国の初等中等教育全体の水準を論ずることはできないにしても,評価してよいであろう。

以下においては,戦後講じられた教育水準の維持向上のための施策を概観してみることとする。

1-1-1  IEA国際数学教育調査,国際理科教育調査の結果

○第2回理科調査結果(中間報告値)

(1)教育課程の改善等

教育課程の基準については,戦前はそれぞれの学校令やその施行規則に学校の目標,教科の種類などが規定され,それらに基づき国定教科書さんが編纂されていた。学校ではこの教科書に従って教育が行われていた。

戦後は,教育課程の制度について大きな改革が行われた。国が教育課程の基準として学習指導要領を定め,各学校はこれに従って教育課程を編成・実施することとされたのである。このことは,戦前の国定教科書などによって,教育課程の国家統制が強くなりすぎ,地域や学校の実情,児童生徒の実態に即した教育活動が展開されにくくなったという反省に立って行われたものである。

1) 学習指導要領の変遷学習指導要領は,次の二つの要請を考慮し,学校教育の実態等を踏まえ,両者が調和するよう配慮して作成されることとなった。 第一に,児童生徒に国民として必要とされる基礎的・基本的内容を共通に身に付けさせるため,全国的に一定の教育水準を確保し,全国どこでも同水準の教育を受けることのできる機会を国民に保障するということである。 第二に,教育はその本質からして地域や学校の実態,児童生徒の心身の発達段階や特性に応じて適切に行われることが大切であり,また,各学校において教育活動を効果的に展開するためには,学校や教師が創意工夫を加えて教育課程を編成・実施することが必要であるということである。 学習指導要領は,昭和22年に制定されて以来,時代の進展に伴う社会的要請の変化に対応し,また,教育課程の実施の経験を踏まえ,およそ10年ごとに改訂が行われてきた。 これまでの学習指導要領の変遷については,内容的にみるとおよそ次のように三つに区分できる。 ○昭和20年代の学習指導要領昭和22年に初めて制定された学習指導要領は,連合国軍最高司令部の指導の下に作成されたものであり,当時アメリカの諸州で採用されていた「コース・オブ・スタディ」に範を求めたものであった。新しい教育制度に基づく教育課程の基準を示す必要があったので,新教育制度の発足に間に合うように短時日の間に作成されたものであった。 22年の学習指導要領は,小・中学校について一般編と各教科別の教科編から成っており,およそ2千数百ページにも及ぶものであった。 この最初の学習指導要領については,修身,日本歴史及び地理を廃止して新しい教科として社会科を設けたこと,小学校に家庭科を新設し男女とも履修することとしたこと,全教科を通じて児童生徒の生活経験を重視したことなどの点で特色がみられる。 22年の学習指導要領については,短時日の間に作成され内容構成が不統一であるなど種々の問題があったため昭和26年に改訂されたが,これは基本的には22年の学習指導要領の考え方を受け継ぐものであった。 なお,この時期の学習指導要領は法令上は教育課程の基準として位置付けられていたが,戦後の混乱期にあわただしい中で作成されたものであったため「試案」とされた。 ○昭和30年代・40年代の学習指導要領昭和26年の学習指導要領は全教科を通じて児童生徒の生活経験を中心に学習内容を組織する単元学習に偏りすぎる傾向があり,また,授業時数の定め方の幅が大き過ぎるということもあって,地域による学力差が目立つようになっていた。一方,30年ごろの我が国は,独立国家として国際社会に新しい地歩を固めつつあり,国内では急速に技術革新や経済の高度成長などが進行していた。 このような状況の下で行われた昭和33年(高等学校は35年)の改訂は,我が国が独立を回復したことを契機に,これまで課題とされてきた道徳教育の強化,基礎学力の充実,科学技術教育の振興などを図るとともに,児童生徒の生活経験を中心に学習内容を組織する単元学習を重視した教育から教科内容の系統的な学習を重視する教育への軌道修正を行ったものであった。 33〜35年の改訂後,我が国の国民生活の向上,文化の発展,社会情勢の変化にはめざましいものがあり,また,我が国の国際的地位が向上するにつれてその果たす役割もますます大きくなりつつあった。 そこで,昭和43年〜45年に,教育内容の一層の向上を図り,時代の要請にこたえるとともに,さらに実施の経験を踏まえ,児童生徒の発達段階や能力・適性等に即し,学校の実情に適合するように改善が行われた。このような観点から,算数・数学や理科を中心に集合など新しい概念を取り入れたいわゆる「現代化」などが行われたが,43年〜45年の改訂は,基本的には33年〜35年の改訂の考え方を継承したものであったといえよう。 なお,33〜35年の改訂では,学習指導要領は,教育課程の基準として文部大臣が公示することとされるとともに,大網的な基準として必要な事項を規定するにとどめ,その示し方が形式的に整えられた。このことは,学習指導要領の性格に変更を加えたものでなく,教育課程の基準であるという法令上の位置付けは一貫して変わっていない。 ○昭和50年代・平成元年の学習指導要領昭和30年代・40年代の改訂は,独立回復後の科学,産業,文化などの進展に対応して教育内容の充実を図ったものであったが,学習内容の量的な拡大を来たし,また,程度が高くなり過ぎ,児童生徒の側に立った教育への転換を図ること,すなわち教育の人間化ということが問題となった。また,高等学校教育が著しく普及した現状にどのように対応するかといった問題も生じてきた。 そこで,昭和52・53年の改訂においては,知識の伝達に偏りがちな現状を改め,自ら考え主体的に判断し行動できる児童生徒の育成を図ることを目指して改善が行われた。すなわち,ゆとりと充実のある学校生活を実現するため,教育内容の精選と授業時数の大幅な削減が行われた。 その後,情報化,国際化などの進展には著しいものがあり,幼児児童生徒の意識や生活に大きな影響を及ぼすようになった。これらの社会の変化はますます拡大し,加速化することが予想されており,これに対応して生きていくことができる資質を養うことが課題となっていた。
1-1-2  小学校の教科等の種類の推移

資料▲学習指導要領(昭和52年度版)の記述 (小学校算数)

このため,平成元年の改訂においては,生涯学習の基盤を培うという観点から,社会の変化に自ら対応できる心豊かな人間の育成を図ることを基本的なねらいとして,1)心豊かな人間の育成,2)自己教育力の育成,3)基礎・基本の重視と個性教育の推進,4)文化と伝統の尊重と国際理解の推進を重視して改訂が行われた。なお,今回初めて幼稚園,小学校,中学校,高等学校について同時に改訂が行われた。 このように,学習指導要領は,時代の進展等に応じて戦後数次にわたり改訂され,我が国の教育水準の向上に大きな役割を果たしてきた。
2) 戦後の教科書行政教科書は,小学校では明治37年から,中等学校では昭和19年から,それぞれ国定制度がとられてきた。こうしたこともあって,戦前は,教科書がすなわち教育課程であるという見方もできた。 戦後,教育課程の基準として国が学習指導要領を定め,これに従って各学校において適切な教育課程を定めることとする一方,教科書は,教育課程そのものではなく,教育課程の編成に応じて組織配列された教科の主たる教材と性格付けられ,国定制度に代えて検定制度がとられることとなった。 教科書検定制度は,昭和22年の学校教育法の制定によって制度化されたが,これは,教科書の著作・編集を民間にゆだねることによって民間の創意工夫を促し,多様な教科書が作成されることを期待するとともに,文部大臣が検定を行うことによって学習指導要領に定める教科の目的,内容等に応じたものであるかなどの審査を行い,全国的な教育水準の維持向上,適切な教育内容の維持,教育の中立性の確保などの要請にこたえようとするものであった。 また,昭和23年には,「教科書の発行に関する臨時措置法」が制定され,教科書の発行供給を迅速確実にするとともに,教科書の適正な価格を維持するため,国による教科書需要数の把握とそれに基づく発行者への発行の指示,定価の認可,教科書展示会などに関する制度が整備された。 さらに,昭和37年には,「義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律」が制定され,義務教育諸学校の教科書は無償とされた。併せてこの時, 「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」の制定により,義務教育諸学校の教科書については,文部大臣が発行者を指定するとともに, 「市若しくは郡の区域又はこれらの区域をあわせた地域」を採択地区として設定し,地区内の市町村が共同して種目ごとに同一の教科書を採択することとされるなど採択発行制度が整備された。 なお,臨時教育審議会答申を受けて,平成元年4月には,民間の創意工夫と著作・編集機能の一層の向上により,個性豊かで多様な教科書が
1-1-3  教科書の種類数(平成元年度)

発行されるようにする観点から,審査手続の簡格化,検定基準の重点化・簡素化など検定制度の全面的な見直しを行った。 このような新しい教科書制度の下にあって,教科書は戦後の我が国の教育水準の向上に大きな役割を果たしてきた。

(2)教職員に関する制度の整備

学校教育の水準を維持し,向上させるためには,優れた教員を養成確保し,その資質の向上を図ることが大切である。このため,これまでにも様々な施策が講じられ,大きな成果を上げている。

戦後,教員の確保のための施策が積極的に講じられ,例えば,公立小・中学校の本務教員一人当たりの児童生徒数をみても,数次にわたる学級編制と教職員定数の計画的な改善の結果,公立小学校については昭和23年の38.2人が昭和63年には22.2人に,公立中学校については23年の27.8人が63年には20.4人に,大幅に改善されている。

以下においては,教員の養成確保のために戦後講じられた施策を概観してみることとしたい。

教員の養成は,戦前は師範学校中心に行われていたが,戦後は昭和24年の「教育職員免許法」の制定により,教員養成大学・学部のみならず広く一般の大学において所要の単位を修得した者に対し,学校の種類に応じた免許状を授与する制度が採用され,教員養成大学・学部と一般の大学とがそれぞれの特色を発揮しながら教員の養成を行っている。

終戦直後は教員不足の問題が極めて深刻であり,その解決が急務であった。このため,教員養成大学・学部に2年の課程を設けたり,都道府県に臨時の教員養成所の設置を認めるなどして積極的に教員の確保が図られた。また,昭和25年からは,当時現職にあった教員約59万人を対象に,その資質の向上と資格の上級化のため,国による現職教育が計画的に行われた。計画が終了した30年代以降も現職研修は積極的に実施されており,国による校長や中堅教員を対象にした研修が行われているほか,都道府県が実施する研修に対しても国から財政援助が行われている。また,平成元年度からは,新任の教員に対して,採用後1年間の初任者研修が実施されている。

戦後,教員の待遇,身分の確立は急を要する問題であった。教育を通じて国民全体に奉仕する教育公務員の職務と責任の特殊性に基づき,当時既に制定されていた国家公務員法と制定が予定されていた地方公務員法の特例を定めるものとして,昭和24年に「教育公務員特例法」が制定された。この法律により,公立学校の教員は,地方公務員としての身分を有すると同時に教育公務員として,採用・昇任の方法や政治的行為の制限等につき一般の地方公務員とは異なった取扱いがなされるようになった。

昭和23年に制定された「市町村立学校職員給与負担法」により,市町村立学校の教職員の給与は都道府県の負担とされた。これと関連し,市町村立学校の教職員の人事は当初市町村単位で行われていたが,教職員の人事交流を円滑にし,教育水準の維持向上を期する等のため,昭和31年に制定された「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」により,都道府県が給与を負担する教職員の任命権は都道府県の教育委員会が市町村の教育委員会の内申を待って行う方式が採られるようになった。

昭和27年には「義務教育費国庫負担法」が復活制定され,義務教育に従事する教職員の給与費の2分の1を国が負担することとされた。現在,義務教育費国庫負担金は約2兆5千億円に上り,文部省予算の半分以上を占めている。

義務教育諸学校の教職員の給与の関係では,一般の公務員と比較して優遇措置を講じることにより優れた人材を確保するため,昭和49年に「学校教育の水準の維持向上のための義務教育諸学校の教育職員の人材確保に関する特別措置法」が制定され,本俸の引上げのほか,義務教育等教員特別手当,教育業務連絡指導手当(いわゆる主任手当)の新設や一定の部活動に対する教員特殊業務手当(いわゆる部活動手当)の支給等の計画的な改善が図られた。

また,学級編制と教職員定数については,昭和30年代にいわゆる「義務標準法」と「高校標準法」の制定によりその基準が明確にされ,今日に至るまで義務,高校それぞれ数次にわたり計画的な改善が図られてきている。現在,義務教育諸学校については,40人学級の実施や小学校の専科教員の充実,小規模中学校の免許外教科担当の解消等を内容とした第5次の改善計画(昭和55〜平成3年度)を,また,高等学校については職業教育担当教貝定数の充実や習熟度別学級編制のための教員の加配等を内容とした第4次の改善計画(昭和55〜平成3年度)を推進している。

このほかにも,昭和49年には教頭職が法律上明確に位置付けられ,51年には主任制度が実施されるなど,学校運営の仕組みについて必要な改善が重ねられてきている。

1-1-9  本務教員一人当たりの幼児児童生徒数の推移

(3)学校施設の整備

児童生徒に学校教育を授けるに当たり,学校施設は,単に教育の場を提供するのみならず,児童生徒の成長・発達そのものに深くかかわるものであり,豊かな人間性をはぐくむ環境として極めて重要である。

戦後の学校施設の不足は深刻であり,その建設費については早々に国庫補助の道が開かれたものの,極めて不安定な状況にあった。このような時期を経て,独立回復後の昭和28年には,施設関係の補助金に初めて法的な根拠が与えられ,さらに33年にはこれらの法律が整理統合され,以後計画的に施設整備が行われるようになった。

公立学校の施設整備については,これまで,児童生徒の急増に伴う不足教室の整備や木造危険校舎の改築等量的整備に重点を置いて行われてきたが,校舎の鉄筋化が進み,学齢人口が減少する中で,量的整備に加え,質的に充実した施設づくりが求められるようになってきている。

このような中で,文部省においても,創造的で人間性豊かな児童生徒の育成に資する文化的な教育環境を整備する観点から学校施設の文化的環境づくりについての調査研究や,児童生徒の個性を生かす教育への対応を始めとする学校施設の総合的な在り方についての調査研究を行ない,助成制度について所要の改善を図った。この結果,近年では,多目的スペース,セミナーハウス,クラブハウス,屋外環境等の整備,建物の空間構成の配慮,芸術作品の展示や建物への装飾など様々な工夫がこらされた学校建物が増加するようになった。さらに,臨時教育審議会からの提言のあったインテリジェント・スクール構想を踏まえ,現在,生涯学習体系への移行,情報化への対応等の観点から,文教施設のインテリジェント化について調査研究を行っている。

装飾がなされた校舎壁画 (大分県臼杵市立東中学校)


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